不登校経験者の足取り「そうして、僕たちははんぽだけ先に進んでみた」

hanpo 編集部 草深 将雄

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はじめに

 僕は今から 20 年前に、クラスの担任を発端とするいじめにあって、学校という、子どもであった当時、 日本人なら誰もが通過するであろう集団社会の中からの挫折を味わい、人間不信を経験し、学校という居場所から距離を置き、不登校になることを選びました。

 そうした自らの不登校の経験を通じて、同じように苦い思いをしてきた仲間たちとフリースクールを作りたいという思いの下に、縁あって長野県大町市で不登校の子どもたちのための、ほぼ公設民営のフリースペースのスタッフとして活動させてもらっています。

 現在はだいたい週2日、数名の子どもたちと一緒に絵を描いたり、物を作ったり、釣りに出かけたり、山の中に出かけたり。時にはゲームがあまりうまくない僕を子どもたちが特訓してくれたり。その日その日に、訪れた子たちがやりたいことを自分たちで決めて活動しています。

 僕は訪れた子たちが何かに挑戦してみたいと思ったときに、どうやったらそれが実現できるかを考えるのが役割なのだと定義づけて活動しています。

 公設民営、ということで、子どもたちを支援する枠組を市が設置して、それを民間委託で運営している形なのですが、こうした取り組みも長野県では 10 年ぶりで、プレッシャーは背負いつつもマイペースにやらせてもらっています。

子どもたちの居場所の在り方

 そうして活動するようになってからもさまざまな活動に参加してきました。子どもたちのミュージカルや各地の居場所、親の会、不登校を考える県民のつどいなど、さまざまな活動に参加させてもらいました。昨年の不登校を考える県民のつどいでは子どもたちと本音で話をする機会 (しゃべり場) を設けさせてもらい、小中学生に大学生を交えて議論しました。なぜ学校に行きたくないのか、なぜ学校に行くのか、学校に何を求めているのか、学校の何が嫌なのか。学校に裏切られていても、それでもなお学校にこだわって、なぜ学校に戻ろうとするのか、さまざまな話が飛び交っていました。彼らによれば学校は、「学ぶことを目的とする場所でありながら、学ぶ目的を学ばせてくれない場所」になっているのだとか。学ぶ理由も目的も伝わってこない場所で、さまざまな特性を持った子たちが箱詰めされて、関わりを持てと言われてしまう。そうした話の中で学校の中の子どもたちが求めている居場所とは、そうした自分たちの「どうしたい」「どうなりたい」を本音で話せる場所と人間関係なのではないかと考えさせられました。

 僕はこれまで、自分と同じように不登校の子どもたちにとって、どうしたら居心地の良い居場所ができるのかとずっと考えてきました。ですが多くの子どもたちと接するうちに気づいたのは、不登校の子どもたちだけが生きづらさを感じているわけじゃないということです。学校に行っている子たちも学校に行かないという選択肢がない子たちはもちろん苦しい。でもそれだけじゃないと思うのです。僕は自分の置かれている状況を「不登校」という名前でカテゴライズされていました。ですが、不登校が社会問題として認知され表面化されることにより、ある種仲間と居場所を与えられたと言えなくもないのです。では、それ以外の人はどうなのでしょうか。まだ社会問題として表層化していない、もっとマイノリティな事情を抱えた子どもたちは、どうしたら居場所を持つことができるのでしょうか。どうやったら自分と同じ思いを持った仲間を作ることができるのでしょうか。

支援する側に立ってみて感じていること

 居場所を考えることと同時に考えていたのは、どうやったら僕ら「不登校の一筋縄にはいかない思い」をわかってもらえるんだろうかということです。

 たぶん、これは経験してみなきゃわからないものでわかってもらえないから僕らは苦しい思いをするのですが。どうやってそれを取り巻くおとなに伝えられるかというのはずっと考えてきたことでもありました。

 子どもたちへの支援が手厚くなればなるほど、それにまつわるおとなたちはどんどん「業務的」になっていきます。おとなたちの「仕事だから支援している」という範疇で、「こんなに頑張ってあなたを支えているんだから頑張りなさい」という「やってあげてる感」が増していくのです。いわゆる「支援臭」ですね。

 不登校や多くの生きづらさを抱えている子たちのほとんどは自分から望んでその状況になっていることはありません。「ふつう」でいたいのに、おとな側の都合で過剰に支援されて、心を病んでいる子たちは、どんなに支援が手厚くなろうと、支援する側が子どもたちの今の状況を理解してくれなければ、どんな支援があっても癒やされることはありません。仮に、寄り添った支援のケースを持って行ったとしても、「他所は他所」、条件が異なるので、根本を理解してもらえることは多くありません。 どうやったら、それをわかってもらえるだろうかと考えてきました。

ぼくたちのための通信文hanpo

 そんな思いを何人かの仲間に話して立ち上げたのが、この春から僕たちマイノリティの経験者が 今の名もなき (カテゴライズされていない) 当事者たちのために作る通信文「hanpo」です。現在長野県内のさまざまな経験者に有志で集まってもらい編集しています。 見かけたときは手に取ってみてください。

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