僕の目に映る学校

高校生 宮沢 憲志郎


 今日、不登校の子どもが増えていることが「問題視」されるが、僕は、不登校を問題にすること自体が問題であると考える。

 僕にとって小・中学校は、それはそれは閉じられた社会であった。何というか、認められる価値観が偏り、いわゆる「世間一般」に支配された空気で充満していたのだ。この表現が適切であるかは正直わからない。ただ、そう思ったある教員の口ぐせが耳に残っているのだ。その教員は僕の小学4年生から6年生の時の担任で、言うことを聞かない子どもや、反発する子どもに対して頻繁に怒鳴り散らしていた。そんな時の彼の決まり文句が「そんなんじゃ社会でやっていけねぇぜ」であった。小学生の頃の当時の僕には社会なんてものはあまりに大きすぎて、そこに適応できなければ生きていけないものだと漠然と思っていたからか、そう言われる友だちを横目に、「こうなったら終わりだ」と考えていた。けれど、どうもひっかかるものがあった。

 小学校の僕のクラスは荒れ放題で、それを無理やり封じ込めようとする担任にもストレスがかかり、悪循環を生んでいた。どうしても耐えられなかった僕は学校を休みがちになった。休むと言ってもそれまで学校に行くのが当たり前で、学校を休むなんてなまけ者のすることだと思い込んでいた僕は、徹底的に自分を責めた。とても苦しい時を過ごした。しかし、そんな時自分を助け、支えてくれたのは母親だった。母は僕の選択を認めてくれた。いや、存在を丸ごと認めてもらえた気がする。この母の対応が僕の考えを大きく変えてくれたことは間違いないだろう。母は偉大なり。

 学校から一歩引いた僕はいろいろなものが見えるようになった。どうやら人というのは、ある環境に身を置き過ぎると盲点が増えていくようだ。その環境にどんなに満足していても、だ。

 僕の目には学校の全体像が見えるようになった。その全体像というのは、あまりに閉じられた、けれども一見開かれているようにも見える矛盾したものだった。

 学校内には普段、基本的に教員と児童しかいない。まず一言言ってしまうが、そんな社会で教員と生徒は暗黙の了解で平等ではなかった。純粋な小学生は、特に先生に怒られないように言うことを聞く子どもが優等生とされ、そんな児童はとにかく ひいきされることを知っている。僕は気が弱いため、ヘコヘコと教員に頭を下げ、「優等生」となっていた。しかし、そうではない子どもは、教師が何を言おうと、逆らう者はことごとく叱られる。正直そこに道理はあまり関係ない。こんな理不尽なことがどうしてまかり通るのだろうか。

 僕は小学校を卒業するにあたり、卒業文集に、クラスのいじめ、荒れ具合、学校でのおとなと子どもの不平等さなど思いの丈をつづった。すると、校長室に呼び出され、校長と教頭が僕の文章の訂正を求めてきたのだ。その理由とは「普通は音楽会や運動会、修学旅行とか、そういう楽しかったことを書くものだ。私たちは君のことを心配している。もしこの文章が外部に出ると、将来困るかもしれないぞ」というものだった。まさか小学生相手にこんなことを言ってくるとは、卒業文集には何でも書いて良いと言われたため、早速試行錯誤しながら書き切ったのに。「将来困る?」僕は真実しか述べていない。もし困るようなことがあれば、社会の方が間違っている。そう確信していたため、多少の妥協はしたものの、少しの訂正で済ませた。訂正はパソコンで行なった。キーボードを打つ僕の隣にはいつも教頭か担任がいた。

 僕が小学校から学んだことは多かった。たとえば、学校の現実はなかなか外にもれにくいこと、人間は自分が置かれている環境を正確に知るには、一歩離れて見なくてはならないことなどである。しかし、まだ僕はこの時、不満の対象を「おとな」という存在に向けていた。後になって本当の黒幕は「誰か」ではないことに気づく。

 僕は中学生になった。中学校はまったく別物だという希望を持ち、入学したが、むしろ小学校よりも生きづらさを感じる環境だった。ここでは、子どもに子どもを管理させるしくみができあがっていたのだ。その一つの例として、気になるシステムに「無言チェック」というものがあった。長野県の学校では、無言清掃をするところが多いらしい。僕の学校では、生徒会の清掃委員会の活動で、清掃中に委員が見回りをし、少しでも話していないか、ふざけていないかをチェックするのだ。さらに、その報告を次の日の給食中、給食の料理情報などを伝える「お昼の放送」の一項目として行なうのだ。「昨日の清掃では、図書館掃除の人が2人話していました」というように。掃除場所を聞けばだいたい誰が報告されたのかわかるため、その度に教員が注意をするのだ。

 全校集会があるときは、今度は生活委員が登場する。全校集会直前「今日の当番は○年生です。配置についてください」というような放送が流れると、対象の生活委員は決められた場所に立つ。そして全校集会が行なわれる体育館までを、列になって歩いている生徒が、笑っていないか、話していないかをチェックする。そして、全校生徒、職員が体育館に着き、整列が行なわれると、配置についていた生活委員も体育館に来る。そして、ステージ上に手を後ろに組み、堂々と立つ委員長に報告するのだ。誰が笑っていて誰が話していたか。そして委員長が言う。「今回の入場では、○年生の中に話しているor笑っている人がいました。やり直しをします」と。なんと、少しでも話したり笑ったりしている人がいれば、教室まで戻り、ここまでの行程を一からやり直すのだ。もう言ってしまうが、本当にイカれている。けれど、気持ちを集会に向けて落ち着かせるためだと教員も後押ししながら平然とこのようなことが行なわれていたのだ。はじめの方で、「学校には世間一般が充満している」と書いたが、これらのことは違うだろう。世間一般でもこんなことはありえない。しかし疑問を持って発言してみても、あっさりと壊されてしまった。そのとき、いろいろなことを考えてきたつもりであった僕さえも、一瞬「自分が間違っているのか?」と考えた。けれどやはりどう考えてもおかしい。僕はそれを教員に言ってみたが、かえってきた言葉は「お前が発言しろ」だった。僕にはそれ以上勇気が出なかった。同じ意見の仲間も何人かいたが、僕は弱かった。

 このことから僕は、どんなにおかしいことでも、発言しなければ何も変えられないことを学んだ。それともう一つ重要なことに気づいた。それは、教員の間でも、無言の圧力が存在しているということだった。「お前が言え」と言った教員と話していて、それがよくわかった。つまりこの学校内の価値観のおかしさを生み出している根本は子どもでもおとなでもない。この学校のシステム自体にあったのだ。もう一度、この義務教育課程で子どものほとんど行くべきと言われる学校を見直す必要がある。既存の学校の体制では、子ども主体の学校は夢のまた夢である。社会の中で実は取り残されている学校と社会とのズレ。近年の不登校児増加は、必死にこのことを訴えているのだ。学校は誰のためにあるというのだ。

 僕は寺小屋やフリースクールといった、価値観の開かれた環境で子どもが学ぶ選択が普通な社会になってほしいと思っている。今を生きるおとなのほとんどが、同じように学校を出て、同じように子どもを学校に行かせる。選択肢は基本的に子どもにはないと言って良いだろう。誰もが当たり前に行なっていると言われる学校に適応できなかった子どもはどうなる。不登校というレッテルを貼られ、なまけ者と言われ、時には親に無理やり引っ張られていく。子どもに人権は、自由は本当に与えられているのだろうか。

 こうなってしまった原因のカギを握るのは「成功体験」であると僕は考える。学校の教員のほとんどが、小、中、高、大学を経て来た人たちばかりだ。皆同じように点数を重視した試験に向けて励み、競争社会と言われる世界をかいくぐってきたのだろう。そして晴れて教員となったのだ。この経験が、今の日本の学校教育の根本を支えているのだ。しかし人の生きる道とは本来四方八方に広がっている。いや、道という固定されたものさえもないのかもしれない。子どもは一人の人間である。当然おとなも一人の人間である。それぞれは多種多様であり、成功体験も多種多様だ。しかし、学校教育を受け、何の問題もなくやってきた教員が集まった環境では、多様な子どもに対応することは大変難しい。というか、無理があるのだ。一見、教員には間違った方向に見える子どもの行動、間違った方向に聞こえる子どもの言動も、あくまでも教員の物差しでしかはかれない。実際僕は、学校で正しいとされる価値観に逆らい、行くべきとされる学校から離れたことで、いろいろなものが違う角度で見えるようになったし、本質的な学びを求められるようになったのだ。これも一つの成功体験と言えよう。しかし学校からみれば、僕は成功のレールから脱落した一生徒でしかないのである。

 僕の理想の教育現場、それはあらゆる人生を歩んできた人が交わる、世代を超えた環境でもある。お互いを一人の人間として、その人のそのままを認め合えるような場所だ。決して不安をあおったり、社会の恐ろしさや競争社会、自分のちっぽけさを繰り返したたき込むところではない。本当は、教員でなくても、誰もがそれぞれのたったひとつの人生を経験した一人として先生になれるはずなのだ。本当に大切なこと、生きる幸せが何なのか、その本質を考えることに何よりも重きを置く。自分は生かされているのだということを実感できる場所。そんな空間を、今の子どもは切に求めているはずだ。たとえ言葉にできなくても。

 これまでの約17年間の経験から、僕は学校のシステムは異常で、異常なことも疑問を持たなければ普通になってしまうのだと知った。この期に及んでも、そんな学校を本能で拒絶する子どもにあわてふためき、無理に連れて行こうとするおとなが日本には大勢いる。そんなおとなたちに僕は言いたい。周りを見渡してごらんよ。いろんな生き方をしている人がいるんだから。  

 世界は広い。社会の物差しと、自分の物差し、いつの間にか取り違えていないかい。あなたの子どもは一人の人間であり、あなたが生みだしたからといって、あなたとはまったく別の人格を持った人間なのだ。同化もできないし、思い通りにもできない。忘れてしまったのか。あなただって、あなたの親とは違うたった一人の自由な人間だろう。だからお願いだ。この僕たちの大切なアンテナをすり減らさせるような真似はやめてくれ。でも時々、雨風が強くなったら雨宿りさせてほしいな。

 僕はもうすぐ「おとな」になる。いや、おとなと子どもの境目なんてやっぱりないか。言葉でしかない。僕は一人の自由な人間だ。


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