RPGナイト (ゲーム愛好家の定例会) のご紹介

地域若者サポートステーション事業 (長野労働局)

東信子ども・若者サポートネット事業 (県次世代サポート課)

【受託法人】認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人

サポステ・シナノ (略称)  藤井 雄一郎 宮尾 彰

ボランティアスタッフ 田口 智晴


はじめに

 いわゆる『ゲーム依存症』と呼ばれる事象は、既に国立病院機構・久里浜医療センターの治療システムに始まり、全国で治療の対象とされています。

 これからご紹介する、私たちの実践RPGナイトはこうした保健医療的な視点とはまったく異なった立場からスタートして、気が付くと4年目を迎えている、不思議な活動です。それは、医療でも、保健福祉でも、教育でもない、ゲーム好きの少年や青年が気兼ねなく参加できる居場所なのです。

好きなことを気兼ねなく

 それは、今から4年前のこと。上小圏域で「発達障がいサポートマネージャー」を務めていた私は、日頃から若者サポートステーション・シナノのスタッフと連携して、さまざまな生き辛さを抱えた子どもや若者へのお手伝いに奔走していました。

 3人の頭の中には、常に自分たちが定期的に会って相談にのったり、家庭を訪問して彼らのゲームに付き合ったりしていた何人かの顔が浮かんでいました。

 多くの場合、彼らは両親や家族だけでなく、学校の先生や病院の医師から、『先ずは昼夜逆転の生活を普通のサイクルに直さないといけない』と言われ、自分の生き方を厳しく批判され続けています。

 私たちは、「支援者」という立場で彼らと出会って、「さて、どこからラポール (信頼関係) を作ろうか?」と模索しながら、彼らとの距離を縮めるのです。

 ある晩も、私たちは3人で、6時を過ぎたサポステ・シナノ (以下略称で表記) でお茶を飲みながら、昼夜逆転した生活を送りながらゲームに没頭している少年や青年の存在について話していました。

 「いっそのこと、みんなを集めて『思う存分ゲームをプレイしたり、自分の好きなゲームについて話してもいいよ!』といえる場所を作ってみたらどうか?」

 半ば冗談のような、この一言から、RPG (ロール・プレイング・ゲーム) ナイトは産声を上げたのでした。

RPGナイトの様子

遊びを通じて気づくこと

 RPGナイトはゲーム愛好家が定期的に集まる場ですが、ただ一緒にゲームを楽しむだけではなく、各々まったく違った生活を送る参加者一人ひとりの能力や特性を知ることも大切にしています。

 ひと言にゲームと言っても多種多様で、楽しみ方も、攻略に必要な能力も人や作品によってさまざまです。初めて触れるゲームにどう対応するか?どのようなゲームに興味を示すか?他の参加者との違いなど、見ていて気付くことがたくさんあります。

 また、RPGナイトの中では、彼らはゲームそのものよりも、人とのコミュニケーションを楽しんでいるように見えます。

 長い間家から出ず、一人でゲームをしている姿を想像すると、他者とのコミュニケーションが嫌いなのではないかと錯覚してしまいますが、そうではないのかもしれません。

 それは例えば、「おすすめゲームの紹介」企画への前向きな姿勢や、 2時間まるまるゲームをプレイしない企画でも、多くの参加者が「楽しかった」と言うことにも現われています。

ゲーム好きの葛藤

 「ゲーム好き」は、社会的にあまりいい目で見られていません。普段の生活場面では、彼らはゲーム中の体験や感動を共有する相手がおらず、コミュニケーションに飢えているのではないでしょうか。家庭の中でも、彼らは常に家族の視線を気にしています。いつ否定的な言葉・態度をとられるか、という不安の内に生きているのです。

 こうして、普段好意的に聞いてもらう機会の少ないゲームの話を、RPGナイトでは気持ちよく聞いてもらえるのです。「感情を共有、受け入れてもらう体験」を通して、自分が他者との交流を求めている事に気付き、さらには他者とのコミュニケーションを楽しんでいることにも気付くのです。

 そこからやがて社会生活に不可欠とされる「他者を受け入れる体験」が生まれます。ゲームが多種多様なら「ゲーム好き」も人それぞれ。ジャンルの違う人の話をどう受け止めるのか。相手の話のどこに反応し、どこを楽しんでいるのか。どんなコミュニケーションが気持ちの良いコミュニケーションなのかを知ることを通じて、ゲームという共通の関心のあるカテゴリーの中で無理なく「他者を受容する力」が養われます。

大切にしていること

 RPGナイトでは楽しみ方を強制しないように心がけています。

 参加者の中には、人前でゲームをプレイしたくない人や、発言したくない人がいます。同様にただ見ていることや、そこにいること自体が楽しい、という人もいて良いのです。自分はやらなくても一緒に楽しい空間に居たい、その気持ちを尊重します。

 スタッフは、こうした空間づくりを意識しています。発言しない、ゲームはしないけれど「参加者の一人として尊重されていること」を大切にしたいのです。

 そこに安心安全な空間が確保されていれば、参加者の主体的な発言や行動は少しずつ増えていきます。それまでは行動を強要しないことが大切なのです。

 ゲームの選び方にも配慮があります。ゲームの中でも、対戦ゲームはなるべく選ばないようにしています。参加者の中で争い、誰が1番かを決めるようなゲームではなく、参加者同士が協力して進めるゲームを選んでいるのです。

 こうした居場所が成り立つために、「初めての参加者でも楽しめる」という保障が重要になります。知っている人だけが楽しめるという「内輪ノリ」にならないことが大切だと思っています。

 ゲーム好きにも種類があり、詳しいこととそうでないことがあるのは当然のことです。ですから、知っていることを前提にせず、誰でも分かるような進行を心掛け、誰も置き去りにしないことを意識しています。

なぜ「ゲームなのか?

 それでは、いったい、なぜゲームなのでしょうか?

 答えは簡単で、たまたまゲームが好きな人が多かったからです。日常的に、ゲームに長大な時間を費やしているということは、つまりゲーム以外の経験値が少ないということでもあります。そんな彼らが、いきなり方向転換にエネルギーを使うよりも、すでにある資産を活用する方が負担は少ないのではないでしょうか?

RPGナイトの様子

集う場所として

 RPGナイトはこれまで、下は小学生から、上は30代の青年まで、幅広い年齢層が参加しています。

 普段から学齢期の子どもたちは、同年齢の仲間集団に身を置きながら過ごしていますが、RPGナイトではゲームの話を中心に、年齢を飛び越えた関わりが見られます。学校では「先生と生徒」、家庭では「親と子ども」などその立場が入れ替わることがありません。しかし、RPGナイトの中では、度々その立場が入れ替わります。教える側と教わる側の立場が年齢に関係なく入れ替わるため、それぞれに役割があり、居心地の良さにつながっているように感じられます。

 それは飲み物やお菓子、コントローラーを隣の人に渡すような何気ない場面でも伝わってきます。

 こうした居場所は、あるようでないのかもしれません。参加者一人ひとりを大切にすることで、参加者一人ひとりがこの場所を大切にしてくれます。彼らは誰一人この場を脅かそうとしません。それは、彼らがそれぞれの成育歴の中で痛みや苦しみを潜ってこの場にたどり着いたからだと感じます。

 ルールで縛らないのに節度や倫理が保たれているこの空間は、参加者が共有している奥ゆかしさや品格に因ります。

 こうした、自らの「もがき」を聴き取られないまま人知れず葛藤している子どもや若者の存在が肯定される時間が必要なのかもしれません。

「共育」の場への入口として

 RPGナイトは認定NPO法人侍学園スクオーラ・今人が長野労働局の委託を受けて運営している若者サポートステーション・シナノが会場です。

 開設から4年目を迎え、この集いを契機に「共育」の場=侍学園の扉を叩く若者も増えています。


※特集 1 の記事は以上です。

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