子どもと自然・環境 事例 1

長野の子どもたちにも伝えたい「フクシマ」 のこと

元 京都大学原子炉実験所 助教 小出 裕章

小出さんの顔写真

起きてしまった事故

 今から74年前の夏、広島に原爆が落とされ、広島の街は一瞬にして壊滅しました。原爆はウランを核分裂させる爆弾ですが、原子力発電もまたウランを核分裂させて発電します。ただ原子力発電所で核分裂させるウランの量は膨大で、標準的な原子力発電所は1年の運転ごとに広島原爆1000発分以上のウランを核分裂させ、それだけの量の死の灰を生み出し、炉心と呼ばれる部分に蓄積していきます。それが環境に出てくるような事故が起きれば、被害が破局的になることは当然でした。しかし、国も電力会社も日本の原子力発電所は安全で、大きな事故など決して起こらないと言ってきました。

 しかし、2011年3月11日、恐れていた事故が、福島第一原子力発電所で起きてしまいました。巨大な地震と津波に襲われて、当日運転中だった3基の原発の炉心が為す術なく熔け落ち、爆発しました。大量の放射性物質が大気中にまき散らされ、日本国政府によると、主要な核分裂生成物であるセシウム137の場合、広島原爆の168発分が放出されました。広島原爆1発分の死の灰ですら、猛烈に恐ろしいものですが、海に向けて流され、今も流され続けているものを含めれば、広島原爆数百発、場合によっては1000発分にもなろうという放射性物質が環境に流されました。

放射線管理区域

 放射線に被ばくすれば、必ず健康に被害が出ます。その上、細胞分裂が活発で、毎日見ていておもしろいほどに成長していく子どもたちは、特に被ばくに敏感です。その為、放射線や放射能を取り扱う場合には、「放射線管理区域」と呼ばれる特別な場所で取り扱うように法令で決められ、18歳以下の子どもたちは放射能を取り扱う作業に従事すること自体も禁じられました。

 「放射線管理区域」に立ち入ることができるのは、作業に従事して給料をもらう成人「放射線業務従事者」に限られています。「放射線管理区域」の中では水を飲むことも食べ物を食べることも許されないし、トイレすらありません。要するに人が生活することなどできない場所です。また、「放射線管理区域」から物を持ち出す場合には、1平方メートル当たり4万ベクレルを超える汚染物はどんなものでも持ち出してはならないと決められていました。

 フクシマ事故は、原子力を進めてきた人たちがまったく想像もしていなかった巨大事故で、彼らはその日、「原子力緊急事態宣言」を発令しました。「放射線管理区域」にしなければいけない基準を遥かに超える汚染地帯が生じ、そうした場で生活していた10万人を超える人々に国は避難指示を出しました。もちろん避難しなければなりませんでしたが、避難とは生活を根こそぎ破壊されることです。そして、避難区域の周辺にも放射線管理区域の基準を超えた地域が広大に生じました。そして、そこに子どもを含め、人々が棄てられてしまいました。日本人の多くは忘れさせられてしまっていますが、事故から8年が経つ今でも「原子力緊急事態宣言」は解除されておらず、「放射線管理区域」の中で、子どもも含め普通に生活せざるを得ない状態が続いています。

図 1 福島原発事故による汚染広がり

五感に感じられない放射能

 フクシマ事故で放出された広島原爆168発分のセシウム137の大半は、偏西風に乗って太平洋に向かって流れました。日本の国土に降ったその量は全体の16%、広島原爆の27発分です。それによって、東北地方、関東地方の広大な地域が「放射線管理区域」にしなければならないほど汚染されました。そこに棄てられた人々は「除染」と称して、家の周辺、学校の校庭、道路周辺の土を剥ぎ、フレコンバッグと呼ばれる巨大な袋に詰めてきました。もともと山や林の「除染」などできませんし、田畑の「除染」もできません。やっていることはごくごく一部の場所だけの「除染」ですが、フレコンバッグの数はすでに2,000万袋を超えています。もし汚染地帯全体の除染をしたら、何億、何十億袋にもなるでしょう。でも、汚染の正体であるセシウム137の重量は、それを全部集めてもわずか750gにしかなりません。

 「放射能は五感に感じられない」とよく言われます。何故そう言われるかと言えば、五感に感じられるほど放射能が身の周りにあれば、それを感じる前に人間は死んでしまうからなのです。

責任を取らない人

 日本の原子力開発は「国策民営」と言われ、国が路線を敷き、それに電力会社が乗せられ、そして原子力産業、ゼネコン、中小零細企業、労働組合、裁判所、学界、教育現場、マスコミ、すべてが「原子力ムラ」として一体となり進めてきました。彼らの宣伝によれば、原子力は絶対安全なはずでした。しかし、事実としてフクシマ事故は起きました。10万人を超える人々が生活を根こそぎ破壊されて流浪化し、あまりの苦しさに命を落とす人、自ら命を絶つ人も後を絶ちません。8年経った今も「原子力緊急事態宣言」は解除できず、「放射線管理区域」内で子どもたちも含め生活を強いられています。人は四六時中恐怖を抱えては生きられません。人々は、長く続く苦難に疲れ果て、諦め、汚染があることを忘れてしまうしかない状態に追い込まれています。今、フクシマでは「復興」こそが大切なことだと言われ、汚染を心配する声は復興の邪魔だとしてかき消されようとしています。

 一方、これほどの被害を引き起こしたことに責任のある「原子力ムラ」は誰一人として責任を取っていませんし、取ろうとする人も一人もいません。処罰もされていません。それをよいことに、彼らは一度は止まった原子力発電所を再稼働させ、あわよくば海外に輸出して金儲けをしようとしています。国が倒産するほどの被害を出した東京電力はすでに黒字企業になりました。原発を作る時に大もうけをしたゼネコンは、「除染」事業の元請け会社としてまた大もうけをしています。原子力が安全だと嘘の宣伝をばらまいてきた電通などは、今度は被曝しても安全だとして多額の資金を受けて宣伝を続けています。

 かつて私の知人が「私は自分の子どもに、嘘をついてはいけない、間違えたら謝りなさい」と教えていると言いました。その言葉に私は心底同意します。しかし、この国は、「呼吸をするように嘘をつく」首相の国です。原子力発電は絶対に安全だと言っていたことが、仮に意図的な嘘でなかったとしても、間違っていたのであれば、最低限謝るべきです。しかし、この国を支配している人たちは、まったくそうでなかったことがフクシマ事故で明らかになってしまいました。

罪のない子どもたち

 フクシマ事故はまことに残念ながら事実として起きました。私たちは、五感に感じられないほどの毒物に取り囲まれて生きるしかなくなりました。未来を生きる子どもたちに汚染の世界を残していくことを、誠に申し訳ないことと私は思います。私自身は原子力の旗は決して振りませんでしたが、原子力の場で生きてきた人間として、お詫びします。

 人は生まれる場所を選べません。フクシマの汚染地で生まれた子どもたちも、自分で望んでその場に来たのではありません。でも、彼らは泥んこ遊びもできないし、雑草を摘むこともできません。幸いなことに、長野は東信のごく一部の地域を除けば、フクシマ事故から深刻な影響を受けずに済みました。でも、長野に生まれて、長野で生活している子どもも、日本というこの国で生きています。それだけではありません。日本というこの国も、世界の中の一つの国にすぎません。今現在、世界には戦争、飢餓が蔓延し、子どもを含め多くの人々が苦難に喘いでいます。子どもたちには、他人事でないものとして、曇りない目でフクシマを、そして世界を視て欲しいと願います。


小出さんのプロフィール

1949年  東京生まれ

1968年  東北大学工学部原子核工学科入学

1974年  東北大学大学院原子核工学専攻修士課程修了、同時に京都大学原子炉実験所助手になる

2015年  定年退職、同時に長野県松本市に移住


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