よし!私は今日も生きている 私は私でありたい

大学生 池田 結美

池田さんのイラスト

はじめに

 「よし!私は今日も生きている。偉い!」

 私は毎朝、この言葉を自分にかけています。幼い頃から家族や周囲の人との関係に悩み、不登校や拒食症を経験した私は、まだ自分を好きになれません。でも、いつか自分を好きになれるよう、大変な毎日を生きていることを認める言葉をかけています。

 いつかの私のように苦しさの中にいる誰かに届いたらいいなと思いながら、今までの経験や私の思いを綴ります。

 実はこれまでの体験や自分の振り返りを、すでに「2018 長野の子ども白書」に書かせていただきました。こうして新しい出発にあたって、またそのことから同じように書き起こそうとする自分に気づくと、自分にとってこのことがいかに大きく、いかに大事なことなのかを再確認しています。

生きづらさを抱えて

 私の感じた生きづらさは、学校の中だけではありませんでした。親が厳しく、幼い頃から「良い子でいなければ」というプレッシャーが常にありました。小学校高学年の時には、すでに家にいるのが苦しく、家と学校で性格を変えたり、学校でのいじめなどは隠したりと両親の前で取り繕っていました。中学1年生の時に私が不登校になってから、両親はもめるようになり、「教室に入りたくないけれど、家にもいられない」と保健室で震えていました。中学2年生の時は、自分の考えや感情を表現できず、暴力をふるうこともありました。

 中学3年生の時は高校受験を前に、今度は親が不安定になり、そのもめた状況の中にいた結果、舌が麻痺して、私は話すことができなくなりました。高校に進学したのも、「学びたい」「人と関わりたい」という思いもありましたが、いちばんは「家にいたくない」「家に帰れない」という理由でした。

 私は、ずっと親に価値観を支配されているようなところがあります。親が良いというものを取り入れなければ、親が良いという価値観を私の価値観にしなければと思っています。それを変えたくて、県外の大学に進学しました。しかし、自分の価値観と親の価値観が整理されず、どれが私なのだろう、とまだ悩む日々です。

 これが今の私の精一杯の到達点です。

今の私が思うこと

 私はずっと「誰かに認めてほしい」と思いながら生きています。それは自分の判断の理由を誰かのせいにしたいからです。誰かのせいにしているほうが楽だからです。でも、どんなに周りが何と言おうと、私の人生の責任を取るのは、私自身です。そう気がついてから、せめて私だけでも私の一番の味方でいようと決めました。そう思って、毎日「よし!私は今日も生きている!偉い!」と自分を褒めています。

 私は私でありたいし、自分らしくいたいともがく誰かの力になれたらと思います。

おわりに

 私は、「自分を救えるのは自分だけ」という言葉を大切にしています。周りが何と言おうと、「逃げ」と言われようと、自分を守っていこうと思っています。今ももがき続けている経験が活きたらいいなと思います。

 どんなに時が経っても、あの苦しい気持ちは忘れずに、悩む人に寄り添える私でいたいです。苦しい思いをせずに生きてきたかったけれど、ここまで悩んだことに意味を見つけようと思います。

 不登校などで悩んでいる子たちに伝えたいことは、「自分を守ることだけ考えて。力を貸してくれる人はたくさんいるし、一緒に生きていこう」ということです。言葉にするのがとても難しいです。一番は抱きしめたいです。それが当時の私が一番欲しかったものだからです。

 不登校などで悩んでいる子たちの周りの方に伝えたいことは、「その子の心からの味方でいてください」ということです。わかり合えなくてもどかしいこともあると思いますが、悩みながらも生きようともがく子たちの味方でいてくれたら、と一経験者として願います。

 どんな人も自分らしくいられる社会になりますように、「自分らしくいたい」と悩むことすらない社会になりますように。そう願いながら、私は自分らしくいられるように、自分を褒めながら過ごしていこうと思います。


池田さんのプロフィール

大学1年生。中学1年生の夏から不登校になり、拒食症やうつ、自傷行為を経験。高校に進学後、自身の経験を伝えたり、居場所を作ったりする活動をする。4月から大学生となり、国際関係学を学んでいる。


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