子どものための福祉 社会的養護のこれから 事例 5

児童養護施設退所者の自立

児童養護施設飯山学園 園長 宮下 順

宮下さんの顔写真

きっかけ

 私が児童養護施設飯山学園に勤めて、20年と少しになります。入職以降、家庭に問題がある子どもたちが施設に入所し一定の年齢になると退所し自活するという流れに何の疑問も感じていなかった私が、自立について考えるきっかけになった15年近く前の出来事についてお話したいと思います。

 当時から、学校を中心とした地域のスポーツ団体に所属する子どもたちがいました。そんな子どもたちのうち小学校低学年の子どもたちが、地域のお母さんたちに「自分のことを自分でしっかりできる」ことを称賛されるということがありました。例えばスキークラブの大会の際、自分のリュックをテントにおいて、悪天候もものともせず、その都度必要なものを出し入れし、しっかり管理し忘れ物をせずに荷物をまとめて帰ってくる、小学校の2年生なのに。

 「ウチの子なんてぜーんぶ親がかりで、ホント学園さんの子エライわー」的な。

 地域の方からお褒めの言葉をいただいて、ちょっとはいい気になったものの、わたしはそこにぼんやりとした違和感を感じました。

 上記のような場面での小学校低学年の子どもたちはどうかというと、多くは、

 「水筒はー?」

 「靴どこー?」

 「ティッシュないー?」

などなどとまさに親がかりで、親御さんが「まったくもー」なんて言いながらもあたたかいまなざしであれこれ子どもたちの世話を焼く。そんな光景が繰り広げられるのが常かと思われます。

 一方飯山学園の子どもたちは、

 ・自分のことは自分で

 ・誰にも迷惑はかけない

等をたたきこまれており、地域の活動などで外に出た際も、自分できっちりやりとおすことができていました。と同時に当時の子どもたちは、他人に手を貸すということができない子たちでした。よくよく考えれば当然で、「自分のことは自分で」を求められている子どもたちは、他者へも「自分のことは自分で」を半ば無意識のうちに強要しているんです。そんな環境で「手助け」という概念が子どもたちの中で醸成されるわけないですよね。

 自分のことは自分で、を子どもたちに無理に身につけさせるということの弊害があるのではないか、そんな疑問が浮上してきました。

「自立のために」の誤り

 また、当時飯山学園では、「自立のために」という表題を掲げてさまざまな事を子どもたちにやらせていました。学年、年齢に応じてではありますが、洗濯、掃除、各種当番、畑等外回りの作業など。いわゆる「やらせる文化」でした。

 例えば、中学生が自分の衣服を洗濯して干して自分で管理する、高校生が自分のお弁当箱を毎日自分で洗う。聞けばそんなことあたりまえのことと思えるかもしれません。そう、一般家庭ならば。

 赤ん坊のころから手をかけ目をかけ、ていねいにお世話をされて育った子どもが、中高生になり「自分の部屋くらい自分で掃除しなさい」なんて言われるのはごくあたりまえでしょう。しかし、殴られ蹴られ、無視され、放置され、兄弟と差別され…的な育ちを経て、へとへとになった状態で施設に入所した子どもたちに「自分のことは自分で」を突き付けるというのはあまりにもとんちんかんというか、理にかなってない。簡単に言うなら、いまこの子に必要なのはスキルじゃない、ということになるでしょうか。

 小学校2年生の子が、自分で何でもできることを地域のお母さんに褒められるということでわたしが感じた違和感はまさにそこでした。それまではただ何となくというかとくに深くは考えずに、施設生活を送っている子は18歳になって高校を卒業したら、もしくは高校を中退したら自活する、そのためには施設在籍中になんでもできるようにならなければいけない。施設在籍中に訓練しとかないといけない。施設生活とはそういうものでした。私自身が、もしくは業界全体が思考停止状態にあったような気がしています。でもちょっと考えればわかるんです。しんどい思いをし続けて施設に来たら今度は訓練生活。いわゆる「こどもらしい子ども時代」はどこにあるんだろう、って。児童養護施設は訓練施設じゃないでしょ、って。

 ここまで「気づきました」的な論調ですが、正直いうとその実、当時いろいろな研修にいって学んだことも重なっての「気づき」なので、あまり偉そうに「気付きました」なんて言ってはいけないんですが。

私自身のこと

 私は18歳で高校を卒業するまで、郷里の富山で両親と姉と共にくらしていました。いわゆる「そこそこエエトコのボンボン」で、上げ膳据え膳母がなんでもやってくれていました。中学生になってからの自室の掃除、父がぎっくり腰をやって以降のタイヤ交換ぐらいで、ほぼお手伝いらしいお手伝いもせずに、さらにそこになんの疑問も持たずに茫漠とした少年時代を過ごしました。いわゆる自活のための訓練等というものはまったくしておりません。

 そんな私が大学進学に際し家を出て自活を始めたわけですが、結果としてはなんとかなってました。たとえば、洗濯をためすぎて着るものがなくなる、部屋が散らかりすぎてなくしものが多発する、水道料金を払い忘れて水道を止められる…など細かい事例をあげれば枚挙にいとまがないのですが、学業、アルバイト、金銭管理、掃除、炊事等、一人暮らしのもろもろをなんとか破たんさせずに維持できていた自覚があります。

 いま、この職業に就いて「自立」について考えるときに、自分の過去を振り返った際、子ども時代母がなんでもやってくれていて、「快適な状態」「清潔な状態」が身にしみついているからこそ、たまりにたまった洗濯物、とっちらかりすぎた部屋、シンクにたまった汚れものを「マズイ」と認識することができ、なんとかせねば、と行動できたのだろう、と推測しています。訓練ゼロ状態であるにも関わらず。まあ、サンプル数1なので何とも言えませんが、そうそうずれた考え方じゃないと確信しています。

自立に向けてすべきこと

 不本意ながら、やむなく施設入所をせざるを得なかった子どもたちに、私たち施設職員がしなければいけないことは、訓練でないことはもはや明らかです。周囲のおとなたちの顔色ばかりをうかがっていた子どもたちに「子どもらしい子ども時代」を提供するのが私たちの責務と今は考えています。

 安心安全で、衣・食・住が整い、受容してもらえる環境、日常のこまごましたことをまずは「やってもらう」ことができる環境。好きなこと好きなものを迷い、選択し、時には我慢し、嫌いなこと嫌いなものも時には我慢し受け入れながら。思い通りにいったりいかなかったり、時に褒められ、やらかしてしまえばしっかり叱られ、そんな折々に伴走者のように傍らに寄り添ってくれるおとながいて… そんな子ども時代の環境の中で「大切にされた記憶と経験の積み重ね」こそが、自立したおとなになる基礎になると信じて。

おとな・社会の役割

 そういったことを考えると、我々含め、子どもの成長に携わるすべての職種は、いや、すべてのおとなはと言ってしまったほうがいいかもしれない、子どもの「現在」に責任を持つだけではなく、その子の「未来」にもある程度の軽くない責任を負っているのだと感じています。今のおとなのかかわり方次第で、その子の未来の生活をよくも悪くもしてしまう。そんな危機感と緊張感をもって

  子どもがおとなになっていくプロセスにもっと関心と責任を持とうよ。

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