子どもにもおとなにも、休息と修復の時間を 修復の家から

風土考房トナカイ 中村 健

中村さんの顔写真

子ども一人ひとりを大切に!

 子ども白書2018年版に、「子ども一人ひとりを大切に!」というタイトルで、少し書かせて頂きました。今回のこの子ども白書2019年版では、角度を変えて、前回私が紹介した「修復の家」について、「子ども一人ひとりが大切にされる場」として、少し詳しく書きます。

「心が癒やされる」場所としてのツリーハウス

 私が代表をしている風土考房トナカイが県の助成金を活用して昨年修復したツリーハウスで、昨年5月に「修復の家オープン記念祝賀パーティー」を行ない、子どもとおとな合わせて20人ほどが駆けつけてくれました。このパーティーには、私の大切な友だち3人が積極的に関わっていただき、楽しく昼食をいただいたあと、友だちのうちの2人がアルパ (ハープより少し小さい、南米の弦楽器) とカホン (おしりの下に置いて手で叩く打楽器) で魅力的な演奏を披露してくれたのです。自然の中に流れるアルパの音色、そして森の中にあるツリーハウスという場所で、そこにいた人たちは、確実に心の安らぎを感じたように思います。音楽そして自然には、人の心を癒やす力があることが、改めて確認できたのでした。

 もともとこのツリーハウスは、子どもの第三の居場所 (学校と家庭以外の自由に楽しく遊べる場所) として位置づけられ、十数年が経ちます。小・中学校の夏休みに、「子どもひろば」活動の場所として使われ、子どももおとなも、自然の中で「心が癒やされる場所」という意味合いがありました。

 「修復の家」は「子どもの居場所=あそび場」であると同時に、「心が癒やされる場所」でもあるのです。

「心を修復する」場所としてのツリーハウス

 自然には、想像以上の力があります。生態学的な意味で体を癒やす力はもとより、精神的な心の傷をも治す力があるのではないかと思います。私は、ヨガとかセラピーの専門家ではありませんから、そちらから自然を捉えての考えを展開することはできません。

 今の時代、多くのおとなにとって、そして子どもにとっても、生活して生きていくことには、大変な困難が伴います。特におとなは、長い人生の中で心を傷つけることがあります。そこで「心の修復」が必要となります。

 このツリーハウスは、おとなが“挫折・失敗・破局・衝突”などに遭遇したとき、この場を訪れ、一人少し立ち止まって考えたり、人と対話をする中から、自ら何らかの出口を探り、「正気を取り戻す」きっかけとなるように、一人ひとりを大切に受け入れられる場であればと思っています。

読書、考える (哲学する) 場としてのツリーハウス

 昨年、ツリーハウスで、気の合う友だち (親子) と読書会を2回程行ないました。部屋の中で (寒い時はストープを囲んで) 、持ち寄った好きな本について語りあったり、子ども向けの絵本などを一人が朗読風に読んで、他の人が耳を傾けるのです。

 そして、読書の後は、外に出て森の中をみんなで散策し自然と対話するのです。決して難しい話をする訳ではありませんが、自然の中で自由に思いを巡らせたり、対話することを「森の哲学」と呼ぶことにしています。「子ども哲学」とか「チビ哲」とか、さまざまな呼び方があるようですが、いずれにしても、自然の中にあるツリーハウスは、正に子どもとおとなが一緒になって自由に考え・話をする「哲学する場所」としては、最適ではないかと思います。

先生たちの学びの場・休息の場としてのツリーハウス

 最近、小中学校の先生方は、夏休みに「地域を学ぶ」ということを行なっています。私の地元の中学校でも、昨年の夏、地域を学ぶ場としてツリーハウスを選ばせていただけないかという問い合わせがありました。私にとっては、丁度ツリーハウスを「修復の家」と命名したばかりだったので、渡りに船で、ぜひにとお答えしました。

 当日は、校長先生をはじめ8人の先生方がおいでになりました。まずツリーハウスの周りを簡単に案内し、少し修復の家の趣旨を説明した後、部屋の中に入り、4人ずつ2つのグループに分かれて、それぞれのテーマを任意に決めていただき、ワークショップ風に自由に会話してもらいました。 1つのグループは、「断捨離」というテーマで、一人ひとりの思いを披露しあっていました。結果としては、学校とはまったく違った自然の中のツリーハウスという空間で、とてもリラックスした会話を楽しんでいただいように思います。

子どもとおとなの触れ合い、そして文化・芸術を楽しむ場

 また昨年10月には、ツリーハウスで、子どもとおとなが遊び・楽しむ「フラワー アート カフェ」を行ないました。このカフェは、私の東京にいる友だち「はなちゃん」が企画したものです。はなちゃんは、子どもたちに絵画教室のようなものを開いている女性で、企画から当日に向けての準備、そして当日の進行もほとんど一人でやってくれたのです。

 当日の様子ですが、参加者一人ひとりに小さな画板が渡され、そこに自由に絵を描いたり、雑誌などから切り取った絵や写真を貼り付けたり、さらには自然から採ったものを飾り付けるなど、それぞれオリジナルのアートを完成させるというものです。

 なによりも、印象的だったのは、子どももおとなも、わいわいがやがややりながら、それぞれの絵を作り上げるプロセスをとても楽しんでいたということです。

学習から一時離れた子どもの「休息の場」

 さらに1つ加えると、今年3月に、県の学習支援の一環として、ある高校生 (中学を卒業し、高校入学を控えた生徒) の学びの場として、このツリーハウスを利用しようと考えたのです。本人にまずこの場所を見てもらったところ、気に入ったようで、高校生活が軌道に乗った暁に、一緒にここで勉強したり、おしゃべりをしようということになりました。この場合は、この生徒にとっては、多分学びの場というよりは、中学とは違った高校生活の忙しさから少し離れた「休息の場」ということでしょうか。

第四の居場所としての「修復の家」

 第三の居場所ということを前述しましたが、最近出た本で『SNSを越える「第四の居場所」』という本があります。この本でいう第四の居場所というのは、インターネットラジオなのですが、この本の本文の始めにあるように、1989年にアメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが「サードプレイス」第三の場という概念を提唱しました。「ファーストプレイス」第一の場とは家庭であり、「セカンドプレイス」第二の場は職場や学校であり、それに対して現代人は、日常の生活とか仕事・学校と違って、人間関係などに煩わされることのない安心感のある第三の場「サードプレイス」が必要という訳です。彼は、そのよう人が一人になってくつろげる居場所として、フランスのカフェやイギリスのパブを挙げています。今の日本で言えば、スターバックスや、何々カフェというところでしょうか。

 実は、山形村のツリーハウスでは、時折「ツリーハウス企画カフェ」と称して、気の合う仲間が集いコーヒーやお茶などを飲みながら、気軽におしゃべりをしたり、新しい企画を考えたりしています。まさに第三の場所として、既に利用されているのです。でも、このような第三の居場所は、既にいろいろなところに存在していますね。

 そこで、ツリーハウス「修復の家」です。既にこのツリーハウスがさまざまな形で利用されたということを紹介しました。それぞれ利用のされ方は違っても、子どもにとってもおとなにとっても、何らかの形で心を癒やし、心を修復するという点においては、共通するものがあるように思います。

 そこで、私は山形村のこのツリーハウスを第四の居場所「フォースプレイス」と位置づけようと考えています。もちろん、上に挙げた本の意味とは異なりますが、「SNSを超える」という点においては、共通点があるかも知れません。

 というのも、このツリーハウス「修復の家」については、私自身のフェイスブックでいろいろな形で既に紹介し、そこで行なわれるイベントの案内、そして投稿やメッセンジャーで、小さいながらもSNSコミュニティーが生まれています。

 今後は、「一人ひとりを大切にする」ということを大切に、このコミュニティーが少しずつ拡がり、楽しい対話とさまざまなカフェトーク、そして時には深刻な打ち明け話もできるような「秘密の居場所」としての機能も持ち合わせた、子どもとおとなの第四の居場所「休息と修復の場」として利用されることを願うばかりです。

修復の家の看板の写真

次の記事へのリンク 特集 1 の次の記事を読む

他の記事へのリンク 特集 1 の目次へ戻る


トップページへのリンク トップページに戻る