2018 長野の子ども白書

地域の中から、子ども・若者の今を考える

うさぎのさわちゃんとぬいぐるみの宇宙人たち イラスト

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2018 長野の子ども白書 もくじ

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2018長野の子ども白書発行にあたって小林 啓子

特集 1 学ぶ権利を保障する

特集 2 子どもの権利条約を学び生かす

特集 3 長野県の格差・貧困と子ども・若者

特集 4 「学校・家庭・自分についての小中学校アンケート」結果報告

分野 1 子どもとつくる地域

分野 2 子どものための福祉

分野 3 子どもとメディア・ネット

分野 4 世界の子どもと多文化共生

分野 5 子どもと遊び・文化・余暇・休息

分野 6 乳幼児期の子育てと保育・学童保育

分野 7 子どもといのち・医療

分野 8 子どもと自然・環境

分野 9 子どもと憲法・司法

執筆者一覧

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2018長野の子ども白書発行にあたって

長野の子ども白書編集委員会事務局代表 小林 啓子

例年よりも速く過ぎてゆく季節の風に追いたてられて、2018長野の子ども白書はなんとか5月中に発行することができました。2018長野の子ども白書づくりにご参加・ご協力・ご指導いただいた多くの皆様と、お読みいただく読者の皆様に、心より御礼申し上げます。

戦後、子どもの人権は一貫して進歩してきました。世界的な共通認識としての「子どもの権利条約」がその到達点と言えます。しかし今、第2次安倍内閣が推し進める「改憲」への動きは、子どもを権利の主体者としてその最善の幸福を願う私たちにとって、非常に危険で無関心ではいられない事態です。その思いも込めて今号の編集に当たりました。

今号では、4つの特集を組みました。

特集①「学ぶ権利を保障する」

では、今、教育の現場でどのようなことが起こっているのかを報告します。人材の育成を目指す新学習指導要領・行政の論理ですすむ教育改革をはじめ、長野県の教育が抱えている課題について現場から、当事者から報告します。

特集②「子どもの権利条約を学び生かす」

では、主権者教育から生まれた高校生の実践や、松本市子どもの権利に関する条例・子どもを性被害から守る条例など、その意義と課題について報告し、これから子どもの権利条約をどう学びどのように生かすかを考えます。

特集③「長野県の格差・貧困と子ども・若者」

では、前号にひき続き、この問題の可視化をすすめます。長野県は昨年「子ども・子育て世帯の生活実態調査」を実施し、4月にその結果を報告しました。その一部を資料として掲載しました。当事者である子ども・若者の寄稿も得て、より具体的に長野県における実情と対策について情報を発信しています。

特集④「学校・家庭・自分についての小中学生アンケート」結果報告

を掲載しました。昨年長野の子ども白書が独自に実施したアンケート調査は、「子どものことは子どもに聴こう」という立場で作られた「さっぽろ子ども・若者白書つくる会」の質問用紙を使いました。このアンケート用紙の作成と分析をして下さった北海道大学教育学部心理学研究室の報告を掲載しました。

各分野での報告は、各分野の編集委員が中心になって取り上げるテーマや執筆者を選びました。執筆者のまわりに執筆者が増えると言う「白書つながり」も広がりました。どの分野にも新たな執筆者をむかえ、新たな視野からの報告を読むと、本当にいろいろなところでいろいろな人がいろいろな子どもと出会い、子育てや教育にこれほどたくさんのまなざしが注がれていることに驚きます。

7号目を迎える長野の子ども白書は、年々増えている専門家や学者・研究者のみなさんからのご報告で情報の「たしかさ」「わかりやすさ」を前進させることができました。一方、現場で子どもと伴走する方々やご自分の体験を語る方が、必ずしも全員が「書くこと」を得意とするわけではなく、苦労してご執筆いただいたことにも、心から感謝申し上げます。

子ども・若者自身が自分の意見表明として執筆してくれた記事は、子ども白書としてのかけがえのない宝です。困難を体験した当事者の報告もまた、なくてはならない財産です。今号では、最年少の中学生をはじめ、9名の子ども・若者が執筆してくれました。

「子どもの声を聴く」ということでは、昨年実施した「小中学生アンケート」を今後継続し、さらに対象範囲を広げることで、その意味が実証されると考えています。

白書のめざす「事実の報告」においては、統計資料やアンケート調査結果は大きな意味を持っています。今号でも長野県の行なったいくつかの調査の結果を資料として掲載させていただきました。調査の実施者と「読み解く者」との共同研究を実現することが今後の課題です。

多くの方にお読みいただき、ご意見ご感想をお寄せいただければ幸いです。

2018年5月

長野の子ども白書編集委員会事務局代表

小林 啓子

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特集1 学ぶ権利を保障する

もくじ

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行政の論理ですすめられる高校改革林 茂樹

「人材の育成」をめざす新学習指導要領清水 幸広

長野県の学校教育 小中一貫校のねらいと課題武者 一弘

教職員の超過勤務宮田 弘則

部活動の現状と課題南澤 直樹

ルーツを胸に歴史を受け継ぐ若者たち飯島 春光

支援をつなぐ 教育における合理的配慮を考えるⅢ金井 なおみ

2017年度のある学校では
岩田敏行(仮名)の学校報告PartⅡ どの子もみんなすばらしい。感動の連続
岩田 敏行

子どもの居場所と学校との連携 5年目のはじまり西森 尚己

「競争と管理」から「協調と自治」の教育へ
 不登校・発達障害の原因と解決
髙林 賢

子どもたちの第三の学びの場・居場所として自由に過ごせるフリースクールを!はねだひろし

学校のいきづらさ 体罰、いじめ、不登校を経験して感じたこと池田 結美

不登校の半歩先 不登校経験者の作る居場所草深 将雄

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特集 1 学ぶ権利を保障する 学校・教師・生徒・保護者 

こぐまがみんなで学校に行くイラスト

行政の論理ですすめられる高校改革

長野県高等学校教職員組合副執行委員長 林 茂樹

林 茂樹さんの写真

「高校改革」 高校再編と学習指導要領への対応を一体的に

2018年3月29日に開催された県教育委員会で、「高校改革 夢に挑戦する学び 実施方針(案)」が決定されました。「高校改革」って何?とピンとこない県民が多いのが実情かもしれません。「夢に挑戦する学び」っていいこと?と思うかもしれません。しかし、今すすめられようとしている長野県の「高校改革」は、「新学習指導要領」を先取りしながら、あわせて高校の統廃合を一気にすすめるものになっています。

今回の高校改革の特徴

長野県の中学卒業生の数は1989年の約3万5千人をピークに減少を続け、今春(2018年)の中学卒業生数は約2万人、さらに1歳児が中学を卒業する2032年には1万5千人を切ることが統計で明らかになっています。この減少を受け、長野県では2000年代前半から「第1期高校再編」が行なわれ、当時89校あった県立高校は現在の79校となりました。

さらに進行する少子化に対応するとして、2016年の春には「第2期再編」の骨子案が公表される予定でしたが、県教委は2016年7月にそのスケジュールの延期を発表し、10月に「再編」と「学び」を一体的に改革するとして、「学びの改革 基本構想(案)」を発表しました。

「基本構想(案)」の特徴は、再編部分としては①すべての県立高校を都市部と中山間地に分け、異なった存続基準を定める。②全校在籍生徒数を再編基準とし、人口減少とともに否応なく再編対象となるシステムをつくる。学びの部分としては、③新学習指導要領を先取りし、「探究的な学び」(国レベルでは「主体的・対話的で深い学び」と呼ぶ)を全県のすべての学校に導入する、などが柱となっていました。都市部と中山間地で存続基準を分けたのは、第1期再編で手を付けられなかった都市部普通校の再編をすすめたいという考えから生まれた発想です。都市部普通校では「5学級募集が存続の下限」とされました。学びの部分では、新学習指導要領を受け、「探究的な学び」が強調されました。「探究的な学び」は、教材の精選も少人数学級などの教育条件整備もなく、「アクティブラーニング」型の学びへと変更することを求めるものです。また、グローバル人材、産業人材の育成が強調され、長野県独自の内容として、知事の選挙公約であった「信州学」が「すべての学びの中心」に据えられました。

2017年3月に「基本構想」を決定した後、7月から8月にかけて旧12通学区単位で「地域懇談会」が開かれます。「基本構想」について地域からの意見を聞くのはこれが初めてであり、その意味で貴重な機会でした。そのため平日夕方の時間帯にもかかわらず、同窓会・PTAはじめ地域からのべ2,500人(県教委発表)の参加がありました。この懇談会では、「探究的な学びは現在のままの学級編制でできるのか」、「中学卒業生が減少するいまこそ少人数学級実現の好機ではないか」、「都市部にも目の行き届く中規模(3から4学級)の学校が必要ではないか」などの意見が続々と出されましたが、県教委は型通りの見解を繰り返すのみで、不満が残る懇談会となりました。

「学びの改革」から「高校改革」へ

2017年夏以降、この「学びの改革」は大きくその姿を変えていきます。

県教委は9月の定例会で、当初10月に予定していた「実施方針(案)」の公表を2018年3月へと半年延期し(2度目の延期。この延期について原山教育長は「ブレーキではなくアクセルだ」と評しました。)、11月に「策定に向けて」という県教委の姿勢を公表したあと、2順目の「地域懇談会」を開催することを発表しました。

その言葉の通り、「学びの改革」は急ピッチですすめられます。10月の「総合教育会議」等を経て、11月の県教委定例会で示された「策定にむけて」という文書では、これまでの名称「学びの改革」を「高校改革 夢に挑戦する学び」へと変更(理由は明確ではない)し、再編基準についての記述はもう議論ずみとばかりに簡略化したうえで、これまで提案されていた「ある一定の基準(都市部普通校は5学級、都市部専門校は3学級、中山間地校は2学級)に達した時点で再編の検討を開始する」という基準に関わらず2021年までに全県の再編計画を決定するという重大な変更をなんの理由も示さず行ないました。学びの部分ではICTの導入や大学入試改革に対応する「学び」についての記述を大幅に加え、すべての学校に「探究的な学び」を導入したうえ、「信州型スーパーグローバルハイスクール」(グローバル人材育成のための文科省指定事業の長野県での継承)や「スーパー探究科」、「専門スペシャリスト高校」などのモデル校を設置し牽引・推進していくとしました。また、大学入試改革ですべての大学に義務づけられた「3つの方針」(「生徒育成方針」、「教育課程編成方針」、「入学者受入れ方針」)をすべての高校が策定し、その成果が表れているかを生徒の進路先(企業や学校)が検証するシステムをつくる、というのも全国初の提案です。県民の要望の強かった「少人数学級編制」については、はじめて導入の方向を示しましたが、モデル校方式で極めて限定的な提案です。

この「策定に向けて」の公表後開催された2順目の「地域懇談会」(2017年12月から2018年1月)で、県教委は、この改革を早期にすすめることによって全県の教育条件整備と「学び」が理想的に進むかのような幻想を振り撒き、統廃合を懸念する市民の思いを封じるものとなりました。

行政に取り込まれる教育―教育基本法「改正」

2016年の10月に発表された「基本構想」が、この1年半でどうして大きく変貌することになったのか。積み上げてきた議論が、昨年秋を境にあれよという間に変わっていってしまうのか。「これいつ、どの会議で決まったことなの?」ずっとこの問題を追ってきた私たち教職員組合も振り回されました。学びの改革から、入試改革まで議論が拡大したことも輪をかけて問題を複雑化させています。

その大きな要因の一つが、法「改正」による県知事と教育委員会の関係の変化です。2006年の教育基本法「改正」によって、国が策定する「教育振興基本計画」を参酌しながら、すべての自治体が「教育振興基本計画」を策定することが決められました。その計画を立案するのは、県でいえば県知事が召集する「総合教育会議」(地方教育行政法「改正」2014で設置)です。この地方教育行政法「改正」により、教育委員会制度そのものが変えられ、教育長は知事の任命となって、ますます知事をトップとする行政の意向が強く教育に反映されるようになっています。

県は5年ごとに「5か年計画」を立てています。そのスタートが2018年、これを知事は「学びと自治の力で拓く新時代 しあわせ信州創造プラン」としました。この計画を支える「長野県教育振興基本計画」を県教委が知事部局とすり合わせ検討するなかで、「学びの改革」は姿を変えてきたといえます。県の5か年計画は2022年までを対象としていますが、「2030年を展望する計画」であるとしたため、高校再編も2030年に完成すべきという枠組みのなかに押し込まれたのです。このことによって、地域によっては、再編基準に抵触する高校がなくてもこの3年で10年以上先の再編計画をたてるという深刻な矛盾が生まれてきています。

「高校改革」は当事者を含めた教育論議を

国の計画を参酌し、県知事がトップでの会議で教育振興基本計画を立てる。その計画は教育委員会を通じトップダウンで現場に降りてくる。「学びの改革」、そして名前を変えた「高校改革」にもっとも欠けていることは、「当事者」である、子ども・生徒、保護者、同窓会、教職員などの声に耳を傾けることがないということです。

今後、地域における学びのあり方と高校の配置については、「高校の将来像を考える地域の懇談会」を旧通学区単位で設置して検討することとなっています。問題は、「協議会」の構成として、「市町村長、市町村教育長、産業界の代表者を必須とし、その他は地域の実情に応じて決定する」(県教委要項)とあり、ここでも、積極的に「当事者」の声を反映させるという姿勢が示されていないことです。

私たちは、この「地域の協議会」について、1 中学生・高校生、保護者、教職員、同窓会、職員団体の代表、公募委員など幅広い委員で構成すること。2 「地域の協議会」は公開とすること。③県の示しているスケジュールに合わせて拙速な結論を出すことなく、十分な協議を尽すことを要請しています。

この協議会に多くの県民が加わって教育議論をすることが重要です。「少子化の今こそ少人数学級の実現を」「再編は地域の声をよく聞いて」など、県民の声を大いに反映させていきましょう。

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「人材の育成」をめざす新学習指導要領

長野県教職員組合教文部長 清水 幸広

清水 幸広さんの写真

「改正」教育基本法を具体化する新学習指導要領

文科省は3月31日、小中学校の新学習指導要領、幼稚園教育要領を告示しました。2006年の教育基本法「改正」で定めた「愛国心」などをふくむ「教育の目標」を初めて前文に掲げ、その達成を強く求めています。加えて、子どもたちに求められる「資質・能力」を規定し、その達成のために指導方法や評価の在り方まで細かく示し、教育現場をいっそう縛るものとなっています。この学習指導要領には以下のような問題点があると考えます。

1 国が「資質・能力」を定める

今回の学習指導要領は学習内容を中心に示していたこれまでとは大きく変わり、国として子どもたちに身につけさせる「資質・能力」を定め、その達成を中心にすえました。幼児教育から義務教育にわたりすべての学校段階や教科・領域にわたって一貫して「資質・能力」を示すものとなっています。

資質・能力の育成を、①知識及び技能の習得②思考力、判断力、表現力等の育成③学びに向かう力、人間性等の涵養、という3本柱に即して実現しようとしています。これは2007年に学校教育法を改正し、第30条2項に「学力の3要素」(①知識・技能②思考力・判断力・表現力等③主体的に学習に取り組む態度)と規定されてきたものが対応しています。この学力観は、活用型能力を重視するOECDやPISAテストの動向を反映したものでもあります。

単に「知識・技能」を保有するだけでなく、それを活用することができ(思考力・判断力・表現力)、そうした能力を自らの生き方(学びに向かう力、人間性)にまで統合できるような人材づくりをめざすという、先進諸国の教育改革に共通した動向です。

成長・発達の主体は子どもたち自身であり、どのような「資質・能力」を身につけるかは、個人の自由の問題で、それぞれが学び続けるなかでつくり上げていくものです。国が上から「こういう人間になれ」と決めて押しつけるのは、憲法が保障する「個人の尊厳」「学問の自由」に反します。また、授業方法や評価の方法まで細かく規定していることは、学習内容の大まかな基準という学習指導要領の性格を逸脱する大きな問題です。

また、ここで示される「資質・能力」はグローバル化・情報化などの「社会の変化に適応していく」ためのものであり、政府・財界が求める「経済発展と国家政策を遂行する『人材』としての『資質・能力』」です。これには、経済のグローバル化競争に勝ち抜く自覚と能力を備えた少数のエリートを育成する教育と、自己責任の下に働く従順な多くの労働者をつくろうとする思惑があります。

2 学習内容の削減なく、新たな教科や内容の増加による詰め込み教育の進行

小学校中学年への外国語活動(年間35単位時間)、高学年への外国語科(年間70単位時間)導入にともなう時数増は、子どもの負担を増やすことになります。現状でも過密な週時間割にさらに1単位時間を増やすために短時間学習や水曜日6時間授業などによる時数確保によって、学校現場は過度の負担を強いられるに違いありません。また、小学校段階で扱う単語を600から700語程度として、中学校までの段階で扱う単語の数は現行と比較して約2倍に増えることとなります。英語教育の早期導入については、専門家の中でもその効果について疑問が出ています。中学校では「授業は英語で行うことを基本とする」など、子どもの実態に配慮しているとは思えない取り扱い事項が定められていることも、問題として指摘されます。英語導入の背景には、企業のための「グローバル人材育成」という目的があることも指摘されています。

外国語科導入にあたり、専科教員やALTなど人的な配置を含めた教育条件の整備が十分に行なわれず、研修も不十分のまま、現場の教員に丸投げの実態に不安が広がっています。

そのほかの教科でも、国語では4年生段階で都道府県名の漢字の習得、算数では難しい「割合」「概数」などを低学年段階から導入、理科・算数でのプログラミング教育の導入など、子どもたちの学習負担の増加が懸念されます。

これらは、子どもたちの発達段階に沿ったものとはいえず、学習の系統性の問題等も改善されず、過密で余裕のない学校現場に、さらなる負担を強いるものでしかありません。

3 「学び」の画一化と管理統制

当初示された「アクティブラーニング」という用語は、「定義が曖昧」なために学校現場での混乱をまねいたことを文科省も認め、その使用は取り止め、「主体的・対話的で深い学び」へと変更しました。しかし、先行して取り組んでいる学校では、「主体的」な「活動」のみが強調され、形式的なグループ学習が導入されたり、子どもたちが活動し、発言している授業が評価されたりする現状があります。また、学校現場で進んでいる、学習方法を「スタンダード」として定め全校体制で取り組む動きと相まって、学習内容と学習方法が画一化されていく心配があります。教師の裁量権や創意工夫がいっそう縮小されてしまう懸念があります。

教育現場にはさまざまな子どもたちがいます。本来、ゆたかな学びは、子どもの実態から出発し、実践を積み重ねるべきであり、学習指導要領はあくまでも大綱的基準として、指導方法や評価にまで立ち入るべきではありません。

また、つけるべき「資質・能力」が身についたのかを点検する「学習評価」の充実が求められています。1時間の授業から学校全体の教育課程にいたるまで、点検・評価・改善のPDCAサイクルを確立する「カリキュラム・マネジメント」に努めるとされています。これは「『次世代の学校・地域』創成プラン」で示された「チーム学校」を掲げ校長のリーダーシップの下でのピラミッド型の学校運営をめざす施策と連動しているものです。教育課程編成を含め学校運営全般にわたり国の管理統制強化を意図するものです。

4 「特別の教科 道徳」として教科化された道徳

「特別の教科 道徳」の導入が小学校が2018年4月から、中学校が2019年4月からと、先行実施が決定しています。2017年は小学校の道徳の教科書採択が行なわれました。そもそも、真理・真実に基づく教科教育でない道徳を教科として位置づけ、示された内容項目により教科書をもとに学習がすすめられ、示された徳目に到達しているかどうかを評価するとしたら、子どもたちの内心の自由を侵し、人格を統制することにもつながりかねません。

特徴としては①内容項目が徳目ごとに細分化、具体化されている②身辺的な関係の規律から愛国心・国際理解へという同心円的な構図で指導内容が構成されていること③自分で自分をコントロールできる自己責任型人材の道徳内容が色濃く出ていることが指摘できます。内容項目から人権や民主主義、平和、生存権、表現の自由などの憲法に示された価値が外されていることも大きな問題です。このような道徳教育の内容編成は、グローバル人材が備えるべき、自助努力による自己責任を引き受ける資質と能力に適合する道徳として機能させようとする意図がうかがえます。

道徳教育については道徳科の時間だけでなく、各教科、特別活動や総合的な学習の時間など学校生活のすべてにおいて、内容項目の「適切な指導」を求めるなど教科においても道徳的な学びを強いるものとなっています。「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育の要である道徳科」とされ、教科の基盤をなす教科として「扇の要」と位置づけているなど、戦前の「修身」が「筆頭科目」であったことと重なってくるものです。

私たちは徳目押しつけの道徳教育に陥らず、科学の方法に依拠して憲法的価値、人間の尊厳としての価値を子どもたち自身が主体的に探求、獲得していく学びをめざすとともに、生活の現実に基づく自治の指導の中で道徳性を育てる道を追究していく必要があります。

新学習指導要領を乗り越える実践の方向性

新学習指導要領でも「教育課程の大綱的基準」であること、「教育課程の編成権は各学校にある」ことは変更されていません。そして「各学校がその特色を生かして創意工夫を重ね、長年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を生かし」「児童や地域の現状や課題を捉え、家庭や地域社会と協力し」と示していることをとらえて、私たちは子どもたちの実態や課題を掘り下げるなかで展望をもち、日々の地道な試行錯誤をしながら、教育課程づくり・授業づくりをしていきましょう。

教育課程づくりの基にあるものは子どもの実態と子どもや保護者の願いです。それはどんな社会の実現をめざすかという社会観と相即不離なものです。私たちは、現場での丁寧な論議を積み重ね、トップダウンではなくボトムアップで創り上げる教育課程を構想しましょう。

国が押しつけるものに代わる、民主的・自主的な教育課程のグランドデザインを、学校づくりの展望とセットでとりくみましょう。この学校、この子どもたちのための学校づくりと教育課程編成を行なっていくことが今こそ求められています。

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長野県の学校教育

 小・中一貫校のねらいと課題 

松本大学 武者 一弘

小中一貫校といえば、十年程前は大都会の私立学校との印象が強かったですが、現在の長野県は、実は公立小中一貫校の設置数・設置予定数で、先進県となっています。身近でも耳にするようになってきました。

小中一貫校の設置拡大の背景

「2000年頃から現在」まで、「1950年代から70年代初め」の時期以来の学校統廃合の推進政策がとられています。背景には、少子化があるとされています。しかし小規模校は今日、かつてに比べてかなり減少しています。11学級以下の小学校の割合は、第一次ベビーブーム世代が小学生であった1956年度には67%でしたが、2013年度には46%です。少子化→小規模校増は、意図的に造られた「虚像」です。

学校統廃合の推進の背景のもう一つは、国の財政支出の削減です。まず財務省が唱えました(財政制度等審議会「平成20年度予算の編成等に関する建議」など)。内閣府もこれに同調しました(「経済財政運営と改革の基本方針2014」、「教育再生実行会議第五次提言」(2014年7月)など)。総務省は公共施設等の削減を通じて、学校統廃合を促しました。2014年4月には「公共施設等の総合的かつ計画的な管理の推進について」の通知を出し、都道府県や市町村に「公共施設等総合管理計画」の策定と総務省への報告を求めましたが、「公共施設等」のうちの50%強が学校施設です。文科省も、学校統廃合の推進政策をとるようになりました。2015年1月に文科省が作成した「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」は、学校統廃合を強く促す内容となっています。

中山間地や離島などでは、小学校同士や中学校同士の水平統廃合が既に相当なされてしまっています。また都市部でも、過去の例をみると学校の水平統廃合が行政と地域の間や地域間の深刻な対立などを惹起させた例が少なくありません。こうしたことから今日、学力の向上、いじめ・不登校・学校不適応の問題の打開、子どもの発達の早期化への対応などを「ねらい」に掲げ、小学校と中学校を垂直統合した「新たなタイプの学校」(小中一貫校)の設置が拡大しつつあります。

小中一貫校には小学校と中学校が、同じ敷地と施設を用いる「施設一体型」、隣接して立地する「施設隣接型」、別の場所にある「施設分離型」の三種があります。2015年の改正学校教育法では、「義務教育学校」という学校種が追加されました。施設隣接型と施設分離型は実際には、小学校と中学校が独立して運営されているケースも数多くあるので、小中一貫校を狭義で捉えるときは、施設一体型と義務教育学校を指します。狭義の小中一貫校の特質は、教育課程、教員組織、学級担任制と教科担任制の置き方にあります。

2017年5月1日現在、公立の施設一体型と義務教育学校の合計数は、101(46)校です(学校基本調査。()内は義務教育学校の内数。以下同じ)。義務教育学校の既設置は24都道府県、施設一体型の既設置は25都府県、と全都道府県のほぼ半数です。設置数が多いのは、関東21(15)校、九州17(10)校、近畿12(5)校です。長野県は、義務教育学校は信濃町立信濃小中学校と大町市立美麻小中学校の2校、施設一体型は上田市立菅平小中学校と佐久穂町立佐久穂小中学校の2校です。さらに、諏訪市、長野市、根羽村などで、狭義の小中一貫校の設置が検討中です。なお、茅野市は2017年度から施設分離型を導入しました。

教員からみた小中一貫校の成果と課題

小中一貫校における教育の成果と課題について、文科省が全国規模の調査を行なっています。分析結果は、中央教育審議会答申「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について」(2014年12月)に記されています。

文科省調査によれば、「全体として、小中一貫教育の実施により、『大きな成果が認められる』との回答が1割、『成果が認められる』との回答が約8割」ある一方で、「小中一貫教育の実施に関する課題の状況について、『大きな課題が認められる』との回答が約1割、『課題が認められる』との回答が8割」ありました。成果と新たな課題が同割合となっています。このうち子どもに与える影響に関する点をみると、成果では、「『中1ギャップ』の緩和」(中学校進学に不安を覚える生徒や不登校・いじめ・暴力行為等の減少)、「学習規律・生活規律の定着、生活リズムの改善」、「自己肯定感の向上、思いやりや助け合いの気持ちの育成」、「コミュニケーション能力の向上」が挙げられる一方で、課題では、「転出入者への学習指導上・生徒指導上の対応」、「児童生徒の人間関係が固定化しないような配慮」、「中学校における生徒指導上の問題の小学生への影響」、「小学校高学年におけるリーダー性や主体性の育成」が指摘されています。

このほか筆者のところには既設の小中一貫校の教員から、次のような声が届いています。「小学校部分が短縮することによる子どもと教員の多忙と緊張」(小中一貫校の約70%は、教科担任制を二年前倒すもの)、「カリキュラムの区切りの時期に新たなギャップが発生」(「小5ギャップ」が発生)、「生活科や総合学習などで地域を学ぶとき、実感がもちにくい」(小中一貫校の設置が学校統廃合を伴う場合)などです。

小中一貫校と子どもの発達

小学校及び中学校と「施設一体型」小中一貫校との比較調査という点では、梅原利夫を研究代表とする共同研究(2012から14年度科学研究費補助研究基盤研究(B))が示唆に富んでいます(子どもの発達に関する調査と分析は、高坂康雄、岡田有司、都築学が担当)。この研究から、「小中一貫校の子どもに独特の発達の問題」として、次の四点がみえてきます。第一に、「小学生にとって背伸びをしても後姿がみえないほどの圧倒的な上級生(歳、経験、体力、知識などの圧倒的な差)の存在・関わりをどうするか」、第二に、「学校自体(文化や慣習、組織運営)の不安定さが小学生に伝染しないようにするにはどうするか」、第三に、「小学生の安心できる居場所をどう認めていくか」、第四に、「全学年の中での自分たちの学年(特に5、6、7年生)の相対的な意味づけをどうするか」、です。

ところで、小中一貫校の推進の有力な理由の一つに、「最近の子どもの発達が二年程度早期化している」(2015年3月17日の下村博文文科大臣の記者会見での発言。同日、義務教育学校の設置を可能とする内容の学校教育法改正案が閣議決定された)というものがあります。それゆえ小中一貫校を設置し、9年間の学びを4年3年2年などに区切り直すというのです。

子どもの発達の早期化は、本当に科学的裏付けをもった認識といえるのでしょうか。鍋田恭考(元児童青年精神医学会会長)は、文部科学省が毎年データをまとめている「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」を引きながら、「子どものまま」で年齢だけを重ねているのではないか、との指摘をしています(鍋田恭考『子どものまま中年化する若者たち』幻冬舎、2015年)。また、障害児・者の研究者である藤本文朗は、戦後の子どもの発達の状況を分析し、子どもの外形的な面での発達の早期化と、子どもの内面や身体の行使の面での発達の遅延化ないしは後退化を指摘しています(山本由美・藤本文朗・佐貫浩編『「小中一貫」で学校が消える』新日本出版社、2016年)。大きくなった自分の体を、思うように動かせずもてあましている子どもの姿や、自分のものと捉えること自体に戸惑う子どもの様子が浮かび上がってきます。子どもの発達の早期化は、十分な科学的検証を経ているとはいえません。

藤本や鍋田の指摘が当たっているとすると、先にみた「小中一貫校の子どもに独特の発達の問題」は、実は現代日本の子どもに広くみられる発達の崩れ・歪みが、小中一貫校において拡大・深刻化したもの、とみるべきものなのかもしれません。

地域を共通基盤とする小中一貫教育

子どもの発達の問題への対応として必要なのは、学校の制度に限定しない取り組みです。言い換えれば、学校づくりと地域づくりを統一的に捉えることによる、自らが暮らす地域で、学び、育ち、ともに未来を拓く取り組みです。このとき、地域が紐帯となって、小学校と中学校の教育を一貫させることになります。

こうした取り組みでは、地域と学校の中で子どもはこみ上げる幸福感、温かな育まれ感、自ら動きやり遂げることで得られる達成感が大切にされています。このとき子どもだけでなく、親・住民、教員もまた、学校づくりと地域づくりの「当事者」になっています。

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教職員の超過勤務

長野県教職員組合副執行委員長 宮田 弘則

宮田 弘則さんの写真

教職員の勤務実態調査から

(1)月平均83時間20分の超過勤務

県教組で2017年6月に調査した勤務実態調査では、1か月の超過勤務時間の平均は83時間20分となりました。これは昨年度調査より1時間8分の増であり、厚生労働省が、過労死との関連性があるとする80時間を超えており、放置できない実態が明らかになりました。

一か月の超過時間を詳しく計算してみた結果の画像

(2)中学校では月100時間を超える超過勤務

校種別の月平均超勤時間は下の表の通りです。

小学校

78時間8分

障害児学校

64時間40分

中学校

100時間24分

全体

83時間20分

その結果、中学校では、1か月でも過労死との関連があるとする過労死ラインの100時間を超えています。中学校で他の職種に比べて超勤時間が多いのは、部活動指導が大きな要因です。

(3)過去12年間連続で過労死危険性ライン上の勤務

2003年度からの、教職員の月平均超勤時間の変化を表したものが下のグラフです。

県教組調査による月平均超過時間の変化のグラフ

2006年度から12年間、過労死危険性ライン上またはそれを超えた過酷な勤務実態があります。

2006年度は教育基本法が改悪された年であり、2007年度は、全国学力・学習状況調査が悉皆調査として実施された年です。また、2008年は、「脱ゆとり教育」と称される現在の学習指導要領に改訂された年です。学校現場に新しい指導内容が加わっていきますが、授業時数は減ることなく教職員定数もそのままでは、学校現場に時間的にも精神的にも大きな負担が強いられるのは当然の成りゆきです。

教職員の精神系疾患

上のグラフからわかるように、2013年度からの4年間、全療休・休職者数に対する精神系疾患者数の割合は5割を超えています。教職員が過労死ラインを超えて働いている実態が影響していると考えられます。

小・中・特別支援学校県費教職員の長期療休・休職者の推移のグラフ

教職員の勤務に対する国の動き

文科省は2016年に教員の勤務実態調査を行ないました。これによると中学校教員の1日の平均勤務時間は平日で11時間32分(2006年度比32分増)。週60時間以上勤務した教員は57.7%。小学校教員は平日で11時間15分(2006年度比43分増)、土日で1時間7分(同49分増)。週60時間以上勤務した教員は全体の33.5%でした。

これを受けて、2017年8月29日中央教育審議会初等中等教育分科会の学校における働き方改革特別部会は「教職員の長時間勤務の実態が看過できない状況」で、「学校における働き方改革を早急に進めていく必要がある」として緊急提言をしました。

【緊急提言】

1 校長及び教育委員会は学校において「勤務時間」を意識した働き方を進めること

2 全ての教育関係者が学校・教職員の業務改善の取組を強く推進していくこと

3 国として持続可能な勤務環境整備のための支援を充実させること

教員に過度な負担をかける全国学力テスト体制の廃止や、30人規模学級導入などによる教職員増にふみこんだ提案がされていない点は残念ですが、学校現場の超勤縮減に資する提言については積極的にとらえていく必要があります。

長野県の超過勤務に対する動き

2017年11月、県教委は「学校における働き方改革推進のための基本方針」を策定しました。

(1)学校・教員が担うべき業務を明確にし、業務の削減や分業化、協業化を進めます。

・会議の精選と効率化、出張件数の縮減

・各種調査の精選と簡素化、事務処理の時間の縮減

・専門スタッフ(部活動指導員、スクールサポートスタッフなど)の活用

(2)学校・教員が担うべき業務の効率化、合理化を進めます。

・統合型校務支援システムの標準的な仕様についての検討

(3)「勤務時間」を意識した働き方を進めます。

・ICTやタイムカードなどを用いた、年間を通しての全教員の勤務時間の適正な把握

・「勤務時間の割振り」の着実な運用

・「長野県中学生期のスポーツ活動指針」の徹底

(4)学校の業務改善への支援をします。

・主幹指導主事による各学校の実態に応じた業務改善の支援

(5)全県で一斉に取り組むことについて検討します。

・時間外の一定時刻以降の留守番電話等での対応

・長期休業期間における学校閉庁日の設定

長野県として、教職員の異常ともいえる勤務実態を受け止め、「働き方改革推進のための基本方針」を策定したことは一定評価できますが、専門スタッフの役割やあり方、統合型校務支援システムの使用や運用等、学校現場の実態を踏まえた実効性のあるものとなるのかについては注視しながら、学校現場の声を反映していく必要があります。

教職員の超過勤務解消のための今後の方向

超過勤務解消のために必要なことは、次の3点であると考えます。

1つ目は、教職員定数を改善し、学校の教職員を増やすことです。教職員が増えることによって授業の持ち時間数を減らし、空き時間を使って教材研究や授業準備、事務処理を行なうことで勤務時間内に業務を終わらせるようにすることです。

2つ目は、教職員の業務内容の削減です。管理職がいくら「早く帰りましょう」と呼びかけても、仕事が終わらなければ帰るわけにはいきませんし、持ち帰り仕事になります。教職員は学習指導の他にもさまざまな業務を抱えています。外部からの調査や報告に対する事務処理、地教委や地域から求められる業務、保護者対応、PTA活動、教育課程や各種研究会の指導案作成、部活動や課外活動の指導等。また2020年度から実施の新学習指導要領では、道徳の教科化、小学校における外国語活動・英語教育、「主体的で対話的な学び」のための学習指導等が求められます。業務内容は増えるばかりです。

3つ目は、教職員の意識改革です。「労を惜しまず働く」先生が「よい先生」と評価されたり、部活指導において「勝利至上主義」のもと、時間をかけて練習しないと強くなれないとか、土日の練習などに熱心な顧問が評価されたりするということがあります。また、職場の他の同僚の手前、早く帰ることにためらいを感じるということもあります。私たちは教職員であると同時に、労働者としての権利や人間らしく生きる権利、家族や地域の一員としての役割を持っています。このような意識で、当然認められるべきことは堂々と主張し行動していくことも、超勤縮減を進めるうえで大切になります。

どの教職員も、子どもたちの笑顔あふれる学校づくりを願って日々実践を重ねています。子どもたちの笑顔は、教職員の笑顔から生まれます。教職員が、ゆとりと働きがいを持って生活を送ることができるようにするために、教職員の超過勤務の改善は喫緊の課題です。

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部活動の現状と課題

長野県教職員組合 執行委員 南澤 直樹

勤務実態調査に現れた負担感

下の表は、県教組で行なった2017年度の勤務実態調査から1か月の超過勤務時間を試算したものです。

小学校

78時間8分

障害児学校

64時間40分

中学校

100時間24分

全体

83時間20分

1か月の超過勤務の平均は全体で83時間20分となり、昨年度より+1時間8分となりました。過労死危険性ラインで働いている教職員の勤務実態が明らかになりました。校種別で見ると、中学校においては1か月の超勤時間の平均が100時間24分となり、早急に超勤縮減の対策を講じる必要がある実態です。

教職員にゆとりを生み出すために、特に精選・縮小したい事柄(3つ以内選択)を聞きました。

中学校教職員にゆとりを生み出すために縮小したいことのグラフ

中学校の教職員で1位になっているのは「部活動の精選・縮小」です。4割を超える教職員が精選・縮小したい事柄として選んでいます。

アンケートには次のような声も寄せられました。

・中学校では、部活動を18時30分まで。その後仕事をすると、21時や22時は当たり前。余裕がまったくありません。授業が多すぎて、提出ノートもチェックできない日もあります。

・中学校現場で大きく負担になっているのは部活動です。すべての顧問がその種目において専門ではなく、よくわからない状態の中で指導しているのが現実です。また、ほとんど休日もなく、長期休業もほとんど部活動で自分の仕事ができない教職員もいます。それに対して、保護者の方の熱の入れ方も大きく、我々にとって大きなプレッシャーになっているのも事実です。そのようなことで深く悩んでいる同じ仲間もいます。一生懸命にやっていても、保護者などから突き上げられてしまう仲間もいます。学校の中で部活動は生徒たちの大きなやりがいになっているのはよくわかります。また、生徒指導の1つになっている学校もありますが、教員の大きな負担になっているのは事実なので、さらなる改善をお願いしたいです。

青年教職員へのアンケート結果から

33歳以下の教職員に実施したアンケートの結果です。2017年5月に実施し、960人が回答しています。

青年教職員への部活動に関する負担のアンケート結果

中学校で部活動の主顧問をしている青年教職員のうち、26%もの割合で部活動は「負担が大きく生活や仕事に支障が出る」と回答しています。また、「現状は許容できる」としつつも「負担はある」と答えた青年教職員は52%になります。青年教職員の月平均超過勤務は103時間20分(同アンケート)となっており、「勤務実態調査」の教職員全体の結果より20時間も長い超過勤務です。

同じアンケートでは、小学校の課外活動についても聞いていますが、25%が「負担が大きく生活や仕事に支障が出る」と答えていて、小学校においても大きな問題であることがわかります。

養護教員部の調査から

県教組養護教員部では、毎年「保健室白書」を作り、さまざまな課題について、「健康」という観点から問題提起をしてきました。次のグラフは「社会体育」を含む休日の部活動について、大会前後で比較しました。

部活動の顧問をしている教職員の休日についての調査結果

・土日は合わせて8時間。ただし大会参加や練習試合に関してはこの限りではなく、休養日を設けるようにしているが、休養日がとれないこともある。

・コンクールに参加する文化部は、活動が制限されていないので練習時間が長くて休みもない。

などの記述がされていました。県が示した「長野県中学生期のスポーツ活動指針(以下「指針」)」では、土日どちらかは休養日とし、午前または午後の半日の活動とするようになっています。しかし、部活動と別組織の「社会体育」は認められているなど、生徒にとって適切な「中学生期のスポーツ活動」となっているかは丁寧な検証が必要です。また、文化部についての課題も大きいことがわかります。

朝の運動部活動は原則として行なわないと指針では活動基準が示されています。しかし、朝の部活動について聞いたところ行なっているが81.3%となりました。行なっていないは18.8%のみという結果です。

例外として、大会前や練習時間が確保できにくい冬場には朝の部活動を行なってもよいことになっている学校もあります。

朝の部活動についての調査結果

正式に「朝部活」として行なっている学校も多くありますが、「自主練習」としている学校が多い点も問題です。「自主練習」と言っても、ケガなどに対応する必要性もあり「顧問も参加」というスタイルが一般的となっています。

朝の部活動や自主練習についての調査結果
自主練習のスタイルの調査結果

2018年度に向けての課題

2017年度から大町市が行なっている「業務改善のためのモデル事業」では、「総合型地域スポーツクラブへの移行を段階的に進める」など、部活動指導に関わる負担軽減も検討されています。

また、国からの方針により、2018年度から部活動指導員の制度が導入されることになりました。27市町村、71校、109名からのスタート予定で予算案が県議会に出されました。制度としては、週6時間、年間35週、1時間あたり1,600円の報酬とされています。1校に3名程度の配置が想定され、今後、成果の検証を行ないつつ増員されていくことが見込まれます。

部活動指導員の制度が導入され、部活動指導業務手当の単価が増額されます。一方、各学校で部ごとの年間計画を作ることが求められ、各校での予算上限が決められるなど、「手当」の対象となる土日の活動を少なくする方向での圧力がかかってきそうです。国の「ガイドライン」で休日の活動時間の上限を「3時間程度」としている点にも注意が必要です。各職場において、「指針」の趣旨を踏まえ、どのようなあり方が望ましいのかを議論していくことが大切です。

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ルーツを胸に歴史を受け継ぐ若者たち

長野県歴教協 前長野市立篠ノ井西中学校教諭 飯島 春光

ルーツの背景にあるもの

1980年代後半、中国から大勢の子どもたちが転入してきました。戦後36年も経って1981年に始まった「中国残留孤児」の肉親捜しは、敗戦時13歳未満の「残留孤児」たちが対象でした。すでに多くの人は40代になっており、「孤児」と呼ぶのはあまりに不自然でした。

一方、敗戦時13歳以上の人々は「残留婦人等」と呼ばれました。生きるために中国人の元に身を寄せ、「結婚」した女性(婦人)たちが多いので、日本政府はそう呼んで、「孤児」と区別していました。曰く、「自分の意思で中国人と結婚したのだ」と。

しかし、幼子であった「残留孤児」と違って、日本語も忘れず自分がどこのだれかわかっている人々でした。ところが、郷里に帰りたくても、戦後50年近く経て、頼るべき親族はいとこの代というより、むしろその子の代になっており、「一人っ子政策」の前の中国で、5人も6人もの子どもとその家族(合計すれば30人から40人以上にもなる)の身元引受人になるのを断られるケースが多かったのです。

1993年9月、12人の「残留婦人」が細川内閣に「私たちを日本で死なせてください」と訴えるために、自費で強行帰国し、成田空港に着いた彼女たちをマスコミが一斉に報道しました。そのことをきっかけに、国会で超党派の賛成により、親族以外でも身元引受人がいれば帰国を認めるという方向に国は動きました。

そして1990年代後半は「残留婦人等」と呼ばれた人々本人とその呼び寄せ家族の「第二の帰国ラッシュ」となったのです。

呼び寄せ家族の人々は、まったく日本語が話せない状態で日本に来て、大変なご苦労を強いられました。そして、一緒に来た小中学生たちは、ルーツを学ぶなかでどう成長してきたでしょうか。その代表ともいえる二人の意見発表を紹介したいと思います。

「ルーツを胸に刻み、堂々と生きよ」それが、授業を通して彼らに寄せてきた願いです。

2018年篠ノ井地区成人式意見発表 下田 佳輝さん

下田 佳輝さんの顔写真

本日は、成人を迎えた私たちの門出にこのような式を開催していただき心より感謝申し上げます。

今は18歳選挙権となりましたが、20歳を迎えたことによってさらに、政治や経済など世の中に主体的に関わっていかなくてはならないと感じています。

成人にあたり私は、私が今ここに立っているのは奇跡とも言うべき、私の命につながる祖父の人生について、ここで語らせていただきます。

私の祖父は8歳で、満州開拓団の一員として家族と一緒に中国東北地方に渡り暮らしていました。しかし、日本は戦争で敗れ、それを知らされることがなかった開拓団の人々は、ただひたすら逃げ続ける日々を送っていました。日本軍は先に逃げてしまい、ソ連軍の一斉攻撃を受けることを知った開拓団の人々は話し合いの末、攻撃される前に集団自決をすることになりました。しかしただ一人それに反対していた人がいました。私の曾祖父・下田讃治でした。集団自決の日、幼い子どもは井戸に投げ込まれ、おとなは銃で撃たれ次々に亡くなっていきました。その様子を、お経を唱えることができるという理由で、最後の見届け役として見ていたのが、皮肉にも唯ひとり反対していた曾祖父でした。私の祖父はこのとき14歳。「俺は生きたい」と曾祖父に言い、集団自決の前に、朝早くその場から逃げました。もう9月になり、霜が降りる寒さの中、裸足で必死に逃げ、親切な中国人の方に保護してもらい、祖父はその村でただ一人の日本人として50年間暮らしてきました。

そして、日本人として恥ずかしくないようにと一生懸命に働き、職場で働きぶりが優秀な人である「労働模範」に選ばれ、さらには長野県の5倍もの人口がいる黒竜江省の「労働模範」にも選ばれました。そして男3人、女3人の子宝に恵まれ私の母が生まれ、日本に帰国してきました。

私は祖父、曾祖父共に誇りに思っています。祖父が生きて逃げるという選択をしていなければ、私はここで皆様に祖父、曾祖父の生き様を語ることができず、成人を迎えたこの姿を両親に見せることもできなかったのですから。

祖父は6年前、80歳で亡くなりました。生前「戦争ってのは、人を殺すことだ。国と国との人殺しだ。だから、二度と再び戦争はおこしちゃいけねえ。戦争はこの世で一番悪いことだ」「戦争で犠牲になるのは弱いもんだ。戦争は絶対いけねぇな」と語っていました。

私は今、大学で観光ホスピタリティについて学んでいます。そしてそれを生かした職業に就きたいと思っています。それは、日本や世界が平和でこそ成り立ち、発展する仕事です。

祖父が言っていたように、世界の国々と仲良く、戦争のない日本を作っていくために、私たちもしっかり考えて生きていきたいと思います。そのためには、与えられた選挙権をどう使うかということもとても大事になってくると思います。常に世の中を見つめ、より良い社会をつくるために、責任ある行動をしていきたいと思います。

本日はまことにありがとうございました。

「満州国と僕」 2016年中学生英語弁論 北原 康輝さん

僕は日本語を話します。両親は僕に日本語で話しかけます。でも親同士は中国語を話します。なぜだかわかりますか。

ではお話ししましょう。僕は小学4年生の時、家族で中国に行きました。滞在の間時間がありすぎたので、現地の小学校に通うことになりました。ある日クラスメイトが数人僕に向かって「日本人め、おまえは鬼の子だ」と言ってきました。ショックを受け、けんかもしました。何回もありました。日本に帰国後、同じようなことが何度も起きたのです。日本ではというと、クラスメイト数人が「中国人!」と言うのです。「なんで僕がこんな目に遭わなければならないんだろう」と思いました。僕はその時、中国人の血が流れていることがいやでした。自分自身と両親を恨みました。こんな気持ちが長い間続きました。

しかし昨年、気持ちに変化が起きました。社会科の先生が僕の一家の背景を知っていて、僕に、家族の歴史について祖父に尋ねるよう言ってきました。早速祖父に聞いてみると、祖父の顔が急に真剣になり、話してくれて、僕の家族にはとても深い歴史的背景があるのだということを理解しました。

満州国のことを知っていますか?

戦時中、日本は中国の土地を買い上げるなどして手に入れ、100万人以上の人々を送り込みました。曾祖母がそのうちの一人だったと聞いて、僕は衝撃を受けました。曾祖母は1939年に飯山から家族とともに満州に移りました。彼女の夫は日本の軍隊に召集されて戦死したそうで、3人の子どもを一人で育てなければなりませんでした。とても大変な生活を送ったそうです。終戦後の1945年8月29日、何千という中国人が、満州の曾祖母の村を襲撃しました。彼女は逃げました。まもなく収容所に身を寄せ、そこで暮らすことになりました。曾祖母は料理の担当で、米を炊いたとき、うまく炊けた部分を他の家族に回し、焦げた部分を子どもたちに分け与えていたそうです。その後、子どもたちのより良い生活を切望して、仕方なく2人の子どもを中国の方に引き渡し育ててもらいました。真ん中の子どもも引き渡そうとしたときは、その子が離れたがりませんでした。実際、曾祖母は何回も自決を考えたようですが、その子のために生きていくことにしました。ついに曾祖母は現地の中国の方と結婚をしました。それが僕の曾祖父です。2人は3人の子どもをもうけました。それでも、日本に戻ってくることを何度も何度も考えましたが、結局かなわず、満州で亡くなりました。

この話を聞いたとき、僕は悲しい気持ちになったと同時に、曾祖母を誇らしく思いました。彼女はとても苦しい生活をしていたけれども他人に対してはとても親切だったからです。もしそのような生活や中国の方との結婚がなければ、僕は今日ここに存在していなかったでしょう。それに、歴史というものがとても重要であることもわかりました。太平洋戦争や広島、長崎の原子爆弾投下のことを知っていても、曾祖母のように満州で暮らした日本人のことを知っている人は多くありません。それが、僕がここで話している理由なのです。この歴史を忘れてほしくありません。中国の歴史的背景のある人々に、悪いイメージを持ってほしくありません。僕と同じような経験はしてほしくないですし、自分自身がいったい誰なのかを恥じることもしてほしくありません。

さて、僕の最初の質問を覚えていますか。なぜ僕の両親がお互いに中国語を話すのかを。もうわかりましたね。僕は将来僕の子どもたちに家族の歴史をきちんと話し、日本と中国の架け橋になりたいと思います。

北原 康輝さん 2016年中学生英語弁論大会の時の写真

左:北原さん 右:飯島

(2016年9月28日付日本農業新聞記事より)

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支援をつなぐ 教育における合理的配慮を考えるⅢ

特別支援教育士スーパーヴァイザー 金井 なおみ

学びとは何か

このシリーズも3回目を迎えました。子どもにとっての「学び」とは何かについて、今回も読み書きの困り感の視点を窓口に、障がいのある子どもにとって彼らの学びを保障することを、合理的配慮と関連付けて考えてみたいと思います。

読み書きは学習の基本になるスキルであり、学習は話すこと、読むこと、書くことからまず始める、これは大切なことだと思います。そして読み書きで習得した言語を使いこなすことで、知識の幅を広げ、理解がより深まり、物事に対して自分の意見や判断を持てるようになります。また社会で生活するのに必要なスキルを身につけていけます。

この学習の基礎となる読み書きに関して、次のような考えがあります。

読み書き困難という状態を考える時に、「低次の読み書き」と「高次の読み書き」という考え方があります。「低次の読み書き」とは、文字を音に変換して単語の意味を理解する、音を文字に変換する、という過程をいいます。一方「高次の読み書き」とは、文章内容を理解する、思考内容を文章にする、という過程をいいます。読み書き困難とは「高次の読み書き」ではなく「低次の読み書き」の困難だととらえる考えです。うまく読めなくても書けなくても、そこは代替えすることで、十分内容を理解し学習することができるのです。またそのためのツールがすでに用意されているのです。あとは使う、使いこなすだけなのです。

合理的配慮 

ここで文部科学省や県の研修などで紹介されている内容を参考に、合理的配慮について確認したいと思います。

平成28年4月「障害者差別解消法」が施行されました。この法律によって公立学校に関しては、全職員が法的義務を負うことになりました。その法的義務とは「障がいのある児童生徒に対する差別的取り扱いを禁止すること」そして「合理的配慮の不提供を禁止すること」です。

ここでいう「合理的配慮」とは「過度な負担とならない形で『社会的障壁』を減らすことであり、「社会的障壁」を「事物、制度、慣行、観念などが、障がいのある人が社会生活を営むうえで障壁となっている状態」としています。

紹介されている具体例としては肢体不自由のBさん。

両足にマヒがあり、車椅子を使用しています。学校としてはエレベーターの設置は困難な状況です。そんなBさんへ考えられる合理的配慮は教室を1階にする、車椅子の目線に合わせた掲示物を配置する、安全な移動のための段差の解消などが考えられます。

次の例は学習障がいのCさん。読みが苦手で、読み上げてもらえば内容を理解できるのですが、自分では流暢に読めません。そんなCさんへ考えられる合理的配慮は読み上げアプリの活用、支援員による代読などが考えられます。

次は聴覚障がいのDさん。右耳が重度難聴、左耳が軽度難聴。Dさんへ考えられる合理的配慮は、教室前方右手側の座席の配置、FM補聴器の利用、口形をはっきりさせた形での会話などが考えられます。

実際は子どもの障がいの状態、具体的に困っている内容、学校環境等により考えられる合理的配慮は個々に異なっています。

合理的配慮の実現に向けて、子どものさまざまな困り感について学校生活の中で一つひとつ解消していくことを学校側と話し合っていくのは、何か難しくて面倒なことに思うかもしれません。しかし目的を見失わず、道筋が示されれば、必ずゴールにたどり着くはずです。これまですでに実践されている事例が多くありますし、何よりこれから紹介するAさんの事例がそれを教えてくれています。

合理的配慮は「子どもがみんなと一緒に学ぶため」だけではなく、「自分がこんなふうに学びたい」という子どもの願いのために必要なことだと思います。配慮は本人に押しつけるものではありません。子どもが主体的に学ぶために用意しておくものです。

Aさんの今(小学校から中学校へ)

小学校6年生のAさんは書きの困難さがあり、現在教室でiPad、プリンターなどを活用しながら学習しています。

Aさんの読み書きに関する主たる困難さは、書きの困難さであり、そのなかでも字の形を整えられない、きちんとした字を書くと時間がかかる、また漢字の習得が苦手などでした。そのため教師の話や黒板の字を書きとるのに時間がかかる、また速く書こうとすると、後で自分でも読み直せないくらいの字になってしまい、その結果、授業についていけない状態でした。さらにAD/HDも併せ持っていたためか、まとまりのある文章を書くことも苦手でした。

そこで現在(卒業時)までに以下のようなことに取り組んできました。

①黒板の書字に関してはiPadのカメラ機能を使う。

②授業でのプリントへの書き込みは同じくiPadのアプリを活用し、iPad内に入力する。

③ ②に関するプリントの時間内の提出、またファイリングについては、プリンターを教室に置き、プリントアウトする。

④作文はマインドマップのアプリを活用する。

iPadを活用して学習しているAさんの写真

このように1年間取り組んできた結果、書字に関する困難さが軽減されたため、教室内で友だちと同じペースで学習ができたり、自分からまとまりの良い作文が書けるようになったりしました。さらに漢字書字の習得度も向上しました。

さてAさんもいよいよ4月からは中学生。ちょうどこの原稿を書いているときは、中学校との引き継ぎのため支援会議をしている頃です。

さてここで小学校から中学校への移行について、具体的な配慮点をまとめておきたいと思います。

①在籍がどこになるかを決定します。子どもによっては通常学級に在籍する場合と、特別支援学級に籍をおきながら原学級で学ぶ場合があります。その後の支援にも関わることなので、まず在籍を決めます。支援学級に入級した場合は、入級の主たる理由が他にあるとしても、支援学級でiPad等の活用の練習(自立活動)などが可能です。通常学級入級の場合はiPad活用の練習などどこで行なうか、決めます。

②小学校での支援をまとめます。担任、保護者と協力して、小学校におけるこれまでの支援を具体的にまとめます。本人の主訴、困り感、支援内容、支援会議の経過などです。本人自身が引き継がれる支援内容を確認できるとよいでしょう。

③小中連絡会にて支援をつなぎます。まとめた支援をもとに、中学校へ情報をつなげます。なぜこうした支援が必要なのかを十分に理解してもらいます。

④中学校職員全体に特別支援教育、合理的配慮についての啓発・理解をはかります。中学校でこうした啓発・理解が進んでいれば必要はありませんが、前例のないことなどについては、どうしても職員の心理的な抵抗もあるので、合理的配慮について基本的な理解を進めます。

⑤直接担当する学級担任、教科担任が子どもの特性と小学校での支援、これから予想される支援について知る機会を持ちます。

⑥中学校学級担任はクラス全体に、子どもの支援機器の使用等について知らせ、周知を図ります。

⑦明らかに事前にわかっていて、支援が必要な場面では支援機器などの利用を開始します。

⑧入学後、学級活動、各教科での学習について、合理的配慮が必要な場面を検討します。場合によっては支援者が授業を参観し検討することもあります。教科により、教科担任により授業の進め方はさまざまです。具体性が求められます。

⑨定期テストでの配慮を検討します。中学校のテストは小学校とは異なっていることが多いです。実際に受けてみて、どこに配慮が必要か検討することも大切です。

⑩支援会議を継続します。保護者、時には本人も交え、支援について話し合います。中学校では本人の同席が望ましいと考えています。本人がこれから主体的に学習していくためにも大切なことです。

さあ、4月からAさんはどんな中学生になっているでしょう。私もAさんもとても楽しみにしています。

お母さんはちょっと心配しています。今後もAさんの成長に寄り添っていこうと思います。

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2017年度のある学校では

岩田敏行(仮名)の学校報告PartⅡ

どの子もみんなすばらしい。感動の連続

県民教・教育科学研究会会員 岩田 敏行

突然の講師依頼

2016年に退職して1年半、体力づくりと共に地域や趣味で人間関係を広げ、主夫業でも充実した日々を送っていたある日、体調を崩された先生の代わりに講師を依頼されました。

再任用を蹴った私としてはやや驚きました。代替えの講師依頼は若い人や65歳以上の人に話がいくものだと思っていたからです。それだけ、産育休の増加だけでなく体調を崩す先生がいるという事でしょうか、あの忌まわしき10年ごとの免許更新制度によって今後65歳以上の免許保有者が減少することで(私も流そうと思っていました)学校の職員構成が変化すると同時に管理職も含めた教職員の負担が一層重くなることが予想されます。先生方の負担増が学校教育に良い結果をもたらすはずがありません。注意してみていきましょう。

そうしたなかで子どもたちは?

学校ってどうなってるの

現役の時に「学校はどうなっているんだい」とか「子どもはどうなっているんだい」という質問をよく耳にしました。その答えはとても難しいことを半年間復帰しても感じています。ある母親のPTAでの本音、「たまに学校へ来て授業の様子を見ても、その時はきちんとやっているので本当のところがよくわからない」と言います。

それなので、今回の私のように校務も授業時数も配慮されて比較的自由に勤められると、いろいろなことが見えると思っていました。たとえば多様な生徒に対する個別対応が増えていること。保護者からの苦情や要請に苦悩する事例が多く、それぞれの中身が千差万別で、きちんと対応していても大ごとになったりすること。そのため、学校全体として神経質になっていること。

ですので、文章には残せない「なぜだろう」は増えるばかりです。小中交流と称する事業で小学校へも行きましたが、自校の生徒にもっと関わりたいなかで、背景のわからない小学生や学校を理解することは困難かつ失礼を感じました。

校内潜入報告

比較的自由な私はいろいろなクラスに入り、たくさんの生徒とかかわりを持とうと努めました。2016年報告で得た「どの子も孫のようにかわいい」と2017年の小中学生アンケートの分析から得た「中学校の先生の影響力は大きい」という思いで短期間でしたが実践に取り組みました。

(1)3年生なのに

清掃後に3年の教室に忍び込み、空いている生徒席に座らせてもらいそのまま帰りの会を見ていました。するとどうでしょう。ルーム長が前に立って担任のように話を始めるではありませんか。「入試ご苦労さまでした。○○君、感想を話してください」。受験でピリピリしそうな3年生のこの時期にしずかに話を聞いている学級集団にも驚きです。

(2)給食準備中の各クラスに潜入

配膳方法の工夫による2組の速さ、目標時間を設定して声を掛け合う3組、のんびり1組では食べ方の遅い生徒に配慮して先に食べても良いルールを作っていました。給食は確実においしくなり、メニューの工夫もされています。残飯0の取り組みはどこの学校でも行なわれていることですが、強制していないことにホッとしました。配膳時に残ったおかずは通常男子が前に出てくるものですが、女子もどんどん前に出てくるクラスがあってほほえましく思いました。

(3)私は驚きの連続。今はそれが普通?

すれ違いざまに次から次へと「こんにちは」、「こんにちは」と挨拶してくれます。掃除も黙々とやっています。体育館への移動も静かで、学校に先生の怒鳴るような声が聞こえません。不登校やいじめなどで転校してきた生徒数名に話を聞くと「学校が静かでいい」と言います。私はきちんとした学校は強く管理されている学校と思って見ていましたがそういう光景は感じられませんでした。この中学出身の有名政治家に「N中って凄い学校ですね。コンクールでもないのに良く歌を歌うし、掃除や学習にも良く取り組んでいるので驚いています。」というと、嬉しそうに「そういえば私たちの時もみんなよく歌っていたなあ」と言われました。50年も前から歌う伝統、創造力豊かに取り組む伝統が続くなんて事は本当にあるのでしょうか。その辺はよくわかりません。学校に長くいればいるほどわからなくなるようにも感じています。こうした学校には小中学生アンケートに協力・継続してほしいと思っています。

ロッカーズの取り組み

2月に小学6年生を受け入れる中学校説明会はどの学校でも行なわれているようですが、これほど多くの生徒が創造的に動き発表する姿は初めて経験しました。毎年行なわれているという事ですが、11月から準備をはじめ、発表までの3か月のなかで「えっ、あの子がやれるんだ」「あの子があんなに真剣に」「あんなに声が出るんだ」等々驚きの連続で、この取り組みで伝統が引き継がれて行くとさえ思いました。この経験から繋がった生徒を中心にロッカーズ(私の岩:ロックを取って)という影の組織を作りました。

直接私にではありませんが、保護者からあるクラスや生徒を心配する声があったことが発足の理由です。班つくりと正義派の核を作っていく事は、かつて民間教育団体の生活指導研究会で学んできたものにとっては楽しい経験でした。現在の担任にそのスタイルを伝えることは時間的にも許されないことから、そのクラスの核になりそうな数名に声をかけて、「生徒が作る学級通信」の取り組みを開始しました。一日の復習をベースにルーム長の感想やロッカーズの仲間が協力してA5サイズで毎日出しています。授業を大切にし、復習を主体とした学習によって学力向上を狙うと同時に、保護者が学校の様子や子どもの動きを知ることができるという利点があります。独自の取り組みです。さらに先生は初期指導やアドバイスは必要とするものの、普段は印刷のみで手がかからないとも考えています。人に役立つことをしたいと願っている子どもたちは多い(小中学生アンケートによる)のです。成績やら調査書とはまったく無縁で個人の利害と離れた取組みにもかかわらず、本当によくやってくれました。ロッカーズは16人になり各クラスでその存在を秘密に、次なる活動「無記名教科問題クラスマッチ」の問題作成と自分のクラスには公開される問題の教えあいに取り組んでいます(紙面の関係で詳細は書けませんが)。自分のために学習し良い成績を上げていた生徒たちが、関わり合い協力して人のために活動するとさまざまな本音が聞こえてきます。この子たちがクラスの核となって、良いクラスづくり、学校づくりをしてくれるでしょう。この学校区のおじさんとなった4月からも我が地域の学校として応援していくつもりです。学校報告PartⅢをお楽しみに。

最後に、原稿を編集部に送ったところ、前段の学校の様子は、結構見受けられる学校の様子だと指摘されました。であれば、2017年度の学校の様子として記録しておくには良いかなと思っています。

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子どもの居場所と学校との連携 5年目のはじまり

子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」 西森 尚己

はぐルッポのキャラクター イラスト

「はぐルッポ」の子どもたち

「はぐルッポ」にはさまざまな子どもたちが来ています。いじめで学校へ行けなくなった子、友だち関係のいざこざや、友だちとうまくコミュニケーションをとれずに苦しくなった子、先生との関係がうまくいかない子、学校へ行くと緊張してしまう子、教室に入れない子。それから、家庭環境の不安定さが大きな原因になっているケース。最近多いのは発達障がいが原因で学校にいづらい子などです。

来所しているほとんどの子どもに共通して言えることは、学校へ行けないことに負い目を感じているということです。どの子も学校へは行きたい、行った方がいいと考えています。そして、みんな自分に自信がない。そういう子どもたちが、「はぐルッポ」に来て、自由に自分のしたいことをして過ごしているうちに、次第にエネルギーを貯めていき、蚊の鳴くような声の子が大声を出せるようになったり、外にも出られなかった子が河川敷で鬼ごっこしたり、川に入って冒険したりするようになります。親に送ってもらって来ていた子が自分で電車やバスで来たり、1時間以上もかけて自転車で来るようになります。

子どもたちが楽しそうに川遊びをしている写真

最近、少し違ってきたと感じるのは、今まではエネルギーがなくなってひきこもっていた子を、どうしたらいいかわからず親が連れてくることが多かったのですが、このところ、来た時から元気な子どもが増えてきたことです。その子たちも、自分に自信がなかったり、学校へ行けないことを引け目に感じているようなのですが、以前のような身体が動かなくなるほどエネルギーの無くなっている子は少ない気がします。それは、エネルギーのない状態を脱して外に出られるようになってから来始めたのか、学校へ行くことを無理しないようにとか、登校刺激をしないようになど、主治医の先生等に言われ、学校も家庭もそれを考慮するなど、まわりの環境が変わってきたからかもしれません。

もう一つ、学校に登校しながら、来所する子どもが増えてきたことです。

小学生のAさんは、学校から帰っても、子どもを迎え入れる家庭環境が整っていません。放課後、しょっちゅう寄り道をしてすぐには家に帰らなかったAさんは、「はぐルッポ」へ寄って楽しく遊んでいくことで満足して家に帰るようになっています。

中学生のBさんは、学校で友だちや先生との関係がうまくいかず、行き渋りの状態です。学校を休みがちですが、「はぐルッポ」のある日は、部活だけはやりたいと朝練習に出た後、昼からは「はぐルッポ」へ来て勉強したり遊んだりゆっくり過ごしてから、また放課後の部活に行きます。

母親や学校との関係がうまく作れない小学生のCくんは、学校へは行くものの、ストレスをためるようで、すぐにきれて、母親に殴る蹴るなどの暴力をしてしまいます。しかし、「はぐルッポ」のある日にはいつも来て、いい表情で遊んだりおしゃべりをしていきます。

家庭環境に課題があったり、学校にも課題があったりして苦しい思いの子どもたちには、学校でもなく家庭でもないところでホッとできる居場所が必要なのだと感じています。

スタッフは、指導したり、レールを敷いたりするのではなく、必要とされたときにサポートするということ、どの子もありのままの自分でいられ、言いたいことが言えて、安心して失敗できる、そんな環境を子どもと一緒に作っていくことを大事にしたいと考えています。

私たちには、双方の話をよく聞いて、学校と家庭、親と子の間の仲立ちをすることでこじれた糸をほぐし、それぞれにつないでいくことが求められていると感じています。

子どもたちが一緒に宿題をしている写真

学校・教育委員会・行政等との連携

「はぐルッポ」は、学校復帰を目的とはしていません。そのことで学校現場からの十分な理解が得られないケースも多く、あまり良い印象を持たれていませんでした。元気になって、結果学校へ行くようになる子どもも多く、保護者の相談も年々増えてきているので、「はぐルッポ」としては学校との連携を大切にしたいと考えていましたが、まだまだ学校側の認知度は低い状況でした。

「あそこは教育委員会が作ったところではないから」とか、「遊んでばかりの楽しいところにいたら、よけい学校へ来られなくなる」、「なんとか学校に来ていたのにはぐルッポへ行き始めて学校へ来なくなった」など、現場の先生方から直接言われたこともありました。

先生方の中には、一緒に子どものことを考えてくださる先生もいますが、多くの先生方や学校は、どうしたら学校へ来ることができるかを第一に考えていることが多いと感じていました。

そんななかで私たちにできることは、来ている子どもたちが元気になって、自分で考え、自分の力で一歩踏み出すことができるように見守ることだけでした。そのうちにいくつもの病院の先生から「あそこへ行くと元気になるみたいだよ」と紹介されて来る子どもが増えてきました。

不登校の子どもたちを見ていると、学校が安心できる場所になっていなかったり、家庭もストレスのたまる場所になってしまっている場合が多くあります。「はぐルッポ」を作りたいと思ったのは、学校や家庭以外の場所で、安心して過ごすことができる居場所があったらいいのにと思ったからです。その時にこだわったことは、公設民営という形でした。この問題は、行政とも一緒に考えていかなければいけないことだと考えたのです。もちろん資金のこともありました。

そして、松本市のこども部こども育成課から委託されるという形で運営できることになりました。ちょうどその頃、松本市では「子どもの権利に関する条例」が制定され、子どもの居場所として「はぐルッポ」をモデルにしていこうとも言われました。

また、昨年、教育委員会の指導課にいた行政職員が、こども育成課の課長補佐になったことも幸いでした。それまでは委託という形でまかされっぱなしであった「はぐルッポ」でしたが、こども育成課が仲立ちをしてくれたことで、教育委員会ともいろいろな形で協力をしていく体制ができつつあります。

「はぐルッポ」に来ている子どもついての情報を教育委員会や学校と共有できるようになり、昨年の4月からは、教育委員会の中間教室のように、「はぐルッポ」の来所日は、出席扱いになりました。

教育委員会の不登校対応指導主事が「はぐルッポ」の支援会議に参加してくれるようになったり、学校や病院で行なわれる支援会議にも参加できるようになってきました。このような流れができつつあるのは、とてもありがたいことです。

一人の子どものことについて、かかわっている関係者が一緒に考えていくことは大切であり、「はぐルッポ」としてもこういう機会を大事にしたいと考えています。

ある時、「はぐルッポ」に来ている生徒の様子を見に教務主任の先生が来ました。「学校行かなくてごめんね」と言う生徒に、先生が「何言ってんだ、お前がどこにいたって元気で笑っていられるのが一番大事なんだから」と言ってくださって、その子がすごく嬉しそうな顔をしたのがとても印象的でした。このような先生がいらっしゃることに感銘をうけながら、「はぐルッポ」の理念も、少しずつですが学校に理解されてきたと嬉しく思ったことでした。

このように、開所して5年が経ちましたが、ようやく学校からも少し認められ、一定の評価もいただけるようになって、学校や教育委員会と連携できる環境ができつつあります。

いろいろ課題はありますが、時間はかかっても、子どもたちが自分の力で一歩を踏み出していく姿は、何よりの喜びであり、それがスタッフのエネルギーとなっています。

子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」

松本市旭 3-2-21 Tel0263-31-3373

松本市役所こども部こども育成課 Tel0263-32-3261

運営団体:松本市子育てコミュニティサイトプロジェクト「はぐまつ」

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「競争と管理」から「協調と自治」の教育へ 不登校・発達障害の原因と解決

ひかりの学校 あづみの本校 New Education School 代表 たかはし 賢

たかはし 賢さんの顔写真

子どもの命の輝きを大事にした結果が不登校

「わたしの目には、あなたは高価で尊い」

3000年前に書かれたこの聖書の言葉のように、おとなも子どももすべての人間は高価で尊いのです。たとえるなら銀座の一流宝石店のショーウィンドウの豪華なジュエリーよりも。または、車が何台買えるかわからないような、スイスの高級腕時計よりも。だから何でもしていいし、何もしなくてもいいのです。おひさまの下でのんびりしてるだけでも、誰でも美しく充分な価値があるのです。

「まぁ、言いたいことはわかるけど、理想と現実は違うよねぇ」などの意見が聞こえて来ます。しかしこの事実を否定・または忘れた時に、不登校や発達障害などが「問題」となり、ガラガラと音を立てて家庭を壊すのです。

「お母さん、もう100%の全力でやっていますよね?これ以上何をすべきかではなく、何をやめるべきかを考えましょう」私が保護者の方々によく言う言葉です。

では、何を残しましょうか?何を捨てましょうか?ひかりの学校の取捨選択は?「捨てる」のキーワードは「競争と管理」です。そして「取る」のキーワードは「協調と自治」です。

「あらネバならぬ」などの不安・心配を、私は「ネバネバ光線」と呼んでいます。これ、実は「競争と管理」から放射されているの、気づいていましたか?

不登校や発達障害などで悩み、出口の見えないトンネルにいる親御さんたちは、ネバネバ光線によって、自分自身の価値と希望が見えなくなっています。冒頭の繰り返しですが、私たちは何でもできる自由と、何もしなくても良い自由が本来あるのです。これらを前提とした時に初めて、社会に出る活力が湧き上がるのです。

私の個人的な経験から、不登校の親御さんには、医療従事者、教育関係者、福祉関係者など、人と深く関わる専門職の方も多いと感じております。政治家のお子さんにも多いと聞きます。これは「人権感覚」の高い家庭に不登校が多いことを表しているのだと、私は感じております。しばしば「専門職の子どもでも油断してはいけない」との言葉を聞きますが、この解釈には疑問を感じます。手厚く愛し育てられた子どもが、「競争と管理」の社会に体を張って「NO!」と言っているのが不登校なのです。子どもたちは「もう戦争が終わって70年だよ。戦時中みたいな『競争と管理』の息苦しい生活じゃなくて、『協調と自治』の平和で生きやすい生活がしたいよ」と訴えているように感じます。

だから「競争と管理」が根強い日本の社会構造を根本から変えないと、不登校の問題は解決しないと、私は強く訴えたいのです。しかし、ネバネバ光線で心が満身創痍のお母さんに限って、伝えるのが難しい事柄です。何故なら、子どもを深く愛するが故に、すべてお母さん一人で抱え込んでしまっているからです。

「競争と管理」から「協調と自治」

ひかりの学校では「競争と管理」から「協調と自治」の実践を学習に取り入れております。本当に面白いことに、「協調と自治」のもとではすべての学習が楽しい「ゲーム」となります。

ひかりの学校は座学の学習時間は1日に朝の1時間のみで、基礎学習と呼んでいます。普通の学校では1日に4時間も5時間も座って学習しているのに、ひかりの学校ではたったの1時間です。しかし、これでも十分なのです。いえ、むしろ「多過ぎる?」としばしば感じ、他の活動をすることも多いくらいです。笑ってもらって結構ですが、冗談ではありません。

内容は子どもが自分でやりたいことを選びます。計算の学習をする横で、雑誌のパズルや間違い探しをしていたり、絵を描いたり、図鑑の書き写しをしたりと活動はさまざまです。

基礎学習の1番の目的は、「学習を好きになる」ことです。2番目の目的が「基礎学力の定着」です。ここで大事なのは、目的の優先順位が「基礎学力の定着」よりも「学習を好きになる」ことの方が高いことです。だから私が毎日見ているのは、子どもが取り組む学習内容(教材)ではありません。子どもの目です。パズルでも計算でも漢字でも絵でも、目を輝かせて没頭していれば、私は子どもの活動を高く評価します。難しい問題を3日間かけて取り組む子どもの姿も日常的です。たった1問に3日間です!おとな以上の根気と集中する子どもの姿がひかりの学校にはあります。

また、逆に集中していないと感じると、難しい計算や漢字の学習に取り組んでいても声をかけ、飽きているようなら他の学習を勧めます。「難しい問題に悩んで嫌になるより、楽しい問題を沢山しようよ」が私の口癖です。

競争に基づいた点数化や順位づけなどの成果主義は、一時的な安心や優越感を産むことはあっても、生涯学習意欲の根っこにはなりません。大事なのは「自治」、いわゆる自己選択と自己決定が学習意欲を育むのです。

先日ひかりの学校を2年以上利用のお子さん(小4)のお父さんが、私にこんな話をしてくれました。「この間、この子の祖母が実家でやっている、公文の国語問題をやらせてみたんです。そうしたら、2学年上の6年生の問題が解けていました。やっぱり読書量なんでしょう。学力は自然につくんですね」と。

この事例は、ひかりの学校へくると、すべての子どもが2学年上の問題が解けるようになる、ということではないのです。このお父さん、「でも、漢字はあまり書けませんでした」と笑って言っていたように、必ずデコボコはあります。この事例で重要なのは、学習から「競争と管理」を排除した結果として、その「子どもの潜在能力が最大限に発揮された」ということなのです。

また、ひかりの学校で重視しているのが運動です。親御さんから一週間の学習スケジュールを見て、「この逃走学習って何ですか?」とよく聞かれます。「それは鬼ごっこのことです」と答えると、皆さん必ず笑います。この逃走学習は本当に良い活動です。

この逃走学習を毎日していれば、規律性も協調性も体力もバッチリです。とても元気になります。私も一緒に子どもと走りますが、普通のジョギングと違い自分のペースで走れないので、本当に辛いです。

そんな逃走学習こそ、「競争と管理」を排除した賜物のような活動です。不登校が長く運動不足だったお子さんが「先生、毎日体育館行って運動しようよ!」と言うようになり、半年で体がとてもしまりました!

「競争と管理」を排除した際に必ず発生するのが「遊び」です。スケジュールはあるものの、すべての学習への参加は基本自由です。逃走学習も、音楽も、理科実験も、工作も何でも、強制参加はありません。ですのでみんなとの活動に参加せずに、ほぼ1日中遊んでいることも珍しくありません。それでもいいのでしょうか?

遊びについても、やはり結論は「すべての子どもは高価で尊い」です。そもそも「高価で尊い」のだから、おとなの浅はかな学習指導よりも、子どもが自分で選ぶ遊びの方が、大きな学びとなっているのです。

不登校と発達障害の原因は、「質の高い遊びと運動」の欠如が一番大きいと私は考えております。質の高い遊びとは、おとなの見守りはあるものの管理は最小限で、多少の危険が伴い、子ども同士が密接な関わりのなかで長い時間自由に過ごすことです。正に子ども同士による「協調と自治」が、不登校や発達障害の治療・回復・予防なのです。

発達障害と呼ばれる子どもは、「コミュニケーションが取れないから友だちと遊べない」のではありません。「協調と自治」のもとで「友だちと遊ぶ環境がなく、結果としてコミュニケーションが苦手」なのです。

ひかりの学校に通う子どもは、不登校と支援級の子どもが半数以上です。先日、見学にいらしたお母さんが私に「子どもたちはみんな本当に優しいいい子ばかりですね。みんな元からこんなにいい子なんですか?」と聞かれました。ですので私は、「競争と管理」の世界では怒り・無気力・無関心・不安の固まりだった子どもでも、「協調と自治」の環境ではこのようにいい子になると、丁寧に説明しました。

また、元気になって学校復帰、チック症状が1か月ですっかりなくなる、すべての活動に不安を抱えていたけど入学して2か月でドッジボールが大好き、などこの1年間の子どもたちの成長の成果をあげたらキリがありません。

不登校や発達障害は学校・家庭・子どもの問題ではありません。それを間違え、先生や親や子どもなど「人間」に問題の焦点を当てているから、不登校も発達障害児童の数も増え続けているのです。変えるべきは「教育のシステム」と「価値観」です。「競争と管理」から発生する社会問題(うつ病・自殺・引きこもり・離婚などなどなど)の一つが、不登校や発達障害なのです。すべての人間は高価で尊く、何をしても何もしなくてもよい自由を前提に、競うのではなく手を結ぶ「協調」と、自己責任で自己決定ができる「自治」を、社会全体・政治レベルで次の世代に残すことが必要なのです。

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子どもたちの第三の学びの場・居場所として自由に過ごせるフリースクールを!

フリースクール・プルーム はねだ ひろし

はねだひろしさんの顔写真

はじめまして。長野県長野市出身・在住の40歳、2児の父、はねだひろしと申します。これまで地元の病院で看護師を務め、心身ともに病を抱えた人びとのサポートを行なってきました。このたび長野市中心部(長野駅から徒歩10分!)にフリースクールを立ち上げました。

フリースクール・プルームの建物の写真

フリースクール・プルームは「遊び」をコンセプトにしたフリースクール兼居場所として、遊びや好きなことをとことん追求して「自分」「本気」づくりを全力でサポートします。もちろんやりたいことがなくても、なにもしなくてもOK。畑に好きな食物を植える、食事・おやつ作り、釜戸でごはん、バーベキュー、楽器演奏、漫画を読む、木工工作など、改めて考えてみると家庭や学校ではできないような遊びをたくさん作っていこうと思っています。

その中でも手を使ったり体を使ったりする遊びを通し、五感を使い、脳に刺激を与え、子どもたちの可能性と発達を最大限引き出せるよう日々工夫を心がけています。

きっかけは娘と家族の出来事でした

娘が小学1年生になり、朝の登校時間になると「小学校に行きたくない!いやだ!」と泣き、妻は「なぜ行かないの!?学校に行かなければこれからどうするの!」と悲しみと混乱と怒りのやりとりを繰り返す毎日。その時私は、本人が嫌がるのに連れて行くのは正しいことなのだろうかと、親として心底悩みました。娘に聞いても客観的に考え、何がどのように嫌なのかを言葉で説明することはむずかしい様子でした。

私はそんな状況から一歩踏み出すために、義務教育に関して調べたり、不登校について書かれている本や教育に関する本をいくつか読みました。

読んでいるうちに自分が知らなかったことや、不登校に対する考えが変わっていきました。

私は「学校に通わなければ生きるために本当に必要なことが失われてしまうというわけではない」と思うようになりました。

頭の良さや目に見える成果だけが存在している理由じゃない。一人ひとりが、かけがえのない命を生きている

私自身も学校の成績が優秀だったわけではなく、受験も含めたくさん挫折も失敗もしました。両親の協力のおかげもあってなんとか生きています。失敗も多いですが生きています。不思議と友だちもいます。だから、学校に行かない選択も、私はあっていいと思っています。

いじめや不登校やひきこもりで悲しむ子どもたちや家族を、一人でも減らしたい

私は今、いじめや不登校やひきこもりで悲しむ子ども、家族を一人でも減らしたいと思っています。そこで子どもたちの選択肢を一つでも増やすためにフリースクールを開校することを決めました。自分自身は何者なのかという、アイデンティティーを育み、世間や親の考えではなく、自分自身(本能・本心)からの夢や希望を達成するために努力する。失敗はあっても自分の夢や希望のために頑張ることのほうがより大切なのかなと思います。

フリースクールでのアクティビティ

①遊びが思う存分できる時間と学校でも家庭でもない居場所をつくる

心理療法の中にも遊戯療法(プレイセラピー)というものがあることと、スチューアート・ブラウン博士の遊びの重要性(スチュアート・ブラウン2013『遊びスイッチ、オン!―脳を活性化させ、創造力を育む「遊び」の効果』バベルプレス)を知ったことがきっかけでこの方針を決めました。最近は自分の子どもたちをなるべく自然(川など)環境のなかで遊ばせていますが、TVゲームや屋内遊びよりも生き生きして笑顔が多く、長い時間遊んでいることを実感しています。

子どもたちが屋外で楽しそうに遊んでる写真

②週に1度のミーティング!

自分の意見を聴いてもらったり、提案が通り皆から喜ばれる経験をすることで自己存在感を味わい、尊重されている実感や安心感が得られます。

この方法は多くのフリースクールでやられています。自分で提案し、他人にわかりやすく説明し、納得してもらい、他の人に一緒に参加してもらうという経験は社会に出てからも必要な力であり、そのような力は社会に出る前から育んでいけたらと考えております。

③保護者会(親の会)、個別相談、子どもとご両親の間に入って関係性を良好に!

これも多くのフリースクールでやられていることですが、学校との連携は学校に復学する場合、復学しやすい状況をつくるためにも必要ですし、親御様は子どもにとって大変重要な役割があるため、連携は必須かと思います。参加していただいた親御様も「はじめは何を話してよいかわからなかったけど話してみて安心した」と話し合うことの重要性を実感しています。

子どもたち自身が選べ多様な学び・成長ができる世の中へ。皆様からいただいたご支援で、多様性のある子どもの育つ環境づくりをしていきます

私にできることはそれほど多くはないかもしれませんが、学校に行けない、行かない子どもたちの「笑顔」を一回でも多くしたいと思います。一人でも多くの子どもと親御様に「安心した」という言葉をいただけるようにします。長野市にも、何らかの理由で小中学校に行けない・行かない子どもたちがいます。2016年度の不登校の人数が全国では122,902人、長野県では2,137人。子どもたちの人数は減っていますが、不登校の子どもたちの数は高止まりの状況です。

学校でも、家族でもない場所だからこそ吐き出せる本音もある

家庭はとても大事ですが、学校、家庭以外で自分を認めてくれる場所も必要です。人は一人で生きられず、家族以外の誰かとの協力も必要です。特に異年齢の交流は社会生活、自分の成長のために大切です。

心の問題は、ケアがとても大切です。そんな不登校の子どもたちの学びの場・居場所が長野市内にはまだまだ少ないです。

フリースクールを通して、学校に行けない、行かない子どもたちに安心できる学びの場・居場所を提供し、さまざまな遊びを、とことん楽しみ、元気、やる気、本気を充電し、多様な学び、多様な成長ができる場所をつくりたいと思っています。私もこれから一生懸命頑張ります!

どうか、応援・ご支援をお願いいたします!

子どもたちが廊下を走っている写真

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学校のいきづらさ 体罰、いじめ、不登校を経験して感じたこと

高校3年生 池田 結美

最初のいきづらさ

私が感じた最初の「学校のいきづらさ」は、小学校4年生のときに担任の先生から受けた、精神的な体罰でした。担任の先生を大王としたひとつの帝国のようなクラスで、クラスの多くの子が無意識に先生の機嫌をとっていたように感じました。

クラスの中で「自分の好きな子」と「自分の嫌いな子」を理由付きで書かせ、それを別室で一人ひとり読みあげられました。私は多くの子から嫌われていました。すごくショックを受け、母が先生に抗議してくれましたが、後日担任の先生から私は呼ばれて、母に話したことを怒られ、口止めされました。それからも私は友だちの前でみせしめのように怒られることも多くありました。

その年度終わりに担任の先生が異動され、しばらくは平和な時間を過ごしていました。

途切れ途切れ思い出す中学校生活

小学校6年生の終わりに、クラスの子から体型のことでからかわれ、「明日が来るのが怖い」と思うようになって眠ることが怖くなりました。

中学生になり、勉強や部活など不安なことが増えて押しつぶされそうになっていました。中学校で嫌がらせをしてきた子たちは中学校2年生になるときのクラス替えでクラスが別になりましたが、相変わらずいやがらせ、「いじめ」は続きました。

むりやり教科担任の先生が、みんなの前でいじめっ子を謝らせるということで表面上は解決したようにみえましたが、根強くいじめは残りました。それを先生に報告すると、いじめっ子は「いじめたつもりはない」と言い、逆に私が「言いがかりだ」と怒られました。

そんなことが続き、気がつくと拒食と自傷行為の癖がついていました。

教室に行けなくなりましたが、あまり親子関係がよくなかったので、家にも帰れず、泣きながら保健室の隅で震えていたこともありました。

「いなくなりたい」と思い続けていたと思いますが、中学校1年生後半の記憶がなく、途切れ途切れの記憶と、周りの方から聞いた話でこの文章を書いています。

中学校2年生になり、拒食の治療で入院してから学校に行くようになりましたが、教室に居場所がなく、半年ほどで行けなくなりました。そのストレスからか家の中で暴れるようになってしまいました。

「私がいなくなればいい」

「周りがいなくなればいい」

心の中でぐちゃぐちゃになっていました。

高校生になるまで

中学校3年生になり、進学のことを考えるようになりました。教室に入らず勉強をしましたが、ひとりで取り組む勉強で抜けている単元も多かったのでとても苦労しました。教科担任の先生に質問することもありましたが、自分で勉強を進めていくことがつらく、学校に行かなくなりました。しばらく「高校なんて…」と自暴自棄になったり悩んだりしましたが、ギリギリで高校に行くと決めて進学をしました。

中学校にほとんど行かなかったので、全日制の高校に進んでからしばらくは生活が大変でした。でも、友だちもたくさんできて、勉強もそれなりにできるようになって順調に日々を送れるようになりました。

夏の文化祭では1年生にして展示賞をいただいて楽しく過ごしていましたが、1年生の夏に両親が離婚をして、その苦しさから2学期はほとんど登校できずに引きこもるようになってしまいました。

クラスの子との人間関係がうまく築けなくて、クラスのある子のご両親に、クラス全員の前で怒られることもあって、2学期はとても苦しいものでした。

心機一転を図ろうとしたけれど

当時の担任の先生のサポートもあって、なんとか1年生の単位だけを取得して、通信制高校に転学しました。通信制といっても登校日数が多い学校なので必然的に同級生との関わりが多くなって、その中の人間関係でもとても苦労しました。担任の先生に相談しても、「あなたの受け取り方が間違っている」と、取り合ってもらえませんでした。小さな学校の中での中心的な子たちともめてしまったので、居場所がありませんでした。

最終的に中心的な子を含む5人ほどのグループを敵にしてしまうようになりました。全員と話し合いましたが、そもそも先生がそのグループの味方のようだったので、袋だたきにあったようでした。高校2年生の間は担任の先生や学校の子と上手に関われず、話もできず、とても苦しい時間でした。あと1年、と割り切るようにして進学のために登校していますが、やはり苦しいです。

家族について

中学から今まで生きづらさを感じてきたのは、学校だけがすべての原因ではなかったように感じます。

幼い頃から家が落ち着いて過ごせる場所ではありませんでした。「帰る場所」というよりは「学校の延長のような息のしづらい場所」という風に感じていました。

「いい子でいなくては」というプレッシャーが常にあり、家の中でも必死でした。どんなに勉強や習い事を頑張っても、褒めてくれない両親が好きになれませんでした。要領よく生きているように見えた妹が好きになれませんでした。「いじめや体罰にあっているとばれたらいけない」と家で「いい子」の仮面をつけ続けていました。中学生の時に学校が苦しくても言えずにとても苦しく、「こんな家族なんていなくなればいい」と家庭の崩壊を願っていたことを思い出します。中学1年の夏に私が学校に行かなくなってから両親が離婚するまでに、家族のなかでさまざまな問題が起きるようになりました。家族に対してのゆがんだ思いを隠したままだったら今、家族や私は存在しなかったかもしれません。でも、未だに「私が我慢していれば表面上だけでも家族はうまくいっていたのかもしれない」と自分を責めることも多々あり、複雑な思いがあります。

学校に通って感じたこと

今までの学校生活を振り返って一番苦しかったことは、「自分が『正しい』と思って行動したことが否定され、自分を信じられなくなる」ということでした。人との距離を上手にとることが苦手、という私自身の特徴もありますが、「あなたが間違っている」「あなたはおかしい」と言われたり、納得のいかない我慢が多かったりしたことから、そう感じました。

「楽しい」だけで生きられないのはもちろんわかっていますが、小さい頃から、我慢と否定の連続だと、「将来に希望を持て」といわれても難しいと思います。

みんなが自分らしく生きられる社会になることを願っています。

私の今、そして夢

今、進学のために勉強をしています。日本の子どもはもちろん、世界の子どもも笑顔で暮らせるような社会にする勉強をしたいです。生きることに絶望し、荒んでいた私を救ってくれた方々との出会いがそう思わせてくれました。一番辛かった中学時代に出会った登校拒否の親と子の会や、「少しでもよりよい社会にしたい」と活動している方々との関わりのなかで、「私も誰かの力になれたらいいな」と思うようになり、高校生活を送りながら自分の経験を発信しています。

おわりに

みんなが息をしやすい世界になればいいな、と思いながら執筆しました。いつまでも苦しさにとらわれず、自分を好きになって、幸せになりたいです。でも、苦しかった頃の自分がいるから今の自分がいることを忘れず、学校や社会に生きづらさを感じる子たちの力になりたいです。この体験が誰かの力になれたら幸せに思います。

池田結美(いけだゆいみ)

通信制高校3年生。女子高校生講演家として自身の不登校や拒食の体験を伝えている。

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不登校の半歩先 不登校経験者の作る居場所

大町 フリースペース たからばこ 草深 将雄

草深 将雄さんの顔写真

はじめに

不登校という言葉ができてずいぶんと時間が経ち認知されるになったと感じています。不登校とはさまざまな理由で学校のなかに居場所を持てずに、学校に行けなくなった、あるいは行かないという選択をした子どもたちの状態です。個人的に私は不登校という言葉は好きではないのですが、ここでは便宜上不登校という言葉を使います。

私自身、小学生から高校生までの期間を不登校しながら過ごしましたが、現在は演劇役者や造形作家の真似事をしながら大町市で居場所支援、『フリースペースたからばこ』の相談役を始めました。私がなぜこうして今も居場所に携わっているかと言えば、それは当時仲間の誰かが口にした「おとなは自分で仕事を選べていい。僕らにはそれさえなかった」という言葉が今も忘れられないからです。息苦しかったあの頃の自分、同じように居場所を持てずに今も苦しんでいる子どもたちに、一つでも多くの選択肢(多様性)を増やしてあげられたらいい、そう思って今この活動をしています。

いかにして学校から離れていったのか

まずは私自身の体験を少し書かせていただきます。草深が学校から離れていったのは小学4年生の頃、当時は体もあまり丈夫な方ではなかったので、すでに学校は休みがちで、積極的な男の子たちのグループには馴染めず仲間外れや無視をされていて、教室で粘土や紙で物を作っているおとなしい児童でした。クラスの中の居心地はどんどん悪くなり、ストレスから食べたものを吐いたり、微熱が出たり、体調にも影響は出ていました。それでも母に自転車の後ろに乗せてもらったりしながら少し遅く学校に行こうとする日もありました。

決定的なきっかけは、ある日学校に行くと、クラスで「友だちチェック」なるものを受けました。一人ひとりに配られた紙にクラスの自分の友だちの名前を書き、帰りにはそれの逆のもの、つまり、自分を友だちだと思っている人の名前が記されて返されました。私は担任がなぜそんなことをしたのか理解できませんが、それを境に私は学校不信に陥っていきました。当時子どもであった自分にとって学校とはその当時、社会そのものであって、そのなかで自分には居場所がないとわかったときは世界から切り離された気分でした。こうして私は学校から離れていきました。

居場所でのはなし

当時の「社会」から拒絶された私たちが求めていたものは、誰かに認めてほしいという「承認欲求」と、「学びたいという意欲」だったと思います。まずはとにかく、誰かに認めてほしかった、そこにいる理由が欲しかった、そうでなくては「社会」に押しつぶされて死んでしまう、そんなことを何度も考えました。

学びたいというのは、学校で教わる国数英の学問ではなく、生きるためにどうすればいいか、どうやったら生きていけるのかという、「生き方」です。学校という社会から離れた時に、まっとうな社会にはもう戻れないように感じていて、公務員や会社員といった、当たり前の職には就けないのではないか、二度と社会に出ることはできないのではないか、学校に戻るためには…社会に戻るためには、どうにかして何かを学ばないといけないと感じていました。同時にそれはものすごいプレッシャーでもありました。ですがそのとき、学校から離れるという選択が見えない子たちは、もっと苦しい思いをしています。

そんな時期に居場所で出会ったおとなたちは、私たちを立場や肩書をかざさず一人の「個人」として接して話を聞いてくれました。そして同じような体験をして互いに共感できる「仲間たち」と出会い、自分たちで選択して過ごすことを知りました。選択肢が上から降ろされてくる、選択肢があるということに気づきさえしなかった当時の自分には驚きでした。

選択肢があることは当たり前のことだ、と思う人もいるかもしれませんが、子どもの視点からすると、今の学校のなかにも選択肢なんてそう多くは用意されていません。つい先日出会った中学生によれば「実際に選んでいることは多いが、その選択自体に選ばないという選択肢はないのだから、選ばされている、選んでいるふりをする場所になっている」というのです。

そうして仲間たちと本当にいろいろな生き方をしているおとなたちと出会いました。そうして仲間と過ごした日々は、間違いなく今の自分を形作っているものになっています。

不登校がなぜ減らないのか

不登校をなくすことはおそらくできません。これは生き方の問題だと思います。ですが減らすことはできるはずです。そもそもなぜ学校に行かなくなるか、ということについての原因は多くの場合学校のなかに多様性がないからではないかと感じています。学校の外にはこれだけさまざまな生き方があり、複雑な生き方をしなければいけないのに、閉鎖された学校の中ではそれらを学べません。これは教員の問題ではなく、仕組みと環境の方が問題で、一人の教員がしなければならないことが多すぎて、子どもたち一人ひとりと向き合う時間が足りないのです。学校の組織だけでは子どもたちの心の成長に寄り添えていないのに、その問題に無理に対処しようとするのでは、教員も子どももパンクしてしまい、対応なんてできません。

またこれまで行なってきた対応が対処療法的な対応ばかりで実際の原因についてとられた対応ではなかったこと、これはというと、たとえば学校や行政が不登校についての問題に対応する場合、学校、医療機関が対応を考えることがほとんどだと思います。この方法では実際に一番苦しい思いをしている、そのどちらにも関わっていない当事者の子どもたちの、本当に当事者が求めているもの、根本的な原因は今のやり方では対応することはできないのです。

必要なことは、その当事者と保護者が感じていることなのですから、理想としては、学校と支援する団体がもっと直接的につながって、当事者が苦しくなる前に、休める環境を作っていくことが最良なのではないでしょうか。

経験者が作る居場所のはなし

ここからは理想の話です。実際に学校で対処できない問題なのだから、最もシンプルな方法は同じような経験をしてきた経験者やその家族が支援をしていくことがもっとも確実なことです。経験者が声をあげていくことで、今苦しんでいる当事者も一歩を踏み出しやすくなるのではないか、というものです。ところがこの方法は途方もない時間とエネルギーを必要とするので、支援者の生活が成り立たなくなると、途端に共倒れになってしまうこともあり得ます。それを避けるためにも地域の行政がそうした支援者としての経験者を援助していくことで、支援者側は安定した支援体制を、行政側は情報と経験を取り入れることで、確実な対応をとっていくことができるのではないでしょうか。

『フリースペースたからばこ』は大町市が市内法人に委託してスタートするものですが、当事者である私が研修会、講演会などで大町市と往来のあったことから、開設にあたり相談役の担当を提案され、従事することに至りました。これが長野のモデルケースとなって、同じように経験者たちが、声をあげられるようになり、当事者はもちろん、経験者たちが生きやすくなっていけばいいなぁ、と思っています。

草深将雄 29歳

10歳から15歳までを不登校で過ごし、その後県内の高校と県外の大学に進学。卒業後、野外教育インストラクターとして活動し、2017年に退職し県内で不登校支援に従事。2018年から大町市の「フリースペースたからばこ」の相談役として活動。

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 特集 2 子どもの権利条約を学び生かす

もくじ

これ以降は特集 2のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

高校生の声を市議会へ 高校生による請願活動今野 蓮

子どもの権利条約と主権者教育 子どもたちに民主主義と権利の教育を宮下与兵衛

松本市子どもの権利に関する条例の意義と課題荒牧 重人

松本市子どもの権利擁護委員の活動北川 和彦

子どもを性被害から守る条例の制定から中嶋 慎治

諏訪圏域子ども応援プラットフォーム 一場所多役の居場所を地域に宮澤 節子

子どもとつくる子どもの居場所半田 裕

特集 2のリンクは以上になります。

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小熊が会議で意見を出すために手を挙げているイラスト

特集 2 子どもの権利条約を学び生かす

高校生の声を市議会へ 高校生による請願活動

松本工業高校3年 今野 蓮

請願書提出プロジェクト

私は昨年(2017年)2月に、クラスを代表して請願をする他の4人とともに松本市議会を訪ね、2件の請願書を提出しました。そして2月定例会(本会議)で無事採択されて、当時の新聞に「松本市政史上初めての高校生による請願が可決」と報道されました。ただ請願書を提出するには、さまざまな過程をクリアする必要がありました。

この請願書提出プロジェクトが始まったのは一昨年の12月、松本市議会の議員の方が松本工業高校で行なった現代社会の出前授業からでした。その際に「高校生からできる政治参加」ということで、請願権や請願・陳情の手続きについて学ぶ機会がありました(請願権は憲法16条に保障されているもので、選挙権と違い年齢・住所に関係なく誰でも行使することができる)。授業が終わった後、担当の先生から「出前授業の際に出た質問・意見を元に請願書を出してみないか」という提案があり、高校生なりの市への要望を、そのとき意見を出した私たち5人がクラスを代表して、先生にも加わってもらって、請願書の作成に取りかかりました。

請願の内容は、

1 朝の通勤・通学ラッシュの解消や、高校生の通学費の補助など、ふだん通学に利用している公共交通の充実を求めるもの、と

2 自転車専用レーンへの駐車違反取り締まりや、中央商店街に高校生が気軽に停めることができる無料駐輪場を作ってほしいなど、自転車利用者に優しい街作りを求めるもの、の2つです。

最初は、請願したいことをまとめていき、請願書に載せる文章を書いてみました。文章を書いてみるとわかりますが、請願書に載せる文章にも本会議で採択してもらうためのコツがあります。それは請願したいことについてより詳しく調べて、具体的な物事、数字などを入れ、それらをよりわかりやすい言葉でまとめることです。中でも言葉選びなどにはとても苦労しました。ようやくでき上がった請願書には陳情書とは違って、紹介議員2名以上の署名が必要ということで報告を兼ねて、署名をいただきに市役所に出向きました。

議員の方からいろいろなお話を聞きつつ、署名をいただき、議会事務局に請願書を提出しました。私たちはこの時知りましたが、松本市で高校生による請願は初めてだったということもあり、たくさんのメディアの方がきており、とてもすごいことをしているのだと感じることができました。

高校生五人が請願書を提出している写真

請願書提出(2017.2.21松本市議会事務局)

請願書の写真

請願書

請願事項

請願の趣旨や理由説明は省略します

1 高校生や高齢者など交通弱者に配慮した、公共交通の充実に努めて下さい。また具体的な交通政策として、次の3点を行って下さい。

①アルピコ交通上高地線の朝の通勤、通学ラッシュを解消する政策を検討して下さい。

②同線を利用している高校生が運賃の補助を受けることができる制度を新設して下さい。

③JR村井駅の駅舎改築、バリアフリー化に際し、階段やホームでの利用者の安全を確保した改修が行われるよう、市としてJRに働きかけて下さい。

2 自転車利用者に優しい街づくりをして下さい。

①自転車利用者の安全を確保するため、自転車専用レーン上を安全に走行できるような対策をお願いします。

②松本城付近や市の中心市街地商店街に無料駐輪場を増やして下さい。

請願書は、提出して終わりではなく、所管委員会(この時は建設環境委員会)で趣旨説明をすることもでき、ここでさらに詳しく議員の方々にこの請願の趣旨を説明する機会があります。これにはぜひ参加してしっかりと趣旨を説明し、委員会審査されるところを見ようということで、春休み中にリハーサルを行なって本番に挑みました。委員会では、議員の方達からたくさんの質問がきて、想定外のことで少し焦りましたが、自分の言いたいことは伝えることができました。議員の方からは、「松工生だけの問題ではなく、地域の大勢の人たちにとっても公益性のある要望だ。」というとてもいい意見をもらい、無事2件とも全会一致で採択されました。

委員会で説明をして質疑応答などにも回答している写真

建設環境委員会での趣旨説明(2017.3.10松本市議会)

採択された瞬間にすごい達成感を感じることができました。ですが請願書は、提出して採択されて終わりではありません。次年度、松本市がこの請願に対してどのように予算をつけ、どんな政策を出してくれるのか、最後の最後まで見守っていく必要があると思います(今のところ2番目の②中心市街地商店街の無料駐車場については、場所の選定段階に入っているとのことです。また1番目の②高校生の通学補助についても、何らかの形で2019年度内での実施を検討しているとのことです)。

説明を終えて安心している様子の写真

趣旨説明を終えて、ホッとひといき

おわりに

高校生の政治参加。それは今までは選挙権がない自分たちには遠い存在だったのかもしれません。それは今回高校生初の請願書を出すということで、メディアの方々が珍しいから取材に来るというところを見ても、とてもよく感じることができました。ただ18歳選挙権になった今、それ以下の歳の人にも政治に関心を持ってもらわなければいけない。それは難しいことではあるけど、この請願を通してより政治に関心を持つことができたし、請願書提出は、選挙権のない人たちに政治に関心を持ってもらうためのとてもいい方法だと私は思います。ですが、生徒だけで請願書を提出するのは難しいのもわかりました。今回、自分たちも“行動力”のある先生の一言がなければ、何ごともなく現代社会の勉強を終えていたことでしょう。ぜひ学校の先生方も一緒になって高校生の政治参加について考えてみてください。

「高校生の請願が当たり前」になった時、今回の請願がうまくいったという捉え方もあると思います。

これらが今回、高校生初の請願書を提出してみて感じたことです。最後に、今回とても貴重な経験をさせていただいた、現代社会の先生及び松本市議会の議員の方々、本当にありがとうございました。

この請願書提出がきっかけになって、たくさんの高校生が政治参加してくれることを期待しています。

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子どもの権利条約と主権者教育 子どもたちに民主主義と権利の教育を

首都大学東京・特任教授 宮下 与兵衛

はじめに―管理主義教育の進行―

朝日新聞は昨年、東京の都立高校の約6割(98校)が生まれつきの髪かを見分けるために保護者のサインと押印つきの「地毛証明書」を提出させていることを報道しました。大阪の府立高校でも6割の高校が地毛証明書を提出させて頭髪検査をしており、一人の女子生徒が生まれつきの頭髪を黒く染めるように4日に一度のペースで指導されて髪も頭皮もボロボロになり、そして不登校となっていると裁判に訴えました。

この報道のあとで、大学の授業で都立高校出身の学生にどのように頭髪検査をしているのか聞いたところ、ある学生は「地毛証明書と違う色の生徒は職員室に連れていかれ、用意してある黒のスプレーを髪に吹きつけられ、家で黒く染めてくるよう指示されていた」と発言してくれました。

厳しい頭髪指導が全国の高校で急増しており、そうした管理主義は頭髪指導ばかりでなく生徒指導全般に及んでいます。戦後最もおとなしく素直ともいえる現在の高校生になぜ管理が強化されているのでしょうか。背景には、義家文科副大臣が奨励した「ゼロ・トレランス」(「寛容度ゼロ」という米国式生徒指導)と「スタンダード」(教師と生徒への生活統制)があります。

海外のメディアは「日本の学校は多様性を認めないのか」と驚いています。なぜ、日本の高校生や保護者はこんな人権侵害ともいえる「指導」に対して抗議しないのでしょか。

「子どもの権利」を知らない日本の子どもたち

イギリスで保育士をしながら、イギリスの女性や若者、労働者のたたかいをレポートし続けているブレイディみかこさんは『THIS IS JAPAN 英国保育士が見た日本』で、生活保護受給を恥ずかしいと考え、また周りからバッシングされるという日本人の人権意識の低さの背景には政治や社会とともに教育があると述べています。

この指摘のように日本の教育では権利について学ぶことがほとんどありません。学校で「子どもの権利条約」を学びませんから、子どもに「自由に自己の見解を表明する権利」があり、それが「正当に重視される」こと、「思想・良心・宗教の自由」の権利があること、「表現の自由」の権利があること、「結社したり、平和的な集会をする自由」の権利を持っていることを知りません。なぜ、これらの権利を教えないのでしょうか。生徒に上記のような厳しい生徒指導をしている学校では、これらの権利を子どもたちに認めていないからです。

国連子どもの権利委員会は、日本では、子どもに関することを決める時に、「学校その他の施設において、方針を決定するための会議、委員会その他の会合に、子どもが継続的かつ全面的に参加すること」を保障し、その意見を聞いて決めていないとして、「確保すること」と勧告をしてきています。「子どもに関すること」とは、学校では校則や教育課程や施設・設備などすべてです。また、行政では子どもの使用する遊園地や公園やプールなどの建設です。

世界の子どもたちは

「日本では保障していない」との指摘は、世界的には「保障している」ということです。過去の『長野の子ども白書』にも書いてきましたが、世界では子どもの代表(中学1年生から、ドイツでは小学5年生から)が保護者代表とともに正規委員として参加して、学校運営のすべてを決定しています。「結社の自由」では、ヨーロッパ各国には高校生の全国組織(フランスには高校生全国同盟などの3つの団体がある)があり、ヨーロッパ生徒連合組織(22か国の高校生組織が加盟)に加盟し、文部大臣への要求交渉などの活動をしています。これが「結社の自由」です。

民主主義の国々では何よりも民主主義の大切さを教え、学校や社会の主権者に育てることを教育の中心にしています。ですから、主権者としてのデモや集会参加の権利を中学から教えます。そうした教育で、たとえばフランスでは、2005年に政府の高校改革(バカロレア改革)反対に教師とともに高校生が立ち上がり、毎回のデモに10万人から20万人の高校生が参加して、政府は改革案を撤回しました。2010年には年金改革案に反対して、全国4,102校の高校のうち1,100校が参加し、うち700校ほどが学校休校になり、デモに参加しました。2016年には政府の労働法改悪反対運動が全国で3か月続きましたが、176校の高校が休校になり、全国高校生団体と全国大学生団体が首相と懇談し、首相は就職活動中の若者のための援助を法案に盛り込むことを約束しました。(中島さおり『哲学する子どもたち―バカロレアの国フランスの教育事情』)

EU各国は1997年からプロジェクト「民主主義的シティズンシップ(市民に育てる)教育と人権教育」を推進してきましたが、ドイツでは、若者の間の政治的関心の低下と排外主義的な極右思想の広がりに対して、2001年に連邦各州教育計画・研究助成委員会(BLK)による意見書「民主主義を学び生きる」が出され、2005年にドイツ民主主義教育学会が結成され、2009年には常設各州文部大臣会議が「民主主義教育の強化」決議をして、ドイツ全州で政治教育を発展させたシティズンシップ教育としての民主主義教育が取り組まれています。BLKの民主主義教育の「マニフェスト」では、①民主主義は学校教育・青少年育成の中心課題、②民主主義を「生活形態としての民主主義」「社会形態としての民主主義」「統治(政治)形態としての民主主義」として学ぶ、③学校を「民主主義を学ぶ場」であるとともに「民主主義を生きる場」とするとしています。

学校運営への生徒参加は、この「民主主義を学ぶ場」「民主主義を生きる場」として取り組まれています。(柳澤良明「ドイツにおける民主主義教育の展開と生徒参加の拡大」)

長野県内の高校生の取り組み

日本の20代の若者の選挙での投票率は30%台しかなくて、世界の若者の中で最低レベルであり、主権者意識の低さが指摘されています。その原因は主権者としての権利教育や民主主義教育が弱いからと言えます。

「日本の社会が変わらないと、教育しても、権利意識や民主主義意識は向上しない」という人もいます。しかし、こうした意見を見事に覆すような、高校生たちの活動が、2017年9月に松本大学を会場に開催された「開かれた学校づくり」全国交流集会で報告されました。

生徒・保護者・教職員の「三者協議会」で学校づくりをしてきた辰野高校・岡谷東高校・箕輪進修高校の生徒からは校則や授業の改善の取り組みが報告されました。また松本深志高校・松本工業高校(両校の取りくみは本誌に掲載)・明科高校・飯田OIDE長姫高校・長野吉田高校戸隠分校の生徒からは地域づくりに参加してきた取りくみが報告されました。さらに、下伊那の高校生たちの選挙への参加運動の取り組みが報告されました。

いずれも、高校生が学校や地域の主権者として参加し、おとなと共同してより良い学校づくり・地域づくり・政治参加をすすめてきた取り組みでした。学校運営や地域づくり、そして政治に参加する権利を保障したところでは、子どもたちは素晴らしい活動をし、主権者・市民に育っていることを参加したおとなたちは実感しました。

<参考図書>

宮下与兵衛著『高校生の参加と共同による主権者教育』(かもがわ出版)

宮下与兵衛 首都大学東京・特任教授、辰野高校で学校運営への生徒・保護者参加の「三者協議会」を実践。編著『地域を変える高校生たち』『子ども・学生の貧困と学ぶ権利の保障』『高校生からの「憲法改正問題」入門』など 連絡先:yohee28☆yahoo.co.jp

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松本市子どもの権利に関する条例の意義と課題

山梨学院大学教授 荒牧 重人

荒牧 重人さんの顔写真

松本市子どもの権利に関する条例の意義

条例は、2013年4月1日に施行された、長野県で最初の子どもの権利保障を基本においた総合条例です。

この条例の意義や特徴は以下のような点です(「松本市子どもの権利検討委員会最終報告書」2012年11月27日等を参照)。

(1)子どもの権利を尊重し、子ども支援、「すべての子どもにやさしいまち」づくりを推進するために必要な、理念とその普及、市の責務やおとなの役割と支援、子ども参加の促進や相談・救済の仕組みや居場所づくり、子ども施策の推進と検証などについて定めた総合条例です。

(2)松本市が目指す「すべての子どもにやさしいまち」づくりの考え方や内容を明示しています。条例の前文では、「すべての子どもにやさしいまち」づくりを目指して、6つの基本目標①どの子もいのちと健康が守られ、社会の一員として成長できるまち、②どの子も愛され、大切に育まれ、認められ、安心して生きることができるまち、③どの子も松本の豊かな美しい自然と文化のなかで、のびのびと育つまち、④どの子も地域のつながりのなかで、遊び、学び、活動することができるまち、⑤どの子も自由に学び、そのための情報が得られ、支援が受けられ、自分の考えや意見を表現でき尊重されるまち、⑥どの子もいろいろなことに挑戦し、例え失敗しても再挑戦できるまち を掲げ、子どもにやさしいまちづくりに向けた総合的・重層的・継続的な施策の方向性を示しています。

(3)どの子どもも生まれながらに尊厳や権利を持つ主体として尊重され、それぞれの育ちが支援されるために必要な考え方と保障のあり方を提示しています(4条等)。

(4)子ども観や子ども支援の基礎にある子どもの権利について、その普及や学習の促進、情報の提供などを重視しています(5条、6条、12条等)。

(5)松本の豊かな自然のなかで子どもが安全に安心して育っていくことを規定しています(前文、14条等)。

(6)子ども支援とともに、親・保護者や子ども施設の職員など子どもの育ちにかかわるおとなも支援することが不可欠であることを強調し、支援のあり方を提示しています(3章等)。

(7)子どもの意見表明・参加の意義や重要性を強調し、それらを促進するための施策等を規定しています(11条等)。

(8)子どものSOSを受けとめ、効果的な救済・回復を図るために、子どもの権利擁護委員という第三者機関の設置など子ども固有の相談・救済制度を構築しています(5章)。

(9)子ども施策の総合的かつ継続的な推進のために、関係部署・機関等が子どもの状況を把握・共有すること、行動計画を策定すること、行政体制を整備すること、そして検証のための委員会をつくることなどを規定しています(6章)。

(10)子ども支援、「すべての子どもにやさしいまち」づくりを推進するために、市、関係機関、市民が連携・協働することが不可欠であることを明示しています(3条等)。

松本市子どもの権利条例の実施状況と課題

条例の実施状況について、ユニセフが提唱する「子どもにやさしいまち」の鍵となる要素に即して検討してみましょう(「検証 松本市子どもにやさしいまちづくり推進計画(中間報告)」2017年9月等を参照)。

(1)子どもの権利を促進する法的な枠組みについては、まさに子どもの権利条例を制定しています。

(2)子どもの意見の尊重と子どもの参加については、条例においてこれらを権利として規定し、子どもの社会参加を促進する制度として「まつもと子ども未来委員会」の設置、「子どもの権利フォーラム」の実施、さらに「あがたの森児童センター」の設置における子どもの意見表明・参加、児童館・センターにおける「子ども企画事業」「子ども運営委員会」の設置などを通じて取り組みが推進されています。また、条例においては、子ども自身がアクセスできることを含め情報が重視されています(「情報提供マニュアル」の作成も予定)。松本市の子どもの意識調査でも、保護者や教職員から意見を聴いてもらっていると回答する子どもが70%を越えていますが、とくに学校での子どもの意見表明・参加の仕組みづくりとその運用はなお課題です。

(3)子どもの権利のための包括的な政策・行動計画については、条例に基づいて推進計画が策定され(「松本市子どもにやさしいまちづくり推進計画」2015年から2019年を参照)、実施されています。推進計画では、7つの施策の方向、16の推進施策、95の主な取組みを策定しています。また、松本市における子ども関係の計画(「松本市子どもの未来応援指針」2017年4月等)でも条例の趣旨や規定が位置づけられています。そして、条例や推進計画が効果的に実施されているかを検証する仕組みとして「子どもにやさしいまちづくり委員会」が設置されています(現在は第3期)。

(4)子どもの権利のための行政体制・調整の仕組みについては、すでに「こども部」に改編され総合的な子ども施策の進展にむけた取り組みがなされていましたが、条例に基づき「子どもにやさしいまちの推進庁内調整連絡会議」が設置され、連絡・調整が図られています。

(5)子どものための特別予算については、なお課題は多く、子どもの育ち・子育てにふさわしい予算かどうかを「見える化」し、検証できるようにすることが求められています。

(6)子どもの置かれた状況の収集・分析については、条例制定過程からその重要性が指摘されており、プライバシー保護に配慮しながらも、子どもに関わる情報の共有が行政内でも、関係機関・市民間でも必要になっています。条例および推進計画の実施は、行政や議会だけですすめられるものではなく、市と関係機関や子どもを含む市民・市民グループ・NPO等との連携・協働が必要ですので、そのためにも必要不可欠です。

(7)子ども影響評価については、ある程度実施されているともいえますが、視点や「指標」を策定するのはこれからです。

(8)子どものための独立した権利救済・擁護活動については、条例で根拠づけられており、子どもへの愛称募集で決まった「こころの鈴」が設置され、擁護委員3人・相談員4人(室長を含む)体制で取り組まれています。

(9)子どもの権利の周知については、乳幼児期から切れ目のない、体系的な取り組みが必要です。「ブックスタート事業」のなかで位置づけるとともに(現在「絵本」の作成準備中)、子どもの権利紙芝居「みんなだいじ」や小学生から3種類の広報パンフレット(「あかるいみらい」)が作成され運用されています。また、「松本子どもの権利の日」事業等も取り組まれています。ただ、条例の認知度が低いため、それを改善するための総合的な戦略が必要です。

(10)日本における子どもにやさしいまちに不可欠な子どもの居場所づくりについては、条例でも位置づけられ(13条等)、その趣旨を活かした民設で行政が支援する「子どもの支援・相談スペースはぐルッポ」が運営され、居場所づくりの「モデル」を示しています。

子どもの権利条例に基づく子ども施策の展開はチャレンジ

松本市のように、子どもの権利条例を制定し、子ども施策を展開しようとする自治体はまだ少数です。大きな流れにしていくための課題としては、①子育て支援中心の施策が多いなかで、子ども自身の育ちに関わる子ども支援の施策も併行していっそう充実させること、②行政でも家庭・学校・地域社会でもなかなか理解が広がらない子どもの権利という視点や手法(とくに権利としての子どもの意見表明・参加)に基づいて推進すること、③子どものSOSを受けとめ「子どもの最善の利益」の観点から解決していくための公的第三者機関の設置など新しい仕組みを採用していることについて理解をすすめ、その利点を活かすこと、④施策の実施状況について、PDCAによる行政の事業評価を越えて、第三者的委員会(専門家+関係者+市民・NPO)によって行政や市民とともに検証するという仕組みをとっていることについて理解をすすめ、その利点を活かすこと、などです。

その意味で、子どもの権利を尊重する条例の制定と実施が他の自治体でも取り組まれることも意識して、条例や推進計画があることによって、「子どもや市民にとってこれだけ『良い』ことがある」、「子ども施策も効果的に推進できる」というような条例や推進計画に基づく施策・事業の効果・成果を具体的に確認・アピールし、市民とも共有していくことが必要でしょう。そして、それらのことを他の自治体にも知らせていくことは、他の自治体と連携して子ども施策を推進するためにも求められます。

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松本市子どもの権利擁護委員の活動

松本市子どもの権利擁護委員 北川 和彦

北川 和彦さんの顔写真

はじめに

昨年に引き続き、松本市子どもの権利擁護委員の活動を報告します。

子どもの権利擁護委員は、4月から1名増員され3名態勢になりました。校長経験者に入っていただいたため、学校の問題についてのケース検討や調整がしやすくなりました。

相談の実際

延べ395件の相談があり、ここ2年は370件前後でしたので、増えてきています。

カードの配布、子どもの権利通信の発行、子どもの権利の勉強会開催、学校の校内放送で話をするなどの広報活動の成果もあり、また活動が知られてきたことも原因のようです。

ただし昨年9月に発表された検証松本市子どもにやさしいまちづくり推進計画の中間報告では、こころの鈴の認知度は15.7%でした。チャイルドライン並に70%は超えなければならないと思います。

相談者一人の件数は135件で(昨年度157件)減っており、一人から何回も相談を受けることが多くなっています。

相談者は子ども35%、おとな64%でした。

相談方法は、電話72%面接22%メール7%で、メールが減り面接が増えています。身のある相談を希望する人が増えているようです。

相談内容では、教職員の対応と学校の対応が合計33%でした。1昨年10%、前年度16%ですので、今年度は大幅に増えたことが特徴です。

「教員の厳しい指導に子どもが緊張している」、「理不尽なルールを作りペナルティを課す」、「発達に課題があり交友関係が不安定なのに先生に配慮がない」などです。この問題は保護者の過剰な反応と思われがちですが、教員の側に問題のある相談が増えました。

関係調整

調整活動は18件で調整回数は96回でした。1昨年は20件で48回、昨年は22件で63回ですので、一つの案件についての調整活動が増えています。

1案件について10回以上の調整をしたものが4件、最多では27回調整しました。

クラスで他の子どもから暴力をふるわれるが担任が対応してくれないという相談で学校側と調整したケース、先生の指導の度が過ぎる等の苦情があり学校と話し合った結果、クラスに落ち着きが出てきたケースなどの他、発達に問題のある子どもの相談では子ども福祉課やアルプキッズにもはいっていただき調整をしてきました。

スポーツ協会への意見表明

昨年3月、スポーツ協会が主催する大会の運営について、子どもの気持ちに配慮し透明性をもって実施するよう意見書を協会に提出しました。

海外遠征で他のクラブの指導方法を学んだ選手が、所属クラブの指導者にその方法で練習したいと言ったところ、今後は指導できないと言われ、やむなくそのクラブを辞め他のクラブに入ったところ、引き抜き行為とされ、協会主催の大会への出場を拒否されたばかりか、その選手と引き抜いたとされるクラブ所属の子ども等が1年間協会主催の大会への出場を停止された件がありました。

出場停止の処分自体は日本スポーツ仲裁機構の斡旋で取り下げられたのですが、他にも大会運営が不透明で特に子どもの気持ちに配慮されていないなどの点があるため、意見を表明したものです。

最近スポーツ選手に対する指導を巡るトラブルがマスコミを騒がせていますが、スポーツ団体の運営には第三者の目を入れていかないと、スポーツにより成長発達する子どもの権利を奪いかねません。

この活動は県内初の措置として新聞に報道されました。

課題

調整活動には関係機関との連携が不可欠です。これまでも懇談を重ねてきましたが、今後はネットワーク化を進めていきたいと思います。

厚生労働省は現在、子どもの権利擁護のための第三者機関を都道府県等に設置する構想を表明しており、この制度の必要性、有用性は明らかです。長野県内には県と松本市にしかありませんが、他の基礎自治体にも設置していただき、ネットワークを作り、少しでも多くの子どもたちから相談を受け、救済していきたいと思います。

北川和彦 弁護士

〒392-0027 諏訪市湖岸通り5丁目21番5号

電話0266-53-5411 FAX0266-53-5412

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子どもを性被害から守る条例の制定から

弁護士 中嶋 慎治

中嶋 慎治さんの顔写真

条例の制定

平成28年7月1日、県議会において、「長野県子どもを性被害から守るための条例」が可決・成立し、同年7月7日、公布・施行されました(但し、規制項目の規定は同年11月1日施行)。

長野県では、これまで住民運動や事業者の自主規制など、県民運動として地域ぐるみの青少年健全育成に取り組んできた伝統があります。全国で唯一、いわゆる淫行処罰規定を盛り込んだ青少年健全育成条例を持たない都道府県でありました。

しかし、昨今のインターネットや携帯電話の発展、普及など社会環境が大きく変化する中で、子どもの性被害が増加し、看過できない状況になっていることから、条例によって子どもを性被害から守るための新たな仕組みが作られました。

制定の経緯

条例制定の議論の契機となったのは、平成24年3月から4月にかけて、東御市の学校教諭2名が東御市青少年健全育成条例(淫行処罰規定)違反の疑いで相次いで逮捕されるという事件が発生したことでした。

これにより、県内全域で子どもを性犯罪から守る必要性が強く訴えられるようになり、平成25年3月、県は、子どもを性被害等から守る専門委員会を設置し、条例制定の是非について検討を始めました。

平成26年3月、同専門委員会から条例を必要とする報告書が提出されました。その内容は、処罰規定を含む法的対応の観点だけでなく、性教育及び情報教育の充実を掲げる予防の観点、被害者の支援の観点についても具体的な方策を検討したものでした。

同年8月、県青少年育成県民会議からも、県民運動を見直すとともに条例との両輪の上に県民の自主的な対応や行政的な対応を検討する必要があるという内容の報告書が提出されました。

そして、県は平成27年2月、子どもを性被害から守るための条例のモデル検討会を設置し、同年9月、同検討会から条例のモデル報告書が提出されました。同報告書では、条例の目的及び基本的考え方、具体的項目並びに定義からなる条例モデルと、規制項目についての座長整理案が示されました。

そして、県は、同年10月以降、県民や県民運動を担ってきた団体との意見交換を多数回実施した上で、平成28年2月に条例に関する基本的方針と条例骨子案を公表し、同年7月の条例制定に至りました。

条例の内容

本条例の目的は、子どもを性被害から守るための取り組みに関して、県の責務等を明らかにし、性被害の予防、性被害を受けた子どもの支援等に関する基本的施策と必要な規制を定めることにより、子どもを性被害から守るための取り組みを総合的に推進し、もって子どもの尊厳を保持し、健やかな成長を支援することとされています(1条)。

他県のいわゆる青少年健全育成条例が、有害環境の排除とわいせつな行為等の禁止の行為規制が中心であるのに対し、本条例は、目的を子どもの性被害の防止に特化し、有害環境の排除は内容とせず、性被害の予防や被害者支援を盛り込み、また禁止行為を限定的に規定していることに特徴があるといえます。

総合的な取り組みを推進するという観点から、県、保護者、学校等、事業者及び県民の各責務(5から9条)を規定しています。

また、基本的施策として、①予防の観点から、a.人権教育、性教育の充実(10条)、b.インターネットの適正な利用の推進(11条)、c.相談体制の充実等(12条)、d.県民運動の推進(13条)を定めるとともに、②被害者支援(14条)、③啓発活動(15条)を規定しています。

また、規制項目として、大人の責任についての基本的な考え方を示し(16条)、威迫等による性行為等の禁止(17条)、深夜外出の制限(18条)を定め、これらの一部について罰則を設けています(19条)。

条例の意義、今後の課題

県内の子どもの性被害を防止するため、県が、本条例によって、総合的・恒常的な取り組みを宣言した意義は大きいと考えます。性被害という結果の深刻さと現代の子どもを巡る社会環境からすれば、性被害防止の対策は急務であり、県が、条例を根拠として、早急に実効的な施策をとることが求められます。

被害者支援については、性暴力被害者支援センター「りんどうハートながの」が設置されました。同センターは、チーフコーディネーター、電話相談員及び現地支援員を配置し、産婦人科医療を実施する病院として県内4地域の4病院と提携しているとされています。同センターが性被害に遭った子どもの支援・救済という観点でどこまで機能しているのかをしっかり検証し、よりよいものに改善されていくことが期待されます。

また、性教育、情報教育の充実の必要性は、条例制定の経過において各方面から指摘されてきたところです。各資料から、インターネットを通じて被害に遭う子どもの多くが、無防備で、流されやすく、自尊感情の低い傾向にあることが窺われます。子どもの主体性を尊重し、子ども自身に力を付けるための教育が重要です。

他方、規制項目、特に罰則の規定については、制定過程の当初から、弁護士会、マスコミ等から懸念を表明されていました。処罰の対象となる行為と真摯な恋愛との境目が曖昧であり、子どもの自由が過度に制約されるおそれがあることなどが理由です。平成29年 5月には本条例の処罰規定の初適用となる深夜外出の事件で、被疑者とされた23歳の青年が摘発後自殺しました。当事者、特に若者にとって、罰則の影響はとても大きいものです。処罰規定の運用の実態についても、形だけでなく中身のある検証がなされなくてはいけないと思います。

本条例の制定過程で、子どもに関わる多くの専門家、関係者、県民が、子どもの性被害をなくすためにはどうしたらよいかを真剣に議論し、意見が出されてきました。条例が制定された今、その議論の中身が施策としてきちんと実行されるかが問われています。そして、その効果を丁寧に検証し、更に必要な施策を実施していく、絶え間ない地道な取り組みが必要であると感じます。

長野県性暴力被害者支援センター

りんどうハートながの

相談専用電話026-235-7123(24時間ホットライン)

メールアドレスrindou-heart☆pref.nagano.lg.jp

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諏訪圏域子ども応援プラットフォーム 一場所多役の居場所を地域に

諏訪圏域子ども応援プラットフォーム事務局NPO法人 すわ子ども文化ステーション

宮澤 節子

はじまりは…

諏訪圏域子ども応援プラットフォームの運営委員のメンバーとして関わることになったのは、2017年。「長野県みらい基金」の理事長から声をかけられ、昨年度の諏訪地域の行政を含む子どもに関わる関係者が集まる準備会でした。それぞれの持つ力を出し合い地域に「子どもの居場所づくりを推進する」との趣旨です。当団体が6月に県の事業への受託へ手続きを経て、今日に至っています。

子ども応援プラットフォーム事業の目的

子どもが困難を乗り越えて自立する力を育むため、地域が一体となって家庭機能を補完する一場所多役の子どもの居場所「信州こどもカフェ」を普及拡大するため、県、市町村、NPO、関係機関、支援団体、民間企業及びボランティア等の多様な主体による諏訪地域プラットフォームを運営し、適切な役割分担と協働のもとで地域の実情に応じた「信州こどもカフェ」を設置するための体制を整備・支援することを目的とします。

事業参加のメリット

総会に向けて多くの方の参加を呼びかけるのには、事業の目的を理解し参加の意義が問われます。そこで参加を得るために、運営委員会代表がこんな呼び掛けを提案しました。

「参加することのメリット」

1 諏訪圏域で類似の活動をしている個人・団体を知り、交流することによりノウハウを共有し、それぞれの活動をさらに深いものにできる。

2 近隣で活動しているさまざまな個人・団体を知り、連携することにより、お互いの足らざるを補い、それぞれの活動をより充実したものにできる。

3 あらたな活動を考えている個人・団体にとってはさまざまな個人・団体の多様な活動を知ることによりノウハウを教わったり、ヒントを得やすくなる。

4 プラットフォームが地域振興局から事業委託しており、諏訪圏域の市町村も参加することから、行政と連携した事業展開がしやすくなる。

設立総会当日、総会終了後「テーマ別ワークショップ」を行ないました。それぞれの団体の現状、課題、悩み等を「食事提供」「学習・遊び」「相談機能」「居場所づくり」「情報収集提供」の分野で行ないました。

ワークショップ「今、課題は何?」(8月22日)

「食事提供」課題

・メニューについて、食材集め、対象、運営について

・子どもの現状把握、本当に必要な子どもに手が届いているのか?具体的に何をしたらよいのか

「学習・遊び」課題

・学びの場とは何か

・貧困による学力格差、不登校、経済力の格差

・子どものやる気。参加しやすいシステムとは

・学習支援の人材確保・資金確保

「遊び」課題

・遊びの大切さを発信する必要性

・さまざまな体験ができる場所づくり

・遊びの専門家(プレーワーカー)の育成

・子どもの遊び場が減っていることにおとなが気付いていない

「相談」課題

・身近に相談する人がいない

・相談先がわからない

・情報を受・発信する場所がない

「居場所」課題

・運営費を作るのが大変

・専門性を持ったスタッフ確保が大変

・常駐のおとながいない

・管理運営面(資金・人材確保)が難しい

テーマ別ワークショップ(12月7日)

前回の分野別の課題を掘り下げて、何が必要かをテーマごとに話し合いました。

「居場所」子どももおとなも人とつながれる場所がほしい。理想はCHUKOらんどチノチノ。茅野だけでなく各市町村にあり、自由に行き来できるのが理想。居場所には、常駐のおとなが必要。そのためには行政の支援が必要。子どもの主体性を尊重、おとなが関わる。

「相談」何かあった時に聴いてくれる環境が大事。専門家に相談できる体制が必要(圏域のネットワーク構築)。信頼できる人間関係が重要。場所も重要。

「情報」プラットフォーム内で繋がり、情報共有が重要。ネットの活用、助成金の取り方、資料作成等の講座を設け、課題解決を図る。イベント情報発信、プラットフォームの構築、強化。

「学習・遊び」学習支援と遊びは別ものと考えがちだが、遊びのなかからも学ぶことが多く、別に考える必要はない。プレーパークはまさに遊び・学びの実践の場。

「食事」食事提供だけでなく、その場所でみんなが交流できることが大事。こども食堂にスタッフとして参加してもらえればより多目的な場所になる。自らフードドライブを行ない、食材の確保に努力する。こども食堂のマップを作成し情報発信をしていく。

地域別交流会:みんなで子どもたちにとっての地域の課題を考えよう!(1月26日)

・子どもたちが気軽に立ち寄れる場所がほしい

・子どもたちのニーズがわからない

・現在こども食堂を行なっているスタッフの高齢化

・多くの世代がつながることで、次につながる

・安心して自由に参加できる居場所が必要

・障がい者、困窮者などは保護者同士のつながりが薄く、相談、情報交換ができる状況がない

・貧困対策のイメージがついてしまうとその子どもは来にくくなる

・高齢者、障がい者、子どもの一つの場所が理想なので、行政、市民で良い方法を模索していく

全体会&講演会(3月25日)

「八百屋が始めた こども食堂」誕生秘話

講師 近藤博子氏(だんだん)

「温かいご飯と具だくさんの味噌汁をみんなで食べる場所を地域に作ろう!」と東京の大田区で2012年に「こども食堂」をオープン。さまざまな課題を抱えた子ども・親と、地域の人々が一緒にご飯を食べる「子どもが一人でも大丈夫な食堂」を開設。多世代の人が集まり、寺子屋を始め、毎日さまざまな講座が行なわれているとの話をしていただきました。「何より、子どもたちが変わっていくのが見えます」と…。

一人で頑張らないで、力を出し合える地域の一場所多役の居場所「だんだん」が、地域になくてはならない存在になり今に至っている、その背景を改めて感じました。

振り返って、今…これから…

「地域で過ごす子どもたちの姿が見えない!」そんな状況が身近な地域で生まれています。当団体の事業、チャイルドラインは、全国の18歳までの子どもの声を電話で聴いています。長野県4か所で受けている子どもの声の件数は、年間1万件を超えています。最近の傾向の特徴としては、自分自身の悩みが多く、友人関係、家庭、進路等、内容はさまざまです。こうしたなかで気になるのは、子どもたちが孤立し、その状況が不登校や、いじめ、しいては自殺という結果を生みだしていることです。

また、家庭においてはひとりおや家庭も増加し、経済格差が子どもたちの環境悪化に拍車をかけています。こうした問題について、決してこの諏訪圏域は「だいじょうぶ!」ではありません。

何より「貧困は見えづらいもの」。貧困ばかりではなく、目には見えない困難を、子ども自身が自ら口に出して「困っている」「たすけて!」と言えないのが現状です。

こうした状況のなか、地域子どもプラットホーム事業、食事・学習・居場所を目指す「一場所多役の居場所」では、子どもとおとなが深く関わり、多様な状況の子どもたちに対してのおとなの「子ども観」が大きく変わってきています。

各地で「こども食堂」の動きが活発化しています。それに伴い、子どもの主体性、子どもの意志を尊重し、「子どもにとっての居場所とは」、を課題として進めていくことが求められています。

そのために今後、地域子ども応援プラットフォーム事業においても「子どもの権利」の視点での学習、子どもとの対話の機会が必要ではないでしょうか。

子どもを置き去りにしない「子どもの居場所」を…。

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子どもとつくるみんなの居場所 子どもの権利からみんなの権利へ

特定非営利活動法人 ちゃいるどふっど 代表理事 半田 裕

子どもの権利条約フォーラム

2017年12月2日・3日に「信じよう子どもの力とおとなの心」をテーマに、「子どもの権利条約フォーラム2017in信州」が茅野市にて開催されました。フォーラムには全国から子どもの権利を守るために実践をしているおとなや、まちづくりに参加している子ども会議の子どもたち、子どもの権利ってなんだろう?という方など600人近くの方が集まり、子どもの権利について考える機会となりました。

このフォーラムは1年以上前から実行員会形式で準備をしてきました。実行委員にはおとなだけではなく、高校生を中心に20名ほどの子どもたちが集まり、事前学習として何を学びたいか、フォーラムで参加者の方たちに何を伝えたいかなど、子どもたちも一緒になり企画をしてきました。実行委員として参加した子どもたちにとって、準備から当日までの子どもの権利についての学びはもちろんですが、フォーラム終了後にはそれぞれの活動にもつながったようです。

子どもだけではなく…

そんなフォーラムの実行委員をやってくれていたメンバーの中に、原村で「中高生が原村をもっといい村にするために自分たちでできることをやっていこう」と集まった「ハラカツ!」という団体で活動をしているメンバーがいました。ハラカツ!は毎週金曜日に村の中央公民館に集まり会議をしています。子どもの権利条約フォーラムが開催されるまでのハラカツ!の活動内容の中心は中高生の居場所づくりや地域活性化のイベントの企画でしたが、会議のなかで「子どもたちの居場所も大事だけれど、子どももおとなも関係なく、地域の子どもたちからおじいちゃんおばあちゃんも来られる居場所があったら」との意見が出るようになりました。こういった考えのきっかけの一つとなったのは原村で毎年開催されている冬季スポーツ祭での出来事でした。2月に実施されたこのイベントのなかで、あるおじいちゃんが「お正月ぶりに人と話しをした」と言っていたことです。一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんは集まる機会がないと人と話す機会もないようで、一日黙って過ごしていることもあるようです。それを聞いて何か自分たちにできないかと考えた高校生が地域のなかで、子どもからおとなも含めた居場所づくりをしようと提案しました。フォーラムで子どもの権利について学び、自分たちの権利を大切にしてくれる条約があるということを知るなかで、子どももおとなも関係なく誰の権利も大切にしたいと思ったそうです。そんな高校生たちが中心となり、子どももおとなもみんなで集まって、遊んだり、お茶をしたり、お昼ご飯を作って食べようと地区の公民館を借りた「ざわっこひろば」がスタートしました。第1回のざわっこひろばは2018年4月22日に開催され、この企画の趣旨に賛同してくれた区長さんや民生児童委員、村の社会福祉協議会などの協力もいただき、昼食には村のお米から作られたこめこの料理を広めている「こめっこくらぶ」の方と一緒にこめこの餃子づくりも行ないました。

こめこの餃子作りをしている写真

多世代交流のいいところ

ざわっこひろばで小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまで一緒にいるなかで、さまざまなかかわりを見ることができました。

いつも優しいお姉ちゃんが身の回りのことをやってくれている小学校1年生の男の子がいました。おやつの時間にジュースを紙コップに入れようとしているとお姉ちゃんが「こぼすといけないから」とジュースを注いで机まで運んでいきます。男の子はちょっと残念そうです。そこに保育園の女の子がやってきて、同じようにジュースを飲もうとするのですが、ペットボトルのふたが開けられません。すると先ほどの男の子が「ぼくがやってあげるよ」とふたを開け、女の子にジュースを注いであげました。女の子にありがとうと言われた男の子はとても嬉しそう。そこへ戻ってきたお姉ちゃんは、その姿を見て「なんだ、自分でできるんじゃん」と一言。その後のおかわりには男の子が一人で来てジュースを注いでいました。

お昼ご飯が終わると子どもたちはすぐに遊びに行き、おばあちゃんたちはお茶をしながらお話をしていました。しばらく時間が経ち、おばあちゃんたちが片付けを始めます。みんなの食器をまとめて台所までちょっと重そうに運ぶおばあちゃんを見て、遊んでいる小学生たちの一人の男の子が「僕も手伝うよ」と食器を一緒に運び始めました。おばあちゃんは大丈夫だよと言いましたが、「いつも家でもやってるから」と手伝います。そんな友だちの姿を見てひとり、またひとりと手伝い始め、結局洗い物もみんなで済ませました。一緒に来ていたお母さんは「家では一度も手伝ってくれたことがないのに」と驚いていました。

このように世代を超えて地域のみんなで交流するなかで、子どもたちの成長であったり、もともと持っているいい面に気づくことができるのも多世代交流のいいところだと思います。

子どもたちが皿洗いを手伝っている写真

みんなでつくるみんなの居場所

まだまだ始まったばかりのざわっこひろばですが、今後も月一回ほどのペースで活動をしていく予定です。ただしざわっこひろばでやる内容は、事前に一部のメンバーなどで決めていくのでははく、参加をしてくれたみんなで決めていこうということになっています。

子どもたちやおとなたちが一緒になって、次回やりたい遊びや昼食に食べたいものなどについて話し合うことで、誰かが作ってくれた居場所にお客さんとして参加するのではなく、自分たちで居場所を作っているんだと思ってもらえるのではないかと思っています。実際に2回目に向けて話し合ったなかでは「公民館の中だけでなく、外に遊びに行きたい」「みんなで畑で何かを作るのもいいね」「そのまま外でバーベキューもいいんじゃないか」などなど子どもとおとなが一緒になって次回に向けて楽しそうに話をしていました。

やりたいことができる場所

子どもの権利条約フォーラムが終わった後、実行委員会だった子どもたちの感想に「これまでおとなの人たちと話をするなかで、こんなに自分たちの話を聞いてもらったことがなかった。自分のやりたいことを言ってもおとなにダメだって言われるだろうから言いづらかったけど、これだけ応援してくれるおとなの人がいるのなら周りに話してみたいと思う」というものがありました。「今の子どもたちはやる気がない」「自分の意見を言える子が少ない」などと言われることがありますが、決して子どもたちにやる気や言いたいことがないのではなく、もしかしたらおとなが子どもたちのやりたいことや言いたいことを言えなくしてしまっているのではないかなと思います。

今回のざわっこひろばの開催も、ハラカツ!のメンバーが自分たちのやりたいと思うことを周りに発信することで、それを聞いた地域のおとなが一緒になって子どもたちの企画に力を貸してくれることで実現することができました。子どもたちにとって、自分のやりたいことを発信できる場、そしてそれを応援してくれるおとながいる場があるというのはとても大切なことだと思います。そしてそんな場所は子どもたちにとってだけはなくおとなにとっても必要なのかなと、ざわっこひろばの子どもとおとなの話し合いを見ていて感じました。おとなもやりたいことができる場所があれば、子どものやりたいも保障してあげようと思ってもらえる気がします。おとなと子どもが自分たちのやりたいことを一緒に実現していけるような居場所が地域に増えていくよう、これからも応援していきたいと思います。

半田 裕(はんだひろし)

特定非営利活動法人ちゃいるどふっど 代表・理事

TEL:080-9570-2176

Mail:asobiya.childhood☆gmail.com

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 特集 3 長野県の格差・貧困と子ども・若者

もくじ

これ以降は特集 3のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

奨学金を返還するということ 返還に追われる元学生雪の盆踊り

児童養護施設の子どもたちの進学そこから見えてくるもの宮下 順

福祉の現状と子どもの教育の未来 2018牧田 広利

相対的貧困を考える 自分自身の経験から見えてきたこと望月 翔汰

多職種カンファレンスから見える子どもの貧困小池 汐里

子ども・障がい者等の医療費を一刻も早く窓口完全無料に! 長野県の方針転換と今後の活動について原 健

「お金の心配をしないで高校へ行きたい」をかなえたい 中学3年生の家庭の進学費用相談を通して和田 蓮華

子どもたちを真ん中につながる、学校・地域へ Uさんの制服探し小川 寛子

貧困を基底とした児童養護問題への対応の視点 公助と共助中川 峻介

進学の道を阻む生活保護制度と私 それでも「保育士になる」夢の実現に向けて高校3年女子

子ども直撃の生活保護基準引き下げ児玉 典子

15歳の私の発言 こども食堂に参加して曲渕 仁哉

特集3 あとがき長野県の子どもの貧困の現在 2018和田 浩

特集 3のリンクは以上になります。

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特集3 長野県の格差・貧困と子ども・若者

子どもの学費が高いため泣いている母熊のイラスト

奨学金を返還するということ 返還に追われる元学生

雪の盆踊り

将来への不安

私は大学・大学院修士課程を卒業し、大学院博士課程2年まで大学にいました。計8年の大学生活を振り返るとき、常になくてはならなかったのは奨学金でした。しかし、大学を離れ就職した現在では奨学金について悩んでいます。というのも、月の返還額は実に手取りの4分の1に該当するためです。奨学金の返還について考える時、漠然とした将来への不安しか感じません。それは「返還に追われ、結婚しても子どもは育てられない」といった類のものです。今まで私は、自分だけが不安なのだろうと思っていました。

「奨学金に関するアンケート」(全国大学生協)では現在大学に在籍している学生の奨学金に対する考え方やその実態を垣間見ることができます。

①奨学金は今や大学生の2人に1人が借りている

借りている理由としては授業料と答える学生の割合が実に7割を超えています。もはや大学の種別(国立大学法人・公立、私立)に関係なく、大学に通うために奨学金が必要となっています。

②大学生は奨学金に対して返還面で不安を感じている

大学卒業後の自分について、奨学金の返還に関する見通しすら持てない学生が半数もいます。また、返還への不安を抱える学生は74.3%もいます。当然のことながら、貸与額が増えるほど「不安である」と答える割合が上昇します。

このように半数近い学生は奨学金を必要としながら、その一方で在学中にも関わらず将来に対する不安感をあおられています。

滞納者の状況

いざ返還を始めると生活とのバランスが重要になります。このバランスが崩れると返還が難しくなり、やがて口座から引き落としができなくなります。私も一回引き落としができず督促通知が来たことがあります。引き落としができない状態が続くと滞納者に分類されます。そうならないための制度が

①返還猶予

低所得の返還者について返還を全額猶予する。最大適用年数10年。年収300万円未満(給与所得のみの場合)の人が対象

②返還額の減額

返還額を減額する代わりに返還期間が延びる。最大適用年数10年。年収325万円未満(給与所得のみの場合)の人が対象
の2つです。これらは申請しないと受けられません。そのため、これらの制度を知らないために滞納者となる人もいます。

日本学生支援機構(以下機構)がホームページに載せている「平成27年度奨学金の返還者に関する属性調査」によれば、

・3ヶ月以外の延滞者 全体の4.3%

・返還している人が本人、その他の人(主として両親)の場合を問わず低所得化が進行している

ことがはっきりとわかります。年収300万円未満の滞納者が増加し、職業としては非正規職員やパート、アルバイトなどが多くを占めます。また、給与格差を反映して男性よりも女性の方がその傾向が強いです。

滞納者は猶予制度・返済額の減額制度を知らなかったのかと疑問に思う方もいると思います。知らなかった滞納者もいますが、猶予期間を使い切ったという回答をした滞納者も一定数いました。また、どちらの制度も対象ではないが、生活が厳しいために滞納者となった人もいます。

給付型奨学金について

では、私たちはどうしたら奨学金の返還とつきあえるでしょうか?その答えの一つとして今話題になっているのが返済不要の給付型奨学金です。新しい制度だと思っている人が多いかもしれませんが、以前から国内でも存在しています。少し古いですが機構の「平成25年奨学事業に関する実態調査報告」によれば、

・国内には5,900近い給付型奨学金制度がある

・給付型奨学金制度は1制度平均39.2人しか採用されない。また、採用条件は成績や年収の他にも厳しい条件付の場合がある

・給付型奨学金制度の平均月額は18,943円と貸与型に比べて1万円ほど安い

ことがわかります。しかしながら、給付型・貸与型奨学金の全奨学生の9割が機構の奨学生であり、「奨学金は返還が必要である」という認識が一般的です。

そんな機構にも、平成29年採用の奨学生から給付型奨学金が設定されました。給付型奨学金の要件は

1 世帯構成員全員が住民税非課税世帯であること

2 奨学金を希望する本人の成績が良好であること

です。この給付型奨学金の対象者は貸与型奨学金に比べると極めて少なく条件も厳しいですが、日本の奨学生の大部分を抱える機構がこの制度を作った意味は大きいです。しかし、その制度については大きな問題点を抱えているように思われます。

それは初年度納入金の約40%しかまかなえないことです。経済的に厳しい世帯の子どもが進学するには、最低限度の必要経費についてさえも半分以上が持ち出しとなります。その上大学が遠方の場合は、住宅の契約や大学に通うための費用などの支出が更に必要となります。これらの支出を補うためのアルバイトの結果、学業に影響を与えて生活のバランスを崩す恐れがあります。留年や最悪の場合には退学の可能性すらもあります。そのためかパンフレットには「Ⅰ種、Ⅱ種奨学金との併用も可能です」と書いてあります。結局、給付型奨学金だけではまかなえないと機構は暗に認めています。

給付型奨学金の奨学生資格を喪失した場合には貸与型奨学金と同様に返還が求められます。給付の停止とともに奨学生本人のマイナンバーを機構は収集します。これにより本人の収入や経済状態と奨学金の返還とが紐付けされ、給付されていた分の給付型奨学金を返済することになります。

上記のことを総合すると、給付型奨学金が広く知られるようになったのはいいことですが、その実態は経済的に苦しい家庭の進学支援とはほど遠いように感じます。給付型奨学金をもらっていても、学生はアルバイトをしなければ難しい状況にあることは明白です。

まとめ

さてこれまで長々と奨学金について書いてきましたが、今私が進学について考えていることをまとめて終わりにします。

①高校生の時は「大学を卒業しないと大きな企業には就職できない」と思っていました。かつての私は高学歴社会の姿をそこに見ていました。今なら私は、「仕事をするのに大卒である必要性はない」と言い切れます。なぜなら、私は職場で学歴関係なくできる人はできることを知ったからです。

②特に理系学部において大学院まで進学する学生が増えています。大学院へ進学する意味とは何か?その答えの一つが「論理的思考」であると思っています。実験の繰り返しによる結果の積み重ねと、その後の実験方針決めは論理的思考の訓練そのものでした。そこでは予算や設備、タイミング等も含めた総合的な判断が必要となります。周囲の状況を踏まえて考えることは現在の仕事にも活きていると個人的に思っています。ただ、大学院(特に博士課程)へ行く必要まであったのか、将来の返還まで考えて先を見られていたかは疑問が残ります。

参考資料

・全国大学生協 組合員対象「奨学金制度に関するアンケート」結果報告 日本学生支援機構ホームページ

・河合塾HP 2017年度国公立大学 受験料・初年度学費一覧

・Yahoo!ニュース 「給付型奨学金」の利用方法と注意点(今野晴貴)

・奨学金.net 返さなくていい給付型奨学金をくれる団体

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児童養護施設の子どもたちの進学 そこから見えてくるもの

児童養護施設飯山学園 園長 宮下 順

 宮下 順さんの顔写真

児童養護施設 進路の現状

ここ数年、世間のみなさまに児童養護施設児童の高校卒業後の進路ということに焦点を当てていただいているように感じています。さて、

・全高卒者の76.9%が進学している現状のなか、児童養護施設の高校卒業者の進学は22.6%

・全高卒者の53.8%が大学等へ進学するなか、児童養護施設の高校卒業者の大学進学は11.4%

・2015年度施設退所者の進学率は26.5%

などなど、少し調べればさまざまなデータに触れることができます。もっと掘り下げて調べれば、もっといろんな数字が出てくることでしょう。

飯山学園の進学事情

私は、20年と少しの期間を児童養護施設飯山学園の職員として過ごさせていただいています。振り返れば私が入職したてのころは、施設の子どもが高校に進学することすらやや特別な感じがありました。世間では高校進学なんてごく当たり前のことだったにも関わらず、です。義務教育終了後の3年間を施設で支えることの困難さ、施設のキャパシティのなさ等が原因とは思われますが、実際に私も、多くの子どもたちを高校中退という形で社会に送り出さざるを得ない経験をしてきています。

そこから年月をかけて、中卒で就職する受け皿がほぼなくなってしまったということもあり、飯山学園の子どもたちもあたりまえのように高校進学をするようになると、程なくして、「東京の施設の子どもたちは大学進学をしている」といったような話を耳にしたり、「県内他施設の子どもが短大進学を果たした」なんていうことを知ったりするようになりました。そしてついに私の勤める飯山学園にも、「高校を卒業したら保育士になりたい」という目標を持って高校に進学する子どもが現れました。

やはり課題は費用面でした。短期大学進学のための初期費用を工面するために、部活は諦め、高校在学中は、空いた時間でとにかくアルバイトをして資金をためました。結論から申しますと、その子は保育士養成の短大を無事卒業いたしまして、現在も保育士として働いております。借金を返済しながらではありますが。その後も数名、先の進学を見据えた高校進学をした子がおりましたが、いずれも部活動は諦め、放課後はアルバイトをして高校生活を過ごしました。

高校入学と同時に、3年後の進路についての結論を出すことを強いられ、部活動かアルバイトかの二者択一を迫られる…いわゆる世間一般の青春のありかたとは大きくかけ離れた「15の春」。しかし、部活動を選択したとて、高校3年で部活動を引退したあと、仲間の雰囲気が受験ムードになった際、「やっぱり自分も進学を…」と思ってしまうことをいったい誰が責められるでしょうか。実際に高校3年生の夏前に大学受験を希望したものの、資金の算段が立たずに進学を諦めた子もおりました。

4年制の大学に進学した子もかつて数名おりましたが、卒業まで至った子はおりません。夕方から明け方までの複数のアルバイトを掛け持ちし授業に出られなかったり、交友関係のつまずきに端を発して結果として学校に行けなくなったり。そういった子たちは奨学金を借りていたわけですので、現在借金を抱えて苦しい生活を余儀なくされています。

そして今、4年制大学への進学を目指しながら高校生活を送っている子たちが数名おります。幸いなことに施設生活の長い子たちで、中学までいただいていた児童手当が貯まっており、また、昨今の流れのなかで社会的養護を経験している、もしくは経験した子どもたちに向けた返済不要の奨学金制度や、条件次第で返済が免除される貸付金制度等を利用することで、以前と比べて金銭的には明るい見通しが持てています。

現状を掘り下げてみる

しかしながら児童養護施設に入所してくる子どもたちの学びに焦点をあてると、金銭面以外にも、背負っている大きなハンディキャップが見えてきます。虐待などの不適切な養育環境下で、危険を察知するために感覚を研ぎ澄まし、愛されていない現実を直視しないために感覚を鈍磨させ、時には感情を殺し…とにかく「生きる」だけで精いっぱいで、生活の中に学習が入り込む隙が一切ない子どもたちや、ネグレクト環境下でそもそも家庭学習の習慣がなく宿題すらしたことがない子どもたちは、もはや珍しい存在ではありません。そういった生活の流れからの不登校というケースも散見されます。また、近年には『18歳までの心理的虐待、身体的虐待、性的虐待、家庭内暴力、家庭内での薬物濫用、家庭内の精神障害、親との離別や離婚、家族の収監といった逆境体験(ACEs)が、PTSDのみならず、抑うつや不安障害、精神病症状、薬物乱用などの精神疾患ばかりではなく、知的な発達や学習能力へ影響し、慢性身体疾患のリスクを高めること、それらは逆境体験数に比例していることなどが明らかになっている。』(田中 究、2016)といった研究もなされています。さらには、養育者の身勝手な転居に伴い数か月単位で学校に行かない期間があったり、一時保護という制度の下で登校できずに一定期間過ごしてしまったり、その一時保護を複数回繰り返さざるを得ないといった事案も時には生じてしまっています。

そういった状況を生き延びてきた子どもたちが、九九すらまともに身についていないまま小学校高学年や中学生になり、そのまま施設に入所するというケースも珍しくありません。そういったケースの子どもたちは、施設に入所する年齢が上がれば上がるほど、高校生になろうという気持ちになるまでのプロセスが困難で、そこからさらに学力を、となると、高校受験をくぐり抜けて無事高校生になるということがすでにとてつもなく高いハードルです。

そのうえ、これは飯山学園特有の問題点かもしれませんが、高校からさらに上の学校に進学した後、幸せに健やかに社会生活を営んでいるモデルとなるケースが少なすぎるが故に、そんな先達の姿を子どもたちになかなか見せられないという現状もあります。そのような現実の中では高卒で働くのが自然の選択にどうしてもなってしまっています。

そもそも

夢を持ち、目標を定め、資格のために進学を望む。そういった子どもたちのための進学支援のしくみを整える必要性はわかります。ありがたいと思います。しかし一方で、夢なんて言っていられない状況の子どもたちがいます。高卒で、もしくはやむなく高校中退で、ややもすれば中卒で、社会に出る選択をせざるを得ない子どもたちです。そこには金銭面だけではどうしようもない、さまざまな状況があります。そんなさまざまな状況の子どもたちにとって「大学に行けるよ」と示されていることだけが果たして希望なのでしょうか。

現在さまざまな方面からお示しいただいている給付型奨学金制度に異を唱えるつもりはまったくありません。現に今、先の進学を目指している高校生たちに、そうした給付型奨学金の制度を利用させていただくことを前提として、計画を進めています。

しかし、未だ多くの子どもたちが、高卒もしくは高卒未満で社会に出ていく現状があります。大卒、短大卒、専門卒だけでなく、高卒でも、たとえ今中卒で働くということを選択せざるを得なくても、その先には多くの選択肢があって、例えば先の出世やキャリアアップを目指しながら使い捨てじゃない現場で働き続けることができたり、働きながら改めて夢や目標をもって仕切り直しに学ぶことができたり、そんなふうに、「頑張りがいがある社会だよ」って示されていることのほうが、そんな子どもたちにとっては希望なのではないか、そんなふうに私は思ってしまいます。

倒産、リストラ、介護離職、派遣落ち…新聞、ネット等多くの報道で目にしますが、今の社会は、既定路線から外れるとなかなか生きづらい社会です。そして年々「既定」の幅が狭くなっているように感じているのは私だけではないはずです。既定路線から外れた家庭で生きづらさを抱えた子どもがそのままおとなになり…子ども時代から、生まれた時から既定路線の外にいる子どもたちの、ハンデの大きさ、深さは想像に難くありません。そんな子どもたちの「生きづらさの連鎖」を断ち切るために、大学進学支援も一つの大きな柱です。しかしそれだけではない、既定路線を外れても幸せに暮らせる社会の構築に向けて舵を切る時代に来ている。私はそう思っています。

「金のある奴ぁ金をだせ、知恵のある奴ぁ知恵をだせ、なんもない奴ぁずくをだせ」

私が好きな長野の格言です。

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福祉の現状と子どもの教育の未来 2018

長野県ひとりおや家庭等福祉連合会会長 牧田 広利

牧田 広利さんの顔写真

ひとりおや家庭の福祉会の役割と活動

一昨年、昨年に続き、ひとりおや家庭福祉の現状から子どもの教育の未来を考えたいと思います。

私は在住する市のひとりおや家庭福祉会の会長と同時に、県内の市町村単位の会の県連合会の会長をしております。長野県に限らず、市町村単位で活動している多くのひとりおや家庭の福祉会があります。以前より母子寡婦福祉会という名称でほとんどの市町村にありましたが、会及び会員の数は減少傾向にあります。若い世代の会員数の減少や役員の成り手がいないなどで、多くの会が休会あるいは縮小して活動しています。母子家庭だけでなく父子家庭も含めたひとりおや家庭の数は増える一方ですが、福祉会に入会する方は減る一方です。その原因はいくつかあるでしょうが、戦後女手一つで歯を食いしばり子育てしてきた世代と、現代の若い子育て世代の間では大きく考え方が異なっているのが現状で、理由の一つかもしれません。

我々ひとりおや家庭福祉会の役割と活動は大きく二つあります。

一つは親子での交流と懇親です。料理教室や、もの作り体験等を通じ、同じ境遇の下で親子ともにお友だちを作り相談し合う関係を構築します。

もう一つが最も重要な役割ですが、福祉行政との橋渡しです。ひとりおや家庭が増え子どもの貧困が大きく問題化する中で、行政は福祉の一環としてひとりおや家庭施策に大きな力を注いでくれています。その施策がさらに充実するようにひとりおや家庭の声を聞き行政へ訴えています。

公教育の責任が果たせていない

我々の会が今一番力を注いでいるのは平成27年度から始めた学習支援事業です。

子どもの貧困がクローズアップされるなかで貧困の連鎖を断ち切るために教育機会の均等は非常に大切な事ですが、それが実現されていません。

義務教育過程において授業についていけない子どもがとても多いのです。脱ゆとり教育で指導要領が非常に高度化し、授業内容はますます濃くなる一方です。授業が充実するのは素晴らしいことですが、現実には教えることが多すぎて、全員が理解するのを待っていられません。ある一定の時間をかけたら、後は自分で理解しろと突き放さざるを得ず、一度遅れ始めるともう自力での挽回が難しくなる生徒が一定数存在してしまいます。これは教育の放棄にほかならず怠慢と言えます。

これを解決するのは容易ではありません。とにかく教員の数を増やすことが急務であると考えられるのですが、現実には少子化を理由に教員の数は減らされる方向にあります。これでは良い教育はできません。

そこで多くの生徒が学習塾や家庭教師といった民間の習熟機関に頼る事になります。本来塾になど行かなくても全員がしっかり授業についていけるようになればいいのですが、多くの生徒が利用しているのが全国的な傾向です。学習塾へ行けばいいとは思いませんが、現実には収入により塾に行く率は大きく異なります。経済的問題でひとりおや家庭の子どもで塾に通っているケースは非常に少ないです。学習意欲ある子どもたちに均等な教育が受けられるように、給付型の奨学金をさらに拡充してほしいというのは我々だけでなく多くの方の強い願いですが、まず目の前の授業を理解し、受験を突破しないと次の段階へ進めません。

長野県では市町村単位で放課後学習が行なわれている小中学校がたくさんあります。学校を支援したい有償ボランティアの力を借り、授業の補完をしています。素晴らしい取り組みで、一生懸命な講師も大勢いますが、まだやり方は多種多様です。もう少し学校が運営だけでなく指導内容まで関わり質の向上に努めるべきです。また普段の学校生活と同じメンバーで受ける放課後学習に抵抗を感じ、参加したくてもできない子どもたちもいます。正解は一つではありません。放課後学習にも個別指導を取り入れるべきだし、その他あらゆる手段を講じなければなりません。

これは教育問題ではなく福祉の問題です。行政の福祉担当と教育委員会が一つになってさらに本気で貧困世帯の子どもたちを救う手段を講じていただきたいと思います。いつも犠牲になるのはハンデを背負った弱者です。収入の多い少ないで、教育の成果はともかく機会に差がついてはいけません。とにかく教員を増やし教育の充実を図るべきですが、とりあえずの段階として、私はもっと公教育と民間の私塾が協力し合うべきだと思います。

ひとりおや家庭向けの学習支援事業

そこでその一助となればという思いから、ひとりおや家庭向けの学習支援教室を始めたのです。

当初県内4か所でスタートし、現在は6か所に増えました。運営は各市町村団体が担い、小学校低学年、高学年と中学生のクラスを公民館などで開講しています。中学3年の受験生に対しては個別指導ができているところもあります。講師は教育委員会に紹介いただいた元教員を中心とした有償のボランティアです。週一回2時間程度の指導をほぼ通年で開催し、一人ひとりの生徒の理解の状況や、進路目標を共有し、皆でともに生徒を指導しております。本人と保護者へは随時アンケートや聞き取りも実施し、多くのご意見とお礼の言葉をいただいております。しっかりと各自の目標を確認しながら適切な教材を与えることにより、ほとんどの子どもの成績が上がりました。また受験生は無事志望校へ進学できたという、うれしい声も多くいただきました。

ひとりおや家庭向けの学習支援教室の写真

教育の視点からなかなか教育弱者の支援はできないのです。言葉は悪いですが、成績の悪い子どもたちの福祉会のようなものはないのです。親も子どもも誰も自分から教育弱者だとは言いません。そこで我々ひとりおや家庭の子どものような、一つの弱者の代表という立場が必要なのです。福祉の延長としての教育支援なら現在でも可能です。それで学習支援を始めました。

ひとりおや家庭向けの学習支援教室の写真

社会的弱者を代表する側の組織として

我々もひとりおや家庭だけが優遇されるべきなどと考えておりません。大きな社会のバランスの中でともに支え合って、共助していかなければなりません。長い人生の中で苦境にある時はありがたく援助を受け、その結果少し楽になれたら、今度は自分から援助の手を差し出す。我々の願いは子どもたちが力強く自分の未来を歩いていく以外にありません。そのために貧困の連鎖をなくし、平等な教育機会が与えられた中で切磋琢磨して自分を伸ばしていく、そんな子どもたちを応援したいと思います。

生活困窮者の声を行政の担当の方は親身に聞いてくださいますが、本当に困っている人はなかなか声を上げることはできません。お互いが歩み寄り勇気を持って上げた声をもれなく拾ってもらえるようになれば、解決に一歩近づきます。

我々は社会的弱者を代表する側の組織として一人ひとりの声を集め、すべての人が自分らしく幸せになれるよう、福祉の向上を図りたいと思います。

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相対的貧困を考える 自分自身の経験から見えてきたこと

松本大学総合経営学部 観光ホスピタリティ学科2年 望月 翔汰

望月 翔汰さんの顔写真

はじめに 現在の相対的貧困率

厚生労働省による「平成28年国民生活基礎調査結果」によれば、社会全体の貧困率は15.6%、6.4人に一人が相対的貧困という状況です。子どもがいるひとりおや世帯の50.8%、つまり約半分が相対的貧困であるということもわかりました。子どもの貧困率も13.9%と前回の調査から下がったとはいえ、世界の先進国の中ではとても高い数字です。ここではこの数字をふまえ私の経験や相対的貧困、そしてこれから何をすべきかについて考えていきたいと思います。

自分の生活と周囲の支え

私は、日本では特に、貧困というと自己責任であるという風潮があると感じています。そして一番苦しむのは子どもたちです。先ほどあげた子どもがいるひとりおや世帯の割合は年々増加しています。理由は離婚や死別などさまざまです。私自身、中学生の時に両親が離婚し「ひとりおや家庭」で育ちました。ここで私のこれまで歩んできた生活を少し紹介したいと思います。

私は高校まで山梨県で育ちました。そして中学2年の2学期から母親と弟との3人での生活が始まり、新しい中学校に通うこととなりました。新しい学校にはもちろん知り合いは誰もいなくて不安でしたが、たくさんの人たちに声を掛けてもらい、新しい担任の先生や周りの先生、生徒たちに支えられて学校に馴染むことができました。

具体的にどんな支えがあったかというと、たとえば学校の制服やジャージをいただきました。特に、新しく通うことになった中学校の制服は特別なもので、他校の制服の何倍もの値段がするものでした。そこである先生が卒業生に聞いてくださり制服を譲り受けることができました。ジャージなども同様に譲り受けることができました。そして部活動や委員会活動にも積極的に参加し、吹奏楽部や陸上部、生徒会や合唱委員会などに入りました。私がこういう有意義な学校生活を送ることができたのはすべて周りの支えがあったからです。私は、母子家庭になり、新しい学校に行かなければならないということでとても心が傷ついた状態だったからこそとても嬉しかったのです。

高校に入ると中学校の時とは違いたくさん苦労もしました。部活動や人間関係などでもたくさん悩みました。そしてそのうちだんだん学校に通うことが嫌になり、1週間のうち1日は休んだり、3日に1回は遅刻したり、授業を休んだりと不安定な毎日でした。しかし悩みがあることをなかなか人に言うこともできませんでした。そのようななかで、担任の先生がそこに気づいてくださって毎日のように話を聞いてくれたり、1か月に1回スクールカウンセラーを呼んでくださったりしました。そして高校1、2年生のときはこういう毎日でしたが、高校3年生になると人生初の皆勤賞を受賞することができました。これは自分ひとりで成し遂げられたのではなく、周りの人たちのお陰だと思っています。

奨学金やローンによる学生生活の不安

高校3年生になると本格的に進路を考えなければいけなくなりました。さまざまな先生方との出会いもあり大学受験にあたっては物心ついた時からの夢でもある教員の資格を取得することが可能で、かつ自分がしたかった地域貢献のできる松本大学を選択しました。そして現在私は日本学生支援機構から奨学金、母親が国の教育ローンや県の奨学金を借りて大学に通うことができています。その総額は1,000万円近くにもなります。私は就職したら自分が借りた奨学金はもちろん、母親が借りている奨学金も自分が返そうと思っています。なぜならここまで支えてもらった母親にこれ以上苦労させたくないという思いが強いからです。しかし不安もあります。もしもうまく就職ができなかったらどうしよう、就職しても自分が病気や事故に遭ったらどうなるのかなど。

学習支援ボランティアから見える子どもたちの現状

学力は塾に通う子どもと通わない子どもとでは大きく差がつきます。たとえば塾に通うための費用はものすごく高いです。ある意味教育格差は子どもたちのやる気や学力ではなく、家庭環境によってついてしまうとも言えます。私は大学に入学したときから『むりょうこどもじゅく』というボランティア活動をしています。こどもじゅくでは小学生から高校生までの子どもたちが、自分がやりたい勉強をし、それをおとなたちや大学生が無償でサポートをするという活動をしています。子どもたちは、勉強はもちろん自分の居場所として来ています。

また、塾に通う子どもたちはなかなか言葉には出しませんがさまざまな困難や思いを抱えています。学校というのは授業料以外にもさまざまな費用がかかります。小中学校での給食代、修学旅行や模擬試験や進学のための受験料など、とにかくたくさんあります。確かに自分の子どものためなのだから自分の家庭で払うのが当たり前という意見ももっともです。ですが、ひとりおや家庭など、収入の少ない家庭にとってそれらを払うことが困難な事も事実です。この人たちにとってこれらの費用はとても高額に感じます。ひとりおや家庭の例で言うと、朝から晩まで働いたとしても両親がいる家庭の所得には到底届きません。そして無理をしすぎているのでそのうち体にガタがきます。そんな状態です。私の母親もそうでした。結局、全額払うことができなかったり、借金をしながら払ったりするしかありませんでした。これが相対的貧困の恐ろしさです。

子どもたちには決して責任はありません。親にももちろん責任はありません。しかし世論はどうでしょう。『こっちだって頑張って働いている。甘えるな』とか、おもしろおかしく批判したり『日本に貧困なんてない』という人もいます。戦後間もない頃、みんなで頑張ろうといった結束力はいったいどこに消えてしまったのでしょうか。

これからの日本に求められるのは

現在の与党である自民党は2017年の衆院選挙の公約で『真に支援が必要な所得の低い家庭の子どもたちに限って、高等教育の無償化を図り、必要な生活費をまかなう給付型奨学金や授業料減免措置を大幅に増やす』と掲げました。

しかし私は本当に実現するのかという不安がありますし、問題はこれだけではないと感じます。給付型奨学金や授業料が減免されることはもちろんうれしいことです。ですが、これが相対的貧困や教育格差を減らすことになるかといったらそうではないように思えます。これにはお金だけでは解決できないことが山ほどあるからです。格差により待遇が悪かったり、いじめに発展したりするケースも少なくありません。

これからの日本に求められるのは国民一人ひとりが安心して生活ができる環境づくりだと考えます。職場や学校での差別を無くしたり、一定以上の水準の生活ができる状態にしたりすることだと思います。これらを達成するためには政府だけではできません。私たち国民一人ひとりにかかっているのです。

今私たちができること

今まで書いてきたことをふまえて私たちになにができるか、考えてみました。それは、自己責任社会そして互いに干渉しないという社会を撤廃して、分け隔てなく国民全員で一人ひとりを見守り、支えあうということだと思います。たとえば今、学校教育は変わろうとしています。それは子どもたちを学校だけで教育するのではなく、地域で子どもたちを教育する『地域教育』づくりを目指しています。これはまさに今の社会に必要なことで大きな一歩かもしれません。そして誰もが他人に不安や嫌悪を持つような社会ではなく、誰に対しても寛容な心が持てるような人間づくり、社会づくりが必要かもしれません。

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多職種カンファレンスから見える子どもの貧困

健和会病院 小児科外来事務 小池 汐里

私は、飯田市の健和会病院小児科外来で事務をしています。当院小児科では、多職種でのカンファレンス(事例検討会)を行なっています。そのなかで貧困をはじめとした困難を抱えた親子の状況が、よく見えるようになってきました。

健和会病院小児科の紹介

飯田下伊那地方は少子高齢化の進んだ地域です。当院小児科は、小児科医1名、看護師3名、事務2名が専属で、入り口・受付・会計も他の科とは別になっており、病院ですがクリニックのようなスタイルです。病児保育があり、リハビリテーション科では発達障害の子どもを多くみており、臨床心理士が不登校などにも対応しています。

小児科外来でのカンファレンス

当院小児科外来のカンファレンスには、週1から2回行なわれる小児科外来カンファレンス、月に1回定期的に行なわれる、心理カンファレンス・病児保育カンファレンスがあります。医師・看護師・事務・研修医などに加えて、心理カンファレンスでは心理士、病児保育カンファレンスでは病児保育士が加わり、検討しています。

小児科外来カンファレンスは、「気になる親子」がいた時、たとえば、「お母さんがおどおどしていた」「お母さんがなんだか不満そうだった」「子どもをひどく叱っていた」「子どもが落ち着きがなかった」など、スタッフが気になった親子がいた場合と、医学的な状況を共有しておく必要のある場合に行ないます。

事務の窓口対応時、看護師の問診時、医師の診察時など、スタッフそれぞれの視点から気づいた点を共有し、継続的に見守り・支援をしていきます。

多職種カンファレンスで困難がみえる

多職種でカンファレンスを行なうと、それぞれの人が、違った角度から親子のいろいろな面をとらえていることがわかります。

たとえば看護師さんが「問診の時に何を聞いてもお母さんが答えてしまって、子どもがお母さんに口答えできないようだ」とか「お母さんが弟の発達障害をすごく心配しているけれど、お兄ちゃんがずっと我慢してばかりいる様子だ」といった話をしてくれることもあります。

また、保育士さんからは、お迎えの時間が毎回遅くなってしまうお母さんや、いつもイライラしているお母さんの様子から、「いろいろな余裕がないのではないか」という報告をしてくれたり、子どもたちの言動から家での様子がわかるエピソードの報告もあります。「ちょっと気になる」という程度のことを共有することで、貧困やさまざまな困難が見えるようになります。

事務職員だからこそわかること

私たち事務職員は、診察室に親子が入る前後の様子を見ることができます。待合室での過ごし方から、親子関係がよく見えます。

例えば親子が離れて座る、会話がない、笑わない、お母さんのしかり方がきつい、逆に子どもがはしゃぎすぎて違和感を感じるといったこともあります。臭い・服装・髪型・入れ墨・未収金や窓口支払いの有無、保険証・福祉医療受給者証からの情報・予約に来ない・時間に遅れる・時間外受診が多いなどといったことも、気になります。

また、会計の際、「特別児童扶養手当てが入ったら支払います」とか、「支払いが苦しくて受診にこれなかった」などの言葉が聞かれたり、予約の際も、処方日数と予約日をしっかり数えて、「予約日まで薬がないのでもう少し早く予約とれませんか?間で薬を取りに来るとまたさらにお金がかかるじゃないですか」と言われたこともありました。

ただ通常の業務をこなすだけでなく、その中で、「何か気になるな」「なんでだろうな」と感じることが、親子の抱えた困難を知るカギになります。

食料・物資などの支援

小児科で働いていると、さまざまな困難を抱えた方が受診に見えます。

私たちは、そういう方たちの力になりたいと考え、食料や衣類などの物資の支援活動を行なっています。

病院職員に衣類やお米などの提供を呼びかけ、困っているご家庭にお渡ししています。今日食べるものがないといった本当に緊急な場合は、近くのスーパーに駆け込んで食料を買ってきたりもします。

お渡ししたご家庭からは、「本当に助かります。ありがとうございます。」とお声をいただき、私たちもやりがいを感じながら日々過ごしています。

患者さんの家庭訪問

ご自宅まで家庭訪問させていただくこともあります。私も、支援物資を持って3回ほど家庭訪問に行かせていただきました。

あるご家庭を訪問したときは、山の中にポツンと一軒家があり、庭の手前にある川にかかる小さな橋はボロボロで穴があいていました。庭もゴミが散乱しており、家の中は電気もつかないのか真っ暗でした。中から出てきた子どもは真冬なのに靴下もはかず裸足でいました。大変な環境に暮らしているのだということがよくわかりました。

また別のあるご家庭には、「今日食べるものがない」という訴えがあり、当日の夜にお米をもって訪問に行きました。

どんな家なんだろうか…と少し不安になりながら行きましたが、実際見た印象ではそんなに困っているような家庭には見えませんでした。車も2台あり、家の中も装飾品が飾ってあったりして、ごく一般的なのご家庭に見えました。でも、実際にはとても経済的に困っていて、見た目だけでは判断できないということを知りました。

生活保護などに対して偏見が生まれてしまったり、「自己責任」で片付けられてしまう世の中で、誰も手をさしのべてくれないといった孤独感を感じることもあるのだろうと思い、だからこそ自分たちの活動は続けていかなければいけないのだろうなと改めて感じた訪問でした。

小児科事務としての3年間

私は3年前に小児科に配属になりました。はじめて小児科のカンファレンスに参加した時、小児科事務の先輩が、医師や看護師さんがいる中でどうどうと発言している姿は、感動し憧れを持ったのと同時に、先輩のようになれるのかとプレッシャーを感じました。正直、当時のわたしは何も見えてこないし、なにも気づけておらず、医師から「カンファレンスします」と声がかかると「どうしよう…」と思って内心ドキドキしていたくらいです。

しかし、毎日小児科でいろいろな患者さんや家族と関わり、カンファレンスでいろいろな職種の人の意見を聞くと、自分もどこに注目すべきなのかわかってきたのか、気づけばいろいろなことがみえてくるようになっていました。

まず、困難を抱えている人がいるということを知り、自分でもそのサインに気づけるようになりました。カンファレンスで意見を言い、逆に意見を聞いて、その人たちのために何かできないか考えられるようになりました。そして、その人たちに寄り添い、援助することができました。

気づけば私たちの行動に感謝してくれる方がいたり、すごいと言われたりすることも増え、自分が関われてきたことを誇りに思うことができるようになっていました。

また、今では私たちの行動に賛同して、支援物資のお米や衣類、カンパのお金を送ってくださる人もいて、ありがたいことだなと日々感じています。

最初は、憧れだった先輩の姿に少しでも近づけたのではないかと思い、とてもやりがいを感じながら仕事をしています。これからも、忙しい業務の中でも「何か気になる」という視点を大切にしていきたいと思います。

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子ども・障がい者等の医療費を一刻も早く窓口完全無料に!

長野県の方針転換と今後の活動について

福祉医療給付制度の改善をすすめる会(すすめる会)事務局長 原 健

医療費助成、県の方針転換

長野県下の市町村は、これまで償還払いだった子ども医療費の助成を、18年8月から中学校卒業まで(54市町村は18歳年度末まで)所得制限なしの現物給付とします。長野県は市町村の医療費助成に対して、国から課せられる国保のペナルティ分の半額を補助することを決めました。すすめる会はこの方針転換を歓迎し、23年間の県民運動の重要な成果として受け止めています。

無料化を求める強い県民要求と運動の広がり

23年のあいだに取り組まれた署名総数は17万3千筆を超えます。また、県に対して「窓口無料化の実現を求める意見書」を採択した市町村は県下の7割を超える55議会にのぼります。

すすめる会が2017年度に取り組んだ県知事要請署名は、「窓口完全無料化」、「当事者参加の保障」を求めて2月下旬から開始され、短期間で33,000筆を超える署名が集まりました。

この運動には、すすめる会の加盟団体だけでなく県内の医師会、薬剤師会、保育園とその保護者会、自治体労組など85の団体と個人に賛同が広がり、短期間にもかかわらず幅広い運動となりました。また『当事者のつどい』を開催(17年3月)し、つどいのなかで子育て中の母親や障がい者、また教師などさまざまな立場から医療費負担の重さや学校現場での貧困実態などが数多く報告され、当事者が声を上げることの大切さを共有し合いました。

集まった署名は2回にわたって県に提出し、「つどい」やハガキ署名に寄せられた「当事者の声」を編集した冊子を届け、一刻も早い窓口完全無料化を要望しました。

署名を県に提出している写真

「当事者のつどい」、「ハガキ署名」で可視化した声

『当事者のつどい』では次のような声があがりました。「子どもが生まれてから驚くほど病院にかかる機会が多い。助成制度はありがたいが500円の負担金は無くしてほしい」(3人を子育て中の母親)。「息子の医療費を昨年1年間で13万円も支払い、そのうち負担金は1万7千円にもなった。全国的に当たり前の窓口無料化を長野県でも一刻も早く」(障がいのある子の母親)。「呼吸器を付けており普段の生活だけでも大変。医療費を支払うのに家計は自転車操業のようになっている」(障がい者の家庭)。「家で絆創膏が買えないといって養護教諭に相談に来る子がいる」「一番に困ることは医療費が払えず歯科に行けない子が多いこと」(県教組)。

また、署名ハガキの「私の声」欄に記入されたメッセージでは「母子家庭で生活が苦しいです。子どもはいつ何時ケガや病気をするかわかりません」「1,000円のお金が無くてその日の食事にも困っています。これでは窓口での支払いはできません。一刻も早く窓口完全無料にしてほしい」という声や、「負担した金額がいずれ戻るのなら、最初から窓口無料化した方がよほど子育て支援に有効ではないのか」といった償還払いへの疑問や意見が寄せられました。また「障がいのある子どもは頻繁に体調を崩すため定期受診がどうしても必要です。窓口負担を無くして家族の負担を少しでも減らしてほしい」などなど、県下各地から400人を超える当事者の声が届きました。

すすめる会では、運動のなかでこうした当事者の声を可視化し、県に直接届け続けてきました。私たちはこうした運動が、方針転換に大きな影響を与えてきたと考えています。

受給者負担が受診の壁に

一旦窓口で支払う償還払いが8月から中学卒業まで現物給付となることは大きな前進です。しかし、医療機関、薬局ごとに支払う300円から500円の窓口負担が残ること、また障がい者は給付の対象外という課題が残されています。

すすめる会の会長で小児科医の和田浩医師は、「500円くらいなら払えないことはないだろうと考える人も多いかもしれないが、500円が無くてかかれない家庭の子どもは実際にいる」と指摘します。経済困難をかかえる家庭では、たとえ500円でも重い負担なのです。負担金について、県は「受益と負担の公平の観点から一定の負担をいただくもの」と説明します。しかし現物給付は、診察から投薬まで医療そのものを患者に給付する社会保障サービスであり、窓口無料が前提です。現物給付としながら受給者負担金を課すのは、県としての正しい判断といえるでしょうか。

和田浩医師は、「県下には子どもを育てる世帯の1割が、生活保護基準以下の収入にもかかわらず生活保護を受給していない実態がある。窓口で支払いが困難な世帯にとって長野県が完全窓口無料とすることは特に必要性が高い」と強調します。

窓口負担が貧困を助長しないためにも、県として完全窓口無料の医療費助成に踏み出すことがどうしても必要です。

全国9割の都道府県ではすでに現物給付(併用含む)を実施

全国の県と市町村の福祉医療給付の助成状況はどうなっているでしょうか。厚労省の調査では、2016年4月時点ですでに全国の9割を超える43都道府県が、県として現物給付(併用含む)を実施しており、福島県と鳥取県は対象年齢を18歳年度末まで拡大しています。市町村では、「通院」では8割、「入院」では9割が現物給付(併用含む)を実施し、「負担金無しの窓口無料」は1054市町村にまで広がっています。

全国の医療費無料化を求める運動の積み重ねと共同の運動が、自治体の医療費助成を充実させ、国の「ペナルティ(国保の減額調整)一部廃止」へとつながりました。

全国の運動は今、国にペナルティの全廃を求め、国の制度による子ども医療費無料化へとすすんでいます。

市町村への「意向調査」に重要な前進が

すすめる会は7月、県の方針転換を踏まえ、制度を拡充する意向があるかどうか全市町村に対して調査を実施しました。66市町村(86%)から回答があり、県水準より対象年齢を拡充し18歳年度末までとする自治体は33市町村でした。また、窓口負担金については5町村が廃止予定と回答しました。(9月末時点)

その後の県による調査で、現物給付を18歳年度末まで拡大する市町村はさらに増え、全体の7割を超える56市町村(入院のみ2市含む)となりました。また、この56市町村すべてで、子ども以外の障がい者・ひとりおや家庭等に対しても18歳まで現物給付を拡大します。さらに、窓口負担金を廃止し完全無料化とする自治体は7町村となりました。(18年3月)

すすめる会では、県下で7割を超える市町村が県水準より現物給付の範囲を拡大し、窓口負担を完全無料にする自治体が7町村にのぼることを大変重要な前進とみています。また、市町村が子ども以外の障がい者・ひとりおやへも現物給付を拡大することは大きな希望につながるものです。

今後の課題と活動の基本方針

残された課題

8月から、長野県下すべての市町村が中学卒業まで現物給付を拡大しますが、長野県としての医療費助成は、通院については依然として「就学前」のままになっています。県としての医療費助成は市町村に比べ大きく出遅れています。

長野県市長会(県内19の市長で組織)でも、県知事と県議会に対して「医療費助成を通院についても入院と同様、中学校卒業まで拡大するよう」要望し続けています。

すすめる会としては、長野県が県民の要望に応え、一刻も早く医療費助成を中学卒業まで予算化すること、また窓口の完全無料化に踏み出すよう県に求めていくことが今後の運動課題です。

今後の活動方針について

すすめる会では、今後の活動について次のような基本方針を掲げています。

①全国の会とともに、国の制度として子ども医療費無料制度を実施するよう運動をすすめ、ペナルティ(国保の減額調整)の全廃をもとめていく。

②長野県に通院も中学卒業まで助成を拡大し、窓口負担金の廃止、障がい者等への給付の拡大を求めていく。

③制度のあり方の検討にあたっては、県に当事者参加のもとで検討するよう求める。

④市町村に対して、現物給付が中学校までの自治体には18歳までの年齢拡大と、窓口負担の廃止を要望する。

最後に

長野県下の医療費助成は、ここにきてようやく一定の前進をみることになります。制度が実施される8月には県知事選挙がたたかわれます。すすめる会では候補者にアンケートを実施し、県の福祉医療給付制度の改善と拡充について、知事選での公約化を目指します。今後も、残された課題に対して共同の運動を継続し、制度の一層の充実と拡充を求めて県民運動をすすめていきましょう。

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「お金の心配をしないで高校へ行きたい」をかなえたい 中学3年生の家庭の進学費用相談を通して

公立中学校事務職員 和田 蓮華

高校進学費用の説明・相談窓口として

私は、公立中学校事務職員です。少なくとも長野県の公立中学校では、進路指導や奨学金は担当教員の仕事で、事務室がかかわることはあまりありません。それなのに事務職員の私が中学3年生の保護者を対象に、高校進学にかかる費用と奨学制度の説明・相談を始めて15年が経ちました。

県内の多くの中学校で、10から11月に高校進学についての保護者説明会が行なわれます。進路指導の担当教員が、出願から受験、入学手続きまでの日程や留意点、受験の心構えなどを説明するのですが、その後に「高校進学にかかる費用と奨学制度」として、私が説明する時間をとってもらっています。

進学費用説明の実際

短い時間の中でどうしても保護者のみなさんの意識に残してほしいことだけ伝え、あとは個別の相談に応じることにしています。

このとき伝えるのは3つのことです。

・「お金がないから」という理由で、子どもの進路を決めないでください。

・高校進学にかかるお金は、いつ、どのくらいかかるのか、具体的につかんで対策をたてましょう。

・そのためには、いろいろな制度を知って、使える手段は何でも使いましょう。

具体的な内容については、資料を配ります。資料は以下のような内容です。

①高校進学にかかるお金の実際

出願時からお金がかかり始めるのが受験です。私立高校では合格通知がきたら入学金や施設設備費を期日までに払わないと入学資格が得られません。入学前に制服や教科書なども購入しなければなりません。そして高校に通うためには、高校就学支援金制度(※次項)で授業料が無料になっても、教材費や修学旅行費積立、同窓会費、部活動費、昼食代等がかかってきます。

②高校就学支援金制度について

2010年に始まった公立高校授業料不徴収・私立高校就学支援金制度(いわゆる高校授業料無料化)は、2014年度から所得制限のある高校就学支援金制度になりました。世帯の前年の市町村民税所得割の額が304,200円未満の場合に公立高校授業料に相当する年118,800円が国から高校に支払われ、高校生の授業料負担がなくなります(私立高校は所得に応じて2.5倍まで)。大切なのは、この制度を使うには本人が申請しなければならないことです。入学したら必ず高校に手続きをすることが必要です。

③通学費用について

公共交通機関の料金が高いので、通学定期の負担は意外と大きいことがあります。また、高校によっては独自の減免があります。家庭ではこの点を意識していないことが多いので、具体的な例を示して説明します。

※注 市街地から中山間地の高校へ通うとき、逆に、中山間地に住んでいる子どもたちが市街地の高校へ通うときにも、場所によっては通学定期代が年額20万円を超えることがあります。市町村によっては通学費の補助がありますが、授業料を超えるほどの費用負担は深刻です。

④高校へ行くための奨学金・補助金

高校奨学給付金制度、公的な奨学金制度、ひとりおや家庭のための貸付金などです。

公的制度としては唯一の給付型奨学金である奨学給付金は、生活保護世帯または市町村民税非課税世帯が対象です。この条件は、小・中学校で就学援助制度を利用するよりもはるかに厳しいものです。ですから、就学援助を利用していた家庭でも給付金を受けることのできる家庭は限られてしまいます。

返済型の奨学金制度は、無利子の借金です。公立高校の限度額である月3万円を借りれば、卒業後1年据え置きで108万円の返済が始まることになります。

また、奨学金が手元に来るのは、入学後の6から7月頃になります。入学前に必要な費用には間に合わないのです。

この説明の最後に、「今、自分の夢の実現に向けて踏み出そうとしている子どもたちを、事務室も応援します。学習のことは担任に相談してください。お金のことは事務室に相談してください。」と伝えます。この言葉を言いながら、胃のあたりがきゅっと痛くなります。応援するにも手持ちの札が少なすぎることがわかっているからです。

進学費用相談をしてみて

「お金がないと高校へ行けない」…こんな言葉を聞くのは、本当はおかしなことだと思いますが、子どもの学ぶ意欲や人生設計に、その子が育つ環境の経済的な状況が強く影響しています。15歳という、人生のスタートラインですでに格差のハンディキャップを負わされているとしたら、そのハンディを少しでも楽に越えられるようにしたいと願っています。しかし、楽にできるような手立てがあまりにも少ないのが現実です。

そもそもこの説明・相談を始めたのは、中学校で就学援助を利用していた保護者の方からの相談がきっかけでした。子どもが高校へ進学すると、教育費用の負担は中学より大きくなるのに、就学援助のような制度はありません。高校への進学率が100%に迫り、ほとんど義務教育化しているといわれる今、高校にも就学援助制度がほしいという声も高まっています。授業料が無料になったとしても、その他の負担が大きくて、生活を圧迫してしまうのです。

個別の相談を受けてみると、「高校の費用は奨学金を利用しようと思っていたが、入学前に必要なお金のやりくりができない」「子どもが県外の私立高校を希望しているが、学費、寮費、交通費などの費用をとても準備できないので、あきらめさせるしかないと思っている」「銀行の教育ローンを申し込んだら、審査で断られてしまった」「初回の通学定期は何とか購入できたが、更新するお金がない」など、切実な事例ばかりです。

「事務室へ相談してください」と言っていますが、実は、頭を抱える事例のほうが多いのです。無力感を感じるときです。それでもどうしたらいいか、支援してくれそうな機関につなげられないか、と保護者の方と一緒に悩む存在であることが必要なのだと自分に言い聞かせています。すっきりと解決できることはひとつもありません。子どもの希望をお金のことで簡単につぶしてしまいたくない、というメッセージを伝え続けること、家庭の中だけで悩まずに、考える材料を提供すること、できることはそれだけです。

本当の「教育費無償」を実現させてほしい

2017年の衆院選で、「教育の無償化」が急にクローズアップされて驚きました。お金のことで進路をあきらめる子どもたちの存在にようやく社会の眼が向き始めたのかと思いました。

ところが、12月の閣議決定内容を見てみると、相談を受けたような事例の解決になるようには思えません。年収590万円未満の世帯を対象にした私立高校授業料の実質無償化が盛り込まれていますが、財源については未定です。

義務教育でさえ、小学校で年平均73,889円、中学校で年平均115,358円(長野県教育委員会・平成28年度学校納入金調査から)の保護者負担金があるのです。政策のなかでは、「無償=授業料無料」ということのようですが、小・中学校の教育費負担をくぐってきた家庭には、高校進学のための経済的体力が残っていない場合も多いと感じます。

奨学給付金は、利用するにはハードルが非常に高いと書きましたが、この制度の財源は、高校就学支援金の対象にならない高収入の家庭が負担する授業料です。所得の高い者が低い者にお金を回すかのような制度になっているのです。

「無償にすると意欲のない者まで進学する」とか「高等教育は本人の利益になるのだから、受益者負担は当然だ」という意見を聞くことがあります。お金がないためにあきらめることを繰り返してきた結果、意欲を失っているように見える子どももいます。また、教育を受けて人格を完成させ、能力を発揮することは、社会全体の利益といえないでしょうか。

子どもに教育の機会均等を保障するには、まずこんなに高い教育費を個人が負担しなければならないという状況そのものを変えることのほうが先決だと思います。そのために、行政が責任を持って財源を確保し、誰もがお金の心配なしに進路を選択できるような環境を作り出したいものです。

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子どもたちを真ん中につながる学校・地域へ

Uさんの制服探し

長野県学校事務職員制度研究会 小川 寛子

私たち学校事務職員は日々「子どもたちの学習権を守りたい」と願い、学校事務という持ち場で努力しています。しかし、子どもたちの置かれている環境はとても複雑で厳しく、私たちががんばることだけではなかなか光が見えては来ないなと感じています。

今回はおとなたちが協力して、有効な支援につなげることができた例を報告します。

Uさんのこと

Uさんは私がかつて勤務していた学校の卒業生です。初めて出会った時は小学3年生でした。そのときの彼女の姿が目に焼きついて離れません。生徒指導用に使用するクラス写真の中で、Uさんは長い髪をわざと前に垂らし顔全体を覆っていました。まったく顔がみえませんでした。

「どうしたの?この子」と担任に聞いたのですが

「何度撮ってもそうなっちゃうんだよね」。

聞いてみると、母子家庭でお母さんは病気がち。生活保護を受けている家庭でした。そんな家庭環境のなかでも、いつも笑顔を絶やさずおとなと話すことも上手でたくましさも感じる少女でした。

先生たちに心配やお世話をたっぷりかけたりしながらも、Uさんは卒業し近くの中学校に進学しました。

無料学習塾へ

卒業してからも時々小学校へ顔を見せていたUさん。職員室の外で手を振っている彼女を呼び入れて給食をごちそうしたこともありました。しかし少し心配な噂も聞いていました。登校や交友関係のことです。

ある日小学校へ顔を見せたとき、「反貧困ネット長野」が運営している無料学習支援「きずな塾」に誘ってみました。

「うーん、英語わからないから行ってみようかな。友だち連れてってもいい?」

「いいよ。ちょうど今日は金曜日だから、夕方送ってあげるよ」と、とんとん拍子にUさんは学習塾に行くことになりました。

ただし気まぐれですから、どの程度通ったかは不明ですが、ボランティアの大学生のお姉さんにお世話になり、本人曰く「だいぶ点数が上がった」とのことでした。

みごと高校合格!でも…

やがて学習塾にも来なくなってしまい、3月になって進路はどうなったのかなと連絡をとってみると…。ここからはメールのやりとりを紹介します。

「A高校に受かりました」(A高校は県立)

「登校しない日も多かったのに良くやった!!!えらいぞ。準備はできてる?」

「入学金とか予想以上にかかってまだ制服が買えていません。ジャージもあるとうれしいです」

「わかった。知り合いに聞いてみるよ」

“わかった”とは答えたものの、高校生の(親の)知り合いなどまったくなく不安でした。こんな私が彼女の入学準備を引き受けてしまって、もし準備が間に合わなかったら(自分の貯金をおろして制服を買おう)と心の中で考えていました。

A高校の入学時必要な金額※

・女子制服 一式 39,000円

・教材費等(一括集金) 70,000円

・旅行貯金や同窓会費など 22,000円(奇数月集金)

※そのほかに運動着や上履きなどいろいろと。

さて大車輪で制服を探す

あらゆるつてを使ってあちこちに電話とメールの攻撃です。思いついてタウン誌にも載せてもらいました。まわりのみなさんに声をかけ続け、1週間くらいで反応がありました。

1 前任校の学習支援員さんから

娘さんの同級生のお母さんに声をかけて制服を1着いただく。

2 学校事務の仲間が学校の同僚の先生を通じてA高校の教頭先生から制服を

A高校へいただきに行きました。いろいろ詳しくは聞かずに渡してくれました。

3 タウン誌を見た方から

卒業した娘さんの制服を譲ってくれました。クリーニング代1,000円。

4 タウン誌を見た方から

偶然隣の千曲市の中学の支援員さんで、娘さんの制服、ジャージ、衣類、参考書などどっさり。お宅へ伺い、話し込んで来ました。

5 タウン誌を見た方から

A高校はジャージの色が学年ごとに違うのですが、「今年卒業した娘のものなのでこの色です」とまだきれいなジャージをひと揃い。

書き並べるとこうなりますが、1件1件くださる方の心遣いがうれしくてどの方も忘れることができません。制服やジャージをいただくために長野市中を走り回った1週間でした。そのほかにも、私の学校の職員は実家のお父さん(塾の講師をされている)に連絡をとってくれたり、A高校の制服がどんな制服か販売店まで見に行ってくれたり、結局制服は3着もいただきました(今回使わなかったものは反貧困ネットながの・きずな塾の学用品のストックになっています)。

Uさんは高校生!

Uさんはいただいた制服を着て無事入学式を迎えることができました。

ただし、早速入学前から始めたアルバイトが学校から注意を受けてやめさせられ、ひやひやさせられる事もありました。数学のテストがクラスで1番だったという信じられないメールも来ました。これからも一喜一憂心配な日々が続きそうです。

がんばれUさん!

おとなたちの支援をあつめて・つなげて

Uさんが卒業した小学校は古くからの住宅地で市営住宅などもあり、経済的な困難さを抱えた家庭やひとりおや家庭の多い地域でもありました。400人ほどの児童で生活保護が12名就学援助が60名を超え17%以上の子どもたちが経済的な不安の中で通学していました。

私たちの気づいていないUさんは他にもいたかもしれません。密かに高校進学をあきらめた子どもたちもいたでしょう。

私たちが考えると“いろいろなネットワークを使って助け合えばいいのに”と思いますが、ネットワークのできない家庭(保護者)がどんどん苦しくなっているのです。「助けてほしい!」と誰に、いつ、どんなところで言えばいいのかわからない家庭(保護者)の声はとても気づきにくいです。

学校はUさんのように子どもたちの顔が見える、声が聴こえる場所であるはずです。

こうした子どもたちがいることをまず知って、地域の居場所や窓口につなげ、「応援しよう」というおとなたちの支援のネットワークを作っていきたいです。

Uさんの制服さがしに走り回りながら、「この世の中、人の心の温かさは捨てたもんじゃない!」とうれしくなりました。貧困を個人責任にしないで社会で支えていこうという想いを、社会保障の充実やお金のかからない教育の実現につなげていきたいと思います。

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貧困を基底とした児童養護問題への対応の視点

公助と共助

長野県中央児童相談所 児童福祉司 中川 峻介

はじめに

児童相談所に寄せられる虐待通告や相談は昨年同様に多い状況で、子ども虐待などの養護問題を抱えた家庭が多いことを実感しています。児童相談所が支援させていただくご家庭のなかには、さまざまな問題が複雑に絡み合い、問題の根本的解決に至ることが困難な場合も見られています。たとえば、子ども虐待があったり、養育者が病気で子どもの養育が不能になることなどが挙げられます。このような養護問題の基底として「貧困」の問題があります。「2018長野のこども白書」に寄稿させていただくにあたり、「貧困を基底とした児童養護問題」に接近し、その「対応の捉え方」について、私の考えを述べます。

貧困を基底とした養護問題

児童相談所が関与するご家庭には、養護問題の基底として「貧困」を抱えている場合があります。ここでいう「貧困」とは、「相対的貧困」と「絶対的貧困」の両方の意味を含みます。児童相談所が関わるご家庭の中には、お金が足りないために、養育者が病気でも病院に行けなかったり、食べるべきものが食べられなかったり、長時間の労働などで体調を崩すなどの事例もあります。本来このような状態になれば、生活保護制度等でのサポートが必要となりますが、自動車の所持などで生活保護を受けられないこともあります。貧困は問題の解決を困難にし、当然あるべき人としての権利を侵害します。養育者が倒れればそれは直に「養護問題」となります。そのため「貧困」と「養護問題」は切り離して考えられない問題です。

子どもや保護者の貧困は、政策面で見過ごされてきた問題ともいえます。日本では1980年代以降「高齢者の貧困」は大幅に減ってきましたが、その裏で「子どもの貧困」は増えています。(大竹・小原2011)
高齢者の貧困率が下がった主な原因は、「高度経済成長」と「公的年金、介護保険」にあり(加藤2011)ます。対して、保育サービス・産休育休・児童手当などの「子育て支援」や授業料免除などの「教育支援」については、予算規模で見れば、ほんの少しずつしか拡充されてきませんでした。日本はOECD各国のなかで、高齢者福祉には平均水準の予算を充てているのに対し、子ども福祉には、各国の平均の半分程度しか予算を充てていないことも明らかになっています。このことは先進国としてはあまりに多くの子どもが、貧困状態のまま「放置」されていることを表しています。(柴田2016)

以上のことから、子どもや保護者の貧困は国の制度政策などの公的責任において解決していくべきと考えます。同時に、我が国で、高齢者福祉が先行して整備されてきた(高齢者福祉も課題山積ではありますが)背景には、「当事者の声」があることが見逃せません。当事者が自らの権利主張のために、声を上げられるような条件整備を行なうことは、我々支援者にとって重要な役割となります。

また、貧困を基底にした養護問題の当事者は、子どもであることは言うまでもありませんが、もう一方の当事者である養育者についても、目を向ける必要があります。特に養護問題を抱えている子育て世帯は、「社会の矛盾を集約・体現した存在」(堀場2013)であり、養育者は自らの努力ではどうしようもできない課題を社会との接点で有しているといえます(たとえば、不安定労働や非正規雇用、病気・障害、祖父母の代からの貧困など)。そのような意味では、養育者も「権利侵害をされている者」であるともいえます。しかし、地域社会では、そのような養育者は子どもを貧困状態に置く「権利侵害をする者」として排除する力が働き、養護問題を抱える養育者は孤立を深め、さらに問題が悪化するという悪循環に陥りがちです。我々支援者は、養護問題を個人の問題として還元することがないように、養護問題を社会問題として捉える必要があると考えます。

社会的孤立との関連

貧困の影響は、お金がなく、食べるべきものが食べられないことや、欲しいものが買えないことといった直接的な影響に留まりません。この点について、松本(2010)は、貧困は「不利の連鎖と蓄積」として現象し、人生の機会と可能性を制約し、人生の見通しと希望を奪い、幸せを壊すと指摘しています。これは、養育者側では、貧困の表裏一体の不安定・長時間就労等により生活のゆとりを奪われた結果、ストレスフルな生活に追い込まれ、制度・サービスへのアクセスが制限され、子ども虐待に至ったり、養育者自身の自己実現が阻害(人生の質の悪化)されることを意味しています。子ども側では、友だち付き合いなど、子ども同士の遊びや活動への参加が制限され、コミュニケーション等の能力形成の機会が奪われることなどを意味しています。子ども・養育者ともに貧困が社会参加を制限し、結果として「社会からの孤立」を招くと言えます。社会的孤立は、「情報を得るチャンス」を減じさせ(山野2010)、さらなる貧困を基底とした養護問題を招くことになります。言い換えれば「貧困を基底とした養護問題は社会的孤立を発生させ、更に養護問題を悪化させる悪循環となる」と言えます。

公助と共助

上述のような課題について対応をするためには、貧困の解消が根本的な解決策と言えます。そのため、1でも述べたとおり、行政が、貧困家庭への所得保障、労働問題の解消、進学費用の助成、公的福祉サービスの増強等の施策(公助)を実施することが必須になります。しかし実態としての孤立の解消は、公助のみの施策で解決できるものではなく、同じ地域での生活者として、地域住民の関わり(共助)が必要です。たとえば、生活保護制度を活用(公助)した上で、地域住民が家庭のサポートの役割を担い、孤立を解消する(共助)などがこれに当たります。この点について、當間(2016)は地域での子育て家庭の孤立を解消するための最大の課題は「子ども・子育てに関する地域の理解」であると指摘しています。しかしながら、地域の理解は未だ不十分であると思われ、養護問題を主訴とした児童福祉への住民参加は、起きていないのが現状です。(山野2010)

現在、国では「我が事・丸ごと」を旗印に、「地域共生社会」を実現しようとしています。これは、住民主体で地域課題の解決を促すという理念も含まれます。このことについて、現状では住民の助け合い(共助)では手が入りにくい、養護問題を持つ家庭の孤立の解消に有効に作用するのではないかと期待をしています。しかし、行政が「住民主体」の地域共生社会の推進について、お任せや丸投げ的に地域にアプローチするのであれば、前進は期待できません。住民主体の活動を、行政が行政計画等に位置付け、費用分担や、サービスの質の認証等を通して、目標を明確にして主体的にマネジメントしていくことが今後期待されます。特に住民主体の地域福祉実践には、長い間持続する仕組みの確保が不足している(平野2008)ことに課題があります。そのため、行政は、地域住民主体の実践が持続可能となるように、職員が現場の状況を細かにキャッチできるように地域住民と対話し、何が不足しているかなどアセスメントを常に行なうことが重要ではないかと考えます。

また、地域住民主体の地域福祉実践には、その実践を通して、地域の課題を行政に訴えかける役割があります。その意味では、「長野のこども白書」の取り組みが子どもやその養育者にとって重要な共助であると確信しています。

終わりに

これまで述べたように、貧困を基底とした児童養護問題への対応の視点はさまざまですが、私が主張したいのは、①貧困を基底とした児童養護問題は個人や家庭の責任で発生しているのではなく、社会との接点で生じている問題であり、社会施策での解決が必要であること。また、その認識が、養護問題を抱えた家庭を地域から排除する力を弱めること ②当事者が社会に対して声を上げることを支援することが、支援者にとって重要であること③貧困から生じる社会的孤立の解消には公助と共助の一層の協働が必要であるとともに、公助と共助にはそれぞれに強味と限界があり、それぞれが適切に役割を果たせるように行政が行政計画などに位置付け、財政的支援を含めたマネジメントを行なうことが、子どもや養育者の福祉につながることの3点です。

児童相談所に寄せられる電話の中には「近所のお母さんが子育てに困っているんだけど、何か私にもしてあげられることはないですか」というものがあります。このような優しい気持ちを醸成し、具体的支援に結び付けられる地域社会にしていくことが行政の使命であると感じています。

文献

・大竹文雄・小原美紀(2011)「貧困率と所得・金融資産格差」岩井克人他編『金融危機とマクロ経済』東京大学出版会

・加藤久和(2011)『世代間格差 人口減少社会を問い直す』ちくま新書

・柴田悠(2016)『子育て支援が日本を救う 政策効果の統計分析』勁草書房

・堀場純矢(2013)『階層性からみた現代日本の児童養護問題』明石書店

・松本伊智朗(2010)「いま、なぜ『子ども虐待と貧困』か」松本伊智朗他編『子ども虐待と貧困』明石書店

・山野良一(2010)「日米の貧困研究に学ぶ子ども虐待と貧困」松本伊智朗他編『子ども虐待と貧困』明石書店

・當間紀子(2016)「ともに地域で暮らす仲間として何ができるか 地域まるごとケア・プロジェクト」『発達』146 ミネルヴァ書房

・山野則子(2010)「市町村児童虐待防止ネットワークとコミュニティソーシャルワーク」日本地域福祉研究所『コミュニティソーシャルワーク』 5 中央法規出版

・平野隆之(2008)『地域福祉推進の理論と方法』有斐閣

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進学の道を阻む生活保護制度と私

それでも「保育士になる」夢の実現に向けて

長野県在住 高校3年女子

「保護を受けているから」と言えない

私の家庭は私が小学生の頃から生活保護を受けています。小学生の時はその制度のこともあまり知らないし、気にしたことはほとんどありませんでした。最初に気にしたのは、中学生になったばかりの時でした。私が通っていた中学校は家から4㎞ほどの場所にあり、小学生の時はみんな定期で電車通学をしていました。中学生になって自転車通学が可能になると雨や雪の日しか電車に乗らないので定期券は買いません。しかし、保護を受けている私は通学費が支給されるので3年間定期券を買っていました。みんなと同じように雨や雪の日しか乗らないのに定期券を持っていました。ある雨の日友だちと電車で帰った時に友だちは切符を買っているのに、私は気にせず定期券を改札で見せ、ホームに出ました。その友だちは、私に言いました。「何で定期なの?」と。でもその時「保護を受けているから…」などとは言えるわけもなく何となくごまかしてその場は収まりました。その日から生活保護制度について気にし始めるようになりました。

「保育士になる」夢

私は、子どもの頃から子どもが好きで、高校に入る前から保育士になる夢を持ち、高3では保育士になると決めていました。家庭が経済的に厳しいのは中学生の頃からよくわかっていたので、保育士になる夢を実現させるための専門学校や県外の大学、短大、私立の4年制大学への進学はそもそもまったく考えていませんでした。幸運なことに地元の私立短大に幼児保育学科があることを知り、中3の時に高校を卒業したらその短大に行くと決めていました。そして、高校生になったらアルバイトをして進学のためのお金を貯めようと思いました。

部活も辞めアルバイト
進学準備を阻む生活保護の収入認定のしばり

私は、中学からバスケをやっていたので高校でもバスケ部に入部しました。入部早々県外遠征で1万円集金がありましたが、年度始めの4、5月で家計が経済的に厳しかったので、母に「1万円は無理だよね?」と言い、家の用事があるので遠征には行けないと顧問の先生に言い、その日は部活を休み家にいました。やはり、バスケ部は週2日の朝練習、火から金は放課後練習で遅い日だと19時まで、土日は午前か午後、練習試合などになると一日中というように月曜日以外はすべて部活でした。このまま部活をやりながらアルバイトをしてさらに勉強と両立させることはとてもじゃないけれどできませんでした。母と話し合いをした結果、1年の12月に部活を辞めることに決めました。

12月に部活を辞め、その後アルバイトを探して、アルバイトを始めることになりました。部活を辞め放課後の時間が空いたので毎日アルバイトをして進学のためのお金をできる限り多く稼ごうと考えていました。しかし、現実はそんなに甘くありませんでした。生活保護を受けていると1か月のアルバイト収入が28,000円までと上限があったのです。そのため、私は火水の夜と土曜日の週3日のアルバイトにしました。アルバイトを始めたら自分の物はすべて自分で買わなければいけなくなりお小遣いもなくなったので月28,000円の給料ではあまり貯金もできませんでした。高校1年2月から高校3年11月までの給料で貯金したものは、ほんの数万円を残して教習代を払い、大学進学の貯金はないも同然になってしまいました。

もともと進学先が決まったら進学費用の貯金のためアルバイト収入の上限を28,000円から上げてもらえるという話で市役所にも進学先が決まってすぐに相談していたにもかかわらず、その結果が出たのは12月に入ってからでした。結果は教習料金である33万円までは稼いでも良いというものでした。12月に入ってからの結果でしたので12月のバイトのシフトも決まっていたのでこれ以上増やしてもらうことはできず、結局1月から3月の3か月で33万円までということになります。自動車教習所に通いながらアルバイトで月10万円稼ぐのはさすがに無理があると思います。

(注)生活保護制度では高校生のアルバイト収入について私立高校の授業料の不足分、修学旅行費、クラブ活動費など必要最小限度の額は収入認定しないとしており、それ以上は収入認定を行ない、世帯の保護費が減額される仕組み。28,000円は勤労基礎控除、未成年者控除、新規就労控除(6か月間)などを合算した額と推測される。

進学の道、厳しすぎる生活保護制度
「生活費も授業料もすべて自分で」

高校卒業後進学するということは、自分は生活保護から外れるということになります。家族は保護を受けたまま自分一人だけ外れるのです。したがって今まで受給できた自分の分の生活費、授業料など全く何もなくなるということです。また、病気をした時は国民健康保険に入り医療費も自分で払うのです。もちろん、進学後に親からの仕送りなどあるわけがなく、自分の学費、生活費のすべてを自分で確保しなければならなりません。奨学金を借りることを前提としてもそれだけでは全然足りないからアルバイトをするしか方法がありません。進学前に少しでも貯めておこうと思いましたが、アルバイト収入にも上限がある上、自動車免許を取るための教習代でほとんどなくなってしまい、全然貯められない状態です。

自分自身、進学後自分の生活費、学費がきちんと払えるのか、今のバイト収入では正直不安しかありません。

生活保護制度とは本来最低限度の生活を営むためのものです。でも、今の制度の中では、勉強したくても経済的な理由で諦めざるを得ない人や、多くの奨学金を借りて大学短大専門学校その他を卒業した時にウン百万円の借金を抱え社会に出る人も多いと思います。少しでも借金を減らすため、少しでも生活費を賄うため、進学前にある程度準備ができるよう、高校生のアルバイト収入の上限を上げるか、または上限をなくすことができればこの先子どもたちの選択肢が広がるのではないかと思います。

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子ども直撃の生活保護基準引き下げ

反貧困セーフティネット・アルプス世話人 児玉 典子

児玉 典子さんの顔写真

子どもの夢実現を阻む生活保護制度

保育士を目指すさわやかな笑顔が素敵な高校生に出会う機会を与えられ、お母さんと一緒に生活保護制度と学資保険の相談をきっかけに話を聞く機会を持ちました。手記を書いてくれた高校生のお母さんは、短大進学の喜びとともに今後の生活の不安を語られました。「子どもが小学生の頃から成長を見守ってくれていた知人から絶対上の学校に行くようにと後押しされ、親としても将来、専門職が必要と思って娘の選択を支えたいと思う。でも、生活保護制度が子どもの夢の実現のためにいかに大きな壁になっているかを実感している」とお母さんは話されました。

彼女は、長野県が制度化した入学金、受験料の給付、長野県社会福祉事業団の保育士修学資金貸付制度(県内で5年間働くことを条件の返還免除あり)の活用、短大紹介の保育所アルバイトで乗り切る覚悟だといいます。彼女は訴えています。「進学後自分の生活費、学費がきちんと払えるのか、今のバイト収入では正直不安しかない。生活保護制度とは本来最低限度の生活を営むためのものであるはず」と。

そして、4月から家族と彼女を支える地域の人、さらに給付型奨学金の活用を味方に保育士の夢の実現に動き始めます。

生活保護基準のさらなる引き下げ、
子どものいる世帯直撃

昨年12月、政府は生活保護基準を最大5%引き下げ、年間160億円削減する2018年度予算案を閣議決定しました。生活保護基準を最貧困層(下から10%)の生活水準に合わせて引き下げるというものです。これは際限ない「引き下げスパイラル」を招き、「普通の暮らし」を破壊します。加えて母子加算は約21,000円から約17,000円と2割減らされます。児童養育加算の見直し(減額)もあるとし、子どものいる世帯を直撃します。2013 年から生活扶助基準、住宅扶助基準、冬季加算が相次いで大幅に引き下げられ、全体で平均7.3%の引き下げに、29都道府県で違憲訴訟が争われているさなか、さらなる引き下げは子どもの生活、進路を大きく阻むものとなります。

世帯例

現在の生活

当初の見直し

批判を受け緩和

措置後の基準

30代夫婦

子ども1人

14.8万円

14.5万円

(マイナス2.4%)

14.5万円

(マイナス2.4%)

40代夫婦

子ども2人

18.5万円

16万円

(マイナス6.1%)

17.6万円

(マイナス5%)

40代母親

子ども2人

15.5万円

14.6万円

(マイナス6.1%)

14.7万円

(マイナス5%)

参考:厚生労働省生活保護基準部会で示された資料による(毎日新聞より)

生活保護世帯の世帯分離による子どもの大学進学

生活保護世帯の子どもが大学等に進学すると「世帯分離」され、当該子どもの保護費が打ち切られることが基本となっています。結果、一般世帯の大学等進学率が73.2%(浪人を含めると80%)であるのに対し、生活保護世帯の大学等進学率はわずか36%と半分以下です。

生活保護の適用について細部を定めた「生活保護手帳」の別冊問答集では高校大学の進学について次の通り定めています。

生活保護手帳別冊問答集抜粋

大学などに就学するものは、すでに高校就学によって技能や知識によって当該被保護者がその能力(稼働能力)の活用を図るべきでところであることから生活保護は世帯分離措置によって取り扱う。

要するに『国は義務教育以上の高等学校就学を「生業扶助」(教育扶助ではない)で認めてきたので本来なら働くべきである。大学等の進学は生活保護では認めません。大学、短大、専修学校に行き学びたいなら生活保護を外すので自分の生活費も学費もすべて自己責任ですよ』ということです。

具体的には、自宅通学の場合で世帯の生活保護費(生活扶助)は約37,000円減額になり、授業料などの他教材費、実習費なども全て子ども自身が賄う手立てをとらなくてはなりません。手記を書いてくれた高校生の場合保育士を目指すため返還免除型修学金貸付制度(卒業後5年間保育士として働く条件付き)の活用にこぎつけましたが、多くは貸付による奨学金制度を利用せざるを得ません。

また、世帯の保護費減額で家族は生活保護基準以下の生活余儀なくされます。

生活保護と高校生活

大学など進学にたどりつくまでの高校生活は生活保護のもとでは多くの成長の機会を奪われています。女子高校生は入学当初1万円の部活遠征費に直面し「無理だよね。」と母に話し、退部を選択しました。高校生として友人との交友や日常生活諸費の支出の制約は大きいはずです。高校生活を孤立することなく、排除されることなく送るわずかな余裕も保障されない生活保護基準です。

現在、高校生は学習支援費として5,150円(月額)が支給されていますが、来年度の見直しで定額支給から実費支給とし、学習参考書や一般教養図書ははずし、クラブ活動経費のみが対象となります。ますます学習教材の購入などが難しくなり、子どもたちの学び成長の環境が厳しくなることが予想されます。

こうした動きは子どもの貧困対策に逆行し、ぎりぎりの努力をしている子どもたちが大学進学にたどり着く前に成長の芽を奪われてしまいかねません。子どもの貧困対策指標の大学進学率が一層悪化することになるでしょう。

生活保護世帯の子どもが夢実現を諦めないために

生活保護世帯の子どもが目標を諦めないで進路選択できるように、子どもの個人的な努力だけに頼らない社会的システムが急がれます。

1 生活保護制度の大学等進学による世帯分離を廃止することで、貧困による子どもの進路選択に道を開くこと。

2 給付型奨学金の制度拡大、さらに生活費を支給する修学費支給、貸付制度の普及は現在の保育士介護福祉士など福祉関係資格取得に偏重しており、あらゆる職種に適応する。

3 高校生に無料学習支援ができる場所を地域につくる。

4 子育て世代直撃の生活保護基準の改悪に対し、県や市町村が独自支援金などにより支援システムを持つ。

5 高等学校では子どもの貧困の実態に寄り添い、進学のための奨学金制度などの情報を早い時期に適切に提供する。

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レポート 15歳の私の発言

「こども食堂に参加して」

中学生 曲渕 仁哉

曲渕 仁哉さんの顔写真

近年、「6人に1人の子どもが貧困」という話題がしばしば取り上げられています。6人に1人ということは、クラスに5人くらいの割合、ということになります。僕はそのような実感がわかなく、本当なのだろうかと疑問に感じ、調べることにしました。

厚生労働省が毎年実施している「国民生活基礎調査」の中に「貧困率の状況」という調査結果があります。「6人に1人の子どもが貧困」というのは、平成24年度の貧困率16.3%という調査結果に基づいているとわかりました。また、貧困率というのは、一人に使えるお金を各家庭で計算し、ちょうど真ん中にくる金額の半分に満たない家庭を貧困として算出しているということもわかりました。平成24年度の貧困線は122万円、つまり、6人に1人の子どもは1年間に使える金額が122万円より少なかったということになります。僕ははじめ、122万円というのが多いのか少ないのかピンと来きませんでしたが、学費や部活や塾に払っている金額を聞くと、とても厳しい状況なのだと理解できました。他の家庭と比べて所得が低いことは「相対的貧困」といい、途上国の難民のように食べ物や住居等に欠く状況である「絶対的貧困」とは区別しています。僕は「絶対的貧困」に比べると「相対的貧困」は、大変ではないと思っていましたが、自分の生活に当てはめて細かく想像してみると、決して軽視できないと感じました。部活をあきらめなくてはならないと、友だち関係にも影響がありそうです。僕は急に身長が伸びたので最近制服を買い替えましたが、それも大きな負担でしょう。そして、自分の趣味にまったく出費ができなければ、生活も楽しくなくなると思います。長野県が行なっている「子どもの声アンケート」の中には、病院に行くのを控えたり、部活や好きなこと、進学までも断念したりという声が多く見られました。「どうせ解決の手助けにならないくせに悩みを書かせてどうするのか」というような内容もありました。「相対的な貧困」が、その人の健康や精神状態、能力、人間関係、自己肯定感まで低めてしまっている怖さを感じ、何とかすべきだと感じました。

対策に目を向けると、地域でも子どもを取りまく困りごとを理解しようと努め、行動している多くの人たちの存在が見えてきました。僕はこの夏休みに近所の公民館で開催している「こども食堂」にボランティアとして参加してみました。そこでは、子どもたちに無料で美味しい昼食を提供し、学習支援や遊び等も行なっています。もともとの目的は「子どもの貧困対策」とのことでしたが、参加者の中に、食事の支援が必要な人たちがいるように見えませんでした。そのため、この取り組みが支援の必要な人たちに届いているのか少し疑問に感じました。僕は、実際に子どもたちと一緒にやじろべえ作りをしたり、遊んだり、運動したりしました。子どもたちは本当に楽しそうで、僕も自然に笑顔になれました。こども食堂は、貧困対策の意味ではすぐに効果があるものではないかもしれませんが、子どもを中心に地域がつながるすばらしい機会であると思いました。また、こども食堂で使用した食材のうち野菜類は、すべて地元の方々が作って寄付してくれたものだそうです。直接食堂に参加していなくても、たくさんの協力があって取り組みが成り立っているのがわかりました。旬の安全で美味しい野菜は子どもたちにも人気でした。困ったとき、みんなで楽しくご飯を食べたいときなど、身近にこのような場があると、子どもだけではなく、住民みんなにとって心強いでしょう。幅広い世代が交流できて、地域のきずなの強化にも役立っていると思います。学習支援も上手に活用すれば、塾の代わりにもなりそうです。

今回、スタッフの方から、「子どもたちがその子らしく生活できるよう、必要だけど足りないものを地域みんなで作っていくんだよ」と教えてもらいました。貧困対策としてはまだ不十分かもしれませんが、実際に参加してみて地域内のつながり強化としては大変意味のあるものだと実感しました。必要な人たちに支援を届けるためにはどうしたら良いかなど、課題は多いですが、すぐに結果が出なくても継続していくことが大事だと思いました。

しばしば耳にしていた「子どもの貧困」というキーワードをきっかけにして、子どもの現状や支援を知ることができました。僕が体験したような地域での取り組みは、人と人とのつながりを強め、結果的に役に立つ情報が広くいきわたる手助けにもなるのがすばらしいと思いました。このような支援する側、される側の区別がない「地域に普通にある」取り組みが増えていけばいいなと思いました。今回、いろいろ調べたり体験したり考えたりして、視野が広がったと感じました。これからも多くのことに関心をもつようにしたいと思います。

(※夏休みの課題として取り組んだレポートです)

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特集3「長野県の格差・貧困と子ども・若者」あとがき

長野県の子どもの貧困の現在 2018

長野の子ども白書編集委員 和田 浩

「医療機関の受診」:東京との比較で見えること

「長野県子どもと子育て家庭の生活実態調査」の結果が今年3月に発表されました。非常にくわしい貴重な調査であり、これから何が読み取れるのかさまざまな角度からの検討が必要です。ここでは「医療機関の受診」について「東京都子供の生活実態調査」(2016年、対象は墨田区・豊島区・調布市・日野市に住む小学5年・中学2年・16から17歳の子どもとその保護者。有効回答は子どもで42.0%)と比較してみたいと思います(東京の調査では年齢別のデータのみ公表されているので、数値を小学5年/中学2年/16から17才の順に示します)。

「過去1年間にお子さんを医療機関で受診させた方がよいと思ったが、実際には受診させなかったことがありましたか?」に対し、「あった」としているのは、長野県では、困窮家庭36.2%、周辺家庭18.1%、一般家庭12.8%。東京では、困窮層:24.8/21.5/23.8%、周辺層:18.7/16.8/17.0%、一般層:15.0/13.1/10.8%となっており、困窮家庭で大きな差があります。また、その理由のなかで「自己負担金を支払うことができない」が、長野県では、困窮家庭19.0%、周辺家庭4.0%、一般家庭0.0%なのに対し、東京都では、困窮層:0.0/3.2/18.8%、周辺層:3.1/2.0/1.8%、一般層:0.7/0.0/0.0%。

東京では子どもの医療費助成は以前から中学卒業まで現物給付(区・市によって、完全窓口無料であったり200円程度の自己負担があったりしますが)でした。長野県の償還払い制度が困窮家庭では大きな負担になってきたことを示しているといってよいでしょう。さらに、注目したいのは東京の困窮層の「自己負担金が支払えないため」が、小中学生では少ないのに、16から7才では18.8%と高くなっている点です。これは中学を卒業すると医療費助成がなくなるためと考えられます。

長野県は今年8月から医療費助成を中学卒業まで現物給付(1件500円の自己負担あり)としました。これは大きな前進ですが、長野県内でも中学卒業後に「お金がなくて医者にかかれない」という子どもたちが決して少なくないと考えられ、今後対象年齢を引き上げることが必要です(医療費に関しては原健さんがくわしく書かれていますのでご覧ください)。このようにデータを出すことで見えてくることが多々あります。

教育費・奨学金のリアル

貧困の実態を知りその対策を考えるうえで重要なのは、こうしたデータと同時に、それが具体的にどんな姿で現れるのかを明らかにすることであると思います。長野県の今回の調査や平成27年のひとりおや家庭への調査でも、自由記載でそうした声を集めていますが、調査の性格上一言二言になります。もっとくわしい実態を明らかにするのが「長野の子ども白書」の役割のひとつだと私は考えています。今回は、教育費や奨学金についてのレポートが多く寄せられました。

特に当事者の発信は貴重です。望月翔太さんは、中学2年から母子家庭となり、大学に進学したものの、そのために借りた奨学金や教育ローンは総額1,000万円にもなるそうです。「高校3年女子」さんは、生活保護を受けている家庭で育ち、保育士志望ですが、高卒後進学すると生活保護から外れ、学費・生活費・国民健康保険料などすべて自分で払わなければなりません(児玉典子さんがその背景・問題点を解説してくれています)。大学院博士課程2年まで8年間大学に在籍した「雪の盆踊り」さんは、奨学金の「返済額は月の手取りの4分の1」「結婚しても子どもは育てられない」、さらにH29年度から設定された給付型奨学金に関して「対象者は極めて少なく条件も厳しい」うえに「初年度納入金の約40%しかまかなえない」としています。

支援する側から、和田蓮華さんは「高校へ進学すると、教育費負担は中学より大きくなるのに、就学援助のような制度がない」「小中学校の教育費負担をくぐってきた家庭には、高校進学のための経済的体力が残っていない場合も多い」と書いています。宮下順さんは児童養護施設の現場から「4年制大学に進学した子のなかで卒業した子はいない。夕方から明け方までの複数のアルバイトを掛け持ちし授業に出られない。そういった子たちは奨学金を借りていたので、現在借金を抱えて苦しい生活を余儀なくされている」としています。

がんばって勉強して進学できたとしても、そこから先にあまりにも大きな経済的負担がのしかかってくることに愕然とさせられます。貧困を抱えた子どもや青年が、親からの支援がなくても、借金せずに進学でき、さらに学費だけでなく生活も保障されることが必要です。このことは、牧田広利さんが紹介されている学習支援、小川寛子さんの制服を探す取り組み、小池汐里さんの小児科外来での食料や物資の提供などに示される、草の根の支援や支えあいが実を結ぶためにも必要です。

自己責任論と自己肯定感

支援のなかで自己肯定感を高めることは中心的な課題であり、松本市の「子どもの未来応援指針」に関して「自己肯定感を高めることを大きな目標」としていることは非常に重要だと思います。自己肯定感を高めるためには、まず、貧困の根本的な原因は、日本の雇用・労働・社会保障・教育などのあり方の問題であり、個人の責任ではないことを明確にする必要があります。この点は中川峻介さんの提起する視点と重なります。

しかし、貧困を抱えた親子は「だらしがない」「いいかげん」など、「困った人」という姿を示すこともよくあり、自己責任論につながりやすいという現実があります。でも、そういう親子でも実はがんばっている所が必ずあります。たとえば、お母さんが子どもの夕飯をコンビニ弁当で済ませると「ちゃんと作らなきゃ」と言われてしまいます。しかし、もしお母さんが一人暮らしなら「疲れたしお腹もすいてないから、夕飯抜き」としてもいいのです。でもそうしないで、コンビニ弁当であろうととにかく子どもを飢えさせなかった。100点ではないけれど0点でもない。50点くらいあげてもいいではないかと思うのです。「疲れているのに頑張ったね」「親として最低限のことはやったよ」と言ってあげたいと思うのです。

「ほめる」という言葉は「おだてる」というニュアンスで使われることも多いのですが、おだてる必要などありません。自分が少しだけれど頑張ったという事実に気づき、少し自信を持つことが前に向かうエネルギーになると思うのです。

最後になりましたが、曲渕仁哉さんは、おそらく「長野の子ども白書」の最年少の執筆者だろうと思います。「最近の若い人は貧困を知らないから、そういう人に対し思いやることもできない」という言い方をされる場合がありますが、知らないなら知ればいいのだと思います。そして曲渕さんのように「自分の生活に当てはめて想像してみる」ことや現場に足を運ぶことで身近に感じることができます。若い人たちがこうしたことを知ろうとされるのは大変心強いことです。

和田 浩 飯田市健和会病院小児科医、日本外来小児科学会「子どもの貧困問題検討会」代表世話人、「貧困と子どもの健康研究会」実行委員長

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 特集 4 「学校・家庭・自分についての小中学生アンケート」結果報告

もくじ

これ以降は特集 4のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

小学生・中学生アンケート調査実施と報告あたって このアンケートをどう活かしていったらよいか

2017年度調査 長野の子ども白書・報告書

特集 4のリンクは以上になります。

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特集4「学校・家庭・自分についての小中学生アンケート」結果報告

アンケートに回答するクマのイラスト

小学生・中学生アンケート調査実施と報告にあたって

このアンケートをどう活かしていったらよいか

長野の子ども白書編集委員会

学齢期の多くの子どもは学校と家庭で生活しています。「長野の子ども白書」はそれ以外の場所からも、子どもたちの姿や子どもたちの声を、かたわらで伴走する執筆者が多様な取り組みを通して紹介してきました。すべての子どもたちに保障されている、自分の子ども期をしあわせに過ごす権利を保障するために、情報を発信しています。

ところが、一見元気に学校に通う我が子や孫が学校の教科学習や友だち関係でいったい何を思い、どんな成長を遂げているのか、あまりよくわかっていないことに気づきます。隣近所の家ではどんな子育てをしているのかも、プライバシー重視の世相とも相まって本当のところよくわからないという声がたくさん寄せられています。

子どもたちは学校の教科学習を中心に行事・課外活動等とそれにかかわる教師・友人関係によって、家庭では家族とのかかわりのなかで成長を遂げているのですが、子どもたちはそれらをどう受け止めているのでしょうか。

長野の子ども白書編集委員会では昨年度、「子どものことは子どもに聴こう」と「さっぽろ子ども・若者白書をつくる会」が2015年から実施している、北海道大学教育学部・発達心理学研究室(代表・加藤弘通准教授)作成のアンケート用紙を使って「小中学生アンケート」を実施しました。2016年には同研究室のご協力を得て、470名の協力者数でスタートしました。統計的には少数であったもののさまざまな成果を得ることができました(2017長野の子ども白書参照)。これを受けて、統計的信頼性をより確実なものとするため、2018年版に向けて協力者を増やすために努力し、小学校4年生から中学校3年生までの2500余名を集めることができました。ここにその結果報告を行ない、この成果がさらに本年度の実施へとつながっていくことを願っています。

今回の実施にあたり、編集委員会ではアンケートの協力者数を増やすために、県招校長会長会でアンケートの意義を説明し協力を訴えました。全県ムラなく3,000は集まるだろうという楽観的なものでした。校長会の開始前5分という短時間の訴えではこちらの意図が十分通じず、また、各学校ではさまざまなアンケート調査へのアレルギーというものもあり、校長先生には職員の新たな負担を回避したいという配慮が働いていたようで、協力校の申し出を受けるのに時間がかかりました。その間、個別に粘り強い説得「無記名、10分以内、集計不要で分析結果を後日報告」をアピールしてきた結果、上記の数を集めることができました。また、民間教育団体の会員にもご協力をいただきました。ご協力いただいた学校の校長先生はじめ、ご協力下さった教職員のみなさま、回答して下さった児童・生徒のみなさまに心より御礼申し上げます。

各校で実施されている調査・アンケートは全国学力テストをはじめ、文科省や教育委員会の要請によるもの、学校評価のためのもの、児童生徒理解のために行なうもの、通称C調査、P調査、QU検査、アセスなど多くあり、多くはその集計を教職員が行ないますが、検査用紙や入力費用が有料のものもあります。このように現場の教職員は実施や集計に追われながら、主体的に結果を分析している時間的余裕はあるのでしょうか。もちろん教職員自らが授業改善するために自主的に行なう日常的な授業評価は大切ですが、評価や報告義務を伴う調査は大きな負担のようです。

その点から見ると、今回実施した北海道大学教育学部発達心理学教室に協力依頼した本調査は、教職員の負担も小さく、いくつもの興味深い結果が得られてとても参考になります。

このアンケート調査の報告からは、子どもたちの「安心や自信」が学校生活・家庭生活のどのような面と相関関係を持っているのかが浮かび上がってきます。何が、子どもたちの生活を楽しく安心なものにしているのか、自尊感情を高めているのかが見えてきます。全体の傾向と共に、学校独自の結果が得られることも、学校評価の資料として有効に活かされるのではないかと思われます。2018年度も多くの学校でこのアンケート調査を実施していただくことを願って、報告します。尚、紙面の都合で報告書本文にある表の一部を省略しています。(編集委員・岩月二郎 記)

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2017年度調査 長野の子ども白書・報告書

北海道大学教育学部・発達心理学研究室

加藤 弘通(准教授)・水野 君平(博士後期課程)・侯

江(博士後期課程)・濤岡優(博士後期課程)

Ⅰ 調査概要(全体について)

今回の調査の分析は、北海道大学教育学部・発達心理学研究室(代表・加藤弘通)が行なったものです。調査は小学校8校 54 学級の 4から6 年生 1,557 名、中学校 5 校 34 学級の 1から3 年生 993 名、計 2,550 名を対象とし、アンケート調査で行ないました。詳細は以下の通りです。

表 1 調査協力者の内訳(人)

男子

女子

小学校

814

742

1,556

中学校

495

497

922

表3 各学年の協力者数の内訳(人)

小学校 4年生 547
5年生 540
6年生 468
中学校 1年生 249
2年生 367
3年生 377

中学生に比べ、小学生の方が多いデータである一方で、男女については大きな差はみられません。また学校に関するデータは、地域による影響を受けること(どの地域の学校かということが重要な要因であるということ)が知られていますが、今回の調査では地域を特定することができないため、全体として分析を進めていきます。

以上のような特徴をもったデータであるとふまえた上で、以下、資料の提示と分析を進めていきます。

Ⅱ 資料編

1 学校生活

学校は楽しい 学校の授業(勉強)は楽しい

学校の楽しさは、学年による大きな違いはなく、「どちらかというとあてはまる」まで含めると、7 割強の者が学校生活を肯定的にとらえています。学年が上がるにつれて、肯定的な回答が減る傾向がしばしば見られますが、今回はそうした傾向は見られませんでした。

授業の楽しさについては、中学生では 2 年生で肯定的な回答の割合が 5 割を切り、学年を追うごとに肯定的な回答が減少しています。それに対し、小学生では、4 年生と 5 年生以降の段階で差がみられ、肯定的な回答の割合が減る傾向が見られます。

学校の行事は楽しい 学校に行きたくないと思うことがよくある

学校の行事の楽しさについては、中学生では「どちらかとういとあてはまる」まで含めると、約 7 割前後の者が肯定的にとらえています。一方、小学生では 5 年生において、肯定的な回答の割合が他の学年に比べ低いです。

「学校に行きたくない」気持ちについては、小学生では学年が上がるごとに、それを肯定する者の割合が減少する傾向があるのに対し、中学生では学年が上がるにつれて、増加する傾向が見られました。つまり、小学生は低い学年の者ほど、学校を休みたいという気持ちをもつ者が多いのに対し、中学生は学年が高い者ほど、そうであるということがわかります。

2 教科への好み(各教科が好きですか)

主要5 教科に対する好みでは、「とてもあてはまる」の値に注目すると、算数・数学と理科で学年とともに「好き」と答える者の割合が低下する傾向が見られました。

上記の科目以外では、保健体育を除く科目で、学年が上がるにつれて「好き」と答える者が減少しています。

※データの掲載を省略しています。

3 教科の理解度 ・関心度

(国語から理科| 各教科がわかる・ 図工から道徳| おもしろい)

主要 5 教科に対する理解度では、「とてもあてはまる」の値に注目すると、算数・数学と理科で学年が上がるにつれて、低下する傾向が見られました。

総合的学習に関しては、学年が上がるにつれて関心が下がる傾向がみられました。

※データの掲載を省略しています。

4 授業や宿題でわからないことがあったきは

先生に聞く 友達に聞く

授業や宿題でわからないことがあったときの対応についてたずねた結果、「先生に聞く」と答えた者については、「どちらかというとあてはまる」まで含めると、若干ではありますが、小学生では学年が上がるにつれ、先生に聞く者の割合が減少するのに対して、中学生では学年が上がるにつれて増加する傾向がみられました。

「友だちに聞く」については、6 年生で増加し、その後、中学生では若干下がりますが、大きな変化はみられませんでした。

家族に聞く 自分で調べる わからないから何もしない

「家族に聞く」は小中学校通じて、学年を追うごとに減少しています。一方で、「自分で調べる」については学年とともに増加しています。また「わからないから何もしない」については「全くあてはまらない」だけに注目すると、6 年生から中学 1 年生で大きく減少していました。

5 友だちとの関係

友達はたくさんいるほうだ 友達といると楽しい

友人関係については、「友だちはたくさんいるほうだ」については、小中学校ともに、学年が上がるほど、肯定的な回答の割合が減少していました。思春期に友人関係の重要性が量から質に転換することがしばしば指摘されますが、今回の結果もそれを裏付けていると思われます。

「友だちといると楽しい」についても小学生と中学生のあいだに差がみられ、中学生になると、肯定的な回答の割合が徐々にではありますが、減少していきます。

友達に「とってもいやだ」と思うことをされたことがある 友達に「とってもいやだ」と思うことをしたことがある

いじめを想定した質問です。被害については小中学校ともに学年が上がるにつれて、肯定的な回答(被害を受けた)が減少する傾向が見られました。またもっとも多い小4では「どちらかというとあてはまる」「とてもあてはまる」を合わせると3割を越える者が肯定的な回答をしていました。

一方、加害については、学年による違いはそれほど見られませんでした。

6 教師との関係

先生といると楽しい 先生は私の話を真剣に聞いてくれる

先生といると楽しいについては、「とてもあてはまる」「どちらかというとあてはまる」を含めた肯定的な回答についてみると、学年が上がるにつれて、その割合が減少しています。

また先生は私の話を真剣に聞いてくれるについても同様の傾向が見られ、特に「とてもあてはまる」については、学年が上がるとともに、顕著に減少する傾向が見られます。

先生は困ったときに相談にのってくれる 自分のいいところも悪いところもわかってくれる

先生は困ったときに相談にのってくれる、自分の良いところも悪いところもわかってくれるも他の項目同様、ともに学年が上がるにつれて肯定的な回答が減少する傾向が見られました。

7 居場所

学校は「安心できる場所」である 家庭は「安心できる場所」である

学校は「安心できる場所」であるについては、肯定的な回答に注目すると、学年が上がるにつれて減少する傾向が見られ、特に小学校から中学校に校種が変わるところで、大きな減少が見られます。また中3では「どちらともいえない」と答える者が 36.7%おり、他の学年に比べ、学校が安心できる場所であるのか、判断がつきかねている者が多くいることがうかがわれます。

家庭についても同様に、小学校から中学校に移行するところで肯定的な回答が減少しますが、いずれの学年も8割前後の者が肯定的な回答をしています。その一方で、いずれの学年にも数%否定的な回答をしている者がおり、気になります。

8 あそび

この一週間で友達と遊ぶことはありましたか

友人との遊びについては、小5から小6で一度その頻度が大きく減少し、また小学校から中学校への移行でさらに大きく減少しています。こうした減少から、遊びを中心とした生活からそれ以外の予定が多くなって、だんだんと友だちと遊ぶ頻度が下がっていくという、発達による子どもたちのライフスタイルの変化が推測されます。

9 家庭について

家庭は楽しい 家族は自分の話をよく聞いてくれる 家庭での心配事がある

「家庭は楽しい」「家族は自分の話をよく聞いてくれる」については、「とてもあてはまる」に注目すると、ともに小5から小6 で肯定的な回答が顕著に減少し、その後、小6から中1、中2から中3で再度顕著に減少するという傾向が見られます。

また「家庭での心配ごとがある」については、いずれの学年においても、大半の児童生徒は否定的な回答をしているものの、4から7%強「とてもあてはまる」と強く肯定している者がおり、気になります。

10 自分ついて

自分のことが好きだ 自分は人から信頼されている 自分にはいいところがたくさんある

以上は自尊感情を調べる項目で、思春期には低下が見られることが今までの研究からは言われてきていました。今回の調査結果でも同様の傾向が見られ、いずれの項目も学年が上がるにつれ、肯定的な回答の割合が減少する傾向が見られました。

自分は役立つ人間だ 社会に役立つことをしたい

自己有用感については、現在の有用感(「自分は役に立つ人間だ」)は自尊感情ほどではありませんが、学年が上がるにつれて、肯定的な回答が減少する傾向が見られました。また肯定的な回答の割合が低く、「どちらともいえない」が半数を占めており、判断がつきかねているような傾向が見られました。

一方、将来への有用感(「社会の役に立つことをしたい」)は多くの児童生徒がそうありたいと思っていることがわかります。

今、自分は元気だ(心・体)

健康については、学年が上がるにつれて、肯定的な回答が減少し、否定的、「どちらともいえない」といった判断がつきかねるとする回答が増加する傾向が見られます。特に中3で否定的な回答が 15%と若干多い点が気になります。

早く大人になりたい

「早くおとなになりたい」については、中1までは肯定的な回答が減少する傾向が見られるものの、その後は肯定的な回答が増加する傾向が見られました。またいずれの学年も 3 分の1程度の者が「どちらともいえない」とする回答がみられました。

Ⅲ 分析篇

「学校の楽しさ」と「自尊感情」に関連する要因

ここでは学校の楽しさと自尊感情(自己肯定感)にどのような要因が関係しているのかをみていきます。その関係を分析するために、「相関分析」という手法を用います。以下にその見方について簡単に解説しますので、参考にしてください。

1 相関分析では相関係数 r という数値を算出します。

2 数値の見方には 2 つポイントがあります。

① 正負(±)の記号

記号がプラスの場合、一方が高くなると他方も高くなる、あるいは一方が低くなると、他方も低くなる関係です。たとえば、親の年収と学力の関係などです。

一方、記号がマイナスの場合、一方が高くなると、他方が低くなる、あるいは一方が低くなると、他方が高くなる関係です。たとえば規範意識と問題行動の関係などです(規範意識が低いと問題行動の頻度が高くなる)。

② 数値の大きさ

相関係数 r の数値は-1.00から1.00 までの値をとります。その値が大きければ大きいほど、関連性が強い=高いということになります。心理学では一般的に以下のようにその関連性の強さを評価することが多いです。

弱い相関 ±0.20≦r<±0.30

相関あり ±0.30≦r<±0.40

比較的強い相関 ±0.40≦r<±0.50

強い相関 ±0.50≦r<±0.60

かなり強い相関 ±0.60<r

1 学校の楽しさに関連する要因

学校の楽しさに関連する要因

「学校は楽しい」と関連する要因を学校の要因、友だち関係、教師との関係という観点から検討したところ、「学校の授業は楽しい」と「学校の行事は楽しい」、「学校は安心できる場所である」が関連しており、強い相関がみられました。当たり前といえば当たり前ですが、学校生活の充実にとって授業・行事の重要性と、安心が保障されることが大切だということがわかります。

以下「友だちといると楽しい」「友だちはたくさんいるほうだ」「先生といると楽しい」「先生は私の話を真剣に聞いてくれる」との間でも比較的強い相関が見られ、これら友人関係と教師との関係に関する要因も学校生活の充実にとって重要であることがわかります。

1-2 授業の楽しさと各教科の好み、理解度・関心度の関係

授業の楽しさと各教科の好み、理解度・関心度の関係

 「学校の授業(勉強)は楽しい」と各教科がどのように関係しているのかを検討するために、各教科の好み(好き)と理解・関心度(わかる・おもしろい)の関係を分析しました。

好みでは、算数・数学、総合学習、社会、理科が比較的強く関連しており、これらの教科が好きであるほど、授業を楽しいと思う傾向が強くなることがわかります。

一方、理解・関心度については、社会、総合学習、理科、算数・数学、国語が比較的強く関連しており、これらの教科の理解度が授業が楽しいと思うことと関連していることがわかります。

2 自尊感情に関する要因

自尊感情に関する要因

「自分のことが好きだ」という自尊感情と関連する要因を学校、教師、友人、家庭、自分に対する要因等の観点から分析をしました。

その結果、「自分にはいいところがたくさんある」といった長所や「自分は役立つ人間だ」「自分は人から必要とされている」「自分は役に立つ人間だ」といった自己有用感が自尊感情と強く関連していました。つまり、自分の長所に目を向けること、および人の役に立つ経験や役割を与えられることが自尊感情の高まりと関連していることがわかります。

次に関連性の強さは下がりますが、「学校が安心できる場所である」こと、「友だちはたくさんいるほうだ」「先生は私の気持ちをわかってくれる」が、自尊感情に関連していることがわかります。つまり、学校での安心感、友だちがたくさんいること、教師の共感的な態度が自尊感情に関連していると考えられます。

補:学校別の学校への安心感と自尊感情

学校によって「安心感」と自尊感情に違いがあるのかをみるために、「学校は安心できる場所である」「自分のことが好きだ」の項目の学校ごとの平均値を求めました。

安心感に関して、小学校では統計的に意味のある差がみられたのは、A小と D小・F小の間でした。つまり、D小・F小に比べ、A小の安心感が低いということがいえます。ただし、A小も平均値で 3.0 点以上の値を示していますから、平均的にはどちらかというと、安心感を抱いているといえます。また自尊感情については、B小が他の学校に比べて、統計的に有意に高かったです。

図二 学校への安心感と自尊感情(中学校) 図一 学校への安心感と自尊感情(小学校)

一方、中学校では、安心感は、L中が J中を除くすべての中学校に比べ、安心感が統計的に有意に低かったです。また得点自体も 3.05 点と 3.0 点をかろうじて上回っているところから、L中の生徒は、学校が安心できる場所かどうか、平均してみた場合「どちらともいえない」と思っていることがわかります。

自尊感情では、いずれの学校の間にも、統計的に意味のある差は見られませんでした。またいずれの学校も小学生に比べると低いのは、自己のことを否定的に捉えるようになる思春期一般の特徴を示していると思われます。

また学校の安心感と自尊感情の関係を検討するために、各学校ごとに安心感と自尊感情の相関分析を行ないました。

表1 安心感と自尊感情

その結果、学校によって学校における安心感と自尊感情が比較的強く関連している学校と、関連していない学校があることがわかりました。たとえば、A小学校、I中学校、J中学校等は比較的強い関連がみられ、学校に安心できているほど、自尊感情が高い(あるいは自尊感情が高いほど、学校を安心できる場所として認識している)ことがわかります。

他方、B小では関連性がみられず(人数が少ないせいもあると思います)、L中では弱い関連性しかみられませんでした。

また大まかな傾向としては、中学校の方が値が高い学校が多いところから、中学校の方が安心感と自尊感情の関連性が強まる可能性が考えられます。

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分野 1 子どもとつくる地域

もくじ

これ以降は分野 1のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①地域をつむぐ西 幸代  宮尾 彰

②「ていだん深志」 地域と学校をつないで栁原 真由

③ていだん深志 —生徒による近隣トラブル解決小野田正利

④子どもの居場所「なみカフェ」 継続したから見えてきた変化伊藤 由紀子

⑤活動を続けることで地域とのつながりを持つ 子どもを中心とした地域の居場所づくり岡宮 真理

⑥こども食堂ネットワーク小林三千代

「子どもとつくる地域」をめぐって向井 健

分野 1のリンクは以上になります。

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分野 1 子どもとつくる地域

音楽会をしているくまと森の仲間たちのイラスト

子どもとつくる地域 事例1

地域をつむぐ

全国ぷれジョブ連絡協議会 西 幸代

 長野県ぷれジョブ連絡協議会 宮尾 彰

はじめに

おかげさまで、『長野の子ども白書』でぷれジョブをご紹介させていただくのもこれが4回目になります。

そこで今回、私たちがぷれジョブで一番大切にしている理念について、あらためてみなさんにお伝えしたいと思います。

ぷれジョブは、障害のある子どもの職業体験活動として理解されていますが、時々、障害者を対象とした職業訓練や就労支援と混同されることがあります。

ぷれジョブのぷれがプレ(PRE)「何かの前」という意味を持つことや、ジョブ(JOB)「仕事・職業」という言葉の響きから、そのような印象を持たれる方もおられるのでしょう。あたかもこの活動が考案された2003年当時は、厚生労働省が障害者の就労支援の強化に舵を切った時期と重なるため、こうした誤解が生じやすかったという背景がありました。

この、極めてシンプルでありながら、これまで誰も考えつかなかったユニークな活動は、倉敷市で初めて実施された直後から瞬く間に反響を呼び、さまざまな形で受け止められました。

教育でも、福祉でも、医療でもない、公的なお金で運営される事業とはまったく異なる活動は当然の運命として、受け手によってさまざまな理解と解釈を与えられ、現在に至っています。

けれども、元来ぷれジョブの「ぷれ」にはPURE(英語で純粋な、の意味。ローマ字読みで「ぷれ」)という想いが籠められています。私たちはぷれジョブにおけるジョブ(仕事)を、現代社会を覆う貨幣的交換価値の視点からだけではなく、生命としての存在価値の視点から捉えているのです。

活動の原点に戻る

ぷれジョブは、週に1回1時間だけ、おおむね小5から高3までの支援の必要な子どもたちが、地域の企業や店舗などをお借りして職業体験をする市民活動です。

活動には、以下のように、定められた型があります。

ジョブには、必ず地域住民のボランティアがジョブサポーターとして付き添います。半年間、同じ受入れ先でジョブを続けた後、ジョブ先とパートナーを交代します。月に1回、地域の公民館などで定例会と呼ばれる集まりを開き、一月の活動を振り返ります。

合計で8年間かけてこの活動を続ければ、数えきれない人と触れ合うことができ、その子の存在を、地域に生活する一員として認めてもらうことができます。

もしも、そうした状況が実現されたなら、それこそがぷれジョブの定着と深化の証です。ここにこそ私たちの真の目標である地域社会を創る文化活動があります。これは、手間ひまかけて地域に与贈する活動なのです。

活動の理念を西が詩の形式で表現したものが、全国ぷれジョブ連絡協議会のホームページにも掲載されています。(http://www.prejob.jp/about/)

生活圏域につくる小さな

ちいさな四つ葉のクローバー。

子どもたちのジョブのおはなしを真ん中にして

立場のちがうなかまたちが集う活動です。

子どもたちの体の中にある多くの自然に触れるので

ジョブサポーターの方も企業の方もかかわるみんなが

豊かに懐かしさを取り戻してゆかれます。

ぷれジョブがめざすことは

この子たちが抱く自然を征服し管理するのではなく、

不思議を感じ共生していくこと。

縁あってこの地域に生まれた命の一つ一つが

“ありがとう”と言われる存在になるよう

あり方をさがしていく道すじです。

私たちが活動の指針として最も大切にしているのがぷれジョブ7か条です。第1条は、以下の通りです。

ぷれジョブは、特別な支援の必要な子が地域で就労体験をすることを通じて障害の有無にかかわらず、共に助け合うことのできる地域社会を創る活動です。

ここに明確に表現されているように、ぷれジョブの目標は、特別な支援の必要な子による就労体験ではなく、体験を通して、彼らと彼らに触れた地域のおとなたちが、人間として成長し、お互いに助け合いながら当事者意識を持って地域社会を創り変えて行くことにあります。

二項同体の姿

ぷれジョブは、日本古来の祭事(お祭り・縁日)のような舞台装置にたとえることができます。

地域社会の1時間という舞台の上で、ジョブをする子ども、ジョブサポーター(住民によるボランティア)、受入れ先の関係者、家族、学校関係者などの登場人物たちが、それぞれに与えられた役を演じます。

そこには、決められた型(様式)があり、お祭りに集う参加者による祭りの声(謡)が響いているのです。

下に、二帖の屏風になぞらえてぷれジョブとお能の写真を並べてみました。(写真:大島能楽堂提供)

右上の写真は、最重度のお子さんのジョブです。

車椅子に静かに身を任せて佇む姿から、沈黙の内に彼の息遣い(存在の声)が聞こえてくるようです。

左上の写真は、ダウン症のお子さんのジョブです。

サポーターと息を合わせて座布団を数える姿に、持てる力を尽くして懸命に取り組む美しさが表れています。静と動、裏と表、あるとなし、二項同体の姿を示して、お能の表現にも全く引けを取らない存在感です。

わけても右上の写真は、私たちにぷれジョブという舞台でかけがえのない役を演ずるのが、ほかでもない、最重度のお子さんの存在であることを示しています。

ダウン症の子どもの写真 車いすに乗っている最重度の子どもの写真

バルネラビリティ(弱さ・傷つきやすさ)そのものを体現したその姿は、一切の暴力性を離れた植物的な生命の在り様を私たちに教えてくれています。

精神世界から物質世界へと離れて久しい私たちを、自らの内に死を抱いて生きる世界、死者と共に生きる伝承の世界に誘う使命(ミッション)の担い手です。

もともと、ぷれジョブの生まれたきっかけも、中学校から特別支援学校に転勤した西が、ひとりの重症心身障害児の少女に出会ったことにありました。

彼女は、生まれてこの方誰にも知られることなく、重心病棟のナースセンターの隣部屋に、身を横たえたままの姿で生きていました。

彼女が自らの意思で行使することのできる身体機能はほとんど無く、残された唯一のコミュニケーションの手段は、呼吸することのみでした。

西は、呼吸を通していのちがけで「おはよう」を自分に伝える存在と出会って、教師としての根底を覆されました。「労働の対価として賃金を得るジョブ」の外に「人にものを考えさせるジョブ」があることを、彼女から教えられたのです。

子どもたちの前には、一人ひとりの「今ある力」に適ったジョブが無限に開かれています。

内なる自然の力を借りて、自分のジョブを果たす姿から、与えられた命を生きる尊厳が伝わってきます。

それらに触れたとき、かつて西の心を震わせた「人間として、わたしたちはまったくおなじ!」という存在の悦びがもたらされます。

ここに、ぷれジョブという活動の核心があります。

人間として対等な関係

ここで、冒頭でご紹介したぷれジョブ7か条から、もう一度第1条を丁寧に読み直したいと思います。

第1条 ぷれジョブは、特別な支援の必要な子が地域で就労体験をすることを通じて、障害の有無にかかわらず、共に助け合うことのできる地域社会を創る活動です。

ぷれジョブは、障害のない人が障害のある子を支援するという面を含んでいますが、地域社会の人が障害のある子とともに、障害の有無にかかわらず、みんなが自然に助け合って生きることができる地域社会を目指す活動です。行政や福祉団体が、お金をもらって障害者のために支援をする、弱者を助けるという活動ではありません。地域に住む人たちがみずからが当事者意識をもってぷれジョブに関与することで、おのずから障害の有無に関係なく、一緒に暮らしていける社会を創りだす活動なのです。

大切なのは、この活動は障害のない人が障害のある子を「支援」したり「助け」たりする活動ではないということです。そうではなく、お互いが「当事者意識をもってぷれジョブに関与する」という対等な関係性を何よりも尊重する活動だということです。

そうしてこそ、私たちは「障害の有無に関係なく、一緒に暮らしていける社会を創りだす」ことができると考えています。

しかし、実際に私たちの生活する社会を見たとき、果たしてここに謳われたような人間として対等な関係が成り立っているでしょうか?単純素朴に思えるこの一事が、私たちにはとても難しいことなのです。

ぷれジョブでは、週1時間のジョブを楽しく続けていると、知らず知らずのうちにお互いの違いを超えて、縁ある地域住民として仲良くなっています。

ぷれジョブの活動を知った何人かの仲間が集まり、その地域で活動が始まるまでには産みの苦しみがあります。それまでは、我が子を家族以外の他人に委ねることのできなかった保護者が、勇気を出して我が子を地域の皆さんの手に託すのですから。

やがて活動が徐々に定着し、子どもたちの姿が顕著に変貌し始めると、保護者に限らず、学校の先生も、地域の皆さんも、受け入れ企業の関係者も、前に述べたような子どもたちの自然の力に魅了され、彼らの成長を共に喜ぶことのできる親密な関係が生まれます。

それほどに、ジョブや定例会で周りのおとなの温かなまなざしに包まれた子どもたちの成長は著しく、そこにも確かに、この活動の醍醐味があります。

定例会に参加することにより、失われていた自信を取り戻した仲間の姿を見つめる子どもたちは、やがて自分もジョブに挑戦したくなります。こうしてジョブをする子どもたちも、活動を支える地域住民のボランティア(ジョブサポーター)も増え、活動が安定して続けられるようになります。

定例会の様子を写した写真

この時期にこそ大切にしたいのが、もう一度参加者全員で第1条の理念に立ち還ることなのです。

地域に住む人たちがみずからが当事者意識をもってぷれジョブに関与することで、おのずから障害の有無に関係なく、一緒に暮らしていける社会を創りだす活動なのです。

この一文に、真の意味で、人間として対等な関係がいかなるものであるか、が明確に示されています。

定例会の場で、活動にかかわるすべての関係者で、「当事者意識をもってぷれジョブに関与すること」の意味について対話を深めたいと思います。

「果たして、自分たちの活動が本当に『障害の有無に関係なく、一緒に暮らしていける社会を創りだす』ことを目指したものになっているだろうか?」

もし、あなたが「子どもたちには難しいのでは?」と考えるならば、前頁の二人のお子さんの写真をもう一度ご覧ください。

言葉によらず、彼らは「体の中にある多くの自然」によって、すでに見事な関与を果たしています。

分断と線引きを超えて

ぷれジョブに参加する子どもたちには、一人ひとりに与えられた使命(ミッション)があります。

それは、今の社会を動かしている貨幣的交換価値の物差しで測った能力の高低とは無関係なものです。

本来一人ひとりのジョブに優劣は無く、比較できるものでもありません。障害の種類も、障害の程度も、そのお子さんに固有な存在の価値(インテグリティ)の前に消え去る、と私たちは考えます。

誰もが、生まれたばかりの時には、純粋な内的生産性(存在の価値)の世界に生きています。やがて成長し外的生産性(貨幣的交換価値)の世界に入りますが、障害を負ったり死に近づくときには、再び内的生産性の世界に還って来るのです。そして、その基底には、誰にも固有の揺るぎない存在の価値があります。

人間の生涯をこのように捉えれば、そこでは分断も線引きも大きな意味を持たないことがわかります。

しかしながら、私たちの多くが、常に分断や線引きにさらされながら生活しているのも事実です。

ぷれジョブのすぐ隣にあって、子どもたちや保護者に具体的な影響を及ぼす学校教育や障害福祉サービスの領域でも、能力によって階層が作られたり、支援の必要性によって料金が決められたりします。

このように、私たちの生活に能力主義や効率主義の影響が強く働いているため、無意識の内にそれを活動の中に持ち込んでしまう可能性もあるでしょう。

私たちは、ジョブの受入れ先の開拓や確保、ジョブサポーターの確保や調整、任意保険の手続き、不慮の事態への対応、定例会の準備など、運営上のルーチンに追われます。そうした中、ぷれジョブ本来の価値観を守り続けるためには何らかの工夫が必要なのです。

このようなわけで、前頁で述べたような活動を継続するための実務的なルーチンを担う役割と、組織全体を俯瞰して方向性を示し、軌道修正をする役割という二層の組織づくりが必要だと考えています。

現状を見ると、多くの地域で保護者の立場がこれらすべての役割を担っている場合が多いのですが、特定の立場に役割や責任が過剰に集中してしまうと、理念から逸れた際、方向性を修正するのが困難になります。

現在、私たちが全ぷれの法人化を進めている理由は、ぷれジョブの考え方をよく理解していただき、まだ出会っていない仲間に知らせ、住みやすい社会を創ろうとする仲間同士がお互いに情報を交換しあえるようなしくみを作るためです。

文化として育つ活動

2012年の8月、東日本大震災の被災地仙台市で全国ぷれジョブ連絡協議会は発足しました。

挨拶の中で、代表世話人として西はこう述べました。

ぷれジョブは、地域に住む人々が、障害のある子どもたちの職場体験をとおして、その立場をこえて、つながりを再構築していく活動です。

あの未曽有の災禍から7年が経ちました。私たちの生活は、ますます切実につながりを求めています。

少子高齢化は加速し、働く人の数は減り続けます。私たちは、障害の有無に関係なく、一緒に暮らしていける地域社会を「ありがとう」が循環するイメージでデザインしています。なぜなら、ぷれジョブの中にその萌芽を見ることができるからです。

あるとき、言葉を発することの苦手なお子さんが、3年間参加し続けた定例会の席で「僕も、ぷれジョブやりたいです!」と大きな声で意思表示をしました。

想いを胸に温め続けた彼と、彼の意思表示を静かに待ち続けた仲間たちの3年間を想像します。あたかも沈黙を破って発せられた言葉と、その場で瞬時に沸き立った歓喜の声が聞こえて来るようです。

ここにも、静と動、二項同体の姿が現れています。

ぷれジョブは、等しく当事者意識を持った地域住民のあいだに、文化として育つ活動なのです。

ぷれジョブは、その理念を守るために商標登録2008年(平成20年)2月13日、「ぷれジョブ」の商標登録出願を行ない、2009年1月9日、商標登録(登録番号5194158号)を行なっています。

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子どもとつくる地域 事例2

「ていだん深志」

地域と学校をつないで

長野県松本深志高校 栁原 真由

栁原 真由さんの似顔絵

1.学校が先なのに

学校からは大きな音が出ます。小学校の運動会の歓声や音楽、吹奏楽の音階練習や演奏等による近隣トラブルは、20年程前から顕在化してきました。最近「お互い様意識」が薄くなり、地域は学校の音に不寛容になったと研究者は指摘します。(小野田正利『「迷惑施設」としての学校−近隣トラブル解決の処方箋』)

2016年に創立140年を迎えた松本深志高校も例外ではありません。建築当時畑だった周辺は住宅地に変わり、それに伴い、地域の皆さんから、学校から出る音、生徒の交通マナー等に苦情をいただくことが多くなりました。特に音に関して私たちは、その都度工夫を重ねてきました。吹奏楽部は夏場も窓を閉め切って練習するようになり、体育系の部活動でもボールの打音を弱めるために体育館の東側の扉を一年中閉じておくことになりました。また、屋外の放送回路は切断され、災害時や緊急時の対応が懸念されています。

こうした悩みは本校だけではありません。市内の松本蟻ヶ崎高校では、隣地の住民に納得してもらうため、文化祭でコンサートを行なう視聴覚教室北面の窓全面に消音用のベニヤをはめ込みました。また松本県ヶ丘高校では、近隣町会が「文化祭時の打ち上げ花火禁止に関わる誓願要請決議」を学校に提出し、生徒会と職員会で協議し、後夜祭の打ち上げ花火を中止せざるをえなくなりました。

私自身も音を出す部活(応援団・放送委員会)に所属しており、先に学校があったのだからもっと自由に音を出したいという思いもあり、本校OBの上條剛弁護士に相談しました。弁護士は「住民の方が学校の後から来たからといって、我慢しなければいけないとは言えない。話し合いをしてお互いの理解を深めることが大切だ」というアドバイスと判例や各地での実践の資料をいただいて、私は「地域の方との意見交換会」を開催しようと企画しました。

ところが、相談した管理職の先生からは、苦情を言う人が地域から疎外されないか、学校に強い不満を持つ住民が多数参加し収拾がつかなくなるのでは、といった懸念が示され、すぐに了解はいただけませんでした。その後「音の問題」に限定すること、学校が前面に出る公式イベントではなく、生徒が主体となるトライアルな行事として実施し、この取り組み自体がどのような状況を生み出すか知見を得ることで合意、職員会でも了承していただき計画はスタートしました。

2.意見交換会から「ていだん深志」へ

私は、実際に苦情に対応したことのある「音を出す団体」の責任者、生徒会長、部長会長等をメンバーに「学校から出る音に関する意見交換会」実行委員会を立ち上げました。実行委員長には私が就きました。次に、会議の開催を知らせるチラシ200部を回覧板を通じて配布していただくため学校近隣5町会の町会長さんに依頼し、同時に意見交換会への参加もお願いしました。

実行委員20人は、近隣140軒のお宅を直接訪問し、同じチラシを配布しながら開催意図の説明、意見の聞き取り、「学校から出る音」に対するアンケート調査も行ないました。結局2回の意見交換会のために、5回の直接訪問を行なうことになりました。

そして「学校から出る音について」意見交換会は、平成28年11月20日と平成29年3月19日に開催しました。参加者は、想定していたとおり町会長の皆さんと「学校から出る音」に肯定的な方のみでしたが、収穫もありました。

「どうして音が出るのか、生徒がどんな対策をしているのか知らなかった」と驚きの声をいただき、私たち自身も、自分たちの活動を知らせる努力が不足していたこと、学校の活動を肯定的に捉えている方の意見を知らなかったことに気がつきました。

第1回意見交換会では、今後、新聞委員会が発行する「深志高校新聞」を地域にも配布し、大会がある場合は事前に知らせることを申し合わせました。「お互いのことを理解し合えば良い関係を築けるのではないか」という手応えを得られた意見交換会でした。

第2回意見交換会では、地域の参加者から「いろいろな試案の実施を話し合っても、この会では議決ができないので、生徒・地域・学校が参加する物事が決められる常設の三者フォーラムを作れないか」と提案がありました。参加していた隣接の4町会長もこの意見に同意し、三者それぞれでフォーラム設立の準備を進めることになりました。

ところが、一番足踏みしたのは私たち生徒側でした。前例のない試みにどう対応をすれば良いかイメージがつかめなかったのです。中心となった実行委員のメンバーで話し合いを重ねましたが、フォーラムの生徒担当者の位置づけで難航しました。結局、特別委員会として「地域交流委員会」を設立することで合意し手続きに移りました。

そして、町会長代表の蟻ヶ崎北町会長の太田さんと顧問、新委員会の委員長となった私で準備会を開き、このフォーラムの名前を「ていだん深志」にし、要綱案も整えました。これらを三つの組織で承認してもらい、平成29年5月27日「松本深志高校地域フォーラム『ていだん深志』」が発足しました。

3.学校の音から地域の結び直しへ

急速に実践が深まったのには3点のポイントがあると私は考えます。

1点目は、当事者である生徒自身が動いたことです。主体的に活動に加わった生徒には「これで音が出せるようになる」という期待もあり、共通の要求・要望により結束し、苦労があっても「ていだん深志」設立までやりきることができました。

2点目は、住民と生徒が深く知り合えたことです。地域の参加者は、この会で初めて生徒の現状を知ったと語ります。例えば、タオルで消音した応援団の太鼓を見せると「これでは練習にならない」と驚いていました。また生徒側は、地域の方がどのように思っているのか具体的に知ることができました。特に、約9割の方が活動を応援してくれているというデータは希望につながりました。つまり、それぞれの事情を知り、お互いの活動や考え方を「見える化」したことで理解が深まったと考えます。

3点目は、顔の見える環境を整備した点です。実行委員は2度の意見交換会で計5回住民宅を訪問し、直接顔を合わせて話をしました。顔見知りになって会話したことで生徒の熱意が伝わったと考えます。

この結果、地域との恒常的な話し合いの場が半年間という短期間で実現しました。ここまで、町会長の皆さんの全面的な協力を土台に「地域と学校のチャンネル」が形になったことは、本当によかったと感じました。発足して初めて、吹奏楽部の「時間を限った屋外での音出し」を夏場2か月間試行することが決定されました。

実は、この取り組みを評価する声ばかりではありません。厳しいご批判の意見も生徒、先生方から寄せられます。苦しくて泣いたこともありましたが、私はこの実践をやらなければよかったとは少しも思いません。そして、発足2か月で変化も現れてきました。学校に寄せられるクレームの数が明らかに減り、クレームを多く寄せていた皆さんからも訪問する生徒には励ましの言葉をいただけるようになりました。嬉しい限りです。

地域交流委員会はすでに引き継ぎが行なわれ、新体制で新たな課題と向き合っています。この実践を途絶えさせることがないよう、今後は設立者として協力していきたいです。また大学進学後は、この実践をベースに、地域と学校等の迷惑施設のトラブル解決策、さらには地域の結び直しにつながる研究をしたいと考えています。

ていだん深志の様子を写した写真

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子どもとつくる地域 事例3

ていだん深志―生徒による近隣トラブル解決

大阪大学大学院教授 小野田 正利

小野田 正利さんの顔写真

第2回「ていだん深志」を傍聴する

国宝・松本城の北西1キロの住宅地の中に、旧制松本中学校を前身とする、創設140年となる伝統校の松本深志高校(長野県立)がある。「高」の字に大きなトンボがとまるインパクトある校章で、学校祭も「蜻蛉祭」と銘打たれている。何よりも、校訓の「生徒の自主性を尊重して、自治の精神を育てる」が単なるお題目ではなく、生徒たちの自治的な精神を大切にし、その主体的活動を育む伝統が生きている。

今年9月1日(金)の夕刻5時半から、同窓生の多様な交流のためにと、卒業生でもある著名な建築家によってデザインされた同窓会館(深志教育会館)で、第2回「ていだん深志」(住民と生徒、教職員の三者が顔を合わせて、学校の「音」等に関する問題を話し合う組織)が開催された。住民側は、学校をぐるりととりかこむ5つの町会の会長(1名欠席)と住民の計5人、生徒側は生徒会や音楽室・体育館を使用する部活動の部長関係者6名、教職員は教頭ら4名が集った。長テーブルがコの字形に配置された会場では、生徒たちと住民側が正対する位置に座る。司会進行は、生徒会の中に新設された「地域交流委員会」委員長の柳原真由さん(高3)である。

どうにかしてこの会合を傍聴しようと願ったが、奇跡的にその場に同席できた。というのは私は、最近著『迷惑施設としての学校―近隣トラブル解決の処方箋』(時事通信社、2017年)のなかで強く主張していたのが、近隣住民とのトラブルの解決には、主たる当事者である生徒が果たす役割が大きいし効果的であるだけでなく、学校の関係者ではない外部の他者との調整を何度も行なわなければならない苦労する取り組みこそ、PISA型学力で推奨されるアクティブ・ラーニングそのものということだったからだ。この「ていだん深志」(3者なので鼎、深めて議論し合意点をさぐるという意味と校名をかけている)は私の提言の影響ではないが、内容的には同一で、それを具体的に実践しはじめたものだ。

オブザーバー席にはマスコミ2社のほか、騒音問題総合研究所を立ち上げた橋本典久さん(前・八戸工業大学教授)、首都大学東京の特任教授の宮下与兵衛さん、そして地元にある松本大学教授の武者一弘さんが、会議の成り行きに熱い視線を注いでいた。

経過は、放送コンテストで優勝

今年夏にこの「ていだん深志」が全国から注目された。NHKが主催する全国高校放送コンテストがあるが、全国573作品のなかから県大会を勝ち上がり、決勝に進み第64回大会の「テレビドキュメント部門」で優勝に輝いたその作品名こそ「ていだん深志私の新委員会創設物語」(8分間)である。制作に携わったのは同校の放送委員会(顧問は林直哉教諭)で、その中心が先の柳原さんである。

グーグルマップの航空写真でも確認できるが、松本深志高校が80年前に現在地に移転した時は、四方が畑だったそうだが、いまでは戸建て住宅がびっしりと立ち並ぶ。したがって、自転車通学のマナー、保護者の送迎車の駐車問題だけでなく「応援団の声がうるさい」「吹奏楽の音出しが迷惑だ」「軟式テニスの打球音が、夜勤明けでうるさくて寝られない」といった苦情が寄せられるなかで、生徒たちは満足な形で活動ができず、窮屈な思いを抱え我慢を重ねていた。住宅街に面した体育館の東側の扉は「こちら側の扉は開けないでください」との貼り紙があり、真夏も開けることができない。大音量で発表をする軽音楽部は、段ボールで会場を3重に目張りしているという。

もっとも、多くの町内会住民は学校に対して好意的ではあるが、音に関する感じ方は個人差もあり、生活スタイルの変化、音源からの距離もあるので、当然ながら苦情・クレームはなくならない。いわばロス ロスの関係におちいっており、誰もが不満とストレスを抱えていた。

柳原さんらは昨年(2016年)の秋から行動を起こし始める。「音を出す団体」(実際にクレームを受けたことのある部活動)の責任者・生徒会長・合同協議会長・新聞委員長をメンバーとした実行委員会を立ち上げる。高校生たちが直接に住民の人たちと話しながら妥協点をさぐるしかない、と。校長・教頭とも相談し、職員会議での了解をとりつけ、各町内会を訪問してアンケート調査をし、周辺の140軒の家を手分けし個別訪問して意見聴取を重ね、11月20日と(今年)3月19日と2回にわたって「高校から出る音」についての意見交換会を開催した。それらの成果をもとに5月27日に第1回ていだん深志が開催された。制作されたドキュメントは、その経過をいくつもの映像で語る。

印象的なのは、応援団が和太鼓をタオルとビニール袋で覆って消音に努めている場面である。そこで住民側も、音を出す生徒たちが苦労し腐心している姿を「初めて」見ることになる。「やっぱりノビノビと部活動をさせてあげなきゃいけない」という思いを感じていく。他方で生徒たちも、住民の目線に立って考えることの大事さに気づく。

設置要綱

大きな契機は、第2回の意見交換会での住民からの「町会が解決のために力を貸すべきではないのか」の声であり、それを受けた町会長も「住民対学生さん、それに先生方も交えての議決機関を作っておいた方がいいんじゃないのか」という発言にあった。そこから生徒会のなかに新しく「地域交流委員会」を作ることが目指される。ところが順風が吹くわけではなく難航に次ぐ難航で、柳原さんは意気消沈。それでも最高の意思決定機関である生徒総会(5月22日)で何とか承認された。

そして松本深志高校地域フォーラム「ていだん深志」第1回が開催されたのである。その要綱の冒頭は次のように謳う。《私たち松本深志高等学校、生徒、教職員、近隣五町会は、ともに協働し、松本深志高校を取り巻く地域コミュニティのよりよい関係を目指し、広範な対話と工夫を尽くして課題を解決するためにこの要綱を定める。》単に音の問題だけでなく、防災、災害準備を含め、学校と近隣住民に関わる課題の協議の場の創設である。

組織は「鼎」であり、(1)生徒の代表(生徒会長、応援団管理委員会団長、地域交流委員長各1名)、(2)教職員代表(教頭、生徒部長、生徒会主任、地域交流委員会顧問、※校長が入っていないことが面白い(筆者))、(3)地域の代表(学校と隣接する五町の町会長、※実在する地域名があるが省略)で構成される。これ以外に事務局もあり、それは構成3団体代表から1名ずつで組織される。第1回会議では「吹奏楽部の屋外音出し」と「大体育館の東面の北側窓の一部開放」のあり方が議論された。

こういった取り組みは、教師が示唆したわけではなく、柳原さんを中心として、多くの生徒たちも「何とかならないのか」と考えていたことからスタートしている。教師たちは生徒たちの取り組み、困ったことが起きたときにアドバイスをするが、徹底して生徒の主体性を信用しながら見守っている。第2回のていだん深志を傍聴しながら、自治の精神で高校生活を豊かにする伝統(校風)を大事にしていることが感じ取れる。逆に言えば、このようなことが他の多くの高校でできるとは思えないが、それでも一つの実践的モデルがここにあるともいえる。

ていだん深志の事務局が6月21日付けで出した説明資料には、住民の立場からは「個人の苦情を地域の課題に」、生徒の側からは「生徒の声を地域に」、そして「課題は、同窓会・行政・関係者を巻き込んで解決する」と記されている。前述のコンテストで決勝に残った4作品の中で優勝に輝いた理由は、ある選考委員が語ったとされる「こういった取り組み自体を評価したい」というコメントからもうなずける。

具体案→実行→改善

松本深志高校(長野県立)の取り組みで特筆すべきことは、話し合いだけでなく、具体的なプランを実行に移すためにデータで確認することから始めていることである。今年(2017年)3月19日の住民との「第2回意見交換会」では、吹奏楽部が自粛していた屋外での楽器の「音出し」を再開できないかを検討している。練習室の外、図書館横、中庭の3箇所から実際に楽器を鳴らして、音の大きさや響き方を参加した住民とともに検証した。その結果、北側に音が抜ける場所は避けて、部室と音楽棟の間で屋外の「音出し」が許される方向で、5月27日の「第1回ていだん深志」に議題として提案された。

音をめぐるトラブルでは「いつ始まり終わるのかの見通し」が事前に伝えられているかどうかも大きなポイントとなる。いきなり始まると腹が立つ。いつまで続くのかの見通しがあれば多少は我慢ができるし、防御策を講じることも可能になる。感覚過敏を抱える人にとっては切実な問題でもあり、開始時刻と終了時刻を事前にプリントを配布するだけで、苦情の相当程度は防げる。

この結果、①平日は、朝30分、放課後は1時間程度、休日は9時から16時の間の1から2時間程度、②その練習スケジュールを1か月ごとに前もって作成し、町会長に届けて回覧する、③教頭の携帯を緊急時の連絡先とすることが提案され、9月1日の「第2回ていだん深志」で了承された。夏休み時期にあたる8月の1か月間の練習予定表が示されていたが、その日は練習があるのかないのかがわかるだけでも大きい。園や学校近隣に住んでいない圧倒的大多数の人にとっては「どうってことはない」と思われがちだが、実はこんな「ささいな気配り」の積み重ねが重要なのだ。

第2回ていだんでのもう一つの議題は、大体育館の東側の窓を、高温となる夏の時期だけでも一時的に開放することができないか、という議題だった。通風をよくするためであるが、これもまた音をめぐる問題である。これについては結論には至らず、10時から16時の間に一部の窓を開放するなどの試行を積み重ねて検証し、次回のていだんで再び審議することになった。

「わかりあえないことから」(平田オリザ)

2014年9月に神戸市東灘区の住民が、「子どもの声は騒音であり、被害を受けている」として既設の保育園に対して訴訟を提起したことで、全国各地で特に保育園や幼稚園の開設や存続のあり方をめぐる問題が起きていることが注目された。子どもは、声を出すことで成長していく存在であり、他方でその近くに住む住民からすれば平穏な生活が脅かされているという具体的事実がある。

そこには「子どもの発達・学習権の保障」と「隣人住居の平穏という人格権の保障」の調整をどのように図り、紛争の緩和から善隣関係へとつなげていくかという現実的で悩ましい問題が横たわっている。実際の話し合いのプロセスは、平たんではない。行きつ戻りつを繰り返しつつ、試行を重ねながら、双方が妥協できるところ、言い換えれば「折り合える部分」をどう探るかという、両者ともに根気の要る作業になる。

このていだん深志の内容を聞きながら私は、数年前まで大阪大学のコミュニケーションデザイン・センター教授を務めた劇作家・演出家の平田オリザさんが著した『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書、2012年)に書かれていたことを思い出していた。「みんなちがって、みんないい」ではなく「みんなちがって、たいへん」という成熟型社会では、多様性こそが力になる(P.216)。この新しい時代には「バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力」が求められているという(P.207)。

隣接した場所(高校周辺)で生活し(学び)ながらも、互いに挨拶を交わすこともない住民と高校生たち。両者の出会いは、不幸なことに「近隣トラブル」であり「学校から出る音」から始まる。しかし異文化理解は、何も国際社会との関係だけで存在するだけではないと私は思う。そのときに求められるのが「対話」力なのだ。

平田さんは「高校生たちには、私は次のように伝えることにしている。『心からわかりあえないんだよ、すぐには』『心からわかりあえないんだよ、初めからは』この点が、いま日本人が直面しているコミュニケーション観の大きな転換の本質だろう」(P208)と述べる。「対話の基礎体力」を、これからの学校教育で子どもたちにつけていく必要性を強調して次のようにもいう。「異なる価値観と出くわしたときに、物怖じせず、卑屈にも尊大にもならず、粘り強く共有できる部分を見つけ出していくこと。ただそれは、単に教え込めばいいということではなく、おそらく、そうした対話を繰り返すことで出会える喜びも、伝えていかなければならないだろう。」(P.105)。

司会を務めた柳原真由(高3)さんは、会合の閉めにあたって「毎日出会ってはいるが、卒業しても絶対に話すことのなかった地域の人たちと、こうやって話せる場ができたことはうれしいです。でも地域の人たちがどう思っているかを知らない生徒が多いと思います。地域の人たちと関わることの大切さ、地域の人たちに支えられて私たちが高校生活を送れていることを、もっともっと他の生徒に伝えていかなければならないと思いました」と述べた。

生徒の代替わり(継承)の課題

第2回ていだんの開会宣言をした生徒会長代理は「継続的な議論ができるように進めていきたい」と挨拶したが、おそらくこの「継続性」が一番のポイントになるだろう。生徒会も運動部・吹奏楽部などの部活の部長も高3生から高2生に代替わりの時期になる。1年前に熱い思いを持ちながら、地域との関係づくりを模索する活動の主力を担った者たちから、後輩にバトンタッチがうまくいくかどうか。「私たちもこれから卒業に向けて半年しかありません。次の世代の後輩たちがどのように引き継いでいってくれるのか、ていだん深志は今日が始まりの時でもあります」と柳原さんは言う。

生徒側代表としては、男子バレーボール部長の大野田隼也くんのみが2度にわたって自分たちの思いを伝えようと積極的に発言したが、それ以外の5名の生徒は、ただ黙って聞いていた。宮川安司教頭は、この取り組みについて一般生徒の当事者意識が薄い状況について苦言を呈し、発足させたていだん深志を持続可能なものにするためには、生徒の主体性が必要であること、それによって生徒の成長があることが要であると強調した。大野田くんは、残念ながら部員のなかにはこの会議の意味を理解していないものが多くいると、生徒たちの内実を述べた。

ここには自分たちの考えを自分たちの力で住民の人たちに伝え、折り合う点を探していく、積み上げていくことの大事さと大変さがある。「ていだん深志」の取り組みは、コンテストでの優勝、新聞や週刊誌での紹介により、一部の関係者たちの間ではあるが全国から注目されるものとなった。住民は長くその地に住み続ける。しかし生徒たちは「3年間で通過」していく。部活動は、活動スタイルを含めて代々受け継がれるものがある。しかしていだん深志は型もないし、それに対する切実さの温度は生徒によって相当に異なる。生徒たちがリーダーシップを発揮し、取り組み続け、それを後々に伝えていける時間は本当に短い。

さて、第3回(11月16日)のていだん深志は、先の継続審議となった体育館の窓の開放問題とあわせて、保護者の送迎車の駐車をめぐる問題も議論されることになった。大都市部にある高校と違って、松本深志高校は公共交通機関の便が決してよくない。このため、部活動を終えて下校が遅くなった場合に、保護者がわが子の安全のために学校まで車で迎えにくるのだが、かなりの台数になるため、その通行や駐車場所をめぐるトラブルが起きている。それは保育園などの開設をめぐって、幼児の送迎のための保護者の駐車や駐輪問題とも重なる。それらがどのように議論されていくのだろうか、私は興味を持っている。

「音出し」をめぐるホンネの話し合い

2017年11月16日(木)の夕刻から開かれた「第3回ていだん深志」では、前回とはうって変わって、生徒側は36名も出席していた。生徒会役員改選に伴い、柳原真由さんの新たな後継者となった青柳春佳さん(地域交流委員会委員長)と副委員長の赤沼龍之介くんはしっかりと会議の運営を支えていた。互いに「青鬼」「赤鬼」とニックネームがついているし、かけあいもあって絶妙なコンビだ。代替わりはうまく成功したように思える。

住民側の参加も倍増した。5つの町会長のほか、市議会議員を含めて計12名が参加していた。この会議の様子は、新聞部委員長の丹羽優希くんが送ってくれた写真でよくわかると思う。第3回では、学校から出る音(吹奏楽部の屋外音出し、体育館東側窓の開放)の試行を続けることのほか、保護者等による生徒の送迎時の自動車の駐車場所(時間帯)と避難訓練が議題となった。

まず音の問題では、生徒側から素直な反応の発言が出た。「うれしい!画期的です。音出しができるようになりました」(吹奏楽部長・小泉晴菜さん)「体育館の窓(扉)の開放は、熱中症になる人が減りました」(男子バスケットボール部長・柳沢孝介くん)これに応えて「いまのところ、他の住民からはクレームは来ていない」と細萱志郎町会長などが試行の経過状態を話す。

小泉部長は、屋外音出しが休日の場合は「9時から17時半のうち、午前2時間または午後2時間程度」となっているのを「午前2時間プラス午後2時間」で認めてもらえませんかと交渉し始めた。すると太田宗彦町会長が「さらに2時間の要求は厳しい。事前に音出しがあることを周知されて、それに合わせてその時間帯に家を空けている人もいるから。大会前の延長はOKだが」と応じる。活発なだけでなく「それぞれの思い」を口に出して、相手との調整を図ろうとする姿勢はなかなかのものだと思う。

ホンネで話し合う会議の様子を写した写真

昼間の災害時には救出活動を

送迎時の駐車場所の問題は、どこの学校でも頭の痛い問題になっている。生徒数が多くなれば、台数も半端なものではなく、特定の時間(30分ほど)の間に集中するので、近隣住民からすれば自宅からの車の出し入れの邪魔にもなり、夕刻から夜は生徒を待つ車がエンジンかけっぱなしなどの問題もあるので、かなりトラブルが多くなる事案だ。ほぼ正方形の松本深志高校敷地を囲む四辺のうち三辺は、2台の車が通れるが、一方通行である。停車中の車からの生徒の飛び出しの危険性も指摘されてきた。実はこの問題は、もう一つの協議事項である避難訓練問題との絡みが展開され、実におもしろかった。

9月1日の防災の日前後に、多くの所で地域防災訓練が実施される。実は、この地域では松本深志高校の体育館が避難場所として指定されている。こういった昼間に行なう防災訓練に住民が参加することで、互いの顔見せやきずなにつながる。学校の正門前に位置する町会長の松岡文子さんが切り出した。「私たちの住む県営住宅は6階建てで、高齢者も多くいます。それらの集合住宅をとりまく部分に駐車場がありますが、それを皆さん方(の保護者)に無料で提供するので、そのかわり地震があった場合は、若い皆さんの力を貸して欲しいと思います。被災者住民を助け出すことに協力して欲しいのです」と。

青鬼くんが「それは今まで想像もできなかったし、気づかなかったことです」と反応した。教職員側はやや複雑な反応を見せた。「救出中に生徒の側が事故に遭ったらどうしようか」は、生徒を預かる学校側としては当然の心配である。松岡会長は続けた。「壊れている状態のような危険な場合ではありません。ましてや夜間などではなく、昼間に起きた場合です。建物がしっかりしている状態で、停電でエレベータが停まったときなど、上の階から避難する際に介助して欲しいんです。もちろん自分を犠牲にしてまでということはありません」ほっとしたような表情を見せる教職員。太田町会長が「若い力が加われば鬼に金棒です。第1回会合を持ちたい」とたたみかけ、このことで話し合いの場を持つ提案に拍手が起きた。

そうなのだ。まさしく「ギブ&テイク」の実行である。公立小中学校が避難場所として設定されていることはいうまでもないが、高校でもいくつかのところで市町村や地域から依頼されて、災害時の一時避難場所として提携関係を結ぶところもある。この場合は建物の提供で終わっているが、松本深志高校は生徒たちがボランティアになれるかというところまで議論し始めている。ただ実現までには法的問題・安全の確保などの多くの問題が横たわっている。

学校と地域の連携という言葉が語られるとき、それはおうおうにして学校側の都合や論理が優先され、ギブ&テイクではなく、テイクばかりになるところが多い。そうではなく学校も地域も両方が、相利共生な関係をつくれることが重要である。

学校や園が「NIMBY」(迷惑施設)とされるのではなく、「紛争の緩和から善隣関係へ(ウィン ウィン関係)」を、話し合えるという関係で追究しようとする方向性が、ていだん深志にはあるように思える。

なお前委員長であった柳原さんは、この成果をひっさげて第一志望の大学にAO入試で合格した。取り組んだ実践を、大学進学後に科学として深めていってくれるものと思う。

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子どもとつくる地域 事例4

子どもの居場所 「なみカフェ」

 継続したから見えてきた変化

NPO法人ワーカーズコープ 伊藤 由紀子

長野県のモデル事業を打ち切られ

平成28年7月28日から始まった「なみカフェ」は翌年3月31日でモデル事業としては打ち切られます。当初の目的は困窮者支援(子どもの貧困対策:食事提供)の観点でしたが、「なみカフェ」はすべての子どもを対象に子どもの居場所づくりに変化します。実践する中で本当に必要な支援は食事だけではないと感じさせられたからです。その評価を誰がするのかは疑問ですが、集まってきた子どもたちの家庭環境は行政が手を差し伸べない子どもたちのように感じます。アンケートからも理解できますが、社会保障や現物給付を望んでいる家庭環境の子どもたちです。町会長さんはじめ「なみカフェ」を継続させる気持ちはスタッフも地域も現場責任者の自分も含め当たり前のこととしてとらえていますが、一方で行政ができること、地域ができることを明確に示していきたいと思います。

最低限度の資金は松本市の交付金、長野県みらい基金、民間からは松本空港ロータリークラブからの支援をいただくことになって、そのまま4月から継続スタートすることができました。

子どもたちの思い

「どうせ今年限りでしょ」6年生の言葉、「ずっとあるよ」そんな言葉を交わします。「この場所はずっとある」を嘘にはしたくないと思います。スタッフも町会長も思いは同じです。

お昼よりも夕方の方がいい、子どもの声を何気なく受け止めつつ、なぜだろうと思う場面がありました。確かに利用する子どもの数は夕方の方が多いと思います。「どうして?」との問いかけには、「昼間は友だちと遊びに行きたいから」、「親と一緒に出掛けるから」、「祖父母の家に行くから」、ともっともな答えが返ってきました。必要ない時もある。他に居場所を見出している子どもの力を感じ、少しほっとした気分になります。

継続すればするほど子どもたちの状況も見えてきます。夜子どもだけで過ごす、お菓子が夕飯、それでも親を非難する言葉は聞こえてきません。むしろ親を自慢する子どももいます。どんな環境であっても親はかけがえのない存在であると子どもたちは我々に伝えてくれます。

「将来の夢は?」と会話のなかで、それぞれの子どもらしい夢が出てきます。最初のギスギス感も暴言で返してきたこともいつの間にかなくなり素直さが見えてきます。そんな中「俺は刑務所にいる」という言葉がありました。将来に何の夢も見出せず、自分の将来を間違った道に進み、閉じ込められると思っていたらなんと切ない事か…。思わず「そんなことないよ、あなたはとてもいい子よ」と返しました。この子の心に響くだろうか…、子どもたちの思いの健気さにおとなは優しい心で応えたいと切実に感じた出来事です。

さまざまなおとなが寄り添う

スタートから視察したい人は多く、視察であろうが、なんであろうがお客様にはしないのが「なみカフェ流」です。支援団体、居場所をつくりたい、行政、議員等々の人たちは一緒に遊び、学習に寄り添い、一緒に食べます。楽しい会話も行儀がよくないと感じる子もありのままに受け止めてほしいから、そして、その背景を受け止めてほしいからです。子どもたちは環境やおとなの愛情の有無で変化を見せますし、自分を受け止める人間がいると変わっていくと感じます。心の安定感が生きる意欲の原動力になると感じます。

取材の記者が長期間寄り添っています。記事を単なる困窮している子どもの現状として発信するのではなく、本質的な課題がどこから来るものか、長期間「なみカフェ」のスタッフとして関わって初めて見えてくるのでは…それを実行する記者がいます。寄り添うことで何がみえ、何を伝えるのか…、ここでも本当に必要な支援がなんであるのかをしっかり伝えてほしいと願います。

子どもたちの変化と親の変化

ちょっかいを出してはおとなを試す動作を繰り返していました。今も続く子どももいます。ため口、暴言、暴力(子どもにしてみれば愛着表現)、加減なく体当たりでぶつかってくるのを受け止めるボランティアの学生、運動系で鍛えた体が支えていますが、あえてやりたいだけやらせていると見えます。思いっきり遊ぶ姿が毎回あります。このことが子どもたちの心の不安を出させ、その言葉から家庭の中が見えてくるようになります。子どもたちの欲求は、子どもたちが自ら蓋をし見せないようにしていましたが、自然な形のSOSが出るようになります。今も宿題を持参しない子もいますが、いつの間にか宿題をしている子どもたちが増えています。落ち着くようになった変化はとても著しい変化に見えます。子どもたちの変化はそのまま、親の変化にも繋がったように見えました。信頼関係と安心感がこの居場所にあると感じています。

この夏頃からお迎えに来る親が多くなります。誰かお願いしたの?誰もいません。全員の親が迎えに来るようになりました。誰も想像しなかったこの光景。ふと見ると町会長さんに遅くなりますという連絡が入っています。地域がつくる居場所が地域に浸透していって居場所の存在意義が明確になります。困ったことをお願いできる関係性(信頼関係)が子どもにも親にも生まれています。

さまざまな課題が見えて

居場所をつくっていることに安心感を持つことはないです。我々のしていることはほんの少し、子どもたちの居場所のお手伝いをしているだけでこの空間はむしろ子どもたちが創っていると感じます。遊びたいときに遊び、落ち着きたいときに誰かと話し、追われるように宿題をし始めます。「今日の食事はなーに?」と甘えたり、好物だと「やったー」と叫ぶ、幸せな時間をこちらがいただいています。普通の幸せを維持するためにどんな支援が必要なのでしょうか。

終わりの時間が来ればそれぞれの家庭に帰り、次までは1週間の間が空きます。この間子どもたちはどうしているのでしょう。さりとて家庭まで入り込んだ支援が難しい現実に直面します。「毎日あればいいのに」、「遅くまでオープンして」、「緊急一時預かりもあれば」など、そんな声が聞こえるようになります。これらの機能がある居場所が求められています。団地に住んでいる町会長さんがその受け皿になりたいと思い始めています。それでも応えられることとできないことがあります。

親たちが安心して居られる社会保障は誰がつくるのでしょうか?

戸別訪問すれば、まだまだ引きこもっている子どももいます。自ら「なみカフェ」に来られるようになるための支援とは何でしょう。我々の支援は本当に必要なことなのかと無力感を持つこともあります、子ども自身の生きる力はあると信じて、できる支援を続けていきながら行政や地域の意識改革も必要であると発信し続けなければ、いつまでたっても具体性のない施策で終わるような気がします。

本当に必要な支援は何か

支援団体が居場所事業の現場責任者を担い、地域の子どもたちを地域が受け止め、それに対する施策が定着した上で居場所を構築できたら本当に居心地の良い地域になると思います。その可能性が現実のものになると感じ始めています。

「なみカフェ」に関わっているのは地域住民と町会長さん、支援団体(フードバンク信州含)等が中心です。支援団体の支援はどこまで続けるのか、そんな不安は地域の自立で払拭されます。毎日こんな居場所があったらいいね、高齢者も誰でも集える居場所があったらいいね、困りごとが言えて、お願いする側もされる側も地域住民が担える関係が良いを形にする動きが生まれています。

支援団体は緩やかなネットワークを構築しています。戸別訪問から専門機関に繋げることもできるようになりました。いつでも手を差し伸べられる状況も生まれています。自立を孤立にせず、いつまでも続く支援のネットワークづくりも重要になります。困りごとのある地域があれば皆でできる支援を実施できるネットワークの構築が効果的に働いていると感じます。行政がネットワークをきちんと位置付ける施策に繋げることにより、生きづらさを抱えた家庭がSOSを出しやすくなり、相互扶助、誰もが受益者になり得る地域になると感じます。

先に述べたように行政の支援のあり様を具体的に示す必要性を感じます。予算化により、支援者がしっかり支援できる体制を施策に反映していかなければ、問題解決になりません。地域丸ごとが地域に丸投げでは成り立ちません。

伊藤由紀子 特定非営利活動法人ワーカーズコープ(協同労働の協同組合)の一員として地域の課題を仕事おこしに繋げています。放課後の子どもたちを22年に渡り見守ってきたから子どもの変化(人権が奪われている危機感)に気付き、子どもの自立に目を向けています。

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子どもとつくる地域 事例 5

活動を続けることで地域とのつながりを持つ

 子どもを中心とした地域の居場所づくり

さんぼんやなぎプロジェクト 岡宮 真理

さんぼんやなぎプロジェクトのロゴマーク

はじめに

「子どもを中心とした地域の居場所づくり」をしようと活動を始めたのが2016年10月。その年の12月に公園にて野外子ども食堂を開催し、その翌月からは公民館をお借りして、月1回ペースで子ども食堂を開きながら現在に至ります(活動に至った動機については、2017年の白書に記しております)。

現在はようやく活動の拠点を持つことができ、「居場所づくり」として第2段階に入ったところです。

さんぼんやなぎの子ども食堂

「さんぼんやなぎプロジェクト」は、そもそも子ども食堂をやりたくて集まった団体ではありません。長野市では「放課後子ども総合プラン」がありますが、条件もあって利用している児童は学区内の3割です。放課後や長期休みに子どもが安心して過ごせる場所を作れないものか。私たちの活動はそんな想いから始まりました。

子どもがいる場所に食は不可欠とも感じ、ちょうど全国的に子ども食堂の機運が高まっていたこともあり、それが私たちの子ども食堂の活動へと繋がっていきました。

子ども食堂の運営側ではよく「貧困とみられたくなくて参加に躊躇する方がいる」「本当に来てほしい人に来てもらえない」といったことが話題になります。運営側でどこに焦点をあてているかで、課題の内容は異なります。そしてそれは正しいとも誤りでもないと感じます。自分たちの活動の軸が「どこにあるか」だけなのです。

正直に申しますと、今の私にとっては誰が来ようと来まいと「食堂に来てくれた人はみな同じ人」です。どんな生活をしているか、何か困っているのではないか、そういったことではなく、食堂に来て話して食べて「美味しかった」「楽しかった」と帰ってくれたら、子ども食堂の在り方としてはOKだと思っています。

子どもたちは「おいしかった!」「ごちそうさま!」「大根はきらい!」といった感想を直球でくれます。自分が何をどれくらい食べたか自慢しに来てくれる子もいれば、家の畑でおじいちゃんと野菜を栽培しているからと、その野菜のメニューを教えてくれる子もいます。食べ終わってからまたひと遊びするとお腹が空いてくるのか、片付けの最中につまみ食いをしにくる子もいます。子どもたちは、おとなが何を考えているかなんておかまいなしなんだと感じます。どの子もみんな愛おしい子です。

活動を進めていくなかで

よく聞かれるのが「活動を始めて、周囲の何が変わったか?」。この質問の答えには悩みます。

それでも1年たってみて、子どもが食堂の日を楽しみにしてくれているという声が耳に届くようになりました。ボランティアの方が子どもとたくさん遊んでくれるので、参加したお子さんがとても楽しかったと家族に話しているそうです。また顔馴染みの子も増えてきて、それと共に何気ない会話も増えて来ました。「今日はあの人(ボランティアの方)は来ないの?」とおとなの参加を気にする子もいます。

そして食堂に協力してくれる地域の方々が楽しそうにしています。各々が得意の分野を活かして誰かのために何かをしたい、食堂の調理場はそんなおとなの居場所としても成り立っているようです。

以前と比べて変わったことといえば、おとなも子どもも地域に楽しみにできる場が増えた。と、こういうことになるのでしょうか。

夏休みの学校で開催された子ども食堂で印象的だったのは、ちょこちょこと何かを話したげにやってくる児童がいたことです。

ある記者からの一つの質問が私の心の中に残っています。「おとながわざわざ子どもの居場所をつくるのはどうしてか」というものでしたが、活動をはじめたばかりの時の私は即答できませんでした。

思えば私が子どもだった頃、学校で私が安心できた場所として思い出されるのは保健室か給食のおばさんの休憩室でした。下校途中では地域の小さな診療所でした。子ども同士楽しく遊ぶ所はたくさんあったのですが、記憶に残っている安心できる場所というのはおとながいて、おとなが話を聞いてくれる場所です。

夏休みに話しに来た子の姿が自分のその時と重なりました。その日のその時間はおばちゃんたちが学校の調理室にいるのがわかっているから来てくれる。話していることは特別なことではなく、なんでもない日常の1コマだったりするけれど、私が作りたい場所はこれなんだと自分の想いを確認し、ようやくその記者への答えが考えられた瞬間でした。

おとなは否定することなく話を聞いてくれる。話を聞いてもらえているというだけでも、十分な安心感が得られます。その安心感が「自分がそこにいるだけでいいのだ」という気持ちにつながっていくのが理想だと思います。子どもたちと関わるプロジェクトメンバー内では、そういった聴く力を上げていけるように、勉強会を実施しています。

地域に必要なのは、子どもの話をきいてくれるおとながいる場所なのだとあらためて感じています。

自己効力感をつけられる居場所に

理想をいうのは簡単です。そう言う方がいるかどうかはわかりませんが、どうせなら高い理想を掲げて少しでも近づいてみたい。私は本気でそう感じています。自己肯定感をつけるためには、何でもいいので「できた」と思えることを大切に、ほんの些細な自信の積み重ねではないかと考えています。

活動拠点を持てることになった今、真っ先に取り組んだのが平日放課後の学習支援です。ありがたいことに外部団体との協働で実現可能となりました。「できた」を増やすには、この学習支援はとても有効だと思います。宿題をやってそこでほめられ、お家でほめられ、他のプリントをしたら自主学習として学校の先生にもほめられ…、ほめられループが自信につながることを期待しています。

よく自己肯定感という言葉を使いますが、自分にOKが出せないと他者にもOKは出せません。他者にOKが出せていても、自分にOKが出せないのは、本当の意味で他者を認めていることにはなりません。この自分と他者にOKを出せるのは、なかなか難しいことです。自分自身と向き合い、問題に直面する厳しさもあります。「認め合う」ことはかなりハードルが高いことだと思います。そしてそれには「寛容さ」が伴います。

人はいつから自分や他者にラベルを貼り始めるのでしょうか。何かをしなければならない、何かをするべき。それらから外れるといけないかのような世の中。保育園の園児の声が騒音とされてしまう世の中。おとなも子どもも一人ひとりが自己効力感を持てたら、きっともっと寛容な世の中になるはずです。

おわりに

施設開放日以外の日に用事があって電気をつけていると、「なんだ、いるんじゃん!入っていい?」と聞いてくる子どもたち。活動拠点を確保できたことで、こういったやりとりができるようになりました。「また来るね!」と言って帰る子どもたちがいる限り、私たちも努力をして持続可能な施設の運営をしていくつもりです。

私たちの活動は地域の方、学校、周辺の福祉施設などたくさんの連携と協力があって成り立っています。「なんとかしたい」という皆さんの気持ちがこの連携の形になっていると思うと、本当に「なんとかしよう」と勇気が湧いてきます。なかなか上手にお伝えできないこの感謝の気持ちを、この場を借りて皆さんにお礼申し上げます。ありがとうございます。

岡宮真理 さんぼんやなぎプロジェクト代表 平成30年1月からはJAグリーン長野の空き店舗をお借りし、地域の居場所作りに取り組んでいます。

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子どもとつくる地域 事例 6

こども食堂ネットワーク

信州こども食堂

輪っと集まれ!中高生・若者ほっとキッチン 運営責任者

小林 三千代

はじめに 信州こども食堂の誕生

平成27年11月 女性5人でこども食堂を立ち上げようと準備会を発足させました。全国的にこども食堂が徐々に立ち上がっている時期でした。もちろん長野県ではまだこども食堂としてはどこも立ち上がっていませんでした。まさに手探り状態の怖いもの知らずの始まりでした。3,000枚のチラシを手作りし、手分けして配り歩きました。新聞にも取り上げてもらいましたが、最初はなかなか理解してもらえず、果たして子どもたち来てくれるだろかと不安のうちに平成28年1月9日初回を迎えました。賛同してくれる仲間が子どもたちに声をかけてくれたりSNSに流してくれたりして、14人の子どもたちが集まってくれました。その模様が翌日の新聞に掲載され、多くの方から問いあわせがありました。皆さんの、子どもたちのために何かしたいという気持ちが、この報道で一気に噴き出してきたようでした。第2回目の2月13日、何人もの方が見学に見え、各地でこども食堂が立ち上がっていくきっかけとなりました。

北信こども食堂ネットワーク発足

既に全県のネットワークとして信州こども食堂ネットワークが立ち上がっていましたが、広い長野県の事、なかなか一同に会して意見交換を行なう機会はありませんでした。せめて近い地域のこども食堂の皆さんとフェイス トゥ フェイスの関係ができないだろうかと模索し、平成29年2月5日第1回目の北信こども食堂ネットワークを立ち上げました。この段階で北信の長野・須坂で14食堂が既に開店、4食堂が開店準備に入っていて、計18食堂が仲間となっていました。このうち参加者は12食堂と民生委員さんの計31名でした。初顔合わせでしたが、集まってくる子どもたちの様子をそれぞれ披露してくださいました。

各食堂それぞれ異なった特徴がありますが、共通していることは「貧困対策だけで開店したのではない」、「子どもは地域で育てる」という認識です。地域のおとなたちが、自分の地域にどんな子どもがいるのかを知り、皆で見守り育てていく。学校や家庭だけに任せるのではなく、地域全体で子育てを担う。

今回、ある食堂さんがほっこりするエピソードを語ってくださいました。町を歩いていたら子どもたちから「あ、こども食堂のおばちゃんだ。また行くから待っててね!」と声をかけてくれたそうです。これはこども食堂で子どもたちと親しくなったおかげ。こども食堂がなかったらこうした交流はなかっただろうということでした。

第2回目の意見交換会は平成29年4月14日、「必要としている子どもにもぜひ来てほしいが、なかなか届かない。良い方法はないか皆で話し合ってはどうか」と意見が寄せられ、急遽意見交換会を開きました。急な案内でしたが9食堂と民生児童委員さん、行政側から長野市こども政策課長補佐さまにも出席いただき、総勢14名になりました。みなさん熱のこもった意見が続出、侃々諤々の話し合いとなりました。どの食堂のスタッフも仕事として開催しているのではありません。皆さん子どもが大好きで志が高く、子どもの事を真剣に考えている方ばかりです。そのためか議論も白熱、なかなか皆が納得できる結論には至りませんでした。この問題は全国のこども食堂にとって共通の課題です。多分結論は一つではないでしょう。模索しながら答えを見つけていく、もし有効な手立てが見つかったら皆で共有することで落ち着きました。2回の交換会を経て互いの様子がわかり、食堂名とスタッフが一致し、横の連携ができ上がっていきました。

第3回目は平成29年10月24日、13食堂と開店を検討している方、長野市、民生委員さん計26名の出席でした。そのうち前回の意見交換会後に開店した6食堂の皆さんも参加してくださいました。10月現在で長野・須坂・中野・野沢温泉村と20食堂となり、信州こども食堂が開店してから1年10か月、北信地区だけでも大きなうねりとなりました。

今回は長野保健所の方にお越しいただき、食中毒予防について講義していただきました。皆さんとても熱心にメモを取りながら聞き入っていました。事故のない安心・安全な食堂運営は基本中の基本です。まず土台を揺るぎないものにすることが運営上必要不可欠だと考えています。

食中毒予防の勉強会の様子を写した写真


こども食堂ネットワーク(全国)

平成27年4月、全国こども食堂ネットワークが発足しました。この時点で首都圏を中心に220のこども食堂が立ち上がっていました。平成30年4月3日現在、全国で2,286か所(出典:Yahoo!ニュース個人 湯浅誠)のこども食堂が立ち上がっています。

毎年こども食堂サミットが開催され、4回目となる今年のテーマは「こども食堂パワーアップ計画」で先進事例が紹介されました。事例の一つに、大阪府豊中市では社協が中心となり、行政・社協・学校を含めた地域との連携強化に取り組み成果を収めています。小学校区での取り組みも始まっていて、子どもを取り巻くさまざまな団体との橋渡し役としての活動をしていることが報告されました。

また埼玉県越谷市では、常設食堂として毎日運営している食堂が紹介されました。行政、地域、民間企業、大学が対等なチームメイトとして連携が構築されています。今後もさまざまな団体や組合を巻き込んで、こども食堂は地域が繋がる居場所として発展させていくということでした。

今後の展望と課題

こども食堂を継続的に運営していくためには、①食材の確保②人材の確保③資金の確保が不可欠です。これは全国どこの食堂も同じ課題と捉えています。このためには、地域・行政・企業・組合・大学等との連携が対等な立場で確実に機能する枠組の構築が急務と考えます。またこども食堂開催マップがあれば、子どもたちが自分の住んでいる地域のこども食堂を見つけやすくなります。

信州こども食堂を立ち上げて2年、北信こども食堂ネットワークを立ち上げて1年。運営していく中で見えてきた課題の一つが、比較的小学生以下の参加が多いということです。中学生以上の子どもたちが気軽に集える居場所作りが今後必要だと考え、4月にNPO法人やさしなので『輪っと集まれ!中高生ほっとキッチン』を立ち上げました。これを機に中高生の居場所が定着し広がっていくことを望んでいます。

そして最後に、ある親御さんの言葉を紹介します。「支援される側にも自尊心というものがあります。惨めさ、後ろめたさを感じることもあります。それを理解してほしい」

私たちこども食堂を運営する者にとって常に念頭に置かなければならない言葉だと思っています。

完成した模造紙アートの写真

<模造紙アート> 子どもたちに「自由に書いていいよ!」と声を掛けたら、こんな子どもアートになりました

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「子どもとつくる地域」をめぐって

松本大学 総合経営学部 向井 健

「子どもと地域」を考える意味

子どもたちの育ちの場面は、学校の場はもちろんのこと、それ以外の場においても広がっています。子どもたちが多くの時間を過ごしている「地域」においても、子どもたちは影響を受けながら、自己形成をしていることがわかります。もちろん、それらの地域から子どもたちに対してもたらされるもののすべてが良いものとは限りません。「子どもの育ち」を狭く限定せず、子どもたちを取り巻く環境のありかたを広い視野から見直してみて、子どもたちの育ちにとってより良いものへと組み替えていこうとする視点は、これからますます重要なものとなってきています。

ここ近年、とりわけ急速に進みつつある、少子化や核家族化、子育て親の労働環境の変化など、子どもたちの育つ環境は大きく変化してきています。そして、多くの関係者から指摘されているように、子どもの貧困の問題や子どもの育ちの格差の問題などは、私たちの暮らす地域の中でも現実のものとして起こってきてしまっています。子どもたちや子育て親にとって、地域の中でつながりの断たれることは、孤立して生きざるをえなくなる状況が生まれてしまうことにつながり、必要なサポートにつながることができず、時として、深刻なケースになるまで追いやってしまうことにもつながる例が現実に地域の中で起こってしまっています。

「どのような子どもであったとしても、のびやかに、そして、幸せに成長していってほしい」ということは、子どもたちに関わる、私たちの共通の願いです。上記で述べたような私たちの暮らす地域の中で起きている「子どもの育ちの危機」に抗しながら、子どもたちが安心して育っていくことのできる場を、地域のなかにどのように広げていくことができるかが問われているように思います。さらには、子どもたちが自らの意見を表明したり、地域住民と対話を重ねたりして、子どもたちの視点を活かしながら、地域づくりに参加していこうとする実践にも注目が集まっています。地域ぐるみで子どもの育ちを支える「人が育つ地域」を創造していくことにつながっていくような「地域と学校の連携」とは何かということも考えていく必要があるのではないかとも考えます。

そのような観点から見ると、今回の『長野の子ども白書』に寄せられている論文や実践報告は、地域のなかに子どもたちの豊かな育ちを支える場を、子どもたちとともに作っていくためのヒントがたくさんちりばめられているように思います。それはどのようなものだったかを見ていくことにしましょう。

子どもたちに安心できる居場所を

この白書を読むと、現代社会における「子どもの育ちの危機」を前にして、子どもたちの安心・安全の基盤を育む地道な取り組みが各地で見られていることに勇気付けられます。そのなかでも注目すべき事例といえるのが、子どもたちに食事やだんらんの場を提供する「こども食堂」の取り組みでしょう。

この「こども食堂」の取り組みは、東京都大田区にて2012年に開設された「気まぐれ八百屋だんだん」を皮切りとするといわれています。子どもの貧困や孤食の問題、地域のつながりの希薄化などに問題意識を持った人たちが子ども食堂に取り組みを始め、いまでは全国的に急速に広がりを見せています。それは長野県内においても同様であり、生活困窮者支援に取り組むNPO法人「ホットライン信州」が、長野市内に開設したものを皮切りとして県内各地に広がってきています。そのような「こども食堂」を運営されている方からの報告が数多く取り上げられています。

そのうちのひとつであるのが、子ども食堂や学習支援、発達障がいの勉強会、料理教室などを通して、地域の中での子どもたちの居場所づくりに取り組んでいる「さんぼんやなぎプロジェクト」の取り組みです。

孤立した状況におかれている子どもたちは、「こうありたい」と思っている自分の姿と現実の自分の姿と間の落差に直面したり、他者から投げかけられる否定的な眼差しを内面化したりしてしまうことによって「自己肯定感」を失いがちとなります。そのような中で「おとなは否定することなく話を聞いてくれる。話を聞いてもらえている」と思えるような、誰しもがありのままの自分を受け止められる場をつくっていこうとするさんぼんやなぎプロジェクトのような試みは、現代社会において極めて重要なことであるといえるでしょう。

「存在の価値」から地域のあり方を問い直す

障害のある子が学校と自宅を往復するだけではなく、地域社会の一員として居場所を持てるように職業体験の事業に取り組んでいるのが「ぷれジョブ」です。この「ぷれジョブ」の宮尾氏の報告も、誰しもがたった一つのかけがえのない存在であるという「存在の価値」(インテグリティ)の地平から地域のあり方を捉えなおしていくことの重要性を提起してくれています。

ジョック・ヤングらによれば、現代社会は「排除型社会」と呼ばれるような人々を締め出す不寛容な社会であると指摘しています。そのような人々を締め出す排除的な社会の背後にある価値観とは何かということを考えてみると、「どのくらい生産性があるか」という能力の多寡を尺度にして人々を序列化しようとする「能力主義」によるところが大きいように思われます。

そのような支配的となっている価値観をいったん相対化してみることもまた、地域を子どもたちにとって安心のできる場にしていくために重要な視点であるといえます。

子どもを真ん中に据えて、多様な主体による協働関係の構築を

それでは、子どもたちにとって安心のできる場を、どのように地域の中につくっていくことが出来るのでしょうか。松本市にある並柳団地の中で町会などと協力をとりながら子ども食堂を運営されている「NPO法人ワーカーズコープ」の伊藤氏の報告、そして県内の実践同士を横につなげる活動をされている「こども食堂ネットワーク」の小林氏の報告という、二つの報告をみてみると、地域の多様な主体の協働が重要であるということが共通して指摘されています。それも、日常の中に現れた子どもたちの具体的な姿を出発点としながら、多様な主体(行政、地域住民、実践団体、子どもたち自身など)がともに考え、学びあい、ともに地域を変えていくための協働関係をつくることの重要性です。

既存にある「制度」の方から発想するのではなく、目の前にいる子どもたちを真ん中に据えて、地域の中の多様な主体が互いに学びあって、子どもたちのよりよい環境づくりのために協働しあう関係をつくっていくことは、地域の中に子どもたちにとって安心できる場を広げていくことにつながっていくことでしょう。そのためにも、多様な主体同士が互いを尊重しあい、それぞれの持ち味を活かしあっていくことの出来る「緩やかなネットワーク」としてつくりあげていくことが重要です。そのことは子どもたちにとっても安心できる場が広がっていくことになりますし、それが結果として、事故のない安心・安全で持続可能な運営体制づくりの構築にもつながってくることでしょう。

子どもとおとなが対話をして地域をつくる

さらには、子どもたち・若者たち自身が、自分たちの考えや意見を表現し、地域づくりの活動に参加していくこともまた重要です。そうした活動が持つ意義を教えてくれているのが、長野県松本深志高校の「ていだん深志」にかかわる報告でしょう。

長野県松本市にある松本深志高校では、地域住民と学校との間に起こった騒音トラブルをひとつの契機として、地域住民の人たちとの間で「ていだん深志」という話し合いの場が設けられ、双方にとって良い結果を生み出している様子がわかります。高校生の生徒たちにとっては、自分自身の意見を表明するとともに、他者の意見を聞きとり、対話をしながら問題を解決していく機会となっており、生徒自身の成長の契機となっているようでした。また地域住民の側も生徒と対話しあいを重ねることで、身近な高校生の取り組みなどを深く理解していこうとしていました。お互いにホンネを交し合う中で、対立関係を乗り越えていくことで、新たに昼間の災害時には救助活動をすることを約束しあうなど、新たな関係性を自らの手で作り出す段階にまで発展している様子が見て取れると思います。

このように子ども・若者が、まちづくりに参加していくことは、多様な人たちの声を受け止めうる包容力のある民主的な場へと地域を変化させていくうえでも意味があることであると考えます。そうした意味においても、「子どもは小さなまちづくり人」であると思うのです。

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 分野 2 子どものための福祉

もくじ

これ以降は分野 2のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①児童福祉法改正のポイント内田 宏明

②子どもの自立を考える山口 恵美

③アシステンツァ共にいること スクールソーシャルワークの現場から戸田めぐみ

④美しき感動が心を育む神尾 弘俊

⑤愛着障害の子どもたちと向き合う坂戸 千明

⑥もう一つの幸せな家族の形岩渕 浩子

⑦元被虐待児だけど何か質問ある? 虐待された経験から考える社会の在り方石坂 成人

分野 2のリンクは以上になります。

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分野 2 子どものための福祉

クマの家族がみんなでご飯を食べているイラスト

子どものための福祉 事例 1

児童福祉法改正のポイント

日本社会事業大学 内田 宏明

内田 宏明さんの顔写真

1 児童福祉の原理の明確化

2016年に改正され、2017年度に全面施行された改正児童福祉法は、1947年の成立以来初めて「児童の福祉を保障するための原理の明確化」すると言う目的で、第1条から第3条が改正されました。この改正により、子どもの権利が児童福祉の理念として明確に位置づけられるという大きな意義を有しています。

旧児童福祉法の第1条は以下のとおりであり、国民の努力義務を規定したうえで、「児童」を客体的な存在として位置付けていました。

旧第1条「全て国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ且つ、育成されるよう努めなければならない」

第2項「全て児童は、等しくその生活を保障され、愛護されなければならない」

改正児童福祉法においては、「児童」を主語とし、子どもが主体であることを示し、子どもの「権利」を明記しました。

新第1条「全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのっとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する」

改正児童福祉法の理念として児童の権利に関する条約(以下、子どもの権利条約)の精神にのっとることが明確に示されましたが、この条約は1989年11月20日国際連合総会第44会期において全会一致で採択されました。これは、児童の権利宣言30周年の成果を踏まえて提案され、ポーランドが条約案を起草しました。ポーランドが起草に取り組んだ背景には、1878年にポーランド生まれ、医師であり教育者であるコルチャック氏の存在が大きく、氏は、生涯を通して孤児救済と子どもの教育に尽力し、1911年にユダヤ人のための孤児院院長となりますが、ナチス・ドイツによるホロコースト(大量虐殺)で子どもたちとともに犠牲になった人物です。子どもの権利概念の先駆者であり、条約の精神に大きな影響を与えました。世界人権宣言で示された人権の保障は平和なくしてはありえないという、第2次世界大戦による大きな犠牲の上に形成された人権の理念に、子どもの権利条約も基づいているのです。

改正児童福祉法の第2条には、「子どもの最善の利益」の考慮、「子どもの意見」の尊重、が書き込まれました。

新第2条「全て国民は、児童が良好な環境において生まれ、かつ、社会のあらゆる分野において、児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない。」

「子ども最善の利益」については、子どもの権利条約第3条に以下のように示されており、子どもの関わるあらゆる事項決定に当たっては、子どもにとってもっとも利益になることは何なのかを中心に考えることを求めています。

第3条「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行なわれるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」

「子どもの意見」の尊重については、子どもの権利条約第12条に示されています。

第12条「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。」

「2 このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接にまたは代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。」

しかしながら現状においては、「子どもの意見」は判断能力が十分でないという理由から尊重されていないことが懸念されます。子どもの権利条約の加盟国は、定めにより国連に設置された子どもの権利委員会に5年に1回審査を受けることになっています。2010年に出された日本国政府に対する勧告の中で「子どもの意見」の尊重に関して、以下のような指摘を受けており、重く受け止めなければなりません。

「委員会は、児童相談所を含む児童福祉サービスが子どもの意見をほとんど重視していないこと、学校において子どもの意見が重視される分野が限定されていること、および、政策策定プロセスにおいて子どもおよびその意見に言及されることがめったにないことを依然として懸念する」

子どもの権利条約の精神にのっとるということは、国連子どもの権利委員会からの勧告を真摯に受け止めなければならないはずです。2010年の勧告においては、次のような指摘も含まれており子どもの権利を守るために対応することが求められています。

「委員会は、子どもおよび思春期の青少年が自殺していること、および、自殺および自殺未遂に関連したリスク要因に関する調査研究が行なわれていないので早急に行ない、防止措置を実施し、学校にソーシャルワーカーおよび心理相談サービスを配置し、かつ、困難な状況にある子どもに児童相談所システムがさらなるストレスを課さないことを確保するよう勧告する。」

「委員会は、締約国が以下の措置をとるよう強く勧告する。

(a)家庭および代替的養護現場を含むあらゆる場面で、子どもを対象とした体罰およびあらゆる形態の品位を傷つける取り扱いを法律により明示的に禁止すること。

(b)あらゆる場面における体罰の禁止を効果的に実施すること。

(c)体罰等に代わる非暴力的な形態のしつけおよび規律について、家族、教職員ならびに子どもとともにおよび子どものために活動しているその他の専門家を教育するため、キャンペーンを含む伝達プログラムを実施すること」

「委員会はまた、このような高度に競争的な学校環境が就学年齢層の子どものいじめ、精神障がい、不登校、中途退学および自殺を助長している可能性があることも、懸念する」

2 児童虐待児童虐待発生時の迅速・的確な対応

児童の安全を確保するための初期対応等が迅速・的確に行なわれるよう、市町村や児童相談所の体制や権限の強化等を行ないました。改正のポイントは以下のとおりです。

(1)市町村における支援拠点の整備

・市町村は、児童等に対する必要な支援を行なうための拠点の整備に努めるものとする。

(2)市町村の要保護児童対策地域協議会の機能強化

・市町村が設置する要保護児童対策地域協議会の調整機関について、専門職を配置するものとする。※現行は、要保護児童対策調整機関における専門職(児童福祉司たる資格を有する者、保健師等)の配置は努力義務であり、1,387市区町村(80.4%)が配置済。(平成27年4月1日)

・調整機関に配置される専門職は、国が定める基準に適合する研修を受けなければならないものとする。

(3)児童相談所設置自治体の拡大

・政令で定める特別区は、児童相談所を設置するものとする。

※現行法上、政令で定める市(現在、横須賀市・金沢市)は児童相談所を設置するものとされており、政令で定める特別区についてもこれと同様とする。

・政府は、改正法の施行後5年を目途として、中核市・特別区が児童相談所を設置できるよう、その設置に係る支援等の必要な措置を講ずるものとする。

(4)児童相談所の体制強化

・①児童心理司、②医師または保健師、③スーパーバイザー(他の児童福祉司の指導・教育を行なう児童福祉司)を配置するものとする。

※児童福祉司の配置標準について、区域内の人口等に加え、児童虐待相談対応件数を考慮するものとする。

※専門職の配置充実を促進するため、厚生労働省において、「児童相談所体制強化プラン」(仮称)を策定する。

・児童福祉司(スーパーバイザーを含む)は、国の基準に適合する研修を受講しなければならないものとする。

・児相設置自治体は、法律に関する専門的な知識経験を必要とする業務を適切かつ円滑に行なうため、弁護士の配置またはこれに準ずる措置を行なう。

(5)児童相談所の権限強化等

・児童相談所から市町村への事案送致を新設。

※現行は、市町村から児童相談所への事案送致のみ規定。

※併せて、児童相談所・市町村に共通のアセスメントツールを開発し、共通基準による初期評価に基づく役割分担を明確化。これにより、漏れのない対応を確保。

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子どものための福祉 事例 2

子どもの自立を考える

NPO法人子どもステーションいちにのさんスタッフ 山口 恵美

NPO法人子どもステーションいちにのさんのロゴマーク

自立援助ホームとは

自立援助ホームは現在全国で143ホームが設立されています。保護者のない児童や保護者に監護させることが適当でない児童、また養育に大きな困難を抱える家庭への支援として、原則15歳から20歳までの子どもたちをホームで預かり自立支援を行なうことを目的としています。

自立援助ホームは、当初戦災孤児が施設を出た後のアフターケアをすることを目的として創立されました。時代と共に社会・家庭環境も大きく変化し、現在は義務教育終了後児童養護施設や家庭から出て働かなくてはならず、仕事や対人関係につまずき、社会に適応できず居場所をなくしてしまった子どもたちが支援の対象となり、そういった子どもたちを支援する場としての社会的役割を担っています。

その中でも現在は、養育環境が適当でない家庭で虐待を受けた子どもたちの入居が大部分になっています。そのため、就労支援の役割だけでなく、虐待によって受けた心の傷に対するおとなへの信頼感の回復や自尊心の回復と共に、就労支援等、社会適応能力の向上を目指しています。

入退去の流れ

自立援助ホームに入居できる対象者は義務教育終了後原則15歳から20歳未満までの青少年であり、現在は進学等で就学中の場合に22歳の年度末まで暮らすことができます。

入居の流れとしては、まず対象児童等からの相談申請、または当該自立援助ホームの代行申請を児童相談所に行ない、申請を受けた児童相談所から自立援助ホームに入居依頼、自立援助ホームにて入居受け入れの可否の判断をした後、委託措置決定となります。

また、自立への準備ができるなど、入居者本人の状況を見ながら本人の意思を尊重した上で退去となる場合も、児童相談所へ退去の報告をし、児童相談所が確認をした上で委託措置解除となります。

「いちにのさん」の設立にあたって

「いちにのさん」は県内初女子専用のホームとして定員6名で平成28年4月1日よりスタートしました。長野県では長野市に所在する「夢住の家」に続く、2か所目の自立援助ホームとなります。

「いちにのさん」の設立にあたっては、「子どもたちに、困ったときに頼れる場所を作ってあげたい」というホーム長の想いがありました。ホーム長と私は児童養護施設での勤務経験があり、子どもたちの置かれた悲しい現状を目の当たりにしてきました。措置された子どものほとんどがネグレクトを含む虐待を受けた子どもたちです。親の愛情を十分に得られず、適切な養育環境にいられなかった子どもたちが、親から離れ、同じような境遇の子どもたちと共に共同生活を送っています。発達障害を持つ子どもも少なくなく、虐待を受けたことにより、ほとんどの子どもは愛着障害を抱え、自己肯定感は低く、対人関係において困難を抱えることも多く、社会適応能力や自活能力に不安を感じるまま高校を卒業し児童養護施設を退去するしかない子どもたちを何人も見てきています。その後の子どもたちにおいては、自立し頑張って生活している子どもがいる一方で、仕事が続かず自活が困難となる子どもも多いのが現状です。そのような子どもに対するアフターケアが手薄であることも問題のひとつとして挙げられます。そういった社会背景から私たちは、居場所をなくしてしまい支援が必要な子どもたちの受け皿として、また、当ホームを利用していった子どもたちが退去した後にも相談できる頼れる場所として子どもの中に存在することができればと願い、設立に至りました。

「いちにのさん」は常勤職員がホーム長と私の2名、非常勤1名、そして有償ボランティアの方12名と、とても多くの方に協力していただいて運営をさせてもらっています。

「いちにのさん」の様子

「いちにのさん」は木造二階建ての一軒家です。入居者各々に個室が用意されています。入居者はホームの利用料として月3万円を納めなくてはならないため、まず仕事に就くことが前提となります。就労による収入で利用料の他にも自身の生活支出を考えなくてはなりません。基本的に身の回りの生活必要品は入居者自身で買い揃えるようにしています。被服費や日用品費、携帯代、小遣い、その他のかかる諸経費を収入のなかでどうやりくりするか、計画的であるか、毎月スタッフと共に見直す時間を作っています。いずれアパートなどを借りて自活するようになるため貯金もしています。自立し一人暮らしをした際にきちんと金銭管理ができるよう、ホームにいる間に毎月の計画を立てて金銭感覚を養うようにしています。

またその他にも、自立のために自室の掃除や洗濯など自分のことは自分でする、自室以外にもホームの掃除や食事の手伝いなども行なう、そして門限や起床時間、消灯時間など最低限のルールのもと、気持ちよく生活できるよう入居者同士互いに配慮しながら共同生活を送っています。共同生活のため、また入居者の自立に向けて規則正しい生活が身につくよう最低限のルールはありますが、普通の家庭のように、当たり前の日常の中を一緒に過ごすなかで、ふとしたスタッフの行動や言葉によって子どもたちが基本的信頼感を得られるような、温かく安心できる居場所づくりをしたいと考えています。

季節ごとにお出かけをしたり、誕生日会やクリスマス会を開いたり…、子どもたちの笑顔を見るとやはりうれしいものです。時に入居者同士の関係がうまくいかなかったり、スタッフと衝突したりすることもありますが、その中からたくさん学び、皆が認め合い配慮し合いながら明るい笑顔のある生活を目指しています。

子どもの現状と課題

しかしながら、さまざまな心の傷を抱えてきた入居者たち。心機一転、新しいホームに来たからといってすべてが順調にいくわけではありませんでした。現在までに入居してきた子どもの措置理由はさまざまです。子どもの問題行動により家庭での養育が難しいケースでの入居、子ども自身が親との生活を希望しないケースでの入居、児童養護施設からの入居、その他にも鑑別所からの補導委託や少年院からの身元受け入れ先としての入居のケースもあります。

他の入居者やスタッフ、またお世話になっているバイト先の方のお金や私物を盗んでしまう、飲酒、喫煙、夜間のホームからの抜け出し、家出、万引き、異性関係についてなど…問題や心配事はたくさん出てきます。また、適度な距離感で対人関係を築くことが難しい入居者が多い中、共同生活ということでそれぞれが対立し合う事も少なくありません。

そして大前提である就労が困難であることが多いのです。それは前述にあるように、高校卒業まで至らずに入居してきた子や、発達障害のある子、社会経験が乏しく社会性や常識が身についていない、対人関係が未熟であるなどの要因から、なかなか条件の良い就労先や自身の能力に合った就労先を見つけられずにいます。そもそも就労すること自体に不安があり、前に進めず一歩を踏み出すのにとても大きな労力が必要な子もいます。やっと就労できたと思ったらすぐに辞めてきてしまうこともよくあります。そのような中、毎月の利用料の支払いは入居者にはとても大きな負担となっていると思います。仕事に就かないことは、決して子ども自身が望んでいることではなく、本来は働くことで自信を身に付け、心身共に充実した生活を送りたいと思っているはずなのです。支援しようとするスタッフも根気強く我慢強く対応することはとても大変ですが、入居者それぞれの内に抱えている苦しみや葛藤に気付き、寄り添えるようでありたいと思います。

おわりに

このように、さまざまな困難を抱える入居者への支援は、設立して2年目ですがとても大変なことであると実感しています。全員が高齢児童であるがゆえ、思春期・反抗期である中前述したように多くの問題が発生します。ホーム内だけで解決できることには限りがあり、児童相談所や各専門機関に協力いただくことが不可欠であり、実際入居者との面接など中間的役割を担っていただきとてもありがたく思っています。

問題の背景には、入居者自身の無条件に受け入れられているという安心感の欠如があることをスタッフもしっかり受け止めて、入居者の自立に向かう大切な時期だからこそ、入居者の心に寄り添えるようにスタッフ皆が気持ちをひとつにし、ケア的存在になっていけたらと思います。

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子どものための福祉 事例 3

アシステンツア 共にいること

 スクールソーシャルワークの現場から

スクールソーシャルワーカー 戸田 めぐみ

はじめに

小学校4年の年の離れた友だちからメールが来ました。「学校の2分の1成人式で、夢を語る事になりました。私の夢は、めぐちゃんと同じスクールソーシャルワーカーになることなので、色々教えて欲しいです。①スクールソーシャルワーカーになって、良かったこと・うれしかったことは何ですか?②スクールソーシャルワーカーになって、悪かったこと・悲しかったことは何ですか?③お仕事の中で大事にしていることは何ですか?」

スクールソーシャルワークを子どもにわかるように語る?!難しい質問です!

スクールソーシャルワークとは

スクールソーシャルワークは1900年代初頭のアメリカでの活動に始まりがあると言われています。産業の発展とともに、労働力として考えられていた子どもに、子ども時代を見出し、子どもの幸せと子どもの教育を受ける機会を保障するために、子どもたちを訪ね歩き、親たちと話をし、社会へ問いかけていった活動がそのスタートです。日本では、1980年代にモデル的活動が起き、一部の自治体や私立の学校で少しづつ広がり、2008年文部科学省によって事業化され、ニーズの拡大と共に広がってきています。

スクールソーシャルワークは、「福祉的視点にたった子ども相談援助(ソーシャルワーク)」「学校教育現場において展開されるソーシャルワーク」と考えられています。ソーシャルワークの大切な視点は、①当事者(子ども)の声に耳を傾けるということ。ソーシャルワークの最も大切な価値は、たった一人のその方を大切にするということ。ですから、スクールソーシャルワークでは、子どもを一人の人間として尊重することが大前提のため、子どもの最善の利益を考え、子どもの自己決定を大事にするために、当事者である子どもの声に耳を傾けます。当事者が、事態をどう受け止め、何を思い、どう感じているのか。何に苦しみ、何に困り、悲しんでいるのか。そして、どんな力があり、何を求め、どうなっていきたいのか。おとなや専門職が必要と感じることだけではなく、子どもの声を支援の柱にし、子どもを問題解決のパートナーとし、そこから支援を組み立てていく特徴があります。ゴールを子ども自ら決められるよう、アシストすることを大切にしています。②そして、人と環境の相互作用に目を向ける(Life-Modeled Practice)ということも大切な視点です。私たちソーシャルワーカーは、何か課題が生じた時に、それを個人の何かに起因すると考えるのではなく、人と環境との間のフィットのまずさにあると着目します。そして、フィットのレベルをより良いものにしていくのが、ソーシャルワークの支援でもあります。

個人の問題・課題を理解するときに、「人間の弱さ」や「病理」に注目し、そこに原因を求め、そこに手当をする対処法が多いなかで、ソーシャルワークのライフモデルという考え方は、その人の資源、その人の環境にある資源を動員、頼りにすることで、緩和・解決を図っていこうとしていきます。つまり、その人(子ども)の「好きなこと」や「特技」「情熱」「夢や希望」「環境的に恵まれていること」等に着目し、それを生かすことで、課題の緩和・解決に近づいていこうとするのです。

そうやって、1つには、その子どもが環境に適応する力を高めていくお手伝いをしていきます。そして、それと共に、環境の側にも働きかけ、必要に応じて、家族や友人、学校や地域との関係を改善する働きかけを行なったり、その子どもや家庭にフィットする社会資源やサービスにつなぎ、子どもが安心して生活できるネットワークを作ったりします。また、必要な社会資源が無ければ創ったり、社会の側に問いかける働きもしながら、その子どもと環境のフィットのレベルを上げていくお手伝いをします。

「最近ね、辛い時に涙が出てくるんだよ」

菜穂さん(仮名)と出会ったのは、彼女が小学校3年生の時。スクールソーシャルワーカー派遣要請の多くは学校からです。菜穂さんの小学校からは、「転校をしてきたが、不登校状態。そのうえ、親と連絡がとれない。母子家庭で生活が苦しそう。母は障がいがあり、市役所などたくさんの機関が支援しているようだが、どの支援機関ともうまくいかない状態。学校も母からは怒鳴られてばかり。児童相談所にも相談しているが…。」というものでした。

学校を始め、すでに関わっているさまざまな関係機関から話を聞くことでわかってきたことは、不適切な養育環境であり子どもを保護したいが、一筋縄ではいかないというエピソードばかりでした。それは、このケースの難しさとともに、残念ながら社会の側の機能不全の側面もあるように思われました。支援しようと近づくと、母は連絡を断ち、入院するほどの自傷行為に及んでしまうので、周りも自責の念にかられ、遠ざからざるを得ないということでした。つながってはいても、ほとんどの機関が、動いていない状況でした。

母と子は、いつも2人でした。

菜穂さんは、母のことが心配で、家から離れられないのだと感じました。菜穂さんの話を聴きたいと思いました。けれども、スクールカウンセラーの話では、母子は共依存関係にあるとの事だったので、菜穂さんと2人だけで会うことは控えました。定期的に家庭訪問をし、母も一緒に話をすることから支援を開始しました。あくまでも、私が変化を起こしたいのは菜穂さん。そのために、母と信頼関係を作りながら、母と一緒に、菜穂さんに良い変化をもたらすことを大事にしようと心に誓いました。訪問すると、いろんなことがわかってきました。母子の安心できる要素。好み、得意なこと、価値観。マイナスな要素ばかりでないことが、よくわかってきました。私自身が一緒にいることを楽しみ味わえるようになっていました。そう感じ、ふと気づくと、何年もの間、半年に一度は入院していた母の自傷行為は一切なくなり、菜穂さんと2人で話ができるようになり、私と一緒であれば登校できるようになっていきました。

同時に、関係機関ともよく話をするようにしました。必要な制度やサービスに確実に結びついていけるように、母子の困っている状況とともに、こんな言い方や行為は不得意ですというネガティブな情報を少しと母子の素敵なところをたくさん伝えて、フィットできるよう支援しました。

あれから、5年。母は不自由な身体で仕事を始めました。SNSで人とも繋がり、支援者が家に出入りし、困った時は相談できる関係になりました。菜穂さんは、中学1年生。毎日ではないけれど、学校に行き、先生や友だちからも信頼されています。私が支援を開始した直後、一度だけ母が自傷行為をし、入院しました。その頃の菜穂さんは、私の心配とは裏腹に、母のその状態にまったく動じることがなく、無感情に「たぶん、大丈夫です」とだけ語ったことを違和感と共によく覚えています。そんな菜穂さんが、この春「戸田さん、私ね、最近、辛い時に涙が出てくるんだよお。この前は、人の優しさが嬉しくて、それでも泣けちゃったあ…」と。私こそ、泣けてきます。

「Assistenza(アシステンツァ) 共にいること」

冒頭の年の離れた友だちに、悩みながら私はこうメールで応えました。

スクールソーシャルワーカーになって、良いこと(うれしいこと)は、子どもたちの笑顔に出会えることです。子どもたちとの出会いは、いつも、悩んだり困っている状態です。でも、子どもたちと一緒に作戦会議を開いて、どんなことが辛いのか、悲しいのか。そして得意なことや恵まれていることは何か。誰が味方になってくれそうか。どうやったら少しでも楽になれるか。相談を重ねていくと、みるみる元気が出てきて、笑顔になっていってくれます。そんな場に立ちあえることが、スクールソーシャルワーカーの喜びであり、うれしいことです。

スクールソーシャルワーカーになって、悪いこと(悲しいこと)は、反対に、子どもたちの苦しい状況が長く続いてしまう時です。子どもたちは、自分がなぜつらいのか苦しいのかをなかなか言葉でうまく表現できない時があります。子どもたちの言葉にできない思いをどうやったら表現できるようにお手伝いできるか、スクールソーシャルワーカーは自分が子どもの気持ちを失わず、遊びや運動やその子どもの好きなことを通してその子の言葉にならない言葉を、一緒に探しますが難しいことです!そして、子どもたちが安心して生活するためには、おとなの応援や支えが必要です。家族や先生やいろんなおとながたくさん協力してくれて、子どもたちは安心した生活ができるのですが、周りのおとなが協力できるまでにとっても時間がかかってしまう時があって、子どもがずっとつらそうな時、スクールソーシャルワーカーのお仕事の難しさを感じます。

大事にしていることは、イタリア語で「Assistenza(アシステンツァ)」。「共にいる」ということです。子どもたちと共にいて、友となって、一緒に泣いたり笑ったりしながら、たった一人のその子が、安心して自分らしい生き方を選んでいけるように一緒に歩き、アシストするお仕事だと思っています。

「子どもたちを愛しなさい。けれども、ただ愛するだけでは足りない。子どもたちが愛されていると感じるように、子どもたちを愛しなさい」(ヨハネ・ボスコ)

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子どものための福祉 事例 4

美しき感動が心を育む

 神尾 弘俊

私は人の心の治療に携わっているものです。このたびは「心」についてふれさせていただきます。実在する子どもの事を書きますので匿名で投稿させていただくことをお許しください。

私が出会った子ども・若者

彼女は産まれてすぐ乳児院に入院し、そのまま児童養護施設に入所し、その後うちに預けられました。うちに来た当初は9歳でした。強い劣等感を植えつけられた子でした。たとえば私が彼女の愛らしいしぐさを見て微笑むと「笑うな」と激怒します。施設で散々馬鹿にされてきたのだと思います。また人が困っているとげらげら笑って喜びます。「宿題をやろうか」等の声かけに対しては無視をし、無視に対して注意をすればランドセルを蹴飛ばし教科書を投げつけます。それ以降も無視をし続け、こちらが諦めるまで眼すら合わせないといった強硬姿勢に出てきます。あの手この手で私たちを自分の言いなりにさせようとします。学校でもそうだったようです。勝敗に強い執着があり負けそうになると途中で放棄してどこかにいなくなったり、途中でやめて一人だけ違う事を始めたりします。

これらの支配的態度や勝つことへの執着をそのままにしたらこの子の将来はどうなるでしょうか。おそらく劣等感がこの子を支配し、心を捻じ曲げてしまうでしょう。私はこの態度に屈することはこの子を諦めるのと同じことだと判断し、苦肉の策ではありますが私も強硬姿勢に出ました。彼女が声かけに対して無視をした時など、彼女がそれを行なうまでにらみ合いが続きました。ご飯も食べずに2時間以上続いたこともあります。子どもは自分をつかさどってくれるおとなを内面で求めています。何故ならいつも毅然とした態度で正しさを教えてくれる存在は自分を任せられるからです。徐々に私は彼女にとって信じて頼るおとなの存在となっていきました。

もう一人の女の子が措置された時の写真は目を背けたくなるような姿でした。背中と頭には白い部分を探すことができないほど青黒いあざが重なっていました。この子のおままごとは虐待ごっこです。「お前は何度言ったらわかるんだ!てめーぶん殴るぞ!」怒鳴り散らしクッションを使って叩く真似をします。「ごめんなさいーゆるして下さい!ゆるしてー!」「ふざけんじゃねーお前みたいなやつはこうしてやるー!」とソファーの背もたれを何度も叩いていました。「ごめんなさーい」こんなやりとりを一人二役でしていました。この子の心の世界はなんという世界なのだ。なんという苦しいものをこれから背負っていくのかと心を痛めました。初めは吐き出させることも必要と思い黙って見守っていましたが、日に日にエスカレートする虐待ごっこをこのまま見ていることは今以上に心に深く刻みつけてしまうことになると判断し、彼女の世界に介入することにしました。トランスに入っていく彼女の肩にそっと手をかけ、びっくりしている彼女に微笑み「おいで」といって手を広げて彼女を迎え入れ、そっと抱きしめ「大丈夫だよ。心配ない。もう大丈夫だからね」と静かに声をかけて背中を撫でると彼女は腕の中で黙って涙を流すのでした。

また、こんな子もいました。その若者は19歳でうちに来ました。自殺願望をもつ青年です。病院をいくつも回りましたが悪くなる一方だったそうです。処方される薬に体も精神もがたがたになり、いつも世界に怯えていました。彼はネグレクトという環境のなかで育ちました。母親から受け入れてもらえないことから自分を気持ちの悪い人間だと思い込んでいました。

26歳で来た女性は抜け殻となってうちに運ばれてきました。彼女は子どものころ、突然話すことが思うようにできなくなりました。うまく話そうと思えば思う程劣等感が強まりました。おとなになり彼女は自分を作り明るく振舞ってきました。しかし明るく振舞えば振舞う程、心を封じ込めなければならず、心の奥では悲鳴をあげていました。顔では笑っているけれど涙が出ているといった感じです。ついに彼女の心は世界を拒絶してしまいました。何日間も首をうなだれ涙を流し続けていました。

劣等感に苦しむ子どもたち

多くの人たちは成長する過程で劣等感を植えつけられてきています。ここでいう劣等感とは、外見の事ではなく心の真ん中に突き刺さり生涯にわたって自分を肯定させなくしてしまい自らを苦しめ続ける心の在り様をいいます。この子たちはこの劣等感によって心が悲鳴をあげたと言えます。

そして劣等感は人間性への否定によって生まれ、その素地となる心の趣は幼少時に作られてしまいます。言葉と態度によってです。たとえばいけない事をいけないと伝えればいいものを「なんであなたはいつもそうなの」と言えば叱っているのではなく、その子を貶めています。呆れた態度も同様です。その人間性への否定がその子から自己肯定感を奪い劣等感を植えつけるのです。

最初に紹介した子の支配的態度は劣等感から生まれており施設で馬鹿にされてきたからと言えます。私たちは徹底的に向き合ってきた裏で彼女を肯定し続けました。「お前はお前なんだ。パパはパパ。ママはママ。お姉ちゃんはお姉ちゃん。隣の◯◯君は◯◯君。みんな違うの。違わなくちゃいけないの。だからできなくてもいいの。できなくても恥ずかしくなんかないの。人と自分を比較してはいけない。人を馬鹿にしてもいけない。パパもママもお前の事が大好きだよ」といって彼女の心を抱いてきました。結果、失敗や馬鹿にされることや負けることを恐れ、トライすることを拒んできた彼女が、今ではいろんなことにトライする素直な明るい娘になり社会に踏み出しつつあります。

嘘をつく心理

二番目に紹介した娘には嘘をつく習慣があります。虐待を受けた原因も嘘をついたからだそうです。嘘には大きく分けて三つあります。たとえば自分のキャパを超えたことを求められそれに応えられないと叱られるからつく自己防衛型の嘘、自分の利の為につく泥棒型、劣等感を埋める為につく虚栄型があります。

私は嘘つきでした。私のことながら見事な嘘をついてきました。言い訳といったら完璧です。すれすれのところで核心部がばれないようにカモフラージュするといった知能犯的な大嘘つきでした。ある時母から「あなたは恐ろしい子だわ」と言われたことがあります。私もそう思います。その後の人生は酷いものでした。嘘を積み上げた人生だったのですから当然です。どん底まで行きました。そして生まれ変わりたいという願いが心の奥底から湧きあがり、自分のことを誰も知らない外国に引越し、そこで嘘を止めました。嘘を止めたら自分を飾っていることに気がつきました。そして自分を飾る理由に劣等感があることに気がつきました。それからは飾らないありのままの自分を真剣に生きる人生となりました。今でも時々嘘をついてしまいますがその時は「嘘ついちゃった」と告白したりもします。お陰様で頭がすっきりし、心も澄んできました。そんな私ですから嘘には理解があります。

娘にはこんな風に話しました「お前は嘘をつく必要がない。お前がどんな子でもパパは大好きだ。お前らしくあることがお前の良さなんだよ。でも嘘をつけばお前は嘘のお前になってしまう。見せかけの良い子になんかならなくていいんだ。正直はいいぞー。でもいけない事はいけない。だからその時はちゃんと教える。怒られることもあるぞ」といって頭を撫でると嬉しそうに恥ずかしそうにしています。その後、彼女は意識的に嘘を止めていきました。まだ自然とついてしまう嘘はありますが、聞き直すと自分で「違った」といって言い直します。少しですが顔からこわばりが消えてきました。

「自分が自分であること」「ありのままであること」

我が家の門をくぐった若者やおとなには共通して「自分が自分であること」を教えています。どんな環境で育ったかを知っていくことで自分の心の在り様に気づいていけます。それに気づくと人は自分の原点に立つことができるようになります。しかし子どもの場合は違います。子どもに対しては自分の内面に気がつくようなことを求めてはいけません。子どもはありのままであることが大切です。個性を生きられるように性格を見極め、それにあった接しかたをし、澄んだ心と、美しいものへの感動を通して希望を育てていきます。心は知識的な道徳だけでは育てられません。偏った道徳観の詰め込みは心を殺ぐと言ってもよいでしょう。心は心ゆえ心が動くことによって育ちます。確かな希望は「澄んだ心」から生まれ、そして澄んだ心は「情に支配されていない純粋な愛」によって育てられるのです。

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子どものための福祉 事例 5

愛着障害の子どもたちと向き合う

全国障害者問題研究会長野支部 坂戸 千明

坂戸 千明さんの顔写真

あの忌まわしい出来事

昨年5月、話題の映画『追憶』を観ました。松本市出身の降旗康男監督作品です。映画の舞台は富山県のとある漁港。少年時代に親から見捨てられた重い過去のある3人が主人公です。虐待され、遺棄され、居場所を失った少年たちに、温かい愛情を注いだのは、『ゆきわりそう』という喫茶店を営む女性でした。母親代わりとなり家族のように暮らしますが、ある事件をきっかけに幸せな日々が失われ、3人はバラバラになります。25年後、富山県のある漁港で殺人事件が起きます。3人は刑事、被害者、容疑者として再会します。手に汗握るハラハラドキドキの展開。そして、思いもよらない結末が待っていました。幸せとは何か、生きるとは何かを語りかけてくれます。

教員という職業柄、映画を観るとき、どうしても教育や福祉の視点を抜きに観ることができません。『追憶』の映画をたまたま観たことで、30数年前、教員になった頃の出来事が呼び起こされました。

1981年に大学を卒業した私は、上田市のある小学校で教員生活をスタートさせます。ちょうどその頃、学校での「校内暴力」がピークに達し、「教育のゆがみ」が一気に吹き出した頃でした。私の勤務校は、自然豊かなのんびりした学校でしたので、自分は「教育のゆがみ」などとは無縁と思っていました。しかし、すぐに直面することになります。

小学5から6年生を担任し、新卒3年目の年に、念願であった小学1年生の担任となります。そのなかに、東京から引っ越して間もない家族がいました。小学1年の子どもの他に妹と弟がいました。父親は、引っ越し先での事業に失敗してしまいます。食うや食わずの生活が続き、食料品を窃盗し警察に逮捕されます。準生活保護家庭となり、苦しい生活が続きます。しかも、体調を崩して働くこともままならず家族を支えるのがやっと。生活のゆとりをなくし、追い詰められた父親から子どもへの言葉による暴力は日常茶飯事でした。後に知りますが、父親は東京で右翼団体の副会長をしていた方でした。子どもは、二次的な障害である愛着障害で、家庭で満たされない思いを対教師暴力や暴言という形で現し始めました。情緒の安定をはかろうと、2人でよく相撲をとって遊びました。しかし、その子はかげんして遊べません。相撲のはずなのに、いつの間にかとっくみあいのけんかのようになっていました。私の二の腕は、両手で強く掴まれ、いつも内出血をして腫れあがっていました。しかし、振り返ってみると、私自身が若かったこともあり、子どもの生活背景をとらえ、気持ちにより添った指導ができなかったのは事実です。

2年生になった頃から、数名の子どもたちがそれに同調します。友だちとのトラブル、校外へのエスケープ、授業妨害など頻発し、私は、精神的にも追い詰められていきます。父親は被害妄想が広がり、すさまじい攻撃性で私を威嚇します。私の住む教員住宅にも、父親が何度か怒鳴り込みました。獣のように目をギラギラさせ、憎しみに満ちたあの表情を今でも忘れることができません。もしかしたら、ナイフで刺されるかもしれないと身の危険すら感じました。人格をも否定されるようなひどい脅され方をしました。私は、すっかり自信を失い、教員をやめることばかり考えるようになっていました。療養休暇一歩手前までいき、逃げるようにしてその学校を去ります。教師としての誇りや自信は打ち砕かれ、完全にうつ状態でした。しかし、私が教員を辞めなかったのは、こうした「教育のゆがみ」が、単なる「自己責任」ではなく、社会的な構造上の問題であるということを理解していたからだと思います。長年にわたり封印していた忌まわしい出来事です。

愛着障害の子どもたちと向き合う

今、私は養護学校の自立活動担当教員として、長野市の10数校の小中学校の自閉症・情緒障害児学級に、ほぼ毎日巡回相談に入っています。自閉症スペクトラム、ADHD、LDなど発達障害の子どもが対象ですが、最近気になるのが二次的な障害である愛着障害の子どもです。愛着障害とは、乳幼児期に長期にわたって虐待や不適切な養育を受け、保護者との安定した愛着が奪われてきたことによって引き起こされる障害の総称です。愛着障害を示す子どもには衝動性・反抗的・破壊的な行動が多く見られ、自尊感情や他者を尊重する態度、責任感など欠如している場合が多いとされます。

育ちそびれた興奮しやすい愛着障害のお子さんが複数いる学級もあります。訪問するいくつもの学校で感じることですが、子どもの内面にイライラ、むかつき、不安感、抑圧感が充満しています。ゆがんだ形で、他者への攻撃や自己への攻撃となって現れます。不安な感情を常に持ち、暴力や暴言をくりかえす子どもたちと向き合い、管理や規則で脅したり、押さえ込むのではなく、この子たちが何を訴えたいのか、担任と一緒に悩みます。貧困と格差が進むなかで、家庭崩壊が進行し、子どもに対して多少の指導を行なっても、何ら効果が現れない場合もあります。それほど、子どもたちのおかれている現状は深刻で厳しいものがあります。担任と一緒に悩み考え解決の道筋を探ります。

ある小学校の自閉症・情緒障害児学級の事例です。近くにある児童養護施設から通う小2と小3の子どもがいます。二人とも愛着障害で、自己肯定感が育っていません。担任の指示が通らず、暴言や暴力を繰り返しています。なかなか学習に向き合うことができません。若い担任は、必死になって手がかりを探っていますが、すっかり自信を失っています。30数年前の自分自身を見ているようでつらいものがあります。学校全体で彼を支え、私も毎週訪問し、励まし続けています。こうした学級が全国にどれくらいあることでしょうか。苦悩する教員はどれくらいいるのでしょうか。

この子らを世の光に

「困った時には原点に戻れ」とも言われます。障害者福祉の先駆者であった糸賀一雄(1914から1968年)の福祉の思想が私を励ましてくれます。終戦後、滋賀県庁の職員だった糸賀一雄は、行き場のない浮浪児や障害児らを引き受け、日本で初めての知的障害児の教育施設「近江学園」(1946年から)を創設しました。国中が食うや食わずの状況のなか、職員が住み込みで働き、障害児と寝食を共にする生活を始めます。おとなに対する不信感の強い浮浪児の教育は、困難を極めたと言われています。現代の愛着障害の子どもたちに通じるところがあるかもしれません。糸賀は、障害者と健常者が区別なく暮らせる社会のあり方を求め続けました。そして、成人の施設、女性の施設、重度障害児のための施設をつくり「社会的弱者」と呼ばれる人々の暮らしを支え続けました。

1963年に重症心身障害児の施設「びわこ学園」が創設されます。そして、糸賀は、「この子らを世の光に」のことばを生みだし、障害児が光り輝く社会をつくりあげようとしました。障害児に憐れみの施しを与える「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」、それを実現できる社会をつくろうと実践を重ねました。どんなに重い障害があっても、いのちの絶対的な価値を認め、それを「光」としたのです。当時、障害児・者は、「社会のお荷物」とさげすまれていましたが、糸賀はこの時期からすでにインクルーシブ社会のあり方を模索する先見性をもっていました。

糸賀の思想は、京都府の与謝の海養護学校(1970年開校)で具現化されました。「すべての子どもにひとしく教育を保障する学校をつくろう」「学校に子どもをあわせるのではなく子どもにあった学校をつくろう」「学校づくりは箱づくりではない、民主的な地域づくりである」の理念を掲げ学校づくりに取り組みました。一人ひとりの人権を尊重し、家族、仲間、教員、地域が結びつきながら、もっている可能性を引き出す取り組みは、すべての学校の指針になるでしょう。

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子どものための福祉 事例 6

もう一つの幸せな家族の形

特別養子親子の会 岩渕 浩子

岩渕 浩子さんの顔写真

特別養子縁組

2017年度版の「長野県の子ども白書」で特別養子縁組をされた由井さんの執筆がありましたが、読まれた方もいらっしゃると思います。私も由井さんと同じ特別養子親子の会の会員です。他のほとんどの会員同様、私たち夫婦も長年の不妊治療の後に子どもを迎えました。

由井さんも書かれていましたが、養子縁組親子の交流会発足の際に児童福祉司の矢満田篤二先生に出逢い、その後2か月ほどしてから、先生から、予期せぬ妊娠をしている女性が出産するまでの間我が家にホームステイをし、産まれた赤ちゃんの育ての親は私たち夫婦がなるというお話をいただきました。

そんなことができるのかしらと正直思いましたが、先生はもう数例経験があるようで、家族とも相談し、ホームステイを受け入れることにしました。その女性はもうお腹が大きくなっていて世間の目が気になり外出がなかなかできない状況だったようです。養親はその女性の住んでいる所からなるべく遠い方がいいとのことで私たち夫婦を選んでくれたようです。

出産の時は私も立ち会い、無事産まれた男の子の赤ちゃんと3人で一週間入院しました。

親子結び

そこから私たちの親子結びが始まりました。

それまで大阪の家庭養護促進協会の養親講座に通い親子結びのことは学んできましたが、新生児からのスタートだったので「親試し」や「赤ちゃん返り」などはなく、実親子と同じように子育てができました。

ただ血のつながりがないと本人に伝える「真実告知」は3歳くらいからその年齢に合った説明を繰り返し伝えてきました。これはこの子が一生背負っていかなければならない真実であり試練でもあります。それと同時に私たちは家族であり、かけがえのない我が家の子どもであることも伝えました。

二人目の受け入れ

長男が5歳になった頃、二人目のお話がありました。長男の夜泣きが激しく苦労したこともあり私の身体を案じて家族には反対されましたが、私自身が二人姉妹だったこともあり、是非もう一人くらいは一人っ子よりお互い成長した時助け合えるのではないかと思い、受け入れることを決心しました。もちろん長男にも相談しました。

第二子は女の子で、低体重児でしかも心肺停止状態で産まれてきたので、子ども病院に入院していました。はじめは弟が欲しいと言っていた長男でしたが、妹でもいいと了承してくれました。

妹はさい(おへそ)ヘルニアや逆さまつ毛などの手術を2歳になるまで続けてしましたが、低体重児で産まれた影響もなく順調に育ってくれました。

その妹がやはり3歳くらいの頃、絵本を読みながら真実告知をしていたところ、8歳になった長男が「僕もそうだよ」と言ったのには驚きました。ちゃんと理解していたのです。

学校での配慮

小学校の3年生の時の家庭訪問では、先生に特別養子縁組をした息子であることを伝えました。命の授業が始まる頃だったので配慮してもらいたかったのです。息子は産まれて直ぐに我が家に来たので写真やベビー服などはありましたが、産まれた時の母親の大変さは私には伝えられないからです。

発達障がい

長男はいわゆる「がった坊主」で、思いもよらないいたずらをたびたびしていました。母親として「この子はどこか理解できないところがある」と感じていましたが、父親は「男の子なんてこんなもんだよ。僕もそうだった」と、とりあってくれません。

小学校5年生の3学期にインフルエンザにかかり、一週間学校を休んだ後、登校を渋るようになりました。はじめはなかなか話してくれませんでしたが、問いただすと少しずつ教えてくれました。学校でいじめらしいことがあったらしいのです。それがきっかけで不登校児の相談にのってくれる所に長男を連れて行きました。心療内科受診を勧められ、検査したところ、発達障がいであることがわかりました。

学校の担任の先生と毎日連絡ノートのやり取りをして、いじめのことや発達障がいのことなどをお話しました。先生はクラスのみんなとよく話をしてくれて、何とか登校できるようになりました。原因はコミュニケーションがうまくできない息子とクラスメートの間に行き違いがあったこと、そしてクラスメートの一人が血のつながりのない親子であることを転入してきたばかりの子に教えたことでした。我が家は山あいにある過疎化地域で、7人しかいない保育園から一緒の同級生たちは、たぶん親から耳にしていて知っていたのだと思います。

そのことが影響したのか、6年生になったら、「違う中学に行きたい」と言い出しました。息子が行きたいと言った中学は受験が必要で、塾にも通っていない子が果たして受かるかどうか心配でした。それと地元の中学校では息子が入学するかしないかでクラスが増えるらしく、中学校の校長先生から早く返事をくださいとせかされていました。私は地元の中学校に入学でお願いしますと伝えましたが、小学校の校長先生が、「親が決めたのでは子どもは辛い思いをする。本人が希望するなら受験させて、もし落ちればその時は本人の責任で納得できるだろう。中学の校長先生には私から伝えておく」と言っていただけたので、受験させることにしました。本人はもし落ちたら別の学校を受験したいとも言っていましたが、何とか補欠合格できました。合格の電話をもらった時は椅子の上で飛び跳ねて喜んでいました。

中学校入学後、校長先生と担任の先生には特別養子縁組のことや発達障がいがあることは伝えました。養子であることはクラスメートの誰も知らなかったので居心地は良かったと思います。でも発達障がいというもう一つの困難があり、何度か学校に親が呼び出されたことがありました。それでも何とか卒業することができました。

今は大学に通っていますが、ストレス性の胃腸炎になったりして授業は休みがちのようです。

子どもが生きやすい世の中に

血のつながりがあってもなくても、子育てすることには普通の親子と何も変わりません。

養子縁組をして困ったことは何かと振り返ってみると、一番は世間の目です。日本ではまだ少数派のせいか哀れとか不憫とか変な色眼鏡で見られているように感じることがあります。変な同情はいりません。そのままを受け入れていただきたいと思います。欧米では外見で明らかに血のつながりのない肌の色が違う親子が多数いるようです。

血のつながりのない親子が皆さんの周りにもいるかもしれません。事情はどうであれ、産まれてきた子どもには何の罪もありません。

この世に産まれてきたどの子どもも、普通の一般家庭で育つ権利、そして、ある特定のおとな(親)から愛情を受け、幸せに生きる権利があります。特定のおとなと一緒に生活することは、愛着障害を起こさないためにもとても重要です。

特別養子縁組のことがもっと周知され、養子である子どもたちが生きやすい世の中になっていくことを願っています。

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子どものための福祉 事例 7

元被虐待児だけど何か質問ある?

 虐待された経験から考える社会の在り方

石坂 成人

手を挙げられない子にこそ手を差し伸べて

夕暮れの公営住宅に、軽快な音楽を響かせて移動販売の八百屋さんがやってきます。近所の主婦に交じって、幼い弟、妹が気のいい八百屋のおじさんに駆け寄っていくと、おじさんはバナナを一本ずつ差し出しました。それをよろこんで食べる無邪気な笑顔。兄である私はその光景を少し離れた場所から見ていました。

約束を守らなかった罰として家では食事が与えられず、道端のゴミをあさってしまうほど空腹なのに、弟や妹のようにおじさんに駆け寄って食べ物を分けてもらうことなどできませんでした。こんなにお腹がすいているのに…。弟や妹はさっき家でおやつ食べてたじゃん…。なんで自分ばっかり…。そんな言葉にできない思いを一人抱えていました。

今から30年ほど前、小学生だった私は東京の多摩ニュータウンに住んでいました。親からの虐待が毎日のように続き、家の中には居場所がないと感じていました。しかしそんな状況にありながらも誰かに助けを求めるという選択肢は自分の中にはありませんでした。生死を親に依存している子どもという時期において親の意向に背くというのは「死」を意味するという捉え方しか当時の自分にはできなかったのです。

夜、寝ているところを無理やり起こされ、何時間も正座をさせられ怒号を浴び続けるという日々が続いたことがありました。学校で疲れ切って倒れそうになった時も、担任の先生に「大丈夫?」と声を掛けられましたが「大丈夫です」と返すことしかできませんでした。

ある日の登校前に、親が怒り出し、号泣する私に向かって茶碗を投げつけたことがありました。それが私の頭に当たり、ひれ伏したじゅうたんの上にポタポタッと真っ赤な血が落ちるのを見たとき、恐ろしさを感じたのと同時に、「救急車で病院に運ばれる」「親が傷害罪で逮捕される」「虐待された日々が終わる」と瞬時に次々と映像が浮かび、大変な状況にも関わらず安心したというできごとがありました。結局はそんな自分が思い描いた状況になるはずもなく、何もなかったかのように学校に行かされ、虐待される日々はその後も続きました。

親に連れて行かれた児童相談所ではいくつかの知能テストのようなものを受けさせられました。後日、両親が二人で話しているのを聞いて知ったのですが、そのテストの結果「同年代の子どもより考え方が幼い」という判断がされたようで、当時小学生だった私は「そんな自分だから親から嫌われているんだ」と思うことしかできませんでした。と同時に児童相談所は自分のような子どもを助けてくれる場所ではないのだとの認識を持ちました。

大好きだった祖父母が長野に住んでおり、夏休みや冬休みには一人列車に乗り会いに行きました。長野での日々は本当に楽しかったのですが、東京の家に帰る日のことを思うと、ため息しか出ませんでした。帰りの列車に乗り込むホームで、「がんばれやな」と言いながらお土産を持たせてくれた祖父のやさしさを感じた時、さまざまな感情がこみ上げてきました。しかし余計な心配をかけたくないと、祖父の顔が見えなくなるまでは涙が目からこぼれ落ちないようにと必死でこらえていました。「あんたがいない日は平和だったよ」家に帰った私に親が言い放ったこの言葉は思い出すと今でも胸がしめつけられます。

結局この数年後に私は祖父母のもとに預けられることとなり、それ以来長野で生活することとなったのです。

虐待から逃れられたことはよかったのですが、家族と離れ、慣れない環境で暮らすことは心に大きな傷を被ることとなりました。何をしていても楽しくない、ちょっとしたことでも涙が出そうな精神的に不安定な状態。この時に抱えた悲しみや人生に対する絶望感は、小学生の自分が一人で抱えるにはあまりに大きな悲しみでした。

ここまで自分の経験を並べてきましたが、伝えたかったのはどんな虐待を受けてきたかという事ではありません。虐待は実際に、そして身近で起こり得る問題であり、場合によっては後の人生にまで影響を及ぼすような傷を子どもに負わせるものだということです。虐待を受けている本人は助けてほしいと思っても、それを発することができない、さらには本人が意思を持って隠そうとしているケースもあり、発見されにくいという特性があります。また、もし虐待を発見できたとしても、そこから救いだすのに多くの困難があるということもこの問題の解決を難しくしている要因のように思います。

私は現在結婚し、一児の親となりました。当時の両親の心境については親になって理解できるようになった部分と、親になってみてどうしても理解できない部分とがあります。そんな複雑な心の部分を抱えながらも、強く思うことは、今もし自分と同じ状況の子がいたら助けてあげられるだろうか、何も言わず救いも求めてこない子がいたとしたら、手を差し伸べてあげることができるだろうか、という事です。

子どもにもいろいろなタイプの子がいます。人なつっこく思ったことをすぐに口に出せる子、困ったことがあっても自分からは言い出せない子、怒りや悲しみをそのまま表現できる子、できない子。子どもたちとふれあうとき、少し離れたところからこちらの様子をうかがっている子に何となく昔の自分を重ね、ふと気持ちが引っぱられることがあります。手を挙げられない子にこそ、手を差し伸べてあげたい。そんな子の心の中の寂しさに気づいてあげられる自分でいたい。そんなふうに思うのです。

虐待を受けた子どもが抱える悲しみや恐怖に対してサポートをすることはもちろん大切だと思いますが、周りの人に迷惑をかけてはいけない、悲しませるようなことをしてはいけないと思っている子どもの気持ちに寄り添えるようなおとなが少しでも増えてくれたらと思います。当時の自分はきっとそんなおとなにそばにいてもらいたかったのだろうと思います。

「存在性」を与えることの大切さ

「君の存在性がすごく好きなんだ。」

あるセミナーで知り合った一見怪しい外国人に言われた一言です。

英語だったので言語としての意味を理解したのは通訳の方の言葉としてでしたが、まっすぐに見つめられて言われたその言葉に思わず目が潤んでしまいました。

自分が嫌いで常に自信がなかった私が、この世に「存在」していることを他人が認めてくれている。そのことをうれしいと言ってくれている。心が救われたのと同時に、この気持ちをもし自分が他の人に与えられたら、これからの人生をそんな事に使えたとしたらどんなに素敵だろうと思ったのです。この出来事は私が心のしくみやコミュニケーションについて学ぶことの一つのきっかけとなりました。

世の中の虐待を受けている子どものなかには「自分が悪い子だからお父さん、お母さんに嫌われているんだ」と思っている子や、自分が虐待を受けてつらい状況にいるにも関わらず両親をかばおうと、かたくなに口を閉ざしている子も多くいるかと思います。

そういった子と接する際に大切なことは、よく観察すること、そしてその子の「存在」を認めるということです。コミュニケーションを交わすなかで彼らがどういった生活をして、どういった考えを持っているのかという現実を理解し、それを認め、認めていることを相手がわかるような形で表現する。「そんなことできているよ」と言う人もいるかと思いますが、日々観察していると、そもそもきちんと話を聞いていなかったり、相手の意図したことを受け取れていなかったり、日常のコミュニケーションの中でもこのサイクルが成立している状態は、実際にはそれほど多くないように見えます。

虐待を取り巻くさまざまな問題の解決は一朝一夕では成し得ないことだと思います。しかし「自分を認めてくれるおとながいる」そう感じる子どもが少しでも増えたら問題解決に近づく大きな一歩になると思うのです。

「元被虐待児だけど何か質問ある?」

私の経験が誰かのために生きるとしたら、虐待を受けた過去にも意味を見出せると思います。今後は自分の経験や知識を生かしつつ、子どものためにおとなたちができることを広げていけるような活動に携わっていきたいです。

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分野 3 子どもとメディア・ネット

もくじ

これ以降は分野 3のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①長野県の「子どもとメディア対策」を問う清川 輝基

②みんなで話し合おう!家族・友だち・ネットのルール ぼくたちわたしたちの大切にしたいもの矢澤智都枝

③子どもとメディアに関する実態把握のあり方 実態把握のアンケートはどうあるべきか松島 恒志

分野 3のリンクは以上になります。

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分野 3 子どもとメディア・ネット

スマホで遊ぶ小熊を心配そうに見ている母熊のイラスト

子どもとメディア・ネット 事例1

長野県の「子どもとメディア対策」を問う

日本小児科医会子どもとメディア委員会特別委員

NPO子どもとメディア代表理事

清川 輝基

1 「子どもとメディア」今、何が問題か

スマートフォン(以下スマホ)の急激な普及によって子どもたちのメディア環境は激変しました。一方で、WHO(世界保健機関)が「ゲーム障害」を疾病認定することが本決まりになったり、「スマホが学力を破壊する」ことが東北大学の脳の研究で明らかになったりと電子メディアが子どもの育ちに明らかに有害であるという認識も広がっています。

本稿ではまず子どもとメディアに関する現在の問題点や最新の知見を簡単に整理し、そのうえで長野県教育委員会や県内小中学校の対応がまったく的はずれで有効性に大きな疑問符がつくものであることを明らかにしていくことにします。

①まず指摘しておきたいのはスマホの爆発的広がりの乳幼児への影響です。筆者の調査では保育園、幼稚園の保護者のスマホ所持率は95%をこえ、しつけ、ベビーシッターがわり、おとなしくさせる、などの目的で乳幼児期からスマホやタブレットに触れさせている親が激増しているのです。

人間として育つうえで最も重要な0から6歳の乳幼児期に小型電子メディアに長時間触れさせたり、親がスマホに夢中で子どもから目を離したりすることは、目や脳の発達を歪めたり、言葉の発達、親子の愛着形成に重大な問題を生じることがわかっています。

何もわからない乳幼児にスマホ、タブレット、ゲーム機を買い与えたり、親のスマホ中毒で乳幼児がかまってもらえない状態は、子どもの育ちを歪めたり、遅らせたりという意味で「虐待」とさえ言われているのです。

宮崎県立看護大学が2017年に実施した乳幼児対象の調査(n=2658)では、休日だと1歳児の22%、3歳児の35%、6歳児の42%が1日5時間以上も電子メディア接触をしている驚くべき実態が明らかになりました。日本国民の「劣化」が乳幼児期から始まっているのです。こうした状況も踏まえて、宮崎県では乳幼児のからだと心、言葉の力を育てることも視野に入れた宮崎県独自の「メディア安全指導員」の育成を2016年から始めています。

また島根県松江市では現在市議会で乳幼児のスマホ接触を禁止または制限するための市独特の条例作りの検討が始まっています。

長野県では乳幼児への対策はまったくありません。

②次に子どもたちの学力とメディア接触時間との関係です。スマホやゲームの時間が増えれば自宅での勉強時間とは関係なく脳への影響で学力は低下する、というのは教育、医療関係者、脳科学者の常識です。数年前、信州大学の学長が入学式で新入生に対して「スマホを捨てなさい。捨てられないなら大学を辞めなさい」と迫ったのは有名な話です。

長野県教育委員会 心の支援課の調査でも子どもたちのスマホ所持率は年々増え、2017年には小学生(4から6年)が45.7%、中学生が48.0%、高校生が95.8%となっています。(p128 表1)そして平日にゲームや映像を見るなどのネット利用時間が3時間を超える者が、小学生で11.1%(うち5時間超4.3%)、中学生15.7%(うち5時間超4.8%)、高校生40.0%(うち5時間超15.0%)となっており(p129 表2)、ネット依存症レベルの子どもたちがスマホ所持率の上昇に伴って増えていることがわかります。休日になると子どもたちのメディア接触時間は平日の3から4倍に増えます。平日2時間の子どもでも休日は6から8時間の接触が普通のこととなっています。

そこで学力です。県教委はもちろん県内のすべての小中学校で「学力向上」は教育目標として掲げられているのではないでしょうか。ゲームをやめれば、スマホを手放せば、確実に学力は向上するはずです。しかも、ゲームのなかった1983年以前、スマホのなかった2005年以前、子どもたちは何の不都合もなく暮らしていました。

「ゲームをやめよう!」「スマホを手放そう!」こうした活動が各地の学校で展開されれば、学力向上はもちろんゲーム依存やネット依存に陥って不登校になる子どもも激減するのは確実なのです。

③長野県は青少年の自殺率が全国一高いことはよく知られています。日本全体の自殺者数は2003年の3万4,000人余りをピークに減り続け、2017年は2万1,000人余りとなりましたが、19歳以下の自殺者だけが増えています。なぜ若者だけが増えるのか。アメリカで、衝撃的な研究結果が2017年11月に発表されました。サンディエゴ州立大学の Jean Twenge教授の研究で「米国でスマホが一気に普及した2012年を機に、中高生の自殺率が2010年から2015年で31%も上昇」「スマホ使用時間が1日1時間未満の中高生と比べて5時間以上の中高生では自殺関連アウトカムのリスクが66%上昇」などがわかったというのです。

長野県では今、知事を先頭に「青少年の自殺をゼロに」という取り組みが始まっていますが、このアメリカの研究を生かしてみてはいかがでしょうか。

④2017年、小中学生の不登校の数は13万人を大きく超え史上最多となりました。出生数は50年前のほぼ半分という少子化の中でのこの数字は異常です。ゲーム漬けやネット依存で生活リズムが乱れて不登校につながったり、何かのキッカケで学校を休みそれを機にゲームやネットにはまって本格的な不登校に陥ったり…いずれにせよ不登校とメディア漬けの生活には深い関係があります。長野県でも20年以上前からさまざまな不登校対策が実施されてきましたが、ゲーム漬けやネット漬けの生活を本格的に減らすという視点での取り組みはありませんでした。

⑤2016年の学校保健統計で、日本の子どもたちの視力が小中高とも史上最悪となっていることが明らかになりました。小児眼科学の世界では、子どもの目が育つには外遊びなどで太陽の光を浴びることが不可欠であるということが定説となっています。視神経や眼球や水晶体を動かす筋肉も外遊びなどで多様な目の動きを子どもの時期に経験するなかで育っていくのです。しかし今、子どもたちはその大切な時期に、室内で、スマホやタブレット、ゲーム機などブルーライトを発する小さな画面を至近距離で見つめ続ける生活を始めています。立体視力を含めて日本の子どもたちの目は危機的状況となっているのです。

このほか、子どもたちが1日に歩く歩数も50から60年前の三分の一程度に激減しています。子どもの「足」は歩かない限り絶対に育ちません。高齢化社会になって昔よりも長い期間自分のからだを支え運ばなければならないのに「足」の発達もメディア漬けの生活で危なくなっています。走る、投げる、跳ぶなどの基礎的運動能力は1985年をピークにずっと低下し続けているのです。

⑥「夜の新宿・歌舞伎町を子ども一人で歩かせているようなもの」、子どもにスマホを買い与えネットの世界に入った子どもの状態を示すたとえです。ネットの世界は無法と闇の世界です。判断力もレベル低くネットリテラシーも極めて未熟な子どもちたちがその無法と闇の世界に足を踏み入れるとさまざまなトラブルに巻き込まれ落とし穴に落ちてしまうのは当然のことです。どんなフィルタリングをかけても、スマホを持たせれば、フェイクニュースに踊らされたり、犯罪やトラブルに巻き込まれることを防ぐのは至難の技だと覚悟しておかなければならないのです。県内の学校で毎日のように発生しているネットトラブル、2017年にSNSによって犯罪に巻き込まれた子どもが史上最多の1,813人にのぼったことなどがそのことを証明しています。

2 長野県の「メディア対策」に足りないもの

これまで見てきたようにスマホやゲームが子どもたちの豊かな育ち(発達)をさまざまな側面で阻害したり歪めたりしており、学び(学習)の面でも明白に有害だということが明らかになっています。こうした状態を座視することは、子どもたち自身の未来にとっても日本の社会の未来にとっても許されないでしょう。

ここからは前章の指摘を踏まえて、長野県の「子どもとメディア対策」をより有効なものにしていくためにいくつかのポイントを挙げていくことにします。

①子どもの「発達権」と「学習権」の保障を

まずは、対策の基本的な視点、立脚点です。子どもたちがゲームやスマホに膨大な時間を費やすことによって、人間として成長発達するためのさまざまな体験、機会、睡眠などが奪われてしまっている。それをどう確保するか、という基本的視点を見失なわないで。

②乳幼児まで視野に入れた実態調査と分析を

対策が的はずれにならないためには、メディア接触第一期の乳幼児やその親たちの実態や意識を含めた正確な実態把握を。小中高生の場合、休日の実態、使用場所、親の管理の実態などの把握も。

③子どもへの啓発、教育の根本的見直しを

スマホやネット関連業者、ゲーム業界から研究費などの資金提供を受けているような人物を講師とするような啓発活動は一切やめる。“安全な使い方”“賢い使い方”という宣伝は、販売促進の営業活動であることを子どもや親たちにも伝える。そのうえで前章で指摘したような内容をちゃんと伝えられる講師を招いて啓発活動を実施する。業者依存からの脱却は急務。

④教員の研修を早急に

教員がメディア問題について無知だったり最新情報に疎かったりすれば子どもたちにちゃんとした指導はできない。無知は犯罪であるという認識を。

⑤県独自の「メディア安全指導員」の養成を

子どもの心身の発達とメディアについて子どもたちに啓発授業を行なえる県独自の「メディア安全指導員」の養成は急務である。前章で紹介した宮崎県のほかにも、福岡、長崎、埼玉、青森など各地で養成や学校派遣の取り組みが始まっている。長野県でも業者依存から脱却のために一刻も早い取り組みが必要。

3 子どもと電子メディアに関する緊急提言

NPO子どもとメディアと日本小児科医会は、2018年1月、福岡市で「スマホ社会と子どもの育ち」というテーマで全国フォーラムを開催しました。京都大学総長山極壽一教授、早稲田大学前橋明教授、東北大学瀧靖之教授、日体大野井真吾教授、久里浜医療センター樋口進院長などが専門的な立場から講演、全国から教育・医療関係者など600人近くの参加がありました。以下はそのフォーラムで採択された緊急提言です。

子どもと電子メディアに関する緊急提言

スマートフォン(以下スマホ)、タブレット等の電子メディアの急激な普及は、わが国の子どもの育ちに重大な影響を与えています。

本フォーラムでは、それらへの乳幼児期からの早期接触、青年期までの長時間接触が、子どもの心身の発達(脳、目、運動器、睡眠、言語、愛着形成など)の異変や遅れ、およびネット依存などにつながることが明らかになりました。これらは、子ども自身の未来を歪めるばかりか、わが国の未来にとっても座視出来ないレベルとなっています。

私たちフォーラム参加者は2日間の討議を踏まえて、子どもの健康と日本の未来のために関係省庁(内閣府、厚生労働省、文部科学省、経済産業省、総務省、消費者庁)および関係企業に以下の3項目を緊急提言することとします。

1 乳幼児期からの子どもの心身の発達に対する電子メディアの影響に関する調査を緊急に実施し、発達段階に応じた電子メディア使用の安全基準を速やかに策定し周知をはかること。

2 児童生徒のスマホ・タブレット、ゲーム機などへの接触、依存などの実態を把握して心身の発達や健康との関連を明らかにし、その結果を保育・教育現場に活かすこと。また、薬物やタバコに関する有害性の教育と同様、電子メディアについてもその有害性についての教育・啓発を学校教育の必須事項に位置づけること。

3 スマホ・タブレット、ゲーム機などを製造・販売する企業に対して、たばこの警告に準じて危険可能性を周知する注意喚起文として、「発達や健康への影響が懸念されています」「発達や健康への安全性は確認されていません」等を商品に表記することを義務づけること。

2018年1月28日

第9回子どもとメディア全国フォーラム

NPO法人子どもとメディア

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子どもとメディア・ネット 事例2

みんなで話し合おう!家族・友だち・ネットのルール

 ぼくたちわたしたちの大切にしたいもの

セーフティネットアドバイザー 矢澤 智都枝

城南子どもわいわい会議

わたしの勤めている上田市城南公民館では、毎年、「城南地区子どもわいわい会議」を開催しています。城南地区内の1つの高校、2つの中学校、3つの小学校の子どもたちと地域のおとなたちが話し合う場です。

昨年は、「話し合おう!家族・友だち・ネットのルール」というテーマで、ネット利用における大切なこと・守りたいことについて、各学校で考えてきたことを発表したり、代表者がパネルディスカッションで意見交換したりしました。生徒会での取り組みや保護者の心配に思っていることなどを直に話を聴くことができ、会場の参加者も学ぶことの多い会議になりました。

フロアの参加者から「自分たちも話し合いに参加したかった」という感想をいただきましたので、今年は会場全体でのディスカッションを試みました。

リレートーク

テーマの共有、課題の共通理解を図るために、前半にリレートークを行ないました。小中高等学校の生徒・教員・PTAがリレー形式で1分ずつ各校の現状についてスピーチしました。

リレートークの内容

小学生:親の管理のもとでスマホを使っている子もいるが、使い放題の子もおり、動画を長時間視聴したり、おとなのサイトを見たりして注意される子もいる。

中学生:試験前にノーメディアデーを設定して、定期的に時間の使い方を見直している。メッセージアプリを使って誹謗中傷が起きており、コミュニケーションの取り方が難しくなっている。

保護者:子どもには子どもの考えがあるので、話し合ってルールを決めていきたい。子どもが何を使っているのか一緒に学びたい。頭ごなしで禁止するのではなく、理解できるように危険性を伝えたい。

リレートークの様子を写した写真

グループトーク

後半は参加者全員を小グループに分け、前半のリレートークを受けてディスカッションをしました。参加者は180人。25のグループに分け、各グループに子ども・学校関係者・地域の人が入るように組み、進行役を学校関係者にお願いしました。グループトークのポイントは互いの話をしっかり聴くこと、特に子どもの発言は大切にし、おとなが説教をすることがないように始める前に確認し合いました。

約45分のディスカッションでしたが、会場に笑顔が溢れました。

グループトークの様子を写した写真
グループトークの様子を写した写真

最後に、話し合ったことをカルタ風にまとめました。学校の名前の文字に合わせて始まりの言葉を一文字ずつ分担して作り、貼り出し、みんなで読み合いました。

グループトークで話したことをかるた風にまとめた写真

川辺小学校区の参加者で考えました。

かあさん とうさん いっしょに勉強 ネットルール 決めよう

キケンあり ネットで知り合い トラブルに

くるしみと楽しさ生みだす ネット社会

けいたい電話 携帯ゲーム けじめをつけて健康に!

こどもから 周りと話そう 高めよう コミュニケーション

城下小学校区の参加者で考えました。

さぁどうする? 自分に迫る お金の恐怖

しらないと 逃げずに学ぼう 親も子も

すぐ近くの友だちさそって コミュニケーション

せっかくだから直接言葉で 伝えよう

その時間 スマホを置いて ふれあいを!

上田千曲高校の参加生徒が考えました。

たよるのはネットの向こうじゃなくて 友だちに

ちょっと待て!そのホームページ本物か?

ツイッターラインじゃないと話せないの?

でんわから 始まる危険 すぐそばに

ともだちは 視線をあげたその先に

南小学校区の参加者で考えました。

まちなさいスマホは道具最後は自分で考え決めて行動しよう

みんな勇気を持ってネットについて相談しよう

むきあおうスマホじゃなくて友だちと

めの前の画面じゃなくて人を見る

もくてきをはっきりさせて使おうスマホを!

第四中学校区の参加者で考えました。

やさしさは指で言うより目と口で

インターネットうまく使えば自分の宝

ユーチューブうまく使って役立てよう

えがおが見えるところは画面じゃないよ

よき友とスマホ比べてどっち取る

第六中学校区の参加者で考えました。

ラインだけそんなはずない 会話の方法

りゅうしゅつのリスクが潜む ネット社会

ルールを決めて家族で笑顔

れんらくのとりすぎ注意会話しよう

ロマンスはネット世界より目の前に

参加者の感想

子どもたちから

・さまざまな年代の人と会話できる機会は初めてで良い経験になった。楽しかった。

・自分のスマホの使い方を見直すきっかけになった。

・親とネットについてもう一度話し合いたい。

おとなから

・広い年齢層の会議で興味深く内容も素晴らしかった。

・普段話さない小中高校生と話ができて良かった。

・子どもの生の声、意見、参考になった。

・おとなも勉強して子どもに教えられるようにしたい。

・1つの場所で話し合えたことで成果があった。

・お互いの意見を聴きあうコミュニケーションを大切にしていきたい。

・今日のことを地域の役員会などで話していきたい。

最後に

話し合うことそのものに価値があると実感した会議でした。楽しかったと1回で終わらせるのでなく、何度もこのような場をつくっていきたいと考えます。

矢澤智都枝 上田市城南公民館勤務 社会教育指導員 県下各地の学校、公民館等でセーフティネットについて講演活動を行なっている。

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子どもとメディア・ネット 事例3

子どもとメディアに関する実態把握のあり方

 実態把握のアンケートはどうあるべきか

子どもとメディア信州 松島 恒志

松島 恒志さんの顔写真""

県内では、子どもが電子メディア機器との関わり方の問題から生活リズムを乱したり、ネット上のトラブルに巻き込まれたりする事案が多数確認されております。表に出る事案が氷山の一角であるとするならば、家庭や社会ではさらに多くの事案が発生している可能性があります。この現状を「子どもに迫る身近な危機」と捉え、早急に対応する必要があると考えます。

小中学校では、学習指導要領に基づき情報モラル教育を推進しているところですが、子どもが比較的自由に電子メディア機器に触れる機会は、家庭に帰ってからとなることから考えると、学校、保護者、地域が課題を共通認識し、現状に合った啓発活動を進めていく必要があります。具体的には、次の4点のポイントを大切に考えていくとよいと思います。

①「子どもと電子メディア」に関する実態を把握し保護者、学校、地域、市町村単位等で共有する。

②実態を考察し、問題点・課題を抽出し、対応策を検討する。

③課題解決に向けた取り組みを実施する。

④一連の取り組みの成果の検証と残された課題・新たな課題について整理する。

1年なり2年なりのサイクルで、①から④を繰り返し行なっていくことで改善を図っていきます。「2017長野の子ども白書」でも紹介させていただきました佐久市の取り組みがこの典型となります。佐久市の場合は2015年から毎年春に市内の全小中学生(小学校3年生以上)を対象にアンケート調査を行ない、このサイクルで取り組みを推進してきました。特に①の実態把握は保護者や先生方の課題意識を高める上で非常に重要です。

また、「子どもと電子メディア」に関する環境は日々変化しているので、実態把握のアンケート等は、調査項目をよく検討しつつ毎年実施することが理想だと思います。

アンケート調査のあり方

実態把握に欠かせないものは、子どもを対象にしたアンケート調査です。しかしこのアンケート調査でつまずくことが少なくありません。実施する学校の先生方の声から代表的なものを5つ紹介します。

例1)【回答からの考察がしにくい】

「あなたはスマホ、携帯電話、どちらを使っていますか。(両方の人はウを選択)」

「スマホを使っている人が多い」という考察になり、携帯電話会社にとっては貴重なデータですが、私たちの課題としてはあまり必要感がありません。

例2)【設問が多すぎる】

アンケートを実施するのは学校の先生方です。できれば授業をつぶしたくないのですが、あれもこれも調べたくなって40問から50問のアンケートになることがあります。やむを得ず、抽出校や抽出学級で実施するならば理解できますが、全学校全学級で実施するには無理があります。相手は子どもですから、あまり多いと飽きてしまいますし、集計が大変です。

例3)【選択肢がややこしい】

②と答えた人は問3へ、③と答えた人は問6へ進んでください。

1つでも○がついたら問7へ、どこにも○がつかない人とわからない人は問9へ進んでください。

1つ2つなら我慢できますが、全体がこの調子のアンケートがあり、子どもにとってはストレスです。集計する先生もかなりの抵抗感があります。

例4)【記述する部分が多い】

○をつけるタイプのアンケートに慣れている子どもにとって自分の考え等を文章にすることは抵抗がある場合があります。「答えたら注意されそうだ」という問いは、無回答にする子どもがいます。また、集計する人にとって、記述式のアンケートほどまとめが大変なものはありません。

例5)【正直に答えられない】

・アダルトサイトをよく見ますか?

・ネットで知り合った知らない人と会ったことがありますか?

このようなストレートな聞き方は、無記名で実施するアンケートでも抵抗感があります。

まとめ・考察の方法については、

「アンケートに答えたが、市全体の集計が出るまで3から4か月かかったので拍子抜けした」

「市全体の集計結果が出たが、本校の実態は違う」

といった反応もよくあります。

このような点を考慮すると、全校・全学級対象のアンケートは以下の形が理想ではないかと私は考えます。

(1)朝の学活や、帰りの学活で実施できる内容

・10問程度がその範囲に収まる

(2)選択型が基本

・子どもは選んで○をつけるだけ

(3)集計が簡単、結果がすぐ見える

・先生方は○の数を数えて集計するだけ

・専用集計ファイルに数を打ち込めば、学校、学級の実態が自動的にグラフ化される。

(4)経年変化も考察できる

・子どもを取り巻く環境の変化に応じて項目を変えていく

・毎年調査項目を変えるのではなく、数年単位で項目を固定し、経年変化を見る

特に大切にしたいのは(3)です。子どもや先生、保護者が知りたいのは自分たちの実態であって、市や町等の全体の傾向ではないのです。まずは自分たちの実態を知り、そのうえで市や町等全体の傾向と比較して自分たちはどのような傾向があるのかを知ろうとするのが順番です。前述の佐久市のアンケートで配布した集計シートは、それぞれの合計(○の数)を打ち込むだけで自校の結果がカラーのグラフで立ち上がり、傾向が一目瞭然となります。教育委員会が指示などしなくても、各校では自主的に結果を増し刷りして職員会議で検討したり、啓発資料として保護者へおたよりで発信したりするようになります。こうなれば、やらされているアンケートではなく、「実態を知りたいアンケート」となり、対応策を各学校や学年単位等で考えるようになります。

市町村の連携に向けて

2017年度、松本市では校長会の協力を得て、市内全中学校の生徒を対象に、佐久市と同じ設問で、実態把握のアンケート調査を実施しました。市内21校では、市全体の平均と同じ傾向の学校もあれば、平均とは違う傾向を示す学校もありました。結果を自校の課題と捉え、対応を実施した学校も少なくありません。この流れを受け、2018年度は、松本市教育委員会と松本市校長会が協賛の形で、その対象を小学校まで広げてアンケート調査を実施する予定です。市としては全体の傾向を把握することで、今後の指導や施策の参考にすると思いますが、同じアンケートを佐久市でも実施していることから、市単位での比較も可能となります。また、このアンケートに他県の市も興味を示しているところがあり、もし連携ができれば、県をまたいでの比較や協力も可能となってきます。協賛できる市町村等がありましたら、ぜひ協力していきたいと考えています。

参考 平成29年度アンケート調査より

佐久市と松本市の中学生 携帯電話の所持についてのアンケートの結果 持っている 共有 ない の三つの項目で回答するようになっており 学年ごとに見れるようになっている

中学生 携帯電話の所持 佐久市

中学生 携帯電話の所持 松本市

松島 恒志 子どもとメディア信州 代表 

菅野中学校

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分野4 世界の子どもと多文化共生

もくじ

これ以降は分野 4のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①外国由来の子どもたちの成長と日本語教育 教育の保障:寄り添う視点を川澄利枝子

②母国タンザニアと日本の架け橋に小林フィデア

③子どもと保護者への支援横谷マリア

④バンコクの高校で感じたこと北原 広子

⑤中国残留邦人3世・Mさんが語る
 「日本語と中国語の子育て」
小林 啓子

分野 4のリンクは以上になります。

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分野4 世界の子どもと多文化共生

クマたちの運動会のイラスト

世界の子どもと多文化共生 事例1

外国由来の子どもたちの成長と日本語教育

 教育の保障:寄り添う視点を

(特)中信多文化共生ネットワーク ヤングにほんご教室

川澄 利枝子

川澄 利枝子さんの似顔絵イラスト

1.「ヤングにほんご教室」の経緯

「ヤングにほんご教室」は(特)中信多文化共生ネットワークが2011年に県の「元気づくり支援金」を受けて開設しました。松本市では、「子ども日本語支援センター」が開設して小中学校に於ける日本語指導は進展しつつありましたが、学齢期を過ぎて来日した子どもたちの教育の場が極めて限られていることが差し迫った課題であり(日本語力がないことにより、高校へ行けない、仕事がない、夜遊びや引きこもりの心配もありました)、ゆくゆくは市の事業とされるべく支援者有志でスタートしました。昼クラスは午前9時半から12時半、スキルの高い講師によるクラス形式日本語授業で、意欲ある学習者が集まっていました。夜クラスは来日間もない子どもたちの日本語学習の場でもありましたが、それよりも日本語を話していても教科学習の理解が難しい子どもたちが圧倒的に多く、中国・ブラジル等の中学生が、高校進学を目指して、家族に送って貰えない時は1時間でも歩いて、また雨の日も自転車で足から水を滴らせ通ってきていました。外国由来の子どもたちにとって学習に使われる日本語がこんなにも難解だという事実、改めて大きな課題を目の当たりにしていたのです。

2年後、県の支援金は受けられず、大きく転換せざるを得なくなり、昼クラスは「みんなの日本語教室」となり、夜クラスが「ヤングにほんご教室」という名称を受け継ぎ、日本語学習と教科学習支援だけでなく交流を通して子どもたちの居場所になるべく再出発をしました。約7年間にわたる週2回午後6時から8時までの紆余曲折の支援活動から思うところをお伝えしたいと思います。

<事例1:中学生A君>

東南アジア出身の母親が日本人と結婚し、呼び寄せで小学校5年生に転入した男児。日本語はゼロからのスタート。学習習慣も身につけながら、生活に必要な日本語は上達して、クラスにも馴染みましたが、教科学習にはほとんどついていけませんでした。心配顔の日本語支援員に「いいよ、僕もう一年6年生やるから」と言いました。母国では小学校2年生までしか行っていないとのことでしたが、決して能力が低いわけではなく、学習習慣は身についていませんでしたが、日本語は上手になり、漢字も覚えることができていました。無邪気で人懐こいところもあり、ヤング日本語教室でも明るく楽しそうに参加していました。中学校では生活記録を毎日書き、漢字もがんばって練習している様子でした。ある日支援員に「『コロスゾ』ってなに?」と聞いてきました。いじめにあっていました。学校での教科学習支援はなかなか始まりませんでした。部活もやめてしまい、夜遊びやいたずらなど問題行動も出てき、指先にあるかすかなカッターナイフの切り傷が気になることもありました。

2.年齢で決まる転入学年

それまでの教育歴にかかわらず年齢相当の学年に転入しなければならないことは、日本語も良くわからない子どもにとって乗り越えるには高すぎる壁です。日本語を話せるようになっても学習用語をさらに理解しなければならず、学年相当の既知の知識があればそれに繋げることもできますが、ない場合は改めて基礎から学習しなければ無理難題を突きつけられるのと同じです。また、理解できる思考力は母語力にも関係しています。

そのうちに「わからない」ということが日常になって、それが当たり前のことになってしまいます。危機感は薄れ、学習意欲が萎えるとともに「面白いこと」に流されて行くようになります。

3.教科学習につながる日本語指導が必要

松本市では「子ども日本語教育センター」が開設して8年あまり、小中学校における特別な教育課程による日本語指導が、教育委員会指導のもと、課題に迫りつつ進展してきていますが、初期日本語指導のみならず、学習用語の理解までの指導をして初めて教科理解につながります。その子にとって今何が一番に必要な指導かを支援会議で話し合い、実施されればその子はきっと学習に取り組むことができ、さらに意欲がもてるようになるに違いないと思います。

「ヤングにほんご教室」のスタッフ会では「小学校まで遡って1対1でじっくり向かい合う支援をしていこう」と話し合っていました。しかし、ボランティアによる教室で、そこを全面的に担うことは不可能です。

文科省平成26年度調査によると、日本語指導を必要としている児童生徒は10年間で1.6倍に増え、そのうち2割(約6,000人)が日本語指導を受けることができていない、日本語指導を受けていても「特別の教育課程」による日本語指導を受けている者はその約2割で、市町村教育委員会は約80%が「実施のためには『体制整備』が必要である」と回答しています。

<事例2:高校生B君>

小学校5年の春、母親の結婚により日本の父親に連れられ「子ども日本語支援センター」に来室した男子。中3の秋すぎても進路が決まらず、遅刻や欠席も時々あり、父親は「こんなことでは就職だ」と言い、本人に聞くと「高校へ行きたいが…。」とはっきりしませんでした。通訳を介して母親と一緒に話し、母親は初めて子どもの直面している問題に気がつきました。高校へ行くことが決まった時、別人のようになって、受験に向けて自ら勉強に向かう姿がありました。高校生活も順調にスタートしましたが、2年生進級を前に高校から相談の電話がありました。欠席が多く補習を受けないと進級できないが、本人が続ける意欲がない様子ということでした。高校の先生方は本当に丁寧に話をし、励ましていましたがなかなか改善できなかったようです。通訳を介して母親にも勉強に向かえる家庭環境を考えてもらい、将来のことも含めて今後の生活を一緒に考え、改めて高校を続ける決心をしました。

4.「知らない」ということ

家庭環境は子どもの成長にとても大きく影響しています。保護者、家族が教育に関して母国の意識のままだと子どもの危機に気づくことができません。「学校へ行っているし、進級できたから子どもは大丈夫」と思っていたという話をしばしば聞きます。高校入試の複雑な仕組みを知りません。「進学ガイダンス」で説明を受ける機会があっても参加する家族はわずかです。日本で高校へ行くことの意味、そして日本社会で生きていくためにどうしなければならないか、想像ができないのかもしれません。

保護者に寄り添う支援が必要です。

5.高校教育の現状

外国由来の子どもたちは各々多様な状況があり、旧態然とした日本の教育体制では取り残されてしまう状況が多いなかで、松本市では徐々に小中学校の日本語教育から始まって改善されてきており、10年ほど前よりは、高校進学率も上がってきているようには感じられます。

しかし、果たして卒業できているのかどうかということになりますと、まだ追跡調査はされていません。2012年の「外国人集住都市会議」の資料によると、高校進学後、授業を理解可能な生徒は54.8%ということです。中学校における日本語指導の現状を見ても高校に受け入れられたからといって、支援がなくしては授業についていけないのは当然のことに思います。B君のように希望を持って入学しても、想像できなかった日本人高校生との関わり、自分が理解できない日本の文化に対する不安がさらに拡大しただけの学校社会で道を見失いそうになってしまうことがあると思います。分からないことを一つずつわかるように地道に学ぶことを厭うようになってしまいがちです。

高校教育においても中学校での指導と継続した日本語教育や教科学習支援がなくては高校卒業も形だけのものになってしまいます。

B君が「ヤングにほんご教室」へ通い続ける事を約束してくれました。一緒に勉強してくれる支援者がいることがまず、彼が前を向く力の一つになることと期待しています。文化の違いを越えて、一生懸命取り組む事の意味を伝えたいと思います。

6.未来社会への課題 よりそう教育の実現

今後、国際結婚の増加や、外国人労働力への依存がますます進む超高齢少子化社会で、外国由来の子どもたちは増える一方で減ることはありません。外国由来の子どもたちの教育の課題は早急に目処を立てなくては社会問題として大きな禍根になると思われます。

多様性が大きな可能性となる外国由来の子どもたちが、幼児期から成人になるまで如何なる教育を受けるかは、世界に通用する人材になるか、未来の社会を支える力になるかというキーポイントです。

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世界の子どもと多文化共生 事例2

母国タンザニアと日本の架け橋に

NPO法人ムワンガザ・ファンデーション 理事長 小林 フィデア

小林 フィデアさんの顔写真

私の母国タンザニア連合共和国は、赤道直下の東アフリカにあり、大陸側のタンガニーカとインド洋上のザンジバルという2つの国からなります。それぞれの歴史は異なりますが、奴隷貿易やポルトガル、ドイツ、イギリスなどの植民地時代を経て、1960年代に独立、統合を果たしました。ザンジバルには軍事と外交を除き、独自の大統領と政府が存在します。インド洋に面した東部は歴史、文化と経済の中心として賑わっています。北部はアフリカ最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)や世界遺産の野生動物保護区、アフリカ最大のビクトリア湖(世界3位)など雄大な自然に恵まれています。また、人類最古の骨格や親子と思われる足跡の化石が残されているオルドパイ渓谷もこの地域です。西部にはアフリカ最深のタンガニーカ湖(1,470m世界2位)。つまりアフリカ大陸の一番深いところから高いところまでがタンザニアにあるのです。

私の郷里ソンゲアは、タンザニア南部ルヴマ州の州都です。首都ダルエス・サラームからおよそ1,000kmをバスで15時間かけて移動します。隣国のマラウイやモザンビーク、インド洋側へ通じる幹線道路が町を中心に十字に伸びる交通の要衝で、遠くにアフリカ大地溝帯の山々を望む起伏に富んだ地形と、赤い土が印象的な町です。標高1,100mを越える内陸性気候で体感温度は気温より涼しく、過ごしやすいといえます。ムベヤ、イリンガ、ルクワと並ぶ4大穀倉地帯のひとつ。トウモロコシ、コーヒー、果樹の栽培が中心で、稲作も行なわれています。

タンザニアの国旗は4色。緑色は豊かな自然に恵まれた国土と農業の発展を、青色はビクトリア湖をはじめとする湖やインド洋と漁業の発展を、黄色はダイヤや金などの鉱物資源と経済の発展を示しています。そして中央の黒色は国民を意味しています。アフリカ人にとって、黒は人間の色であり、だから最も美しい色なのです。私は日本に来て、黒い肌の色が汚いと差別されたことがあります。とてもショックでした。

私は1996年に青年海外協力隊員としてタンザニアに赴任していた小林一成と結婚、来日し、夫の郷里である長野県飯綱町に暮らしています。日本の豊かさを知るにつれ、祖国タンザニアの貧しく劣悪な環境にある子どもたちへの援助を志すようになりました。

1999年、私は姉フローラと母レジーナを日本に招き、孤児支援に取り組もうと話し合いました。レジーナは自宅を孤児院として開放し、NGO『ソンゲア女性と子供の支援団体(SWACCO)』を設立。フローラは渡米し、シアトルを拠点に支援者を募りました。

SWACCOが世話する孤児は約80名。親をエイズで亡くし、自らもHIVに感染している子どもたちも少なくありません。その生活費や教育費、医療費などを援助しながら、私たちは大きな目標を掲げます。それは孤児院の建設です。実家が狭いという理由だけでなく、タンザニアでは民家での施設運営は認められていません。私は資金を工面し、2005年に12haの土地を購入しました。

『KIJIJI CHEMA(祝福の村)』と名づけた新しい孤児院の建設計画は、周辺に職業訓練校、診療所、複数の小規模工場や商店を整備するもので、孤児の自立ばかりでなく地域の雇用、経済の振興にも大きく寄与するものと期待されています。

私の日本での支援活動は、個人ベースの活動であり、給与の一部と仕事の合間を縫った講演料や募金活動で得た資金援助、寄贈された衣料、日用品や文具などの物資援助で支えられてきましたが、講演先の学校からリサイクル活動の収益金を、また賛同者らがチャリティコンサートを開くなど、支援の輪は次第に広がりました。

2008年には身体に障害をもつ女児の義足製作の呼びかけに、勤務先「㈱サンクゼール」の同僚らが応え、募金活動が行なわれました。また新潟の「ロータリークラブ」からは入寮児たちのために2段ベッドが贈られ、各部屋に設置されました。長野市古里小学校の卒業生がたくさんのランドセルを届けてくれました。放置自転車など不要となった自転車を300台集めて、コンテナいっぱいに詰め込んで送ったこともあります。支援物資はいつも手渡ししてきました。そして2009年、㈱サンクゼールはチャリティー商品「フィデアジャム」の製造・販売を開始ししてくれました。売り上げの一部がSWACCOに寄付されています。

私たちが支援している孤児院は、ソンゲア郊外のムェンゲムシンド村にあります。主食の原料となるトウモロコシを中心に小規模な農業を営む地域で、慢性的な貧困を抱えています。伝統的な相互扶助の精神が残っているとはいえ、もはや親族や地域が孤児の世話をみることは経済的に厳しく、路頭に迷う孤児、あるいは里親の元でも過労働、性的虐待によって就学できない孤児たちが増えています。

ムェンゲムシンド村には電気が通っていません。孤児たちはまだ暗いうちに起床し、掃除や家畜の世話、年下の子たちの面倒をみながら学校の準備を済ますとウジと呼ばれる少量のおかゆ(お米でなくトウモロコシ粉)だけを飲んで登校します。給食はありません。校門の前で軽食を売る人たちが店を広げますが、お金がなければ買えません。だから多くの子どもたちは空腹のまま午後の授業を受けなければなりません。

2010年4月、これまで私を支えてくれた友人、同僚らが中心となって、安定した孤児支援を継続するために組織化しようと、NPO法人『ムワンガザ・ファンデーション』を設立しました。スワヒリ語で『光』を意味します。

タンザニアでは、土地取得後5年以内に建設を始めなければ政府に没収されてしまいます。2011年、私たちはいよいよKIJIJI CHEMAに槌音を響かせます。まずさく井から。地下100m級の深井戸を掘り、WHO基準を満たす良質な水を確保しました。続いて敷地7,000坪分を囲む塀も建設しました。何より先に、子どもたちの養育と保護を象徴する井戸と塀をつくることができたのです。

2013年夏には、姉フローラが主宰する米国NGOと協働して孤児院の居住棟が着工、クリスマスまでに竣工するという目標を達成させ、25名の孤児が入居を始めましたが、フローラはガンに冒されており、その年の暮れに他界しました。

2015年からは毎年夏に孤児を日本に招聘して、支援者と交流する機会をつくっています。見捨てられてなんかいない、日本という遠い国にも応援してくれる人たちがいること、みんなは世界とつながっているということを、タンザニアの子どもたちに伝えたいのです。就学の機会が、将来の夢を抱かせるからです。

2017年、「㈱アソビズム」の資金協力を得て居住棟第2棟が完成しました。ここでは乳幼児の保護と養育に主体を置いて運営されています。

これら建設資金はじめSWACCOの運営費、孤児の養育、教育にかかる経費のほぼ全額は、日本からの寄付金で賄われていますが、何より現地運営団体の自助努力なしに、安定した孤児支援活動は実現されません。当地の基幹産業である農業で、付加価値のある作物づくりと加工・販売によって現地で収益を上げることができたらと、2016年にリトワ村40haの原野を取得し、開墾が進められています。

来日して20年、長い年月をかけて、少しずつ、本当に一歩ずつの歩みですが、支援を受けた子どもたちの中には教員や看護師になった人、大学で学ぶ人もいます。タンザニアの孤児たちが自立し、いつか温かい家庭を築くことを信じて、私たちはこの歩みを続けていきたいと思います。

みなさまのご協力を、よろしくお願いいたします。

タンザニアの子どもたちの写真

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世界の子どもと多文化共生 事例3

子どもと保護者への支援

ポルトガル語通訳 横谷 マリア

横谷 マリアさんの顔写真

公立学校で学ぶブラジル人の子どもたちとビザの関係

今年は日本からブラジルへの移民が始まって110周年にあたります。1908年に笠戸丸が3か月もかかってサンパウロ州サントス港に到着して以来、1973年に移民船が廃止されるまで約13万人が移住し、今では約190万人の日系人が暮らしています。

父の両親は1919年に沖縄県から、母の両親は1931年に宮城県からそれぞれ移り住みました。

私の両親は日本国籍を持っており、来日する前にサンパウロにある日本総領事館の入国手続きに行き「日本人の配偶者等」の在留資格を得ました。この在留資格「日本人の配偶者等」は日本人の夫や妻の他に「等」は「子ども」に当たります。英語ではSpouse or Child of Japanese Nationalとパスポートに記載されました。日系二世に与えられる在留資格です。

1990年の入管法改正によりブラジル日系三世やその配偶者に「定住者」Long Term Residentの在留資格を与えられるようになりました。これは就労活動には制限のない在留資格です。その時期から大勢の日系人が日本で働くために来日して、同時に子どもたちも連れてきました。この28年の間、日本で生まれたブラジル人国籍の子どもも多いです。

在留資格

本邦において有する身分又は地位

該当例

在留期間

日本人の配偶者等

日本人の配偶者若しくは特別養子又は日本人の子として出生した者

日本人の配偶者・子・特別養子

5年,3年,1年又は6月

定住者

法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者

第三国定住難民,日系3世,中国残留邦人等

5年,3年,1年,6月又は法務大臣が個々に指定する期間(5年を超えない範囲)

日本での生活が長期間になると、「永住者」の在留資格に変更することができます。

在留資格

本邦において有する身分又は地位

該当例

在留

期間

永住者

法務大臣が永住を認める者

法務大臣から永住の許可を受けた者(入管特例法の「特別永住者」を除く。)

無期限

長野県国際課の調べによると、平成29年末にブラジル人は4,856人が登録されて、その内「永住者」は2,721人、「定住者」1,493人、「日本人の配偶者等」582人、合わせて4,796人です。

「日系人」として日本で生活することができますが、在留資格と日本語能力には関係がありません。

日本語の読み書き、会話ができなくても暮らすことはできます。「通訳」という職業で、市役所や学校などで活動をする日系人もいて、ポルトガル語の通訳・翻訳をしてくれるため、その都度、関わっている問題に対しては何とか解決ができそうです。しかし、日常生活のすべてに対処できるわけではありません。

日本語のわからない保護者への支援

心配なのは、公立学校に入学・転入したブラジル国籍の児童・生徒とその両親です。

このようなケースがありました。

5月のある日の夕方、リンゴの摘果をしていると携帯電話にメールが入りました。ブラジル人の母親からです。彼女は日本語が話せません。小学校1年生の子どもが、下校途中に何かあったようです。

お母さん:「先生に何があったのか聞きたいので、これから学校へ行きます。」

心配よりパニック状態の様子でした。

私:「学校にアポイントを取りましたか?」

確認しながら、今どうしたらよいかを理解してもらい、落ち着かせるようにしました。母親にはていねいな指導が必要で、子ども本人からも何があったのかを聞きたいと思い、すぐに自宅を訪問しました。

自宅で子どもからの話を聞きました。

話を聞いてから、私が学校に連絡して親子と話した内容を伝えました。翌日、担任の先生が子どもたちに確認をしてくれました。そして日本語が理解できる父親に電話で事実を伝え、私にも伝えてくれました。

もし、あの時お母さんがいきなり学校に行ったらどうなっていたでしょうか?私はあの時、お母さんが学校へ行こうとするのを止めました。子どもの気持ちが良く聴きとれていないことや、日本語の話せないお母さんが学校に突然に現れても、先生たちはビックリするだろうし、コミュニケーションがとれないのでもっと混乱してしまうだろうと思ったからです。その後、母親は学校に出向きましたが、その時は母親の聞きたいことやお願いをあらかじめ私が日本語に翻訳して持参しました。お互いに理解し合うためには、「通訳」や「仲介」も必要でした。

子どものための保護者支援

公立小中学校では、日本語が話せない、読み書きができない児童・生徒のために指導者がつくことができます。これは子どもの学習のためです。しかし、ブラジルから来日した日系人には日本語を話せなくても、現状では支援・指導がありません。そのため子どもに何かあるととても困ります。学校では外国から来た両親と会話するための語学的準備も、保護者への支援、指導、日本語の学習配慮などはありません。近年、学校からの保護者向け文書や学校要覧について、外国語で翻訳したものを配布する学校が増えてきたし、家庭訪問や懇談会など、教師のために通訳を依頼することはできますが、保護者のために十分とは言えません。

各地に公的なおとなのためのボランティア日本語教室があります。しかし多くのブラジル人は日本語の勉強をしたがらない傾向があるので、いざトラブルにあったときには、通訳である私も困ります。日本の学校に子どもを通わせるには、両親、特に母親の協力が重要です。そのためにはお便りなどを良く読み、理解するための努力も求められています。ブラジルでは両親が学校の授業や行事に関わることがほとんどないため、そのことも影響しているかもしれません。

このケースでは5月に、突発的に家庭訪問をすることができましたが、継続的な支援は難しいです。私の立場は、個人的なボランティア活動で限界があります。

保護者も学校も配慮して欲しいこと

このようなケースが少なくないことから、次の3点について提案したいと思います。

1.ブラジル人の子どもの両親には日本語の勉強、特に「教育」関連の語彙を学ぶ必要があると思います。

2.学校では日本の教育と学校制度について説明する機会を設け、保護者への支援に配慮が必要です。

3.異文化理解という面から、ブラジルで育った両親は、持っている価値観を基本にして日本の生活を理解し、親子で、文化の違いから多文化に切り換えるチャンスに活かすことができたら、素晴らしいと思います。

1990年から、どんどんブラジルからの労働者とその家族が日本で生活して、2000年に県内には2万人のブラジル人がいました。しかしリーマンショックと東日本大震災の影響で帰国したり県外に移ったりして、今はほぼ5千人が生活しています。現在、ブラジルの経済が悪化し、日本の労働力不足との関係で、また日本語のできないブラジル人家族が増えています。全国でブラジル人は18万人に増加しています。

<参考>
長野県国際課 長野県の外国人住民統計

https://www.pref.nagano.lg.jp/kokusai/sangyo/kokusai/tabunka/tabunka/jumintoke.html
入国管理局 在留資格一覧表

http://www.immi-moj.go.jp/tetuduki/kanri/qaq5.html

Maria de Lourdes Uema Yokoya(横谷マリア) ブラジル・サンパウロ出身、日系三世、永住者。来日26年目。日本人の妻、23歳と17歳の母親。マットグロッソ連邦大学 教員資格取得遠隔教育コース(平成25年卒業)、バイリンガル日本語指導者育成講座(平成26年度修了)、群馬県 平成29年度 外国につながりのある子どもたちを地域で支える「心理コーディネーター養成講座」(会場は伊勢崎市7回中6回受講)

http://www.imap.ne.jp/place_detail/page/739/2/2357

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世界の子どもと多文化共生 事例4

バンコクの高校で感じたこと

ライター・タイ語通訳翻訳 北原 広子

タイ人日本語教師のアシスタント10か月

2017年5月から2018年3月までの約10か月、タイ人日本語教師のアシスタントとして、バンコクの高校に勤務しました。国際交流基金がアセアン諸国に日本語ネイティブをアシスタントとして派遣する「日本語パートナーズ」という事業に参加したものです。この事業、タイは5期目で総勢69人。「日本語と日本のファンを増やす」のが大きな目的とのことです。タイでは、南部の一部危険地域を除く各地の公立中等教育機関に派遣されるのですが、誰をどこの学校に送るかを決めるのは送り出し機関で、私の場合、以前暮らしていたバンコクはもう結構なので地方の町か村に行ってみたいという希望はかなわず、バンコク都内の学校になりました。

日本語の授業に入り、学校の職員旅行にも参加し、生徒とも親しくしながら学期始まりから学年末休み直前までの一通りを体験できる機会はそうそうありませんので、この経験から知ったこと、感じたことなどをご報告したいと思います。

派遣先の学校について

派遣先の学校を、ここではW校と呼びます。バンコクの観光用マップにはギリギリ載らない郊外にあり、元々は寺の学校として発足した100年以上の歴史がある国立の男女共学中高一貫校です。タイの学校は私立以外のほとんどが国立であり教師は国家公務員、さらに多くが中高一貫であることは私自身も初めて知りました。

W校の生徒数は、中高合計で2,800人。ギフテットと呼ぶ理系のクラス、音楽のクラスなどがあり、高校からスタートする日本語専攻コースは定員25人です。専攻コースを設置している第二外国語は、この学校の場合、日本語と中国語だけで、各々25人ずつで文系の50人一クラスが構成されていました。

第二外国語専攻のクラスでは第一外国語の英語よりも第二外国語の授業数の方が多く、50分を週に6コマ学習します。日本語の教師は50代後半のベテランがひとり、30代がひとりで、前者が高校2年、後者が高校1・3年を担当。どちらも英語教師を兼ねていて、ひとりは英語の方が専門です。私は両方の授業に入っていましたが、2人の間に連携はまったくなく、使う教科書も教え方もまるで違いました。

日本語教師は、いずれもタイ人の中国語教師3人と英語の教師と一緒に約20人からなる外国語部に属しています。タイで教師になるには、大学4年の夏休みのインターンを経て、5年の1年間は学校で実習をしなければならず、これら実習生もいました。それから中国政府から派遣の中国人教師が目の前の席にいて、親しくしていました。中国からは何千人という規模の教師が派遣されており、アシスタントの経費一切が日本政府負担の日本の事業に対し、給与は中国とタイ側が折半という形で、また日本人のようにあくまでアシスタントという立場ではなく、独立した先生としてクラスを担当していました。

以上が外国語部職員室の面々ですが、これ以外に英語のネイティブ教師が常時6から7人はいます。彼らは派遣会社からの派遣で部屋も別、職員旅行などには参加せず別枠の管理下という風でした。ほんの数人以外はメンバーの入れ替わりが頻繁で、出身国も多様。南アフリカ、ケニア、ルワンダなどアフリカ諸国が多い印象を受けました。

タイの学校の外国語教育事情

以上はW校の場合で、他の派遣メンバーに聞いた限りでは3,000人もいる全校生徒が必修選択として一度は日本語を学ぶ、前期と後期で日本語と中国語を交替に学ぶ、日本語コースが中学からありコマ数もW校より多いなど、学校によって大きな違いがあります。日本語のない学校もあるのはもちろんです。いずれにしろ、中等教育レベルがほとんど英語一辺倒な日本とは対照的にみえるタイの外国語教育事情がどうなっているのか、ざっと概観しておきます。

タイの公用語はタイ語で、国語としての徹底ぶりは日本と似ているように感じます。ただ、特にバンコクには私立のインターナショナルスクールがたくさんあり、W校の日本語専攻コースにも、小学校から中学までインターだったという生徒もいましたし、タイ人でありながらそちらに行く富裕層も少なくないようです。

公立学校でも、第一外国語としての英語は小学1年から始まりずっと続きます。高校から始まることが多い第二外国語は教育省の定めでドイツ語、フランス語、日本語、中国語、アラビア語、パーリ語、スペイン語、イタリア語の8言語。第二外国語に日本語が加わったのは1981年とのことです。

W校は日本語で定評があり、それを目的に入学してきた生徒もいました。地区内の学校のリーダー的存在が「日本語センター校」として、日本語キャンプやコンクールの実施主体となる仕組みになっているのですが、W校はタイ国内28校のセンター校のひとつでした。

気になる日本語の今後

生徒たちに日本語を選んだ理由を聞いてみると、やはりもっぱらゲーム、アニメ、漫画です。すでに先生になっているのがこの世代ですから、授業中に生徒がスマホでゲームや動画に夢中になっているのを注意しないのもしょうがないのかもしれないと思うようになりました。

物心ついたころからのゲームを入り口にネットで独学し、先生より格段に日本語力の高い生徒もいましたが、そうなると家で自習している方が能率的なわけで学校を休みがちになり、先生から問題視されるという例もありました。私としては、日本語支援そのものより、そんな生徒と先生の間に立つ役割の比重が大きくなったのはまったく想定外でした。

先生としては、日本語学習の動機として「日本語ができて日本企業に入れば他のどの言語よりも初任給が高い」を喧伝していました。ただ少なくともW校を見ている限り、残念ながら日本語の位置の弱さを感じてしまいました。中国語コースを中学から発足させ、来年からは英語コースも始めるということで、英語と中国語の先生たちは小学校を回って生徒集めをしていましたが、日本語ではそれはありません。学校から外に出ても、看板はたいてい英語と中国語、場所によってはロシア語。日本のバブル期にバンコクに滞在していた時は、知らない人から「日本語を教えてくれ」と話しかけられるほどの日本語ブームでしたが、今は中国人に間違えられる方が多くなりました。

韓国語も、日本の韓流ブーム同様、カッコいい芸能人へのあこがれから人気があり、日本語専攻クラスの日本文化紹介イベントで演じるためなのに、韓国の歌手の振り付けを動画で見ながら練習しているのには苦笑してしまいました。W校の生徒の見方では、日本の芸能人は外見がいまひとつなのだそうです。

それでもフランス語やドイツ語の凋落ぶりよりはずっと健闘している日本語。今回の事業が後押しになり、日本食人気の定着や旅行者の増加がさらに拍車をかけるといいと思います。

タイの高校で感じたこと

最後に日本の学校との違いをいくつか挙げておきます。何といっても驚いたのは休み時間がないことです。学費を余計に払っているなど優遇されているクラス以外の生徒は自分の教室がないので、広大な敷地内を常に移動することになりますが、休み時間がないので時間を守るのは物理的に100%不可能ですし、トイレに立つのも授業中に許可を得て行くことになります。

公立ではありますが、故郷に戻るなどの事情がない限り教師の転勤がなく内輪意識・仲間意識の強さを感じざるを得ませんでした。生徒は教室なり職員室に入る時に靴を脱いで靴下だけになり、先生は土足のままなのも驚いたことですし、先生と話す時、生徒は床に座って身を低くするのも上下関係のはっきりしたタイらしいと思いましたが、慣れるのには時間がかかりました。

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世界の子どもと多文化共生 事例5

中国残留邦人3世・Mさんが語る

「日本語と中国語の子育て」

元中学校教員 小林 啓子

小林 啓子さんの顔写真

1982年、中国黒竜江省に生まれたMさんは、「中国残留邦人」であるおばあさんの親族として、13歳の時に日本に来ました。母方のおばあさんは先に帰国し、そのあと両親と姉妹、2人のおじ家族(いとこも)みんなで日本に来ました。おばあさんの出身地に最寄りのアパートに入居して、子どもたちは近くの公立小中学校に転・入学しました。

中国人のご主人と2人のお子さんを育てながら共働きをし、「がんばって建てました」というMさんの真新しいご自宅にお邪魔してお話をうかがいました。今にして初めて聴くMさんの子ども時代のこと、日本に来てからのこと、中学校時代のこと、その後のことなど、中国と日本という2つの母国を持つMさんのこれまでと今について取材したことを報告します。

Mさんの生まれ故郷

中国東北地方は、長野県からも3万人が入植したという満蒙開拓の地です。おばあさんは中国人と結婚し3人の子どもを育てました。Mさんのお母さんと、兄、弟の3人です。お母さんは中国人であるお父さんと結婚し、3人の子どもを育てました。お父さんは警察官、お母さんは国鉄の車掌さんでした。Mさんは姉・妹の真ん中で3姉妹です。中国名もありますが、日本ではMというおばあさんの日本での名前です。中国では日本より早く小学校に入ることができますが、Mさんは6歳で小学校に入学し、あまり勉強が好きでは無かったのでお父さんに「テストの点が悪い!!」と叱られるのが怖くて隠れたり、やっぱり叱られたり、けんかしたり、まるで男の子みたいに走り回るやんちゃな子どもでした。中国では進級試験があって、落第することもあったそうです。日本に来ることになったとき、「おばあちゃんが日本人だから日本に行くことになったんだよ」とおばあちゃんが話していました。おばあちゃんは先に日本に渡り、しばらくしてからみんなで日本に行くことになったのです。

来日・同胞との強いきずな

帰国した一族はみんな初め同じアパートの隣り合った部屋に住んでいて、子どもたちは同じ学校に通っていました。日本語はよくわからなくても、心配はありませんでした。Mさんが繰り返し語るのは、お父さんのことです。お父さんは中国でも運転免許も持っていませんでした。もちろん日本語も学んだことがありませんでした。しかし独学で50CCのバイクの免許を取り、そのバイクで自動車学校に通い、自動車の運転免許を取りました。仕事をしながら夜遅くまで一生懸命免許の勉強をしていたお父さんの姿を、Mさんは今も鮮明に覚えていました。Mさんは、その後もたくさんの努力を重ねてきたお父さんを、心から尊敬していると話してくれました。

Mさんが中学に入学するとき違うアパートに移りました。他にも中国から帰国した家族の住む住宅がたくさんあり、帰国者の心配をしてくれる中国人や日本語のボランティアの人もいました。家族や親戚はよく集まって話をするので、「中国人は声が大きい」とか、「けんかしている」と近所の人に言われたりしました。反対にMさんは、日本人がとてもひそひそ声で話すので驚いたそうです。町が清潔な事や誰もごみをポイ捨てしないことにもびっくりしたそうです。

つらかった中学生時代

A中学校には、同じように中国から転入してきた生徒が20人以上在籍していました。また、保護者が校区内の企業に就職したブラジル人の子どもたちも何人か転・入学し、校内に「日本語教室」が設けられました。Mさんは1日の多くを普通学級で過ごし、何時間かを日本語学級で過ごしました。この時期は私(取材者)もMさんと学校生活を共にしていたので、Mさんが探してきた卒業アルバムを見ながら、思い出話のような取材になりました。

「中学校生活はつらかった」。開口一番Mさんは言いました。Mさんはボーイッシュな髪形で身のこなしや表情も、制服のスカートをはいていなかったら男子とまちがわれそうでした。それはMさんが小さい時からずっと気にしていたことでもあり、小学生の時も「男の子みたい」と言われていました。だから、周りの生徒が何を話しているのかよくわからない毎日、「きっとみんな自分の悪口を言っているのだろう」と思っていました。「中国人と言われている」と、他の帰国の男子生徒からは聞かされました。日本語教室は唯一安心できる場所でした。先生は中国語ができませんでしたが、簡単な日本語の読み書きや会話を教えてくれました。体調が悪い時には保健室の先生が良く相談に乗ってくれました。Mさんが「日本の風邪薬は中国の風邪に効かない」と言っていたので、お母さんにそのことを話すと「私も漢方の処方をしてくれる薬屋さんを探している」と言うので、薬剤師をしている中国人のSさんを紹介しました。Sさんはボランティアで中国人の子どもたちの学習サポートをしていました。Mさんの日本語は、家庭での中国語生活との両立で、さほど上達しませんでしたが、日常会話はできるようになりました。Mさんは行事に参加することにも大きな抵抗がありました。プリントに書かれた持ち物も「それは何?」という品物も多くありました。キャンプや登山はなんとか参加しましたが、修学旅行は参加させてあげることができませんでした。小グループでの行動や、友だちとの会話にも不安や行き違いが重なって、参加できませんでした。中学校時代はMさんにとってとてもつらい時代だったのだと改めて知り、傍らにいた自分がいかに無力であったかを振り返ると、「ごめんね」と詫びることしかできませんでした。

高校進学から自立へ

Mさんのご両親が日本に来た目標に、「子どもたちの高等教育と自活」がありました。だから勉強嫌いなMさんにもお父さんは容赦なく努力するように励ましました。ちょうど実施が始まった公立高校の「外国籍生徒特別受験枠」で公立高校を受験し合格します。「高校生活は友だちにも恵まれ、とても楽しかった」と、笑顔で語ります。3人姉妹の卒業後の進路選択をお父さんは、長女Nさんには、バイトしながら定時制高校に進学し、貯めたお金で専門学校から美容師になる道を励ましました。お姉さんはその通り美容師になって自活し、現在は結婚して子育てしながら県外で生活しています。次女のMさんには、高校時代からアルバイトで貯金をし、専門学校で調理師免許を取って自活する道を励まします。Mさんは結婚して現在に至ります。3女のLさんは、近くの短大に進学し、身に付けた語学力(日本語・中国語・英語)を活かした職業に就いて自活する道を励ましました。Lさんは希望通りの仕事に就き、東京で生活しています。このお父さんの計画性や堅実さと、その実現に協力する家族のきずなの強さに多くを学びます。お父さんは、慣れない日本社会で、誠実に努力しその勤勉さや優しい人柄で多くの友人知人に信頼されている姿を、3人の子どもたちにいつも背中で見せていました。

Mさん世代の子育てと2つの母国の架け橋

Mさんにも2人の子どもさんがいますが、家庭内では中国語で会話するそうです。Mさんも夫も仕事や地域では日本語で会話をします。「子どもはどちらも完璧に使えるように」と学校の国語の宿題には熱心にかかわります。同じような中国人家族の中には、子どもが小学校に入る前に、中国の実家や知人宅に子どもを一定期間預ける家庭が多いそうです。中国語の発音は小さい時に身に付ける方が良いからです。中国の小学校に1年早く入学させて、次の年から日本の小学校に入学させる家庭もあるそうです。それは、両親が母国を2つ持っていることを活かして、子どもたちに本当の意味の「架け橋になって欲しい」と思っているからだと、Mさんは語りました。このことは、私の想像には無かったのでとても驚き、また、感動しました。仕事のためとか、教養のためとかではなく、言葉がつなぐ2つの国のことをどちらも大事に思う気持ちが新鮮でした。

Mさん、取材へのご協力ありがとうございました。

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分野5 子どもと遊び・文化・余暇・休息

もくじ

これ以降は分野 5のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①「自由な時間」が、奪われている日本の子どもたち
第4・5回政府報告書の問題点と、市民・NGO報告書が指摘する第31条の重要性

②美術館と地域との提携田島 隆

③団地の子ども図書館花岡 章子

④生の舞台芸術を観ることを通じて地域のつながりを深めよう
地域公演の取り組みを通じて
斎藤まさ子

⑤あそびのなかで知る「子どもの権利条約」
「権利条約31条的人生ゲーム」を作るワークショップin 塩尻での試み
大屋 寿朗

⑥子ども一人ひとりを大切に!中村 健

「子どもと遊び・文化・余暇・休息」あとがき大屋 寿朗

分野 5のリンクは以上になります。

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分野5 子どもと遊び・文化・余暇・休息

クマたちが紙芝居を読み聞かせしているイラスト

子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例1

「自由な時間」が、奪われている日本の子どもたち

 第4・5回政府報告書の問題点と、市民・NGO報告書が指摘する第31条の重要性

特定非営利活動法人 子どもと文化のNPO Art. 31代表

子どもの権利条約市民・NGO報告書をつくる会会員

大屋 寿朗

大屋 寿朗さんの顔写真

国連から指摘され続けてきた、問題点

日本政府は、これまでの国連審査において、一貫して、日本の子どもたちが、休息・余暇・あそびの時間が奪われる過度な競争主義的な教育システムのなかで、苦しんでいることを指摘され、その改善を勧告されてきました。

・第1回国連審査(1998年5月)

(国連子どもの権利)委員会は、(日本の)児童が、高度に競争的な教育制度のストレス及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて、条約の原則及び規定、特に第3条、第6条、第12条、第29条及び第31条に照らし懸念する。

・第2回国連審査(2004年1月)

教育制度の過度に競争的な性格が子どもの肉体的および精神的な健康に否定的な影響を及ぼし、かつ、子どもが最大限可能なまでに発達することを妨げていること(を懸念する)。

・第3回国連審査(2010年5月)

高度に競争主義的な学校環境が、就学年齢にある子どもの間のいじめ、精神的障害、不登校・登校拒否、中退および自殺の原因となることを懸念する。(中略)本委員会は子どもの休息、余暇及び文化的活動に関する権利について、締約国政府の注意を喚起する。(中略)公的場所、学校、子どもにかかわる施設および家庭における、子どもの遊びの時間およびその他の自発的に組織された活動を促進し、容易にする先導的取り組みを支援することを締約国政府に勧告する。

しかし、日本政府はこれを無視してまったく対応を示さず、一方的な報告を重ねてきたのですが、昨年6月に国連に提出された第4・5回報告書では、とうとう、無視どころか開き直りともとれる注文を国連に対して突きつけました。

・第4・5回政府報告書(2017年6月)

仮に今次報告に対して貴委員会が「過度の競争に関する苦情が増加し続けていることに懸念をもって留意する。委員会はまた、高度に競争的な学校環境が、就学年齢にある児童の間で、いじめ、精神障害、不登校、中途退学、自殺を助長している可能性がある」との認識を持ち続けるのであれば,その客観的な根拠について明らかにされたい。

来年1月の国連本審査に向けた取り組み

日本政府の報告書に対する国連の審査は、来年1月にジュネーブで行なわれる予定です。日本政府は当初、昨年秋あたりに報告書を提出する見通しを示していたのですが、昨年6月、国連に報告書を提出しました。第1回の国連審査から継続して、日本の子どもたちの実態を国連審査に反映させるためにオルタナティブレポート(もう一つの報告書)を提出し続けてきた子どもの権利条約市民・NGO報告書をつくる会(掘尾輝久会長、世取山洋介事務局長。以下、つくる会)は、意表を突く政府報告書の提出により11月1日と設定されたオルタナティブレポートの締め切りに間に合わせるために、わずか4か月間で、日本中各地域、各分野から100を超える基礎報告書を集め、問題点を分析、整理して、統一報告書にまとめ上げ、さらにそれをすべて英語に翻訳して国連に提出するという大急ぎの大事業に挑み、なんとかこれを成功させました。

その統一報告書は、その、冒頭「はじめに」として、「社会全体が抑圧的になり、過度な競争環境のもとで、子どもの人間的な成長・発達が歪められ、子どもたちは、幼児期から親の目を気にし、幼児保育の学校化がすすみ、学校では学力テストを意識し、自分のだけでなく、クラスと学校の順番を気にし、仲間はずれにならぬよう気遣う。そこでは主体的な学びの権利と自由な遊びの権利が奪われていく。またそこからくる抑圧的心性は、ときに外へときに内へと向かい(いじめ、自殺)自分自身の充足感(well being)がもてず、豊かな内面を育てる自由な空間と時間と人間関係を奪われている。貴委員会が指摘した子どもの貧困、関係性の貧困は幼児期から、ますます深化していると言わざるをえない。

このことは、いじめ、体罰、虐待、不登校、のデータが示すものだが、政府報告にはこれらのデータが示されず、子どもの貧困の視点は無視されている。

のみならず、これらを引き起こす原因とかかわって貴委員会がこれまでくり返し示してきた「過度な競争的システム」に対する懸念にたいして、このような「認識を持ち続けるのであれば、その客観的根拠について明らかにされたい」と述べていることは、日本政府の国連軽視の姿勢の現れとして、憤りを感じると同時に、子どもの権利の侵害にかんする事実認識の欠落、原因究明の必要性への無感覚、挙証責任の理のない転嫁を示すものと言わねばならない。同時にここには市民・NGOに対する無言の挑戦と無視の姿勢が読み取れる。このことはまた、子どもの権利の侵害の一因が政府の政策にあるとともに、子どもの権利認識の欠落あるいは歪みにあることを示している」と、日本の子どもの権利の状況を総括しました。

31条の視点から

私も参加するつくる会「子どもの生活部会(31条の会)」も基礎報告を持ち寄り、統一報告書にまとめる作業を行ないました。31条の視点から、子どもたちが抱える問題を、

「毎日・週間・年間単位での、子どもの自由時間が急速に縮小している」

①授業時間が増え、子どもの自由時間が失われている

②学校での子どもの休み時間が奪われていく

③土曜学習プログラムの拡大により「学校週5日制」が失われている

④年間の休日も減らされていく

以上のように、毎日・毎週・年間を通じて子どもの生活から休息・余暇、自由時間がますます奪われ、学校内での遊びや文化的な取り組みを保障するゆとりもなくなり、子どもの生活から休息・余暇、遊び、文化が失われている。

ことにあると整理し、そして、

「子どもたちがのびのびと生活し、遊びや文化の活動を広げることのできる安全で安心な地域社会の環境づくりが求められている。そのためにも、政府自治体は子どもの休息・余暇、遊び、文化・芸術に参加する権利実現にむけて公的な支援責任をはたし、現在設置運営されている子ども関連施設における子ども対象の活動を、条約31条を実現する施設・活動としてとらえ直し、その役割にふさわしく発展させる必要がある。

また条約31条を実現する活動を進めている市民グループの主体性を尊重した支援を行ない、行政と市民NGO/NPOとの協働を発展させること。公的・市民的を問わず、子どもの生活・遊びにかかわる専門家、文化の創造と発展に関わる人々の社会的地位の向上と経済的保障をはかることが必要である。

緊急に求められていることは、学校での毎日・毎週・年間での休憩・休息の時間と休日の基準を明確にし、子どもの発達に不可欠な子どもの自由時間、自分の意思で使える時間を学校の内外に確保し、ライフバランスの歪みをなくすことにある」と、課題を提起しました。

「子どもの自由時間」の確保は日本の中心課題

31条の視点から分析した日本の子どもたちの現状が、冒頭に紹介した国連の勧告への本質的な対応策であることが明らかになってきました。この「統一報告書」を国内でも普及し、「休息・余暇、あそび、文化」の重要性の理解を広げていく必要があります。

「報告書」のお求めは「つくる会事務局」へ

TEL・FAX:03(5927)1152

メール crc.japan.2014☆gmail.com

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子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例2

美術館と地域との提携

ひとミュージアム 田島 隆

ひとミュージアムの建物の写真

1.難しかった学校との提携

当館は2001年NPO法人として発足しました。私が学校に勤めていたこともあり、活動目的には「上野誠の作品をはじめ『ひと』をテーマとした美術作品の鑑賞活動及び地域の教育・文化活動を推進することにより、情操豊かな社会の建設に寄与することを目的とする」(定款)と教育に関する項目を入れました。

地元の子どもに美術館を開放したいとの思いもあり、「先生が引率して来館した時は入館料を無料にする」ことを学校に伝え、来館を待ちましたが反応が無くそのままになっていました。夏休みには育成会に美術鑑賞をすすめたこともありますが、思うようには進みませんでした。出前授業をしたいと思いましたがこれもできませんでした。

学校を当てにできないという思いで「教育講座」を企画したところ、文科省の補助金の対象になり4回の講座を行ないました。(内容は省略)

2.絵本作りに取り組むまで

2002年、長野市制100周年を記念して、川中島公民館が中心になって編集した『ふるさと歴史探訪』が発刊されました。

ここには川中島に伝わる伝承や民話がマップ付きで収録されています。この民話は昭和55年(1980年)から平成5年(1993年)まで佐藤世津子さんが50回にわたり町内の古老を訪ねて採話し、自筆の挿絵をいれて制作された『川中島のむかしがたり』が原型です。私たちは最初、民話の採話や制作について佐藤さんをお呼びしてお話をうかがいました。佐藤さんは以前学校にお勤めでしたが、小澤俊文さんが主宰する昔話の会で学ばれたとのことでした。

佐藤さんのお話が大変興味深かったので、民話の舞台になっている場所を訪問しようということになり会員が町内の何箇所かを訪問しました。私たちは地元に住んでいながら地元の伝承や民話をほとんど知らずにいたので、改めてその価値に気付かされました。訪問し解説を聞くなかで「この話を私たちだけで聞くのはもったいない。できれば子どもたちに伝えたいものだ」という話が生れ、子ども向けの絵本を作ってみることになりました。

3.児童センターでの絵本作り

最初は会員が制作しようと考え、佐藤さんの原文を元にお話を作り絵を描き始めましたが、学校と提携して子どもたちと一緒に絵本を制作するほうが楽しそうだということになり、学校に打診しましたが、学校には絵本を作るゆとりが無く、時間的に不可能であることがわかり、このプランは断念しました。

なんとか実現したいという思いがあり、児童センターを訪問したところ、ここには1年生から3年生までの児童が毎日来ていることがわかり、センターの先生と相談しながら絵本作りが出来る見通しが生まれました。平日は学年によって子どもたちの集まる時刻はバラバラなので、一斉作業は無理です。そこで、全員が集まる春休みの午前中時間をとっていただき、お話の読み聞かせと絵本作りを行ないました。

絵本をつくっている写真

用意したお話は「北原大仏物語」です。北原大仏は高さ3mあり、北原に現存していますが、ほとんどの児童はその存在を知りませんでした。大仏は江戸で造られ、当地に運ばれ善光寺参りの参拝客が行き帰りに立ち寄って賑わっていましたが、明治初期廃仏毀釈の難にあって建物を壊され野ざらしになっていました。それを地元の人が1キロほど離れた切勝寺に避難させ、辛うじて破壊を免れました。戦後、村人は大仏を再び北原に迎えるため社殿を建て、村中総出で運んで来た、という波乱の物語です。

この事実を会員が改めてお話にまとめて児童センターで読み聞かせ、いくつかの場面に区切り描いてもらいました。子どもたちは興味を持ってお話しを聞き、意欲的に描きました。低学年なのではたして描けるか心配しましたが、思い思いに人物や場面を想像して描き、予想以上の作品ができ上がりました。

子どもたちが書いた大仏の絵

4.住民自治協議会との提携

長野市には住民自治協議会という組織があります。行政の仕事を住民に丸投げして、職員を減らしボランティアに肩代わりさせるという趣旨から生ままれた組織に思えるのですが、建前は「住民が主体的に自治に関わる」というもので、川中島では建前通りの組織にしようと「自主登録メンバー」を募り、部会を構成し、活動計画を立てました。

私も教育文化部に加入し、先に作った絵本の続刊を発行できないかと考えました。部会のメンバーと話し合うなかで、長野県に「元気づくり支援事業」があることがわかり、これに応募することにしました。幸い支援事業に指定され補助金を受けることになり住民自治協議会とひとミュージアムが共同で絵本作りを進めることになりました。

今回は川中島に伝わる行人塚の話を絵本にすることにして取り組みました。

修行像の絵

この話は弘化4年の善光寺大地震後の洪水と関係がある話です。

一人の修行僧(行人)が川中島の農家を訪れ、そこに滞在して修行を続けたが、死期を悟り、穴を掘り塚を作って中に入り生きたままミイラになった。

そこへ善光寺大地震が起き、犀川が決壊して洪水になり、行人は塚もろともに唯念寺まで流された。木に引っ掛かりとどまった行人を住職が境内に安置し、その姿を描いて葬った、というものです。最初の塚の跡と唯念寺の墓標だけでなくミイラを描いた掛け軸も現存しており、子どもたちは目を輝かせてお話しに聞き入っていました。

子どもたちの絵を集め、場面ごとに分類し、ストーリーに構成し絵本に仕上げました。

絵本は1000部作成し、500冊を町内の学校および各施設に贈呈しました。幸い絵本は好評で、学校図書館に置かれています。また、何人かから推薦文を頂きました。後日、残った絵本を成人式に参列した新成人に贈ったり、東日本大震災被災地の施設に贈呈し喜ばれました。

仕上がった絵本の表紙

5.絵本作りを通して考えたこと

長野市川中島町は人口1万人強ですが、その多くは戦後の住民であることもあり、地域の遺跡や伝承を知りませんが、それを知りたいと思っている人はいますし、子どもたちも興味を示します。絵本作りに挑戦してそのことを確信しました。この活動を通して故郷に残る文化遺産や伝承に興味を持ち、愛着が生まれることを願っています。

先日一人の青年が美術館にやってきて、本棚にある「北原大仏」を手に取り「これを作った時、僕も絵を描いたよ」と嬉しそうに話していったのを見送って、嬉しくなりました。

美術館としては、地域組織とのつながりを生かした活動ができたのは嬉しいことでした。県や市の補助金獲得はそれなりの意味がありますが、制約もあり、工夫が必要です。

この活動がきっかけになり、地区の敬老会での講演依頼を毎年受けるようになりました。

(この実践は2010年のものです)

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子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例3

団地の子ども図書館

はなはな文庫 花岡 章子

はなはな文庫のロゴマーク

1.はじめに

「家庭文庫」をやりたいなと以前から思っていましたが、漠然とした夢で終わっていました。ところが、諸々の条件が整い、実現できることになりました。かねてより、今の子どもたちの置かれている環境がネットやゲームに溢れ、絵本や活字に触れる機会が少なくなっていることに心を痛めていました。この頃、昼食にファミレスに行くと、2才くらいのお子さんづれの2組の母子が隣に。女の子たちはそれぞれテーブルの上に置かれたスマホを熱心に見ています。どこでどうやって『スマホより絵本を!』と伝えたらいいのでしょうか?お母さんの持つスマホについて書いた本に『みんな、絵本から』(柳田邦男著)があります。副題が『子どもが変わる、大人も変わる ケータイより絵本を!』です。その中にこんな詩があります。「おかあさんのおっぱい おいしい。でも…。お母さん、わたしを見て!…手に持っているもの なんなの?…お母さんが手のなかで ピコピコ動かしているもの そんなにだいじなの?」

文庫は、是非本にたくさんたくさん出会ってほしいとの思いでできました。文庫の名前は花岡の「花」と「話」のはなをかけて「はなはな文庫」です。

*開館は月曜日・水曜日は午後3時半から5時まで、土曜日は午前9時から11時まで*本を借りるのには登録が必要 登録料は一家庭100円 *貸し出しは2週間 詳しくは「はなはな文庫 ご案内」という小さい冊子を作って、配っています。

2.「おはなし会」を開く

この頃読んだ『絵本はともだち』(中村柾子著)の中に「子ども時代にいい本にいっぱい出会ってほしい。楽しい体験をたくさん積んでほしいと思います。大きくなって人が感じたり思い描いたりする力は、幼い頃の体験によるところが大きいのですから」とあります。私の今までの経験の中から、本への誘いの一歩として、ぜひ「はなはな文庫」でも「おはなし会」を開きたいと思いました。

所在地の団地の皆さんに理解していただき、また大勢の子どもたちにも来て欲しいという思いがありました。そこで、区長さん、地域で読み聞かせをしている方や地区で活動している紙芝居の一座の代表の方を交えて「おはなし会」の持ち方について話し合いました。お話をしていただいたり、紙芝居をしていただいたりして、一緒に活動して欲しい、との話をすると、快く承諾していただけました。また、「おはなし会」のチラシに「ボランティアクラブ共催」も入れることになりました。毎月チラシを作り区長さん宅に届け、回覧の中に入れてもらっています。

お話は3名くらいでやっています。「紙芝居」「読み聞かせ」「語り」「シアター」など、それぞれ重ならないように計画します。途中に「わらべ歌」や「手あそび」なども取り入れて、40分くらいお話の世界を楽しんでもらいます。その時どきで来てくれる皆さんが違うので、どんなお話が丁度合うかが悩むところです。

このごろは、何組かの親子が毎回来てくれるようになりました。「楽しかったァ」と言ってもらえるのが何よりです。この後、子どもたちはおもちゃの取り合いをしたり、やっていることをマネし合ったりして仲間づくりをしています。おとなたちは「なかなか食べてくれない…」とか「この頃はわりと早くに寝てくれるようになった」…等など情報交換や悩み相談の場になります。

3.利用している母子や小学生

家にいると子どもとふたりきりで、遊びも飽きてきて…そんなことで気分転換もかね「はなはな文庫」に来てくれました。お母さんと1才半だったお子さん。月・水・土と開館の日には毎回のように通って来てくれるようになりました。来る度にいろいろ覚えていて、お母さんも「ここで覚えたんですよ」と話してくれ、お話や本の提供はもとより、こんな子どもたちの成長の手助けもでき、嬉しく思います。

折り紙で作ったこまを回すのに、真ん中の軸を回転させて回すのを当たり前のことと思っていたのですが、1才の子は折り紙こまの端を手でくるくると動かして回しているのです。「子どもっておとなと違う方法を使ってすごいね!」と、お母さんと感動し合いました。絵本も『ねないこだれだ』から、『たまごのあかちゃん』『もこもこ』と広がって、2才になった今は『どうろこうじのくるま』に興味を持っています。また、ストーリーのあるお話の本『おおきなかぶ』や『ももたろう』などの昔話にも興味を持ち始めました。

また、他の2才と少しの子は、自分より小さい子に自分が読んでもらった本を開いて、覚えた本の一文を読んでいるようにお話ししてくれています。

近いこともあり、よく来てくれる子どもたちがいます。来る時は何人かでやってきます。本を借り終わった後に、なるべく「読み聞かせ」をすることにしています。この子たちへの読み聞かせは、はじめは『ちいさいモモちゃん』次は『へっこきじっさま一代記』でした。数ページごとに展開するものは物語の読み聞かせにはいいと感じました。時間がない時は、短いお話や絵本を選びます。この子どもたちは「はなはな文庫」にある紙芝居を読み合うのも楽しんでいます。また、指人形や手で動かして遊ぶおもちゃを使い、劇風に会話を交えた遊びを展開しています。

子どもたちは友だちを誘って来てくれます。その子が弟や妹を誘ってきてくれます。広がっていくのが嬉しいです。

はなはな文庫で楽しんでいる子どもたちの写真

4.勉強会

たくさんの皆さんの協力で始められた「はなはな文庫」です。その中に飯山の佐藤月子さん(元公共図書館の司書)もいました。いろいろな所でおはなし会や紙芝居の「講座」を開いている方です。是非、「はなはな文庫」で勉強会を開きたいので講師を!とお願いすると、一緒に勉強をし合うという形であればということで、引き受けていただけました。6月9月11月3月と年4回開くことになりました。「おはなし会」に来ている方たちや読み聞かせをしている人たちが集まり、情報交換をしたり、佐藤さんの経験深いお話を聞いたり、資料をもとに話し合ったりします。また、すぐに「おはなし会」に使える実技も一緒に行なっています。

5.本の分類・整理

寄付によるたくさんの本を選びやすくもどしやすくするために、分類をし整理をする必要があります。佐藤さんの提案で、ボランティアの力を借りてやっていきましょう、ということで、作業をして下さる方が集まってくれました。

毎週月曜日、午後1時過ぎから数人の方が来て、本に「はなはな文庫」のシールを貼ったり、佐藤さんが分類した本に分類ごとのシールを背表紙の下方に貼ったりしてくれます。分類は、0才・1から2才…小学校低学年・中学年・高学年・日本昔話・外国昔話・乗り物・自然科学…戦争と平和・ことば詩などなど。また、「本の名前・作者・絵の作者・分類」をパソコンに入力してくれています。全部の本を入力し、検索すれば探したい本が見つかるようにしたいと思っています。

6.子どもの権利条約とこれから

子どもの権利条約31条には(休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加)として「子どもが、休息し余暇をもつ権利、その年にあった遊びやレクリエーション的なことを行なう権利、文化的生活や芸術に自由に参加する権利を国は認めます。また、文化的および芸術的生活に十分に参加する権利を尊重して進め、文化的、芸術的、レクリエーション的および余暇的活動のための適当で平等な機会の提供を国は勧めます」とあります。

現代の子どもの置かれている立場とはほど遠いように感じます。本によって、豊かな生活が生まれている子どもの様子を見るにつけ、「はなはな文庫」が、メディア・ゲームの対極である文化的な生活のためのお手伝いができればと思っています。たとえば「おはなし会」や読み聞かせや読書を通して余暇を楽しむ場になったり、本を間において地域の子どもや親子の交流の場になったりすれば嬉しいなと思っています。

さらに「おはなし会」の後、「おりがみ」「あやとり」「お手玉」や「工作」などの楽しい遊びの時間も取れるといいなと考えています。

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子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例4

生の舞台芸術を観ることを通じて地域のつながりを深めよう

地域公演の取り組みを通じて

長野中部子ども劇場事務局 斎藤 まさ子

斎藤 まさ子さんの顔写真

子どもたちのおかれている状況

人間関係が希薄になっているといわれる現代、地域の子どもたち、おとなたちの関係が薄くなっていることで、子どももおとなも不安な状況にあります。

昔は「地域のおとなたちが見守るなかで子どもたちが育つ」ことができました。

今、育成会・学校・地域の心あるおとなたちが頑張っていますが…。

子どもたちにとって知らないおとなは、不安の対象?

子ども同士は、競争の対象?

親たちに聞いてみました。

親同士のこと

・忙しくて、人と話ができない

・保育園の保護者同士の会話はほとんどない

・幼稚園の親の会話は、おけいこのことぐらい

・小学校の親が話す機会がない

・懇談会の話題は、自分の子どものことが主

・困ったことの相談を同じクラスの親とはできない

・自分のことを話すと人間関係が崩れるのがこわい

・一斉メールでの発信が主なので、個別の話をする手段がない

子どもたちの環境

・遊ぶ場所がない

・留守宅で遊んではいけない

・不審者が心配で一人で外に出られない

・プラザに行っているので、そこ以外の子と遊ばない

・習いごとなどで遊ぶ時間がない

・安全のために集団下校するので、道草はできない

・親と先生以外のおとなと話す機会がない

子どもたちが健全に育つためには

いろんな人たちと接することやたくさん遊ぶこと、いろんな体験をすることが必要だと思いますが、なかなかできない状況にあります。

子ども劇場では、異年齢の交流や生の舞台鑑賞・体験を通じて子どもたちの成長を応援しています。

そのなかの一つとして「地域公演」を毎年開催しています。今年は42回目の開催。

4月には、北信地域で5作品40会場に取り組みます。

子ども劇場が地域公演に取り組む目的は

(1)会員同士が一つのことに取り組むことでお互いの関係を深める

(2)子どもの成長の場をつくる

(3)自分たちの住んでいる地域の皆さんと舞台芸術を観る機会を通じて楽しい時間を共有する

地域の視点から見ると

一緒に笑ったり驚いたりする体験を通じて、地域に安心できるおとなや異年齢の子どもたちがいることが実感できます。いくつかの例をあげます。

・同じクラスだけど話したことのないA君親子、一緒に舞台を観たことで名前と顔が一致し、その後親同士も話ができるようになりました

・先生の参加もたくさんあります。学校や園ではみることのできない姿に接し安心できたり、違う視点の会話が増えました。

・お年寄りが参加くださり、子どもたちの笑顔に癒やされると言っていただけて嬉しい

・舞台を観た次の日、子どもたちは学校や園で昨日観た舞台を題材に遊んだり会話がはずみます

・安全見回りの方が参加。毎日会う子どもたちとの挨拶や会話が楽しくなったそうです

最後に、地域での舞台を観る機会を毎年継続していることで、地域で安心して話せる方が増えたり子どもの姿を毎年見ることで子どもの成長を確認できる場にもなっています。

少しでも地域の人たちが知り合う機会になってほしいと願って毎年の地域公演に取り組んでいます。

斎藤まさ子 子ども劇場事務局歴40年。青年時代から舞台を観ることが大好き、集団で遊ぶことが大好き、人と話すのが大好き。未来を担う子どもたちが心豊かに育ってほしいと願っている。

鑑賞している子どもたちの写真

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子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例5

遊びのなかで知る「子どもの権利条約」

「権利条約31条的人生ゲーム」を作るワークショップin塩尻での試み

特定非営利活動法人 子どもと文化のNPO Art.31 大屋 寿朗

「子どもの権利条約」を生活に生かす

「子どもの権利条約を実現しよう」という呼びかけに、「イヤ」とか「ダメ」とかいう反発を、直接聞くことはあまりありません。でも、「何を実現するの?」「どうやって実現するの?」と具体的に尋ねられると、なかなかすぐには答えられないのではないでしょうか。

「法令の改正」「制度の見直し」「おとなの理解を広げる」ことなどは、すぐに思い浮かびます。もちろん、子どもの権利の「保障」という意味では、それを阻害しているおとなや社会の改善・改革は重要な課題です。

しかし、そもそも人権は、一人ひとり、おとなも子どもも、生まれながらにして持っているもの(基本的人権)だと考えると、どうしたら、子ども自身が自分の中に持っているその「権利」を知り、子ども自身が人権に目覚め、権利行使、実現の主体になれるかが、より重要な課題なのではないかと考えるのです。

であるならば、子どもたちの生活の場面で、具体的なできごとに即して、権利をどのようにとらえ、行使していくかを、子どもたちと考えあっていく必要があり、併せて、子どもに関わるおとなたちは、それを具体的にイメージとして持ち、自らの言葉で語る必要があります。

よくある、「権利」の誤った捉え方

2017年12月に、「子どもの権利条約フォーラム2017」が茅野市で開催され、私も実行委員として参加しましたが、そのオープニングは私に大きなインスピレーションを与えてくれました。

プログラムの一つに、子どもたちによるディスカッションがあり、「今一番欲しい権利は何?」という質問に、みんなが答えるというトークショーのようなものでした。子どもたちは「世界中のおいしいものを食べられる権利」とか、「議会で発言する権利」とか、「ずーっと寝ていられる権利」とか答えました。確かにそのいくつかは権利条約のなかにある権利ですし、願いとして子どもらしくもあり、共感もしました。しかし、その質問の設定に疑問を感じました。ショーとして盛り上げる演出ですので、否定も批判もするものではありません。でも、「権利」を「欲しいもの」と語ることで、子どもたちが「権利」を「権限」や「特権」と捉えていると見られてしまいます。参加した子どもたちが、「権利」は、誰かから「与えられるもの」「許可されるもの」という、「権利」の間違った理解を持つことにもなりかねません。それでは、「子どもに権利なんかまだ早い」「義務を果たしてから権利を主張しろ」という、子どもの権利を語り合うときに必ず耳にする、「おとな」のもっともらしい言い分の土俵に乗せられてしまうという危惧を感じたのです。

「子どもの権利条約」が語る「権利」とは

子どもの権利条約は大きく分けて4つの権利を定めています。「生きる権利」「守られる権利」「育つ権利」「参加する権利」です。それは0歳から17歳まで(1条)、世界中すべての子どもに保障されなければならない(2条)ものであると、条約は定めています。

つまり、子どもの権利条約でいう「権利」は、すべての人間が生まれながらにして持つものだとということです。また、条約の条文は、「締約国は、○○の権利を子どもたちが有することを認める」あるいは「締約国は、○○の権利を認める」と表現されています。「認める」という日本語が広い意味を持つ言葉なので、「承認する」「許可する」と理解されることも少なくありません。しかし、正文である英語(日本語の正文はありません)の表記は「recognize」ですので、「認識する」が正しいのではないでしょうか。子どもの権利条約は、国やおとなが子どもに権利を承認(approval)、許可(permission)する条約ではなく、すべての子どもがその権利を生まれながらにして持つという認識を確認し合う条約という理解です。

遊びながら「子どもの権利」を知る

昨年の夏、県の「子どもの居場所づくり」の制度を活用した、子どもの権利条約の学習講座の開催の相談が、山形村「風土考房トナカイ」の中村さんからありました。遊びのなかで学べるワークショップを企画してほしいという、ハードルの高い相談でしたが、面白いと思い、引き受けました。条文や解釈を「教える」「学ぶ」ワークショップではなく、冒頭に書いた、子どもの生活の場面場面を切り取って、そこで起きてくる問題を権利条約の視点から受け止め、乗り越える道を「提案する」遊びが作れないかと思ったのです。

私たちが子どもの頃に、よく友だちや家族と遊んだゲームに「人生ゲーム」がありました。ルーレットを回して、コマを進め、家族を増やし、お金を貯めて、億万長者になるというゲームで、最後は家族も銀行に売って人生を清算し、お金をたくさんGETした人が勝ちというゲームです。今思えば、高度経済成長期の子どもたちに、時代の価値観を刷り込むのにぴったりのゲームでした。

これに対抗して、経済偏重の価値観が行き詰まり、「豊かさとは何か」を考え直す時代の人生の価値を、子どもの権利条約とくに31条の「文化権」の実現と重ね合わせて考えあう「人生ゲーム」が欲しい。参加者と一緒に作り、できあがったゲームで遊ぶ。まさに31条がいう子どもの「主食」である遊びを通して、人生の豊かさと権利について考えるきっかけと材料を提供することができるかもしれないと思ったのです。

子どもの権利条約31条的人生ゲームを作った記念写真

みんな違う人生、みんな違う子ども時代

ワークショップは今年1月、塩尻市の「えんパーク」で、3回の連続講座として行ないました。人数は多くなかったのですが、高校生から60代のおとなまで、異年齢の参加があったことが内容を豊かにしてくれました。

まずは、「子ども」を客観的に外から語るのではなく、自分の中にある「子ども」の感覚を思い出すために、そして、子どもの時期に起きるさまざまな場面とドラマを切り取って採集するために、子ども時代を0才から6才(乳幼児)、7才から12才(小学生)、13才から17才(中高生)の3つに分け、それぞれの年代で、自分が「たのしかった」「かなしかった」「したかった」「いやだった」の4つ、合計12の場面を思い出し、ポストイットに書き、ボードに貼りながら発表しあいました。

発表の様子を写した写真

この作業は、意外に好評で、「幼稚園入園」が、「たのしかった」に入った人もいれば、「かなしかった」に入った人もいたり、「おとなとの関係」がもっと「ほしかった」人もいれば、「されたくなかった」こととして思い出す人もいる。「子ども」といってもその喜怒哀楽の感情はひとくくりではないことを実感しあい、それを認め合うことが人権のスタートラインであることが確認でき、「自分の人生の主人公は自分」という基本ルールを確認しあいました。

新聞に載った時の写真

ゲームの原則と31条的人生観

この「子ども時代の振り返り」の後、国連子どもの権利委員会が発表した、第31条の総合的解説(ゼネラルコメント№17)をテキストにして、条約の考え方、子ども観を整理し、それをゲーム進行のルールとしました。「権利はGETするものではなく、スタート地点から持って始まる」「権利を行使しながら、今の幸福(well being)と未来に向けての成長(development)を勝ち取っていく」「幸福と成長はその両方が大事で、偏らないように自分で選び取って生きていく」「年齢に応じた体験が必要」「早くおとなになることが幸福だとは限らない」「休息は余暇を支え」「余暇が主体的な遊びを生み」「遊びが芸術・文化を豊かにする」等々です。そのルールに従って盤面をデザインし、そこに、みんなで出し合った「できごと」を手分けしてイラストにして貼り付け、ゲームはできあがりました。

まだ完成とはいえませんが、ワークショップを何度か重ねれば、、面白いゲームになりそうだと、ゲームで遊んでみた参加者は語り合いました。おとなたちは、ゲームを作ることで「子どもの目線」「子どもの時間」をとりもどし、子どもたちはゲームで遊びながら、未だ見ぬ自分の人生をどう作っていくか考える。そんな取り組みにしていきたいと考えています。

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子どもと遊び・文化・余暇・休息 事例6

子ども一人ひとりを大切に!

風土考房トナカイ 中村 健

中村 健さんの顔写真

「修復する」ということ

私は地元の山形村で「子どもの居場所」の一つとして、山の中にツリーハウスを造り、10年来の活動をしてきました。このツリーハウスが少し傷んできたため、昨年から今年にかけて「修復」をしました。そしてこのハウスを「修復の家」と名づけました。このように名づけたのは、ハウスを修復したからだけではありません。県の助成金事業を利用してハウスを修復するのに加えて、子どもの権利に関わる3つの講座[①子どもの居場所づくり考座②ゲームで遊び・学ぶ子どもの権利考座③子どもの権利ファシリテーター養成考座]を行なったのですが、③の考座の副題は「修復的対話のアプローチ」について学び・体験しようというものでした。ここで“修復”が偶然重なったこともあり、「修復の家」と名付けたのです。

上の「修復の家」は「子どもの居場所=あそび・まなぶ場所」であると同時に、おとなにとっての「修復の場」であり得るような存在を目指しています。

おとながさまざまなこと“挫折・失敗・破局・衝突など”に遭遇したとき、このツリーハウスを訪れ、一人少し立ち止まって考えたり、人と対話をするなかから、何らかの出口を探り、「正気を取り戻す」きっかけとなるように、一人ひとりを大切に受け入れる場であれば良いなあと思います。

修復の家の写真

子ども一人ひとりを大切にする教育

タイトル「子ども一人ひとりを大切にする!」は、元文科省事務次官の前川喜平さんの言葉“子ども一人ひとりを大切にする教育”からいただきました。

子ども一人ひとりを大切にする教育とは、学校であろうと家庭であろうと、子どもを金太郎飴のような均一な“良い子”に育てるのではなく、一人ひとり個性のある異なった存在として、その人に光りを当てることなのですね。

子ども一人ひとりに光を当てる

啓蒙思想2.0(Enlightment 2.0)という少し堅い本があります。作者ジョセフ・ヒースはカナダ人の哲学者で、この本では「人間の心は『理性』と『直観』の2つの情報処理システムで構成されている…」とあり、いにしえの啓蒙思想の理性感―理性を天与のひらめき、精神の最も純粋な部分、完全に自由で自立した人生を送れるように人間を律し導くものとする見方―は永遠に失われてしまった。理性は思ったよりずっと脆弱で、ずっと無能で、社会的・文化的環境に大きく依存している。しかしこの世界は私たちが築いてきたものであり、その責任を引き受けなければならない。これは、私たちが変革を求めてよい世界でもある。行き詰まった従来の啓蒙思想から次なる啓蒙思想に取り組もうというのが、啓蒙思想2.0だと言うのです。

この本について書くのが趣旨ではありませんが、この本の原文のタイトルは‘Enlightment’で、「啓蒙思想」と訳されています。Enlightmentを日本語に直訳すると「光を当てる」という意味であり、タイトルの「子ども一人ひとりを(光を当てて)大切にする!」に通ずるのではないかと思うのです。

正気を取り戻す

前出の啓蒙思想2.0の本の話に少し戻ります。

この本の説明書きに、「政治・経済・生活を正気に戻すために」“Restoring Sanity to Our Politics, Our Economy, and Our Lives”とあります。この「正気を取り戻す」は言い換えると「修復する」“Restore”であり。そして、私が主催した考座③「修復的対話アプローチ/修復的司法」は英語で言うと“Restorative Justice”なのです。という訳で、この文のタイトル「子ども一人ひとりを大切に!」が、啓蒙思想2.0の“Enlightment”「(一人ひとりに)光を当てる」と、上にある「一人ひとりを大切にして受け入れる「修復の家」“Restorative House”で繋がったのです。

おとな一人ひとりが大切にされなければ!
そしてなぜ?

「子ども一人ひとりを大切に!」を別の角度から見てみましょう。

子どものことを考える前に、まずおとな一人ひとりが大切にされているか考える必要があります。おとな一人ひとりが大切にされていなくて、子ども一人ひとりを論ずることはできません。まず、おとなも子どももなぜ“一人ひとり”が大切にされなければいけないのでしょうか?それは、当たり前のようですが、一人に焦点が当てられれば1人/1人(1分の1)で、あくまで一人です。しかし大勢の中の一人だと、1人/100人(100分の1)で、一人の重みは薄れてしまい、大勢の中の一人に過ぎなくなってしまい、一人ひとりが大切にされない状態です。

子ども一人ひとりが大切にされるということ

ここで、反対に子ども一人ひとりが大切にされていない場合について、具体的な例を挙げてみます。

例①

子どもが、日曜日に遊びたいのに親から「勉強が先でしょ!」と言われて、しかたなく机に向かうというのは、どこでもある風景で、「どこが悪い?」と思われるかも知れませんが、子どもの権利条約第31条には、「締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める」という条項があります。権利条約なので、難しい表現になっていますが、要は「子どもには、遊ぶ“権利”がある」ということなのです。子どもにとっては、遊ぶこと・休息すること・余暇を楽しむことはとても大事なことであり、今の日本の子どもたちがその権利を奪われていることに対して、国連子どもの権利委員会からも再三にわたって警告をされているのです。遊ぶことも学ぶことも、大事な子どもの権利として、子ども一人ひとりが決めることであり、そのことが尊重され、その思いが大切にされなくてはならないということなのです。自由に遊ぶことが子どもとしての“権利”であることが理解され、保障されるべきであろうというのです。

子ども一人ひとりの意見をどのように扱うか?

もう一つ子ども一人ひとりが大切にされていない例を挙げてみます。

例②

以前ある県で、いじめについてのアンケートがとられました。通りいっぺんの質問の後に一応自由記述の項目があり、子どもたちは率直に自分の体験や意見について書きました。これを集計した結果を行政が施策に反映しようとするとき、この個別の意見をどのように扱ったでしょうか?いろいろな子どもの意見があるけど、逐一それに対応はできない。そういう意見もあるとして、一般論として集約されました。

ここで、このアンケート結果をどのように扱えば子どもの権利が保障されるか考えてみましょう。

学校や行政(教育委員会)の対応として共通して行なうべきことは、まず子どもたち一人ひとりの思いや状況に応じ、“対話(クラス全体としてではなく)”することが一番必要なことではないでしょうか!言い換えれば、学校の先生も含むおとなが子ども一人ひとりに直接関わることが大切ではないかと思うのです。このこともまた子どもの権利条約第12条に「意見表明権」として明記されています。

おとな(学校の先生や子どもの保護者を含めて)が子ども一人ひとりと関わる

子ども一人ひとりを大切にするということは、結論としては非常に簡単で、「おとなが子ども一人ひとりに真剣に関わる」ということだと思うのです。

(「おとな一人ひとりが子ども一人ひとりと関わる」ということは、門脇厚司氏のいう「社会力」に繋がることになるのですが、この「社会力」については、別の機会に書きたいと思います。)

「風土考房トナカイ」は、子どもたちが自然の中で逞しく育つ環境作りを目的として「子どもの居場所づくり」活動を行なってきました。平成29年からは、子どもの居場所の大切さを訴え、「地域づくり活動」を行なっています。

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「子どもと遊び・文化・余暇・休息」あとがき

長野の子ども白書編集委員 大屋 寿朗

今年は、昨年の5つから1つ増えて、6つの事例報告が、第5分野「子どもとあそび・文化・余暇・休息」に寄せられています。

事例1 「自由な時間」が、奪われている日本の子どもたち

事例2 美術館と地域との提携

事例3 団地の子ども図書館

事例4 生の舞台芸術を観ることを通じて地域のつながりを深めよう

事例5 あそびのなかで知る「子どもの権利条約」

事例6 子ども一人ひとりを大切に!

事例1は、来年1月に行なわれる日本の子どもの権利状況の国連審査の進行状況の紹介。

事例2 3 4は、美術、絵本・文学、舞台芸術という具体的な芸術・文化のジャンルを土台にした子どもたちとの活動や、地域で積み重ねられてきた実践事例の紹介。

事例5 6は、子どもの権利条約と第31条を、どう受け止めて、どう人々に普及していくかという性格の事例紹介となっています。

今年の特徴の一つは、芸術文化と子どもたちのつながりが、それぞれ違うジャンルから3つ出されていることです。2 3 4の事例は、それぞれ具体的な子どもたちの姿が見える報告になっていて、芸術が、子どもと地域の文化(歴史)をつなぎ、子どもとおとなをつなぎ、コミュニティづくりにつながっている姿を、実例として示してくれています。

もう一つの特徴は、子どもの権利条約31条へのアプローチです。5 6はそれぞれ講座の紹介の形をとっていますが、内容は、それぞれに子どもの生活における31条「休息・余暇、遊び、文化・芸術の権利」の必要性が主張がされており、いわば、問題提起となっている文章です。この問題提起は、1の国連審査の報告とつながっており、子ども期、子ども時代の「価値」は、何なのかという第31条の問題提起です。

国連に勧告されるまでもなく、「競争主義的な教育制度」「経済に奉仕する人材育成」が、子どもたちの苦しさの根源となっていることは、さまざまな場で語られてきました。では、その対抗軸、対立軸に何を持ってくるのか、ということになると、明確にはなってこなかったように思います。遊びや芸術・文化は、人生の彩りか味付けのような位置におかれ、「遊びは主食」という主張には今でも、微妙な違和感が持たれているように感じます。遊びや芸術文化も、その有効性は「情操教育」や「コミュニケーション能力の獲得」という、いわば人材育成の脈絡として語られることが多く、休息も余暇も、次の活動や学習のための準備、インターバルであるというとらえ方が大勢だったのではないでしょうか。

「子どもは未来」「未来に生きる子どもたち」などという表現は、私も結構好んで使ってきましたが、そのことが、どこか、「子どもは未来のために生きている」かのような捉え方になり、「未来の役に立たない今は、無駄なこと、ダメなもの」であるかのように、遊びや、余暇・休息や、文化・芸術を評してこなかったかと顧みる必要がありそうだと思い至りました。

国連は、子どもの権利条約31条の理解を促すために、ゼネラルコメント(総合的解説)を出しました。そのなかで、31条は「子どもの幸福と成長に欠くべからざるもの」と書かれています。「成長」と「幸福」が併記されているのです。英語表記の「well being」が意味する「幸福」は、未来の幸せのための「今」だけでなく、子どもたちの「充実した在り方」、「今」の幸せではないでしょうか。

「成長」や「発展」という「未来」に向けた価値が過大に評価される現代の「教育システム」のなかで、奪われてきた子ども期、子どもの自主性・主体性、子どもの自由な時間をいかに取り戻していくのかと考えると、「休息」や「余暇」や、「遊び」や、「文化」「芸術」がもたらす「幸福」こそ、現在の子どもたちの苦しさの根っこにあるものと対抗する軸になるのではないかという議論を、31条は提起していることを、6つの報告が語っているように思われます。

大屋 寿朗 特定非営利活動法人

子どもと文化のNPO Art.31 代表

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分野6 乳幼児期の子育てと保育・学童保育

もくじ

これ以降は分野 6のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①学童保育の現場から 子どもたちに生き生きとした放課後を髙井友佳子

②子ども・子育て支援制度や保育所保育指針の改定から見る、保育の今渡邊 暢子

レポート 働くお母さんと子育て松原 まい・遠藤 優花

座談会・保育士さんの本音を聞いてみました竹村 幸子

「乳幼児期の子育てと保育・学童保育」あとがき豊永 誠

分野 6のリンクは以上になります。

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分野6 乳幼児期の子育てと保育・学童保育

母熊と一緒に保育園から帰る小熊のイラスト

乳幼児期の子育てと保育・学童保育 事例1

学童保育の現場から 子どもたちに生き生きとした放課後を

放課後児童支援員 高井 友佳子

「学童保育」のニーズ増大と多様化

学童保育(放課後児童クラブ)は事業主体や地域によってさまざまで、ひとくちに「学童保育」といっても自分の居住する地域、あるいは持っている情報によって「学童保育」という言葉から想起されるイメージがまったく異なる状況になっています。これは地域の実情に応じた多様な運営が展開されたためで、これまでは国においてもそういった多様性を包み込むような政策がとられてきました。

しかし、学童保育(放課後児童クラブ)に対するニーズの増大化、多様化が著しくなり、大規模化の課題や、地域における子どもの安全・安心の確保も大きな課題となるなか、学童保育(放課後児童クラブ)の量的拡充とともに質の向上も図る必要が生じて、2014年「放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準(以下、設備運営基準)」が公布され、続いて運営に関するより具体的な内容を定めた「放課後児童クラブ運営指針(以下、運営指針)」が2015年に公布されました。

私たちの願いが込められた運営基準と運営指針

この設備運営基準と運営指針は、私たち学童保育(放課後児童クラブ)で働く者と利用する親が、長い間要望してきた内容を含んだものとなっています。

まず評価できるのは、子どもの権利条約をふまえ、「子どもにとってどうか」という視点で指針作りがされている点です。行政や福祉事業者など、事業を運営する側の都合で「子どもの最善の利益」を損なってはいけないという姿勢が貫かれています。

そして、現場で働く私たちが学童保育(放課後児童クラブ)のなかで大切にしてきた子どもとの日々の営みが整頓され網羅的にあらわされたものとなっています。運営指針作りに携わられた「放課後児童クラブの基準に関する専門委員会(以下専門委員会)」委員の野中賢治氏は、運営指針について「実際に行われている育成支援の状況を調査し、先行研究等を再整理して、新たに策定された事業の目的・役割に照らして作成」と説明されています。

また、これまで学童保育(放課後児童クラブ)の仕事といえば、「子どもと遊んでいればよい平易な仕事」というイメージを持たれがちでしたが、職員に求められる仕事内容が運営指針に細かく記され、これによって「専門知識や援助技術の能力が必要な仕事である」と理解されやすくなりました。

運営指針のポイントと特徴

運営指針策定のポイントとしては4つの点があげられています。①多様な人材によって運営される放課後児童クラブにおける放課後児童支援員等としてのアイデンティティの共有化②研修と連動させることにより、職員の資質向上に資するものとすること③放課後児童クラブの運営の平準化④放課後児童クラブの支援に関する社会に対しての説明責任をはたす(社会にひらく)こと、の4点です。

(『放課後児童クラブ運営指針解説書 厚生労働省』より)

これらのことは運営指針のなかでも記述され、以下のように整理されています。

①放課後児童クラブの特性である「子どもの健全な育成と遊び及び生活の支援」を「育成支援」と定義し、そのことをいかに担保するかということを重視してその育成支援の基本的な考え方を第1章総則に記述したこと。

②児童期の発達の特徴を3つの時期区分ごとに整理するとともに、子どもの発達過程を踏まえて、集団の中での子ども同士の関わりを大切にし、子どもの家庭生活等も考慮して、育成支援を行なう際の配慮すべき事項等を第2章に記述したこと。

③子どもの視点に立ち、子どもにとってどのような放課後の生活が用意されなければならないかという観点から、放課後児童クラブにおける「育成支援」の具体的内容を網羅的に記載するとともに、放課後児童クラブが果たすべき事業役割や保障すべき機能を記述したこと。障がいのある子どもや特に配慮を必要とする子どもへの対応については、受け入れに当たってのより具体的な考え方や留意点等も加味して第3章に記述したこと。

④運営主体が留意すべき点として、子どもや保護者の人権への配慮、権利擁護、個人情報や守秘義務の遵守及び事業内容の向上に関すること等、放課後児童クラブの社会的責任と職場倫理について、第7章に記述したこと。

(『放課後児童クラブ運営指針解説書 厚生労働省』より)

また、特徴として3つの点があげられています。

①放課後児童クラブの多様な実態を踏まえ、「最低基準」としてではなく、望ましい方向に導いていくための「全国的な標準仕様」として作成したこと。

②放課後児童クラブが果たすべき役割を再確認し、その役割及び機能を適切に発揮できるよう規定したこと。

③異なる専門性を有して従事している放課後児童支援員等が、子どもと関わる際の共通認識を得るために必要となる項目を充実させたこと。

(『放課後児童クラブ運営指針解説書 厚生労働省』より)

つまり、全国どの地域にあっても、またどのような運営形態であっても、そしてどういった専門性を背景に持つ者であっても、学童保育(放課後児童クラブ)として同じ機能と役割が果たされるようになることをめざしているのです。

関係者周知が課題

運営指針の内容は大変評価できるものとなっています。そこでこれからの課題となってくるのは「運営指針に明記された内容をいかに実現していくか」ということです。

学童保育(放課後児童クラブ)で働く職員の仕事内容について、子どもや保護者に直接関わる仕事の他に、特に運営指針に記された職員の仕事内容をキーワードで表すと「把握、共有、連携」と言えます。把握するためには記録が必要となり、共有の為には打ち合わせが必要です。連携には関係機関とのやりとりが必要となってきます。

こういった仕事は、直接子どもに関わる時間帯とは別に「子ども不在の時間」を勤務時間として確保する必要がありますが、そういった勤務が保障されている所は少ないようです。県内で開催される研修会や交流会の場では「運営指針に書かれているような業務をする時間がないし、人手もたりない」といった声をよく聞きます。

それでも、現場で働く職員は都道府県が開催する「放課後児童支援員認定資格研修」で運営指針の内容を学ぶことができ、自身の現場で不足している業務などを認識することができますが、そもそもの実施主体である自治体の担当職員や委託を受けている運営者が運営指針の内容を知り、課題を認識する機会は不十分なようです。このことは、必要な勤務時間の確保や人員の確保につながらない一因になっています。運営指針に書かれている学童保育(放課後児童クラブ)の機能と役割が理解されなければ、そういった業務に必要な予算の確保には結び付かないからです。現場で働く者はもちろんのこと、学童保育(放課後児童クラブ)運営に携わる関係者や自治体担当者にも運営指針の内容を正確に知ってもらうことが必要です。

「従うべき基準」の堅持を

もう一つの課題は、国において規制緩和の検討がなされていることです。2017年12月「平成29年の地方からの提案等に関する対応方針」において設備運営基準の「従うべき基準」の廃止、または参酌化を検討する方向が示され、今後地方分権の場でこれらについて議論が進められようとしています。検討されようとしている項目は以下です。

・放課後児童健全育成事業に従事する者及びその員数に係る「従うべき基準」の参酌化について、地域の実情等を踏まえた柔軟な対応ができるよう、参酌化することについて。

・放課後児童支援員の員数については、登録児童数が少ない場合、地域の人口が少ない場合または学校との連携可能な場合等に対応できるようにすることについて。

・「放課後子ども総合プラン」に基づく、放課後子供教室と一体型の放課後児童クラブの実施については、地域の実情を踏まえた運用ができるよう、児童数が20名未満の場合における人員配置の考え方について。

残念ながらすでに放課後児童支援員の基礎資格が拡大されてしまいました。全国的な一定の水準の質をめざして策定された設備運営基準と運営指針ですが、学童保育(放課後児童クラブ)で働く職員の待遇が悪く、人員が集まらないために規制を緩くすることで人手を確保しようという考えです。しかしこの方法では、これまでに学童保育の質を担保するために設けられた設備運営基準、運営指針、放課後児童支援員の資格制度が無意味なものになってしまいます。運営指針の内容を実現できるだけの更なる制度の見直しと拡充、抜本的な財政措置の拡充が必要です。

子どもたちに生き生きとした放課後を保障するために、自治体や運営者の都合ではなく「子どもの最善の利益」を守るという視点で制度を考えることを忘れてはなりません。

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乳幼児期の子育てと保育・学童保育 事例2

子ども・子育て支援制度や保育所保育指針の改定から見る、保育の今

長野県保育問題協議会 会長 渡邊 暢子

多様なしくみの保育園が増えた

子ども・子育て支援新制度が平成15年4月からスタートしました。今まで児童福祉施設の保育所(厚生労働省所管)と学校教育施設の幼稚園(文部科学省所管)の2つの制度が併存してきました。また、私立の幼稚園や保育所の運営は私学助成制度や保育所運営費

国庫負担制度によって支えられてきました。子ども・子育て支援新制度では、新たに子ども・子育て支援法が制定され、認定こども園や地域型保育事業などが加わり、これらは内閣府の所管になっています。この支援法は保護者への教育・保育給付制度を定めたもので、今までの施設補助制度とは大きく異なる財源の流れになります。行政の所管が厚生労働省と文部科学省、内閣府と3つに、施設制度も3つになるなど、複雑な制度体系になり、幼保一元化とは大きくかけ離れた制度になりました。

新制度では多様な保育を選択できるとして、施設給付型の保育所、幼稚園、認定子ども園や地域型保育給付の家庭的保育や小規模保育などの施設が、公的給付(公定価格)の対象になりました。多様な選択肢が用意されるということは多様な基準が設定されるということになります。たとえば、地域型保育給付の小規模園の設置は、ビルの一室でもよく、職員全員に保育士の資格がなくても運営できるなど、認可園よりも基準が低く設定されていますが、公定価格という公費が支給されています。施設面積や職員配置基準の違う施設や事業による結果、どの子にも平等に保育を受ける権利があるという原則からはずれ、子どもの安心・安全の視点から格差や不平等が保育の分野でも拡大することになります。また、入園には保育の必要性に基づいて3つの区分で認定されることになっていますが、保護者の就労状況でしか判断されず、子どもの保育を受ける権利の観点は見られません。

国の最低基準(0歳児3人に保育士1人、1・2歳児6人に保育士1人、3歳児20人に保育士1人、4・5歳児30人に保育士1人)は昭和23年に制定されたままです。自治体によっては独自に1歳児6人に対して保育者1人ではきめ細かい保育ができないとして、5人に1人の保育者を配置していますが、国は待機児解消を名目に保育士の上乗せ基準の切り下げ要請をするなど、現場を無視した対応をしようとしています。

「保護者の就労のために、子どもの最善の利益を犠牲にしてはいけない。保育の質に関する規制緩和を特区でやることはおかしい」と、ある自治体の長は言っています。平成16年から28年の間に保育施設での子どもの死亡事故は認可施設の58件に対して認可外施設では127件と倍以上になっています。待機児解消の数字をどうするかだけでなく、保育の質と共に子どもの命を守る安全の確保も大きな課題になっています。

なぜ保育園が増えないのか

2年前(2016年)の2月に注目された“保育園落ちた!日本死ね!”という匿名のブログのことを覚えていますか? 長野県は「松本市に待機児!」という記事が新聞で大きく報道されましたが、全国的には待機児問題は深刻です。待機児をゼロにするという課題は、2002年の小泉政権時代から待機児ゼロ作戦としての旗振りをしてきていますが、国はいずれ少子化になるとして、公的な保育所の新設や増設をしないで乗り切ろうとしてきました。それは、保育所の設置認可の規制緩和をして、運営への企業の参入を容認するなど民間頼みにシフトしたことや保育所の運営費や施設整備費を一般財源化したことで、自治体の保育所運営が厳しくなったことなどに表れています。また、非正規労働の増加や低賃金で所得が増えない状況の中で、母親が働くことを選択せざるを得ない家庭の事情も待機児問題を深刻にしてきたと思います。

17年4月の待機児は26,081人と厚生労働省は発表していますが、やむをえず育休を延長した(18年度から待機児になることが予定)、自治体が補助する施設に預けている、幼稚園の預かりを利用している、自治体が紹介した保育園を断ったなどの場合には、待機児にカウントしないなど待機児の考え方を曖昧にして少なく見せようとしています。また、隠れ待機児は一昨年4月には4万9千人いたと厚生労働省は報告していましたが、実際には6万人はいると言われています。保育園が不足しているにも関わらず、平成17年に11,752か所あった公立保育園は10年後には8,851か所と減少しています。それは公立保育園の運営費の国庫補助の削減が2004年から、施設整備費の削減は2006年から始まり、公立保育園を新設したり、維持するためには市町村の負担が大きく、このことが民営化や統廃合に拍車をかけることもなり、深刻な待機児問題があるのに公立保育園が減るという事態になっています。保育に対する国の予算は先進国の中でも極端に低く韓国の0.83%に対して日本は0.45%と約半分、OECD加盟国の平均である0.71%以下という実態です。認可保育園の増設をするなど、国の保育・教育予算の増額は、子どもの保育を受ける権利の視点からも重要だと思います。

保育士がいない?!

松本市の待機児問題の一つに保育士の不足の問題が挙げられています。保育士の資格を持ちながら資格を活かしていない潜在保育士と言われる人は全国に76万人います。厚労省は2013年に、資格があってもなぜ就労しないのかの実態調査をしています。その結果は賃金が希望と合わない47.5%、責任の重さや事故への不安40%、自身の健康や体力への不安39.1%となり、賃金の低さが理由のトップです。全産業平均年収(488万円)に比べても保育士の平均は322万円と責任の重さと実態に合わない低賃金になっています。2015年に始まった新制度での公定価格(保育費用の単価額)の設定では、保育所や幼稚園の開所日数や開所時間が定められています。幼稚園の年間開園日数は200日程度、保育時間は1,000時間程度とされ45日間の長期休暇が位置づけられています。それに対して、保育所の開所時間は年間300日、保育時間は1日8時間から11時間で年間に換算すると2,850時間平均になります。開所時間は幼稚園の1.5倍、保育時間は3倍になるので、誰もが保育園の方が公定価格は高いと考えると思いますが、実際の公定価格に含まれている人件費の割合は、保育所は幼稚園の半分強しか保障されていませんので、必然的に低賃金に抑えざるを得ないしくみになっているのです。また、現在の保育士の国の配置基準では、勤務時間の8時間すべてが直接保育に従事することが前提になっており、保育所保育指針で義務づけられている保育の計画の作成や保育の記録、打ち合わせ、保育準備、保育の質を高める研修などの時間や職員配置の保障がないため、サービス残業や仕事を持ち帰ることで対応をせざるを得ないなどの労働の厳しさも保育士不足の要因になっていると思います。国政の課題になった保育士の処遇問題は、職員の配置基準や公定価格の改善の必要性を浮き彫りにしています。保育者の賃金は公定価格と保護者が負担する保育料などで成り立っているので公定価格に含まれている人件費の単価を大幅に改善するなど公費負担の増額が必要で、保育料の増額など保護者の負担にならないように処遇を改善してほしいと思います。また、公定価格として支給される公費の使途には制限がなく事業者の裁量に任されているので、保育者の人件費に十分使われるようにするなどの歯止めも必要です。保育士が居ないわけではありません。劣悪な労働条件の中で疲れ、その資格を活かして働きたいと思う職場ではなくなってしまっているのです。子どもの貧困が社会問題になっているときに、保育所の果たす役割は大きくなっています。そのためにも保育者が希望をもって働き続けることができる制度の改善や財源の確保は国の責任です。

保育所保育指針の改定 教育という名の国家統制?

今まで保育所は児童福祉法の下にある施設だから、教育施設として規定する法律が存在しないと言われてきました。今も法的な根拠はないと思いますが、保育所保育指針が2017年に改定され、初めて「制度」として幼児教育を行なう施設として認定されました。なぜ今、保育所を改めて“幼児教育施設と認めますよ”というのでしょうか。戦後1947年に制定された教育基本法では、教育の自由、教育の直接責任制、教育行政の役割などが明記されていました。2006年の改定では道徳性や規範意識を教育目標に挙げて法律化したこと、国が教育振興基本計画をつくり規制緩和や評価を法律化して教育内容に介入できるようにしたこと、幼児期の教育に対する文言を入れるなど、国の教育施策に大きな変化がありました。保育所保育指針は2008年の改定の時に告示化になったことや、今回、幼児教育と呼ばないといってきた保育所を幼児教育施設として認定することで、本格的に幼児期からの国の人づくり政策がスタートできるようにしたのではないかと思っています。すでに幼稚園には導入されている「国旗・国歌に親しむ」という文言が保育所保育指針に入りました。指針の検討委員会の中では幼稚園や認定こども園そして保育所の教育内容を揃えるという意図の中で、議論をすることなく記載されることになったようです。国旗や国歌の問題は、日本の歴史の中では戦争に結びつくシンボルになっていることもあり、いろいろ議論のある問題です。また、歌詞の内容や意味を理解することが難しい年齢の子に必要なことなのかという疑問も聞かれます。“道徳教育は、善悪に判断ができる前に理屈を超えてたたきこむ教え”という考え方もあると言われ、儀式として捉えればいいのではという意見も聞きます。ある地方の自治体では1998年に制定した国旗・国歌法以降議会で「保育所で国旗は上げないのか」の質問が議員からあり、今は毎朝、早番が国旗を園庭のポールに挙げているとの話もあります。指針の中では「歌いなさい」とか「掲揚しなさい」とは書いていないと説明はされていますが、重い問題です。

子どもは子どもらしく生きるために、学ぶ権利や意見を言う権利、考える自由を持っています。本来ならそれらの権利を保障するために保育の場が求められているときに、子どもの「あるべき姿」に足並みをそろえることを求め、子どもの権利や自由を尊重することを、保育をする側が奪うことにならないかと危惧しています。

保育者同士の学び合いや保護者との手つなぎを通して、子どもの最善の利益のために、おとなの知恵で切り開いていけたらと思います。

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レポート 19歳の私の発言

「働くお母さんと子育て①」

諏訪中央病院看護専門学校1年 松原 まい

近年、日本では、共働きの世帯が増えている。これまで、女性は結婚したら専業主婦になる、というのが主流であった。

しかし、1991年には、共働きの世帯数と専業主婦の世帯数がほぼ同数となり、1997年以降は、共働きの世帯数が上回り、2013年では、その差を広げている(「専業主婦率の推移」『内閣府・男女共同参画白書』)。

つまり、「働くお母さん」が増えているのである。「働くお母さん」が増えたことで、幼少期に母親が子どもと過ごす時間が少ないために、子どもたちが「荒れる」、という、幼少期に母親が不在であることが原因とされる子育ての問題が指摘されている。

これらの考えは、「子どもが小さいうち、特に三歳までは母親が育児に専念すべき」という、三歳児神話に基づくものである。三歳児神話とは母親一人が育児に専念することが絶対的、普遍的な現象であるかのように強調することだが、これには根拠がない(大日向雅美『母性愛神話とのたたかい』2002年、草土文化、p.24)。私は、子どもが「荒れる」のは母親不在が原因ではなく、幼少期にいかに「安心感を与えられるか」であると考える。

私の両親は共働きで、母親は看護師であるため、休みの日もほとんど仕事で家にいなかった。しかし、私も弟も一度も「荒れ」たことはない。しかも、私は1歳から、弟は0歳から保育園に通っていたし、休みの日も父親と過ごす時間の方が長かった。もし幼少期に母親が不在であることが原因で子どもが「荒れる」のであれば、私たちはとっくに荒れているのである。

しかし、そうなっていないのは、保育園、父親、祖父母などの愛情を受け、安心できる空間を知っているからだと私は考える。何かの授業で、乳児期に自分の欲求が満たされれば安心感が芽生え、満たされなければおとなになっても承認欲求が強く残るという文章を読んだ記憶がある。子どもには、自分を認め、すべてを受け入れてくれる存在が必要なのである。そして、それは必ずしも母親である必要はない。

確かに、子どもにとって母親の存在は大きいかもしれない。しかし、ただ一緒にいれば良いわけでもない。接し方なのである。

これからの日本は、さらに「働くお母さん」が増えていくだろう。「荒れ」ない子どもに育てるためには、少なくとも子どもを認め、安心感を与えることが求められると私は考える。「働くお母さん」の子どもだから「荒れた」と言われない世の中になってほしいものである。

(諏訪中央病院看護専門学校1年・松原まい/『論理学』レポート、担当講師:能勢桂介*この講義は市民的教養を学ぶことも目標にしています。市民的教養については2018年の拙稿をご覧ください)。

「働くお母さんと子育て②」

諏訪中央病院看護専門学校1年 遠藤 優花

近年、女性の就労機会が増え続けている中、乳幼児を持つ母親が働くということはまだまだ至難と言わざるを得ないのが現状だ。

母親の就労を妨げる原因はいくつかある。1つ目は保育所入所の難しさや仕事と家庭の両立をかなえにくい職場環境である。2つ目は「小さいときは母親が育児に専念すべき」という偏見や子どもを誰かに預けて働きに出ることに対して「母親として無責任」などといった非難の言葉を向けられることである。果たしてこの世の中全体が、女性が働くための環境ができているのか、子どもを誰かに預けて働くのが無責任だといわれて良いのかと、疑問に思う。

講義資料(中島さおり『なぜフランスでは子どもが増えるのか』2010年、講談社現代新書)によれば、フランスでは子どもが生まれても結婚しないカップルがいたり、育児をしながら仕事ができている女性がたくさんいる。つまりフランスでは育児をするのが母親の役割などという偏見がなく、また育児をしている母親が働きに出やすいための環境があるのだ。

しかし、フランスでも100%、乳幼児が保育所に預けられているわけではない。その代わり、保育ママやベビーシッターなど、子どもを預ける場所がいくつもある。1980年代にはこういった保育ママやベビーシッターなどを利用する家庭に、社会保障積立金の援助をする政策を取り入れるなど国も育児に対して協力的である。

今の日本はどうだろうか。日本全体では保育所の数が足りずに待機している児童は2万6,081人(厚生労働省「保育所等関連状況取りまとめ」2017年4月1日現在)いるのが現状である。しかも前年よりも2528人も増加しており、これからも更に待機児童が増えていくと予想される。

こうした中、日本がベビーシッターなどの普及や制度化に力を入れないのはなぜだろうか。保育所に預けられない母親たちの選択肢をつぶしているだけではないかと思う。

日本でもフランスのように働く女性への支援を強化し、保育所のみならず、保育ママやベビーシッターなどといったサービスをもっと利用できるような制度を作ったり国全体が動き始めれば世の中の育児に対する偏見も無くなっていくだろう。

将来、私たちも社会に出て家庭を築くようになる。私は仕事と家庭の両立をしたいと考えている。このままでは仕事を捨てるという選択しか無くなってしまう。

これから先、社会人になっていく若い世代にこのような不安を残さないように今、最前線で働いている世代の人たちに、少しでも風向きを変えていってもらえたらなと思う。

(諏訪中央病院看護専門学校/『論理学』レポート 担当講師:能勢桂介*この講義は市民的教養を学ぶことも目標にしています。市民的教養については2018年の拙稿をご覧ください。)

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座談会

保育士さんの本音を聞いてみました

編集委員会事務局 竹村 幸子

「多様なしくみの保育園」がつくられている今、現場はどうしているのかを知るために座談会を企画しました。ご協力いただいた方々の勤務先は、・公立保育園・私立保育園・認定子ども園・認定保育園(企業主導型保育園)・企業内保育所・児童養護施設です。正規・非正規保育士、5年から42年の経験者の方、8名にお話を伺いました。

発言の掲載は順不同、その他アンケートのみに記入していただいた方の内容を含みます。

どういう思いで保育士になられたのですか

・自分が園児であった時の先生にあこがれてなりました。

・弟妹を迎えに行っていた保育園で子どもたちと遊ぶことが楽しくて保育士になりました。

・自立して生きていくために、女性が専門職につくことができる仕事として選択しました。

・『凍りついた瞳』を読んで、児童養護施設の保育士となりました。

・子どもが好き、子どもと過ごしていける仕事だと思いました。

・人の役に立てる仕事につきたいと思っていた。親の離婚により経済的負担が問題であったが、昼は保育園で働きながら夜間の学校で保育士になれるということで保育士になりました。

・いろいろ受験したが、保育士専門学校に合格したから。

・子どもが好きで、小学生の頃から近所の家庭保育所に遊びにいっていたので、憧れて保育士に。

保育の役割とはどういうものだと考えられていますか?

・乳児期では、母親からのたくさんの愛情を受けるべき時期を離れて過ごさなければならないので、母親代わりのような役割がある。幼児期では生きていく力を身につけさせる役割があると思います。

・子どもが健やかに育つためには親との生活が大切。保育園に居る時は、いろいろな素敵な人生があるのだ、温かい場所があるのだと、子ども自身がめざめるように、そんな出会いがあるようにする場。

・子どもを通していろいろなよりどころになれるところ。

・一人ひとりに寄り添うこと、安心感を与えること。土台をつくること。将来を考えること。

・集団生活をしていくうえでの基本的なことを教える場。人が人であるために必要なことを身につける場。

最近、気になることや困っていることはありますか?

・朝7時半から6時半迄預けられる子どもが増えている。

・土曜日の保育も増えている。

・就寝時間が11時だったりして朝からぼーっとしてしている子どももいます。

・保護者との関係に気を使わなくてはいけない。

・親の生活が厳しく、子どもに関われていないなど子どもの様子が変わってきている。

・熱性けいれんなどの病気の子がいるので目を離せない状況があり、いつも緊張している。

・発達に問題があると感じても親に伝えられていない。※企業主導型保育園での悩み

・保育士が子連れで仕事に来ている。経営者は「良いこと」と思っていて奨励する感じでいるが、現場は大変やりにくい。※企業主導型保育園での悩み

・新制度になって延長保育を利用する人が増え、臨時や非常勤が不足しているから正規職員が補っている。

・小規模園で一時預かり事業もやっているが、未満児の担任が一時預かりの担任もしていてクラスが落ち着かない。

・職員数が少ない小規模園なのに大規模園と同じように行事をやらなければならない。職員数も少なく苦労している。

・残業代が出ない。退勤時間になると、「タイムカードを押しておくね」と園長に言われて1から2時間の残業!

・家庭を犠牲にしているなって思う。親子の時間が少ない。わが子からは「保育士にはならない」といわれている。

・自分の子育ては、夫や父母など家族の支えで続けている。

・休みでも仕事をしている。

・トイレ・保育室などの掃除や建物とか庭の手入れなども保育士がやっている。

・入所についてなど、保育する中での条件がとても厳しくなり、書類が多くなって困っている。

・掃除と日誌、翌日の準備などは、8時間の労働時間にはそもそも入っていない。

・幼稚園と保育園は同じものではないのに、教育と保育は違うのに、幼稚園の先生と一緒に仕事をしていてとてもつらい。

・保育観、子ども観が違うように感じる。

・子どもに接している時間が8時間ということ。

・子どもの午睡中にトイレに行ってお茶を一杯飲むのがやっと。

・保育主任でも日中はクラスの保育に入っているから、夕方から事務をすることが当たり前で間に合わないと家に持ち帰ってやっている。

・保育準備なども家でやっていることが多い。

・保育士が足りていなくても途中入園がある。

保育士不足と言われていますが

・保育士が本当に見つからない。

・パートで働いていると10年たっても時給900円のまま。安い給料が人手不足の理由。

・パートで働き始めていて、時給950円です。昇給する予定はあるものの。

・正規で働いていても経験が浅いうちにやめてしまう。1年から3年はつらい時、研修なども実施してはいるけれど…。

・職場の人間関係がしっかりしていないと難しい。

・忙しすぎて人間関係を深めていく時間がないからね。

・復職ギャップでやめることもあるね。

復職ギャップとは、育休明けに復帰した途端、いきなり主任になってしまって、子育てと職務の多忙さとがどんと押し寄せて、もう無理!と退職してしまうこと。

・昔は余裕があった。産休明けに主任なんてことはなかった。

・学校を卒業してから非正規のまま結婚。妊娠・出産・子育てとなると勤め続けられなかった。その後、自分の子育てにほぼ目途がついて復帰。非正規で働いていると給料などの待遇はよくない。子どもが一番可愛い時に接することができている、楽しい仕事だと思うけど…。

・子どもたちの将来に係わる仕事だし、命を預かっているのに、給料が余りにも低く、社会的に評価されていない気がする。

・保育という仕事の大切さが社会に認識され正当な評価が得られていけば、保育士不足は解消すると思う。

・重労働を解消し、専門性を重視し、それにふさわしい待遇を整えること。

ご参加いただいたみなさま、アンケートにご協力いただいたみなさま、ありがとうございました。

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「乳幼児期の子育てと保育・学童保育」 あとがき

豊永 誠 

この分野では「学童保育の現場から」「子ども・子育て支援制度や保育所保育指針の改定から見る、保育の今」など三つの原稿とコラムが寄せられました。

現代社会は、貧困と格差、暴力が広がりゆとりのない生きにくい社会となっています。現代日本の子どもたちは一人ひとりの人格と権利が大切にされているでしょうか?子どもの人権を侵害する児童虐待は2015年10万件を超えています。これは子どもの生活基盤である家庭での子どもの養育が危機的状況になっているのです。この厳しい現実を直視し、子どもの最善の利益を優先した社会的支援に取り組むことが求められています。以下、私の簡単な感想やコメントを述べたいと思います。

「学童保育の現場から」

2014年に「設備運営基準」、2015年に「運営指針」が公布されました。何よりも現場の皆さんの実績と願いが反映され、子どもの権利条約をふまえた運営指針であることは大きな喜びでもあり成果であると評価できるものです。省令基準で指導員資格と員数について「従うべき基準」が定められました。専門職員として働く勤務条件や処遇改善ができる財政措置を国の責任で確保し実施主体の市町村まかせにならないようにすべきです。

「子ども・子育て支援制度や保育所保育指針の改定から見る、保育の今」

地域型保育給付の小規模保育や家庭的保育は認可保育所の最低基準が規制緩和され、面積基準の引き下げや保育士資格のない職員の配置が容認されています。子どもの生命や権利を保障する最低基準が守られない施設が保育の事業として認められること自体に問題があるのです。また、市町村は保育所以外の認定こども園や家庭的保育事業などを利用する子どもについては、保育の提供に直接的な責任を負わなくなりました。利用調整はしますが、市町村が保育の利用に責任を負わないのでは子どもの保育を受ける権利が保障されないという問題を含んでいます。

障害をもつ子どもの受け入れは新制度ではどうでしょうか。障害児も保育の必要性の認定を受けますが、支給認定の基準は保護者の就労状況だけが判断基準とされ子どもの障害状況はまったく考慮されません。これでは障害をもつ子どもの保育を受ける権利が制限されてしまうのではないかと危惧をしています。

2017年3月「保育所保育指針」が改定され、「国旗・国歌に親しむ」という文言が入りました。道徳性や規範意識を幼児教育の目標に掲げて指示を従順に受け入れる子どもを育てるねらいではないかと考えます。子どもは権利の主体であり、生きる権利、学ぶ権利、意見表明の権利など子どもを主権者として育てることこそ本来の保育・教育の役割であると考えます。

座談会「保育士さんの本音を聞いてみました」

保育士さんの労働条件、勤務実態の厳しさが浮き彫りにされた座談会であったと受け止めた次第です。「日中でも子どもの午睡中にトイレに行ってお茶を一杯飲むのがやっと」「保育準備など家に持ち帰ってやっている」「親子の時間がなく、家庭を犠牲にしている」などの意見をどう受け止めたらよいのでしょうか。子どもの生命を守り育てる保育の専門職としてふさわしい処遇がなされていないのです。保育士さんが専門職として生き生きと働くためには国の責任で必要な財源を確保して職員の配置基準、給与水準、労働条件の抜本的な改善をすみやかに実施すべきであると考えます。

子育てと保育の分野で共通して大切にしたい視点をあげておきます。

1 憲法第25条の規定「国民の生存権、国の保障義務」をあらためて確認し理解を深めて現場実践に活かす視点。

2 改正児童福祉法の第1条の「子どもは権利の主体である」という規定をしっかりと受け止め、保育実践に具体的につなげ活かす視点。

3 保育運動の成果である児童福祉法第24条1項の市町村の保育の実施義務を活かし、基礎的自治体である市町村が児童を育成する中心的な担い手であり責任を負うとされた第3条の3の規定を認識し学童保育などの施設運営にあたっては連携、協議、要望、交渉などを重視して取り組む視点を大切にしたい。

豊永 誠  信州豊南短期大学非常勤講師

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分野 7 子どものいのち・医療

もくじ

これ以降は分野 7のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①成長曲線の評価を学校の健康診断に追加蓑島 宗夫

②子どもの自尊感情を育てるために 小児科のクリニックで心がけていること宮林 麻里

③小児科医は診察室を飛び出そう!坂本 昌彦

④医療と育児支援の現場から パパとママと子どもたちの関係性 対話あふれる家族へ田辺佳代子

⑤電話相談からみた「子どもの悩み」 現状と課題西澤 聖長

⑥多様な性への理解と共生 アイディンティティークライシスと再生田村 綾乃

⑦自己肯定感を再び!! 楽しく元気が出る性教育にするために吉田アイ子

⑧国際セクシュアリティ教育白澤 章子

⑨発達障がい支援の現状と課題樋端 佑樹

⑩生きづらさを抱えた若者たち後藤 裕子

分野 7のリンクは以上になります。

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分野 7 子どものいのち・医療

クマたちが身体検査をしているイラスト

成長曲線の評価を学校の健康診断に追加

医療法人(社団)みのしまクリニック 蓑島 宗夫

蓑島 宗夫さんの顔写真

内科検診の一部が変更

学校の健康診断は学校保健安全法に基づいて行なわれているものですが、「数十年に一度の大改革」と呼んでもよい改定がここ数年間で行なわれました。座高測定と蟯虫検査は原則廃止されました。新たに追加された検査が、四肢の検診(以前から行なわれていた脊柱の検査等とあわせて運動器検診と総称されています)と、成長曲線を活用した成長評価です。学校検診に求められているものはいずれも専門的な診断ではなく、あくまでスクリーニングです。

運動器検診は、4から6月に行なわれる小中高校での内科検診の際に、学校医によって行なわれます。家庭での観察結果や質問票への回答を事前に提出してもらい、その内容から異常がうかがわれる場合は、運動器の診察を行なうことを原則にしています。導入にあたっては、県内各地で校医や養護教諭を対象にした講習会や説明会が行なわれた後に、各校での運動器検診が開始され、今年で3年目になったという地域が多いと思います。筆者は長野県医師会の学校医委員会と松本市医師会の学校保健衛生委員会での協議に加わり、導入がスムーズに行なわれるように各方面との調整にあたりました。県内でも全国的にも、質問票に記入する家族の負担の増加、養護教諭には検診の準備と検診時間の増加、学校医には診察時間の増加が、大多数の学校で生じています。

成長曲線の活用

日本では100年以上前から学校において定期的に身体測定が行なわれていました。開始されて以来、つい2年前までは、計測した時点の個人の肥満度評価(肥満と痩せ)を出すことと、学年、学校、市町村、県、国の身長・体重の平均値を出して、過去の数値や市・県・国平均値と比較すること程度にしか使われていませんでした。最近では、多くの学校において、平均値を出すためにパソコンの表計算ソフトに数値の入力は行なわれていました。

今回の改定はこの入力された個人別の数値を活用して、新しいパソコンソフトでグラフ化し、ホルモンの病気等の可能性がある体重・身長の異常な変動や、極端な偏りを示す児童生徒を抽出するものです。体重や身長の急激な変化や、歴年齢(何歳何か月)からみた正確な低身長の評価を、これまでの肥満や痩せの評価に加えて、パソコンによって自動的に判定することができるようになりました。

パソコンソフトの変更に伴う小中学校での実務作業と、抽出者への事後対応の準備に1年ほどかけて、昨年秋頃までにはほぼ県内全域で実施されるようになりました。

成長曲線判定での問題点と対応

本年2月24日に長野市内で行なわれた長野県医師会主催の研修会で文部科学省の専門官の講演を聴いたところによれば、成長曲線の導入に関して全国各地で問題はさまざまで、「パソコンへの入力の仕方がわからない」という初歩的なものから、後で述べる「判定と事後措置」での対応までさまざまな問題があるとのことでした。

松本市医師会で小児内分泌学を専門にする医師を含む複数名の医師で昨年検討を行ないました。そこで見受けられた現行パソコンソフトの抽出基準の問題点と松本市で行なった対策について以下に述べます。

表1は、パソコンソフト自動判定時の抽出項目とその説明です。学校保健会が示す基準によれば、①、③は経過観察のみで受診不要。②、④、⑤、⑨は医療機関を受診。⑥は肥満度+50%以上なら医療機関受診、⑧は肥満度マイナス30%以下なら医療機関受診、⑦+④は医療機関受診となっています。

この基準では、年齢的にみれば異常とは言えない児童生徒が多数抽出されてしまいます。松本市においては、真に精査の必要な児童生徒のみが、漏れなく専門医療機関(病院)を受診できるようにするのがよいと考えました。そのために、受診するよう言われた児童生徒がまず最初に受診して、精査が必要か必要でないかの判定を受けることができる医療機関として、相談医療機関を設けました。さらに、学校保健会の基準を再検討して独自の基準を付加することにより、不必要な受診勧奨を減らして受診者数の絞り込みを図りました。

松本市方式における小学生での受診基準は、①、③は、経過観察のみ。②は、相談医療機関受診ですが、6年生以上の男児、5年生以上の女児は受診不要(②は思春期早発症の発見が主目的であることと、日本人の二次性徴発現年齢の平均は男児で10から11歳、女児で9から10歳であることから、男児全員が11歳になる6年生以上と女児全員が10歳になる5年生以上は①、③と同じ扱いとしました)。④、⑤、⑨は、相談医療機関受診。⑥で肥満度+50%以上、⑧で肥満度マイナス30%以下、⑦+④は、元の基準どおり相談医療機関受診としました。

松本市方式の中学生での受診基準は、①、②(小学生と同じ理由)および③は経過観察のみ。⑤、⑨は相談医療機関受診。④は、受診勧奨の用紙は該当者全員に配布。用紙に二次性徴の有無(男児では声変わり、女児では初潮)の欄があり、二次性徴がすでにある場合は用紙の「ある」に〇をつけ学校へ提出して受診は不要とし、二次性徴がない場合は相談医療機関受診としました。中学生では二次性徴が発現していて既に最終身長に近い児が存在しています。その場合には医療機関を受診する意義がないため、二次性徴がある生徒は受診不要としました。⑥、⑧、⑦+④については小学生の基準と同様です。

長野県内の一部や全国各地において、精密検査がおそらく必要ない児童生徒に対しても受診勧奨が行われた可能性があり、児童生徒と保護者の負担が増え、また専門の医療機関で一時予約が取りにくい事態が発生していたかも知れません。病院の混雑等については文科省の管轄外ですので、今後、専門外来診療をめぐる問題点についての調査が小児内分泌学会などによって行なわれ、十分な吟味を経て、抽出基準の見直しを含めた適切な対応が行なわれることが望まれます。

(表1)パソコンソフト自動判定時の抽出項目

抽出基準

解説

身長の最新値が97パーセンタイル以上

身長が高すぎる

過去の身長の最小値に比べて最新値が1Zスコア※以上大きい

身長の伸びが急に増加した

身長の最新値が3パーセンタイル以下

低身長

過去の身長の最大値に比べて最新値が1Zスコア以上小さい

身長の伸びが急に低下した

身長の最新値がマイナス2.5Zスコア以下

著しい低身長

肥満度の最新値が+20%以上

肥満状態 (精査は+50%以上)

過去の肥満度の最小値に比べて最新値が20%以上大きい

肥満度が急上昇

肥満度の最新値がマイナス20%以下

やせた状態 (精査はマイナス30%以下)

過去の肥満度の最大値に比べて最新値が20%以上小さい

やせの程度が急に進んだ

※ Zスコア=(実測値マイナス平均値)÷ 標準偏差

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子どものいのち・医療 事例2

子どもの自尊感情を育てるために 小児科のクリニックで心がけていること

小児科専門医 みやばやしこどもクリニック 宮林 麻里

はじめに

私は松本市でこどもクリニックを開業している小児科医です。今回、本誌編集委員の蓑島先生から、子どもの自尊感情についての投稿のご依頼を受け、一小児科医として日頃意識して行なっていることについて書かせていただきます。

自尊感情とは?

自分の能力や置かれている状況にかかわらず、ありのままの自分でいいのだと思うことができる、自分の長所をみとめて「自分が好き、自分はOK」という感情を自己肯定感といいます。自尊感情とは自己肯定感に基づいて「自分には生きる価値がある」「自分はダメじゃない」と思うことができる感情のことをさしています。

現状に見合わない自己肯定感を持っている人は時に周囲から浮いて見えることもありますが、逆に全くなくなってしまうと自尊感情が持てなくなって社会に出られなくなったり、自から命を絶ったりしてしまう場合もあります。自尊感情は人間が生きていくうえでとても大切なものなのです。

医療機関を受診する子どもたち

人間誰しも病気になれば気持ちが落ち込んだり不安になったりするものです。それはおとなも子どもも同じことで、クリニックや病院を訪れる彼らは体だけでなく心の具合も悪くなっています。そのうえ子どもたちは既に予防接種や検査などで痛い思いをした経験があるため、医療機関という場所に来ることにとてつもない不安と抵抗感を抱きつつ、自分の意に反して半ば強制的に保護者に「連れられて」来ます。ほとんどの子どもにとって医療機関は「怖い所」、「嫌なことをする所」「行きたくない所」であるわけです。

でも、怖いことや嫌なことをどうしてもしなくてはならない状況は生きていくうえで必ず何度となく直面する、決して避けられないものだと思います。ならば、どうやってそれを乗り越えていくかということを考えていくしかありません。そして、それを保護者や医師とともに頑張って乗り越えたという経験が、子どもたちに「ぼくは、わたしは、がんばって病気を治したんだ」という達成感と共に、自尊感情を育てていくことはできないかと私は考えています。ともすれば、「そんな悪い子は先生に注射してもらうよ」などと、保護者からあたかも鬼のように紹介され、子どもから嫌われがちな小児科医として、それでも子どもたちに病気を治して自信を持って欲しいという願いから、日々の診療で配慮していることについて少しご紹介させていただきます。

一般診療での配慮

まず、診察室に入るところから保護者とお子さんの様子の観察が始まります。お子さんの健康状態(元気かどうか、歩けるか等)だけでなく両者の精神状態(緊張しているか、疲れているか)などから、どういう接し方や話し方がいいのか判断します。そして、3歳以上のお子さんに対しては、話ができる状態であればなるべく本人にも痛い所やしんどい所があるか聞く様にしています。その時、必ず本人の目線の高さに合わせて話すようにします。診察では、まず「じゃ、モシモシするよ」と言ってから胸の聴診を始めて「次はお腹(ポンポン)みせてね」「つぎはお口だよ(アーンと自分も口を大きく開けて見せる)」「次はお耳ね」と予告しながら進めていきます。診察後は泣かずにできても泣いて暴れてしまっても、「頑張った、頑張った」「できたね」「ありがとうね」と声掛けをします。薬の説明も保護者だけではなく本人にも、「このお薬は病気のムシムシをやっつけるために飲むんだよ」「ちゃんとお薬を飲んで病気をやっつけてね、頼んだよ」「この薬はねちょっとまずいかもしれないけど、良く効くんだよ」というように話し、回復してきたら、「やったね、○○ちゃんがお薬頑張ったから病気治ったよ」などと声かけをするように心掛けています。するとお子さんの中には嬉しそうな顔やガッツポーズで診察室を出ていく方もいます。このような関わりを通して、当事者である子どもに、保護者と医師だけでなく自分も病気を治すために戦う仲間であるという意識をもってもらえることがあります(ただし、効果には個人差があります)。

予防接種での配慮

当クリニックでは予防接種の時間帯を決めて行なっていることもあり、ある程度大きくなったお子さんは来院目的(=注射)を知った上でやって来ます。お子さんの性格によっては玄関から終わるまでずっと泣きっぱなしの方もいます。入室時の段階で本人が説明可能な状態であれば、まず本人に「今日はね、○○○○の病気にならにように〇秒頑張るよ」と予防接種の目的と所要時間について簡単に説明します。お子さんの目を見てこれからの手順を説明し見通しを付けることで不安を軽減し、本人の同意と協力を得ることを目指します。同時にこの説明へのお子さんの反応から、必要であればその後の関わり方を変えます。診察は漏れなく短時間で行ない、協力的な場合には接種する腕を自分で選んでもらいます。そして保護者に接種しない方の手を握っていただいて、本人と話しながら短時間で接種します。もし泣かずにできたら「すごいね!」「かっこいい!」「やったね!」とスタッフ全員で褒め、ハイタッチして終了します。もし泣いたり暴れたりしてしまっても、手早く接種を終了した後に「大丈夫、大丈夫、がんばったね。がんばったから泣いていいよ」と声をかけ、保護者にも「がんばったから、怒らないで褒めてあげてくださいね」とお願いします。頑張れたお子さんが誇らしげに胸を張って「バイバイ」と手を振って診察室を出ていく姿を見ると、私もスタッフも喜びと共に「自尊感情」が高まりありがたい気持ちになります。また、つい最近まで大泣きしていたお子さんがある日突然泣かずに診察させてくれるようになると、心から嬉しくなります。

「チーム医療」が自尊感情を育てる

診察、検査、処置、服薬などの医療行為は子どもにとってとても高いハードルのようなものですが、それをがんばって支障なく超えることができ、さらにそれを褒めてもらうとその経験が自信に繋がります。そのプロセスの中で保護者も一緒にがんばる姿勢を見せてもらえることでさらにその効果は上がります。子ども、保護者、医師が「チーム医療」を行なう形ができあがることで、医療機関も子どもの自尊感情を高める場になり得ると私は考えています。病気にかかってしまったことをマイナス面としてだけ捉えるのではなく、それを乗り越えることで自尊感情を育てる、まさに「転んでもタダでは起きない」精神で治療に臨んでもらえるように心がけながら日々の診療を行なっています。

たまに、初めて受診して大泣きしているお子さんの保護者の方が、入室するや否や「この子は病院がきらいなんです」と宣言されることがあります。そして診察が終わると「嫌だったねぇ」「痛かったねぇ」と子どもに声掛けをなさる方もいます。「でもね、お母さん、お父さん、お気持ちはわかりますが、それを言っちゃあおしまいです。そんなことは我々小児科医は言われなくても重々承知の上で、ポーカーフェイスの下に心の痛みを隠しながらやむを得ず必要な診療行為をしているのですよ。決して、好きでお子さんを苦しめてやろうと思ってやっているわけじゃないんです。それに、そもそも病気を治すためにとはいえ、嫌がるお子さんの意に反してここへ連れて来たのは他でもないお母さん、お父さん、あなたですよね。それなのに、いざ医者を前にしてお子さんの味方のようにその気持ちを代弁するのは、お子さんの気持ちも混乱させてしまいますし、どうなのよって思います」と、私の心のつぶやきはこの辺にしておいて、保護者の方たちにぜひお願いしたいのは、お子さんが医療機関に受診した際にはなるべくネガティブな言葉を避けて、「がんばったね」「強いね」「やったね」などのポジティブな言葉をかけてあげていただきたいということです。子どもも医師もお互いに嫌なことをしなくてはならないのであれば、お互いにいい結果を目指してチーム医療の形をとることで、お子さんの病気が治るだけでなく、辛い治療を保護者や医師と一緒に頑張って治したという達成感も手に入れることができると思います。そのために一番重要なのが保護者の方にお子さんと医師の仲介役的な関わり方をしていただくことなのです。悪いのは病気であって、お子さんも保護者も医師もそれに立ち向かう「チーム」なのですから。

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子どものいのち・医療 事例3

小児科医は診察室を飛び出そう!

佐久医療センター小児科 坂本 昌彦

坂本 昌彦さんの顔写真

変化する子育てを取り巻く環境

ここ10年、子育てを取り巻く環境は大きく変化しました。全国の未就学児を持つ母親へのアンケート調査(2014年 三菱東京UFJコンサルティング)によれば、子育ての悩みを相談できる母親の割合は74%から44%へ、子どもを預けられる人がいる割合は57%から28%へ激減し、逆に子どもを通して関わる人がいない母親の割合は1.6%から11%に増えています。地域のつながりが希薄化し、子育てする母親の孤立化を反映した結果と言え、「子育てをしんどいと感じる母親の増加」を裏付けるものだと思います。

核家族化が進み、また以前と比べて祖父母の多くは仕事を続けています。なかなか身近に育児を手伝ってくれる人を見つけるのは難しくなり、子育てを相談できる人も身近にいない家庭が増えています。不安の解消先として保護者が一番頼るのはインターネットと言われていますが、そこには真偽不明なさまざまな情報が溢れており、逆に不安を煽ることもあります。そのような状況で、小児科をはじめ医療機関は保護者の子育て不安を軽減するために何ができるだろうかと考えてきました。

「教えてドクター!プロジェクト」

佐久総合病院では、70年前より「予防は治療にまさる」「農民とともに」を合言葉に活動してきました。このポリシーは小児救急現場でも当てはまります。すなわち「こどもの健康を守る主役は医療者ではなく保護者」で、診療以上に保護者の啓発が大切なのです。

2015年、佐久市は子育て力向上事業の一環として佐久医師会に「教えてドクター!プロジェクト」を委託し、佐久総合病院小児科が中心となって実施することになりました。

この活動は子どもの病気のホームケアや受診の目安などをまとめた冊子やアプリの作成、小児科医による出前講座、FacebookやTwitterなどSNSによる啓発活動です。

まず冊子ですが、子どもの病気とホームケア、病院受診の目安などをまとめたオリジナルの冊子を作成しました。教科書ではありませんので小児の病気すべては網羅していませんが、日常よく遭遇する病気や症状をカバーし、救急以外にも予防接種の情報提供や市内の子育て相談窓口なども載せました。ネットによる情報交換が中心な昨今ですが、「孫育て」「イクジイ・イクバア」という言葉も生まれるなど、祖父母世代も孫の子育てに関わることが増えた現代では、冊子は欠かせないアイテムです。

次に出前講座ですが、同年12月から市内の保育園34か所を、開業小児科の先生方と協力しながら、佐久病院の小児科医自らが訪問し、父母に受診のしかたやホームケアのレクチャーを行ないました。講座では終了後になるべく多く質問を受けるなど、個別の相談に乗るように心がけました。わざわざ病院に行くことはないけれど、子どもの癖や症状で心配の種がある保護者も少なくありません。出前講座がその受け皿となりうると考えたためです。

出前講座の様子を写した写真

3つ目はアプリの作成です。冊子や出前講座の内容を電子化した無料アプリを製作し、2016年3月に公開しました。このアプリはiPhone、Androidのスマートフォン双方で無料でダウンロードできるもので、救急車で受診すべきなのか、自家用車でよいのか、または翌日以降の日中の受診でよいかなど、症状ごとにワンクリックで判断できます。佐久地域の子育て支援情報も充実させ、生年月日を入力すれば予防接種の時期が瞬時に把握できるなど、スマホ世代でもある子育て世代が使いやすいよう工夫しました。また、最新の小児の誤飲などの事故情報を掲載する小児科学会傷害速報や、県内医療機関検索サイト(ながの医療情報ネット)など、保護者の皆さんに役立つサイトも複数リンクしました。2018年3月に、再び佐久市の補助金をもとに大幅に加筆した改訂第3版をリリースしました。扱う疾患も増え、子育て支援の内容もより充実しています。Android、iPhoneともに「教えてドクター」もしくは「佐久医師会」と検索すればインストールできます。ぜひご活用ください。

アプリの画面の画像

4つ目はインターネットの活用です。子育てで相談する人が身近にいないなか、保護者が最も頼りにするのはネットです。しかし玉石混交の情報が溢れており、我々は診察室で「ネットではなく医療者に相談を」と伝えます。しかし現実に医療者へのアクセスは敷居が高く、やはり困ったときにはネットを頼りにするのが現状です。我々はこの現状を踏まえ、むしろ同じ土俵で勝負することにしました。すなわちインターネット上で正しい情報発信を行なう努力が必要と考え、ホームページ、FB、ツイッターなどで情報提供を開始しました。内容は出前講座の案内のほか、啓発用のフライヤーを作成し、子育てや小児医療の情報提供を行なっています。プロジェクトの専用HP(https://oshiete-dr.net/)も作成し、季節ごとに流行する疾患や話題になった健康に関する情報に関する積極的な情報提供を行なっています。

この「教えてドクタープロジェクト」に込めた思いは3つあります。「小児科医は診察室を飛び出そう」「こどもの健康を守る主役は医療者ではなく保護者」「小児救急外来の負担を軽減したい」です。核家族化が進み、子どもが病気になったときにどう対処すればいいのか、ホームケアをアドバイスしたり、不安を傾聴できる人も身近にいない昨今、子どもが病気になったときの保護者の不安は以前より大きく、「子どもの健康を守る主役である保護者」へのホームケアや受診の基準についての啓発は以前にもまして重要です。しかし病院の診察室でできることには限界があります。「日中共働きの両親への効果的な啓発はどうすればいいのだろう。自分たちは院外に出て、彼らが集まる場所に顔を出すべきじゃないか。診察室を飛び出そう。」そこで開業医の先生のアイデアをもとに保護者参観などの行事に合わせて、保育園への出前講座を計画しました。いくつかの園をまとめて1か所で行なうという案もありましたが、そうではなく34か所の保育園すべてで開催する点は譲れませんでした。自分たちの利便性ではなく保護者の利便性を優先することで参加者を増やそうと考えたためです。この出前講座は、当院を築き上げた故若月俊一名誉総長の「医者が出前したっていいじゃないか」という精神を受け継いでいます。こうした保育園出前講座が支持され、それを機に小児科がもっと地域とつながり、活動の運営主体が今後保護者や保育園に移行できれば、活動が地域に根付いたと言えるでしょう。今はそれを目指しているところです。

3番目の「救急外来の負担軽減」について最後にお話しします。これまで救急医療現場では受診患者と医療スタッフの「対立構造」ともいうべき状況が時に生まれていました。不安になって保護者が時間外に救急外来を受診すると、「こんなに軽い症状なら夜ではなく日中に来て」と言われたり、逆に「どうしてこんなに重症になるまで放っておいたんだ」と言われたり。救急医療現場では増加する救急患者の診療に追われ、現場は疲弊しています。両者の対立構造はさまざまなストレスを引き起こしており、これを解消するためには、「共通の言語」でやり取りすることが必要です。今回の冊子やアプリはその「共通言語」の役割を果たすことを目指しています。これらの活動を通じて保護者の皆さんが、子どもの病気や症状を正しく理解し、適切な病院受診ができれば、軽症者がわざわざ夜間に受診する負担も減るうえ、医療機関側も重症患者に集中できます。お互いのストレスを軽減し、保護者の皆さんも安心して子育てするための一助になればと願っています。

この活動は今後、佐久以外の地域にも広げていければと願っています。まずは長野県内の他地域でも、小児科医はじめ子どもに関わる関係者の皆様と連携して活動を広げていければと考えています。少しでも保護者の不安軽減に資すればと願っており、引き続き皆様のご理解ならびにご協力をお願い申し上げます。

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子どものいのち・医療 事例4

医療と育児支援の現場から パパとママと子どもたちの関係性 対話あふれる家族へ

心療内科医 NPO法人まんま 田辺 佳代子

田辺 佳代子さんの顔写真

一緒に育つ 一緒に町づくり

私は15年前に母になり、何もわからない、何がわからないかもわからない、不安でいっぱいの新米ママでした。たまたまNPOまんまで先輩ママさんたちに出会い、子育てでなく「親育ち子育ち私育ち」を一緒に育ちながら感じて悩んでやってみて学び続けて、今は3児の母をドタバタながらも楽しくやっています。新米ママの頃は何の役にも立てないと思っていたのが、その後先輩ママになりながらも新米ママの姿勢や新鮮な悩みや気づきに勇気づけられていることに気づき、お互いを支えあうピアサポートを実感しました。

その間、心療内科外来で妊娠中から産後、赤ちゃん・ちびっこ・児童思春期、そして高齢者までの困りごとを一緒に悩みながら支援してきましたが、みなさんの悩みが特別なことではなく私自身の悩んでいたことと変わらないにもかかわらず、外来にくるまでずっと悩んで孤立奮闘してきてとても複雑になっていて、自尊感情をすり減らしてきているように感じました。

私は「たまたま」まんまをはじめ助けてくれる人や一緒に育つ人に出会えただけ、何が違うんだろう。「たまたま」を「ふつうに」出会えるように何ができるんだろう。そんな思いから、私自身も地域でふらふらすることに加えて、「困った!」がいえること(援助希求能力)、困ったを一緒に悩めるピアサポーターが増え出会いやすくすること、どこにいけばいいかわかるように温かい居場所やコミュニティづくりをしています。

NPOまんまでは、共に育ちあうための学びを大切にして、11年前からカナダ生まれの完ぺきな親なんていない(ノーバディーズパーフェクトNP)プログラムを年1、2回行ない、その卒業生がお茶会をしたり、そこからゴスペルや料理の会ができたり、町キャラのしらかばちゃんの商品づくりの会ができたり、次のママのためにNPプログラムの運営や託児やお菓子づくりなどで支えたり、地域のじじばばも巻き込んで育児支援をしたりと広がりをみせています。また、3年前より自分も役に立ちたいというママの声から生まれた「子育てママのつながるプロジェクト(つなぷろ)」が始まり、子育て支援事業にママサポーターが関わっていますが、気軽に話しができ助けてもらいやすくあったかい支援がとても好評です。サポーターも実践する中で悩みがでてもっと学びたいと親育ち講座/育児支援ピササポーター研修ができました。

実践して感じたことを形にしようと思いを行政に伝えるママもでてきて、佐久穂町コミュニティ創生戦略に関わり、子育て支援サービスにつながるよう子育て支援員研修を託児付きで町で開催、構想に参加させてもらっていた子どもセンターさくほっこが4月にオープンし、つながる場ができました。

診療で妊娠うつ病や産後うつ病に関わる中でパパも家族も苦しい状況に追い込まれることを何度も経験してきました。パパの産後うつ病もママと同様に1割といわれています。うつ病でなくても産後の心身の苦しさは関係性も大きく変え、産後クライシスはどの家庭にもあります。もっと早く知っていたらこんなに大変じゃなかった、パパにも知ってほしいという声をうけて、妊娠中からご夫婦で参加する「うまれるまえあと おやになるための講座おやなる」を昨年からはじめました。パパたち、妻のかわりようとはじめての子育てに混乱して困っていて、妊娠中に心の準備とパパ仲間ができることがとても心強かったといいます。パパ同士が思いを伝え合う場ってなかなかないんですね。

困ったときに助けてもらった、心細いときに温かく迎え入れてくれた、あの時に出会えてよかった。そんな思いを実感した人が、困っている人に声をかけたり居心地のいい場を作ったり助けてくれたり。お互いささえあう、ありがとうの循環はここちいいもので、それが子どもにも伝わっていくのがみえて、親子の間にもお互い支えあう姿がみられいいものだなと感じます。

全体からしたら、こんなちいさな取り組みですが、希望をもらいながら少しずつ変化を感じています。

育ちあうための土壌 安心安全な場 対話

取り組みを通じて大事にし続けてきたこと、やっぱり大事なんだとたびたび再確認すること、それは「安心安全」そして「対話」です。時代の変化とか今の親や子が変わったということはあちこちで耳にし、確かに見かけは変わってきていることも多く感じるのですが、ほぐれてみれば大事なことはかわっていないと感じています。

人が育つためには安心安全な場が必要です。

人は育ち続ける存在で、育ち続ける力をもっている。それをまず信じること、そしてその力を発揮できる環境をつくること(エンパワー)。育ちあう関係性に必要なことは育児や対人援助の基本とかわりありません。

そして、困った助けてといえる援助希求能力を育み、お互い「今感じていることを伝える」ことのできる関係性を育てるため、「対話(ダイアローグ)」を大切にしています。

1)体調や気持ちを言葉にする

「私は疲れてるの」「私はおなかがすいた」「私は眠い」「私は悲しいな」「私はそういわれてもやもやしてる」「私は困っているの」「私はうれしいな、ありがとう」

私の体調や気持ちにまず気づき、それを言葉にすると、自分を大切にすることやいたわることにつながり、周りも感じていることがわかり安心して助けてくれます。「あなた、なにしてるの!」「あなたって~よね」あなたが~ではじまると対話にはなりにくく、望んでいないのに争いや議論になりやすいですね。

2)思い・欲求を言葉にする

「私は~したい」「私は~してくれるとうれしい」

したい(Want)できる(Can)なっている(Be)のはじまりは、したい(Want)。

赤ちゃんからこうしたい、これはやだって伝える力を持っています。もやもや、やだなと感じることを「じゃあどうしたい?どうしてほしい?」自分に問いかけてみること、問いかけてもらうことで、思いが見えやすくなります。困った!助けて!がよりいいやすくなります。

そのときに子どもの心配など他の人のことを伝える時「私が心配なので協力してもらえませんか?」というといままでと違った協力が得られやすくなります。

3)『今感じていることを伝える』ことのできる関係性

「私は~と感じたの」「ぼくはこう感じたな」と伝え合える関係性が大切な人を大切にしあうことにつながります。

「安心して話ができるにはどんなことがあるといい?」「どんなことをしてもらってうれしかった?」そんなことを確かめあってみてもいいですね。

対話(ダイアローグ)では

*1人1人の声が対等に扱われること(ポリフォニー)

*ヨコの関係 一人ひとりの気持ちや考えが尊重されること(ホライズン)

*「聴く」と「話す」を丁寧に分けること

*本人のいないところで本人のことを決めない。目の前で今感じていることを伝える

*すぐに解決したり決めたりしない。全員の声をきく。じっくりと一緒に考え続けることで、より本質的な解決方法がみつかるだけでなく、信頼・安全・自主性がかわっていく、いままでと少しちがった関係性を育んでいく。そんなことを感じる場が対話にはあります。

4)内的対話 こころ育ち

「聴いていてこんなことを感じた、思い出した」

他の人との(外的)対話に対して、自分の中に沸き上がってくる思いと対話することを内的対話といいます。

このじっくりと感じて味わって考える時間は、自分に向き合い言葉を紡ぐ大切な時間、「私」を育てて私を創りだす時間。お互いの内的対話の時間を大切にします。

赤ちゃんにもそんな没頭している時間があります。そっとみていたくなるような時間が流れますね。

5)対話し続けることで、こころをお互い育てあうことができます。対話ある家族で育った子どもたちは自分も相手も尊重しながら、その時その時の課題を解決していき、一緒に育っていけるのではないかと思い、「対話の家族会議」があちこちで開かれるといいなと思っています。ちいさな子も少しお手伝いすることで参加でき、凛とした顔で対話するのをよく見ます。

夫婦でも親子でも家族でも支援者でもぜひ対話してみてください。私たちも対話するため訪問します。

田辺佳代子 訪問専門 いまここ診療所

https://imacococ.amebaownd.com/

佐久穂町立千曲病院内科(心療内科)非常勤医師

国際認定ラクテーション・コンサルタント

NPOまんま https://npo-manma.amebaownd.com/

Nobody's Perfect日本センター認定ファシリテーター

子育て支援員利用者支援専門員

笑いヨガティーチャー

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子どものいのち・医療 事例5

電話相談からみた「子どもの悩み」 現状と課題

社会福祉法人 長野いのちの電話 事務局長 西澤 聖長

西澤 聖長さんの顔写真

はじめに

社会福祉法人長野いのちの電話は、「自殺予防」を使命として1994年4月に長野市に開局しました。

今年が25年目になります。さまざまな人生の危機に直面している人や、孤独のなかにあって助けを求めている人々に、電話を通して“良き隣人”としての対話を目指すボランティア活動です。

いのちの電話は、1953年イギリスに始まり、日本では1971年に東京で開始されました。当時は通信手段も今日ほど発達していなかったので、電話によるボランティアでの相談機関としては、唯一のものでした。従って、心に危機を感じている人は誰でも気軽に相談することができたのです。今日ではさまざまな目的別の相談機関が多く開設されています。

電話相談の実態

過去24年間の相談件数は、約20万1千件で其の内20歳未満は1万余件、相談件数の約5%となっています。2012年から統計方法の変更により、若干変わってきておりますが過去7年間で見ると平均で5.6%になります。しかし、この頃からコミュニケーションツールの多様化により、電話による相談件数に占める、子どもたちの割合は年々減少化傾向にあり、2012年の8%から2017年の4%と顕著であります。具体的には、家庭用電話、携帯電話による相談から、メール相談、SNSを使った相談へと大きく変化しているようです。この件に関しては、後でふれたいと思います。

長野いのちの電話での、昨年1年間(平成29年1月から12月)の相談実態を図1に示します。

相談件数は7,992件(男3,737件 女4,255件)で、相談は、男性よりも女性の方が多く相談内容が特定できるものでは特に顕著となっています。

人生の生き方に関するもの、精神・心の病、家庭問題等々。女性の方が男性に比べて、自分の思いを他者に伝えることが上手と言うことでしょうか。

図1 男女別内容別相談件数

縦軸に相談件数 横軸に相談内容が書かれているグラフ

このことは自殺予防の面からも大きく効果として表れているように思われます。昨年の自殺者人数が、警察庁から発表されました。自殺者数21,140人(男14,693人、女6,447人)です。男性の自殺者数は、女性の約2.3倍となっています。男性は、他人に心の内を明かすことが得意ではないのです。プライドが邪魔をしているのでしょうか。

子どもたちからの相談の実態

つぎに子どもたち20歳未満からの相談について考えてみましょう。昨年1年間の相談件数(7,992)のうち20歳未満からの相談件数は310件(男258件、 女52件)となっています。子どもたちからの相談では、前述の女性優位が当てはまりません。

図2に20歳未満者の内容別相談件数のグラフを示します。相談内容から見ると、家族との関係、その他に分類されることが顕著に表れています。

図2 20歳未満相談件数

縦軸に相談件数 横軸に相談内容が書かれているグラフで、20歳未満のみのグラフ

・家族に該当する内容では、近親相姦34件、不満17件、虐待8件、その他32件となっています。

・その他に該当する内容では、セックス電話71件、その他21件、ひと言6件となっています。その他の中には、攻撃電話も含まれています。

図3に20才未満の学業別グラフを示します。

図3 20歳未満学業別相談件数

20歳未満で学業別になっているグラフ

小学生7件、中学生37件、高校生158件‥圧倒的に高校生男子からの相談が多く、子どもたちからの相談件数(310件)の49%を占めています。

・家族・近親相姦での相談では、母親との関係で悩んでいる相談が多く、やめたいのにやめられない。あるいは、母が再婚で義父の連れ子との関係に悩む相談が挙げられています。ひとりおや家庭の中での子どもたちの悩みが浮かんできます。

・その他に多く見られるのは、相談員から見るとセックス電話です。中には、自分の身体的変化と心の不安定さを訴えてくる相談もありますが、ごく一部です。「相談」と言って訴えてきますが、話の内容は、「性的描写」が多く、相談員からは「聞くに堪えない」となるのです。相談してくる時間帯は、午前中から午後、夜半まであまり変化はありません。相談時間は平均で20分程度となっています。

相談現場における「実態と課題」

思春期にある子どもたちの悩みに、真剣に耳を傾けようと、相談電話の前に座った相談員。受けた途端に前述のような相談が入ってくると「『自殺したい』の電話でなくてほっとした。しかし、何か悲しい気持ちになる。」と言います。

「性描写」を頻繁に口にしてくる、このような電話を受けた相談員の気持ちは「自分が恥ずかしくなってくる」、また「悩み相談」として一生懸命に聴いたあと、セックス電話だと感じたとたん「『騙された!悔しい』気持ちになり、そんな自分にイライラしてくる」と心の内を述べています。中には、「セックス電話」と思いつつも、相談者の悩みに1時間も耳を傾けたものもあります。感謝のことばで終わることもあれば、相談員がひと言話しただけで、切られるケースもあります。20代未満の子どもたちにとって、「性」に関しては一番の関心事。しかしながら、おおっぴらに口に出したり、人に聞いたりもできない。悶々とした心のおき場がないまま、一人悩んでいる姿が浮かんできます。

昭和生まれの子どもたちは、仲間も多く、まだ友だち同士で聞いたりできたものです。しかし、今の子どもたちにはそのような場所がないのです。

相談員に「自分の子どもからの相談だと思ってもう少し広い心で聴いてみたら!!」と望んでみても、多くは女性の相談員で、これらは「一種の犯罪行為」と言えなくもありません。社会に氾濫している「いじめ」「セクハラ」「痴漢」などは、受けた側の取り方で犯罪にもなるのです。「セックス電話」を聴くことによって、「セックスコーラー」を依存させてしまう危険性もあります。「悩みの電話?作り話?」と本当に悩んでしまう相談員は今日も「相談電話」の前で待機しています。

「子どもの悩み」にどう応えるか

日本の若者たちの死亡原因1位は「自殺」となっています。これは平成27年度統計の値からですが、10代後半から35歳までの死亡原因1位に「自殺」が上がっているのです。学校生活での悩み、親とのトラブル等々悩みは尽きないようです。

未成年者は言語表現力や対人スキルが成熟していないために、悩み等を適切に伝えられないのです。子どもたちの気持ちに寄り添い、時には積極的に介入して気持ちを上手に聞き出す必要があります。相談者との「波長」を合わせたおとなの対応が求められています。

「相談したいことが…ちょっと言いづらいんですが…」と、次のことばがなかなか出てきません。そんな時「悩みは何?」と言ってみてもかみ合わないのが現実です。「そう、言いたくないこともあるよねぇ」と待つ姿勢が求められるのです。

最初にもふれましたが、子どもたちには、電話離れが起きています。携帯端末機を使ってネット上で友だちや知らない人と繋るSNSと言われる通信手段が主流となっているのです。

昨年9月に長野県が実施したLINEによる悩み相談には547件の相談があったそうです。いのちの電話においても、若者たちからの相談は、電話による相談よりも、メール相談が増加しています。「深刻な悩みは、電話でないと、気持ちは伝わらない」と、懸念を抱いてはいましたが、子どもたちに伝わらないのであれば何の効果も見出せません。時代のニーズに合わせた手段で、私たちも子どもたちと向き合っていかなければならないのです。しかしこのSNSも何年続くのでしょうか。子どもたちの自殺者がゼロにと願うばかりです。

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子どものいのち・医療 事例6

多様な性への理解と共生 アイディンティティークライシスと再生

性教育研究協議会長野サークル 田村 綾乃

田村 綾乃さんの写真

はじめに

私は性同一性障害(GID)の当事者です。1957年に木曽で長男として生まれ育ちました。ここで語ることは個人的なことであり当事者すべてに共通することではありません。

性教育研究協議会の会合に参加して講演活動を行なうことで今を生きる子どもたちのことが少しわかるようになりました。さまざまな事例や講演への感想から、息苦しさを感じている子どもたちが多いことに戸惑いました。そういう子どもたちは信頼関係を持てず安心できる空間がない、家にも学校にも教室にも居場所がないと感じているのではないか。そんな風におもんばかってしまうのは私の抱えてきた問題と体験に通じることがあると考えています。

私の体験から考察するしつけと心理的虐待

私はしつけとは社会・集団の規範や規律、礼儀作法など習慣に適合した生活態度を身につけさせるために訓練すること(動物への調教という意味も含まれる)、生活全般に根差して根源的な事柄にまつわることを教えることだと考えています。

私の場合、親のしつけは「お前は長男だから」という言葉から始まりました。私は性別(男)と後継ぎという役割を強く意識させる意図を感じました。5歳くらいの頃に床屋さんで「女の子みたい」と言われたことがありました。私にとって女の子だと言われることは自然に感じましが、親にとって長男が女々しいと言われることは屈辱だったと思います。「お前はどうして…なの」と立ち居振る舞いや態度などを批判されました。親の期待する長男らしさとかけ離れていたのです。「お前は長男だから」と言われ「男らしくしなさい」と言われるようになったのです。そして「恥ずかしい」という言葉が頻繁に使われるようになるのです。

小学生になる頃には親の期待に応えられないと感じていました。それまでほめられたことがなかったことに加え「恥ずかしい」と言われ続けたことで自信を失い他人を恐れるようになるのです。それでも好奇心旺盛な私にとって小学校は楽しいところだと思っていました。しかし教師からしつけの悪い子どもだと思われて個人的に特別扱いされるのです。時には教師に無視され、教師の指導の下でクラス全員から無視されたこともあったのです。この時から教師やおとなを敵視し、児童への不信感が芽生えたのです。そしてこの頃から、学校に行くことは罰を与えられているのだと感じたのです。

10歳になる頃にある事件が起きて私が悪者にされたことがあります。謝罪を求められ、他者を尊重しろという趣旨のことを言われたことがあったのです。しかし私が尊重されない状況で他者を尊重しろとは不公平だと感じたのです。その時に数の力を知り、孤独の無力さを痛感して不本意でも目立たぬように振る舞うようになるのです。授業には集中せず本を読むこともあったのです。そういう私を無視する教師もいたのです。小学校生活では人間関係の機微を体験できませんでした。私と関わった人から私の記憶を消してしまいたいと思うのです。どこか遠くへ行きたいと考えるのです。教師に疑われ嫌われたまま卒業したので、私には懐かしく感じる思い出がないのです。虚しい6年間です。

親は私が10歳の頃からしつけが手ぬるいと感じたようです。蔵に閉じ込められることや、冬でも玄関に立たされたこともあったのです。自らを省みることはできず、罰を与えられることへの恐怖で顔色ばかり気にしたのです。そして「お前は人の顔色を窺う根性の悪い人間だ」と言われたのです。恥ずかしいと言われ続けて一度もほめられたことがなかったので親から嫌われていると感じたのです。この頃から心を閉ざし感情のスイッチを切るようになったのです。心を閉ざすとは、言葉を発しないだけでなく言葉を聞き取れないのです。騒音の中でも会話が成立するのは高度な脳の働きで音を処理しているからですが、心を閉ざすと言葉が雑音として処理されるのです。さらに感情のスイッチを切ると言葉に反応できないのです。意味はわかっても心が動かなければ言葉も表情でも表現できないのです。そういう時、自分はおかしいと感じます。しかし自分の殻に閉じこもり空想の世界にいる時だけ心が平穏だったのです。

子ども同士での力関係は特技を持っていることが重要です。私は年齢に似合わない本を読み、知識は他の子どもよりあったのです。知識も武器になると知った時に少しだけ自信が持てたのです。中学生時代も教師から変人扱いされ、嫌われていると感じていたのです。しかし生徒の中に一人だけ私を信じてくれた人が居たことで救われたのです。

アイディンティティークライシス(自己同一性の喪失)

何をしても自分らしいと感じられない、自分は何者なのかわからない、生きていることの意味がわからない、生きて行く自信がないなどと表現することがあります。私の場合は30年以上男性として生きてきました。周囲の理解する人物像は本当の私ではないという思いがあったのです。しかし隠していなければ平穏に暮らせません。偽りが本物になっていく、他人に自分が乗っ取られてしまうような状態です。何が間違いで何が本物なのか区別できません。またそういう状態を自覚することもできなかったのです。意味のわからない不安だけを抱えていたのです。

代謝するアイディンティティー

ジェンダー転換を決意したのは病気で死を覚悟したからです。40歳を迎える頃に埼玉医科大学の報道から自分の抱える問題がわかるようになったのです。そして私が奪われたものを取り戻したいと思ったのです。

通院を始めたころは電車で相席になった人から励まされるばかりでした。「あなたは若いから、結婚して子どもを産みなさい」と言われることが多くて複雑な心境でした。通院が2年になる頃には立場が逆転していました。「あなたと話せてよかった。力をもらいました」などと感謝されるのです。自分に何が起きたのかわかりませんでしたが本当の自分らしさを取り戻しつつある証拠だと考えたのです。そしてこれで良いのだという確信を得たのです。アイディンティティーは他者の認識や評価によって担保されて形成されるとわかるのです。

人は集団に帰属したいという欲求があります。アイディンティティーが安定しないとさまよってしまうのです。自分探しと言う言葉を発する人はアイディンティティーに何かしら不安を感じていると思うのです。

体が新陳代謝し健康を維持するように、アイディンティティーも代謝するのです。経験を重ね年齢を重ねるたび、無自覚であっても絶えず変化するものです。自身の変化を受け入れられないと内面的に葛藤が生じます。老いを受け入れられないなどは良い例です。

心理的虐待の後遺症

去年の秋に母が他界しました。私は母の死を知っても何も感じなかったのです。幼いころから親子の情愛の機微を体験できないまま育ってしまったからです。私は人の感情を察知する感覚が鈍化しています。そして自分の感情を表現することが苦手です。また言葉を正確に聞き取れないこともあります。評価されることを不快に感じます。一見すると普通に見えてしまうことで不利な場面があります。人が無意識でしていることでも知性を働かせて分析し理解します。普通の人に比べると反応に時間がかかるのです。こういう特性を自覚し適応する努力をしたのです。ジェンダー転換後は自分らしさに確信を持っています。今では親兄弟から疎まれたことも含めて、批判されても差別されても自信をもって生きられるのです。

最後に

人は集団に帰属することで心の安定を得ます。無条件に帰属できる最小単位としての家庭があるのですが、恵まれない人もいます。不幸な育ちをすれば精神的にそれに応じたハンデを背負います。しかし否定も肯定もせずにニュートラルな立場で接する人がいれば再生できるのです。ニュートラルとは立場が振れないことが条件の一つです。支援の必要な人はとても敏感なのです。子どもたちは常に評価され、ふるいにかけられています。自信をなくしてゆくことは必然です。私は自信を失った子どもたちに蘇生する力を与えてやりたいと願っています。求めれば必ず味方に出会えることを知ってほしいのです。SOSを出すことは重要なスキルだと考えています。粘り強く強くしたたかに生きる力です。

おとなでもなく教師でもなく、一人の人間として接してくれる人を求めていた子ども時代を思い出しながら綴ってきました。

今の私は身近な人に無条件で寄り添うことが生きている実感です。自分が求めたことを与える立場になれたことに感謝して筆を置きます。

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子どものいのち・医療 事例7

自己肯定感を再び!! 楽しく元気が出る性教育にするために

うごく保健室 吉田 アイ子

1 産道をくぐりぬける高校生は圧巻です!!

性教育の授業に出向く学校の様子は、授業が成立しないような騒がしい状況の小学校であったり、警察が入るような性の問題を抱えた中学校であったりしますが、性の授業はみんな興味があって一生懸命に受けてくれるので、子どもの様子はとても良いです。

授業で扱う内容は、単にからだのメカニズムを学ぶのではなく「人と人がどのように関係を作ってきたか・将来、自分が人とどのように関係を作っていけばいいのか」を考えることができる内容を盛り込むように心がけています。胎児から100歳までの人生テープを床に広げ、そこに赤ちゃんの時の写真から親子の写真・兄弟・友だち同士・恋人・夫婦の写真など30枚ほどを並べていきます。人間は一生人と関わって触れ合っていることを実感できます。

触れ合いを学ぶためにさまざまな教材を提供していきます。たとえば、お母さんのお腹の中にいる胎児の絵を提示します。胎児の皮膚はお母さんの子宮壁に密着していてそこで約260日いますが、この時が一番心地よかったのです。その感触を皮膚が覚えていて『皮膚は記憶する袋』とも言われています。子宮から出てしまった私たちは、この時の感触を味わいたくて人と触れ合うのです。

もう一つはふれあいアンケートの実施です。「好きな人と手をつないだり抱きしめてもらいたいときはどんな時ですか?」という質問では、「さみしい時」「悲しい時」「怒られた時」などの選択肢を、「好きな人に手をつないでもらったり抱きしめてもらうとどんな気持ちになりますか?」という質問には「安心する」「元気が出る」「生きていて良かった」などの選択肢をあげ、該当するもの全部に○をしてもらいます。誰が答えたのかわからなくするために、回収したアンケートを子どもが見ている前でシャッフルし、もう一度配ります。手元に来たアンケートを見ながら黒板に貼られた表に子どもがシールを貼っていきます。子どもが見ている前でアンケートの表ができあがっていき、触れ合うことの大切さを子ども自身がが再認識します。

ほとんどの子どもが虐待を受け、施設に入所している小学3年生から高校3年生の子どもたちに、「もう一度自分ってすごい!」という思いを呼び起こしてもらいたくて【自己肯定感を再び!!】というテーマで産道に見立てた手作りのマットレスをくぐる授業をしました。母親に「もう生まれても大丈夫」というシグナルを送ったのは胎児(自分)だということ、指をしゃぶってお乳をのむ練習をしたり、羊水に浮遊している剥がれた皮膚や老廃物を飲んでろ過して尿で出しながら羊水を綺麗にしたり、今の私たちがくぐれば死んでしまうくらい狭い産道を通り抜けてきたこれらのことを伝えることで、胎児(自分)の凄さに改めて気づいてもらう授業です。親に産んでもらったのではなく自らの力でこの世に生まれてきたという自己肯定感を再び呼び覚ます学習です。

高校生の男子の大きな体が本当に通り抜けられるだろうか…と私も心配になりました。なかなか通り抜けられずマットレスごと引きずられていきそうになりながら必死に押さえて、やっとの思いで産道をくぐった様子は圧巻でした!子どもの中には自然分娩だけでなく帝王切開で生まれた子どももいますが、基本の出産で胎児の凄さを学べたらと考えました。これから先の人生で二度とこのような体験はしないでしょう。活動を通しておくと、記憶にもしっかり残ります。「通っている学校でも同じことを学習したけれど、何度やってもとても楽しかった」と感想に書いてくれていました。

2 今の子どもの様子はどうなのでしょうか

学校では、たくさんの子どもたちが集まり一緒に生活するからこそ見えてくる子どもの実態があります。

子どもは正直と言いますが本当にそうだと思います。 ある小学校では「2年生が図書館にある本の中で性交の絵を見てお前もやったんだろう…と言って笑っている」「友だちの上に覆いかぶさりセックスの仕草を真似してみる」

中学校では「SNSでつながり交際相手に言われれば裸の写真を送ってしまう・県外の人と会ってしまう」…など、子どもは大変な状況におかれています。

中学生で「彼女とセックスをしても射精ができないがどうしたらよいか?」と相談があったかと思えば「聞いたことはあるけれど、性交ってなんですか?」と質問する生徒もいます。

また、親と子どもに話をする機会に恵まれてこんなこともわかってきました。3歳の子どもが参加してくる親の会に招かれて「からだの話」をする場面があり、子どもに「自分が触られたり見られたりしたら嫌な場所はどこですか?自分で色を塗ってみましょう!」と提案してみました。色塗りは親に手伝ってもらいましたがちゃんと自分のプライベートゾーンを塗ることができました。

子どもは年齢を問わず、おとなが正面を向いてしっかり聞いてみれば答えてくれるのです。見くびってはいけません。

子どもたちと関わってきて子どもの知りたいことは【性器】【性交】だと感じます。おとながきちんと答えていけば「そうなんだ」と納得し、その後は何の問題も起きません。ほとんどのおとながきちんと答えられないから私たち、おとなに知りたいメッセージを突きつけてくるのです。ですから子どもの性行動の実態がどうなのか、知る必要がおとなにはあるのです。

3 養護教諭の仲間と進めてきたこと

長野県は全国でも唯一、青少年健全育成条例を持たずにきた県でした。しかし、青少年が関わる性に関する事件が後を絶たないために平成28年7月に「子どもを性被害から守るための条例」を長野県が公布し、11月から施行しました。阿部知事は条例を公布するまでに一年間の期間、県民に呼びかけ意見を言える場を各市町村で設置して県民の声をくみ取ってくれました。

お陰ではじめの条例文には盛り込まれていなかった【性教育の充実を図る】という文言が入りました。このことはすごく大きな成果であると仲間と喜び合いました。

29年度は仲間と県下の小中学校に出向いて性教育の授業を実施することができました。

性教育の必要性をわかっていても、日常の多忙からなかなか性教育を実施するところまで動き出せずに悩んでいる学校も多くあります。

出向いて授業をすることが性教育に取り組むきっかけになり、その後は忙しいと言いながらも授業を進めるようになった学校もあったり、出向いて授業をすることが決まると、行くまでに学校が授業を進めてくれたりするなど、良いきっかけになるようです。

4 やっぱり、一番問題なのはおとなか…

文科省はいまだに「性器の名称は扱わないこと」「性交という言葉でなく性的接触ということ」と、性教育の授業に対して制限をしています。たとえば産道をくぐる授業の場合も「性器」を教えなければならなくなるので教えないでほしいことになっています。小5の理科で受精は扱っても、精子と卵子がどのようになって一緒になるのか…の性交は扱ってはいけないというのです。

別々の体にある精子と卵子はどのように一緒になるのか?という質問が出ることは当たり前で、どの学校の子どもたちも同じような質問をしてきます。人間の誕生に関わる科学的な事実を教えてもらえないのは不幸なことです。子どもの知る権利をないがしろにしていると言ってもよいことだと思います。

性教育こそ文科省の役人が受けなければならない必修科目ではないでしょうか。他教科ならきちんとわかるまで説明してくれるのに、なぜ性教育だけ制限されるのでしょうか?それはおとなが説明できる力がないからです。そのことをごまかすために語れない領域を教えてはいけないと決めているのだと思います。しっかり語れる教師がいて、子どももしっかり学べていけば学級も変わり学校も変わってきます。もちろん教職員集団もいい関係になっていきます。性教育に関係のある部署の県保健厚生課も、30年度から学校の教師を対象とした性教育の研修を10校で実施するために、協力してくれる人の名簿作りに動き出しました。県保健厚生課に働きかけて10年くらいは要したと思います。大きな成果だと言えるでしょう。

とにかく今の課題はすべてのおとながあらゆる場所であらゆる機会に性を学ぶことが必須だということです。そのために伝え続けていく努力をしていきたいと思います。

うごく保健室 〒384-2205佐久市春日2747-1

TEL・FAX 0267-53-2780 携帯 090-8595-8399

E-mail qool-ash.aiko☆docomo.ne.jp

Yoshida.aiko☆cameo.plala.or.jp

連絡をいただければ指定した場所に可能な限り駆け付けます。自宅に来ていただいても構いません。

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子どものいのち・医療 事例8

国際セクシュアリティ教育

川中島の保健室 白澤 章子

白澤 章子さんの写真

ユネスコの指針「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」

2009年ユネスコは、「性教育国際指針」を全世界に向けて紹介しました。これは、学校と教師、健康教育に関わる人のための実証的な証拠にもとづくアプローチです。この指針が出された背景はHIV、エイズの問題があるからです。

私は、ユネスコが性教育を世界的な視点で「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」という本として示したことの重大さを多くの方にお知らせしたいと思っています。この指針を翻訳された一人である埼玉大学の田代美江子先生の著書を参考に記しました。

若者の状況

性教育が必要な理由は、若者が置かれている状況にあります。1つは、多くの若者たちが性的な生活に向けての十分な準備ができていないことによって、HIV,エイズをはじめとする性的虐待、性的搾取、予想外の妊娠などにさらされている状況です。また、若者は、おとなに近づくなかで、性についてのオープンな議論が必要なときに、親や教師を含むおとなたちが沈黙し眉をひそめることによって悪化します。その一方でインターネット等のメディアからの性情報を得ている状況があります。

効果的な性教育

効果的な性教育は、適切な時期に、それぞれの文化に関連した科学的で正確な情報を提供することです。エイズ予防についても重要な役割を果たすことになります。

効果的な性教育プログラムとは

・誤った情報を減らす。

・正確な知識を増やす。

・性に対する肯定的な価値観や態度とは何かを明らかにし、それを強化する。

・知識や価値観のうえに、正しい情報に基づく決定と行動選択のスキルを高める。

・親や信頼できるおとなのコミュニケーションを進める。

・性的関係を持つことを避けることやその時期を遅らせることができる。

・しばしば起こる危険な性行動を減らすことができる。

・セクシュアルパートナーの人数を減らせる。

・性交による無計画な妊娠や性感染症を避ける方法を使えるようになる。

学校の性教育

指針は、学校や教師に情報を提供するものです。指針では、性教育が学校で行なわれることの重要性についても強調しています。学校は、性的に活発になる前の多数の子ども、若者たちに、性について学ぶ重要な機会を提供できる場です。おとなへの移行期に、性的生活を含む社会生活において責任ある選択をするための適切な知識とスキルを身につけることは重要です。彼らがまだ学校に通っているときこそ、性と生殖に関する健康についての教育の機会が保証されることは極めて重要だというのです。

性教育の目的

性教育の中心的な目的は、子どもや若者たちが、性的、社会的関係のなかで、責任ある選択をするための知識とスキルと価値観を身につけるということです。

指針は、性教育プログラムの課題として次の4つをあげています。

1 知識と理解を増進すること。

2 感情、価値観、態度について説明し、明らかにすること。

3 スキルを発達させ強化すること。

4 リスクを小さくするための行動を促進し、継続させること。

HIV、エイズの問題を視野に入れるとき、無知や誤った情報が致命的になり得るという意味で、性教育は、教育と保健衛生部門・機関の責任だとしています。従って、性教育を実践する責任のある学校の教師もまた、両親、コミュニティと協力して、子どもたちと若者の保護と幸福を実現していく義務を負っていると述べられています。

2018年長野の子ども白書の注目すべきテーマのなかで「学ぶ権利を保障する」に該当することです。

日本で翻訳されたのは8年後だった

2009年にユネスコが「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」を提示しましたが、日本政府は翻訳しませんでした。一般社団法人“人間と性”教育研究協議会本部幹事である4人の方が日本語に翻訳して2017年に日本語訳、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」ができました。これは、本来文科省がこの「指針」の内容を押さえるべきであり、性教育を実施する責任があります。

また、性教育を実施することは学校の責任であり、教育全体のなかの主要な部分であるというのが、ユネスコの示す性教育の位置づけです。

性は多くの人々にとって人生の重要な部分

WHOによると、思春期は、少年少女の身体的変化と同様に、社会化していく重要な時期です。性は多くの人々にとって、喜びや快楽の源であり家族の始まりです。さらにそれは、健康や社会のネガティブな面を含むことです。若者が、性に積極的になる、ならないに関わらず性教育は、健康でより安全な性的、社会的関係のための前提条件となる相互関係、平等、責任、尊敬といった価値の獲得とその強化を優先するものだとしています。しかし、残念ながら、すべての性的関係が合意ではなく、レイプといった強制も起こります。

若者のHIV、エイズの状況

WHOによると、2008年の段階で、550万人を超える若者がHIVに感染しています。その3分の2がサハラ以南のアフリカに住んでいるといいます。新たに感染が見つかった人の内、約45%が15から24歳です。世界的な範囲で、HIV感染者の50%が女性ですがサハラ以南のアフリカでは、この割合が6割にも及びます。

サポートや治療の改善によって、HIV感染している若者がより長く生きられるようになったように見えますが、そうした若者にとってHIVと共にポジティブに生きるために、まだ大きな問題があります。

それは、HIV感染者であることを打ち明けることや差別に関することについて議論する機会が大切なのです。多くの感染者が、パートナーにどのように話したら良いかわからない状況があります。

2007年の段階で、何らかの形でHIVに関する教育を受けている若者は、世界中でわずか半数と報告されています。

若者のニーズ

若者が性的に活発になる前に、性教育を保証していくことが大きな課題であると指針で述べています。また、貧困や差別の問題と関わって、弱い立場に置かれている若者のニーズは特別に考慮されなければなりません。

2018年には、改訂版が発刊された

世界中で「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」が翻訳され、日本ではやっと2017年に翻訳されました。ところが、今年2018年には、もう改訂版が出されました。

こちらの翻訳をぜひ文科省で行ない、「指針」の内容を押さえてもらいたいものです。そして、性教育を実施する責任へと進めて欲しいと思います。「性教育を学ぶ権利を保障する」ということを再度訴えたいと思います。

<参考文献>

『「性教育国際指針」を読む』田代美江子(埼玉大学教員)

季刊セクシャリティ59から62

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子どものいのち・医療 事例9

発達障がい支援の現状と課題

信州大学医学部 子どものこころの発達医学教室 精神科医 樋端 佑樹

樋端 佑樹さんの写真

はじめに

私は共感性が強い一方で、好奇心、多動性、衝動性が強く、ひらめきすぎる人間のようです。その特性を活かすべく、診療や地域活動を続けながら、大学院生として、児童精神科の診療を学びつつ研究する機会をいただいています。子育て支援や教育、福祉、行政などの現場に赴かせていただき、職種職域に限らず熱い思いをもって活動している方々と出会うことができました。本稿では特に発達障がいに関して、気づいたことや考えていることを述べさせていただきますが、地域での実践や研究活動を通じて人々の思いを紡ぎ社会を良くしていきたいと思っています。

職種、職域、分野を越えた協業のために

まず、医療、教育、福祉、行政の壁をこえての協働、特にそのなかで医療の役割についてです。医療だけでは解決できない多問題ケースと格闘し、可能な限り現場に赴き、多職種での事例検討会やケア会議に参加するなかで、職種、職域ごとでできることや文化の違いを肌で感じています。医療(特に医師)が業務を独占しているのは診断や薬物療法という事になるでしょうが、家族の精神状態も含めた医学的なアセスメントをし、長いスパンでみた、診たてと今できることをお示しすることとともに、地域社会と協働することも大切な役割と思うようになりました。また医療のなかでも、専門医と非専門医、小児科医と成人の精神科医などの間のトランジション(移行)についても、それぞれの役割、得意なこと、苦手なことをお互いが知り、冗長性(のりしろ)をもって支援を行なえるようなシステムが必要です。

年齢別の集団主義から個別の発達主義へ

精神科診療では、発達障害がベースにありながら必要な支援が受けられず不適応をおこし不登校や抑うつ、行動化などの二次障がいをきたしたケースにしばしば遭遇します。必然的に予防的な介入にも関心をもつようになりましたが、通常からの偏位をピックアップして介入するアプローチだけではなく、子どもの多様性を尊重したまま育てる文化も重要と思うようになりました。一般の子育て支援施策と障がい児の施策、教育と特別支援教育が一体的、連続的に分け隔てなく運営される日を夢見ています。

学校教育では年齢で輪切りにし、平均的な子どもにあわせたカリキュラムで、学力という物差しで図る方法がまだまだ主流です。しかしそのペースや枠組み、物差しにあてはまらない子どもは、自己肯定感、自己効力感をもつことができず、それが不登校や将来の二次障害につながります。どの子どもにも本人の特性や志向、学習スタイルなどを考慮した多様な教育環境が保証されることが必要です。

家庭で、学校で、そして社会で「どうして問題行動を起こすのだろう」から、「この子は何を楽しめるのだろう?」というように視点を変えることが求められています。

アフタースクール施策と余暇活動支援を

発達障がいがあっても、他者を尊重し苦手な部分は他者に上手に頼り、のびのびと気持ちよく生きている人がいる一方で、社会に居場所や役割が見つけられず、二次障害をきたす方がいます。その違いはどこから来るのかということを常々考えていたところ、ある哲学者の「人を見ていると、好きなことをしている人は人間的に柔らかくて、とても気持ちがいい。一方、満ち足りていない人は、他人に害を加えるんですよ」という言葉に出会いました。

こだわりの強いASDの人も、刺激をもとめるADHDの人も、何よりもまず自分の自由になる時間やお金で自分が興味関心のある好きな活動が存分にできること、それが一般的なものでなくとも他者の権利を侵害しない限り周囲からも保証されることが大事です。それがたまたま誰かの役に立ち世間に認められ、仕事になるかもしれないし、ならないかもしれない。でもそれがあれば少々思い通りにならないことがあっても乗り切れるし、幸せな人生でしょう。学業や就労支援よりもまずこっちを優先すべきと思います。

しかし好きなことを見つけ余暇活動を続けるのにも支援が必要な人もいます。学校と一体化した部活動だけではない機会や場を、経済状態や発達特性に変わりなく保証されることが必要です。

思春期、青年期のユースワークのネットワークを

高校年代での社会からの脱落は支援のはざまにおちいりがちです。一方で自分で選んだ、あるいは縁があった高校や大学での良い体験は生涯の宝物になります。発達障がいがあったり、家庭環境や経済状態が恵まれないなどのリスク要因があっても、学校が保護要因として機能すれば社会で生きていく力をつけることができるでしょう。地域で職種や職域、学校の枠を超えた思春期から青年期の支援のネットワークをつくり、プラットフォームとしての学校の機能を高めるとともに、学校教育からこぼれおちた生徒をレスキューする仕組みも作っていきたいものです。

知的障がいを併存するケースにも光を

知的障がいをともなわない軽度の発達障がいへの注目があつまる一方で、知的障がい群への関心と支援体制が手薄になってきているように思います。特に、他人を巻き込んだこだわり、激しいパニック、自傷や他害行為のために居場所を失い家族で抱えざるをえなかった強度行動障がいとよばれる群への支援はまったく足りていません。安定した成人期を迎えるために早くから構造化や視覚支援など基礎的な環境整備を徹底し、意思決定支援、性教育、余暇活動支援、権利擁護、権利行使の支援なども丁寧におこなっていくことが必要です。地域の支援力向上を図り、相談支援、行動援護、危機介入などの支援を充実させていく必要があります。

家族、きょうだいへの支援の充実を

障がいのある子どもがいる家庭では、特に母親はその子にかかりっきりになることを求められます。父親も孤立したり、きょうだい児もケアに駆り出されたり寂しい思いをし、家族も社会から孤立します。親も人付き合いが苦手だったり、余裕がなかったりで家族会などの活動も低調で新たな参加者も少ないと聞きますが、家族当事者やきょうだいのピアサポートやメンターとのゆるやかなつながりをSNSなども活用して作れればと思っています。

ピア活動、セルフヘルプグループ活動の推進を

合理的配慮や支援が行き渡っても、自閉スペクトラム症の方が最後に残る問題は孤独感だといいます。発達障がいがあるとライフステージを通じて、また生活上のさまざまな困難があります。当事者性を持つ支援者とともに、青年期から成人期を中心とした当事者のグループを定期的に開催しさまざまな情報や生活上の工夫を共有する場を試みていますが、ニーズは高いと感じています。各地でこのような場があることで気づきと癒やし、仲間がえられる居場所を増やしていきましょう。

おわりに

近年、発達障がいについてメディアでもたびたび取り上げられ、法も整備され、行政主催の講演会なども数多く開催されています。しかし診断名だけでステレオタイプでとらえられたりするなど今ひとつ理解されていないことも多いと感じます。発達障がいは早期発見早期介入して社会適応を目指して療育を施し(医療モデル)、改善が難しい部分には理解と支援が肝要(社会モデル)という議論の方向に傾きがちです。しかし、諸外国では周囲の人も含めたマイノリティーのメンタルヘルスの問題ととらえられてきているようです。その際に大切になるのは、だれもが当事者である自分の体験や考えをオープンにでき、社会の中での双方向の対話が成り立つことでしょう(障害の文化モデル)。対話がない社会はたまたま多数派の側にいる人が、さまざまな場面で突然少数派になった際に自己責任と差別され苦労を強いられる社会です。そんな社会は変えていきたいと強く思います。

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子どものいのち・医療 事例10

生きづらさを抱えた若者たち

松本市こども育成課 まちかど保健室 後藤 裕子

後藤 裕子さんの写真

1.はじめに

日本人の自殺者が毎年3万人と報じられて大きな社会問題になっていました。ところがここ3から4年自殺者の数は減少してきているものの、一方で若者の自殺者が増えているという深刻な状況も起きています。まちかど保健室の相談件数からも、それまでは性に関する相談がトップだったのを抜いて、今は若者たちからの心身の相談が目立って増えています。なぜ若者はこんなにも生きづらいのでしょう。

2.暴力は子どもの感性をつぶす

新開さん(男性)は今26歳です。中学生のときクラスから仲間はずれ(いじめ)にあって不登校になりました。しかし家も居心地が良かったわけではありません。というのも、新開さんは幼少のとき、同居していた祖父から叩かれたり、汚いことばを浴びせられるなどの暴力を日常的に受けていたようです(虐待だと思うのですが)。そこには父親も母親もいたようですが、かばってはくれなかったようです。怒られる自分が悪いのだと思うようになり、怒られないようにいつも祖父の目を気にしながら生活をしていたようです。

その祖父も亡くなって、怒る人もいなくなったと思っていたら、今度は父親が祖父のやっていたことと同様の暴力、暴言を、自分だけではなく母親に対してもするようになりました。「やめろ!」と喉元まで出てきたのですが、まだ小学生だった彼には父親の行為を止める力もなく、黙って我慢をしていました。豊かな感性が育つ幼少期に、心ないおとなから、しかも子どもにとっては最も安心と信頼のおけるはずの家族から、心ないことばや暴力を受けたのでは、豊かな感性など育つはずがありません。

新開さんはその心の傷をずっと引きずったまま中学校に入学します。中学校では、新開さんのように控えめでおとなしく、自分の気持ちを外に出せないタイプはクラス集団から離れて、いわゆる「仲間はずれ」になっていくことがあります。新開さんにとって、教室は居心地のいいところではなかったようです。教室には自分の居場所がないと判断して、学校には行かないと決めました。

3.気持ちに寄り添ってほしかった

家にいても気持ちが休まらないことは、新開さんがいちばんわかっていました。そんなとき、学校から「保健室を居場所にしていい」という連絡をいただきました。新開さんにとって保健室は身近な存在ではなかったようですが、家にいるよりはいいと考えて「保健室登校」をすることにしました。保健室では、周りから見られないように、カーテンが引かれた奥の椅子に座っていたようです。自分からそうしてほしいと願い出たわけではありません。保健の先生の配慮でそうしてくれたのだと思います。

また、新開さんは人と話をするとき、言葉を選んで慎重に一言ひとこと話すことから、自分の気持ちを言葉にして誰かに伝えるのにとても時間を要します。そのような新開さんのハキハキしない態度に苛立ちを感じていた人もいたようです。そんな状況だったせいか保健室登校をしている新開さんのところにはクラスの友だちも、担任も誰ひとり声をかけてくる人はいなかったようです。自分は「嫌われているのだと感じて寂しかった」と話していました。

高校への進学も希望していました。一方で先の見えない日々につらく、不安でいっぱいでした。だけど新開さんの気持ちに寄り添ってくれる人は誰もいなかったと言っています。

だんだん孤独になっていった新開さんが、あるとき、「幽霊がいる」と発したのを、傍で聞いた養護教諭が、新開さんの精神状態に不安を感じて、精神科に連れて行きました。その場で入院となりました。突然の連絡に両親は夕方病院に駆けつけ、医師から病名を告げられ驚かれたようです。

4.初めての友だち

3か月の入院生活となりましたが、通信制の高校に入学することができました。しかしそれも1か月で退学を決めました。その後は家で過ごす日々となりますが、月2回の病院通いは新開さんにとって唯一のふれあいの場でもありました。病院で知り合った患者仲間で、自分と同年齢の野本くんが声をかけてくれたのです。自分にも「声をかけてくれる人がいることが正直嬉しかった」と話していました。野本くんは誰にも気軽に声をかける人で、自分にはないものを持っていて、新開さんはとても羨ましくも感じていたようです。野本君の周りには3から4人の仲間がいて、病院の外でもときどき会って交流を深めあっているようでした。新開さんにとっては複数の人との交流は初めての体験です。患者同士といえども集団への抵抗がなかったわけではありません。野本君に連れられれてまちかど保健室を訪れたときも、新開さんはずっと野本君の後ろにいて、自分から話をすることはありませんでした。それでも新開さんは一人でいるより、人が話しているのを聞いているだけで「ほっとできる」瞬間もあったようです。反面、これまで受けてきた心の傷が深いだけに、自分の気持ちと向き合うことがつらくて、集団から離れたときもあったことを打ち明けてくれました。そんな新開さんの気持ちを誰よりもわかってくれていた野本君は、「無理しなくていいから」といつも気にかけてくれていたことも聞きました。そして「信頼できる友だちです」と話してくれました。

5.語り場としての空間

そんな新開さんから「ひとり暮らしを始めました」と報告がありました。ビックリです。大丈夫かなと思ったのですが、もう生活を始めてしまったのですから後に引けません。困ったことがあったら遠慮しないで「助けを求めていい」ことを約束しました。

そういえば以前、新開さんが「自分は料理を作ることが好きだ」と話してくれたことを思い出して、この機会にレパートリーが増えればいいなと勝手に期待をしてしまいました。新開さんの部屋に野本君たちがときどき集まって就労について考えたり、時には恋愛についても語り合うなど、情報交換の場にしていることを聞き、単なるたまり場としてではなく、自立に向けた「語り場」としての空間になっていることもわかり感動しました。精神面の病を抱えている人は、とかく孤立しがちなことを心配していただけに、誰かとつながる関係づくりはとても大事なことです。自身がうつ病を体験した精神科医の蟻塚亮二氏も、著書で「体験に基づいたアドバイスは、医師の説明より説得力がある。不安や孤立から抜け出すチャンスにつながる」と言っています。野本君たちはそれを実現していたのです。

6.無駄ではなかったひとり暮らし

ひとり暮らしを始めて半年過ぎました。年金だけでは生活は苦しいと話してくれました。よく半年頑張ったと思います。このままひとり暮らしを続けるのか聞きました。家には戻りたくないようです。「どうする?」との問いかけに「働きたいので、仕事を紹介してほしい」と言われました。このころ新開さんは精神状態が不安定でした。それというのも家を出たことで父親が自分のことに少しでも気づいてくれることを期待していたのですが、まったくもってダメだったようです。新開さんの今後のことを考えると第三者的存在の出番が必要ではないかと考えて、「父親と話をさせてほしい」と伝えましたが、「自分で話したい」と断られてしまいました。仕事をしたいと言われても簡単にみつかりません。生活保護の申請を勧めました。親に相談したら「聞こえが悪いから」と言われたようで断ってきました。人並みの生活をする権利として、当然もらっていいものであること、さらに就労につながるための基金でもあることを話しましたが、頑として受け入れようとしませんでした。

野本君たちの知恵も借りながら、何かいい方法はないかと考えていたところ、突如新開さんから「実家に戻ります」との連絡が入りました。「大丈夫ですか?」とメールを送ると「自分なりに頑張ってみます」と返事がありました。

「ひとり暮らしは自分と向き合える時間をもらえた。苦しいこともあったけど、理解しあえる友だちもできた。無駄ではなかった」と、ひとり暮らしを振り返りながら話してくれました。自立にはまだ遠いけれど、いつかその日が来ることを願っています。新開さんの部屋が「語り場としての空間」でしたが、3月からは「まちかど保健室」に移りました。もちろん新開さんも来ます。

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分野 8 子どもと自然・環境

もくじ

これ以降は分野 8のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①信州の自然について子どもに伝えたいこと濵口あかり

②学校登山の現場から 学校登山が環境学習の場として存続していくことを期待して石塚 聡実

③子どもを地質災害から守るには竹下 欣宏

④福島の子どもたちを守るために 保養支援を通して斉藤 純子

⑤資源を循環させる社会づくりを…美谷島越子

⑥長野県における農薬の空中散布について 心配される子どもたちへの健康被害田口 操

「子どもと自然・環境」 あとがき渡辺 隆一

分野 8のリンクは以上になります。

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分野 8 子どもと自然・環境

山の頂上で元気なクマたちのイラスト

子どもと自然・環境 事例1

信州の自然について子どもに伝えたいこと

NPO法人 信州ツキノワグマ研究会 濵口 あかり

濵口 あかりさんの写真

はじめに

「信州の自然」と聞いて、皆さんなら何を思い浮かべるでしょうか。雄大な山々、澄み切った空気、清らかな水、そこに生える植物や暮らす生きものたち…、きっと年齢や性別に関係なく、人それぞれにさまざまな答えが返ってくるのではないかと思います。でもその中には、人によって好ましく感じるものもあれば、好ましくない(いてほしくない)ものもあるかもしれません。

よく、「虫がきらい」という言葉を耳にします。そこに居るだけで気持ち悪い、怖いなど、必ずしも直接的に何かあったわけでなくても、イメージなどで嫌われてしまうパターンです。子どもを持つ多くの親御さんにとって、ツキノワグマ(以下、クマ)も、どちらかというとその部類ではないでしょうか。

やや嫌われものの虫やクマたちですが、実は「信州の自然」にはなくてはならない一部だったりします。虫が色々な植物の受粉に欠かせない存在であることは皆さんもよく知っていることと思いますが、クマも似たような役割を担っていることが最近わかってきています。

今回は、クマを通して信州の自然について少しご紹介したいと思います。親子で自然に親しむきっかけになれば幸いです。

信州の自然とクマ

奥山の動物と呼ばれてきたクマにとって、信州は昔から主要な生息場所であったと考えられます。クマはそのイメージのとおり、身体は大きく、山の中でのんびりと暮らしています。よく誤解されがちですが、肉よりもはるかに多くの植物を食べる雑食性で、葉っぱや草のほかに、果実類(サクラの実やキイチゴなど)や堅果類(クリやドングリなど)を好んで食べています。その大きな身体を保つために広い範囲を動き回りながらせっせと食べものを探すのですが、山で暮らす他の生きものたちもクマと同じようなものを食べて暮らしているので、いつもちょっとした競争が起こっています。もし、そこに限られた食べものしかなければ、クマはそこでは暮らしていけなくなります。言い換えれば、多くのクマが暮らせる信州の自然は、その他のさまざまな生きものも暮らすことのできる、とても豊かな場所だということなのです。

クマは生態系の傘のような役割を担う動物である(クマが暮らせる森は多くの生き物が暮らせる)ということを表した当会のロゴ

さらに、近年の研究によって、クマが森をつくる重要な役割を担っていることが明らかとなってきています。というのも、クマはサクラなどの果実を食べますが、糞の中にその種がたくさん混じっており、結果的にそこから新たな芽が出て木になります。鳥や他の動物よりも遠くまで種を運ぶこともわかっており、自分たちで動けない植物にとっては大切なパートナーのような存在なのかもしれません。

このように、普段は私たちの生活に何も関係ないように見えるクマではありますが、実はさまざまなところで関わり合っているのです。

信州クマ研の取り組み1(基礎情報の収集)

現在では、「クマ出没!」という看板やニュースを目にすることも増えてきましたが、戦時中などには、大量の毛皮や肉などが必要であったため、クマも含めた多くの野生動物が捕獲され、今よりもずっと生息数が少なかったと考えられています。その結果、約25年前には、狩猟者でつくられる長野県猟友会がクマの捕獲を自主規制するとともに、長野県としてもクマの生息状況調査を実施する時代でした。一方、クマの出没などの場合には、市町村長の許可により基本的にすべて「駆除」するという対策がとられてきており、矛盾した状況が続いていました。

この状況に疑問を抱き、科学的根拠に基づく取り組みの実施を目指して1995年に発足したのが、私が現在所属する「NPO法人信州ツキノワグマ研究会」です。当初は、クマの生態や行動を正しく把握するために、調査・研究をメインに活動するとともに、出没した個体については駆除以外の新たな取り組みとして、クマに人里に来ると嫌な思いをすると学習させて放す「学習放獣(またはおしおき放獣)」を実施しました。

また、学習効果や出没個体の行動を把握するために、放獣個体には発信機を装着し、その後の行動を追跡し、結果を整理してきました。このほかにも、農作物被害などが発生しないような対策方法についても効果検証を含めて調査を行なってきました。

信州クマ研の取り組み2(クマに関する普及啓発)

当初は、調査・研究がメインであった私たちの活動ですが、さまざまな情報を蓄積していくなかで、間違った情報が人とクマとの軋轢がなかなか無くならない大きな要因であることがわかってきました。

この状況を改善するためには、より多くの方たちにクマに関する正しい情報を提供し、クマを理解してもらう必要がある、特に、信州で育つ子どもたちに身近な動物としてクマを知り、対処の方法を学んでもらうことは、今後の人とクマとの関わりにとても大切なことだと思われました。奇しくも、ちょうどその頃に長野県内で初めて「クマの大量出没」が発生し、地域や学校関係者の方々からも、クマについての情報を提供してほしいとの要望が高まった時期でした。

どんな内容を伝えているのか

これまでにクマ学習会を行なった学校は、周辺にクマが生息している地域のほかに、学校遠足などでクマの生息する場所に行く事前学習として実施していることも多くあります。

そのことも踏まえ、私たちの行なうクマ学習会では、基本的に以下3点についてお話しています。

1.どんな動物?(身体の特徴など)

2.どんな生活?(食べ物や行動など)

3.対処法

(出会わないために、出会ってしまったら)

学習会の際には、子どもたちには自由に触れるトランクキットと呼んでいるクマに関わるさまざまなもの(毛皮や頭骨、足型、糞など)も持参しています。

クマ学習会の様子

最近では、クマに会ったらどうしたらいいか。という質問に「ゆっくりあとずさりをする」という正しい回答が多く聞かれるようになり、以前に比べて子どもたちの間でも正しい情報が広まっていることを嬉しく思っています。

今後もより多くの子どもたちに正しい知識をお伝えしていけたらと思っています。

まずは身近な自然を知ろう

自然の中にいる時、子どもたちの感覚は自由です。確かに見た目が気持ち悪いものなどもたくさんあります。でも、それを子どもが自分で判断する前に決めつけないでほしいのです。親御さんが「気持ち悪い・怖い」と言えば、子どもはそれを「気持ち悪い・怖い」ものだと認識してしまいます。でも、それは子どもたちが感じている本当の感覚ではないかもしれません。

これはなんだろう?どうなっているのだろう?どんな音やにおいがするのだろう?その疑問を、自分の五感を通じて感じ、自分の感覚にすることが、子どもの心を豊にするのではないか、と私は思っています。

ぜひ、子どもを連れて外に一歩出てみてください。遠くに行く必要はありません。信州には身の回りにたくさんの自然があることをまずは知ってもらえると嬉しいです。

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子どもと自然・環境 事例2

学校登山の現場から 学校登山が環境学習の場として存続していくことを期待して

認定特定非営利活動法人 信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ 理事 石塚 聡実

はじめに

長野県では学校行事として学校登山を行なう学校が多く存在します。全学校のうち83%(156校)の学校が行なっているというデータがあります。学校行事として登山を行なっている県としては他に類を見ないと思います。

認定特定非営利活動法人信州まつもと山岳ガイド協会やまたみでは定款に「子どもの健全育成」を一つの事業目的として掲げています。その一環として、長野県では多くの学校が行なっている学校登山をサポートする事業に力を入れています。当日の引率だけではなく、事前の生徒に対する事前学習(登山の基礎知識・登る山の特徴など)保護者に対する持ち物などの相談会、先生とのすり合わせなどに力を入れています。学校登山という行為が単に登山者を増やすということではなく、登山という行為を通して、自然の仕組みや自然とのかかわりを知るきっかけになるように働きかけています。

また、先生方の行事に対する不安を軽減することも目的としています。

従来の学校登山の意義

今まで携わってきた学校の登山のしおりを見ていると「団結」「全員登頂」「困難を乗り越える」「ネバーギブアップ」「制覇」「根性」「絆」「精神力」などの言葉が多く書かれています。伝統であり年間の学校行事のひとつでくくられているので、集団行動で困難を乗り越えておとなになるというような意味合いが強くこめられていうような気がします。もちろん山登りは修行という意味もあるので、精神鍛錬の場としては持ってこいという考え方もあるかと思いますし、間違いではないと考えます。

学校登山を経験したおとなに話を聞いてみると、「つらかった」「雨で大変だった」「あまり記憶がない」など否定的な意見も多いながら、会話は結構盛り上がったりもします。でも、「二度と行きたくない」という声も少なくはありません。また、雨で中止になり学校登山を経験できなかった人からは「残念だった」という声をよく耳にします。肯定的な意見では「天気が良かった」「景色が素晴らしかった」「寒かったけど日の出が印象的!」等、いずれにしても抽象的な声にとどまります。とても興味深かった会話は、出身は長野県で結婚を機に他県へと移住していった方でした。もちろん学校登山は経験しているとのことでした。

「学校登山の思い出があり、もう一度ふるさとの山に登りたいと思い、30年ぶりに信州の山に登りに来ました。」とのお話でした。登山もそれ以来とのことです。

現代の課題

いろいろな要因が積み重なって、外で遊ぶ機会が失われている時代と言われています。体力の低下や精神的な面も含めて変化しつつあります。そのような理由から学校登山への参加を見合わせる生徒も多く出てきています。35人程度のクラスのうち、8人もの生徒が参加を見合わせた例に遭遇したこともありました。長野県山岳総合センターの調査によると全体の3%が身体的、能力的に参加を見合わせたという事実があるようです。参加した生徒のうち、体力的には4分の3の生徒は「きつかった」というアンケート調査もあります。確かに現代では、健康面での参加は慎重になる必要があります。また、義務教育の中でのたった一度だけの行事でもあります。装備の購入の保護者の負担に疑問も感じます。さらに、引率する側の高齢化や経験不足も課題の一つといえると思います。

安全で楽しい学校登山

学校登山を野外体験活動の一つと置き換えて見たいと思います。野外体験活動を実行する前提としてリスクをゼロにすることはできません。参加する方も、参加させる方もそのことを認識しておかなければ実行できないと思います。

リスクの中には大きく二つに分けて、人的要因と自然由来によるものがあります。前者についてはしおりにある通りのスローガンである程度は語れることだと思います。団体行動のルールを破ったり、滑落の危険のある行為を取ったりなど、人の行動によるものから発生するリスクは事前に言い含めておくことで回避できる可能性はあります。もう一つの自然の営みの中で起こるリスクについては、机上で知るだけではリスクを回避することは難しいのではないかと感じています。もちろん、事前の学習は必要であります。事前に知識を入れておくことで、回避する可能性は高まります。ただし、机上の理論だけではなく、肌感覚でそれを知ることが重要です。そのために学校登山は適した行事であると考えます。こんな時に風が吹く。こんな時に雨が降るなどを肌感覚で感じることと、頭で考えて知ることとが対になる重要性を感じています。

子どもたちの精神面・体力面

実際の現場では、やはり体力的に難しかった子ども、精神的に参ってしまった子どもたちもたくさんいました。時間通りのスケジュールも必要ですが、個々に合った対応をしていくことも必要になります。体力的に厳しい子については、スピードや呼吸の調整をすれば緩和されることも多いです。精神的に参ってしまって、泣き出して動かなくなった子どももいます。ただ「がんばれ!」と励ますのではなくメンタル的にブロックされたものを取り除く必要があります。いずれにしてもそんなときは遠くのきれいな景色や足元の花や昆虫などに目を向ける良いタイミングです。登山終了後に声をかけると無事登れたことよりも途中で見たものが印象に残っている様です。私たちは、全体のスピード調整、緊急時の対応として利用されることが多いと思います。しかし、行動の最中ではメンタル的にコントロールすることも多くあります。その方が多いかもしれません。

担当する先生のご苦労

それでなくとも時間が足らない先生たちです。担当になった先生のご苦労は察します。「雨で中止になってしまえばいいのに」なんていう心の叫びは感じられます。もちろん全員の先生が、登山者ではないはずです。登山の科学などを知る機会を持つことは負担となると思います。

自然を大切にする理由「気づきから責任ある行動へ」

学校登山のしおりでは漠然と「自然を大切に」という言葉を使います。ライチョウやニホンカモシカのことを例に、「自然を大切にしましょう」というアイテムにしていたり、「酸素を供給する」「水を貯える」という回答は聞くことはできます。

さらにはもっと経済活動や産業も含め、若年の時期から自然から受ける具体的な恩恵について考える時間があってもよいのではないかと思います。例えば、私たち山岳ガイドも自然ガイドも自然が目の前にあるから成り立つ職業です。農家の人も目の前に大きな山があるから、とてもきれいな水が流れ豊富な作物が採れるという恩恵を受けています。自然の中のリゾートは他県から多くの旅行者が都会にないものを目指してやってきます。そのような事から、学校登山を野外体験活動の一つの原体験とし、「山とはなにか?」という疑問のきっかけになるように仕組み、山から受ける恩恵を学習し、いろいろな資源として認識することを目的として「自然を大切にする」意義を共有できるようになるということを考えます。その流れに乗って初めて「気づきから責任ある行動」の転嫁ができると思います。

おわりに

時代の変化とともに学校登山の位置づけも、スポーツや精神鍛錬というものから野外体験、環境学習へ変遷していく時代が到来したのではないかと感じています。環境学習といえども、野外で体験することは理科の教科だけではなく、地理、社会教育、国語、道徳などすべての学習につながるものがあります。それだけではなく現代ではヒーリング(癒し)の場であったりもします。登山をする目標の山は変わって、生徒が身近に感じられる山などを選択し、参加、不参加の二者択一にならない場所へ代えるなどの工夫も必要であると考えます。目の前にあるものに気づき、どのように利用して、どのように保護・保全などをしていくべきかを考えるきっかけの場として、自然を大切にする意義などを感じ、将来的に社会に出て、社会をけん引していく各々のその時の立場において、責任ある行動のとれるおとなへと成長していってもらえることを願いつつ、学校登山が環境学習の場として存続していくことを期待します。

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子どもと自然・環境 事例3

子どもを地質災害から守るには

信州大学教育学部 准教授 竹下 欣宏

竹下 欣宏さんの写真

はじめに

2014年、長野県では7月9日、9月27日、11月22日と立て続けに大きな自然災害が発生しました。南木曽町の土石流災害、御嶽山の噴火災害、白馬村を中心とする長野県北西部の地震災害です。これらの自然災害は、発生した地域の大地の性質(地質)と深く関連しています。ここでは地質と深く関連する自然災害のことを「地質災害」と呼ぶことにしたいと思います。

南木曽町の土石流災害では中学生1名が亡くなり、御嶽山の噴火災害では小学生を含む58名が亡くなり、5名が行方不明という大惨事となってしまいました。私たちの身の回りで発生する地質災害から、子どもたちを含め私たち自身を守るためには、どうしたらよいのか考えてみたいと思います。

ある授業における学生との対話から

小学校5年生で習う“流れる水のはたらき”って何だっけ?ある授業で私が学生にこんな問いかけをすると、えーと…としばらく考えてから、浸食、運搬、堆積という答えが返ってくればよいのですが、答えられない学生も少なくありません。また、浸食・運搬・堆積と答えられても、じゃあ、“流れる水のはたらき”って何のために習うんだろうね?という問いかけに対しては、「大切だから」と答えられても、「どうして大切なのか」という具体的な理由まで答えられる学生はほとんどいません。みなさんはいかがですか?「どうして大切なのか」に対して、具体的な考えが浮かびましたでしょうか?

雨がたくさん降り、大地の起伏が大きい日本において、“流れる水のはたらき”は普遍的に起こる現象といえます。そして、このはたらきは、山地などの高い場所から土砂を運び出し、低い場所に土砂を積もらせ、私たちにとって暮らしやすい平らな土地(平野や盆地)を生み出す作用の1つであるとともに、洪水や土石流などのように規模の大きなものは、私たちの命や社会生活を脅かす現象(地質災害)でもあります。このように、“流れる水のはたらき”は、日本に暮らす私たちに「恵み」も「害」も与える「身近な現象」であるからこそ、義務教育課程で学習する「大切」な内容なのだと、私は考えています。

広島市の土砂災害(2014年)、鬼怒川の堤防決壊(2015年)、九州北部の豪雨災害(2017年)のように“流れる水のはたらき”に関連する地質災害は、日本において毎年のように発生しています。にも関わらず、学ぶ必要性(大切さ)を説明できない学生が多くいるのはなぜなのでしょうか。その理由として、これらの地質災害は、どこか遠い世界の話であり、自分とはあまり関係がないと考えているためではないかと感じています。

私の勤務先は教育学部ですので、学生の多くは学校の先生を目指しています。夢がかなって教壇に立ったなら、彼らは子どもの命を預かる立場になります。先生の地質災害に対する意識が低かったとしたら、いざというとき、子どもたちを守ることができないかも知れません。こうした状況を少しでも変えるために、私にできることは何かないだろうか。そう考えて、行なっているのが教員免許状を取得する学生にとって必修科目となっている理科基礎での野外観察です。

理科基礎における野外観察の取り組み

この授業では、5階建て校舎の屋上、近くの公園(ひまわり公園)、近くの川(裾花川)に出かけます。授業時間が90分しかありませんので、短い時間の中で学生の意識を少しでも変えるために工夫している内容を紹介します。

<校舎の屋上にて>

まずは、自分たちが暮らす長野盆地の地形をよく観察します。次に善光寺地震と“流れる水のはたらき”について質問し、その受け答えを通して長野盆地のでき方を学生と読み解いていきます。1847年の善光寺地震(推定マグニチュード7.4)で数千人が亡くなったことを紹介し、自分たちの足元に活断層が存在することに気づくことができるように話を進めます。そして、この活断層の動きにより、高いところと低いところができ、“流れる水のはたらき”によって低いところが埋め立てられて山に囲まれた平らな土地(長野盆地)ができあがったことを解説します。最後に、ひまわり公園での観察に備え、活断層の垂直方向の総変位量が1,200mに達することを説明します。

<ひまわり公園にて>

ここでは、善光寺地震の地表地震断層を観察します。善光寺地震のときの垂直方向の変位量が3m、地震の発生間隔が1,000年であったなら、どのくらい時間があれば総変位量が1,200mに達するか、学生に計算してもらいます。40万年という値が求まったら、その時間を地球の歴史の中に位置づけるように促します。ですが、地球の全歴史である46億年も40万年も日常の時間感覚からかけ離れているため、そのままでは実感できません。そこで、1億年を1mと置き換えたなら、40万年はどのくらいの長さになるのかを計算してもらいます。すると40万年はたった4mmとなります。1,200mもの変位を生じさせた活断層の活動期間(40万年)も、地球の長い歴史(46億年)から見れば、ごく最近の一瞬の出来事であり、まだまだ活動は続いているんだ、いつ地震が起こってもおかしくない場所で自分は生活しているんだ、ということを実感できるのではないかと考えています。

<裾花川にて>

ここでは、川の様子と扇状地礫層を観察します。まず、普段の川は水が流れているだけで、運搬も堆積もしていないことを確認するとともに、なぜ河床には大きな石ころ(礫)がたくさんあるのかを問うようにしています。これには、河川には洪水や土石流が発生したときに流れる水のはたらきが強く作用することを確認してもらう狙いがあります。次に裾花川の左岸に露出する礫層に目を向け、河床の礫とよく似ていることを確認します。そして、その礫層の上に教育学部が建っていることを紹介し、自分たちの暮らす大地は、地震のみならず洪水や土石流といった地質災害が繰り返し発生した結果、生まれた場所であることを実感できるようしています。

このように私たちが暮らす大地は、ゆっくりとですが着実に変化を続けている、言い換えれば、地質災害は発生し続けているのです。そして、この長い大地の変化の歴史を1つの図とし表したものが地質図です。つづいて、長野県の地質図に関する取り組みを紹介したいと思います。

長野県デジタル地質図2015と教材開発

みなさんは長野県デジタル地質図2015をご存知でしょうか?約10年の月日をかけ、最新の地質情報や表現方法を盛り込んで、約半世紀ぶりに改訂された5万分の1スケールで長野県全域をカバーした地質図です。印刷物の地質図と違い、デジタルなので簡単に立体的な図を作ったり、クリック1つでその場所の地層や岩石に関する情報を表示したりできる優れものです。先ほども紹介したように、地質図には大地の歴史がまとめられていますので、この図を使えば、その地域において過去にどんな地質災害がくり返されたのかを読み解くことができます。さらに、過去の地質災害の規模や頻度がわかれば、現在を見つめ、将来を予想することにも役立つはずです。このように書くと、地質災害の対策にとって地質図は必要不可欠なツールだと感じていただけたのではないかと思います。

でも残念ながら、小中学校の先生の多くは、「難しくて使いにくい」と感じているようで、教材としてほとんど使われていないのが現状です。高校でも地学基礎の教科書には地質図は登場せず、基礎を付さない地学の教科書でようやく登場します。このことが意味することは何でしょうか。それは、日本の子どものほとんどが、地質図というものの大切さを知らずにおとなになるということです。そんな状況を打破する必要性を感じ、2017年から、県内の小中学校、高校の先生方、長野県環境保全研究所の研究員さん、県内の自然系博物館の学芸員さんと、地質図をもっと気軽に活用してもらうための教材の開発を始めました。

材料の1つとして選んだのが、河原の石ころ(礫)です。河原の石ころは、子どもたちにとって身近な存在であるだけでなく、地層や岩石のかけらなので、大地の歴史(地質図)に関する情報を秘めています。さらに、室内に持ち込むことができるので、教材として使いやすいのです。こうした利点に着目して、これまでに、千曲川、梓川、高瀬川、松川、小渋川の石ころ標本を作製しました。引き続き、県内主要河川の石ころを標本化して、学校の授業で地質図を気軽に活用してもらうための教材開発を進めていこうと考えています。

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子どもと自然・環境 事例4

福島の子どもたちを守るために 保養支援を通して

子どもたちを放射能から守る信州ネットワーク・北信 斉藤 純子

サマーキャンプの写真

はじめに

2011年3月11日に起きた東日本大震災から7年が経ちました。巨大地震と津波で多くの方々が犠牲となり、さらに東京電力福島第一原発のレベル7の過酷事故は、福島県だけでなく東日本の広範囲に放射能汚染をもたらしました。約16万人が避難を余儀なくされ、ふるさとを追われました。その中で国は緊急事態宣言のもと、公衆の被ばく限度線量を年間1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで引き上げ、そこに住まざるを得ない多くの子どもたちは被ばくを強いられました。事故直後から全国各地で避難・移住・保養などの支援が始まりました。しかし国や専門家による福島県内での「放射能安全キャンペーン」は、家族・地域での対立や分断を助長し、特に放射線の影響を受けやすい子どもを心配するお母さんたちは不安を口にすることさえできなくなり、厳しい選択を迫られました。避難も移住もできない状況の中で、選択肢の一つとして「保養に行く」ことが、せめてもの救いになっているのではないかと思います。全国200以上の民間団体がボランティアで行なっている「保養」には、年間9,000人以上の親子が参加しています。私たちの団体も保養キャンプを行なって福島とつながってきました。保養の意義や被災者の想い、保養の効果・必要性などを考えてみたいと思います。

保養とは

1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故の後、ベラルーシやウクライナで30年以上も行なわれてきた保養政策を参考にして、日本では「放射線量の高い地域に住む子どもたちの健康を守るために、一時的に汚染地から離れて、心身のストレスを少しでも緩和しよう」と民間団体が行なっている取り組みです。

私たちの会では、2013年から毎年5泊6日のサマーキャンプを長野市周辺の施設を使って開催しています。「311受入全国協議会」という支援団体のサイトで参加者を募集し、福島県だけでなく周辺の県からも応募があります。2年前からは家族で何時でも利用できる、民家滞在型の保養も開始。5年間で延べ188名の親子が参加・利用されました。

運営スタッフは50代から70代の12名、保養開催中は単発ボランティアの方々が支えてくれます。費用のほとんどは個人の方々の寄付金でまかなわれていますが、野菜・米などの食料品を提供してくださる方も多く、支援・協力者は毎年150人を超えています。さまざまな形で福島とつながり、関わりを持っていただけることをありがたく感謝しています。キャンプ終了後の報告書に寄せていただいたメッセージを紹介します。

参加者のメッセージから

キャンプとても楽しかったです。スケジュールが5泊6日で、1日にたくさん詰め込んでなく、ゆったりと過ごせました。子どものための保養で申し込みましたが、私のための保養にもなりました。飯綱・戸隠のキャンプ場は涼しく、子どもたちもアスレチックに夢中になったり、草笛を吹いていました。福島では草笛も花のミツ吸いもできないので、良い経験となりました。私たちは、震災後すぐから、3年間母子避難していました。子どもらしい普通の暮らしがしたくて避難しましたが、やはり家族一緒に暮らす事を優先し、福島へ戻りました。福島で放射能と向き合って暮らさなくてはいけません。しかし、放射能の影響も考え方はさまざまで、保養を否定する人もいます。私と同じように放射能に不安な人はいるので、保養たいへんでしょうが頑張ってください。

(2015年 本宮市 お母さん)

あいにくのお天気続きだったのが、ちょっぴり残念でしたが、子どもたちはお兄ちゃん、お姉ちゃんに囲まれて、長野の自然を思いきり楽しんでいました。震災から原発事故から、6年が経ちました。当時妊娠8か月だった私は、1月末から切迫早産で入院中。24時間点滴でベッドの上。お腹の子はどうなってしまうんだろう…放射能の影響は…しかし避難することもできず、毎日ベッドの上で泣いていました。2か月後無事出産し、今まで大きな病気などもなく元気に育っています。しかし、だからと言って「もう安心」では決してないのです。今後の影響も心配でたまりませんし、外遊びや食物の制限も続いています(私個人ですが。園や学校では、今はそういったことはしていません)。震災直後は、同じような思いの人が多かったように思いますが、年々減ってきているように感じています。すごく気にして生活している人と、「6年経って今大丈夫なんだから、もう大丈夫なんじゃない?」という感じで、私の周りでは、この状況に慣れてしまっているといった人も多いです。なので「ちょっと気にしすぎなんじゃない?」と言われるのが嫌で、普段そういう話はしないようになりました。私自身もストレスを抱えている中で、今回の保養に参加させていただき、すごく癒やされ元気になりました。長野、人も自然もやさしくて、とってもよいところでした。本当にありがとうございました。また、福島で頑張ります。(2017年 本宮市 お母さん)

保養の効果・必要性は?

国の重要な政策の一つとして行なわれているベラルーシ・ウクライナの「保養」は、被ばくした子どもたちの免疫力向上と体内放射性物質の除去を目的としています。汚染状況や健康状態に応じて年に1から2回、1回につき3週間以上、無料で保養の機会が与えられてきました。ベラルーシの子ども保養施設の所長さんは「汚染された地域に住んでいる子どもたちにとって、保養は明らかに良い効果をもたらします」と述べています。安全な環境とバランスのとれた安全な食事、さらに体内に蓄積されている放射性物質を抑え、その除去を促す食品を提供することが効果的で、24日間滞在した子どもたちの体内放射性物質が、25から30%減少したことが科学的にも証明されているそうです。

チェルノブイリ事故から5年後、1991年に「チェルノブイリ法」が制定され、年間1ミリシーベルトを被ばくの基準としました。超えた場合は避難・移住も、健康被害もすべて国が責任を負うことを定め、健康調査や長期の保養を継続しています。未来のある子どもたちを社会で守り育てるという国の姿勢は、学ぶべき大切な視点だと思います。

一方日本ではチェルノブイリ法をモデルとし、2012年6月「原発事故子ども・被災者支援法」が成立し、子どもたちを守るために画期的と期待されたのですが…。年間20ミリシーベルトを基準としている国は、福島県への帰還政策を押し進め、「居住・移住・避難し帰還など被災者の選択を尊重し、国が支援をしていく」という支援法の理念は骨抜きにされ、形骸化しています。未だ事故の収束のめども立たない中、原子力災害による福島の本当の復興には、長い年月が必要になります。だからこそ「それぞれの選択を尊重する」という基本的な人権が保障され、国が支援していくことが重要だと思います。専門家による被ばくについての考え方はさまざまですが、子どもたちの健康を守るためには予防原則に立ち、科学的に解明されないならば、リスクがあることを認めたうえで、そのリスクを低減するためにできる限りのことをするのが国の責任であり、私たちおとなの責任でもあると思います。

福島の交流会

今年2月、福島県二本松市で開かれた全国の保養支援団体・福島のお母さん・お父さんとの交流会に参加しました。

「原発事故により自然遊びや情動が奪われた福島の子どもたちを、毎日片道50キロ離れた米沢市まで無料送迎し、野外での遊びを中心とした保育を続けています」という福島の保育士さんに会いました。

福島で子どもたちを守りながら生きて行くために、「自ら測り、自ら考え、自ら判断すること」ができる社会づくりを目指し、活動している人たちに会いました。

「保養に行った子どもたちと、受け入れ先の地元の子どもたちが交流することで、偏見や差別など人権の問題を考える機会となって欲しい」というお父さんに会いました。

厳しい環境のなかで、社会全体で子どもたちを守り育てようとする人々に希望を感じました。私たちも保養を通して子どもたちの成長を見守り、今できる支援を継続していこうと励まされ帰ってきました。

<参考>

・『新版3.11とチェルノブイリ法 再建への知恵を受け継ぐ』尾松亮 東洋書店新社

・『ルポ チェルノブイリ28年目の子どもたち』白石草 岩波ブックレット

・『原発ゼロ社会への道 市民がつくる脱原子力政策大綱』原子力市民委員会

・『保養実態調査 調査結果報告書 2016年7月』リフレッシュサポート、311受入全国協議会

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子どもと自然・環境 事例5

資源を循環させる社会づくりを…

特定非営利活動法人 フードバンク信州 副理事長兼事務局長 美谷島 越子

フードバンクの原点

日本では「フードバンク」というと、貧困者支援というイメージが大きいと思いますが、実は、食料を無駄にしないで有効活用をはかる方法として、1960年代にアメリカで始められた取り組みが原点になっています。

日本におけるフードバンク活動の始まりは、2002年のセカンドハーベスト・ジャパン(東京)の活動です。日本各地域でNPO等が行なうフードバンク活動は、2009年のリーマンショックと、2011年の東日本大震災による生活不安を抱えた人たちの増加に対応する形で次第に広がってきました。2017年1月現在全国のフードバンクは77団体となっています。(農林水産省調査による)

国内で生活困窮者といわれる人が顕在化し、支援が必要とされる人が増加する一方で、日本は飽食の時代といわれ、毎日大量の食料が食べきれずに廃棄されるという現状があります。まだ、消費期限内で食べられるのに捨てられる食料(食品ロス)を、大切な資源として「もったいない」という気持ちで利用することを、社会に投げかけることも、フードバンクの大きな使命だと思います。

食品ロス削減は社会全体の課題

日本の食品ロスは、年間約621万トンに上り、このうち企業などから販売期限切れや余剰生産などで出る事業系のロスが339万トン、各家庭で食べ残しや過剰除去、買い過ぎなどによる家庭系のロスが282万トンと言われています。食環境の変化により、「もっと早く」「もっと安く」「もっと売れるように」とものすごいスピードで流れている私たちの社会が、たくさんのムダを生み出し、もったいない資源を増加させているのだと言えます。この問題の深刻さを、企業や家庭に呼びかけ、販売ルートではないけれど安全な食料循環の動きを作っていくことはフードバンクの大きな役割といえます。全国のフードバンクが扱っている食料は、年間約4,000トンといわれています。これは食品ロス621万トンの0.06%にすぎません。膨大な食品ロスと生活困窮者の支援をつないでいく活動に、行政も民間団体も住民もしっかり向き合わなければ、流れを変えることは難しいと感じます。

フードバンク信州が目指す循環型社会

フードバンク信州は、「資源の有効活用」と「生活困窮者支援」の2つの目標をかかげ、「食」を基盤にしたセーフティネットの構築を目指して活動しています。企業や家庭から出る余剰食料を受け入れ、必要とする人に無償で提供する流通の社会的しくみが定着すれば、資源と支援が循環する動きができるのではないかという思いで、さまざまな関係機関、団体との協働による活動を始めました。

食品製造企業の協力やフードドライブによる住民のみなさんの協力などにより、2017年度は約26トンの食料を寄贈いただきました。また食品製造以外の企業からは、災害備蓄品を大量に寄贈いただきました。フードバンク信州の活動により、県内各地域や団体によるフードドライブ開催が飛躍的に増加し、一般住民の関心が高まってきたことも特筆すべき点です。長野市、松本市、上田市の毎月1回の定例開催が併せて36回、関係団体やイベント等で随時開催するフードドライブが年間55回となり、市民の関心が高まってきました。フードドライブの開催を通して感じていることは、住民のみなさんの理解が徐々に広がり、食料をもったいないと感じて、何かの役に立てばと持ち寄ってくださる方が増えていることです。食料を集めることも目的の一つですが、開催を広報することで各家庭の食品ロスに気づいてもらい、活動に参加するきっかけをつくることも大きな目的になっています。

日本の食品ロスの大きさを表したイラスト

将来を担う子どもたちに伝える

一般社会のおとなたちの取り組みの広がりとともに、食品ロスの問題や、それに関連してフードバンク活動についての学習を取り入れる小・中学校、文化祭や家庭科の授業で取り組む高校が増えています。

下伊那郡大鹿村の大鹿小学校では、児童クラブで「食育の日」を設け、フードバンク信州から提供した食材を利用して調理体験をし、食品ロスや食べ物の大切さを学習する取組みをしています。大鹿小学校は全校児童38人という過疎地の小学校で、大きな社会の流れとは疎遠になりがちなため、村教育委員会の配慮でフードバンク信州とのつながりができました。

春休み中には、2回の「食育の日」を実施し、調理の前に、「この食材はどこからどのようにしてここに届いたのか」「どのような人たちが、どんな目的で集めてくれたものなのか」ということをみんなで考え学習しました。参加した児童からは「食品ロスが減る活動なのでとてもいいと思います。そしてほしい人にあげることができるのでいいと思いました」という感想がありました。

子どものころから、食品ロスや資源の大切さを知ることは、次の世代の環境を守る動きにつながると思います。「食」を通したセーフティネットについて学ぶ時間が、多くの小・中学校、高校等でカリキュラムに導入されることを期待しています。

「食」を基盤にしたセーフティネットの構想

最後に

食品ロス削減の取り組みは、企業の善意やフードバンク、支援団体等の自主的な活動に任されているのが現状です。本気でロス削減を考えるならば、行政と民間が協働して社会の大きな運動となるような仕組みをつくらなければ進まないと考えています。

≪下伊那郡大鹿小学校の児童がフードバンク信州と連携して食品ロスについて考えました≫

フードバンクで届いた食材の写真

2回の食育の計画にフードバンク信州から、その分の食材が届きました。

春休み中、施設の中で遊ぶ子どもたちや訪れた一般の方の目に留まるように、日中は常に正面玄関入口に置きました

食品ロスについて考えている写真

料理の前に、みんなで考えてみよう。

食品ロスって何だろう?

食品ロスの出どころは家庭からが多く、年間約621万トンと言われています。

日本人全員が毎日お茶碗1杯ずつの食料を捨てているという計算です。

もったいない!

食材の節約法について考えている写真

どうすれば食品ロスを減らせるのか…日常の中で自分たちにできる節約の方法を探しました。

今日みんなが食べるものの一部は、そうやって節約された食べ物なんだよー!

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子どもと自然・環境 事例6

長野県における農薬の空中散布について 心配される子どもたちへの健康被害

上田市 こどもの未来と健康を考える会 田口 操

こどもの未来と健康を考える会

2008年6月に上田市で行なわれた松枯れ防止のための空中散布によって、健康被害が発生したことから、私は、この空中散布中止のための運動を始めました。人の命にかかわるこの農薬散布を続けることで、子どもたちをはじめ、多くの人々に健康被害が出ていることに対して、沈黙していることができなくなったからです。

上田市では、2008年6月11日から16日までに、民間林3地区60ヘクタールと、国有林78ヘクタールに、スミパインMC(スミチオン23.5%)を5倍希釈したもの約720リットルと、ネオニコチノイド系農薬マツグリーン約80リットル(10倍希釈)が散布されました。

保育所で起こったこと

私の運営している保育所では、この年の6月の空散後から、子どもたち・スタッフ・保護者の人たちに異変が起こりました。頭がぐるぐると回る大気の異変を感じました。化学物質過敏症で、毎年6月7月になると農薬散布による健康被害に苦しんできた私は「またか」と思ったのですが、この年は周りの人々も同じ症状を示し始めました。「頭が痛くて歩くのが難しい」「子どもが吐いた」「子どもが高熱を出した」「鼻血を出した」「不整脈」「多動」、わたしの周りだけで40人もの被害が聞かれ、数人の子どもたちは専門医から農薬中毒との診断を受け、解毒剤を飲んでの治療が行なわれました。

農薬散布との関係を調査

全員改善したものの、私たちは、子どもたちの健康に重大な被害がでていることを知り、佐久市にある農村医学研究所の所長さんを訪ね、相談しました。佐久総合病院名誉院長の松島松翠先生が市の健康調査をして下さることになりました。この時私たちは「こどもの未来と健康を考える会」を作り、健康調査のアンケート用紙を配布,約700名弱のデータを集めました。佐久総合病院で集計していただいた結果、「散布場所に近いところほど粘膜症状が多い」ことがわかりました。また、頭痛も多く見られました。このデータから、「農薬散布と健康被害の関係は否定できない」とする松島先生の発表を受けて、上田市の母袋市長は、「否定できない」とし、上田市の農薬の空中散布は平成21年から中止になったのです。(松島松翠氏は、東京大学医学部を卒業後、昭和29年佐久病院に着任し、農村医学・農村保健・健康な地域づくりの推進役として多くの実績をあげる)

長野県下の農薬の空中散布

長野県では毎年6・7月頃、松枯れの防止のために農薬の空中散布が行なわれています。各市町村からの要請に基づいて、国・県からの補助金で実施されているものです。松枯れは、マツノザイセンチュウでおこるとする国が示した説を支持し、このセンチュウを媒介するマダラカミキリを農薬で殺し、松を守るという趣旨のもので、薬剤は、サリンと同じ毒性を持つ、有機リン化合物である「スミパイン」とネオ二コチノイド系農薬「マツグリーン」です。どちらも、神経毒です。通常、農業に使う場合は、1,000倍程度に希釈して使用することが知られていますが、これを5倍程度、ほぼ原液に近い高濃度で、一度にヘリコプターを使い大量に散布。このヘリコプターは、無人で操作するものと、有人で地上30メートルから撒き散らすものとあり、この空中散布は長野県では平成8年から毎年実施しています。

空中散布は続行という結論

上田市での中止の経験にもかかわらず、長野県下では現在も松本市・坂城町・大町市・麻績など、散布を続けているところも多いのです。そこで、私たちは、6,000名近い署名を集めて、空中散布中止を長野県知事に訴えました。これを受けて、県では、「農薬の空中散布検討・連絡会議」が設置され、平成22年12月22日に、第1回の会議が開催されました。しかしながら、残念なことに私たち市民は、委員として会議には参加できず、被害を訴えただけに留まりました。県の選んだ学識経験者はいずれも推進派で、私たちの訴えた健康被害は否定されなかったものの、空中散布は続行という結論にいたってしまいました。公開オピニオンは、ほとんどが、空中散布反対意見であったにも関わらず。ただ、世界的にも、共通の認識になっている有機リン農薬の危険性は、ある程度認められ、無人ヘリにおいては、有機リン自粛という判断が下され、現在は、ネオニコチノイド農薬に統一されました。

私たちの願い

私たちは農薬が健康被害をもたらすことを多くの方に知ってもらい、空中散布をやめるよう願うものです。以下に、発表されているいくつかの学説や研究結果をご紹介します。

<心配される健康被害根拠となる学説>

・発達障害と有機リン農薬:ハーバード大学

・発達障害とネオニコチノイド農薬:国立環境研究所

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「子どもと自然・環境」あとがき

長野の子ども白書編集委員 渡辺 隆一

2017年版白書では「子どもにとって自然や環境が必要不可欠なものであるにもかかわらず、その必要性、重要性が認知されていないのか」と問題提起し、「この社会を構成する要素として自然や環境は組み込まれていない、軽視されている」と述べました。しかし、子どもは学校や社会からだけではなく、ヒトとして直に自然と接し体験することで得なければならない環境への適応能力や感性というものがあるはずです。あくまでも地域の中でいかにより良く子どもたちと共に自然や環境に向き合うべきであるかが議論され、実践されなければならないでしょう。

今年度も「自然との共生めざして」として以下、各執筆者が多様な視点から子どもと自然の関係性の重要性とその活動実践例を展開してくれています。

「信州の自然についてと子どもに伝えたいこと:浜口あかり(信州ツキノワグマ研究会)」は、実際に県内でおきているさまざまな野生動物との軋轢について、どのように考え対処すべきかを、学校へのクマ学習として展開している事例を紹介しています。野生のクマを知らずにイメージでとらえることで科学的な対処が地域の中でも実行されておらず、子どもたちを実際の野外につれだし、体験させることの重要性を訴えています。

「学校登山の現場から:石塚聡実(信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ)」は実際に多数の学校登山のガイドを行なう中でその課題を提起しながら、実践者として解消法を提案し、長野県ならではの環境教育の場として学校登山が存続し発展することを願っています。

「子どもを地質災害から守るには:竹下欣宏(信州大学教育学部)」は、噴火や地震など「地質災害」を例に、子どもから教師になる大学生までに「なぜ自然を習うのだろうか」と問いかけ、改めて自然を学ぶことの意味を紹介しています。そして、異常気象による洪水やがけ崩れなど自然災害が急増している現代にあって、生存の基盤である「(ゆっくりとではあっても)変化する大地」を表した地質図を子どもたちに活用しやすい教材にする研究をしています。

「福島の子どもたちを守るために:斉藤純子(子ども信州ネット北信)」は、放射能汚染地域の子どもたちに必要な転地保養を毎年長野で実践している立場から、改めて保養の必要性を述べています。子どもを守るためには放射能被害が風化しないように、私たちもまた継続的に活動することの重要性がよくわかります。

「資源を循環させる社会づくりを:美谷島越子(フードバンク信州)」は、大量の食品ロスを有効活用する活動の中で、小中高校など学校での取組も紹介し、そこに大きな期待をよせています。むだやもったいないという子どもたちの気持ちを社会はもっと真剣に受け止め、大きな運動となる仕組みを構築する必要があるでしょう。

「長野県における農薬の空中散布:田口 操(こどもの未来と健康を考える会)」は、地域の人々が知らない間に実施されてしまう農薬散布とその結果と考えられる子どもの健康への多大な悪影響について、実体験をもとに紹介しており、緊急に対応すべき重大事態であることを強く警告しています。特に近年の発達障害の増加に関係すると疑われる有機リン農薬などの使用については、予防原則に則った対応が必要でしょう。

こうした活動を「自然とどう向き合うか」という視点から考えると、二つの側面がみえてきます。一つはこうした活動において子どもたちがどのような自然認知を獲得してくれるかであり、二つ目はおとながどのような視点から適切な活動を行なっているかです。上記のような活動において子どもが自然と向き合うときは、各自が野生動物や登山の山、地形地質を直接に体験することで、様々な反応や感じ方を対象から各自なりに受け取り、かつ各自なりに示します。それが一定の習得を全員に課する学校とは大きく異なり、むしろ多様な感性、反応をこそがそこでは求められているのであり、その限りではそれぞれの学びがあることで十分です。それらは太古から変わらずに子どもたちが自然に接したときに得たであろうものとも現代でもあまり変わってはいないのではないかと思われます。しかし、こうした野外での体験は多くの場合、おとなによって主催されたおとなを介したものであり、それなしには子どもの具体的な体験とはならないのですが、子どもは主催するおとなを意識せずに自然と対峙することを求めており、それこそが学校とは異なる活動の一側面であるべきでしょう。つまり、こうした活動を主催するおとなの側は、対象の自然に対するおとなとしての認知をもとに諸活動を主催するのですが、そこでの子どもたちの学びは子どもたちが直接に自然から学び取るべきものであると意識することが求められるのです。そのためにはおとなの側にも、自然への多様な体験と学びとがないと、主催目的のみに目がゆき、本来の子どもが得るべき豊かな自然体験の意味は減じてしまうのではないでしょうか。

現代においてはほとんど忘れ去れている「自然界からいかに獲物を、食料を獲るか?」というような直接な自然との対応がなくなっている現代にあって、改めて自然を学ぶとはどんな意味があるのでしょう。それは、身の回りという身近な世界だけでなく、この地球という広大な世界をもどう理解し、どう利用し、どう子孫へと引き継いでゆくのかという全く新しい現代的な課題にあるのではないでしょうか。それは生きてゆくうえで必要とされる社会の仕組みやルールなどの実践的な学びとも異なり、つまりは、宇宙から身近な環境、そして災害など幅広い自然文化誌的な学びであり、どのようにこれからの世界を将来世代と共に創ってゆくのか、具体的には地球の上にあらゆる生き物が共に生き、平和に共存する世界を創っていくのかを考え、実践するうえでの理念を構築する真の学びといえるでしょう。当面のどう生きるかという実践的な知も必要不可欠ではありますが、10年後、100年後にどのような自然と社会とをこの信州に残し引き継ぐのかという大きな課題を私たちはもっているのだと思います。それはおとなと子どもとが共に協力して創りだすものでもあり、そこに本書の意味もあるのだと思います。

渡辺 隆一 信州大学教育学部 特任教授

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分野 9 子どもと憲法・司法

もくじ

これ以降は分野 9のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

①『鐘の鳴る丘・有明高原寮』 フェンスも格子もない少年院小山 浩紀

②非行と向き合う親たちの会「こま草の会」のあゆみ中村きよみ

③更生保護活動と社会宮野 孝樹

分野 9のリンクは以上になります。

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分野 9 子どもと憲法・司法

森の中のイラスト

子どもと憲法・司法 事例2

『鐘の鳴る丘・有明高原寮』 フェンスも格子もない少年院

法務省有明高原寮長 小山 浩紀

1.少年院としての『有明高原寮』

当寮は、非行のあった男子少年のうち、東京高等裁判所管内(関東甲信越・静岡)の家庭裁判所において、短期間(20週)ないし特別短期間(11週)の処遇勧告が付された第一種少年院送致(心身に著しい障害等の無い概ね12歳から20歳未満)の決定を受け、かつ、開放処遇に適する者を対象とする短期の少年院(法務省の施設)であり、少年の特性に応じた矯正教育を行ない、その改善更生と円滑な社会復帰を図っています。

少年院は全国に51施設(うち女子9施設)が設置され(2018年4月1日現在)、少年の性別や年齢、非行の進度、心身の状況等に応じて重点的に教育する少年院が指定されています。全国の少年院における少年の人員は近年2,000名台で推移しており、少子化等の影響から減少傾向にあります。

当寮は長野に立地していますが、上記のとおり広域を対象とするため、当寮に送致される少年の大半が人口の多い首都圏出身者であり、地元の長野出身者は希少となっています。当寮における少年の人員も減少傾向にあり、近年10名前後で推移しています。

現在の有明高原寮庁舎の写真(背景は有明山)

2.『有明高原寮』における教育の特色

当寮においては、①開放処遇、②地域社会から受ける多大なる御支援という特色のほか(経緯等は後述)、

③少年と担任との信頼(ラポート)を基盤とした指導、

少年と担任との温泉カウンセリング 少年と担任との野外散策

④恵まれた自然環境を活用した野外活動、

登山訓練 スキー訓練

⑤家族との絆の回復を目指した保護調整指導、

親子合宿(宿泊面会) ふれあい家族(電話通信)

の5点を特色としており、それらの教育を通じ、少年の自信を育み、家族や周囲と繋がる力を高めさせることで出院後の再非行防止を目指しています。また最近では、就労・教育・福祉に関する外部機関と連携した各種の社会復帰支援の強化も図っています。

3.『鐘の鳴る丘・有明高原寮』の物語

ところで、私たち少年院教官の世界で『有明高原寮』と言えば『鐘の鳴る丘』という通称のほか、少年の逃走や部外者の侵害を防止するための「フェンスも格子も無い開放処遇」の下、「地域社会の多大なる御支援」を受ける少年院としてとりわけ有名です。

次に、全国的に稀有なこれらの特色にまつわる歴史的な物語を紹介します。

『鐘の鳴る丘集会所』となった旧庁舎

1945年終戦時3万人に及ぶと言われた戦災浮浪児等保護対策は、当時の国の急務の課題ではありましたが、予算不足もあり、当時開設された少年保護施設の大半が全国各地の民間篤志家に依っていました。民間の少年司法保護団体『松本少年学院』(以下「学院」)もその一つであり、松本市在住の篤志家が当寮現在地にあった元温泉旅館の廃屋を改装、1946年開設された学院が当寮の前身となります。

(1)開放処遇の経緯

学院が国立少年院『有明高原寮』となった1949年以後は男子のみを対象としていますが、学院時代は1階に女子、2階に男子が生活していました。学院開設から1年後の1947年、ある男子を社会へ帰すことになり、その帰る様子を1階にいた多くの女子が「飾り窓の格子」に手を掛けて泣きながら見送ったそうで、当時の職員から「生徒に娼婦と同じ格好をさせるのは誠に忍びない。」との声が上がり、翌日、職員総意で格子を撤去したという逸話があり、これが地域と施設の垣根を取り払う現在の開放処遇へと繋がります。

当時の建物は1919年当寮現在地へ温泉旅館として移築される前は長野市内の遊郭であり、当寮に保存されている温泉旅館時代の写真を見ると、その1階には遊郭の名残である「飾り窓の格子」がかすかに認められる一方、学院となった1948年以後の写真を見ると「格子」は取り払われているのが確認できます。

少年一人で施設外の職場へ通勤 少年の居室には格子が無い

(2)地域社会の多大なる御支援の経緯

学院時代は国の予算が乏しく、職員・少年で伐採した木で焼いた炭を売って運営資金を得、農家の手伝いをして食料を確保したそうです。当初素性の知れぬ少年を集める施設と不審に思う住民もおられたようですが(映画『鐘の鳴る丘』にも同様のシーン)、農家の手伝いを重ねるにつれ次第に打ち解け、グラウンド造成や電話線架設に住民・少年・職員の三者で取組み、盆踊り・運動会等を共催するに至るなど、現在の地域社会による多大なる御支援へと繋がっていきます。

少年と地域住民がふれ合う『鐘の鳴る丘運動会』 少年たちが子供の手助けをしている

当時の職員回想録によれば、近隣で特に協力的であったのは、戦後満州から引き揚げ、この地に再入植された元開拓民であり、更に職員にも満州引揚者がいたとのことで、中国残留孤児の辛苦を描いた故山崎豊子氏の小説・NHKテレビドラマ『大地の子』のように、住民・職員双方に我が子を大陸へ残留させざるを得なかった方もおられたかと想像され、戦争の犠牲者でもある学院の少年に大陸へ残留させた我が子を想い重ね、それが現在の地域社会と当寮との間に結ばれた深い絆の礎となったのでしょう。

「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台…」の主題歌『とんがり帽子』で有名なドラマ『鐘の鳴る丘』は(1947年NHKラジオ放送、1948年松竹映画化)、戦災浮浪児の救済に尽力する若者の奮闘を描いた物語であり、この社会問題を国民に広く啓発して支援を募るべくGHQ(連合軍総司令部)の指令を受けて故菊田一夫氏が制作したものですが、菊田氏は戦前の旧穂高町を訪れ、温泉旅館時代の旧庁舎に宿泊したと言われ、映画第1編も旧穂高町がロケ地となっており、これらから当時の人たちが、有明高原寮で暮らす少年たちの姿にこのドラマを重ね合わせ、『鐘の鳴る丘・有明高原寮』が定着していったと言われています。

移築された『鐘の鳴る丘集会所』を除き、当時をしのぶ遺物は現存しませんが、その精神は現在の当寮における開放処遇と地域社会の多大なる支援を受けた教育へと引き継がれ、非行のあった少年も確実に更生し、成長しています。当寮は今後も『鐘の鳴る丘』の精神を次代に継承すべく尽力いたします。どうかこれからも温かい御支援・御協力をお願いいたします。

法務省有明高原寮

〒399-8301長野県安曇野市穂高有明7299

TEL 0263-83-2204(代)

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子どもと憲法・司法 事例2

非行と向き合う親たちの会 「こま草の会」のあゆみ

こま草の会 会員 中村 きよみ

非行と向き合う親たちの会「こま草の会」は2004年の立ち上げから14年が経ちました。この間、延べ1,136名の参加があり多くの悩めるお母さんお父さんと繋がってきました。

こま草の会の基本的な活動としては、毎月1回の定例会ですが、他にいろいろな機関と交流したり非行と向き合う全国ネットや非行克服支援センターの活動にも繋がっています。また講演会も開催し多くの方の参加もいただいています。

14年前といえば、世の中の非行は服装が乱れているとか言葉使いが悪くなったとか万引き・恐喝・暴走族とか、他目にもよくわかるものでした。非行の子の親は「あの子の親」という目で見られているのではないかと思うと辛く、身内からも育て方が悪いからそうなったと言われ苦しい思いをしてきました。そんな心の内を相談する場もなく親は孤独でした。

一家の太陽である母親が気持ちを楽にして心の内を吐き出す場があり、少しでもストレスを減らして子どもと向き合えるようにしたい、それにより今までとは違う対応が可能となり、子どもと親のいい関係が構築されてゆくはずという考えから、私たちはずっと同じ悩みを持つ親が安心して話ができ子どもにどう対応していったらいいかを学びあいながら会を開いてきました。時にはその子への対応を考えるうえで親自身の生き方を相談したりしました。

近年は非行の様相も変化してきて、バイクの爆音も聞こえなくなり、いかにもという格好で肩で風を切って歩いている子もほとんど見かけなくなりました。しかしケータイやスマホからもっと深刻な状況になっていることも多々あります。以前と形態は変わってきていても親と子のいい関係を模索してゆくことには変わりありません。

今の時代の子どもたちの問題行動は非行という形で現れるのか不登校やひきこもりという形で現れるのかはわかりませんが、根っこは生きづらさという点で共通しています。私たちはどんな子のどんな状況でも受け入れられる親を目指して、これからも笑顔で粘り強く活動していきたいと思います。

以下は毎月の定例会で特に印象的だった参加者についてと定例会以外に活動した主なものをあげました。

<2004年>

2月

第49回子どもを守る文化会議が長野で開催される。

「子どもの心の嵐と向き合う」分科会に参加したメンバーの中から、長野にも親の会を立ち上げようということになる。

4月

「子どもを守る文化会議」から2人、すでに東京にあった非行の親の会「あめあがりの会」から2人、世話人3人、当事者の親2人で「非行と向き合う親たちの会」を立ち上げる。

7月

長野の「非行と向き合う親たちの会」の名称を「こま草の会」と決める。

<2005年>

7月

母親Aさん初参加→父親、当事者も参加するようになる。

8月

長野市の少年鑑別所にこま草の会の紹介と「あめあがり通信」(あめあがりの会の会報)などを持参し、親たちがこま草の会に繋がってほしいと伝える。

<2006年>

7月

非行と向き合う全国ネットの学習会in長野を開催する。28名の参加。

長野県母親大会の「非行」の分科会に、こま草の会として参加する。

8月

不登校全国合宿の「非行と向き合う」分科会にこま草の会として5名参加する。

10月

非行の当事者Bさん初参加→時々参加し自らの体験やその時々の気持を話す。体験から出る言葉には重みがあり説得力がある。

<2007年>

3月

非行と向き合う全国ネットの全国交流集会に、こま草の会として初参加する。全国では25の親の会と230人の参加がある。

9月

長野県母親大会(松本)で「不登校・非行」の分科会において世話人2人が助言者として参加する

<2011年>

9月

長野県母親大会(須坂)で「親子リズム」の分科会において世話人が助言者として参加する。非行にならないよう小さな時から親子の絆を深めておくのは重要なことと話す。

<2012年>

1月

母親Cさん初参加→毎回参加したいが仕事の都合でなかなか難しい。でも会に来て話すことでストレスが発散でき、以前非行だった子が大きな夢を持って前進していく姿を聞くことは自分のことのように嬉しく自分の希望にもなっていると話す。

7月

非行の当事者Dさん初参加→親がこういう会に繋がっていることや、多くの親が赤裸々に話すのを聞いて親の子を思う深い気持が伝わったと話す。

<2014年>

3月

更生保護サポートセンター上田に非行の当事者とその親からのアンケートからでき上がった本「何が非行に追い立て何が立ち直る力となるか」を紹介する。保護司さんと懇談する。

<2015年>

5月

高垣忠一郎氏講演会を開催する(上田市中央公民館にて)。非行も不登校も根っこは同じという思いから高垣氏に講演を依頼する。自己肯定感の大切さをお聞きする。非行の当事者とひきこもりの当事者の体験発表もする。参加者155名。

8月

第54回教育科学研究会全国大会・第57回長野県民間教育研究大会合同研究集会にて「現代の子育てと親・おとな」の分科会で非行の親の体験を発表する。

12月

ひきこもりの当事者Eさん初参加→その時の子どもの気持ちが知りたい親にとって当事者のことばはとても重く説得力がある。

<2016年>

2月

厚生保護サポートセンター上田に、全国集会のチラシを持参する。保護司さんと懇談する。

会議式のいつもの定例会ではなく、日帰り温泉で新年会をする。参加者12名。

3月

非行と向き合う全国ネットの全国交流集会においてパネラーとして親の体験を発表する。

6月

全国交流集会で知り合った大学院生のFさん初参加→非行する子の親は子と同じように世間的にはよくない人たちだと思っていたが、まったくその逆でとても一所懸命に子どものことを思って何とかしようと努力しているのだということを世間に知らせたいと話す。

7月

「社会を明るくする運動」の講演会に参加する。

2月

厚生保護サポートセンター上田に全国交流集会のチラシを持参する。保護司さんと懇談する。

7月

「社会を明るくする運動」の講演会に参加する。

<2018年>

1月

厚生保護サポートセンター上田に全国交流集会のチラシを持参する。保護司さんと懇談し、非行の子の親の状況は保護司さんより保護観察官の方がよく知っているとお聞きする。こま草の会に一人でも多く繋げてほしいということを保護観察官にお願いしに行くことにする。

2月

長野保護観察所に行く。こま草の会がどんな主旨や思いで運営されているか、全国組織との係りなどをお話しし、非行の子の親をこま草の会に繋げてほしいとお願いをする。

こま草の会の定例会は、毎月第1日曜日に長野市芹田公民館で行っています。どなたでも参加できます。秘密は堅守いたします。話したことについての無用なアドバイスや反論はしない約束になっていますので安心してご参加ください。

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子どもと憲法・司法 事例3

更生保護活動と社会

保護司 宮野 孝樹

宮野 孝樹さんの写真

更生保護と保護司活動

更生保護とは、犯罪をした人や非行のある少年が実社会で健全に更生できるよう支援し、犯罪や再犯の予防を図る活動です。更生保護を担う民間団体には、保護司会、更生保護女性会、協力雇用主会、BBSなどがあり、保護観察所の指導の下、協働して更生保護活動を行なっています。

そのなかで、保護司は、法務大臣から委嘱されたボランティアで、保護観察官と連携して生活環境調整や保護観察、犯罪予防活動などを行なっています。保護観察とは、非行のある少年や犯罪をした人たちの立ち直りを指導・援助する活動です。

私たちが保護観察をする人を保護観察対象者(以下対象者という)と呼んでいます。対象者は、次の四つに分類されています。少年の対象者は、家庭裁判所で保護観察に付された者と少年院から仮退院を許された者です。成人は、刑務所から仮釈放を許された者と裁判所で刑の執行を猶予され保護観察に付された者です。

更生保護を取りまく社会情勢

ここで、現在の更生保護を取り巻く状況についてふれておきたいと思います。

長野県内の刑法犯の認知件数は、平成28年に10,664件で、平成13年以降14年連続で減少しています。(13年の件数は34,764件で戦後最高値を示しています)また、刑法犯少年の認知件数も平成15年をピークにやはり減少傾向にあります。しかし、件数が減少したからといって少年たちの問題が解決したわけではありません。長野少年鑑別所の資料によりますと、非行の態様等から見られる特徴は、まず、以前に見られた暴走族のような集団非行が減少し、単独での非行が増加しています。これは人間関係の希薄化やコミュニケーション不足からきていると考えられています。また、家庭環境や生活状況から見た時に実父母と生活している少年の非行が減少し、実母のみと暮らす少年(一人親家庭)の非行率が高くなっています。これは、実社会との関係性や家庭環境の劣化によるものと考えられます。

さらに、資質面から見た特徴は、非社会的な傾向、あるいは、他人とうまく関われないといったいわゆる「知的障がい」や「発達障がい」を有する少年の非行が増加傾向にあることです。また、非行が進んだ少年の家庭環境の問題は、一人親家庭のマンパワー不足や経済的困窮、心理的疲弊など余裕のない生活環境が背景にあるとのことです。さらに、家族の慢性的疾患、アルコール依存、DV、虐待など家族全体が抱える重層的問題に加え、友だち親子、希薄な人間関係など家族間のコミュニケーションの硬直化が根底にあることも指摘されています。

県内の刑法犯罪の減少と同様、保護観察処分少年や少年院仮退院者の数は平成15年以降減少傾向にあります。減少傾向にありますが、今“再犯”が大きな社会問題になっています。平成29年度版犯罪白書によりますと、刑法犯として摘発された人の内48.7%が再犯者です。したがって、現在のわが国の更生保護の課題は「再犯防止」です。平成28年12月に「再犯防止等の推進に関する法律」が公布・施行されました。この法律の目的は、再犯の防止等に関する施策を総合的かつ計画的に推進し、安全で、安心して暮らせる社会を実現することです。この法律ができる2年前、政府の犯罪対策閣僚会議において「犯罪に戻らない・戻さない」が宣言され、その目標として「犯罪や非行をした者を社会から排除・孤立させるのではなく、再び受け入れることが自然にできる社会」の構築が謳われています。この考え方こそまさにソーシャルインクルージョン(社会的包摂)であり、だいぶ前から「地域福祉」の分野では使われてきた概念です。

再犯を繰り返す人たちは刑務所から出ても「仕事に就けない」「居場所がない」等大変困難な状況におかれています。地域住民が彼らを同じ地域に暮らす一人の住民として受け入れる意識の醸成が必要であると共に、地域に在る福祉事務所やハローワーク、警察署等更生保護に関わる関連機関が連携、協働して再犯防止に積極的に取り組むことが必要です。

格差社会に潜む犯罪

さて、私たちの生活している社会は、グローバル経済やさまざまな要因によって、相対的貧困率が高くなり人々の生活に大きな格差が生じています。特に母子世帯の貧困率は高く生活に困窮している状況がみてとれます。貧困率の高さが、即非行や犯罪に結びつくわけではありませんが、次に紹介するような事例をみると貧困や社会的孤立が犯罪に結びつく可能性があることがおわかりいただけると思います。

事例として取り上げたいのは、平成24年に起きた「黒子のバスケ」事件です。犯人の青年は、威力業務妨害罪で懲役4年6月の実刑判決を言い渡されました。彼は、初公判の陳述で自分のことを“無敵の人”と表現しました。“無敵の人”とは、彼の説明によると「自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人」と言っています。さらに「これからの日本社会は“無敵の人”が増えこそすれ、減りはしない。日本社会はこの“無敵の人”とどう向き合うかを考えるべきだ」と発言しました。また、彼は、小さい頃から両親にひどい虐待を受けながら成長したようです。裁判の最終陳述の中で、こうも言っています。「虐待を受けるとものの見方や感じ方が異常にネガティブになって、生きる喜びや楽しみを感じられない人生になってしまう」。そして、彼は自分のことを“生きる屍”と表現しました。「自分は、黒子のバスケの作者の成功が羨ましかったのではない、『夢をもって努力をしてきた普通の人たち』が羨ましかった。自分は『夢を持って努力してきた普通の人』の代表として黒子のバスケの作者を標的にした」そして、自分が起こした事件を「(作者と)人生があまりにも違いすぎることからこの事件を“人生格差犯罪”」と命名し、最後に「こんなクソみたいな人生、やってられないからとっとと死なせろ」と叫んだとのことです。彼は、貧しい暮らしのなかで虐待を受けながら成長し、その結果、このような事件を起こしてしまったのです。

貧困率の高さは、貧しい家の子どもたちに人生のスタートラインにみんなと一緒に並ぶことすら困難な状況にしてしまいます。その結果、子どもたちが夢や希望をもてない人生を歩むことにもなりかねません。夢や希望をなくしてしまった若者が「黒子のバスケ」の犯人と同じような事件を起こさないかと心配になるのです。学習支援や子ども食堂、現金給付などさまざまな支援が行なわれていますが、私は、こうした支援は、対症療法にしか見えません。非正規労働者の増加をはじめとした雇用問題や賃金の配分など、この国の社会政策や経済政策を根本的に考え直さないと貧困はなくなりませんし、そこから発生する負の連鎖が解消できないのではないかと思っています。

保護司としてできること

最後に、私がこれまで関わってきた対象者について保護司として感じたことを書いてみたいと思います。

対象者は概して「自己肯定感」や「自尊感情」、あるいは、「自己有用感」が極めて低く、自分が大切な存在であることを感じることができにくい人たちです。彼らは、劣悪な生活環境のなかで成長し、その過程で、人から認められた経験が少なかったり、成功体験や誰かの役に立つ経験、人から頼られた経験が少ない…など人が社会に生きていく時に必要な経験をしてこなかったハンディをもっています。

私が、対象者の保護観察を始める時には、彼らがそれまで歩んできた人生のありのままをできるだけ受容したいと考えています。まず、彼らと信頼関係を築きながら段々に指導や支援をしていきます。一番先にやることは彼らが生活するための適切な居場所を見つけ、仕事を探すことです。やり始めた仕事に真面目に、そして辛抱強く取り組めた時には心から褒め、励まし、少しでも自信を持てるよう心がけます。彼らの小さな一歩を大切にすることで、彼らは、少しずつ自信をつけ、自己有用感を持てるように変わっていきます。時に裏切られることもありますが、私は彼らを信じ続けたいと考えています。信じ続けることで彼らの心の中に人を信じようとする気持ちが確実に生まれてくるからです。

保護司の仕事は、対象者に“生きる力”をつけることだと考えています。対象者の人生に寄り添い、少しでも彼らの幸せづくりのお手伝いができれば、それは、保護司にとっても大きな喜びであります。

宮野 孝樹 長野県保護司会連合会常務理事、諏訪地区保護司会会長

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執筆者一覧

林 茂樹

長野県高等学校教職員組合

〒380-8790 長野市県町593

TEL 026-234-2216

naganokokyoso☆educas.jp

清水 幸広

長野県教職員組合

〒383-0846 長野市旭町1098

長野県教育会館2F

TEL 026-235-3700

武者 一弘

松本大学教育学部 教授

〒390-1295 松本市新村 2095-1

TEL 0263-48-7200(代表)

kazuhiro.musha☆t.matsu.ac.jp

宮田 弘則

長野県教職員組合

〒383-0846 長野市旭町1098

長野県教育会館2F

TEL 026-235-3700

南澤 直樹

長野県教職員組合

〒383-0846 長野市旭町1098

長野県教育会館2F

TEL 026-235-3700

飯島 春光

歴史教育者協議会

金井なおみ

特別支援教育士スーパーバイザー

岩田 敏行

西森 尚己

松本市子育てコミュニティサイトプロジェクト「はぐまつ」 子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」 〒390-0802松本市旭3丁目2-21

TEL 0263-31-3373

hugmatsu☆sky.plala.or.jp

髙林 賢

ひかりの学校 あづみの本校

New Education School

〒399-8212 安曇野市堀金三田2413-2

はねだひろし

フリースクール・プルーム

〒380-0921 長野市 栗田917 -1

TEL 070-1427-4321

plume☆ngn.janis.or.jp

池田 結美

学生

草深 将雄

フリースペース たからばこ

〒398-0002 大町市大町1123-11

TEL 08010383541

今野 蓮

松本工業高校3年

宮下与兵衛

首都大学東京 特任教授

yohee28☆yahoo.co.jp

荒牧 重人

山梨学院大学 教授

北川 和彦

長野県弁護士会子どもの権利委員会委員

松本市子どもの権利擁護委員

〒392-0027 諏訪市湖岸通り5-21-5

TEL 0266-53-5411 FAX 0266-53-5412

中嶋 慎治

弁護士、長野県子ども支援委員会委員

中嶋慎治法律事務所

〒381-0043 長野市吉田5丁目17番21号

TEL 026-217-2872 FAX 026-217-2874

mail☆nakajima-lo.jp

宮澤 節子

NPO法人すわ子ども文化ステーション
チャイルドラインすわ 〒392-0007 諏訪市清水3-3970-3「ふれあいの家」内

TEL 0266-58-3494

kodomo☆sukobust.com

半田 裕

特定非営利活動法人ちゃいるどふっど

TEL 080-9570-2176

asobiya.childhood☆gmail.com

雪の盆踊り

宮下 順

児童養護施設飯山学園

e-gaku☆iiyama-catv.ne.jp

牧田 広利

長野県ひとりおや家庭等福祉連合会

〒396-0023 伊那市山寺298番地1

ふれあいーな内 TEL 0265-72-2618

naganohitorioya☆gmail.com

http://naganohitorioya.jimdo.com/

望月 翔汰

学生

小池 汐里

健和会病院

〒395-8522 飯田市鼎中平1936

TEL 0265-23-3115 FAX 0265-23-3129

原 健

福祉医療給付制度の改善をすすめる会

(すすめる会)事務局長

〒381-0034長野市高田中村276-8 県労連会館1階

TEL026-223-1281 FAX 026-223-1291

naganosyahokyou1281☆star.ocn.ne.jp

和田 蓮華

公立中学校事務職員

小川 寛子

長野県学校事務職員制度研究会

中川 峻介

長野県中央児童相談所

高校3年女子

学生

児玉 典子

反貧困セーフティネット・アルプス世話人

TEL 090-9353-2699

曲渕 仁哉

学生

和田 浩

健和会病院

〒395-852 飯田市鼎中平1936

TEL 0265-23-3115 FAX 0265-23-3129

zan07102☆nifty.com

岩月 二郎

教育科学研究会会員・長野県民協会員

上田市在住

加藤 弘通

水野 君平

侯 玥 江

濤岡 優

北海道大学教育学部 発達心理学教室 准教授

北海道大学教育学院博士後期課程

北海道大学教育学院博士後期課程

北海道大学教育学院博士後期課程

西 幸代

宮尾 彰

全国ぷれジョブ連絡協議会

TEL 090-1014-8637(個人)

長野県ぷれジョブ連絡協議会

TEL 090-5796-7506(個人)

栁原 真由

学生

小野田正利

大阪大学大学院 教授

伊藤由紀子

特定非営利活動法人ワーカーズコープ

北陸信越事業本部 松本事業所

〒390-0807 松本市城東2-6-17

ハイツリラ101号

TEL 0263-39-7444 FAX 0263-39-7447

naganojm☆roukyou.gr.jp

岡宮 真理

さんぼんやなぎプロジェクト

(さんぼんやなぎ食堂)

TEL 080-3418-0088

sanbonproject☆gmail.com

小林三千代

輪っと集まれ!中高生・若者ほっとキッチン

NPO法人 やさしなの

TEL 090-8024-6594

umeanzu1123☆gmail.com

向井 健

松本大学 総合経営学部 専任講師

内田 宏明

日本社会事業大学社会福祉学部 准教授

kodomopost☆jcsw.ac.jp

山口 恵美

NPO法人子どもステーションいちにのさん

戸田めぐみ

スクール・ソーシャルワーカー

神尾 弘俊

坂戸 千明

TEL 026-293-7291(自宅)

aoitori86☆kuf.biglobe.ne.jp

岩渕 浩子

特別養子親子の会

石坂 成人

清川 輝基

NPO法人子どもとメディア代表理事

(上田市在住)

矢澤智都枝

safety.net.nagano☆gmail.com

松島 恒志

子どもとメディア信州

川澄利枝子

(特)中信多文化共生ネットワーク

ヤングにほんご教室(於:松本市中央公民館)

TEL 0263-39-1106

HP http://ctntabunka.jp/

hiyorikawasumi☆kje.biglobe.ne.jpz

小林フィデア

NPO法人ムワンガザ・ファンデーション 理事長

横谷マリア

mariayokoya☆gmail.com

北原 広子

長野市

2500mafai☆gmail.com

小林 啓子

長野の子ども白書編集委員会事務局

大屋 寿朗

特定非営利活動法人

子どもと文化のNPO Art.31代表

〒391-0100 諏訪郡原村17217-419

TEL&FAX 0266-78-1690

art31project☆yahoo.co.jp

田島 隆

ひとミュージアム

〒381-2226 長野市川中島町今井1698

TEL 026-283-2251 FAX 026-405-9100

hito-art☆beige.plala.or.jp

花岡 章子

はなはな文庫 館長

〒381-0057 長野市浅川西条1017

TEL 090-9015-9863

ahana☆jt2.so-net.ne.jp

斎藤まさ子

長野中部子ども劇場事務局

〒381-0034 長野市大字高田上高田1033-4 小池ビル 2F

TEL 026-224-4593

中村 健

風土考房トナカイ

〒390-1301 東筑摩郡山形村2556

TEL 090-3440-3990

tonakainet☆yahoo.co.jp

髙井友佳子

放課後児童支援員

渡邊 暢子

長野県保育問題協議会 会長

松原 まい

遠藤 優花

諏訪中央病院看護専門学校 学生

竹村 幸子

長野の子ども白書編集委員会事務局

豊永 誠

信州豊南短期大学非常勤講師

蓑島 宗夫

医療法人(社団)みのしまクリニック

宮林 麻里

みやばやしこどもクリニック

坂本 昌彦

佐久医療センター小児科

田辺佳代子

訪問専門 いまここ診療所

HP https://imacococ.amebaownd.com/

imacococ☆gmail.com

西澤 聖長

社会福祉法人 長野いのちの電話

田村 綾乃

性教育研究協議会長野サークル

吉田アイ子

うごく保健室

〒384-2205佐久市春日2747-1

TEL 090-8595-8399

yoshida.aiko☆cameo.plala.or.jp

白澤 章子

〒381-2231長野市川中島町四ツ屋1315-12

TEL 026-284-8220

HP 川中島の保健室.jp

樋端 佑樹

信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部北アルプス医療センター あづみ病院 あるぷすメンタルクリニック

後藤 裕子

松本市あがたの森(青少年の居場所)

まちかど保健室 TEL 0263-34-3291

濵口あかり

NPO法人 信州ツキノワグマ研究会

〒390-0876 松本市開智2-9-8

kumaken_shinshu☆yahoo.co.jp

石塚 聡実

認定特定非営利活動法人 信州まつもと山岳ガイド協会やまたみ

〒390-0304 松本市大村1082-4

TEL 0263-34-1543

info☆yamatami.com

竹下 欣宏

信州大学教育学部 准教授

斉藤 純子

子ども信州ネット・北信

TEL /FAX 026-222-0213

bunanohahouse☆rio.odn.ne.jp

ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/kdmhk1329

美谷島越子

特定非営利活動法人フードバンク信州

〒380-0921 長野市栗田950-6 メゾン栗田

TEL 026-219-3215 FAX 026-219-3216

info☆foodbank-shinshu.org

田口 操

上田市 こどもの未来と健康を考える会

渡辺 隆一

信州大学教育学部 特任教授

小山 浩紀

有明高原寮

〒399-8301 安曇野市穂高有明宮城7299

TEL 0263-83-2204

中村きよみ

こま草の会

宮野 孝樹

長野県保護司会連合会常務理事・諏訪地区保護司会会長

連絡先の記載のない執筆者へのお問い合わせは、長野の子ども白書事務局(TEL026-244-7207)まで

表紙絵作者より

表紙担当の藤沢深花です。

今回は今までと少し違い、私の制作テーマでもある「うさぎのさわちゃんとぬいぐるみの宇宙人たち」を表紙にしてみました。

(メアリーたちはお休み中です。すみません)

宇宙人たちはみんな姿も性格も違い、同じ人はいません。違うことは素敵なことなので、彼らは自分に誇りと自信をもち、堂々と生きています。そんな彼らに憧れを抱きつつ、日々制作と仕事に励んでいます。藤沢 深花(長野市在住)

藤沢さんの書いたイラスト

挿絵作者より

挿絵作者の牧実咲です。

今回はくまさんシリーズにしてみました。

楽器を演奏したり、運動会があったりと

動物だからこそのほのぼのとした雰囲気にしてみました。

くまさんの姿に癒されてください。

牧 実咲(須坂市在住)

牧さんの書いたイラスト

<子ども支援団体一覧についてのお詫び>

例年巻末に掲載している「地域で支える 子ども支援団体一覧」は、諸事情により、次号へと見送ることになりました。 ご了承いただきますようよろしくお願い申し上げます。

2018 長野の子ども白書

2018年5月27日発行

編集・発行 長野の子ども白書編集委員会

事務局〒381-0054 長野県長野市浅川3-113-46

TEL 026-244-7207

編集室〒380-0801 長野県長野市箱清水2-20-20

株式会社キャロット内

TEL 026-238-6688

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