世界の子どもと多文化共生 事例 2

タイと日本を往復しながら「子ども観」について考える

ライター 北原 広子

タイの国旗のイラスト

 「外国人の親の子ども観」というテーマを気軽に引き受けてしまったのですが、何から手をつけていいかわからないうちに時間が過ぎてしまいました。外国人といってもいろいろですし、そもそもこのような固有性の強そうなことに国による違いがあるのか、それ以前に日本人の親の子ども観なるものは何なのか…わかりません。そんなとき『子どもという価値』 (柏木惠子著/2001年発行) という本が手元にあるのを思い出して再読してみました。各種データから、親にとって子どもの価値が何なのかを国際比較も入れながら考察しているものです。  

 この中に、アジア6か国を対象に人口学者と社会学者によってなされた「子どもの価値調査」というプロジェクトの報告があります。6か国というのは日本、韓国、フィリピン、台湾、タイ、そしてアメリカのハワイ。私がいくらか述べられるとすればタイですから参考にできそうです。

 日本の特徴としてあがっているのは「老後を世話してもらいたい」「家計を助ける人が増える」という経済的・実用的価値が6か国の中で最も低く「子どもがいると楽しい」などの精神的価値が高いことです。タイでも後者は高いのですが、前者もフィリピンと韓国に次いで高くなっています。ただしこの調査が行なわれたのは1970年代。あえて古いのを紹介したのには理由があります。この時期、タイの少子化は滝のごとく急激に進行していたのです。 

アジア6か国の合計特殊出生率

 内閣府が「主な国・地域の合計特殊出生率の動き (アジア) 」としてまとめたグラフが分かりやすいので転載し、コメントも引用します。“1970年の時点では、いずれの国も我が国の水準を上回っていたが、その後、低下傾向となり、現在では人口置換水準を下回る水準になっている。合計特殊出生率は、タイが1.4 (2013 (平成25) 年) 、シンガポールが1.20 (2016年) 、韓国が1.17 (2016年) 、香港が1.21 (2016年) 、台湾が1.17 (2016年) と我が国の1.44 (2016年) を下回る水準となっている。”


 急降下が落ち着いて少子化が定着した1990年代、私はバンコクに住んでいて、1996年に2人目の子が生まれました。そのとき、職場の同僚のタイ人女性から「これで貧乏になるね」という言葉を贈られました。その通りなのですが、その通りのことを言う人は意外に少ないのでとても印象に残っています。この同僚というのはバンコクのお金持ちの家庭の出身で、当時20代半ばだったと思いますが「結婚はしない。男は信用できないから」と明言していました。

 家の財産を保持するためには、結婚などというリスクを冒さない方がいいのだろうと思った記憶があります。さらに子どもときたら、身近な 麻薬を始め 犯罪の可能性を考えると危ない存在。もしそこまで想定しないとしても、貧しくなる理由が「教育費がかかるから」であることは、当時のバンコクでは自明のことに感じました。

 ちょうどうまい具合に当時、1995年の、やはりタイが含まれる意識調査が先の本で紹介されています。「子どもとはどのような存在か 六か国比較」 (日本女子教育会/1995) というもので日本、韓国、アメリカ、イギリス、スウェーデンとタイが対象です。タイが圧倒的に低い項目が「お金のかかる存在」で約27%。当時の賃金水準からしたら、タイでも教育費は十分に負担だと思っていた私の実感とは異なる結果ですが、実は日本でも約40%と低く、著者は、実際の経済負担は大きくても、それを親として当然のこととする「アジアの国の特徴かもしれません」と述べています。ちなみにイギリスはなんと95%で、アメリカもほぼ90%、スウェーデンで約82%ですから、私は著者の意見に同感します。

日本という外国で自分なりの子ども観をもつことの難しさ

 その後、私は日本に戻り、自分の子育てと同時に長野にいるタイ人の子育て状況をわずかながらも見てきたことになりますので、この期間に感じたタイ人親の「子ども観」のようなものを記してみたいと思います。ただその前にどうしても強調しておきたいことがあります。タイ人に限りませんが、一口に〇〇人ということの危険です。特に移民の場合、国の政策と直結しますから、似たような属性の人が集まりやすくなります。例えば長野で1990年代から暮らしている世代のタイ人には、前述したバンコクの会社の同僚のような階層の人は非常に少ないと断言できます。そして当初からタイ人だけの家族というのはなく、多くは日本人との国際結婚で女性が圧倒的に多く、日本人の夫との間の子がいるか、前夫との間の子を国から呼び寄せたか、あるいは両方かという家族構成です。離婚も少なくありません。

 最初のころに最も強く感じたのは「子どもを誰が育てるか」という点での日本との違いです。タイでは母親が働くために、子どもをどこかに預けるのは普通ですが、日本では親戚に預けっぱなしとか友人間をたらい回しというのは、母親として問題があるとみなされるのかと思ったことがあります。ただし、20年の間に変化しているのかどうかはわかりかねます。

 「子どもは親に従順であるべき」という子ども観は、今も根強くあると思います。移民した場合と母国にそのままいた場合の違いのひとつは、母国の社会の変化を皮膚感覚ではわからなくなることで、自分が育った時代の価値観を温存したままということは考えられますし、個人差も大きいので一般化するのは難しいかもしれませんが、タイ人からすると、子どもが親に向かって汚い言葉を使うのは信じがたいことです。

 さらにいうと、外国での子育てで、自分なりの子ども観が持てるのかという問題に突き当たるのではないでしょうか。自分の子育てを考えても思い当たることで、何を基準にして子ども観を形成するかは難しい問題です。それでも自分の国にいたら社会の、時代の空気みたいなものを無意識のうちに摂取して、もしかしたらあえて意識しないですむのかもしれませんが、言葉も不自由な外国で自分なりの価値観を持つには、親としての自分を問う度合いが一層強くなるといったら考え過ぎでしょうか。

根強い親孝行志向にバンコクで驚く

 次に私がバンコクに滞在したのは2017年からの約1年間です。所得水準が上がり、貧富の差が以前よりも小さくなったように感じられました。先のグラフが示す通り、少子化はますます進み高齢化も進んでいます。高校で働いていたので、高学歴志向の強さも目の当たりにしました。以前の在住時の大学進学率は30%前後だったと思うのですが、今やバンコクの人は平気で「全員が大学に行く」などと言うのです。あり得ないと思って調べると、統計的には日本と大差ないようですが、地方との格差が大きいことを考えると案外バンコクではほとんどが進学なのかもしれません。実際、バンコクは塾だらけで、夕方のカフェにはまだ小学生くらいの子が先生の個人レッスンを受けている姿が目立ち、学校では週末に別料金の補習がありますから、いろいろやったら教育費も相当かかるはずです。

 さてここで日本との違いは「女だから男より学歴が低くていい」という子ども観はないことです。が、対親に関しては、子どもの側からの伝統的な規範意識が相変わらず強いのは意外でした。

伝統行事の写真

 勤務先の高校に教育大学からの教育実習生が来ていました。日本のアニメキャラクターのコスプレが大好きで、趣味を同じくするカレとのコスプレツーショット写真を見せてくれるような現代っ子でしたが「教師は親の希望、自分はイヤなのに親には逆らえない」とずいぶん悩んでいました。この手の悩みは、生徒と話していてもありました。小さい頃から、親不幸をすると恐ろしい目にあうという説話で叩き込まれるからだという生徒もいましたし、学校でも僧侶の説教などを通じて常日頃から親孝行の大切さが説かれ、父の日と母の日には、数十人の親が全校集会に招かれて、子どもからの感謝を受けるという伝統行事も健在です。それを見ながら、日本がアメリカの支配を経なかったらこうだったのかもしれないと考えたりしました。

 さて、ここでまた日本に戻ります。入管法の改正で、一定の条件を満たすと、外国人労働者の家族呼び寄せが可能になりました。今も周囲に見かけるようになった外国人だけの家族が、今後はもっと増えると考えられます。まとまりのない内容ではありますが、イメージ喚起の一助になれたら幸いです。


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