2017 長野の子ども白書

地域の中から、子ども・若者の今を考える

子どもと雪だるまを つくるジョージと それを見守るメアリィと 周りで遊びまわる 小人たちのイラスト

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もくじ

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2017長野の子ども白書発行にあたって 小林 啓子

 特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

 特集 2 主権者としての子どもそして私たち

 特集 3 障害児・障害者の権利を守る

 特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

 1  子どもと地域

 2  子どものための福祉

 3 子どもとメディア・ネット

 4 子どもと多文化共生

 5 子どもと遊び・文化・余暇

 6 乳幼児期の子育てと保育

 7 子どもと医療・いのち

 8 子どもと自然・環境

 9 子どもと学校・教育

 10 子どもと司法・権利

執筆者一覧

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2017長野の子ども白書発行にあたって

長野の子ども白書編集委員会事務局代表 小林 啓子

5周年記念号「2016長野の子ども白書」発行から1年、地方版子ども白書の目的と役割をさらに果たすための模索の年でもありました。「集団的編集体制の確立」をめざして各分野の専門家を中心とした編集委員会を組織し「子どもの権利保障」という視点から子どもの生活と発達への総合的視野に立った目配りの可能性を広げてきました。ひとりの子どもの権利保障に目を向けるとき、多くの権利の侵害や剥奪が同時に複層的にその子の最善の利益実現を阻んでいることに気づきます。大きな困難の一面だけでなく、あらゆる側面からの理解や対応・有効な支援が必要とされており、子どもをとりまく環境全体を直視した上での「社会的責任」を果たさなければ、「子どもの権利保障」は実現できないことにも思い至ります。長野の子ども白書は今号でそのことを再確認し、「子どもの権利保障」のための情報提供とネットワークの要所となれるよう新たな歩みを進めました。

社会情勢の大きな変化によって生まれている新たな子ども・若者問題として、今号では「うばわれる子ども・若者のいのち」「主権者としての子どもそして私たち」「障害児・障害者の権利を守る」「子どもの貧困」の4つを、分野を横断して特集しました。従来の10の分野についても、これまでにない新たな視点・立場からの投稿が得られ、加えて若い世代の執筆者の参加は、「子どもの声を聴く」ことを大切にする本誌に、新鮮な風を吹き込んでくれました。編集委員会では、直接子どもたちとかかわる現場または当事者からの報告を柱に、官または民間による調査・統計資料が示す客観的なデーターの分析を行い、それらを概観する研究者の解説や提言を得ることで、「長野県の子どもたちの今とこれから」をよりわかりやすく読者のみな様にご理解いただけることを期待して編集に当たりました。

地域版子ども白書が担う「子どもの権利を守る運動の継承や方向性の示唆」という役割に立ち帰るとき、今号に寄せられた投稿全体から、市民運動としての「子どもの権利を守る運動」が、今大きな曲がり角に立っていることを感じます。それは、「子ども・若者」問題を通して、私たち自身が主権者として学び、つながり、行動することの重要性を再認識することでもあります。特集「主権者としての子どもそして私たち」でどの執筆者も触れているように、権利の主体としての自覚と行動はまず私たちおとなに求められているということです。目の前の課題に対処するだけでは本当の解決はむずかしく、子どもの権利を守ることができません。未知の分野も含めて広く全体を見渡し、広く学び考え合うことをしながらつながりあって進めていくための曲がり角です。これまではそれぞれの持ち場でがんばれば、全体として前に進むような一面もありました。しかし今、子どもたちをとりまく状況が、決してそれでは解決できない課題をあまりに多くかかえています。このことはもちろん、子ども問題に限ったことではなく、国民全体の課題について言える事でもあります。課題解決のために、本来国や行政が果たすべき役割と責任の遂行を要請することが主権者としての私たちにできる最大の仕事です。施策の実行にあたっては、官民対等の立場で同じ思いを共有する関係性が待たれます。その時に、子どもが権利の主体であり、その自立を支援する責任が私たちにあるという「子どもの権利条約の実現」のねがいを共有するために、この「長野の子ども白書」がお役に立てれば幸いです。

無償のボランティアでご執筆いただいた執筆者のみな様、編集委員のみな様、編集室キャロットのスタッフのみな様、資料提供にご協力いただいた行政のみな様、小中学生アンケートのご提供と分析をいただいた「さっぽろ子ども・若者白書をつくる会」のみな様、実施にご協力いただいた県内の教職員のみな様、ほか多くのみな様にこの場をお借りして心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

2017年5月20日

長野の子ども白書編集委員会事務局代表

小林 啓子 

特集 1 いのち

うばわれる子ども・若者のいのち

もくじ

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長野県における小児の突然死 事故・事件・乳幼児突然死症候群・虐待への取り組み 松井 彦郎

いのちの時間と向き合って こども病院で出会った子どもたちに教えてもらったこと 塩崎 暁子

子どもの身近で発生する「製品事故」の実態とその防止策 主として乳幼児に焦点を当てて 福田 明

子ども(未成年)の自殺 遊木 正俊

「だれの子どももころさせない」 子どもたちに残す平和な世界をめざして 信州のかあちゃん

特集 1 あとがき 蓑島 宗夫

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安曇野市長野県立こども病院のイラスト

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

1 長野県における小児の突然死

自己・事件・乳幼児突然死症候群・虐待への取り組み

長野県立こども病院 小児集中治療科
松井 彦郎

突然の子どもの死

 日本全体で戦後に年間約25万人であった小児(0から14歳)の死亡数は現在は約4千人程度に減り、日常生活で子どもの死にふれることは比較的めずらしくなっています。一方で、子どもの死は両親だけでなく社会にとって暗い影を落とし、周囲の人々に大きな悲しみとして記憶されます。子どもの死の原因として、疾病以外には事故等の外因系が多く、近年の小児人口が減少傾向の中、医療の進歩だけでなく、未来を担う人材を少しでも救うことは、社会全体の責任ともいえることです。

 小児の年齢別の死亡割合には特徴があります。2013年のデータですが、対10万人あたり、0歳が21人、1歳が3人、2歳が2人、3から4歳が1人、5歳以上は1人未満と、0歳すなわち新生児と乳児が小児の死亡の中で大きな割合を占めています。その中の0歳の死亡原因の順位は、先天性の異常や疾病が約40%を占めていますが、続いて乳幼児突然死症候群・不慮の事故が4から6%と続きます。1から4歳の順位は、1位が先天性の異常(18%)ですが、2位に不慮の事故(14%)と続いています。5から9歳の順位は、1位が不慮の事故(23%)、10歳以上では自殺が20%、不慮の事故が14%と疾病でない子どもの死の割合が増加しています。

 疾病でない子どもの死は突然であり、不慮の事故・自殺・突然死といった死亡は、社会的背景が要因の一つとして考えられる事象です。避けることができる可能性がある“子どもの突然の死”に対しては、社会全体の意識を向上させ、社会全体で対策を考える必要があるでしょう。

長野県の子どもの死

 長野県では平均で年間約60人の小児が死亡しており(1歳未満の乳児が約30から35人、1から4歳の幼児が約10人、5から9歳が6から8人、10から14歳が6から8人)、死因としては全国統計と同様に新生児・乳児死亡は疾病によるものが多く、幼児以降は不慮の事故が多くなっています。

 一方で2007年から2015年2月までに小児中核病院である長野県立こども病院に直接来院した心肺停止症例(心疾患を除く)34例の症例内容を検討すると、“突然の子どもの死”の課題が見えてきます。5歳以上の11例においては、交通事故による外傷・溺水・窒息・自殺が主要因で全員が死亡しました。1から4歳の幼児10例においては、7例が窒息・1例が絞頸・2例が疾病であり、半数の5例が死亡しました。一か月以降の乳児13例においては、原因不明の死が11例・呼吸不全2例であり、13例が全員死亡しました。そのうち行政または病理解剖を12例に行いましたが、明確な原因が判明したものはありませんでした。これらのことから、幼児期以降は事故予防が重要な課題であり、乳児から幼児前半に関しては事故・虐待を含めた事件・乳幼児突然死症候群の区別に大きな課題があることが判ります。

事故・事件の対策

 小児の事故を完全に予防することは不可能です。しかし、乳幼児はその成長段階において監督・誘導・言い聞かせ・指示・教育といった行動を継続して行うことで、事故の可能性を低下させることはできるかもしれません。また消費者庁などのホームページに掲載されているような事故の実例から、具体的に注意しなければならない事例を知ることで、幼児期に多い溺水や誤嚥による窒息といった突然の死に対しては、予防の可能性を上げることができるかもしれません。

 肉体的に脆弱な乳幼児に対し、明らかな傷害・身体拘束・放置等は事件として認識される可能性が高いと考えられます。一般的にそのような光景は日常生活の中で認めることは少ないですが、もしそのような光景を認めた場合には、直ちに警察もしくは児童相談所に通報することが極めて重要です。

 これらの少しずつの社会的な認識の向上や対応が、不慮の事故や事件による突然の子どもの死を少しでも減少させる可能性は十分にあります。

乳幼児虐待検知の現状

 乳幼児において、突然死症例や神経重症症例と虐待を明確に区別することは極めて難しいです。乳児には一眼見てわかる骨折・外傷・痣といった典型的な虐待を疑わせる初見はほとんどなく、前述の様に心肺停止できた13例中12例で原因が特定できないことや、脳症・痙攣等の重症神経症例の中に頭蓋内出血や眼底出血を伴う虐待症例が散見されます。虐待は子どもの突然死の大きなリスクであり、いかにして重症症例の中から虐待の可能性のある症例を検知するかが重要です。

 我々が他施設と共同で乳児頭部外傷に関連するさまざまな事項を解析したところ、多くの知見が得られました。

 まず保護者の信頼度に関して、保護者から聴取した受傷機転と実際の転帰を比較したところ、保護者の話における受傷機転が軽度の方が、中等度より生命予後・神経学的予後が不良でした。同様に頭部外傷における推定落下距離が低い方が、高い方より生命予後・神経学的予後が不良でした。以上より保護者から聴取した受傷機転の信頼性は高くなく、それを元に虐待を判断することは危険です。

 また身体的典型的所見を伴わないことに加えて、乳児の虐待による外傷は頭部出血性病変が主であることから、全身骨のレントゲンで骨折や、外見上の身体所見がなかったとしても、虐待を否定することにはなりません。

 頭部断層CT所見によると、虐待症例では急性硬膜下血腫が多く、事故による頭部外傷では急性硬膜外血腫が優位に多く見られました。さらに急性硬膜下血腫で頭蓋骨骨折がない症例は虐待と強く関連しており、

乳児揺さぶられ症候群(Shaken Baby Syndrome)といった鈍的頭蓋内外傷が推定されました。これは強い直接打撃の所見が乏しいことを意味しており、受傷機転に関する認識が低いことにつながります。

 このように典型的でない乳幼児虐待を検知のためには、主観的に判断するのではなく、客観的に判断する必要があります。

乳幼児突然死症候群と虐待の区別

 乳幼児突然死症候群(SIDS: Sudden Infant Death Syndrome)は、それまで元気だった赤ちゃんが、事故や窒息ではなく眠っている間に突然死亡してしまう原因不明の病気です。日本での発症頻度はおよそ出生6 7千人に1人と推定され、生後2 6か月に多いと言われています。SIDSの危険度は「うつぶせ寝」「両親の喫煙」で高くなり、「母乳栄養」で低くなることが判明しています。うつぶせ寝・喫煙を避けて、できるだけ母乳で育てることがSIDSの予防に大切です。

 一方で、突然に生じた子どもの心停止の原因を判明させることは困難です。特に乳児は、多くの症例で臨床的に原因が特定されず、病理解剖・行政解剖を行いますが、ほとんどの場合で原因が不明です。SIDSの定義は「それまでの健康状態および既往歴からその死亡が予測できず、しかも死亡状況調査および剖検査によってもその原因が同定されない、原則として1歳未満の児に突然の死をもたらした症候群」となっており、臨床の現場では、「事故か?」「SIDSか?」「虐待か?」を区別することは難しいのが現状です。

突然の子どもの死に対する取り組み

このように事故・虐待・SIDSによる突然の子どもの死に対して、それぞれ社会的・医療的に行える取り組みがあります。個人では直接的な効果は少ないかもしれませんが、社会全体で大きく取り組むことで、突然の子どもの死を予防する可能性は高くなると考えられます。小さな取り組みの積み重ねが、子どもの命を救い、将来の社会を構成すると考えます。

<参考資料>

・総務省統計局 http://www.stat.go.jp/index.htm

・Amagasa S, Matsui H, Tsuji S, Moriya T, Kinoshita K. Accuracy of the history of injury obtained from the caregiver in infantile head trauma. Am J Emerg Med. 2016 Sep;34 (9) :1863-7.

松井 彦郎 1969年生まれ。2011年より現職。日本小児科専門医、日本集中治療専門医、日本英国医師免許・日本小児循環器専門医、日本超音波専門医、英国小児循環器専門医・英国博士号。

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

2 いのちの時間と向き合って こども病院で出会った子どもたちに教えてもらったこと

長野県立こども病院 療育支援部認定チャイルド・ライフ・スペシャリスト
塩崎 暁子

ねえ、“ぬくもり”ってなあに?

「ねえ、“ぬくもり”ってなあに?」当時4歳だったAちゃんのリクエストで『うまれてきてくれてありがとう(作・にしもとよう、絵・黒井健/童心社)』という絵本を読んでいたときのことです。この絵本の中に「ぬくもり」という言葉が出てきました。柔らかでかわいらしい挿絵を眺め静かに聞き入っていたAちゃんからの突然の質問でした。私は少し緊張しながら、一緒に聞いてくれていたAちゃんのお母さんとこんな風に答えました。「ママにぎゅーって抱きしめてもらったり、手を握ってもらって嬉しいな、あったかいなと思う気持ちのことだよ」と。Aちゃんのお返事は「ふぅん。」でも、私が病室を出ていったあと、お母さんに「ぎゅーってして。」と言ったそうです。

言葉の意味ではなく、「ぬくもり」という言葉にある温かさがAちゃんに伝わったようでした。私は、このとき闘病生活を送っていたAちゃんが、大好きなお母さんに抱きしめてもらう時間の尊さを感じていたようにも思うのです。

生と死に向き合う場所で思うこと

私は、医療を受けている子どもや家族の精神的負担に寄り添い、その子本人や家族が持つ本来の強さを引き出す支援(エンパワメント)をするチャイルド・ライフ・スペシャリストという仕事をしています。

病院で日々、子どもたちの生と死に向き合う中で子どもたちの気持ち、家族の願いに触れることがあります。病院で過ごす多くの子どもたちの願いは、おうちに帰ること、家族と過ごすこと、おうちのご飯を食べること、きょうだいと一緒に遊ぶこと…。家族の気持ちは、痛くないこと、苦しくないこと、穏やかに笑顔でその子も家族も過ごせること…。病院での治療を終え、障がいがあってもおうちに帰ることができる子たちもたくさんいます。一方で、病院で闘病生活を送りいのちの時間が限られた子どもと家族がおうちで療養生活をする、と決めることもあります。精一杯生きている子どもたちの希望や思いをかたちにしていく場面に携わらせていただくことも少なくありません。

病院から外来・在宅医療への移行は、どの子、どの家族にとっても重要な転換点です。医療者や医療機関だけが協力体制を整えるのではなく、これから子どもたちが成長していく過程を一緒に見守るところとして行政、福祉、教育機関など地域社会全体の連携や理解が大きな支えになるのは間違いありません。

最近、小児の緩和ケアの普及や子どもホスピスの設立が話題になっています。緩和ケアは、がんと診断された人のためのケア、終末期医療であると誤解されがちですが、からだの痛みや不調、心のつらさを和らげる医療のことです。病気が進行した患者さんだけが受けるものではなく、治療の初期からつらさや不安に対処するものであり、子どもも同じです。子どもホスピスは、国内にある成人向けの施設とは異なり「レスパイト(小休止)機能」を併せ持つことが特徴といえるのではないでしょうか。昼夜を問わず医療的なケアが必要な子どもたちの健やかな成長を支える場として、そしてその子を育てる家族の持続可能な生活のためのリフレッシュができる施設です。私は、どれも病気とともに成長する子どもたちとその子を支える家族が明日を楽しみに生きるための医療や社会づくりだと考えます。

子どものこころの育ち

小学生になったばかりのBちゃんは、闘病している妹さんがいました。Bちゃんが妹さんとお別れをしたとき、思い出を「頭の中のカメラの写真」だと話してくれました。頭の中のカメラで撮影した写真はBちゃんのからだじゅうにあり、からだがずしんと重たくなったことでBちゃんは自分には思い出が詰まっていると気がついたのだそうです。Bちゃんは決して寂しくなかったわけでも、悲しみを抱かなかったわけでもありません。想像力を駆使して悲しみや怖さを理解しようとしたり、もう一緒に遊べないことをなんとか現実として受け止めようとしたり一生懸命に考えた「答え」だったのではないかと思います。

子どもが死を理解するのと受け入れるのとでは、まったく意味合いが異なります。子どもの死の概念理解は、幼児期から学童期にかけて段階を経て子どもの心の成長と共にすすみます。死を理解するというのは、1死は全ての生き物に訪れること、2死んでしまったら生き返らないということ、3死によって体の働きも心の動きも止まること、4体の働きの停止が死の原因だということが分かることだといわれています。しかし、死の概念理解がすすんでも、死を身近に感じて悼み、いのちを大切にできるかどうかは、その子どもの想像力であるように思います。

絵本のちから

ありふれた例ですが、ゲームやマスメディアによってもたらされるバーチャルな死ばかりを経験しているため、死別やいのちに対してリアリティを感じられない子どもたちがいるといわれています。

谷川俊太郎さんの『あい』という詩があります。

「あい いつまでもそばにいたいこと / 愛 いつまでも生きてほしいと願うこと」(『みんなやわらかい』詩・谷川俊太郎、絵・広瀬弦/大日本図書 より抜粋)

ただただ、いのちの尊さを説いても子どもたちに共感は得られません。かといって、生身のいのちに触れる経験がなければ理解ができない、そんなことはないと思います。子どもたちの想像力の育ちを助けるものとして、絵本や読書が果たす役割はとても大きいと感じます。豊かな想像力が育つ時期だからこそ、絵本を通してさまざまな感情や体験の共有をして想像を巡らせて欲しい、どの子にも、いのちの尊さやぬくもりに触れて欲しいなと願います。私たちおとなには、子どもたちと絵本との出会いを作る役割があるのではないでしょうか。

自分らしく生きる

長い間治療のため入院生活をしていた小学生のCくんの退院が決まりました。出会った当時のCくんは、1日の大半をベッドの上で寝たきりで過ごしていました。仕事を始めたばかりだった私は、おこがましくも「ベッドに寝ているこの子の世界を広げるお手伝いがしたい」と思いましたが、結局何もできませんでした。この子は、自分でやりたいことを声に出して周囲に伝えて、ぐんぐん世界を広げていったのです。治療もリハビリも頑張り、大好きな食事の時間を楽しめるようになり、車いすを自分で運転操作できるようになりました。Cくんの圧倒的な強さと逞しさに触れ、「なにかしてあげたい」なんて思った自分が恥ずかしく思えました。

自分をよく知るのは、おとなでもとても難しいです。けれど、自分が好きなことや、やりたいことを声にするならできるのではないでしょうか。病気であってもなくても、子どもたちが目標やモチベーションになるものを見つけた高揚感を共有してくれるのはとても嬉しいことです。子どもたちが発信してくれた意思を知ることで、私を含め、周りのおとなが応援できることが増えると思っています。

医療の場面で子どもの意思決定を支え、その子が自分の考えを他の人に伝えるアプローチとして、インフォームド・アセントがあります。子どもの年齢や発達に合わせて分かり易く説明し、その子が説明された内容に対して納得する過程を大切にします。病状にかかわらずどんな時もその子らしい頑張り方や時間の過ごし方を支えるには、その子自身や家族の信念や価値観を知り、尊重する姿勢が大前提になります。「まだ子どもだから、分からないね」と後回しにするのではなく、ひとりの人としてその子の声に耳を傾けることで互いの信頼感が高まり、患者医療者双方にとってより充実した医療に繋がると思います。

おわりに

いのちと接するかけがえのない時間の中で、子どもたちに想像力をもつことの強さ、自分の気持ちを声にすることによる可能性の拡がりを教えてもらいました。子どもたちが周囲の人たちとのかかわりの中で愛される実感を得ながら自分のいのちを愛おしいと感じ育っていくことができますようにと願います。

塩崎 暁子 長野県立こども病院 チャイルド・ライフ・スペシャリスト

泣いた顔、笑った顔、どの表情も愛おしい。そんな姿を見せてくれる子どもたちの傍で仕事ができるのは、こんなにも幸せなのだと日々感じています。

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

3 子どもの身近で発生する「製品事故」の実態とその防止策

主として乳幼児に焦点を当てて

松本短期大学 准教授
福田明

はじめに

私たちは多種多様な製品に囲まれて生活しています。しかし、そうした製品によって思いがけない事故が発生する時もあるのです。そこで本稿では、主として乳幼児の身近で起きやすい「製品事故」の実態を示すとともに、その防止策を検討してみたいと思います。

1. 製品事故とは何か

消費生活用製品安全法第2条第4項によれば、「製品事故」を次のように定義しています。

「消費生活用製品の欠陥によって生じたものでないことが明らかな事故以外のもの」とは、製品の欠陥によって生じた事故でないことが明らかな事故の場合、「製品事故」に該当しないという意味です。

しかし実際には、こうした「製品事故」の解釈を超え、独立行政法人国民生活センターには製品に関連する事故が数多く報告されています。具体的には「2007年8月、3歳男児がボタン電池を鼻の中に入れて電流が流れたためか、鼻中隔の組織が壊死した」「2015年2月、1歳8か月女児がショッピングセンターのカートに乗っていたところ、転落し後頭部を打撲し、後に死亡した」といった内容です。

こうした状況を踏まえ、本稿では「製品事故」を「製品に起因または関連して発生した人身事故」と操作的に定義して用いることにします。

2. 子どもの製品事故の実態

2007 2011年度までの5年間に独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)製品安全センターに通知された製品事故1)のうち、0から14歳の子どもが人的被害(死亡・重症・軽症を含む)に遭った事故について、まず、年代別に整理すると表一のようになります。

表一をみると、0から3歳の乳幼児が家庭内で51.7%、屋外で42.4%となっており、ともに最も多い状況です。つまり、家庭内・屋外に関係なく、製品事故に最も注意が必要な年代は乳幼児期であることがわかります。

表一 子ども(0から14歳)の年代別にみた製品事故の発生状況

一行目 発生場所

乳幼児の人数

乳幼児の割合

幼児の人数

幼児の割合

小中学生の人数

小中学生の割合

合計の人数

合計の割合

 家庭内

183人

51.7%

82人

23.2%

89人

25.1%

354人

100%

 屋外

142人

42.4%

102人

30.4%

91人

27.2%

335人

100%

次に、製品別人的被害状況における上位5品目を示したものが表二になります。

家庭内では「玩具」が169件で最も多く、以下「乳幼児用椅子」の12件、「電気湯沸かし器」の11件と続きます。例えば、玩具では「ビーズが耳に入り、とれなくなった」、乳幼児用椅子では「椅子からバランスを崩し、転落した」、電気湯沸かし器では「電気ケトルのコードを引っ張り、転落して火傷した」といった事故が報告されています。

屋外では「ベビーカー」が115件で最も多く、次いで「自動車用幼児座席」の70件と続きます。例えば、ベビーカーでは「折り畳み部に指が挟まった」、自動車用幼児座席では「転倒等の衝撃や取り付け不備によって足乗せ部が破損し、足が巻き込まれた」といった事故が報告されています。

表二 子どもの製品事故の製品別人的被害状況(上位5品目)

 順位

家庭内製品

家庭内事故の件数

屋外製品

屋外事故の件数

 1位

玩具

169

ベビーカー

115

 2位

乳幼児用椅子

12

自動車用幼児座席

70

 3位

電気湯沸かし器

11

自転車

50

 4位

哺乳瓶

11

アクセサリー

27

 5位

扉(折れ戸)

10

花火

15

3. 子どもの製品事故防止に向けて

1) 3Eの推進

産業経済総合研究所は、製品事故における防止策として3Eを推進しています。3EとはEnforcement(法律・基準を変える)、Environment(環境・製品を変える)、 Education(学習を通して変える)のことです。

例えば、Enforcementには自動車チャイルドシートの安全性基準を高めること、Environmentには転倒して口に突き刺さるのを防ぐ曲がる歯ブラシや転倒しても湯漏れしない電気ケトルへの転換、Educationには製品に隠された危険性を学んで危険認識力を高めることが該当します。特に家庭・学校・地域においては、EnvironmentとEducationの推進が重要です。

2)環境整備の推進―整理整頓による製品チェック

前述のとおり、乳幼児における家庭内の製品事故は玩具によるものが多くなっています。にもかかわらず、子育て中の親を対象におこなった「子どもの片付けに関するアンケート」結果2)では、全体で76.2%が子どもの片付けに「満足がいかない」とし、子どもが片付けられないで困る物を問うと、乳児の親の90.4%と幼児の親の91.3%がともに「玩具」と回答しています。

この場合、単に「片付けられなくて困る」だけで済ますのではなく、「片付けられていない玩具の中には危険が潜む」という認識を親がもつことが重要です。その上で親は片付けを子ども任せにせず、一緒に行う中で「口に入れてしまいそうなパーツ」「はがれそうなシール」等の製品チェックを行う必要があります注1)

3)事故防止学習の推進 ―KYTの普及を目指して

製品事故発生後、後悔しないためにも、その防止に向けた学習が重要です。1つとして、過去に生じた事故事例に基づきイラストを作成し、そこに潜む危険を探し、その防止策を考えるKYT(危険予知訓練)注2)を行う方法があります。その際は、それぞれの回答について専門家からアドバイスをもらえる場で行うと、さらに効果的です。

例えば、以下のイラストに隠された危険を探り、その防止策を考えてみましょう。

赤ん坊がブラインドの開いた窓際で遊んでいるイラスト

おわりに

日本は物質的に豊かになったとはいえ、それにより生み出された製品によって事故が起きる場合もあるのです。特に乳幼児では、死に至るケースもみられます。そうした悲劇を防がなければ、本当の豊かさを得たとはいえないでしょう。製品事故を防ぐためには、法制度や環境の整備に加え、個々人の危険認識力を高めることも重要です。そのためには、製品事故の実態を知り、その防止に向けて、地域住民がともに学び合う機会と場を増やしていくことが求められます。

「製品事故」とは、消費生活用製品の使用に伴い生じた事故のうち、次のいずれかに該当するものであって、消費生活用製品の欠陥によって生じたものでないことが明らかな事故以外のものをいう。

(1)一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生した事故

(2)消費生活用製品が滅失し、又はき損した事故であって、一般消費者の生命又は身体に対する危害が発生するおそれのあるもの

福田 明 松本短期大学 准教授

資格 介護福祉士・社会福祉士・介護支援専門員・福祉住環境コーディネーター2級・介護口腔ケア推進士/主著『介護研修と介護福祉教育の連携促進に向けた実践研究―介護福祉人材の質向上を目指して』みらい,2016年

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

4 子ども(未成年)の自殺

篠ノ井橋病院 精神科医
遊木 正俊

平成29年3月23日に厚生労働省自殺対策推進室および警察庁生活安全局生活安全企画課から、『平成28年中における自殺の状況』が発表されました。

1. 全国の概況

平成28年の自殺者数は21,897人で、対前年比2,128人(約8.9%)の減です。平成10年以来、14年連続して3万人を超える状況が続いていましたが、22年ぶりに2万2,000人を下回りました。男性は7年連続、女性は5年連続で減少しました。また、男性の自殺者は、女性の約2.2倍となっています。

人口10万人当たりの自殺者数である自殺死亡率は、総数17.3、男性24.5、女性10.4となっています。平成21年以降低下が続いていて、平成28年も前年より低下しました。男性は7年連続、女性は5年連続で低下しました。男性は女性の約2.4倍となっています。

年齢階級別自殺者数は、平成28年は前年と比較して、全ての年齢階級で減少しました。

昭和53年から 平成28年までの 年間自殺者推移を 示したグラフ

2. 全国の未成年の自殺

平成28年は、全国で520人でした。前年より34人減少しています。小学生12人、中学生93人、高校生215人、大学生等学生79人、有職者74人、無職者47人でした。

自殺死亡率は2.4で、他の年齢階級では減少していますが、未成年者では、ここ数年ほとんど変化が見られません。

平成19年から 平成28年までの 年齢別の自殺者数を 示したグラフ

平成19年から 平成28年までの 年齢別の自殺死亡率を 示したグラフ

3. 未成年者の自殺の原因・動機

自殺の多くは多様で複合的な原因と背景があり、さまざまな要因が連鎖する中で起きています。遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を、自殺者一人につき3つまで計上したものによると、未成年者の自殺の原因・動機は、多い順に、学校問題、健康問題、家庭問題となっています。学校問題では学業に関する悩みが多く、健康問題では精神疾患および精神状態によるものが多く、家庭問題では家族関係の不和が多く、家族からのしつけ・叱責が続きます。

4. 長野県では

平成28年は自殺者数393人(男性268人、女性125人)、未成年者11人でした。

平成27年は自殺者数415人(男性302人、女性113人)、未成年者12人でした。

長野県でも未成年者の自殺は減っていません。

平成27年及び 28年における 都道府県別の 年間自殺者数を 示したグラフ

5. 命の大切さ

教育の場面で命の大切さを教えることは今までも行われています。各家庭でも行われていると思います。

子どもの世界で起こっていることは、おとなの世界で起こっていることの表れでもあります。最近表面化している「震災いじめ」はどうでしょうか。おとなの世界で起こっていることの表れだと思います。

また、おとなが日常会話の中で簡単に「死ぬほど」、「死にそう」、「死にたい」と口にすることは子どもに影響すると思います。慎みたいものです。

6. 「死にたい」と打ち明けられたら

先にも述べたように、自殺の多くは多様で複合的な原因と背景があり、さまざまな要因が連鎖する中で起きています。そのような中で、心理的な視野狭窄状態に陥り、孤立し、この悩みやつらさから解放されるには「死」しかないと思い込み、自殺に至ると考えられます。

「死にたい」と打ち明けられたら、大変気が重いと思います。そして、自殺について話題にすることは、自殺を促進するのではないかと思う方もいるかもしれません。しかし、自殺について話題にすることは、実は自殺を予防する効果があるのです。

「死にたい」と打ち明けるということは、助けを求めているということなのです。「死にたい」と誰かに告げる意味は、「死にたいくらいつらい。しかし、そのつらさを和らげることができるのであれば、本当は生きたい」のです。自殺を考えている人でも「助かりたい気持ち」と「助かりたくない気持ち」の両方を揺れ動いているのです。だからこそ、できるかぎり同意を得て援助を進める必要があります。

そのためには傾聴することが必要です。そして、つらさの原因を尋ねることが大事です。この場面では、「命の大切さ」を説くことや、自分の人生哲学を述べることは逆効果です。それは、こちらの考えを押し付けることになり、「この人に話しても私のつらさはわかってもらえない」となってしまい、それ以降、話をしてくれなくなります。自殺を予防するために一番必要な信頼関係の構築はできなくなってしまいます。

「死にたい」と打ち明けられたら、一人で抱え込まず、支援資源に確実につなぐことが必要です。保護者、担任、その他の先生、心理士、精神科医療機関その他に確実につなぐことです。その際に、本人から同意を得ることが大事になります。筆者は精神科病院に勤務する精神科医ですが、学校から“丸投げ”のような形で受診する子どもがいます。おそらく、子どもは学校から見捨てられたと感じるでしょう。これは、つなぐことにはなりません。

「死なない約束を結ぶ」というフレーズを聞いたことがある方もいるかもしれません。これは単に「死なないでね。約束だよ」と言うことではなく、「次に会う約束を結ぶ」ということなのです。

7. 自傷行為について

リストカットなどの自傷行為は、気をひくためにしているのではありません。自殺念慮がある場合もありますが、多くの場合、不快感情への対処行動として行われています。自傷行為は非致死的な方法をとり、「正気を取り戻す」ために行う行為とも言えます。一方、自殺企図は致死的な方法をとり、「困難から脱出する」ために死を選ぶ行為です。

自傷行為により死に至ることは少ないのですが、自傷行為をするということは、既に苦しみを抱えていることでもあります。なので、自傷行為がある子は、自殺に近いところにいると考えた方がよいでしょう。

自傷行為には「心の痛みに対する鎮痛効果」があると考えられています。「気持ちが落ち着く」と表現する子も多くいます。その仕組みは、自傷行為によって「心の痛み」を「身体の痛み」に変換する、すると「身体の痛み」に対して防御反応が起き、脳内で麻薬様物質が分泌される、それにより「無感覚・麻痺」という状態になり、「心の痛み」が一瞬緩和されると考えられています。自傷行為による「心の痛みに対する鎮痛効果」は持続せず、また、耐性獲得と依存性があり自傷行為はエスカレートしていきます。

自傷行為のある子に精神科医療機関の受診を勧めることはあると思います。また、自ら受診する子もいます。精神科医療機関を受診すれば安心かというと、それで安心することはできないこともあります。精神科医療機関ではベンゾジアゼピン系抗不安薬や抗うつ薬を処方されることがあります。ここに危険が潜んでいます。

ベンゾジアゼピン系抗不安薬の働きは脱抑制です。“ぼんやりする”、“ふわーっとする”働きもあるのですが、ブレーキが利かなくなる働きもあります。「心の痛み」が楽になる働きがあるのですが、アルコールと同じように耐性獲得と依存性があり、それが過量服薬につながります。脱抑制のある薬剤を過量服薬するとブレーキが利かなくなり衝動性は亢進します。また、若年層に対する抗うつ薬の有害反応に賦活症候群があります。自殺念慮がある場合、衝動性の亢進と精神運動活動の賦活は自殺企図につながる可能性があります。

「生きるため」に精神科医療機関を受診したのに、逆に「死」が近くなってしまうことになってしまいます。このことは私も含めた精神科医療者が十分に注意しなければならないことです。

リストカットなどの自傷行為がある子から相談されたらどうしたらよいでしょうか。「自分の身体を傷つけちゃダメ」と言いたくなりますが、いきなり言わない方がいいでしょう。「死にたい」と打ち明けられたときと同じです。お説教をすると、そこで話は終わってしまいます。その子は、「この人に話してもわかってもらえない」と思ってしまうでしょう。関わる際には、自傷しないことを目的とするのではなく、援助関係が続くことを目的とします。自傷行為という表層の行動の背景にある問題を解決することを援助するのです。

自傷行為のある子は、摂食障害、性行動、飲酒、喫煙、過量服薬など、あらゆる「自分を大切にしない」問題を抱えています。しかし、最大の「自分を大切にしないこと」は、悩みを誰にも相談しないこと、そして、大切な人を試し、挑発し、傷つけて、関係を破綻させることです。このような子と援助関係を持続するためには、本人も含めたチームを組むことが必要です。

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

5 「だれの子どももころさせない」 子どもたちに残す平和な世界をめざして

安保関連法に反対するママの会 信州
信州の母ちゃん

はじめに

2015年9月19日。多くの反対議員の怒号、人、ひとの壁で何が起こったのか分からない状況の中、安全保障関連法が国会で可決されました。自衛隊の任務に関する問題、現在の憲法9条の下で集団的自衛権の行使を認めてよいのかという問題。安保関連法に反対するママの会信州は2015年7月頃から県内に住む子育て中の母親を中心に始まった活動です。2017年現在までの活動について振り返りたいと思います。

知ること、そして声を上げること

安保関連法がまだ「法案」だった7月の国会。自衛隊員の任務のリスクについてや、憲法に違反していることなどの議論が何度もありました。長野県内では「この法案はおかしい」と感じたお母さんが街頭に出て反対のプラカードを掲げました。ひとりで。または数人で。その頃京都に住み3人の子どもを持つ西郷南海子さんがFacebookで「だれの子どももころさせない」をスローガンに安保関連法案に反対の声をあげよう!と呼びかけを始めました。

賛同は瞬く間に2,000人を越え7月26日には渋谷で大規模なデモがあり、ベビーカーを押したり子どもと手をつなぎながら歩く母親ら多くの参加がありました。県内で個々に声を上げていたお母さんたちもSNSで少しずつつながり安保関連法に反対するママの会信州をFacebookで立ち上げ、9月に長野市でおこなったアピールウォークでは親子約100名が集まりました。

憲法カフェなど県内のさまざまな場所で勉強会がありましたが小さな子どもを連れて参加できるものは限られていました。どこまで知って「反対!」と言えているのか。もっとちゃんと知りたい。そんなメンバーが自分たちで母親を対象にした勉強会を企画しました。

安保関連法について話すきっかけにと紙芝居や手書きのリーフレットも作成しました。政治を身近に感じたいと、県内4政党の議員さんとの座談会を企画しました。手作りのお菓子にお茶を飲みながら形式ばらずにお互いざっくばらんに話せる雰囲気を作りました。

県議会や長野市議会に安保関連法の廃案を求める意見書の請願を行いましたが、どちらも賛成が過半数に満たず不採択となりました。

参議院選挙では集団的自衛権の閣議決定の撤廃と安保関連法の廃止を掲げた野党統一候補の擁立への呼びかけや、候補者との座談会などを行いました。そして毎月各地域で行われている19日(強行採決の日)アクションで街頭に立っています。

「自分の耳で聞きたい、知りたい、そして行動もしよう」という想いが活動の柱になっています。

安保関連法に 反対する旨の 字が書かれた プラカードを掲げる、人々の集合写真

「戦争を許す国づくり」

安保関連法を「戦争法」と呼ぶことについて、さまざまな意見がありますが、戦争できる国づくりへまた大きく一歩踏み出したその通りの名前でしょう。日本は太平洋戦争後、その大きな反省を憲法に込めました。時の権力が暴走しないように。情報が隠されないように。人権が侵されることのないように。そして二度と戦争を起こさないように。しかし今日に至るまでには武器輸出三原則は事実上なくなり、今は平和貢献のための「移転」と言葉を変えて外に出せるようになり、ミサイルなどを共同開発したりしています。国際貢献と聞こえの良い名前の下、日本が製造したものが戦闘で使われ人が死ぬ日がもう来ているのです。安保関連法だけでなく2013年の特定秘密保護法成立や2016年通信傍受法改正、2017年今国会では過去3回廃案になった共謀罪が提出されこれからの議論が大いに注目されます。その他にも少しずつ国の形を変える仕組みは整いつつあると感じます。

太平洋戦争はある日突然始まったわけではありません。市民の生活への変化もひたひたと、教育現場での変化も次第に。さまざまな法改正の中、国民が戦争を受け入れざるを得ないような、また「おかしい」と声をあげられないような仕組みが整った上での開戦だったのです。日常が日常でなくなり、家族や親せき、近所の男の人が兵隊として戦争へ行き、死に、その死さえも当たり前のこととして受け止めなければならなかった異常さ。あの時代、自分の大切な人や子どもに「行かないで」「死んではいけない」と声を上げることもできないまま戦地へ送り出した母親の行き場のない悲しみ、怒り、自責の念。「しょうがなかった」は、もう絶対に繰り返させてはならないのです。

過去を学び、今を知った時、現在の状況こそがその「変化の時」だと感じます。

安保関連法施行後自衛隊員が派遣されている南スーダンではいつジェノサイドが起こるか分からない緊迫した状況が続いています。政府軍にも反政府軍にも少年兵がいます。誘拐され生きるために銃を持たされている子どももいるのです。子どもは生まれてくる時代を選べません。生まれた場所が戦場であればそこで生きていくのです。そしていつも犠牲になるのは市民、子どもです。戦争や紛争にどんな理由をつけても命を奪うその行為に正しいことなどはひとつもありません。

戦争の反省の下、国民が受け入れた日本国憲法9条。その精神を「自分の国の子どもをころさせない」ためだけの戦争放棄ではなく「世界中の子どもを誰一人戦争でころさせない」精神として武力での紛争解決ではない道筋を世界の先頭に立って作る国であって欲しいと願います。(2017年3月末記載)

日本の行方

安保関連法を知る中で憲法や教育のことについても理解を深めてきました。

2006年に改正された教育基本法に憲法改正草案の中に出てくる言葉が使われていることがきっかけでした。この何年かの日本の教育としての目標は「21世紀の国際競争を勝ち抜き、国際社会に貢献していくこと」であり子どもたちを「人材」と表現することが多くなりました。格差の広がる中、学校教育の中までも一部の優秀な人材だけが育てば良いという方向に向かっていないか危惧します。大学における軍事可能研究へ国からの補助が出るようになったことも教育への大きな変化の一つとみています。一方で不安定な雇用の中、奨学金返済で生活に負担がかかっている若者は多く、日本の教育機関への公的支出はOECDの中で群を抜いて低くその傾向はここ数年でも変化が見られません。教育と一言で括るには使い道に疑問を感じます。

子どもたちの人格の形成の中で大切なことは一人ひとりの感性をどう伸ばしていくかではないでしょうか。

感じかた、考え方はそれぞれ違います。方式を覚え一つの答えに向かうことも大切なことですが、答えが一つではなく感性がそのまま表される道徳のような授業に対して評価を付けるということは何を意味するのでしょうか。子どもは純粋です。答えがあれば探そうとします。自分の感じたことと異なっても「正解とされるもの」を導き出すことが正しいと思う子どももいるでしょう。それを教育の中で一番大事なこととして評価して良いとは思いません。

活動を通して何よりも強く感じたことは今の子どもたちに多くを求めるよりもまず、今のおとながもっと主権者としての意識を持つことが必要なことではないかということです。まったく政治へ興味を持たず生きてきた自戒を込め、親である前にまず一人のおとなとして、無関心と「答え待ち」によりこの国を今の流れに導いた者として責任を感じます。目の前の変化に絶望することなく小さくても足元でできることを、同じように「知りたい」「変えていきたい」の気持ちを持つ人とつながり模索していきたいと思います。

ママの会信州が 発行している リーフレットの写真1 ママの会信州が 発行している リーフレットの写真2

安保関連法に反対するママの会 信州

子育て中のお母さんが気軽に参加できる勉強会や座談会を企画しています。 FBページでは活動の報告やリーフレットのダウンロードも可能です。

特集 1 いのち うばわれる子ども・若者のいのち

特集 1 いのち うばわれる子ども あとがき

長野の子ども白書編集委員 蓑島 宗夫

『2017長野の子ども白書』の中で、子どもが命を失う理由や状況について取り上げ、このテーマについて読者に正しい認識を持っていただくことが、この白書の重要な役割の一つだと編集会議の中で話し合われ、特集「いのち うばわれる子ども・若者のいのち 」が組まれました。

日本の乳児死亡率の低さは世界一の水準ですが、幼児・学童死亡率はそうでもありません。子どもの死亡原因の概要は松井先生の文冒頭で概説していただきました。また、終わりの部分で、虐待死、事故死、乳幼児突然死症候群の区別は、県立こども病院においても救急医療の現場では判断が困難ということも示していただきました。欧米では、子どもの死の原因について、司法や福祉などの行政や受け入れ先の病院の関係者を含む各方面の情報を集約して、一例ずつ集団的に詳細に検討するチャイルド・デス・レビュー(CDR)制度を作り、子どもの死亡減を目指して成果を上げていますが、日本にはまだこの制度がありません。福田先生に取り上げていただいた製品事故による死亡、遊木先生にわかりやすく書いていただいた自殺や、今回は取り上げていませんが無理心中も防げる死として社会的な取り組みが必要です。

以上のような突然の死以外に、がんや心臓病などの慢性の病気で死に直面する子どもに、時間をかけて向き合っているチャイルド・ライフ・スペシャリスト塩崎さんの仕事の一つでもあるグリーフケア(家族や友人など大切な人を亡くし、大きな悲しみに暮れている人に対して行うサポート)も、CDRに両親が参加してもらうためには欠かせないとされています。

さて、この原稿を書いている最中、朝鮮半島有事がにわかに現実味を持って語られる国際情勢になってきました。日本に対するミサイル攻撃への迎撃態勢だとか、韓国にいる6万人の日本人の救出をどうするのかなどが、政府の国家安全保障会議(NSC)で議論されています。安保関連法に反対するママの会信州からタイムリーな原稿をいただいて、この特集に収載できたことは意義深いと思います。

今回の特集が、避けることが可能な子どもの死を減らすために社会全体として何をすべきか、個別課題としてどこに力を入れていけばよいのかについて、子どもに関わる職業人や活動に取り組む方々、子育て中の保護者の方に考えていただく第一歩になれば幸いです。

<参考資料>

1)我が国におけるチャイルド・デス・レビューに関する研究 : 平成22年度総括・分担研究報告書 : 厚生労働科学研究費補助金(平成22年度政策科学総合研究事業)

2)チャイルド・デス・レビュー:Child Death Review(CDR):山中龍宏、日本セーフティープロモーション学会誌 p33- 37、Vol.7、 2014

3)平成 27 年 人口動態統計月報年計(概数)の概況 - 厚労省

■ 蓑島 宗夫 1956年生まれ。2001年11月より医療法人

(社団)みのしまクリニック院長

特集 2 主権者としての子ども

そして私たち

もくじ

これ以降は特集 2のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

子どもと一緒に大人も育つ よき市民の条件 能勢 桂介

18歳選挙に高校生はどう参加したか 宮下 与兵衛

ないんだったらつくっちゃおう! まちづくりから考える主導者教育 半田 裕

子どもの声が聞こえる チャイルドラインと「子どもの権利条約」 宮澤 節子

「18歳選挙権時代」の若者と地域連携 「有権者」から「主権者」へ、「政治活動」を「地域参加」「社会参加」から 荒井 英治郎

問われる主権者教育 青年期教育の再生 馬島 直樹

特集 2のリンクは以上になります。

国会議事堂前で 18歳選挙権について 演説をする男性と 意見を述べる子どもたちのイラスト

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

1 子どもといっしょに大人も育つ よき市民の条件

立命館大学生存学研究センター客員研究員 能勢 桂介

1. 問われるおとなのあり方

『長野の子ども白書』は年々、執筆者が増え、多様な問題を明らかにしてきています。私も2014年、2016年に「外国出身の子どもの排除・貧困について」、2016年に「貧困の根本要因」について寄稿させていただきました(是非、本稿とあわせてお読みください)。とくに後者では、貧困は世界レベルや国レベルでの政治経済の激変が絡んでおり、地域のボランティア(以下、Vt)・NPOがいくら頑張っても現在の国の政策枠組みを変更させない限り、十分には解決しないことを書きました。地域は問題が現れる場ですが、地域だけを見ていては問題の複雑な要因を見逃し、ひいては解決を遅らせることになります。 

今回はこうした状況下におけるおとな、市民の役割を問うてみたいと思います。宮下与兵衛さんが子どもの主権者教育が必要なことを過去の本誌や著書(宮下与兵衛『高校生の参加と共同による主権者教育』2016年、かもがわ出版)で訴えています。しかし、貧困や発達障害などに対応できないおとなこそ主権者教育、シティズンシップ教育(以下、CS教育)が必要なのではないでしょうか。

本誌では子どもの権利に言及されていることが多いですが、小山治男さんは親や教員の権利意識が乏しいと指摘されています(本誌2015年、p.8)。私もまったく同感です。実際、世間では人権、権利を口にする人間は少数派(変人?インテリの趣味?)です。

子どもの権利条約は子どもを育て、守るおとなや社会の責任を明らかにしていますが、じつは子どもの権利の中にはおとなにとっても大事な権利があります。そして、おとなこそ権利の意味を理解し、よき市民として育つ必要があるのではないでしょうか。この白書にはVt・NPOで活動している方たちが大勢おり、私も17年ほど関わってきました。本稿では自己批判もふまえ、Vt・NPOからよき市民の条件を考えます。

2. ボランティア・NPOは社会を良くしたのか?

現代日本の分岐点になったのは、バブル崩壊の余波がくすぶる1995年だといわれています。経済界は競争力の弱い中小企業を切り捨て、正社員を縮小する方針を打ち出し、政策も福祉を削減し、競争的な市場に重きを置く新自由主義的な政策に変更されました。こうした状況下において阪神大震災があり、Vt・NPOブームがありました。

Vt・NPOブームはそれまでの反体制運動・労働運動、無償・無私としてのVtとどこが違ったのか?前者との比較でいえば非闘争性・非政治性が、後者との比較でいえば自己実現や自分らしさなど私的な利益・関心の肯定が特徴でした。言い換えると、自由で気軽、おしゃれでフツーに暮らしていける社会活動というイメージがVt・NPOについて流布されたのです。それまで、まったく社会活動に興味がなかった私も時代の変化を感じて長野県内でNPOを推進するグループで活動を始めました。当時は、社会問題を解決したいというより政治でも経済でもない新しい自由の領域を見つけたという思いでした。

他方、国も社会保障費を削減したいという意図をもち、政治的に無害化された福祉サービスなどの担い手として市民活動を想定し、1998年に特定非営利活動促進法(以下、NPO法)を制定・推進しました。ここに自由な活動を求める市民と予算を削減しスリムな政府を目指す政策決定者との奇妙な「共振」が生まれたのです(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉 ――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年)。Vtへの好感度は上がり、2016年には5万ものNPO法人が生み出されました(内閣府、2016)。これだけ増えれば世の中は良くなっているはずだと思うかも知れませんが、残念ながらそんなことはまったくありません。なぜなら市民は社会権領域の予算、政策を求めることなく、NPO法を通してしまったからです。まだ社会に余裕があったということでしょうか。

図表一で確認してみましょう。80年代から衆議院選挙年ごとに格差化・貧困化を示すデータを掲げましたが、どれも悪化しています。また首都圏と地方、地方-地方間などの地域間格差も拡大しています。とくに男女の雇用格差はひどく、男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数でも日本は135か国中101位。雇用と政治分野の女性参加が著しく遅れています(世界経済フォーラム、2012年)。NPO法とほぼ同時に施行されたのが1999年の男女共同参画社会基本法や2000年の地方分権一括法ですが、どれも法の理念と反対の結果になっています。またこの20年、子どもの問題も不登校・ひきこもり、外国出身の子どもの不就学・高校進学率の低さ(2016年の本誌、拙稿参照)、発達障がい、子ども・若者の貧困と次から次へと新しい問題が現れましたが一向に解決の兆しは見えません。

その一因はグローバル化とそれにともなう政治経済の激変に対して人々がVt・NPOに期待を寄せる一方、古臭い代議制民主主義や労働組合に参加しなくなってしまったことがあると思います(図表一)。政治や労働組合が自身を刷新できなかったこともありますが、憲法にこれらが権利として明記されていることの意味を人々が分からなくなってしまったことも大きいのです。

どうしてこのようなことが起こったのでしょうか。それは、戦後の教養教育、CS教育の放棄・怠慢、その帰結としてここ20年の市民活動のあり方にあると思います。図表二に市民活動を類型化してみました。今、市民活動で盛んなのは何といってもVt・NPOがおこなっているSタイプの活動でしょう。Lタイプでは共同で行う学習会もありますが、個人で図書館の本を読むということもあるでしょう。またS235とL1、2、LとP3など重なるものもあります。本誌はS35とLの双方に重なっています。

問題は新しい、行政が対応できない問題をカバーしているSタイプのVt・NPOがなぜPタイプの活動、政治とリンクしないのかです。これはVt・NPO業界の老舗・大阪ボランティア協会で出している雑誌(『ボランタリズム研究Vol.1、特集:政治とボランタリズム』」2011年)でも近年、提起されている問題です。

私はVt・NPOなどの市民活動に参加するとともに(Vt・NPOのサロン的学習会6年、日本語教室4年、NPO理事8年。その他、行政評価審議員、地方議会改革委員など)、それに飽き足らず研究者としてこれらの活動について調査し、考えてきました。Vtは対面的な支援とともに暖かで楽しい雰囲気づくり、世話焼き(ケア)が支配的です。またNPOなどの有給の専門スタッフは職務を専門職の枠内・範囲内でじつに熱心にこなしています(これは看護職、介護職でも同様)。双方とも個々の支援者になんとかしてあげたいという善意、熱意は疑えません。

しかし、問題をVt、専門職の枠を超えて対応したり、問題の要因や問題の人権・倫理面を探求することころまではいかないことが多い。そのことが目の前で発生している深刻な問題をネグレクトし(見過ごし)、問題化するのを妨げているように思えます。私が参加していた日本語教室では、研修生、ブラジル人の労働、移民女性の結婚、子どもの就学などの深刻な実態が山ほどありました。しかし、その実態をVtは社会問題化させることなく、暖かな支援とフェスティバルに没頭していました(能勢桂介「多文化フェスティバルの「まなざし」――隠され、維持されるもの」『現代社会学理論研究』日本社会学理論学会、第3号、2009年)。問題を社会問題として把握する観念やそうした問題を解決する手段がVtに存在しないために問題に正面から向き合うことが回避されていたのです。Vtが自己のあり方を問うのでも「子どもの気持ちを分かってあげられているのか」といった自身のケア・支援を問うもので、母親のように自身と子どもの関係に終始してしまう(もちろんこれは支援者にとって必要な資質です)。こうしたVtのあり方のために生活条件を公正化させる活動、つまり政治活動につながらないのです。そのことが事態を一向に改善させず、いつまでもそうした活動を続けさせてしまいます。

支援をただ貶めるためにこのようなことをお話しているのではありません。今のままでは多くの子どもを守れないといっているのです。ここ20年の政治経済の激変がもたらしている問題は素朴な善意の支援、地域づくりで十全に対応できるものではありません。基本に立ち返って市民であることを鍛え直さなければならないと時期に来ていると思います。

図表一 選挙・労組の衰退と格差・貧困の拡大

図表一 1980年から 2014年までの 衆議院投票率、労組組織率、男性非正規率、女性非正規率、生活保護世帯率を 示したグラフ

図表二 市民活動類型

 活動の種類

内容

担い手

 S 支援・地域づくり――支援実践

1 支援(2 支援のための学習)、3 啓発・交流、4 居場所 5 調査/政策提言

当事者、Vt・NPO/教育・福祉などの専門家

 L 学習――省み、共有する学び

1 教養教育、2 CS教育、3 意見表明

学びたい人/人文社会科学者

 P 政治活動

――生活条件の公正化

政治家への 1 選挙応援、2 議会での質問依頼、3 行政・行政政治家への政策提言・懇談

市民/行政・政治家

3. 教養とシティズンシップ

今、危機的だと思うのは、今・ここで起きている問題を与えられた範囲内の身近な手段でなんとか乗り切ろうという発想が横行していることです。先のVt・NPOの例もそうですし、非正規化して人件費を削減して乗り切ってきた企業も同様です。今・ココで起きている問題を多様な角度からじっくり、時間をかけて深く掘り下げ・解決しようとする姿勢が社会から失われています。「私と社会・世界の関係を問い直し、新たに形作っていくこと」という意味での「教養」(もとはドイツ語のBildung)の喪失が起きているのです。そして、これがVt・NPOが発展・深化しない一因だと見ています。

こういうと難しそうですが、そんなことはありません。小中学校のときにやった総合学習・調べ学習を思い出せばよいです。本誌でも執筆されている元小中学校教員の飯島春光さんの教育実践が示唆的です。飯島さんは中国帰国者生徒のいじめや生活実態に衝撃を受け、中国帰国者に聞き取りをし、中国に行き、文献をあたったりして研究し、理解を深めました。それを授業で生徒に伝えることによって、マジョリティの日本人生徒の帰国者理解を促し、帰国者生徒の自信をつけさせ、問題となっていたいじめも減ったといいます(長野県歴史教育者協議会主催学習会、2017年1月7日、於、松本市中央図書館)。

この授業の目標を飯島さんは「1 なぜ身近に中国とつながる級友がいるのか 2 その級友や家族はどんな歴史・社会を背負って生きているのか 3 それは自分自身の歴史・社会とどう結びついているのか 4 そしてそのことを踏まえて、未来に向かってどう生きていくか」(『ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった』かもがわ出版、p12に「社会」を加え、引用)と述べていますが、これこそ私がいう「教養」です。

私の執筆しているものも、目の前に見える生徒の姿だけでなく、その若者を取り巻くグローバルな格差、日本社会の雇用・結婚、移民政策の複雑な関係を伝え、私たち自身を問い直そうとしたものです(詳細は2016年本誌、拙稿参照/飯島さんの目標123)。

こうした学習によって眼前にいる他者と私だけで閉じない・終わらせない第三者に開かれた認識、私と彼ら彼女らが出会うことになる複雑な社会のあり方について人々と共有し、俎上にのせることができるのです。

また、そこには事実の背景だけではなく、どのようにその他者とかかわるべきか?という問いが出てきます(飯島さんの目標 4)。私たちが突き付けられる具体的な事例においてこそ、人権という言葉は本当に輝きをもつ。今おこなわれている人権教育では、人権は誰も異論を唱えてはならない公式のように教えられています。平等とは何か?(機会の平等か?結果の平等か?)、教育を受ける権利は誰にどこまであるのか?(外国人は公教育を日本人と平等に受けるべきでしょうか?でもその平等って?)、そもそも何が人の権利か?など、常に人々や学者の間で論争があり、決着は一向につきません。しかし、人権は多様な人々と共生するために何を普遍的に共有すべきか?を問うものであり、それによって人々の新たなよき関係を切り開いていく基準となるものです。だから、人権を問うことは初々しい若さがなければできません。

自分は他者といかにあるのか?いかに生きるべきか?という教養教育は、よき市民性を涵養するCS教育にも当然、かかわってきます。このCS教育というのは知的な面だけでなく、自由・平等な市民としてのあるべき振る舞いやマナーなどの実践的な面をともないます。たとえば、権利を侵害された時、どのように相手に伝え、どのような手段で回復するのか?人々が困っている事柄をどのように協力して解決するか?といった実践です。この点ではVt・NPOは非常にいい経験になります。

教養教育、CS教育は現在、日本ではまともにおこなわれていませんが、教育の憲法である教育基本法・第14条:政治教育、学校基本法・第51条:高等学校の目標には明記されています。ところが、それを養うことが中学高校の社会科でまったくできていません。社会科といえば暗記というイメージが生徒やおとなに根強くある。受験体制がなせる技としか言いようがありません。大学の一般教養課程も大学での位置づけがはっきりせず(苅部直『移りゆく「教養」』NTT出版、 2007年)、入門的な授業をアラカルト的に取るだけです。大学教員も自分の専門研究の一方で、生き方を問い、人々が共有すべき知識・振る舞いとしての教養を考え、学生に伝えようとする教員は少ない。結果として、若者たちは自分がどのように社会と関わっていくべきかといった教養、シティズンシップが涵養されないまま社会に出ていきます。しかし、それがどういう帰結を生むのか。働くことについて教養教育を受けていたら、電通のあの若い女性社員は自殺しなかったはずです。

また教養主義の衰退は「読書」の衰退でもあります。上昇志向と社会への理想がない交ぜになりながら若者が難解な本にトライした旧来の教養主義がなくなったのはある意味では健全です。しかし、読書は世界のさまざまな他者に対する感性、豊かな発想力、世の中がどうなろうと動じない内面を育むものです。レイ・ブラッドベリは全体主義に対して読書が持つ力をSF小説『華氏451度』(1953年)で描きましたが、目の前しか見られなくなっている現代こそこの小説は熟読に値します。

4. 支援 ― 学習 ― 政治の好循環を生み出そう

以上のような教育のあり方が今のVt・NPO、おとな・市民の成熟・成長を妨げ、日本の長期停滞を招いた元凶ではないでしょうか。これまでしっかりした教養やCSを養う機会がなかった人々がおとなになり、そのおとなの学び・成長が私も含めて未熟なためにおとなも子どもも苦しんでいる気がしてなりません。

私はVt・NPOを否定しているわけではありません。社会の矛盾を感知するVt・NPOの力は非常に重要です。それらに携わる市民が教養、CSを触媒にして公共的な言論、政治(生活条件の公正化の手段)にもっと積極的に参加すれば、社会の改善につながる好循環が生まれると主張したいのです。このことによってVt・NPOの活動基盤が整えられ、もっとVt・NPOが活躍する場が広がるはずです。

おとなの場合、教養教育やシティズンシップ教育は公民館での講座と図書館の融合によって可能になると思います。実際、『月刊社会教育』という公民館関係者向けの雑誌にはたびたび憲法や政治学習の特集が組まれています。長野県の場合、公民館の伝統があり、教養主義がまだ強いのでこうした学びの潜在的ニーズはあると思います。

啓発的な書物を読み、人の話を聞いたり、統計データを見たりしながら自分は何者か?なぜここにこうして生きているのか?子どもが成長する環境を整えるには何をすべきか?といったことを調べ学習・総合学習していけば、少しずつ自分や家族を取り巻く家族や政治や経済が分かってきます。そういう学びの中で自分の生き方を見つめなおしながら、異質な他者、社会、政治に自然と目が向いてくるはずです。そして、そういう学習をVt・NPOや職場で少しずつでもしていったらどうでしょうか。Vt・NPOだったら人権の観点から自分たちの活動を見直してみる。あるいは友人・知人と理想の働き方について話してみるなどいろいろ試してみることがあると思います。

教養やシティズンシップが身につけば、政治の土台となる公共的な言論はもっと活発になるはずです。女性で20世紀最高の哲学者の一人ハンナ・アレントによれば、公共的な言論とは人間の多様な生き方、個性をお互いに認めることであり、「人間の条件」です。人前で声を発さなければ、その人は存在しないのです。本誌会議で学校教員が発言しにくい、人権がはく奪された状況にあることが話題になりましたが、おとなこそ率先して勇気をもって子どもの権利条約第12条:意見表明権を行使すべきだと思います。この点において、本誌は学校教育、社会では拾いきれない子どもの問題を子どもも含めた多様な人々の声、意見を拾い、聞きあおうとしている稀有な空間ではないでしょうか。

出所:総務省、労働組合基本調査、労働力調査、社会保障・人口問題研究所

能勢 桂介 立命館大学生存学 研究センター客員研究員(研究領域:人権の哲学、外国人実態調査、市民活動論など。現在は恋愛・結婚、とくに独身中年男性を研究中)。

mail:nose_keisuke☆yahoo.co.jp

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

2 18歳選挙に高校生はどう参加したか

首都大学東京 特任教授 宮下 与兵衛

18歳の投票率は

18歳選挙権が実施されて最初の国政選挙であった参議院選挙の投票率は全体の54.70%に対して、18歳が51.28%、19歳が42.30%、そして20から24歳は33.21%(総務省発表)という結果でした。長野県の18歳の投票率は51.92%、19歳は38.47%でした。19歳と20代の投票率に対して18歳の投票率が高かったのは高校における有権者教育の効果によるものと言えると思います。しかし、その高校生たちへの政治教育は十分なものだったでしょうか。信濃毎日新聞が参院選1か月前の6月におこなった高校3年生の有権者への調査では、7割の生徒が投票に「行く」「たぶん行く」と回答しましたが、同時に「投票するのに必要な知識が身に付いたと思いますか」には「あまり」・「まったく」身に付いていないという生徒が71%いました。

主権者意識を育む生徒会活動

日本の20代の若者の投票率は33%台が続いていて世代別で最低であるとともに世界の若者の中でも最低というものでした。その若者たちに「なぜ、投票に行かないのですか」と聞くと、「関心がない」「わからない」、そして「行っても、どうせ社会は変わらない」という答えがほとんどでした。

1969年に文部省は通達を出して高校生の政治活動を禁止し、社会科・公民科などで具体的な政治課題を授業で取り上げて学ぶことを規制してきましたので、若者たちが政治に「関心がない」「わからない」というのも理解できます。18歳選挙権開始に向けて、2015年10月の文部科学省通知でそれらの規制を条件付きでしたが廃止しました。高校生は校外では政治活動ができるようになり、学校現場では政治教育ができるようになりました。こうしたことが十分にできていけば、政治に「関心がない」「分からない」ということは解決していけると考えます。

それでは、「投票しても、どうせ社会は変わらない」という意識はどうしたら変えることができるのでしょうか。信濃毎日新聞が長野県内の高校生1,400人の意識調査をした結果(2016年1月28日発表)では、「政治への関心がある」(「ある程度ある」を含む)は生徒会役員経験者が58.0%で、一般会員は48.2%でした。また、同じ回答が生徒全体は52.0%だったのに対し、ボランティアなどの社会貢献活動をしている生徒は56.9%、公民館活動などの地域活動をしている生徒は64.3%でした。また、部活動をしていない生徒は43.5%でしたが、文科系部活をしている生徒は56.3%、運動系部活をしている生徒は52.5%でした。

さらに、「自分が社会参加することで社会が変えられると思うか」の問いでは、「変えられる」(「少しは変えられる」を含む)が生徒全体では33.1%だったのに対し、社会貢献活動や地域活動をしている生徒はそれぞれ53.4%、52.3%でした。

この調査結果から分かることは、生徒会活動や部活動や地域活動をしている生徒は主権者意識が高いということです。つまり、自治的活動や社会活動を通して「社会は変わる」ということを体験的に学んでいるということが言えます。

このことから、主権者を育てる教育では、1 政治的教養の教育(政治教育)、2 平和・人権・民主主義の教育(憲法教育)、そして3 自治的活動の経験(生徒会活動・地域づくり活動への参加)の三層の教育が必要とされるのです。

三層に分かれているピラミッド図  上から「政治教育」 「平和・人権・民主主義の教育(憲法教育)」 「自治的活動」 (生徒会活動・地域づくり活動)」 と明記されている

高校生たちの政治参加

18歳選挙に向けて、長野県内でも高校生たちによる政治活動が行われました。例えば、飯田高校の生徒が呼びかけた「飯田下伊那100計画」というプロジェクトには下伊那の高校4校25人が参加して「高校生の投票率100%」をめざして3か月間活動しました。各校で調査アンケートを実施し、高校生選挙だよりを配布し、またSNSによる啓発などの取り組みをしました。その結果、飯田高校は93%、4校で84%という投票率を実現しました。

主権者としての政治活動は選挙に行くことだけではありません。憲法の国民主権の国民には子どもたちも含まれていて、子どもたちにも「請願権」(憲法第16条)などがあります。信濃毎日新聞(2017年3月11日付け)は松本工業高校の生徒37人が「アルピコ交通上高地線の朝のラッシュ解消と高校生への運賃補助、JR村井駅の改修、市街地での無料駐輪場増設」などを求める請願を松本市議会に提出し、採択される見通しと報道し、その後の3月17日に市議会本会議で採択されました。また、信毎(2017年3月1日付け)は「集団的自衛権を認めた安全保障関連法成立によって平和に生きる権利が侵害されたとして国に損害賠償を求める」訴訟の第二次提訴に、松本の信濃むつみ高校の3年生が原告に加わり記者会見で訴訟への思いを述べたと報道しました。

このように選挙投票ばかりでなく、高校生の政治活動は広がりつつあると言えます。

政治の介入こそ「中立性」の侵害である

文科省は18歳選挙権に合わせて、「1969年通達」を廃止し、高校生の政治活動と高校での政治教育を認めました。しかし、新たな通知でも高校生の政治活動は学校の外という制限つきで、また政治教育についても「中立性を守ること」という規制をかけたものでした。文科省は愛媛県などのように高校生が校外の政治集会に出る場合は「届け出」をさせることも認めました。長野県の県立高校では「届け出制」にした学校はありませんが、有権者となる高校生がどこの政党の政治集会に参加することも自由であり、それを届け出させることは「思想の自由」(憲法第19条)を学校がチェックすることになります。

そして、自民党の文部科学部会は2016年参院選公示直後から選挙後の7月18日まで党のホームページで、「『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいる」「そんな発言をした先生方を自民党に報告してほしい」と生徒や親に呼びかけ、「いつ、どこで、だれが、何を、どのように」と専用フォームに記入させて集めました。国民からの批判が相次ぐと「安保関連法は廃止にすべきと主張する先生方」に差し替え、さらに「子どもに密告させるのか」と批判が集中すると、その言葉は省きましたが、「密告」させることは続けたのです。

「教育の中立性」とは本来、戦前に教育が軍国主義に利用されたことを反省し、政治が教育内容に介入することを禁止したものです。こうした政党による「調査」こそ、学校現場の教育を委縮させる政治介入であり、「政治的中立の逸脱」なのです。

教育現場では18歳選挙権を行使できる主権者を育てるため、きちんとした政治的教養が身に付くように取り組もうとしていた矢先にこのようなことが行われ、十分な政治教育ができなかったのです。そのために、前記の信毎の調査結果にあるように「投票するのに必要な知識が身に付いていない」と71%もの高校生が回答しているのです。

世界では政治教育・主権者教育は
どう行われているか

世界では政治教育や主権者教育が民主主義の社会を継続していくためのものとして取りくまれています。例えばドイツでは「人びとの非政治的態度がナチズムを生んだ」という反省から政治教育が重要視されてきていて、学校教育でも社会教育でも熱心に行われています。

主権者教育については、世界ではシティズンシップ教育と言って、シティズンは市民で、シティズンシップ教育は市民の権利を自覚し、その権利を行使できる市民に育てていく教育ということです。

世界のシティズンシップ教育は授業での市民権や政治参加の知識を得る学習だけでなく、民主主義を体験で学んでいくという特徴があります。その方法は大きく分けて2つあります。ヨーロッパ型のシティズンシップ教育の中心は、生徒が学校運営と教育行政に決定権を持って参加して民主主義を体験して、市民として成長していくものです。

一方、アメリカ型のシティズンシップ教育の中心は、サービス・ラーニングというもので、生徒が地域に出ていき、ボランティア活動や地域づくりの活動に参加することによって市民としての力をつけていくというものです。

※参考図書 宮下与兵衛著『高校生の参加と共同による主権者教育』かもがわ出版、2016年

宮下 与兵衛 首都大学東京・特任教授、辰野高校で3者協議会を実践

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

3 ないんだったらつくっちゃおう! まちづくりから考える主権者教育

特定非営利活動法人 ちゃいるどふっど 代表理事 半田 裕

はじめに

NPO法人ちゃいるどふっどは「子どもの“今”を大切に」「子どもたちに本物の体験を」「子どもとおとなは地域を作るパートナー」をコンセプトに「冒険遊び場事業」「居場所づくり事業」「子どもの社会参加事業」をおこなっています。

事業を通して地域の中でさまざまな活動をしている中高生との関わる事が多いのですが、ある日、一人の高校生が「自分は地元以外の地域ではいろいろと活動をやっているけど、もっと地元でも活動したい」と話してくれました。そこで「だったらそんな場を作ってもらおう!」と村長さんと話をすることになりました。

5人の中高生と 村長がテーブルを囲んで 話し合いをしている写真

村長と話しあう日

彼の地元の原村には毎月1回、「村長と話しあう日」という事前に申し込めば誰でも村長と話ができる日がありました。そこで彼は「中高生がむらづくりに参加できる機会を作ってほしい」と村長さんにお願いに行きました。これがきっかけとなり、後日改めて中高生と村長が話し合う場が開かれ、その中で中高生からは「放課後の居場所の必要性」「中高生の活動を村の中で発表できる機会」「中高生が村づくりに参加できる会議の設置」などの話が出ました。

特に子どもの居場所の問題は児童館のような放課後に自由に寄れる場所がなく、唯一ある図書館ではみんなで行くと賑やかになりすぎてしまうという中学生にとっては重要な課題でした。彼らのようにいろいろとまちづくりについて考えをもっている子どもたちにとって村長と直接話をすることができる場があるというのはとても貴重な機会です。子どもたちがまちづくりに対して何か考えがあっても、どこに行って誰に話をしたらいいのだろう?となるのが普通です。そんな中、村長に直接話せる場があることで子どもたちも気軽にまちづくりに参画することができます。この日をきっかけに原村の中高生が集まり、いろいろと村に対する夢を語り合うようになりました。

「ハラカツ!」の始まり

しかし、中高生が村に要望を出し、村にやってくださいといってもなかなかすぐには実現するものではありません。そこで中高生たちはおとなに任せてやってもらうのではなく、自分たちでできることはどんどんやっていこう!と自分たちで活動をするために“ハラカツ!”というグループを立ち上げました。この「ハラカツ!」には「原村の活性化」「みんなで腹を割って話す」「中高生による原村のための活動」といった意味があるそうです。1年前には数人だったメンバーも今では一緒に活動したい中高生やおとなも集まり20名程になり、毎週金曜日にどんな活動をしたいかという会議を行っています。

やりたいことはやっちゃおう

今年度は諏訪地地域では7年に1度の地域を挙げての一大イベントである、天下の大祭「御柱祭」の年でした。そのため、御柱祭に向けておとなたちはとても準備が忙しく、毎年行われている村のお祭りである「よいしょ祭り」は御柱年には中止になります。しかし、子どもたちにとってみればそんなことは関係ありません。夏の楽しみでもあるよいしょ祭りがないのは残念だ、だったら自分たちでお祭りを企画しよう!と御柱の掛け声でもある「よいさ!」とかけて「よいさ祭り」を開催しました。このお祭りの中では自分たちのやりたかった中高生の活動の発表の場としてライブをおこなったり、残念ながら達成には至りませんでしたが、ギネス記録に挑戦したいと、「缶飲料を同時に開ける最高人数」の記録に挑戦もしました。

その後もペンション地区で行われているイルミネーションに参加し、何千個ものペットボトルを集め、イルミネーションを作ったり、元々一番やりたい活動であった放課後の居場所づくりのために公民館にお願いをし、登録団体として部屋を使わせていただくことで中高生の、中高生による、中高生の居場所「はらぽん!」を週1回開催したりといろいろな活動をおこなっています。

大きなイベントの企画や毎週の会議など、この1年間の活動の中では正直大変だと感じることも多々あったかとは思いますが、子どもたちはとても楽しそうに活動を続けています。これは子どもたち自身が自分たちの「やりたい!」という気持ちで活動をしているため、きっと楽しく活動をできているのだろうと思います。この子どもたちのやりたいという気持ちを大切にし、その思いを実現できる場所が子どもたちにとって重要な場だと考えています。

ステージで楽器を演奏して よいさ祭りを盛り上げる 子どもたちの写真

主権者教育とまちづくり

2015年より18歳選挙権が始まり、若者が選挙に行くかどうかが改めて注目されるようになりました。しかし残念ながら18歳も含めて選挙に行かない若者が多いのが現状です。なぜ選挙に行かないのか、その理由の一つに「どこに投票したってどうせ変わらない」という考えを持ってしまっていることがあるのではないかと思います。

確かに選挙権を持ち、いきなり自分の投票が国を左右するのだから投票に行かなければいけないという感覚を持つのは難しいと思います。その考えを少しでも変えるためには、自分の意見や考えが社会に反映されたと思えるような経験が必要になります。そこで、国ではなく、もう少し範囲を狭めて「自分の行動で県を変えられる」「自分の行動でまちを変えられる」というように自分たちで考え、変えていくことのできる範囲での活動を積み重ねていく事で、将来的に政治にも目を向けていってもらえるのではないかと考えています。

地元愛を育むまちづくり

また、中高生世代が自分たちの住むまちのことを考え、まちづくりに参画することは主権者教育だけでなく、地方創生の視点から考えても必要な機会になっています。地方ではなく都心へ住みたいという若者が多い地域にとっては、そこで生まれ育った若者が将来地元に戻ってきたいと思ってもらえるかはとても重要な課題です。そのためには地域への愛着を持てるような機会が必要です。地元への愛着を持ってもらうための活動としても社会に出る一歩手前の中高生世代が、地域の中で自分たちの意見が尊重され、考えたアイディアが実際に実現するような機会があればいいのではないかと考えます。特に高校生は地域とのつながりが少なくなり、ともすると地域から煙たがられることが多い中で、まちづくりを通して地域とのつながりができ、自分が受け入れられていると感じることにより地元愛を育んでいく事ができるのではないかと考えています。

子どもたちのやりたいことができる場所づくり

このように子どもたちがまちづくりに参画することは子どもたち自身にとっていいだけでなく、国や地域にとっても重要な意義があります。今関わっている中高生はいろいろなアイディアややりたいことを持っています。しかし、残念ながら地域の中でそれを応援してくれるおとなや発揮できる機会はまだまだ多くありません。今後も活動を通して、より多くの子どもたちが自分のやりたいという思いを発信でき、実現することのできる機会を広げていければと思います。

半田 裕 特定非営利活動法人ちゃいるどふっど代表理事 Email: asobiya.childhood☆gmail.com

諏訪地域を中心に子どもの居場所づくりや冒険遊び場の立ち上げ支援を行っています。ご協力できることがあればぜひご連絡ください。

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

4 子どもの声が聞こえる

チャイルドラインと「子どもの権利条約」

長野県チャイルドライン推進協議会 宮澤 節子

チャイルドラインは子ども専用電話

長野県では2004年から、4団体のチャイルドラインが月曜日から土曜日まで、午後4時から9時まで子どもからの電話を受けています。

昨年長野県にも「長野県の未来を担う子どもの支援に関する条例」が制定され、それに基づき「子ども支援センター」が開設され、子どもたちからの電話を受けています。2013年4月松本市は、「松本市子どもの権利に関する条例」に基づき、子どもの権利の視点に立って、子どもからの声を受ける「こころの鈴」と言う電話が設置されています。

このように、現在子どもがかけられる公的支援の電話が県内にも増えてきています。こうした中で、民間が運営するチャイルドラインは、子どもの専用電話として、子どもからの声を聴いています。

 

子どもの権利条約 第3条(子どもの最善の利益)

1. 子どもがかかわるすべての活動において、その活動が公的もしくは私的な社会福祉機関(省略)子どもの最善の利益が第一次的に考慮される。

チャイルドラインの理念は子どもの権利条約による18才までの子ども専用電話です。子どもの主体性を大切にして、かけてきた子どもの話を聴き、その時の

気持ちをなにより大切にします。

「子どもにとって何が最善の利益なのか」が電話での応対の判断基準になります。

子どもの最善の利益

「長野県の未来を担う子どもの支援に関する条例」

第1章 総則 (目的)

第1条 この条例は、子ども支援に関し、基本理念を定め、並びに県、保護者、学校関係者及び県民の役割を明らかにするとともに、子ども支援のための施策の基本となる事項を定めることにより、子ども支援のための施策を総合的に推進し、もって子どもの最善の利益を実現することを目的とする。(以下省略)

「子どもの最善の利益」とは、子どもにとって、どんなことを意味するのでしょう。

「子どもたち一人ひとりが、心身ともに健やかに育つことのできる環境の中で、人から充分に愛され、ありのままの自分でいられることを認められ、幸せに生きることができること」これが子どもの権利です。

チャイルドラインは、子どもの気持ちをなにより大切に考え、その時の子どもに寄り添うことが「最善の利益」と考えています。

そのために、置かれた環境の中で、苦しみ、悩み、解決のつかない今の心の声を発することは、子どもにとって何よりも大切な手段だと考えます。子どもの存在を、その理念によって、電話を通して「心の声に耳を傾け寄り添う」存在としています。

チャイルドラインにかけられた 電話の相談内容を 統計したグラフと 電話を掛けた動機の パーセントであらわした 円グラフ

 

子どもの置かれた環境

チャイルドラインは現在全国70団体で子どもからの電話を受け、毎年20万件余の電話を受信しています。受けた子どもの声を、ひとりひとりの声をデーターベースに打ち込み、集計しています。

2015年度、長野県での受付件数は14,791件でした。

一番多く掛かってきている分類では、「人間関係」での内容。「本音で話せる友人がいない」「親との関係がうまくいっていない」など、子どもたちの人間関係は、明らかに変化しています。一つには、スマホの急速な普及です。そのことによって、人とつながるツールが、直接会話をしたり、気持ちを伝える機会を取り上げてしまっているのです。その結果、家族との会話、友だちと向かい合って話す機会や時間が極端に少なくなり、より一層子どもたちの孤独と孤立を深刻にしています。

こうした現象は、子どもたちにさまざまな影響となって、心の問題を招いているのです。

未来に疑問や矛盾を感じながら過ごしている子ども、何事にも無気力、無関心な子ども。いじめ、虐待、貧困、日本の子どもたちはどこに向かっているのでしょうか? 

チャイルドラインは電話を通して、こうした子どもたちの声を聴き続けています。

子どもの権利

年度末になると、進路や学力についての悩みや将来への不安を訴える中高生の子どもたちから多くかかってきます。また、友だちにも、家族にも言えない、そんな気持ちを、誰かに話したい、聴いてもらいたいとチャイルドラインにかかってきます。大きな目標や目的が見つけ出せず、この時期になるとジレンマと不安との戦いを強いられています。今始まったのではなく、永きに渡っての学力評価を重んじる教育制度が子どもの思春期形成に深く関わっています。多くの子どもたちの主体性、自由に表現する機会をいつの間にか奪ってきてしまったことへの結果ではないでしょうか。今、改めて私たちは「子どもの権利条約」での子どもの権利とは? に向かい合うことが求められます。

学ぶこと・知ることは

昨年12月「教育機会確保法」が成立しました。義務教育の普通教育を不登校の子どもたちにも、国や自治体が支援することが、法律として明記されました。

子どもは、自ら学ぶ機会を学校以外でも選択でき、教育が保証される。このことは、不登校が12万人とも言われている現状に、「子どもの教育を受ける権利は基本的人権」として、学校に行けない子どもの声を受け止め、多くの人たちが叫び続けた結果だと受け止めています。なによりも子どもの主体性を大切にして、学びの多様性、自ら選択できる場が保証される。子どもの力を育む仕組みとして、こうした制度が子どもの権利を大きく見直すきっかけになって欲しいと願います。

また、昨年12月の児童福祉法改正でも、児童虐待への対応の充実等において、「『子どもの権利条約』の精神にのっとって」と言うことが条文に明記されたのは、大きな支援への後押しになるでしょう。

子どもが社会の一員として、共に社会を創る構成員として、そのためにかけがえのない子ども時代を保証することこそ、条約そのものの意義ではないでしょうか。

子どもの気持ちに寄り添う

チャイルドラインが電話を受ける時に最も大切にしているのが「子どもの気持ちに寄り添う」ということです。掛けてくるのには、何らかの理由があり、自分では解決できない、そのことで辛くなり、どうしていいかわからない、不安でいられない… こうした気持ちが「チャイルドラインに電話をしてみよう」という選択と行動でダイヤルするのでしょう。

話したい気持ち、心が揺れ動くそのときこそ、そばに寄り添う人の存在が必要です。それが「0120-99-7777のチャイルドライン」です。

誰もが日常において、ふと「誰かに話したい! 聴いてもらいたい」と思うときがあると思います。そんな時、聴いてくれる人がいることで、気持ちが何となく「すー」とする経験があるのではないでしょうか。

子どもたちの悩み、気持ちを聴き、一喜一憂の子どもに寄り添う…。どんな状況においても、受け止めてもらえ、ありのままの自分でいられることこそおとなに求められていることではないでしょうか。

改めて、子どもにとって「子どもの最善の利益」とは…

宮澤 節子 諏訪市在住

子ども・子育てを応援しています!

長野県チャイルドライン推進協議会事務局長/NPO法人すわ子ども文化ステーション専務理事/諏訪市社会福祉協議会 ボランティア活動センター運営委員

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

5 「18歳選挙権時代」の若者と地域連携

「有権者」から「主権者」へ、「政治参加」を「地域参加」「社会参加」から

信州大学 教職支援センター 荒井 英治郎

「18歳選挙権時代」の到来

2015年6月に改正公職選挙法が成立し、選挙権年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられました。18歳以上は、国政レベルの選挙、地方自治体の首長・議員選挙、行政委員会である農業委員会の委員選挙等の他、最高裁裁判官の国民審査、自治体の首長解職や議会解散の請求等に伴う住民投票に関して投票資格を有することになりました。そして、地方議員の被選挙権年齢(25歳)の引き下げも現在本格検討されるに至っています。

2016年7月に行われた参院選では18、19歳の約240万人が新たに有権者となり、長野県に限って言えば、高校3年生相当の高い投票率は、県レベルと市町村レベルの選挙管理委員会や教育委員会が1年以上の時間と労力をかけ啓発活動に力を入れた成果の表れといってよいと思います。今後は一過性のものとならないよう継続性をもたせ、かつ、啓発の方法にも一層の工夫を重ねていくことが重要となります。他方で、予想できたこととはいえ、当該選挙の全体の投票率が54.7%であったのに対して20代が35.6%に留まった点や19歳を好例とする若年層の投票率が相対的に低かったことは看過できません。不在者投票や期日前投票をよりボーターフレンドリーにしていくことなど、選挙制度の見直しは不可欠ですが、若年層の政治参加のあり方は、全国的にもまだ模索の段階にあるといえます。

未完のプロジェクト:「有権者」から「主権者」へ

第1に、選挙の投票権を得たことだけをもって、主権者と即断しては、今後の形骸化は免れ得ないでしょう。18、19歳は制度的に「有権者」にはなりましたが、まだ「主権者」になったわけではないのです(もっとも、そもそも子どもは投票権を有していなくても、当然のことながら市民・住民でありまた地方自治や政治・行政におけるステークホルダーであることに変わりはありません)。このことは今次選挙権を付与された18、19歳に限ったことではなく、主権者として充実した社会生活を送るためには不断の努力が求められるという意味で、選挙権を有する全ての市民にとって「主権者教育」という営為は「未完のプロジェクト」として捉えるべきなのでしょう。「シディズンシップ教育」とも呼称される教育のあり方を、「生涯学習」という文脈から再考する必要性を喚起していると理解することもできます。

「生の政治」と向き合う:投票の「量」から「質」へ

第2に、ポスト参院選の主権者教育には、投票の「量(率)」だけでなく「質」を高める取り組みも求められます。単純に模擬投票を実施したり、選挙の仕組みや政治的争点だけを知識レベルで習得することに終始せず、政治的争点に対する解決策の政党間の違いは、なぜ、どのように生じるのかという思想レベルまで遡るような検討をおこなったり、投票結果を踏まえた上での合意方法や民主主義のあり方を議論するなど、多様なアプローチに基づく思考・洞察の過程が必要となるでしょう。事実、私が信濃毎日新聞と実施した共同調査の結果によれば、現在の若者(大学生)は、今後求める主権者教育の学習内容として、投票方法や政治制度それ自体よりも、各党派の政策内容や争点化する政治課題を扱うことを求めています(『信濃毎日新聞』2016年5月19日,4面)。

ところで、学校にとって、主権者教育の一環として政治家自身を活用することは「政治的中立性」の観点から一定のリスクを抱えることになりますが、議員にとっても議会を飛び出し市民と向き合うことは緊張感を持って日々の政治活動の説明責任を果たすことになります。そして、議会(事務局)や選管にとっては、「何となく」といった潜在的な「政治不信」を払拭し政治に対する閉塞感を打破する起爆材として積極的に位置付けることも可能です(『信濃毎日新聞』2016年6月6日,4面)。こうした取り組みは、地方レベルの民主主義の「質」を高める契機となりうる可能性もありますが、これまで「冷凍保存」されてきた政治教育に対して、教育現場が「政治的中立性」の要請を過度に意識し萎縮してしまっては意味がありません。これに対しては、「生の政治」を教室内外で学ぶ先進・先導的な取り組みを担保・促進する「ルールづくり」も検討されてよいと思います。多様な関係者(子ども・若者、教育実践関係者、一般行政・教育行政関係者、選管・議会事務局関係者など)の「熟議」を経ながらルールづくりを検討していくこと、そのプロセス自体が、いわゆる「シルバー・デモクラシー」や「観客民主主義」の課題を乗り越え、「地域民主主義」や「政治的民主主義」の実践と重なり合うものになるはずです(『信濃毎日新聞』2016年8月10日,2面)。

「政治的教養」の涵養:「政治参加」を
「地域参加」「社会参加」から

第3に、公共政策上の課題解決の方法として、行政の審議会や協議会等の委員に「若者枠」(子ども枠)を創設することを検討されてしかるべきです。幸いなことに、信州には県内/県外出身者を問わず地域や故郷をもっと活性化していきたいと活動する若者が大勢おり、すでに多様な活動が展開されていることはより知られてよいと思います(「特集 群青の風」『信濃毎日新聞』)。民主主義の学習を「政治における主体化」として定式化したオランダの教育哲学者ガート・ビースタは、「子どもは教育を通じて市民になるのではなく、すでに、そしてつねに市民なのであり、彼らは来たるべき参加のために学習するのではなく、参加することの中で学習はなされる」と述べていますが(ガート・ビースタ(上野正道・藤井佳世・中村(新井)清二訳)『民主主義を学習する─教育・生涯学習・シティズンシップ』勁草書房,2014年)、若者が行政の意思決定の過程に参加していく多元的な仕組みが「行政文化」、「政治文化」として信州に根付いていけば、自分たちの実践・活動と地域社会のあり方が密接に関係していることを若者自身が体感でき、「政治的教養」、ひいては、いわゆる「政治的有効性感覚(Political Efficacy)」の涵養につながるはずです。さらに、条件整備の責務を有する行政には、こうした取り組みを「点」から「線」を経て「面」にしていくべく、活動的な若者同士が情報交換・共有したり、地域社会のあり方を議論できるフォーラムを定期開催することなど後方支援することが求められます。地域・全国ネットワークを駆使したイベントは同世代への波及効果も期待でき、ひいては地方創生にも寄与する可能性もあります。

これまでのように「日本の若者は政治に関心がない」という俗説に踊らされ、短絡的に若者の投票率の「低さ」を嘆き、「子ども」と「おとな」の境界線や距離感を明確化していく議論にどれほどの意義があるのでしょうか。流行の「世代論」は学問的に重要ではありますが、それだけでは未来社会の指針とはならず、世代間の架け橋を模索する思考方法としては不十分な点が少なくありません。そこで、「政治参加」と声高に叫ぶのではなく、「おとな」の方から若者の「地域参加」や「社会参加」の多種多様な方法に向き合い、等身大の若者の「現在」に寄り添い、その声を公共的な場に再設定していくことが、「緊急」で「重要」な公共政策上の課題なのではないでしょうか。

高等教育機関の課題と地域連携

第4に、長野県内には計19の高等教育機関がありますが、今次の「18歳選挙権時代」に対する反応は中立性を意識してか消極的であったことは認めざるを得ません。社会に開かれた存在であるべき大学は、地域連携の一環としても、自己実現の方法を模索する大学生を主とした「若者」と「地域(社会)」を繋げていく「潤滑油」として、より積極的な機能を果たしていく必要があります。教職支援センターの地域連携部門としても、上記の課題を真摯に受け止めて、県内外のネットワークの構築に邁進していきたいと考えています。

「18歳選挙権時代」の若者と地域連携

「有権者」から「主権者」へ、

 「政治参加」を「地域参加」「社会参加」から

荒井 英治郎 東京大学大学院 教育学研究科 博士課程単位取得 満期退学、2009年4月より信州大学へ。全学教育機構講師、准教授を経て、2016年4月教職支援センター准教授(地域連携部門長)。専門は、教育学(教育行政学・教育経営学・教育法学)。

特集 2 主権者としての子どもそして私たち

6 問われる主義者教育

青年期教育の再生

長野県子どもを守る会 馬島 直樹

1 18歳選挙権と低投票率

2015年6月の公職選挙法改正により、満18歳以上満20歳未満の青年に選挙権が付与され、高校3年生も新たに有権者になりました。そこで、2016年7月の参議院議員選挙の投票率を見ると下記のような実態でした。

・長野県全体の投票率は62.86%

 (男63.58% 女62.21%)

・長野県18歳の投票率は51.17%

 (男49.43% 女53.01%)

・長野県19歳の投票率は39.66%

 (男37.31% 女42.11%)

18歳の投票率は全体より11.69%低く19歳では23.2%も低いのはなぜでしょうか。19歳より18歳が高いのは、18歳は高校3年生で事前に総務省・文科省の『私たちが拓く日本の未来 ― 有権者として求められる力を身につけるために』という副教材が配布され、摸擬選挙等で指導を受けた結果と思われます。事前に指導を受けているのになおこの低さは問題です。女子に比べて男子の低いのも気になります。未来の日本の政治的な動向を思うと、極めて憂慮すべき実態です。

首都大学東京の宮下与兵衛氏によると14年12月の衆議院議員選挙の直後に大学生に聞いたところ、投票に行った大学生は25%のみであり、なぜいかなかったか聞くと「関心がない」「わからない」「投票しても、どうせ社会は変わらない」という返事であったとのことです。若者たちの中にこの三つの「ない」が広がっているのは未来への希望、主権者意識が喪失しているためと思われます。

2 日本国憲法施行の中の未来への希望

今年は憲法施行70周年になります。45年にポツダム宣言を受諾し、民主的な諸改革の中で、20歳以上の男女の選挙権が実現し、衆議院で憲法改正案の審議がなされ、46年11月3日に新憲法が公布され、翌年3月31日に教育基本法、5月3日に新憲法が施行されました。憲法改正案はGHQ草案がもとになりましたが、これは憲法学者の鈴木安蔵を中心した憲法研究会の憲法案や世界の憲法をとり入れたもので、衆議院の審議の中で国民主権が明記され、生存権が定められるなど重要な修正が加えられ、民主主義と平和主義が一体となった憲法が制定されました。

新憲法の施行にあたり、半官半民の憲法普及会が『新しい憲法 明るい生活』という冊子を全戸に配布しました。憲法普及会は発刊のことばで次のように呼びかけています。

「新憲法は大たん率直に『われわれはもう戦争をしない』と宣言したことは、人類の高い理想をいいあらわしたものであって、平和世界の建設こそ日本が再生する唯一の途である。今後われわれは平和の旗をかかげて、民主主義のいしずえの上に、文化の香り高い祖国を築きあげてゆかなければならない。」

古関彰一著『新憲法の誕生』によれば、この冊子をもとに全国各地で学習会が開かれ、長野では57回、1万4千人の参加者があり、青年たちは青年団を中心に独自に村や町で50人100人の小集会を開いています。長野県平和委員会の林茂樹さんのお父さんの遺品の中にこの冊子があり、アンダーラインを引いて学習したあとがうかがえました。

日本国憲法施行の日には皇居前広場で「施行記念祝賀都民大会」が開かれ、そこでは「君が代」ではなく、次のような記念国民歌「われらの日本」が歌われました。

「平和のひかり天に満ち/正義のちから地にわくや/われら自由の民として/新たなる日を望みつつ/世界の前に今ぞ起つ(土岐善麿作詞、信時 潔作曲)

続いて8月には文部省が中学1年生用の教科書として『新しい憲法のはなし』を発行し、「戦争放棄」については次のように述べています。

「みなさんは、心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことをほかの国よりさきにおこなったのです。世の中に正しいことぐらい強いものはありません。」

この教科書は当時の中学生だけでなく「教え子を、わが子を、ふたたび戦場に送るな」と誓いあい、新しい平和と民主主義教育への情熱に燃えていた教師、父母に明るい希望をよびおこしました。

3 教育基本法で求められた「政治的教養」

1889年に「大日本帝国憲法」が制定され、その翌年に「教育に関する勅語(教育勅語)」が発布され、「もし国に事変がおこったら、勇気をふるい、身をささげて、君国のために尽くさなければならない。」と臣民としての道徳の基本をさだめました。

「日本国憲法」では「教育勅語」にかわって「教育基本法」が制定され、「日本国憲法の理想の実現は、根本において教育の力まつべきものである。」として、教育の基本を次のように定めています。

第一条(教育の目的)教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない。

第八条(政治教育)良識ある公民たるに必要な政治的教養は教育上これを尊重しなければならない。

4 対米従属、戦争する国づくりへの転換

戦後間もなく米国とソ連を中心とする二大陣営が対立する中で、米国の対日占領政策が変わり、50年に朝鮮戦争が起こると、51年にサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が結ばれ、日本は米国の軍事基地になるとともに警察予備隊→保安隊→自衛隊が創設され、米軍を補完する陸海空軍を持つ国になりました。

53年には自由党政調会長(当時)の池田勇人(後の首相)と米国国務次官補ロバートソンとの間でいわゆる「池田・ロバートソン会談」が行われ、日本の再軍備促進とその制約になっている憲法9条の改正について検討され、「日本政府は、教育及び広報によって」そのための「自発的精神が成長するような空気を助長すること」を確約しました。

55年には自由民主党が結成され(保守合同)、A級戦犯だった岸信介(安倍首相の祖父)が釈放されて首相となり、日米関係の強化を目ざして新安保条約に調印し、衆議院で条約の単独採決を強行しました。これに反対する人波が最大30万人、国会周辺を埋めるほどの「60年安保闘争」が続き岸首相は辞任しましたが、以後の自民党政権により次のような政策が次々に実施されました。

学習指導要領の法的拘束力の強化(学習内容への権力による介入)

教科書検定の強化 侵略戦争の記述が偏向しているとされ、良心的な学者が執筆などを断念。

「道徳」の特設(国家主義の徳目を重視)

国旗(日の丸)掲揚、国歌(君が代)斉唱、の義務づけ

「建国記念の日」の制定 (『日本書紀』の神話で初代の天皇とされる「神武」が即位したとされる日=旧憲法の下では「紀元節」)

教職員への勤務評定管理職手当(差別給与)の導入(教職員への統制)

5 青年期教育の再生

18歳選挙権を付与された日本の若者の投票率が低いのは、歴代自民党政権の政策の結果で主権者意識が身につかなかったためです。今、日本の青年期教育が問われます。

先進国の多くは建国記念の日が市民革命や独立宣言の日で、国旗と国歌には国民主権の理念がこめられています。これに反して日本の「建国記念の日」、国旗、国歌の理念は天皇を元首にしようとするものです。

今、安倍自民党政権は憲法を全面的に改正しようとしており、その草案は権力の暴走を阻止する立憲主義ではなく、国民を支配するための法律です。安倍首相は日米同盟を強化し、集団的自衛権を行使して、世界平和に貢献することが積極的平和主義だと言いますが、それは米国の属国になる道です。戦争をなくすとともに貧困、不平等、差別、いじめなどをなくしていくことが真の平和主義です。

私たちは総力をあげて、憲法改悪阻止のたたかいをすすめる中で青年たちに「君たちはどう生きるか」を問いながら青年期教育を再生させていきたいと思います。

馬島 直樹 元中学校教諭

長野県子どもを守る会会長

〒383-0015 長野県中野市吉田1154-11

TEL/FAX 0269-26-3927

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

もくじ

これ以降は特集 3のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

障害児者の人権と「津久井やまゆり園」事件 坂戸 千明

Aさんの学び 教育における合理的配慮を考える 2 金井 なおみ

通常学級に在籍する発達障がいの子どもたち パート4 発達障がいへの理解 馬場 博雄

誰もが自分らしく生きていけるように! 発達障害のある子どもの早期支援を中心として 藤村 和弘

特集 3 あとがき 武山 弥生

特集 3のリンクは以上になります。

女の子と 車いすに座る男の子が ボール遊びをしているイラスト

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

1 障害児者の人権と「津久井やまゆり園」事件

全国障害者問題研究会長野支部 坂戸 千明

はじめに

 昨年7月27日に起きた神奈川県相模原市「津久井やまゆり園」事件は、多くの市民に深い悲しみと怒りをもたらしました。元・施設職員により入所者19人の尊い命が奪われ、27人の方が負傷するという残虐な事件は衝撃的でした。今でも鮮明に覚えています。

 「私の子どもは生きていてはいけないのでしょうか。心が折れそうになりました」と苦しい胸の内を涙ながらに話してくれた保護者がいました。生産性や効率性ばかりが求められる社会にあって、障害児は生きる価値がないのでしょうか。この事件は、障害児者の命の尊厳とは何かを問いかけています。

1. 優性思想の広がりと容認する社会

 植松容疑者の「障害者は不幸を作ることしかできない」との言葉が波紋を呼びました。しかし、驚くことに、事件後ネット上にはこの事件を擁護する匿名の書き込みが多数見られました。例えば、容疑者のことを「障害者という税金食いつぶすだけの奴らを殺処分した英雄だ」などと持ち上げるのです。

三つの事案から優性思想について考えてみます。石原慎太郎元都知事は、1999年に都知事に初当選しますが、その年の9月、重症心身障害者の施設を訪問し、「この人たちに人格はあるのかね」「絶対によくならない、自分が誰だか分からない、人間として生まれてきたけどああいう障害で、ああいう状況になって…」と言い放ち、マス・メディアなどで問題視されました。しかし、2期目、2003年の都議選では過去最高の308万票で当選し、その年の7月には、都立七生養護学校の性教育に大弾圧を加えます。そしてこれを手がかりに、教育現場に「日の丸・君が代」を押しつけ、管理統制を強めます。更に、今問題となっているのは、豊洲新市場への移転問題です。3月20日、都議会に設置された百条委員会は、元・都知事の証人喚問を行いました。なぜ、東京都が860億円もの巨額な土壌汚染対策費を負担することになったのかは、究明されませんでした。しかし、こうした優性思想を持つ人物を、4期13年にわたり都知事として選んでしまったのは有権者の責任です。

2015年11月18日、茨城県の県総合教育会議で知事が出席する中で、ある教育委員が、特別支援学校2校の視察にふれ「妊娠初期に(障害の有無が)分かるようにできないのか。特別支援学校には多くの人が従事し、県としては大変な予算だと思う」「うまれてきてからでは大変」「減らしていける方向になったらいい」と発言しました。批判と抗議が殺到し、教育委員は事の重大さに気がつき、発言を撤回しましたが、二日後に辞職することとなりました。見識のあるはずの教育委員の発言に驚きを隠せません。

国内には「不良な子孫の出生を防止する」目的の優生保護法が、戦後から1992年までありました。約16,500人の障害者が同意なしの不妊手術を受けたと言われています。そして、今もダウン症など染色体異常の子どもたちに「出生前検診」が広く行われ、尊い命が奪われています。金のかかる障害者を生まないことを容認する社会になっていないでしょうか。

「障害者は生きる意味がない」「障害者は迷惑」「障害者は税金がかかる」などこうした考え方は、ナチスの政策に通じるところがあります。そして、こうした優生思想がごく一部の人ではなく、多くの人の本音として広まっていないでしょうか。

2. 事件の背景は

この事件の背景には、ナチスドイツがおこなった、600万人のユダヤ人虐殺の前に、リハーサルとして20万人の障害者を虐殺した「T-4作戦」に重なる優性思想があります。「T-4作戦」とは、ヒトラーの命令書にもとづいて、1939年9月1日から1941年8月下旬にかけてナチスがおこなった障害のある人に対する虐殺計画です。作戦本部が、ベルリン市街の「ティアガルデン通り4番地」に設置されたのでこの名称になりました。対象は、精神障害者と知的障害者ですが、治る見込みのない病人や遺伝性のある人も加えられました。

3. 教育の現場では

教育現場にも優性思想と効率至上主義が浸透しています。教育関係者のなかにも「障害児にはお金がかかりすぎる」「障害児にお金をかけても仕方がない」という考え方が浸透していないでしょうか。

 長野県教育政策課が、昨年7月、「在学者一人当たりの経費」という資料を出しました。経費の多くを人件費が占めるので、教職員の配置状況が分かります。障害児教育(2015年度)には、全国平均で、一人当たり年間約725万円がかかり、小学生・中学生の7倍から8倍の予算を必要とします。全国に先駆け30規模学級にした長野県の小学校、中学校は、全国平均を上回る予算です。障害児学校は、下から12番目。全国平均から一人当たり約50万円も少ないのが現状です。小・中学校や高校から障害児学校は大きく遅れています。小・中学校では教職員定数で標準法を上回る措置がされていますが、障害児学校は標準法を大きく下回り、100名を上回る自立活動担当教員など県全体でまだ約280名の教職員が不足しています。「他の者との平等」を謳う障害者権利条約の精神からみても、障害児教育にせめて小・中学校並みの予算配置が求められています。

 県は総合教育会議の場で、1月12日突然「特別支援学校就職支援プロジェクト事業」を公表しました。知的障害の高等部を対象に、2017年度より県内4つのモデル校を指名し、清掃技能検定に取り組むという内容です。就職を希望する生徒が全国と比べて下位にあるというのがその理由ですが、清掃技能検定を入れて、就職率を高めるという施策は、「税金を払える障害者を増やし、税金を食いつぶす障害者を減らす」というねらいが透けて見えます。教育論抜きのこうした施策では、子どもたちの思いや願いに寄り添い、試行錯誤の実践をすすめてきた教職員の主体性や創造性が育ちません。それどころか、マニュアル通りにすすめる事業がもてはやされ、教育現場は職業訓練校となってしまいます。青年期の学びについて、理念や教育内容についての現場からの議論が必要です。

 今、新学習指導要領に武道として、新たに「銃剣道」が加えられます。そして、2018年度からは道徳が正式に教科となります。また、今、注目を集めているのが「教育勅語」の問題です。森友学園問題が国会で大きく取り上げられていますが、塚本幼稚園では、「日の丸」の前で戦前の軍国主義教育の要となる「教育勅語」を暗唱させ、運動会で「安倍首相がんばれ」と宣伝させていました。教育基本法を逸脱する異常な教育をすすめてきた点は見過ごせません。2月、衆議院予算委員会で安倍首相は、「妻から、森友学園の先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている」「(籠池氏は)私の考え方に非常に共鳴している」と語っていました。また、稲田防衛相は、「教育勅語の精神は今も取り戻すべき」と評価しています。戦前への回帰を心配する声も聞こえてきます。憲法改悪にむけて、こうした戦後の民主教育を否定する動きをを何としてもとめなければなりません。

4. 多様性を認める社会の創造を

 日本社会の底流にある本音が次々に姿を現します。優性思想や生産性と効率性という物差しで人間を序列化し、障害者ばかりか高齢者・病人など社会的弱者を社会の「お荷物」として排除する社会は、もろくて弱くないでしょうか。

 トランプ氏がアメリカ大統領に就任し、中東など7か国の人の入国を禁止するトンデモナイ大統領令を出しました。「大統領でも憲法に違反することができない」との判断をした(ワシントン州司法長官)司法の動きと市民の反発に注目が集まります。ヨーロッパ各国の首脳などは、この問題でトランプ氏を厳しく批判しています。ヨーロッパでは、今年3月のオランダの総選挙を皮切りに、フランス大統領選挙、フランス、ドイツなど議会の選挙がありますが、難民を排除する傾向が強まり、右傾化が心配されています。こうした動向を注視しつつ、多様性を認める寛容な社会の在り方をめざしていきましょう。

障害児者の人権と

「津久井やまゆり園」事件

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

2 Aさんの学び 教育に置ける合理的配慮を考える 2

特別支援教育士SV 金井 なおみ

1. お母さんの思い

Aさんは小学校で特別支援学級を利用しながらも、通常の学級で学習のほとんどを学んでいる児童です。高学年になるにつれて、理解力はあるのに書字に関して課題があり、学習の習得に効果が見られないAさんに対して、保護者は何かよい学習方法はないかと心配していました。いろいろな情報を知る中で、教室でiPadを活用して学ぶことが可能かどうか学校に相談したこともありましたが、「前例がないから」「設備が整わないから」と断られてしまっていました。

そんな折、保護者は通院している医療機関で学習会(毎年、支援技術の普及を目指して開催されるイベント)を紹介され、Aさんを連れて開催地である県外へ出かけました。そこで相談した講師の先生から、近くの特別支援学校へ相談するようにと言われ、筆者に保護者から連絡があり、相談が始まった事例です。

 

2. 保護者が「子どもにiPadを使わせたい」と  申し出たとき

現在さまざまな支援技術が紹介され、子どもの学びを支えており、その実践や活用方法が紹介されています。また障害者差別解消法により、教育現現場でも合理的配慮が検討されるようになってきました。

しかし、Aさんのケースのように「通常の学級でiPadを子どもに使わせたい」と保護者が申し出たとき、その使用にあたっては、整えなくてはならないシステムがあり、検討の道筋があります。また書字に課題があるからといって、イコールiPadの活用になるわけでもないし、「前例がないから」「環境が整わないから」といって、それはできないといった話でもありません。

保護者から話を聞いても、その後保護者に了解を得て学校の関係者と話しをしても、学校の合理的配慮の認識の低さや情報の少なさ、何より子どもの特性の専門的理解や保護者との相談体制に関して、芳しくない状況なのでした。

3. Aさんの困難さと学びを支える

保護者に対して、今後の相談の道筋をご説明し、発達検査は済んでいたので、1 Aさんの読み書きのアセスメントの実施、2 Aさん本人への困り感の聞き取り 3 実際に学習場面における配慮の検討をすることを提案しました。

学校に関してはCOを窓口に、1 アセスメント結果を受けて学習における配慮の検討のための支援会議の開催、2 合理的配慮の有無の検討、3 1、2を受けて場合によっては指導計画作成、4 学級内で個別的な支援を行うための準備として学級児童への指導などを提案しました。そして何より保護者の思いをきちんと受け取ってほしい旨、お願いしました。

相談の継続中のケースであるため、詳細は避けますが、Aさんの知的水準は「非常に高い域」であるにも関わらず、漢字を主とした書字に課題があり、字形が整わず、自分がノートに書いた字でさえ、後で判読するのが難しい実態がありました。

Aさんのように書字に困難さがある場合は、学習活動のいたるところで、困難さが予想されるので、実際の学習場面を想定して、配慮の内容を検討する必要があります。一般的な例でありますが、授業中は書字の量の軽減のために、学級全体にはプリント教材など用意する、個別にはノートへの書字の量を軽減する。日記や作文などはパソコンを使う。学習の板書や連絡帳の記入などはカメラを使う。テストではひらがなで書く、口頭試問を行う。など子どもに合わせて、学習活動に合わせて支援内容を検討し、最終的に指導計画にまとめることになります。そうした検討の道筋の中で、iPadの機能を使った方が有効だとなれば、活用することになるのです。iPadありきでなく、またあるから使うのでなく、Aさんにとってそれが有効であるから使うのです。因みにAさんは個人的にiPadを所有しており、現在活用が検討されています。

 

4. 通常学級において iPad等タブレット端末
 導入まで

   合理的配慮と子どもの意志決定を大切に

(例)

担任や保護者の訴えであることが多い。

主訴

文字がうまく書けない

漢字が書けない

読みがたどたどしい

・ICT利活用規定の作成

〇アセスメント

全体的知的水準 WISC-Ⅳ KABC-2など

特異的発達障がいアセスメントチェック表

読み書きアセスメント

ビジョンアセスメント

実際に書いた文字   行動観察(授業参観)

診断の有無

できたら本人に何がわからないのか、どうしてほしいのか話してもらう

〇支援会議1 アセスメント報告 

・読み書きの困難さの要因(認知特性、障がいの有無)を探り、特別な配慮が必要な根拠を明らかにする。

〇支援会議2 個別の指導計画(支援計画)作成

困難さに対する支援の検討

ICT機器活用の検討

  

 

〇支援会議3 利活用に関する評価

〇本人が準備すること(iPadを使いこなす!)

 ・iPad等タブレットを使えるよう練習

 (通級指導教室や支援学級、家庭または外部機関)

 ・必要なアプリを入れておく

〇通常の学級で準備しておくこと

 ・違いを認め合い、互いを大事にしあう学級づくり

 ・児童がiPadを使用する理由と扱いの説明

〇学校として整備しておくこと

個人持ちのタブレットの場合

・個人持ち込み既定の作成

学校タブレットの場合

環境調整と予算化

5. 教師はなぜ書くこと、読むことに
こだわるのか

Aさんは十分、ものを考え自分の意見を持ち、学ぶ力があるのに、字がうまく書けないだけで勉強ができない子になってしまっていました。

書けない、読めない、イコール勉強ができない、と多くの人が思っていないでしょうか。もしかして教師自身がそう思っていないでしょうか? 書くこと(音を文字に変換する)、読むこと(文字を音に変換する)は「低次の読み書き」であって、高次の読み書き(文章内容を理解する、思考内容を文章にする)にこそ、力を注ぐべきでないでしょうか。

書くこと、読むこと、そして大量の知識を記憶するだけが学びかのような学習観を変える時代がきています。読み書きに困難さがある学習障がいの子どもたちが新しい学習観の在り方を教えてくれています。小学校1年生にして早くも、字が上手に書けない、それだけで「僕は勉強ができない、頭が悪い」と思ってしまう子どもを作ってはならないと思うのです。

教育における合理的配慮とは障がいのある子どもにとっての権利であり、子どもの学びを保障し、支えるものです。そして私たちは、この子にとって合理的配慮とはこういうことです、と実際の場面で具体的に示していかなくてはなりません。

学びとは何か、子どもが学ぶとはどういうことなのか、真剣に考えなければならない時がきています。

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

3 通常学級に在籍する発達障害がいの子どもたちパート4

発達障害への理解

長野県若槻養護学校教育相談専任教員(2017年3月まで) 馬場 博雄

特別支援教育から通常教育の中で

これだけ発達障がいが話題となり、通常学級に在籍しているにもかかわらず、いまだに発達障がいの子への対応は特別支援教育と考えられているところもあるようです。

発達障がいのある子どもは6.5%の存在と文科省の調査でも出ています。これだけの数の子への対応は特別支援教育だけで対応できることではないです。みんなで考えていかないといけないのです。

長野県でいえば、通常の学校を指導する立場の県教委の教学指導課が本腰を入れて取り組まないといけない状況であると自分は考えています。

障がいと 非障がいの 境界線のあいまいさを表した図

障がいなのか?わがままなのか?

上の図は田中康雄Dr.注1)の図を筆者が一部改変したものです。発達障がいのお子さんに対して多くのおとなが感じるのは、わがまま(性格)なのか障がいなのかという、障害と非障害の境界線の曖昧さが根底にあります。

血圧は140以上は高血圧、といったように数値での境界線がないのです。ですから、教師(おとな)の視点で障害にも非障害にもなるのです。

自分は、この部分については、本人が自分で自分をコントロールできるかということと、日常生活で著しい問題(集団不適応)があるかという二つの視点からその子を見るようにしています。

自分で自分をコントロールできないとなると、それは病気であると考えます。インフルエンザで高熱が出た時に、自分でコントロールできるでしょうか?高熱を自分でコントロールできなければそれは薬に頼ることになります。

もうひとつ、障害の定義には「集団不適応」をおこしている、と記されています。

ですから、自分で自分をコントロールできなくて、集団不適応があればそれは障害だと考えます。

自分で自分をコントロールできて集団不適応がないとなれば、それは性格と考えられるでしょう。

ある多動のお子さんに聞いたことがあります。

「君はいつも動いているけど、自分では身体を止めて先生の話を聞こうと思うの?」すると彼は

「自分では身体を止めていたいと思うけど、身体が動いちゃうんだよ」と話してくれました。

「それは大変だね、自分では先生の話を聞こうと思っても、自分でコントロールできないんだね。それは困っているよね」と話をして、Dr.に診てもらいました。そしてそのお子さんはリタリン(当時の薬品名)を飲んだら薬が劇的に効き、集中して学習に取り組めるようになりました。

一見わがままのように見えた多動でしたが、本人に確認したところ、自分でコントロールできないことがわかったのです。

個人因子と環境因子

図の個人因子と環境因子についてですが、個人因子はそのお子さんが生まれつきもっているものです。例えば知能指数や落ち着きのなさ、不安が強いこと。読めるけど書けない。といったことが上げられます。

環境因子はその子の家庭環境や学校生活の環境等になります。例えば片付けられないゴミ屋敷のような環境であったり、親がすぐに子どもを殴りつけるといったことも環境因子になります。

子どもを理解するには、この両方の因子をしっかり見ていくことが必要になります。特に環境はその子の成長に大きな影響を与えます。家庭の環境や学校の環境はどうなっているでしょうか?そこを知ることができるだけでも、子どもの理解が進むことがあります。

子ども自身がもつ要因と 子どもの周りの環境がもつ要因による 発達障害の関係性を表した図

絡み合った糸

たとえば、個人因子でADHDとASDのお子さんでLDも併せ持ち、不器用さももっているとなれば、行動上の問題、社会関係上の問題、学習能力の問題、運動場の問題があり、そこに虐待といった環境因子があると、それらが複雑に絡み合って彼らは成長してくることになります。

それがなんの支援もされずに小学校卒業までの12年間が過ぎてしまうと、この絡み合った糸をほぐしていくのは本当に大変です。名探偵コナンのように簡単には絡み合った糸はほぐせないのです。なので、早期発見早期支援と言われるように、まだ糸が複雑に絡み合わないうちに早めに発見してその支援(対応)をしていくことが大切です。

通常の学級で、一人の担任だけで絡み合った糸をほぐしていくことはとても大変なことです。ですから学校の中で協力してチームで関わっていくことが必要なのです。発達障がいの子ども達は特別支援学級ばかりではなく、多くは通常の学級に在籍しているのですから。

発達障がいと愛着障害

最近、発達障がいと共に注目を浴びているのが「愛着障害」です。左の図は松南病院院長の宮坂Dr.のスライドからの引用ですが、初めの図と一緒に考えるとわかりやすいと思います。

発達障がいは、その子の生まれ持った要因からの障害ですが、愛着障害は、愛着の形成時に養育者にしっかり抱えてもらってないことが原因の障害です。愛着障害についてはまた次回に記すことにしますが、発達障がいには個人因子と環境因子がとても影響していることがわかります。

発達障がいへの理解は進んでいるか?

今回は発達障がいへの「理解」ということで記しましたが、正直、まだまだ発達障がいの理解は進んでいるとは思えないのです。以前に比べると確かに理解は進んできているように感じます。でも通常の教室ではみんなと同じことをするように求められます。同じことができないととても苦しいと思います。

「この子は、わがままなんです。好きな事は一生懸命やりますが、嫌なことはやらないんです」という先生の言葉を先日も聞きました。

そのお子さんは本当にわがままなのでしょうか?

その先生は「嫌いなこと」と言われていましたが、実は順番がわからないのかもしれません。どうやって進めていけば良いのかわからないのかもしれません。

子どもが周囲のみんなと一緒にできない時、あるいは不適応を起こしている時、その原因がどこにあるのか、サボっているとか、わがままだと決め付ける前に子どもに寄り添ってもう一度考えて欲しいと思うのです。そうすることによって、発達障がいへの理解を深めて欲しいと切に思います。

<注>

1)こころとそだちのクリニックむすびめ院長。北海道大学名誉教授

馬場 博雄 長野市出身。高校卒業後、働きながら玉川大学の通信教育で学ぶ。玉川学園創設者小原國芳先生の「教壇で死ぬのは男(教師)の浪漫だろう」という、「死すとも教壇を離れず」の命がけの講義と生き方に感涙し、卒業を待たずに教師に。学生と教師の二足のわらじで大学は14年かかってやっと卒業。雪深い北安曇郡小谷村の北小谷小学校大網分校で4人の子どもたちとの出会いから教師生活が始まり、平成29年3月、若槻養護学校を最後に38年間の教員生活を終える。

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

4 誰もが自分らしく生きていけるように!

発達障害のある子どもの早期支援を中心として

児童発達支援センター にじいろキッズらいふ 所長 藤村 和広

特別な支援が必要な状況

文部科学省で、義務教育段階の全児童生徒のうち、特別支援学校、特別支援学級、通級と何らかの支援を受けている生徒、及び、学級担任が支援が必要だと思われる、通常学級内でのいわゆる発達障害を持つ生徒を合わせると、約10%の子どもたちが、何らかの支援が必要であるという資料が平成26年に出ています。

保育園等においても、平成25年に長野市を中心に関係機関協働で調べたものですが、市内の保育園、幼稚園全113事業所のうち100事業所の回答を得て、合計8,613人の利用児の中で、『集団生活において指導者の指示が入りづらかったり、他人とのコミュニケーションが苦手で、集団行動がうまく取れないなど、発達が気になる子はいますか?』の問いに、878人の園児が気になるとの回答をいただきました。長野市においても年代は違いますが、少なくとも約10%の園児に育ちの不安を事業者が感じているということが明らかになっています。

長野市の平成28年4月の統計から0から5歳児の人口は約18,000人で、文部科学省の統計から考えますと、約1,800人は、何かしら支援が必要になることになります。そんな状況の中、長野市内の乳幼児期の特別な支援をするための児童発達支援事業所の定員の合計は、平成28年4月時点でわずか80人です。データに対し20分の1に満たない状況であるということになります。もちろん、すべてが児童発達支援事業所に所属し、支援を受けるべきと考えているわけではありませんし、その必要のない子どももいます。また、インクルーシブな社会(共生社会)を作っていく観点からも、そうであってはならないと考えています。ですが、現実的に、通常の保育園等において適切な支援ができる環境が整っておらず、困り感を持つ子どもたちにとって、今、大変困難な状況であると考えています。

早期支援の必要性

早期発見、早期支援ということが叫ばれているわけですが、改めてその必要性について考えてみたいと思います。

生活や学習の困り感を放置したり、不適切な支援を繰り返すことで、自己肯定感が削がれ、不登校など、非社会的行為や、反社会的行為を行ってしまうケースがあるといわれています。そのまま適切な支援のない状況が継続しますと、青年期に至って、引きこもり、ニートなど、社会生活、就業の不適用により年金受給者になっていく可能性があります。もちろん年金受給者の方すべてが発達障害を持っているわけではありませんし、発達障害のある方がすべてそのようになっていくわけではありません。ただ、通常よりもリスクが大きいということです。

世界の著名人で、発達障害を持つ方ということで話題に出ますのが、エジソンさん、アインシュタインさんなど、現代になりますとスティーブ・ジョブズさん、ビル・ゲイツさんなどの名前があがっています。日本においても、黒柳徹子さん、さかなくん、などの名前があがっています。それぞれがスペシャリストで、世に認められ、世界一の富豪になられている方もいらっしゃるわけです。その人に合った仕事、環境などがあれば、発達障害があるということだけで、成功した人生が送れないということは断じてないわけです。

ですが、現在の第三次産業が中心の社会、核家族化、共働き世帯の増加などの生活環境の変化が、発達障害のある方にとって生きづらい時代になっていると考えています。

ですから、生活や学習等のつまずきを早期に明らかにして、適切な関わりを持てるように、生活などで重篤な問題が発生する前に、いわゆる二次障害が起こらないための予防をしていくことが特に重要であると考えています。自分の得意と苦手さを意識し、得意を生かした生活を送ることができるよう、問題が起きる前の早期の発達支援は重要であると考えるわけです。そして、子どもの人権を守るという観点はもちろん、財政的な問題としても位置付けるべき問題と考えています。

早期支援が進まない理由

私の所属する「児童発達支援センターにじいろキッズらいふ」では、幼児期で育ちの不安を抱える保護者の相談機関として、また、療育体験を通し行動観察をして、必要な支援を提案させていただく園開放を、年10日開催させていただいています。旧知的障害児通園施設三輪学園の頃から数えますと7年間継続させていただいていますが、1回で5名程度が行動観察のできる人員の上限ということで、開催していますが、(ここ数年は、就園児と未就園児に分け、午前、午後と1日で2回開催させていただいています。)翌開催日以降まで待ちの状況になるほど相談者が増えています。

平成26年、27年度の実績から(参加児童計108人)、参加される方のうち、ご家族やお友だちからの情報で直接利用されるケースは20%程度で、多くは保健センターや医療機関から勧められて来ていただいているケースで60%程度になります。

スタッフからしますと、参加児中、約80%は何かしらの支援が必要と感じています。実際には、約40%が児童発達支援に結び付き、約10%が保育所等訪問支援(保育所等に児童発達支援事業の経験等がある職員が訪問し、保育所等での安定した利用を促進する事業)に結び付いています。その一方で約30%の児童が支援に結び付かない状況です。

保健センター等から勧められてくる場合、医師の診断を受けているわけではありませんし、「育ちは遅れているかもしれないけど」ということで、障害があると思う方はほとんどいないと感じています。誰しも健康で生まれ、通常(この言葉が曲者ですが)の生活をしていけることを願っていますし、「まさか我が子が」と思っているものです。

早期支援が難しい背景として一番なのは、その「まさか我が子が」という思いです。確かにまだまだ社会生活での生きづらさはあり、成熟した社会に達していないのが現実です。人権の尊重であり、真に誰もが生き生きと暮らせる社会づくりをしていく必要があります。特に、行政を含めた公的機関の方々、私たち社会福祉事業者も含め、自信をもって支援をさせていただくことと、社会に向けての啓発活動を進めていかなければならないと考えています。

もう一つは関係機関の連携です。「まさか我が子が」という思いはなかなか消えるものではなく、喪失感を感じたり、保護者が自分を責めてしまうことがあります。子どもの状態を受容することは本当に大変なことなのです。「お子さんに支援が必要です」と伝えることは非常に重いことです。それを支援する側が行うことは、当然支援時のリスクを伴います。本来であれば支援提案をする者と支援をする者は別であるべきだと思います。そのためには、早期発見、早期支援に携わる機関が「気づき」「相談」「子どもの状態把握」「支援提案」「支援実施」といった役割分担をしていくことが必要と感じています。

誰もが自分らしく生きていけるように

早期支援につきましては、昨年の9月に園開放の報告会を、医療機関・行政機関・事業者等に参加していただき、連携体制の提案をさせていただいたところです。その後、何も進んでいませんが、これから、また、動き出そうと考えています。

早期発見、早期支援はスタートラインであって、それですべてが解決するわけではありません。つぎのライフステージへ、一般的には就園から就学、中学校から高校、就労へとそれぞれに支援の橋渡しができる体制が必要と感じています。幼児期の支援も、その時はもちろんですが、おとなになったときに自分らしく生活できるためのものです。障害は病気ではないので基本的に治るというものではありません。道具や工夫などで、克服するのではなく、生きやすい生き方を見出していくことだと思います。

そうしていける環境づくりを、関係機関が協働すること。それは、障害も健常もない、それぞれの生き方、価値観、その人自身を認め合える社会づくりを進めていくことだと思っています。

〒380-0928 長野県長野市若里6丁目6-14

TEL: 026-219-3780

特集 3 障害児・障害者の権利を守る

特集 3 障害児・障害者の権利を守る あとがき

長野の子ども白書編集委員 武山 弥生

我が国は、平成25年6月に「障害を理由とする差別の解消に関する法律」(以下、差別解消法)を制定し、翌年1月に「障害者の権利に関する条約」(以下、権利条約)を締結しました。条約の署名が平成19年ですから、実に足かけ7年の歳月を要したわけです。これだけ時間がかかったのは、条約の批准に必要な国内法の整備に時間を要したことを示しています。

実は、政府は平成21年には条約を批准しようとしていました。障害者基本法を一部改正して批准に持ち込もうとしたのですが、それに反対したのは、障害者の当事者団体でした。拙速な批准は、条約の理念の実効性を欠くものであるという懸念があったようで、今考えると、正しい判断であったし、その時の批准を取りやめた政府も正しい判断をしたと思います。その後の政府も当事者の意見をいかに取り入れるかを考慮し、国内法の整備に当たりました。その結果、平成26年1月の締結に至ったわけです。

これだけの時間がかかったということは、権利条約とその理念を反映した国内法により、我が国の障害概念や差別についての考え方は大きく変わったということだと思います。その一つが、障害の「社会モデル」です。つまり、障害者が障害者であるのは社会的障壁に由来するという考え方です。差別解消法では「社会的障壁」を「障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。」と定義しています。今回、寄稿頂いたものに共通することが、社会的障壁としての社会における慣行、観念の根強さであり、払拭することの難しさだと思います。

障害者の権利を考えるとき、あの、やまゆり園の事件を忘れることはできません。かつて制度や慣行として存在した「優性思想」が観念として人々の中に残っていたことを示しています。制度や慣行は変えることができますが、人の心にある観念は中々変えることができない、ということを最も過酷な形で突き付けられたような思いでした。特別支援教育に関連した寄稿もありました。特別支援教育が特別支援教育コーディネータや特別支援学級の担任が行うものであると考えられていたり、「わがままでしょ」といわれたり、前例がない、特別扱いはしないという理由で教室でのICT機器の利用が認められなかったり、これらも従来の慣行や観念に由来するものと考えられます。このような障害者にとってまだまだ厳しい社会の中では、「まさか我が子が」と考えてしまう親の気持ちは無理もないのかもしれません。

差別解消法では社会的障壁の除去のための合理的配慮の提供を規定しています。その配慮が「合理的か否か」は、実は基礎的環境整備の程度に関連してきます。基礎的環境整備には構築物の改修や設備の充実などの他、権利条約第8条の「意識の向上」も含まれます。しかし、人の意識を変えることは簡単ではありません。自分自身を省みることも含めて、社会的障壁としての「観念」の除去に務めていかなければならないと思います。険しい道のりには違いありませんが、真のインクルーシブな社会に到達するためには避けて通れない道です。

■ 武山 弥生 一般社団法人シーズ発達研究所

代表理事

特集 4 子どもの貧困

長野県の実情と運動の広がり

もくじ

これ以降は特集 4のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

画期的変化を作り出した子ども・障がい者等の医療費窓口無料化をめぐる状況と今後の活動について 湯浅 健夫

新婦人が取り組む請願・署名・発信行動で 女性の草の根パワー 森山 雅子

医療機関の窓口から見える実態 子どもの健康とくらしアンケートに取り組んで 小林 正弥

子どもの貧困  今を生きる子どもたちに目を向ける 長野県ひとり親家庭の子どもの声アンケートから 児玉 典子、金井 友弥

松本市ひとり親家庭実態調査結果と分析について 山本 修平

離婚と貧困 堤 則昭

夕暮れ時の子どもたち 下村 真知子

福祉の現状と子どもの教育の未来 牧田 広利

ひとり親家庭の家計簿 中学・高校編 北村 きよみ

「子どもの教育に親がお金をかけるのはあたりまえ」ですか? 学校の制服から考える、保護者の教育費負担 古澤 絵美

中間教室便り 中間教室での子どもの姿から、体験と絆の貧困に焦点を当てて 久保田 延幸

せめて学校ではお金の心配をせずに 妙心寺 京子

演習論文で感じた子どもの貧困 母子家庭の貧困と対策・そこから一人の大学生が考えたこと 関 和穂

「貧困」をめぐる現状と諸課題 子どもの貧困問題を考えるシンポジウムを振り返って 山本 尚果

子どもの『居場所』とは 無料学習支援の活動を通して 鈴木 忠義

子どもの居場所づくりの取り組みは、子どもの貧困問題の何に貢献するのか 内田 宏明

誰でも参加できる地域の居場所 信州こども食堂 青木 正照

子どもの居場所づくりの実践からみえたこと 子どもたちはなぜ生きづらさを抱えたのか 伊藤 由紀子

食でつながる地域の支え合い 子どもの居場所と食料提供 美谷島 越子

子どもらしく安心して居られる居場所づくり 私たちが本当にやらなければならない事は何なのか 金井 友弥

特集 4 あとがき:長野県の子どもの貧困の現在 和田 浩

特集 4のリンクは以上になります。

服の値札を見て 困った顔をする 買い物中の親子のイラスト

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

1 画期的変化を作り出した子ども・障がい者等の医療費窓口無料化をめぐる状況と今後の活動について

福祉医療給付制度の改善をすすめる会(すすめる会)事務局長 湯浅 健夫

1. この間、画期的変化を作り出した

(1)阿部知事の注目すべき年末の記者会見

阿部県知事は、去る12月28日の定例記者会見で「子どもの医療費助成」に関して注目すべき内容の発言をしました。

厚生労働省は、子ども医療費助成に係って、窓口無料化を実施している市町村に対して国保の減免調整措置(いわゆるペナルティ)を行ってきましたが、12月22日厚生労働省国民健康保険課長から各都道府県あてにその一部見直しに関する事務通知を出しました。それを受けての県知事の記者会見でした。

<厚労省通知の内容>

地方公共団体が独自に行う医療費助成に係る国民健康保険の減額調整措置について、自治体の少子化対策の取り組みを支援する観点から、平成30年度より未就学児までを対象とする医療費助成については国保の減額調整措置を行わないことにする。

<阿部知事の記者会見の内容>

上記の国の政策変更を受け、阿部知事の発言は、「県としては、市町村の皆さんと一緒に子どもの医療費の現物給付化に向けた検討にできるだけ早く着手したいと考えています。健康福祉部に対しては、見直し内容を精査しながら検討会の開催に向けた準備を早急に行うよう」指示したという内容でした。

(2)阿部知事発言への評価と運動の成果

上記の阿部知事の前向き発言は、国の政策変更を受けた受動的な立場からの態度表明ではありますが、一部とは言え、福祉医療の窓口無料化に向けて、「風穴」を開けたという点では、重要な成果です。その上で、その対象範囲などの「線引き」が大きな課題となりました。

私たち「すすめる会」は、1994年結成時以来、1 子ども・障がい者等の福祉医療給付制度は、現行の自動給付方式をやめ、窓口無料化を一刻も早く実現する。2 制度の見直しを検討する際は、子どもの親や障がい者などの当事者を参加させること。などを目標に20数年間、一時の困難な時期を乗り越えて粘り強い活動を展開してきました。

最近では、2012年3月阿部知事に対する要請署名43,491名分を添えて懇談。直後の6月県議会に393団体の賛同を得て請願。2014年5月阿部知事に対する要望署名73,947名分添えて2回目の懇談。2015年2月県議会に対して24,289名分賛同署名を添えての請願。同時期に県知事への要望署名追加分として6,854名分を提出。市町村議会に対して窓口無料化を県に要望する請願・陳情書を提出し、7割を超す市町村議会が県への意見書を採択しました。

また、2014年8月の県知事選挙、2015年4月の県議選挙では、子ども・障がい者の医療窓口無料化問題が、大きな争点として扱われ、一定の政治的変化を作り出すことができました。また、2014年6月長野県小児科医会が窓口無料化の要望書を県知事、県議会等に提出する動きもありました。

年末の県知事の前向き発言とその後の県当局の動きは、こうした私たちの長年の運動と県民世論の高揚を反映した結果です。

 

(3)2回開催の県の検討会等の内容と評価

この知事発言を受け、長野県は「長野県福祉医療費給付事業検討会」(検討会)を設置し、1月27日第1回の会議を開催しました。検討会は、県健康福祉部長を委員長として、長野市長、小諸市長、上松町長、南箕輪村長の5人のメンバーで、「現物給付導入の是非」「現物給付導入の範囲」「受益者負担金徴収の有無」などを検討課題としました。

第1回検討会では、1 就学時までの現物給付の導入(障がい児・一人親家庭児も含む)には同意する 2 現物給付の範囲については、今後の検討課題とする 3 受益者負担金徴収は、現行通り徴収する などの方向性を確認しました。

第2回検討会は3月30日開催し、前回からの検討課題であった現物給付の対象年齢を2月に実施した全市町村への意向アンケートをもとに、「中学校卒業」までとし、「受益者負担金は今まで通り最大500円徴収」を再確認し、実施開始時期を2018年度中とする。また、小学生・中学生の分に係る国保の減額調整分について、県が一定額補助することも決めました。

2回の検討会を踏まえ、4月13日記者会見を開いた阿部知事は、「現物給付の導入時期を2018年8月とする」旨の発言をしました。

子ども医療費の窓口無料化現物給付の対象を国保のペナルティを覚悟してまで中学卒業までとしたこと、しかも実施主体の市町村に対してペナルティ分の半額を県から補助する内容は、歴史的・画期的成果です。しかし、「受益者負担金」を最大500円徴収すること、障がい者については、検討対象としていないことなど問題点・課題も残されています。

2. 今後の課題と当面する活動方向について

長野県の動向を踏まえた「すすめる会」は、2月1日健康福祉部への「完全窓口無料化」「当事者参加の保障」を求め、緊急申し入れを行い、懇談をしました。また、2月県議会にも同趣旨の請願をしました。結果は、県議会の同意は得られず、「継続審査」でした。

また、当事者の声を可視化させるため3月26日「当事者のつどい」を開催し、子どもを持つ親、障がい者、医療従事者、教育関係者などから率直な想いを発表してもらいました。

こうした歴史的成果を勝ち取った到達状況を踏まえ、すすめる会は今後の活動について以下のように考えています。

(1)我々の基本的立場と当面する要望事項について

1子ども医療費現物給付化の対象を中学卒業までとした「県の検討会」の結論と県知事の発言は、歴史的成果として歓迎し、その一刻も早い実現を要望する。

2窓口無料化は、県や市町村が現に助成している障がい者を含めた福祉医療給付範囲全体を対象とすること。

3助成条件を「所得制限なし、受給者負担なし」とし、完全窓口無料化すること。

4制度の見直し作業へ子どもの親や障がい者等の「当事者」参加を保障すること。

(2)当面する活動方向について

こうした長野県の急展開は、長野県がもっとも「遅れた県」からようやく「並みの県」になってきたことを意味し、私たちは、上記の基本的立場と当面する要求事項を実現し「先進県」をめざし、新たな県民運動と県民世論の高揚のため奮闘します。

<県とともに市町村への働きかけかけを重視しましょう>

県の制度見直し作業を期に、県に対して、制度の更なる拡充=窓口完全無料化を要求しながら、 実施主体である市町村への働きかけ強め、「対象年齢の拡大」「障がい者への拡大」「受益者負担金の廃止」など制度の拡充を市町村に迫っていきましょう。

県が現物給付実務の土台づくりに着手することは、今までとは違う新しい有利な条件です。特に窓口無料(主に重度心身障がい者)をしていた実績がある5市2町4村に対する働きかけは重要です。松本地域(松本市、塩尻市)、諏訪地域(岡谷市・諏訪市)、南佐久地域と伊那市や、独自の「制度拡充」を実施している坂城町へ働きかけを強めましょう。 

<10万人規模の署名運動>

すすめる会では、県民の声を大きくしていくため、県知事への要望署名活動を2月下旬から展開しています。多くの県民の声、特に当事者の声を県知事に届けます。

署名運動は、5月28日の「すすめる会」総会までとし、10万筆めざし奮闘しました。多くの関係団体や個人への協力・賛同を得ました。4月15日を中心に全県一斉の署名行動も展開しました。

<夏から秋にかけての活動について>

「すすめる会」では、県知事への要望署名活動などを行いながら、夏から秋にかけて県下全市町村への働きかけを強めるための活動方針等を決めるため、5月28日「すすめる会」の総会を開催しました。制度の拡充に向けて、新たな県民運動を展開しましょう。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

2 新婦人が取り組む請願・署名・発信行動で 女性の草の根パワー

新日本婦人の会長野支部 事務局長 森山 雅子

新日本婦人の会とは

私たち、新日本婦人の会(新婦人)は国内各県に支部があり、全国の会員とともに、女性と子どものしあわせを願って、日々草の根で活動している女性団体です。2003年に国連NGOとして認証され、世界の女性との交流を広げています。

私たちの暮らしがどんどん、悪くなっている昨今。みんなで、支え合おう!と民意でいろいろな事業が立ち上がっています。これは、とても良いことですが、これだけでは、根本的には何も変わりません。やはり、行政でやるべきことは、きちんと行政の責任でやるべきではありませんか。私たち、新婦人は、行政への請願行動、署名提出を行い、私たちの暮らしを変えて欲しい!と切実な思いを届け続けています。私たちの運動の様子と成果を紹介します。

陳情・請願行動

私たちが長年取り組んできた運動の一つに、福祉医療費、子どもの医療費の運動があります。今まで長野市に提出した陳情・請願はたくさんあります。市長と懇談もし、直接思いを届けたこともあります。事務所に残っている資料を見ると初めて陳情として市議会に提出したのが、2005年「乳幼児医療費助成制度の所得制限撤廃についての陳情」。所得制限を撤廃して就学前まで、乳幼児医療費を無料にして下さいと要求しました。その後、2007年「子どもの医療費無料制度の創設を求める国への意見書提出の請願」。2009年9月「福祉医療の受給者負担金引き上げに関する陳情」。2009年12月「福祉医療の受給者負担金引き上げに関する請願」を提出。2009年は長野県が受給者負担金を300円から500円に引き上げようとしていた時だったため、「引き上げがないよう市で負担して欲しい」と、子育て中の若い親たちの寄せ書きを添付し要求しました。同時に「子どもの医療費無料化制度の対象年齢拡大を求める請願」も提出。就学前から小学3年生までの拡大を要求しました。2011年「子どもの医療費無料化制度の対象年齢拡大を求める請願」を提出。小学3年生から中学卒業までの拡大を要求しました。2013年も「子どもの医療費無料化制度の対象年齢拡大を求める請願」を提出。この時は、小学6年生から中学卒業まで要求しました。2014年2016年には「福祉医療費の窓口無料化を求める県への意見書提出を求める請願」を提出。長野県でも窓口無料を実施するように要求しました。

このように、長年かけて何回も要求し続けています。

そして、現在子どもの医療費無料の対象年齢は、中学卒業までに拡大されています。要求内容で成果となってはいない部分もありますが、行政が動いた背景には、子育て世代の切実な思いをあきらめないで伝え続け、何かやらないといけない状況をつくった私たちの運動があったことは、間違いありません。

この他にも、2009年「妊婦健康診査の超音波検査の公費負担拡充を求める請願」として、当時超音波検査の公費負担回数を1回から4回への拡充。35歳以上という年齢制限を無くして欲しい。という要求をし、採択されています。2011年には「病児・病後児保育施設の拡充を求める請願」を出し、病児保育施設を設置し安心して働きながら子育てできる環境の拡充を訴えました。

また、子育て世代を中心に要求を集め、長野市長や担当部の方とも懇談をしています。第4給食センターの計画を知り、大規模センター化されることに不安を感じ、給食センターや自校給食についてなど、学校給食関する懇談を担当者としました。子育て支援についてでは、「私立幼稚園奨励費補助金の給付方法改善」「3人乗り自転車のレンタルまたは購入助成」「インフルエンザ予防接種の自己負担額1000円の対象者に子どもの加えて欲しい」など、生活の中で感じている要求を伝えました。その中で、訴えた項目の1つ肺炎球菌・ヒブワクチン接種の公費助成を国に求めて欲しいという思いは伝わり、現在公費での接種が行われています。

福島第一原発事故が起き、「放射能汚染が深刻な影響を与えている。子どもたちを放射能汚染から守るためにできうる限りのことをしていくのがおとなの責任と考える」と放射能物質検査の充実を求める請願をし、学校給食用食材の安全性を訴えるため、市長と懇談もしました。

このように、何か要求があると、小さなことから大きなことまで、要望書をつくり懇談をしています。懇談をしていても、相手の反応がまったくなく、こんなに必死に訴えているのに、話しを聴く気があるの!とがっかりしたこともありました。でも、行政が動かなくても、このように発信し続けなければ変わらない。何度も思いを伝え続けることが大事だと、私も運動を通して感じました。

複数の親子の組と 職員が懇談会をしている写真

署名行動

私たちが草の根で取り組んできた運動として、署名行動があります。一人ひとり声をかけ、地道に積み上げて行く。こんなことして意味があるの…?と思う方もいるかもしれませんが、一人ひとり話して行くことで、世論がひろがります。そして、1筆1筆が積みあがると、それはみんなの思いの塊。行政も無視できない状況を作ることができます。

新婦人独自で取り組む署名もありますが、長野県、長野市の要求は他団体と共闘で署名を集め世論を広げてきました。私たちが毎年取り組んできた署名の中に「県民教育署名」があります。2016年で24年目になったこの署名。過去23年間でのべ1341万筆の署名を集め、全国に先駆けて高校40人学級の完結、障害児学校の条件整備、長野県独自の30人規模学級実現などの成果をあげてきました。この署名が大きな力になりました。また、「福祉医療給付制度の改善を進める会」として、2014年に長野県でも窓口無料に!と署名を集めました。この時は長野市内の保育園に署名のお願いをするため、緊張しながら必死で電話を掛けていました。断られたり、快く引き受けてくれたり、一喜一憂しながら集めていました。全県で約7万4千筆になり、この署名を受け取って県知事は、対象年齢の拡大をしました。窓口無料はできませんでしたが、何かしないといけない状況にしたのは署名の力です。署名が行政を動かしたのは確かです。

みんなで暮らしをかえよう!

このように、請願・署名・発信行動はとても重要なことなのです。行政へ要求を直接訴える。署名で世論に訴える。少し勇気がいることですが、行政がやるべきことは行政がやる!みんなで声をあげ、変えていきましょう!!

街頭で署名の呼びかけをする人と 署名をする人の写真

男性に署名を提出する女性の写真

新日本婦人の会は1962年、女性運動の先駆者、平塚らいてうや童話作家いわさきちひろなど32人の呼びかけで創立されました。創立以来、どんな悩みや要求も、みんなの問題として話し合い、手をつなぎ、実現めざし運動しています。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

3 医療機関の窓口から見える実態 子どもの健康とくらしアンケートに取り組んで

長野県民医連事務局 小林 正弥

はじめに

長野県民主医療機関連合会(民医連)では、子どもの医療費負担がどう影響しているのか分析するために、子どもの健康とくらしアンケート調査を実施しました。その結果からは、子育て世代の実態や切実な願いが浮き彫りとなりました。主な内容を紹介します。

アンケート調査の概要

 2016年12月中旬から2017年1月末に、長野県民医連内の小児科のある6病院(長野中央、松本協立、塩尻協立、諏訪共立、上伊那生協、健和会)の窓口での調査に加え、上伊那生協病院病児保育室「いちごハウス」・健和会病院子育て友の会にも協力していただきました。主な質問項目は表一の通りです。

表一 子どもの健康とくらしアンケート 質問項目

 質問の番号

質問の内容

 問1

お子さんの医療費や薬代に対して負担に感じたことはありますか。

 問2

お子さんの医療費に負担を感じ、医療にかからなかった、中断したことはありますか。

 問3

長野県における子ども医療費助成制度は現在償還払いですが、現物支給(窓口無料)が必要だと思いますか。

 問4

問3で「はい」と答えた方にお聞きします。何才までの子どもに窓口無料が必要だと思いますか。

 問5

お子さんにかかるお金で特に負担に感じるものは何ですか。(3つまで)

 問6

差し支えなければ世帯の雇用形態・就労状況・収入の状況を教えてください。(あてはまるもの全て)

 問7

子どもの将来に対して何か不安はありますか。

 問8

経済的なお困りごとがあれば何でもお書きください。

アンケート結果と特徴

合計366件の回答がありました。回答者は、母親85%、父親12%。回答者の年齢は、30代47%、40代38%。住所は県内24市町村(飯田市109件、長野市87件、下諏訪町30件、箕輪町29件、松本市27件など)であり、一世帯あたりの子どもの人数は1人22%、2人44%、3人20%などとなっていました。

「お子さんの医療費や薬代に対して負担に感じたことはありますか?」の質問では54.9%が「ある」とし(図 1)、問5の「お子さんにかかるお金で特に負担に感じるものは何ですか(3つまでの複数回答)」では「医療費・薬代」が45.6%であり、長野県の子育て世代にとって医療費は大きな負担になっていると言えます(図 3)。

さらに「お子さんの医療費に負担を感じ、医療にかからなかった、中断したことはありますか?」の質問では17.2%が「ある」と回答しました。これは決して少なくない数字です(回答者の多くは病院に来ていた方であり、実際はこれよりも多いことが推測されます)(図 2)。子どもの病気では風邪など軽いものが多く、経済的理由で受診しなくても結果としては治ってしまうことが多いのですが、中には重症化することもありうることです。また、その間親子は不安を抱えて過ごし、大きなストレスがかかっていると考えられます。窓口負担が無ければこの方々はその時、必要な医療が受けられたのです。

「子どもの医療費の現物給付(窓口無料)が必要だと思いますか?」という質問では「はい」が87.4%でした。また、医療費無料が必要だと思う年齢については「18才まで」が39.8%で一番多く、次に「15才まで」が31.4%でした。(図 4)

「子どもの将来に対しての不安」については、47.0%が「ある」とし、その内容は多岐にわたりますが、学費をはじめとした大学進学の費用や就職するまでの援助ができるかといった経済面の不安が多くなっていました。(図 5)

図 1 医療費を負担に感じたことはあるか

図 1 医療費を負担に感じたことはあるかどうか を示した円グラフ

図 2 医療費に負担を感じ、医療にかからなかった、中断したことは

図 2 医療費を負担に感じ 医療にかからなかった もしくは中断したかどうかを示した円グラフ

図 3 問5お子さんにかかるお金で特に負担に感じるもの3つまでの複数回答

図 3 子どもにかけるお金で 特に負担に感じるものを示した棒グラフ

図 4 何才までの子どもに窓口無料が必要だと思いますか

図 4 子どもの無料窓口は 何歳まで必要かを示した棒グラフ

図 5 子どもの将来に対して何か不安は

図 5 子どもの将来に対して 何かしら不安があるかどうかを示した円グラフ

自由記載にみられる切実な声

自由記載にも切実な声が多数寄せられました。一部を紹介します。

「医療費が窓口無料になることにより、生活費に余裕がでます。余裕が出ることにより家族が笑顔で毎日を送ることができます。ぜひ窓口無料化をさせてください」

「我が家は子ども2人ともお薬を常用し、月に2万近くかかっています。あとから戻ってきますが窓口で無料だと本当に助かります。手数料が引かれるのもばかになりません。窓口無料にしてほしいです」

「県外から転居してきました。今までは、医療費も薬代も窓口で支払いをしたことがありませんでした。一日も早い窓口無料化に向けて動いてほしいです」

「子どもが突然けがをして、財布に現金がなくATMへ行き残金が少なかったがおろし、受診中お金がたりるかハラハラした覚えがあります」

「生活全般、子ども一人育てていくのがやっと。2人目は無理」

「子どもが4人もいると病院・薬代が一人あたま少額とはいえ結構かかる」

まとめ

今回の調査結果は、長野県の現在の子どもの医療費が子育て世代の大きな負担になっていることを示しています。県は中学卒業までの現物給付の方針を打ち出しており、これは大きな前進です。しかし多くの父母が高校生やそれ以上を対象とすることを望んでいます。県は窓口の受益者負担金は残す方針ですが、それすら払えない家庭もあります。また、障がい者に関しては現在の償還払いのままとしています。誰もが安心して必要な時に必要な医療を受けられるよう、私たちは医療者の立場から、子ども・障がい者の医療費完全窓口無料化をめざして運動を広げていきたいと思います。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

4 子どもの貧困 今を生きる子どもたちに目を向ける 長野県ひとり親家庭の子どもの声アンケートから

反貧困セーフティネット・アルプス世話人 児玉 典子

子どもの声アンケートから見るべきもの

平成27年、長野県はひとり親家庭(児童扶養手当受給家庭)生活実態調査をアンケート方式で行いました。1) 加えて小学校4年から18歳までの子どもを対象に「子どもの声アンケート」も行われました。アンケートは子ども自身が答え、糊付けして提出されました。アンケートを寄せた子どもは4,466人(保護者が答えた生活実態調査回答数は9,350人)にのぼりました。子どもの声アンケートでは「今の悩み、不安、心配について自由記述」を求めました。子どもの声は、自分自身のこと、友人関係、学校生活、将来の夢、不安や悩みなど多岐にわたります。

サッカー選手になりたい小学生の男の子の声です。「僕はサッカーが好きでクラブに入りたいが母子家庭で生活するのに大変でお金がないので入りたくても入れません。会費もユニフォームも無料のところがあるといいな」

将来、塾の先生かカフェをやりたいという小学生の女の子の声です。「大学に行けるか心配。お母さんがお金がないので水道代など払うのにすごく困っているので心配。アレルギーを持っているので定期的に病院に通いたいが病院代がなくて困っている」

進路選択を控えた高校3年生の声「専門学校を希望していたが、お金がすごくかかることがわかり、親に迷惑をかけたくないので就職に決めた」「大学のことを簡単に考えられる友人に、夢がないと簡単に言われたくない。夢を持っても何にもならない。劣等感が大きくなり消えたくなるだけ」

サッカー好きの元気な男の子や将来カフェをやりたいと夢を描いている少女が貧困の現実に直面し困難と不安の中で今を生きている姿が浮き彫りになります。中学、高校と年齢を重ねる中で高校生が進学希望を諦め、夢を持っても何にもならないと貧困がもたらす社会の現実に抗うすべを見つけられない訴えが書かれています。

こうした子どもたちの声は、今まで社会が見てきた衣食住の欠乏を中心にした貧困の姿に加えて、子どもが成長過程で求めているもの 今「必要」としているもの を貧困により奪われている状況、さらに親への気遣い、交友関係での強い疎外感などをもって生きていることを見届けてほしいと訴えています。子どもの貧困が見えないとか見えにくいといわれてきましたが、子どもの声アンケートは、格差と貧困の中で自信を無くしたり、我慢したり、将来の夢の選択を制限されている状況を子ども自身が語っています。私たちはここから、子どもが直面している困難を見届ける必要があります。

子ども期の貧困に着目するとは

イギリスのブレア政権が、子どもの貧困対策を始める中、2000年、子どもに直接インタビューしたことで浮き彫りになった子ども期の貧困に焦点をあてたイギリスのテス・リッヂの報告があります。ここでは未来のおとなである子どもではなく、社会の秩序と安定の脅威としての子どもの貧困問題ではなく、今を生きている子どもが現代の消費社会の中でどのような困難に直面しているかを浮き彫りにして、子どものニーズに即した政策を模索すべきとしています。

お小遣い、友だちとの交友、学校生活での体験、学校外生活の体験、家族(親)に対する気遣い等の聞き取りの中で貧困層の子どもたちは学校の中で貧困が可視化されないように腐心しており、多くの子どもたちが「流行についていけない」ことで友人関係からの社会的排除を経験していると報告しています。

今回の子どもの声アンケートでも子どもたちは、将来の夢や希望を中心に問われた限られた条件のアンケートにもかかわらず、学校生活で感じる対教師や友人関係の困難と学習機会の制限、必死で働く母への気遣いと不安、家族との葛藤 進路選択での選択の制限と苦悩を綴っています。子どもたちが、プライド(尊厳)を傷つけられたり諦めたりしないで生きるために、政治や社会が取り組む課題を浮き彫りにすべきではないでしょうか。

子どもの貧困課題は、心身の健康と発達の問題、生活自立が不十分、学習機会の制限による学力低下、進路選択の制限、自己肯定感の低さなどがあげられていますが、子どもの声(子どもの訴え)に置き換えてみることで子ども期の貧困とは何かを改めて確認することができます。

子どもたちは、成長過程や進路選択の節目で格差と貧困がもたらす自身に起きている困難に直面しますが声を上げることができません。しかし、子ども期の真っただ中の子どもの声を聞いてそこから社会がすべきことを明らかにすべきだと考えます。

 貧困の課題

子ども主体の意見

 心身の健康と発達

医者に行けない。我慢している。家族からの暴力がいやだ。“気持ち”が不安。

 生活自立不十分

お母さんが忙しくて一緒の時間がない。お母さんが死んだらどうしらいいか。ひとりで留守番怖い。

 学習機会の制限

勉強がわからなくなったけど教えてもらえない。塾に行きたいけど行けない。学校の先生はわかってくれない。先生には言えない。

 進路選択の制限

進学を諦める。夢はかなわないと思う。夢がかなうか不安。経済的なことを考えると選択肢が少なくなってしまう。

 消費生活の困難

スマホがほしい。小遣いが少ない。お金のかかることは親に相談しにくい。塾に行けない。何をやるにもお金がなく我慢が多い。

 自己肯定感の低さ

友だちとうまくいかない。仲間はずし、弱いものいじめをされて困っている。友だちが上手につくれない。誰も助けてくれなかった。

今を生きる子どもたちの権利保障としての
貧困対策へ

子ども期とは、子どもの権利条約に照らしてみるとおとなの力を得て大事にされ、学び、遊び、休み、豊かに過ごし、自分を信じて成長していくかけがえのない長い期間です。

無料こども塾の中学3年生は、進みたい学科のある私立高校は「親から私立は無理」と言われ県立高校受験に挑みました。また、前期入試では他の生徒がパソコンのパワーポイントを駆使した自己PRをする中、手書きで挑戦しました。パソコンを使いこなせる家庭環境が整っているか否かはまさに格差そのものです。

学校の個人懇談会で「苦しいです」とポツリと語った母親の一言から始まった伊那北小学校の取り組みは子どもの経済的な貧困を正面から受け止め「どの子も引け目を感じないで平等に学ぶことのできる学校」を目指しました。貧困が生み出す子どもの不利と困難の具体的な姿と貧困がどのように子どもの不利に転化するかということを理解し、子どもたちが、プライド(尊厳)を傷つけられたり諦めたりしないで子ども期を生きる保障 権利保障としての子どもの貧困対策 こそ必要ではないでしょうか。

国・県が進める「子どもの貧困対策」の
落とし穴と課題

先頃、子どもの貧困対策推進計画に位置づけられた子どもの居場所「こどもカフェ」を推進するためのフォーラムが開催されました。講演の中で子どもの貧困がもたらす社会的損失試算について子どもの貧困を放置すると税と社会保障の純負担が1.1兆円の純増(日本財団と三菱UFJコンサルティングによる子どもの貧困の社会的損失推計)になるので対策は急務であると話しました。さらに、子どもの貧困対策としての学習支援は、高等教育に進めば生活保護を受給せず生涯納税者となり1億円以上のプラスが国にもたらされると説明しました。

また、安倍政権が打ち出した一億総活躍プランでは地域共生社会の実現のために問題解決力を地域に委ねて無料学習支援を全国に5,000か所開設する目標も示されています。地域のおじさんおばさんに委ねる助け合い(子ども食堂や無料学習支援活動)が国や県が打ち出している子どもの貧困対策の流れの一つになっています。そして、子どもの貧困対策のアリバイづくりにもなっています。国や地方自治体の役割を横に置いて地域のこうした努力があたかも子どもの貧困対策の重要な施策であるかの如く評価されようとしている現状を厳しく指摘しなければなりません。

子どもの貧困問題はそもそも、雇用問題や社会保障の在り方の問題です。税や社会保障制度を通じて所得再分配により子育て世帯の負担を軽減し「格差是正=平等化」を目指して、その真価が発揮されます。貧困・低所得者、社会的弱者に救済の手を差し伸べることは、これらの人々の生活を保障することを通じて、人々が社会に参加しやすい環境を整えられ、成熟した民主主義社会を築く基盤が作られます。子どもの貧困問題、格差=不平等=人権侵害の解決の道へ導くためには、今を生きる子どもが出会っている困難に着目して教育の無償化、医療・福祉の保障を土台にした子どもの権利保障の方向に導いてこそ、地域の支えあいが真価を発揮します。テス・リッジが述べたように社会の秩序と安定の脅威としての子どもの貧困問題ではなく、今を生きている子どもの声に耳を傾け、国・県・市町村・地域が目指すべきものを明らかにする姿勢が必要となっています。

「子どもの声」から「子どもの権利保障」としての子どもの貧困対策に取り組むことが声を上げた子どもたちへの敬意を示すおとなの役割だと思います。

<参考文献>

「子どもの貧困と社会的排除」テス・リッジ著

「子どもの貧困ハンドブック」松本伊智朗他編著

「伊那北小学校の取り組み」2015年長野の子ども白書

1)長野県のHPでアンケートを読むことができます。
  http://www.pref.nagano.lg.jp/kikaku/kensei/shisaku/
sogokyoiku/documents/no2.pdf

子どもの声アンケートの分析

 金井 友弥

1. はじめに

2015年にひとり親家庭児童や児童養護施設入所児童、里親委託児童を対象に「子どもの声アンケート」を長野県が実施しました。約4700人の子どもからアンケートが回収され、子どもたちの抱えている悩みや課題が率直に回答されていました。

アンケートは項目ごとにその傾向や評価をされていますが、子どもたちの想いが書かれている自由記述については、その傾向も評価も詳細に検討されていない状況です。今回、長野の子ども白書では、自由記述より子どもたちの状況や思いをくみ取り、年代ごとにどのような支援や施策が必要なのかについて検討する事にしました。

アンケートの量が膨大である事や傾向や評価が個人の視点において行われている事もあり、学術性や客観性に欠ける点が多々あると思われます。今後、まとまったものを「長野の子ども白冊」にて掲載、広めていく予定です。今回は概要のみ報告いたします。

2. 全体分類

自由記述の傾向評価のために、記述された悩みを同じ・似ている悩みごとに分類し、分類ごとに名前を付けました。結果、将来の悩みと現在の悩みに分類する事ができました。現在の悩みはさらに、1学習面の悩み、2学校生活の悩み、3家庭生活での悩み、4経済・お金の悩み、5自分自身の悩み、6その他の6つに分類する事ができました。

6つの分類全体の 結果を示した図 学年が上がるにつれて 学校生活の悩みを 抱える子どもが多くなっている

親の体の心配

自由記述 悩み分類全体

 分類1 学習面

出来ない・わからない・不安

やる気が出ない

時間が無い

やり方がわからない

テストの点が上がらない

 分類2 学校生活

学校生活全般

いじめ

クラスメイトとの関係

教師との関係

クラブ・部活

 分類3 家庭生活

家族の今後

家族間の人間関係

親がいない悩み

もしも の時の生活

 分類4 経済・お金

生活費

お金が無い

学費・部活費

こづかい

習い事をしたいが

お金がない

 分類5 自分自身

日常生活

性格

精神的

身体

人間関係

 分類6 将来

進学

進学先

進路・夢がわからない

漠然とした将来の悩み

将来の生活

3. 将来の悩み

学年が上がるごとに増加する「将来の悩み」では「進学についての悩み」が各学年で多くを占めており、受験や将来を決める中学3年生や高校3年生の時に特に多く占める結果となりました。

「進学の悩み」は、1希望の進学ができるか、2進学におけるお金の悩み、3進学における学力・受験の悩み、4進学への諦め、5その他にさらに分類する事ができました。

小学生から中学3年生にかけて、「希望の進学ができるか」という悩みが学年が上がるごとに増え、子どもたちは「希望している高校や学校にこのままで進学する事ができるのか」という悩みを持っている事がわかりました。自由記述全体の割合でも小学生 中学3年にかけて「学習面の悩み」の割合が多くを占めており、中学3年生まで希望の進路に就くためには、勉強や成績を上げなければいけないと思っているのではないかと思われます。また、高校1 3年では、「進学におけるお金の悩み」が進学の悩みの大多数を占める結果となり、希望の進路に就くためには、お金をどうにかしなければいけないと考えているからではないかと思われます。「進学についての悩み」は特に中学3年生と高校3年生が多く占めていますが、悩みの中身は「学力」と「お金」とまったく違うものであることがわかりました。

また、各学年「進路・夢がわからない」「漠然とした将来の悩み」と回答している子が一定程度おり、将来や夢を決めるための視点や経験、考える機会が少なくなってしまっているのではないかと思われます。

将来の悩みの 詳細を示した図 どの学年も 進学についての悩みが ほとんどを占めている
進学の悩みの 詳細を示した図 小学生と中学1、2年生は進学における学力や受験について 中学3年生は希望の進路にいけるかについて 高校生1から3年生は進学におけるお金についての悩みが 大半となっている

4. 経済 お金の悩み

 「何をするにもお金が無い」「貧乏」「お金」と「お金が無い悩み」はこの項目のすべての項目に関係しているため各学年一定の割合を占めていると思われます。その中でも、「生活費の悩み」「現在の学費・部活費の悩み」「習い事をしたいがお金が無い悩み」等、子どもたちが日常の生活費の心配や本来悩まなくてもよいような、学費・部活費の心配をしている事もわかりました。さらに、習い事ややりたい事等、お金がない事によりできない悩みも出てきており、お金が無い事により社会的に子どもたちが諦める事を学習させられてしまっている恐れがあります。

お金の悩みの詳細を示した図 高校生3年生はほとんどがお金が無いという悩みを抱えている

5. 自分自身の悩み

友人との関係等の「人間関係の悩み」、友だちが作れない・作りにくい生活等の「生活の悩み」が多くを占めていることがわかります。

「精神的な悩み」も多くの割合を占めている事もわかりました。その中には、人に対しての恐れや恐怖、劣等感の悩みがあり、「自分自身の悩み」には本人を取り巻く人間関係についての悩みが多くを占めている結果となりました。

「身体の悩み」においても、身長が低い、太っている等の悩みが多く出され、自分自身に自信が無い悩みが多く出されています。

貧困とこれらの事が関係しているとは、今回のアンケートからはわかりませんが、人間関係での成功経験が少ない、今の自分自身を受け入れてもらえる経験が少ない事が関係しているのではないかと思われます。

自分自身の悩みについて示した図 特に中学1、2年生と 高校1、2年生のほとんどが 精神的な悩みを抱えている
精神的な悩みの詳細を示した図 中学3年生のほぼすべてが 対人恐怖症に悩まされている

6. 勉強面の悩み

学年が上がるごとに、「勉強ができない・わからない・不安」という悩みが減少し、「やる気が出ない悩み」が増加している結果となりました。小学生の勉強からつまずき、わからない事が積み重なってしまっており、いざ勉強を始めようとしてもわからなく、やる気も出ないという子が多いのではないかと考えられます。また高校3年生になると「やる気が出ない悩み」よりも「その他の悩み」が増えています。高校3年生の「その他の悩み」には「勉強ができる場所が欲しい」「自分のペースで勉強を教えてくれる場所」というような、勉強する居場所が無く、強く要望している声が多く、家庭や学校等、自分のペースで勉強ができ、わからないところを気軽に聞けて教えてもらえる環境が少ないのではないかと思われます。

勉強面の悩みについて示した図 学年が上がるにつれて やる気が出ないという悩みが 増加している

7. 家庭での悩み

「各学年とも、親や兄弟との不仲といった「家族間の人間関係の悩み」がある事がわかりました。また一人親や現在の就労環境の大変さが反映され、「仕事が忙しく、母親の体調が心配」「母親の体調が悪いが、仕事をしており、倒れないか心配」等の「親の体の心配」が各学年とも常に多く締めています。また、小学生では、「親がいない悩み」も多く、親がいない事への寂しさが見られました。

家庭での悩みを示した図 どの学年も家族間の人間関係についての 悩みを抱えている

8. 学校生活の悩み

「クラスメイトとの関係の悩み」「教師との関係の悩み」「いじめの悩み」等、人間関係での悩みを抱えている子が多くいる事がわかりました。「自分自身の悩み」でもあった、人間関係での成功例や自分自身を受け入れてもらえる体験の少なさもあり、他者からの見られ方に対し敏感になっている子が多いのではないかと思われます。

学校生活の悩みについて示した図 人間関係での悩みが ほとんどを占めている

9. まとめ

すべての結果が困窮しているこどもの特徴であると言うことはできません。しかし、「子どもの声アンケート」には、将来や今の生活、自分自身や周りの人間に対し不安や恐れを抱いている子どもの訴えがありました。生活に余裕が無く、子どもらしく夢に向けて努力をする事ができない、その夢ですらお金の問題から諦めてしまっている、今やりたい習い事もお金が無く諦めるしかない現実。勉強も頑張りたいが、塾にも行けず、教えてくれる人もいない、勉強の仕方もわからない、やりたい事や欲しい物もあるけれど、生活のために日々頑張っている親を見ると言い出せず、逆に親の体の心配してしまう。自身も無くなり、常に人の目を恐れている様子が伺えます。

この「子どもの声アンケート」からは、子どもたちが「あきらめと我慢」、「自分自身に自信が持てず、人間関係に不安」を感じていることが明らかとなりました。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

5 松本市ひとり親家庭実態調査結果と分析について

松本市こども福祉課 山本 修平

調査をおこなった経過

本市における「子どもの貧困対策」推進施策の基礎資料とするため、昨年度の長野県ひとり親家庭実態調査を参考に、子どもの食事や学習支援に関する質問を加えたアンケート調査を実施しました。

調査の概要

・実施時期 平成28年8月1日から8月31日

・調査対象 松本市在住の児童扶養手当受給資格者

・実施方法 児童扶養手当現況届提出の際にアンケート用紙を窓口で受け取り

・回答状況 1,024件、対象世帯数2,295世帯 回答率44.6%

調査結果の分析

・回答者と子どもの関係

 回答数1,024件中「母親と子ども」世帯が967件と、全体の約95%を占めています。

・保護者の年齢と子どもの状況

40から44歳の親が28.4%と最も多く、この年齢層から離れるほど割合が低くなっています。

また、回答が得られた世帯に属する子どもの総数は1,559人で、このうち491人(31.5%)が小学生でした。ただし、学齢別で見た場合、小学生は1学年あたり100人を下回っているのに対し、中学生、高校生等は100人を上回っています。

それぞれの年代における人口差を考慮する必要はありますが、児童扶養手当の受給に関して言えば、支給開始後、支給資格が喪失となるのは子どもが18歳に到達したことによる理由が最も多く(親が40代の頃)、親の婚姻などの理由を上回っていることがわかります。

年齢別の ひとり親の人数を示した図

        

・世帯の収入状況

世帯の収入に関しては、100から150万円との回答が最も多く、全体の23.3%を占めています。最も回答が少ないのは300から350万円と回答したグループで、全体の6.1%にとどまりました。

国が平成23年に実施した全国母子世帯等調査で、ひとり親世帯年収入の中央値を200万円としていることを受け、この値を基準値としてグループを分け、比較分析を行いました。

収入別の 各ひとり親家庭の 世帯数を示した図

・親の雇用形態

親の雇用形態では、収入が200万円以上では正社員が、200万円未満の世帯では非正規雇用が最も多い結果となりました。

また、就労率としては、回答が得られた世帯の約9割が働いており、全国母子家庭の平均である80.8%(平成23年度全国母子世帯等調査)を上回っています。

収入が200万円以上と 200万円未満の親の 雇用形態の割合を示した円グラフ

・今後身に付けたい資格

収入が200万円未満の世帯では、「看護師」等の就職に結びつきやすいと思われる資格や、「パソコン」など広い職種に活かせる資格に希望が集まっています。

 一方、200万円以上のグループでは、「特にない」が34.4%と、全体の3分の1は自己投資の必要性を感じていないか、余裕がない様子がうかがえます。

各希望する資格の割合を示した図

・家計の中でお金がかかると感じるもの

家計の中でお金がかかると感じるものに対する質問では、2つのグループを比較したとき、200万円未満のグループで「食費」(22.4%)に対する負担感が高い傾向と、200万円以上のグループでは「税金や社会保険料」(26.3%)や「教育費」(26.8%)に対する負担感が高い傾向があらわれました。

収入が少ないほど、生活に直結した支出に対する負担感が大きく、収入が増えると、子どもに対する支出にシフトすることがうかがえます。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭で 負担に感じるものを示した図

・養育費の取り決め方、支払い状況

離婚された方に対する養育費に関する質問では、2つのグループを比較したとき、養育費の取り決めに関する質問で200万円未満のグループで「口約束」(24.6%)が多いことと、養育費の支払いに関する質問で200万円以上のグループで「取り決め通り支払われている」(28.9%)割合が高いことが分かりました。

離婚原因としては、配偶者の養育力不足やDVなどが予想されますが、きちんとした取り決めがないままに離婚したような場合、養育費が支払われず、収入が減少していることがわかります。

また、双方のグループで6割を超える世帯で養育費を受け取れておらず、ひとり親が困窮する大きな原因となっていることがうかがえます。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 養育費の取り決め方を示した図

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 養育費の支払い状況を示した図

・子どもの進路に対する希望、学習の支援に対する希望

子どもの進路、学習に関する質問では、収入が少なくなるほど大学進学に対する希望が低下(13.3ポイントの差)するとともに、「未回答」の割合も高くなり(8.1ポイントの差)、親は将来ビジョンを持ちにくくなっている状況が分かりました。

また、学習支援に対するニーズでは、2つのグループを比較したとき、収入が200万円未満のグループでは、学習の機会提供に対するニーズが高い一方(5.1ポイントの差)、収入が200万円以上のグループでは、奨学金や児童扶養手当といった給付の充実を求める声が多くなっています(5.7ポイントの差)。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 子どもの進路に対する 希望を示した図
収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 子どもの学習支援に対する 希望を示した図

・子どもの食事全般、要望

子どもの食事に関する質問では、3割以上の世帯が何らかの課題があると回答しており、「給料日前に食材が足らないことがある」の項目では、2つのグループの間に開きがありました(4.3ポイントの差)。

また、「子ども食堂」など食事の提供に関する回答では、双方のグループで、4分の1以上の世帯に希望があることがわかりました。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 子どもの食事全般について示した図
収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 子どもの食事に関する要望について示した図

・現在心配なこと

心配ごとに関する質問でも、2つのグループに大きな差が見られました。

収入が200万円未満の世帯では、「収入が少ない、不安定」(30.4%)をはじめ、「仕事」(8.0%)に対する心配の声が多いことがわかりました。

一方で、収入が200万円を超える世帯では、「子どもの教育費」(25.8%)を心配する答えが最も多くなっています。

収入が少なくなると、子どもに関連する支出に気をまわすことが難しくなることがわかります。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 現在心配なことについて示した図

・子育て不安に関する相談相手、抵抗感の有無

子育ての不安に関する相談相手、抵抗感の有無に関する質問では、収入が200万円未満のグループともう一方のグループと比較して「相談相手がいない」との回答が2.5ポイント、「相談することに抵抗がある」との回答が5.4ポイント上回っています。

経済的に苦しい世帯の方が、相談相手に恵まれず、抵抗感から相談に至ることも少ないと思われます。

収入が200万円以上と 200万円未満の家庭での 子育て不安に関する 相談相手の有無、抵抗感の有無を示した図

調査結果を受けて

子どもの進路や食事の状況については、世帯の収入によって有意な差が認められる結果となり、家庭の経済的状況が子どもの養育環境に影響を与えうる様子が浮かび上がりました。

今後は、調査の対象を拡大し、さらなる実態の把握に努めるとともに、親自身がどのような子ども時代を過ごしたかを尋ねることで経済的不利等の世代間連鎖について、発生状況を確認していきたいと考えています。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

6 離婚と貧困

親子ネットNAGANO 代表 堤 則昭

1. ひとり親家庭というけれど

ひとり親と呼ばれる家庭の子どもの約90%に実は両親がいます。子どもを主体とした場合、ひとり親と呼ぶことは誤りで、それをひとり親として対処するのは明らかに不合理です。ひとり親として扱うことにより、ひとり親で育てる→一方の親に養育を押し付ける支援となり、結果的に一方の親を子どもから遠ざけてしまう支援となりかねません。もっとも、親の方は「ひとり」で育てたいのかもしれませんが…。

2. 両親がいるのに一方の親との交流の機会を
  失う子どもたち

これら両親がいるのにその一方の親から養育される権利を保証されていない子どもは、対出生率で約16%も存在します。35人学級なら1クラスに6人くらいの割合です。

(1年間)

3. 両親に養育してもらうには

長野県では、子どもが両親に養育されるための行政支援は皆無です。

離婚となると、多くの場合別居の親が悪者にされ「親が悪い」と責任を当事者に帰することが多いのが実態です。しかし、良い親とか悪い親とかは誰が決めるのでしょうか。親を選べない子どもにとっては、それでも愛されたい親であることも少なくありません。

ここで、面会交流調停(子どもに会うために裁判所に申し立てる)の件数を見ると、全国で平成12年に2,406件だったものが平成27年には12,264件と3.7倍(2015司法統計)になっています。つまり、社会がイクメンとか男女共同参画とかもてはやした結果、離婚しても子どもを養育したい親が増えている現実がここにあります。

4. 不思議な現象

離婚しても子どもを養育したい親が増えているのは子どもにとっては基本的には良いことなのでは……?

 子どもを養育したい親が増えている(3参照)のに、そんな親に養育されない子どもも増えているのはなぜなのでしょうか?(2参照)

5.養育費

養育費については支払われないのではなく、請求も取り決めもしていない実態が明らかになっています。

(2011全国母子世帯等調査)

一方、面会交流の取り決めがある者は、養育費の取り決めもしていることが多く、面会交流が実現している者は、養育費支払いの実現性も高いことが明らかです。

(2011親子の面会交流を実現するための制度等に関する調査研究報告書)

Allen et al. (2011)の推計によると、養育費を受け取る確率を8%程上昇させることが分かっています。

 面会交流と養育費

養育費が実現している

養育費が実現していない

 面会交流が継続

52.2%

19.8%

 面会交流していた

5.5%

8.8%

 面会交流無し

4.9%

19.2%

 以上から、離婚をしても子どもを養育し続けたい親は増えているのに、その親に子どもを養育させたくないない親が増えており、その結果、面会交流も養育費も取り決めをしていないことがわかります。

貧困問題となると、養育費が槍玉に上がりやすいけど、実はそうでもないことはかつて述べました。栄養(養育費)と愛情(面会交流)は子どもの成長には欠かすことのできないものではないでしょうか?

6. 10万円のランドセル

長野の子ども白書2014にて、北村きよみさんもふれていますが、離婚家庭ではただでさえ収入が低くなりがちなのに、金銭の管理ができていないケースも多くあります。

仕事も家事も子育ても一人ですべてをまかなう中で、家計を分析し人生設計を立てる、そんな時間の余裕が持てないということもありますが、かつての安定した日常の中で、いざという時のための金銭感覚が身についていないということも多くあります。

子どもの小学校入学にあたって、別居親とその親族が、せめてランドセルを買わせて欲しいと申し出たケースがありました。その時同居親が要求したのは10万円のランドセルでした。「子どもがそれを欲しがった」と同居親は言うのですが、そんなことはありませんでした。あったとしても、それをたしなめるのが普通の親です。「子どもが可愛いならこれぐらいできるよね」。これは、同居親が別居親に嫌がらせとしてお金を消費させたかったに過ぎません。

離婚して安定的な収入が減り、一方の親族との交流を断絶し、支援者が減ったにも関わらず、ランドセルに10万円を要求する。ゲームを買ったりスマホを買い替えたりはするのに生活に必要な経費を残せない。

このように、親のお金に対する認識が甘いために子どもが貧困の道連れにされてしまうケースもよくあります。

7.「えっ!給食費も払ってないの?」

私たちが支援する面会交流の際にこんな声を聞くことがありました。「わかっていたならなんとかしたのに…。」別居親の言葉です。この別居親は子どもに会えないのに養育費は標準以上に支払っていました。このケースでは、子どもと別居親が定期的かつ頻繁に交流できていれば、給食費はもちろん、部活も、勉強をする環境も整えられたのです。なのに、この面会交流は途絶えました。同居親から「子どもが会いたがらない」と告げられたためです。しかし、交流していた親子はとても幸せそうで、子どもからそんなことを言い出すなんて想像はできませんでした。もちろん「会いたくない」は子どもの真の意志ではなく、同居親の「会わせたくない」が反映されたものでしょう。一方の親との関わりを避けたい同居親。「会いたくない」との言葉にショックを受け、子どもの意思を尊重すると言って面会交流を諦めた別居親。「本当は両親に育てられたい」との子どもの願いはどこにも存在していないのです。

8. 子どもを貧困から救う最後のチャンス

以上から、離婚成立前、両親が夫婦であるうちに離婚後の子どものことについての取り決めがなく、子どもが一方の親(親族)から養育される機会を失ってしまうことが、ひとり親=貧困の原因となっていることがわかります。

両親が戸籍の窓口に離婚届を出すだけといった、協議離婚が離婚全体の約9割を占めています。そのため、専門家による適切な支援を受けないまま離婚が成立してしまいます。そんな中、離婚をする時に誰もが通る戸籍の窓口は、子どもの将来を決めるための最後の機会です。それなのに、平成24年の民法改正により設けられた離婚届の面会交流や養育費についての取り決めのチェック欄の記入率は約55%。そのうち実践されているのは約27%。これを改善すべく法務省は『子どもの養育に関する合意書作成の手引きとQA』を作成したものの、これを配布する戸籍の窓口がこの活用方法を知りません。もちろん相談にものれません。相談窓口を紹介されたとしても、そこでは離婚の仕方の相談はできても、離婚後の子どものことを協議するための有効な支援は得られません。または、法律相談へと回され、弁護士が入り司法手続きに進むともう手がつけられません。子どもの人生の設計の協議ではなく、相手がいかに悪いかを主張し合う夫婦の争いへと移行し、子どもは月に数時間程度、別居の親に養育されればよいといった、子どもの本来の願いとはかけ離れた結果が出ることがほとんどです。

離婚をしても子どもを養育し続けたい親は増えているのだから、まずは戸籍の窓口が機械的に離婚家庭を生産するのを止め、子どもの福祉の観点から、子どもが両親に養育される機会を提供する。それだけでかなりの子どもたちの貧困が緩和するのは間違いありません。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

7 夕暮れ時の子どもたち

親子ネットNAGANO 下村 真知子

 少子化が深刻化している最近、矛盾を感じることがあります。

 時代の流れとともに変わっていかなければならないこともありますが、変わってはいけないことがあると思います。

 思い出してみてください。自分が子どもだった頃のこと。外で見るもの聞くものすべてが新鮮で、その感情をおとなにぶつけていませんでしたか?

 学校の先生やおじいちゃん、おばあちゃん、そして何よりお父さん、お母さんに…。

 顔を見て声を出して直接ふれあいながら話をした、そういった人間関係が当たり前のようにありました。それが今はすべてとは言いませんが、ネットやTVで間に合ってしまい、顔を見なくても声を出さなくてもメールやLINEなどで会話が成立してしまいます。

 そんな関係ってなんて寂しいんでしょう。たとえば同じ手紙でも印刷されただけのものと手書きのもの、どちらに相手の気持ちをより強く感じることができるか一目瞭然だと私は思います。

 字の上手・下手、文章の上手・下手ではなく自分を思って書いてくれたという行為に相手の気持ちを感じるのではないでしょうか。

 そう考えると、人と人とのつながりにも似たところがあるということに気づきます。同じ家の中にいるのに部屋にこもったままでメールで会話するよりも、一言でも声に出して会話することの方が大事だと。

 一緒に生活している親子でもなかなかできない会話。もし親が離婚してしまったり、別居して会えなくなっていたらもっとできなくなるとは思いませんか?

 私は自分が親子ネットNAGANOに携わることでそういった当たり前のことを再確認させてもらっているようにこの頃感じます。

 また、私には子どもがたくさんいるので、親子ネットNAGANO以外でも異年齢の子たちと話すことも多くあります。その中には親子関係でコミュニケーションがとれていない子もいます。小学生から始まり成人した子まで…。

 今回はその中の小学生の事を話したいと思います。もちろん個人情報やプライバシーにも関係するので名前や実年齢は仮ですが、でも実際に私が見聞きしたまぎれもない事実なのです。その子は小学5年生の女の子。名前は杏子(きょうこ)ちゃん。彼女は小学3年生の時に両親が離婚してお母さんが家を出て行ってしまい、今現在はお父さん、お兄ちゃん、おばあちゃんと暮らしています。おばあちゃんが一緒にいるので、日常生活はそんなに大変ではなさそうですが、やはりお母さんに会えないというのがとても辛いようで学校帰りにため息をつく姿を何度か見かけるようになりました。そんな中、杏子ちゃんがクラスのいじめグループに入ってしまったという話を聞き、驚くと同時に話をしたい!!と思いました。

 そうはいってもなかなか小学生と会うタイミングはなく、どうしたものかと考えていた矢先、偶然近所の児童公園で彼女を見かけ、「チャンス!」と思った私は杏子ちゃんに話かけました。彼女は「どうしよう…」という表情をしましたが、こちらが「言いたいことあるならはき出した方がスッキリするよ」と言うと、知っているおばちゃんで害がないと思ったのかポツポツと話をしてくれました。

 内容は「自分の勘違いで友だちを傷つけてしまってどうやって謝ったらよいのかわからない。こんなことは父親にも祖母にも兄にも言えないし相談もできない」と。

 杏子ちゃんは自分はお母さんと会えないのに周りの子は毎日一緒にいられてしかも学校行事にも来てもらえる。それなのに親に対しての文句ばっかり言っている。そんな友だちにうんざりしていた時、自分と似た境遇の子が転校してきた。その子は自分とは逆でお父さんがいない。最初は自分と同じだと思い喜んでいたがその子はちっとも辛そうじゃない。もしかしたら父親と会えているからではないかと疑って、いじわるなことをしてしまったとのこと。

 私が「勘違いって何でわかるの?」と聞くと、杏子ちゃんは「だってその子が他のお友だちと話している時、お父さん死んじゃっていないって。みんなはいいなあ、お父さん、お母さんといっぱい話できてって言ってたから」

 なるほどと思いました。小学5年生とはいえ、考え反省するところは周りのおとなよりおとなです。彼女自身、おとなの身勝手に振り回された被害者なのです。何にせよ私は杏子ちゃんに「正直にごめんねって謝れば大丈夫だよ」と伝えました。彼女は何度も「許してくれるかな、大丈夫かな」と言っていましたが、帰り際にはスッキリとした顔をして帰っていきました。

 それから数日後、杏子ちゃんとその子が一緒にいるのを見かけ、3人で話をしました。私が杏子ちゃんに仲直りできたんだね、良かったねと言うと、ニコニコと笑いながら「今じゃ大親友!」という返事。驚く私に杏子ちゃんは話を続け、「前はね、お父さんもおばあちゃんもお母さんが作った料理をマズイマズイって言って食べなくて、お兄ちゃんと私でおいしいよって言って食べてたの。本当においしいと思っていたからマズイって言うお父さんとおばあちゃんがあんまり好きじゃなかった。だからお母さんがいなくなっちゃった時、お母さんは自分のことを助けてくれない私のことも嫌いになったんだと思ったの」

 ショックでした。親は子どもだからわからないと思っているのかもしれませんが、子どもは親が思っている以上に状況を理解しようとしているのです。親が後で訪れるであろう喪失感を和らげるために必要以上の会話もせず、離れてしまうような行為も子どもには無意味ということ。

 また杏子ちゃんの大親友になった子、優羽(ゆう)ちゃんはこんな風にも話していました。

 「杏子ちゃんはいいよね。会おうと思えばお母さんに会えるもん。私はお父さんに会いたくても会えないから、その分お母さんといっぱいお話するの。今いっぱい話さないと、お父さんみたいに死んじゃったら後悔するから」。杏子ちゃんもうんうんとうなずいて「だから私も優羽ちゃんの真似してお父さんと前より話すようにしたし、それからお兄ちゃんに電話番号教えてもらってお母さんとも話せるようになったんだよ。最初はお母さんビックリしてたけど今は前みたいに普通に話せるし、すごく楽しい!」

 離婚家庭の子どもの素直な気持ちを聞けた瞬間でした。優羽ちゃんのように、「絶対会えない」のではなく「会える」が大多数の離婚家庭です。でも会えていない、話せないのはなぜでしょうか?

 それは今の日本の法律や世間の思い込みが足かせになっているからだと私は思います。最初にも書いたように当たり前のことが当たり前にできない社会においては、なるべくその当たり前に近づけるようにしていく必要があり、そのために自分に何ができるかを考えたとき、親と子の架け橋になりたいと思ったのです。

 たとえば、どんな場所にいてもどんなことをしていても、自分で探していかなければ何も見つけられません。私にできることは本当に微々たるものだと思いますが、それでもやらないよりはまし。自分の微々たる行為でたくさんの人が幸せそうに笑っていてくれたらこんなに嬉しいことはないです。

 今回私は小学5年生の彼女たちに学ばせてもらいました。夕暮れ時のあの寂しそうな顔や、親の身勝手で苦しんでいた姿、いじめをする側、される側…。ちょっとボタンを掛け違えただけのことだったのかもしれませんが、誰かがその間違いに気づかせてあげないと、ずっとそのままだったのかもしれません。もしそのままにしていたらどうなっていたのかと考えるとゾっとします。何でも最初は些細なことです。早め早めの対応をしていかなければいけないなと改めて感じさせてもらえた出来事でした。またより一層親子ネットNAGANOの活動を皆様に知ってもらいたい、皆様の手助けができればと思いました。

 夕暮れ時の子どもたちの笑い声があちこちで響く日を願って……。

親子ネットNAGANO 離婚後の子どもの権利を守る

連れ去らない・引き離さない・見放さない

親子関係/面会交流(ビジテーション)/ステップファミリー

離婚と子ども支援・相談

事務局 TEL050-3468-3743

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特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

8 福祉の現状と子どもの教育の未来

長野県ひとり親家庭等福祉連合会会長 牧田 広利

ひとり親家庭の福祉会の役割と活動

 昨年に続き、ひとり親家庭福祉の現状から子どもの教育の未来を考えたいと思います。

 私は在住する市のひとり親家庭福祉会の会長と同時に、県内の市町村単位の会の県連合会の会長をしております。長野県に限らず、市町村単位で活動している多くのひとり親家庭の福祉会があります。以前より母子寡婦福祉会という名称でほとんどの市町村にありましたが、会の数は減少傾向にあります。若い世代の会員数の減少や役員の成り手がいないなどで、多くの会が休会あるいは縮小して活動しています。母子家庭だけでなく父子家庭も含めたひとり親家庭の数は増える一方ですが、福祉会に入会する方は減る一方です。その原因は、いくつもありますが、戦後女手一つで歯を食いしばり子育てしてきた世代と、現代の若いママたちの間では大きく考え方が異なることが、大きな原因のようです。

 我々ひとり親家庭福祉会の役割と活動は大きく二つあります。

 一つは親子での交流と懇親です。料理教室や、もの作り体験等を通じ、同じ境遇の下で親子ともにお友だちを作り相談し合う関係を構築します。

 もう一つが最も大きな役割ですが、福祉行政との橋渡しです。ひとり親家庭が増え子どもの貧困が大きく問題化する中で、行政は福祉の一環としてひとり親家庭施策に大きな力を注いでくれています。その施策がさらに充実するようにひとり親家庭の声を聞き行政へ訴えています。

公教育の責任が果たせていない

 我々の会が今一番力を注いでいるのは一昨年度平成27年度から始まった学習支援事業です。子どもの貧困がクローズアップされる中で貧困の連鎖を断ち切るために教育機会の均等は非常に大切な事です。塾へ行けばいいとは思いませんが、現実には収入により塾に行く率は大きく異なります。経済的問題でひとり親家庭の子どもで塾に通っているケースは非常に少ないです。学習意欲ある子どもたちに均等な教育が受けられるように、給付型の奨学金をさらに拡充してほしいというのは我々だけでなく多くの方の強い願いですが、教育の問題はそれよりずっと以前にあります。

 義務教育の授業についていけない子どもがとても多いのです。脱ゆとり教育で指導要領が非常に高度化し、授業内容はますます濃くなる一方です。授業が充実するのは素晴らしい事ですが、現実には教えることが多すぎて、全員が理解するのを待っていられません。ある一定の時間をかけたら、後は自分で理解しろと突き放し、自分で何とかしろという教育の放棄にほかならず怠慢と言えます。

 これを解決するのは容易ではありません。とにかく教員の数を増やすことが急務であると考えられるのですが、現実には少子化を理由に教員の数は減らされる方向にあります。これではいい教育はできません。本来塾になど行かなくても全員がしっかり授業についていけるようになればいいと思いますが、現実には一度遅れ始めるともう自力での挽回は難しいのです。

 長野県では市町村単位で放課後学習が行われている中学校がたくさんあります。学校を支援したい有償ボランティアの力を借り、授業の補完をしています。素晴らしい取り組みで、一所懸命な講師も大勢いますが、まだやり方は多種多様です。もう少し学校が運営だけでなく指導内容まで関わり質の向上に努めるべきです。また普段の学校生活と同じメンバーで受ける放課後学習に抵抗を感じ、参加したくてもできない子どもたちもいます。正解は一つではありません。放課後学習にも個別指導を取り入れるべきだし、その他あらゆる手段を講じなければなりません。

 教育委員会は本気で貧困世帯の子どもたちを救おうと考えているのか疑問に思います。いつも犠牲になるのはハンデを背負った弱者です。収入の多い少ないで、教育の成果はともかく機会に差がついてはいけません。とにかく教員を増やし教育の充実を図るべきですが、とりあえずの段階として、私はもっと公教育と民間の私塾が協力し合うべきだと思います。

ひとり親家庭向けの学習支援事業

 そこでその一助となればという思いから、ひとり親家庭向けの学習支援塾を始めたのです。

 一昨年度県内4ヵ所でスタートし、昨年度は6ヵ所に増えました。運営は各市町村団体が担い、小学校低学年、高学年と中学生のクラスを公民館などで開講しています。中学3年の受験生に対しては個別指導ができているところもあります。講師は教育委員会に紹介いただいた元教員を中心とした有償のボランティアです。週一回2時間程度の指導をほぼ通年で開催し、一人ひとりの生徒の理解の状況や、進路目標を共有し、皆でともに生徒をみております。本人と保護者へは随時アンケートや聞き取りも実施し、多くのご意見とお礼の言葉をいただいております。しっかりと各自の目標を確認しながら適切な教材を与えることにより、ほとんどの子どもの成績が上がりました。また受験生は無事志望校へ進学できたという、うれしい声も多くいただきました。

 教育の視点からなかなか教育弱者の支援はできないのです。言葉は悪いですが、成績の悪い子どもたちの福祉会のようなものはないのです。親も子どもも誰も自分から教育弱者だとは言いません。そこで我々ひとり親家庭の子どものような、一つの弱者の代表という立場が必要なのです。福祉の延長としての教育支援なら現在でも可能です。それで学習支援を始めました。

学習支援塾に参加する 親子たちの写真

社会的弱者を代表する側の組織として

 我々もひとり親家庭だけが優遇されるべきなどと考えておりません。大きな社会のバランスの中でともに支え合って、共助していかなければなりません。長い人生の中で苦境にある時はありがたく援助を受け、その結果少し楽になれたら、今度は自分から援助の手を差し出す。我々の願いは子どもたちが力強く自分の未来を歩いていく以外にありません。そのために貧困の連鎖をなくし、平等な教育機会が与えられた中で切磋琢磨して自分を伸ばしていく、そんな子どもたちを応援したいと思います。

 生活困窮者の声を行政の担当の方は親身に聞いてくださいますが、本当に困っている人はなかなか声を上げることはできません。お互いが歩み寄り勇気を持って上げた声を拾ってくれるようになれば、解決に一歩近づきます。

 我々は社会的弱者を代表する側の組織として一人ひとりの声を集め、すべての人が自分らしく幸せになれるよう、福祉の向上を図りたいと思います。

学習支援塾に参加する 親子たちの写真
特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

9 ひとり親家庭の家計簿 中学・高校編

ファイナンシャルプランナー 北村きよみ

現在の日本において、6人に1人は相対的貧困であると言われています。

相対的貧困の定義は「等価可処分所得(世帯の可処分所得(一般的に手取り金額)を世帯人数の平方根で割って調整した所得)の中央値の半分に満たない世帯」であり、この割合を示すものが相対的貧困率です。

厚生労働省「国民生活基礎調査」によると、平成 24 年の等価可処分所得の中央値は244万円ですから、相対的貧困の基準となる貧困線は 122 万円です。ただし、世帯の収入が122万円以下だと相対的貧困というわけではなく、等価可処分所得で考えます。

たとえば、両親と2人兄弟の4人家族で、世帯の可処分所得が240万円の場合、240万円÷√4=120万円で貧困線以下となります。同じ240万円でも家族が3人だった場合は、240万円÷√3=138.6万円で貧困線より多いことになります。

今回は、サンプルの家族を使って、相対的貧困となってしまった家庭の家計簿について考えて見たいと思います。

Aさんは公立高校1年生の息子さんと、中学1年生の娘さんを持つシングルマザーです。

Aさんは派遣社員で、年収は約150万円、月の額面は約13万円、社会保険に加入しているため、手取りは約11万円です。なので、Aさんの年間の可処分所得は132万円です。その他に月約5万円の児童扶養手当と、下の子の児童手当が月1万円ありますので月の手取りは約17万円、年間で204万円程です。等価可処分所得は204万円÷√3≒1,178,000円で、122万円以下です。

だからといって生活が苦しいとはかぎりません。やりくり次第では普通に暮らしていくことが可能です。

では、Aさんが上手にやりくりしていくためには、どうすればいいのでしょうか。毎月の手取り17万円の中身を考えてみます。家計を考えた場合、最初に月々の支出を考えがちですが、まずは年間でどうしてもかかってしまう臨時出費について考えておくと、毎月使っていい金額がわかりやすくなります。たとえば、お年玉とか新年の臨時出費、誕生日やクリスマスなどの出費も事前に把握をし、出費を抑えることを考える必要があります。とはいえ、年間の臨時出費の中には抑えることのできないものも多くあります。

◆自動車税  ◆車検(2年1度) ◆自動車の任意保険(月払いの場合は毎月の出費に計上) ◆タイヤ(3年に1度程度、ノーマルとスタットレス) ◆オイル交換

 自動車だけでも毎月はかからないけれど年間で出費がある項目がこれだけあげられます。長野県では、自動車は必需品ですから年間でこれだけのお金がかかることになります。その他にも

◆固定資産税(持ち家の場合) ◆被服費 ◆入学や学校行事にかかるお金 ◆誕生日・クリスマス・記念日(お金をかけずに楽しめるのがベスト)

家族によってまだまだ年間でかかる臨時出費があるかもしれません。

上記の金額を書き出してみてください。被服費や学校関係のお金はいつかかるかわかりませんから、おおよその予算を「その他」という項目を設けて記入しておくと目安になります。

書いてみると年間の臨時出費だけでもかなりの金額になることがわかります。優先順位を考えて節約できるところを考えてみることが大切です。

約200万円という手取りから考えると、目安は年間で12万円以下です。毎月10,000円を臨時出費用の積み立てにあてる必要があります。しかし、月の収入から捻出することはなかなか大変です。「就学援助金」を年間の臨時出費用にあてると考えるといいかもしれません。

長女の進学時等に必要になってくるため、児童手当は生活費として使わず、貯蓄しておくようにします。そうすると毎月使える金額は160,000円になります。

毎月の内訳を考えてみます。(表一)

表一 毎月の内訳の表

 支出項目

予算

備考

 住居費

45,000

 通常 食費

35,000

 外食 食費

0

 日用品

3,000

 水道・光熱費

15,000

光熱費全体で15,000円 水道は1か月分に換算 冬のための貯蓄も必要

 通信費 電話

0

 通信費 携帯

5,000

 通信費 ネット

0

 通信費 テレビ

1,260

2か月に1度

 保険料

5,000

 教育費

35,000

中学と高校(無償分含まず)

 おこづかい

5,000

 ガソリン代

5,000

 その他雑費

6,000

長男定期代

 支出合計

160,260

<内訳のポイント>

住居費:駅から近い物件は高くなりがちです。だからといってあまり郊外の物件だと、安い分毎月のガソリン代がかかってしまったり、子どもの送り迎えで時間をとられてしまったりと言うことになりかねません。金額だけではなく、駅からの距離、学校・職場との距離なども考える必要があります。

通信費:現代では高校に入学するとスマートフォンが必須という状態になっています。周りが持っているからと、持つ必要があるわけではないのですが、選び方次第ではフィーチャーフォンよりも安くなります。中古のスマートフォンを購入して、格安のSIMを利用すれば、毎月2,000円以下で利用が可能です。固定電話が必要かどうかも考える必要があります。固定費もばかになりません。今回は、お母さんと高校生の長男は格安SIMでスマホ、長女が一人のときに家で連絡手段がないと困るので、こちらも格安SIMでスマホを固定電話の代わり利用した金額にしています。家でのインターネットはなくても何とかなるものです。

保険料:最低限必要な保障を確保する必要があります。万が一けがや病気で働けなくなってしまったときのための所得補償としての保険、お母さんに万が一のことがあったときでも子どもたちが何とか暮らしていけるための保険程度があればいいと考えます。

教育費:中学は授業料無料、高校は就学支援金により実質無料ですが、その他にも経費がかかります。

毎月の負担はありますが、授業料以外の教育に必要な経費の負担を軽減するため、中学では就学援助金、国公立高等学校に通う高校生等では高校生等奨学給付金制度があります。

上記の金額でやりくりできれば、給付されたお金は万が一のために貯蓄をしておくことができます。

長男定期代:長野は公共の交通機関の定期代がかなり高くなります。月の通学費等が8,000円を超える場合は、「高等学校等遠距離通学費」の申請により26,000円を上限として無利子で借りることができます。

その他:パートで働く場合、もしダブルワーク等で1箇所での収入が社会保険加入の要件に該当しない場合、国民年金保険料と国民健康保険料を払う必要があります。仕事を探すときは、社会保険に加入することができ、1箇所でしっかり働ける場所を探すことも大切です。

ここまでは月々のやりくりについてお伝えしましたが、高校に入学するタイミングではかなりのお金がかかります。制服のある高校の場合は制服、カバン、ジャージ、運動靴、場合によっては自転車など大きなお金が一度に必要になります。目安としては10万円から15万円程度と考えられます。そんなときにまとまったお金がない場合には、「母子父子寡婦福祉資金貸付金」の利用も選択肢の一つとなります。貸付までには時間がかかるようですので、早めに検討しておきましょう。もし、来年度高校進学を控えている家庭であれば、今から児童手当は生活費に使わないと決めておくことも必要です。「母子父子寡婦福祉資金貸付金」は無利子とはいえ借金です。早めの準備で利用しなくてすめばその方がいいのです。

お金の使い方を考えるときは、他者の状態や他者の目ではなく、自分や家族にとって必ず必要なもの、なくてもいいものなど優先順位を考えて、今ある範囲の中でやりくりができるようにしましょう。

そうするとお金の不安が少し軽減されますから、心の安定にもつながります。

<用語・各制度の詳細>

■就学援助金 https://www.city.nagano.nagano.jp/mobile/soshiki/kyosoumu/6708.html 長野市の場合

■就学支援金

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/mushouka/ 文部科学省

■奨学給付金制度

http://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/koko/gakko/gakko/hi-kyuhukin.html 長野県

■高等学校等奨学金・高等学校等遠距離通学費

http://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/koko/gakko/gakko/shogakukin/ 長野県

■母子父子寡婦福祉資金貸付金

http://www.pref.nagano.lg.jp/kodomo-katei/kyoiku/jidofukushi/hitorioya/kashitsukekin.html 長野県

北村 きよみ 中学2年生と小学校6年生の2人の娘を持つシングルマザー。主に子育て中の家族に向けたお金に関するセミナーや個別相談を行う

http://mbp-shinshu.com/mamafp/

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

10 「子どもの教育に親がお金をかけるのはあたりまえ」ですか? 学校の制服から考える、保護者の教育費負担

学校事務職員 古澤 絵美

 入学式シーズンになると市内のデパートには、中学校名を書いた札と制服が並びます。入学式では、真新しい制服に身を包んだ我が子を撮影する姿があり、卒業式には、卒業生は「これでこの制服を着るのも最後か」と感慨にふけるのでしょう。制服は、学校生活と切っても切れないもののように思えます。一方で、入学式前に制服を買うお金のために頭を痛めるという保護者のため息も聞こえてきます。とかく教育にはお金がかかるといわれますが、しかたがないのでしょうか。

制服の購入費用をめぐって

 公立のA中学校は、市内でもおしゃれな制服で有名でした。男子はブレザーとネクタイ、女子はブレザーとチェックのひだスカートです。ワイシャツとブラウスには校名のイニシャルが刺繍されていて、これもおしゃれです。制服のない高校などで、かわいい「ナンチャッテ制服」を着る女子生徒がいると聞いたことがありますが、この学校の女子の制服はまさにそんな感じです。おしゃれな制服は値段が張る制服でもあります。他校の標準的な制服(男子が学生服、女子がブレザーとスカート)に比べ、男女とも1万円程度高い値段でした。イニシャル刺繍が入るため、ワイシャツやブラウスも、量販店の廉価品というわけにはいきません。

 保護者の中から「制服費用の負担が大きい」という声も出ており、PTAで制服のあり方検討委員会を立ち上げました。検討委員会では価格だけでなく、生徒の健康維持や校則の面からの検討も行われ、結果として価格はわずかに安くなりました。そして翌年からPTAが主体となって制服リユースの活動も始めました。新入学生だけでなく、成長期のため3年間同じ制服ではもたない生徒は、途中での買い替えも負担になります。

 その面からも制服リユースは人気がありました。双子や三つ子のきょうだいの保護者の方が、「新しいものでそろえてやりたいのですが、お金がかかりすぎて……」とおっしゃってリユース品を見に来られたこともあります。

 また、他のB中学校の制服や学校指定の運動着等は、下表のようになっています。ワイシャツとブラウスは学校指定のものではありません。(色は白)

 それでも、入学のために必要なものを一括購入すると一人当たり4から5万円がかかります。

B校の入学準備品 (2016年度の金額)

(サイズによって価格が異なるものは平均)

・標準学生服(上下)  25,700円 

・女子制服(上下) 19,570円

・リボン 1,340円

・長袖ジャージ上下 9,160円

・半袖運動着上下 4,400円

・上履き(学年色指定) 3,100円

・通学用カバン 7,320円

(ワイシャツ、ブラウス、女子スラックスなど

希望者のみのものは除く)

 転入生の保護者の方に、この価格表を示して説明すると、顔が曇ります。「前の学校の制服もまだきれいなのに、また買わなくちゃならないんですね。」という言葉に、私の胸も痛みます。この学校では、転入生は、前の学校の制服や運動着を着ていることも認められているのですが、全員が同じ服装をしている中で、違うデザインの制服や運動着は目立ってしまうため、買い替えてしまうのが常です。

 この「全員が同じ服装をしている」ことが、中学校で制服を定める大きな理由なのではないでしょうか。

 ある中学校の『学校生活のきまり』には、制服についてこう書かれています。(一部抜粋)

 『制服とは、生徒がそのままで冠婚葬祭や公的な場に参加しても全く恥ずかしくないものであり、それだけに流行やファッションにとらわれるものではなく、正しく着用しなければならないものです。また、みんな同じであるから制服と言えるのであり、手を加えてしまえばそれはもう制服ではなくなってしまいます。』

 制服が指定されている学校では、制服を着ていなければ授業を受けることも、諸活動に参加することもできません。子どもが義務教育を受けるための必須条件といってもいいくらいです。

 

教育は個人に還元される利益?

 公立の学校で義務教育を実施するために必要なものは、基本的には行政が負担します。教科書は国、教職員の人件費は都道府県・政令指定都市、施設設備や備品、授業に必要な教材等は設置者(市町村立学校の場合は市町村教育委員会)負担です。

 だからといって保護者の負担なしに学校教育を受けられるわけではありません。制服等の入学準備品に始まり、学校給食費、修学旅行等行事の積立金、ドリルやワークを一括購入するためのお金など、学校徴収金という名の費用負担があります。

 長野県教育委員会が、県立学校での学校徴収金運用の指針として定めた『学校徴収金の基本的な考え方について』(平成22年3月30日教育長通知)では、〔私費負担の考え方〕として次のように示しています。

 『学校での教育活動に要する費用のうち、授業等で作成した成果物や授業等に用いる購入品が個人に帰属する場合等、その直接的利益が生徒に還元されるものに関する経費は、個人に負担を求める。』

 そして『私費負担を求める経費の例』として、制服、運動着等の学校指定の被服類や、辞書等副教材の費用、実習材料費、模擬試験・検定試験等の費用、修学旅行等の行事の費用、課外活動の経費を挙げています。

 この指針は、県立学校宛に出されたものですが、同通知の基本原則に則った対応を市町村教育委員会にも要請しています。これに従って読めば、制服も生徒に還元される利益ということになります。

 学校の制服の成立過程に関しては、私はここで論ずることができるような知識を持っていません。ただ、学校教育のうち、「生徒個人に還元される利益」とはどういうものなのかと考えてしまいます。

教育とは社会全体に還元される利益

 教育基本法第1条では、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」としています。教育が、将来社会を形成する国民の育成を目的とするならば、教育を受けて成長する子どもそのものが、社会に還元される利益なのではないでしょうか。

 同法第4条では「教育の機会均等」をうたっていますが、制服がリユース品、学校徴収金の督促通知を担任から渡される、他の子と同じ参考書が買えない、お金がかかる部活動に入れない、修学旅行前に旅行積立金不足で行かれないといわれる、お金がなくて高校進

学をあきらめる、等々、子どもたちは社会に出る前から不平等の中に置かれているのではないでしょうか。

 これは、教育にかかるお金を「個人に還元される利益」と考え、私たちの意識の中でも保護者負担をあたりまえにしてしまっているからではないでしょうか。

 経済的にきびしい家庭を援助するための就学援助制度には「新入学児童生徒学用品費」として制服等の補助があります。従来入学後に支給されていたのですが、入学準備に間に合うように入学前に支給する自治体が増えています。多くの自治体で23,550円(中学校入学、2016年度時点)です。必要な時に補助があるのはありがたいという声が聞かれますが、金額的には一部補助に過ぎず、また保護者の申請が必要なため、必要な人にいきわたっていないと感じています。

 制服にはさまざまな「教育的意味」がつけられています。そのうえで、学校に通うためにどうしても制服がなくてはならないとしたら、経済的負担を軽くすることはできないのか、おとながみんなで考えることが必要ではないでしょうか。少なくとも、入学する前から、在学中も、学校にかかるお金のことで保護者も子どもも苦しむようなことのない社会にしたいものです。

「子どもの教育に親がお金をかけるのはあたりまえ」ですか?

学校の制服から考える、保護者の教育費負担

古澤 絵美 全国学校事務職員制度研究会常任委員

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

11 中間教室便り 中間教室での子どもの姿から、体験と絆の貧困に焦点を当てて

教育相談員 久保田 延幸

はじめに

1貧困問題との出会い

私は元教員で、今郷里の町の中間教室で、教育相談や子どもの支援をしているものです。

8年前の冬、不景気が日本を襲ったことがありました。私の教員生活最後の頃で、ある小学校に勤務していましたが、先生方から、経済的に心配な家庭や子どもの様子の報告を頻繁に受けるようになりました。特に、私の学校には外国籍の家庭の子が多く、派遣切りで失業する親が続出、食事がとれずに登校する子どもも出てくる深刻なケースも出てきました。

私たちは、子どもが安心して学校生活を送れるよう、できるだけのことをしようと話し合いました。そしてまず、「学校は全力で子どもを守るので、なんでも相談してほしい」と日本語ポルトガル語併記の学校だより(2015長野の子ども白書)を出しました。その後給食費や学費などの相談に乗るから心配しないで声をかけてとお知らせしたり、服や学用品のリユース活動にPTAと取り組んだりしました。先生方は、教材や教具を見直したり、行事の内容を見直したりして、親の負担を減らす取り組みをされていました。何より子どもや親に寄り添って支え続けておられました。私は、当時の心温まる思い出に励まされて、今も子どもに接する仕事を続けています。

2経済的貧困の支援だけでは不十分

 経済格差の壁が強固に

8年前と今を比べ、今はどうでしょうか。当時同様、派遣で働いている家庭は、経済的に不安定です。今、仕事はあると聞いています。しかし、景気の先行きはずっと不透明で、会社は雇用に慎重、正規雇用への道は相変わらずとても狭い状態です。明日の食事に困る家は当時より減ったでしょうが、正規、非正規を隔てる壁は、前より高く強固に固定化されています。

一部のセーフティーネットは充実してきましたが、私の町の中学は、年度末に制服や運動着のリユースをしています。先生方の中には、まだまだ教材や教具の費用に無頓着の人もいますが、親の負担に配慮して工夫する方が増えています。準要保護など経済的支援を受ける家庭も増え、町には医療費や修学旅行費などの支援もあり、高校や大学の奨学金制度も前より整ってきました。

しかし、私の教室に通ってくる子を通して見る限り、支援が前より充実しても、子どもが前より明るくなったと感じたことはありません。かえって、心が通じ合うことが難しい子が多いなと思うことが増えました。

圧倒的な体験不足が主な原因?

子どもの素行のことで相談に来た母親から、子どもが少年野球に入りたがったが、ユニホームや用具のお金が高いし、土日忙しくて送迎ができないので我慢させたと聞いたことがあります。昔子どもは広場や校庭に集まって、そこで自分たちで、野球がいいか、かくれんぼがいいかと決めて遊びました。上級生がわからないことを教えてくれたし、魚釣りのような専門的なことは近所のおとなの中に教えてくれる人がいたものです。お金がないと野球もできない今の子どもが置かれている状況に愕然とします。

野球ができなかったことは、野球の楽しさを知ることができなかっただけでなく、仲間と協力して1点を取る喜びや、先輩やコーチを通して人を信頼し勇気を得るような経験もまたできなかったということです。スポーツばかりでなく、魚とりのような自然体験でも同じことでしょう。

経験ができなかったということは、自分の周りのことや人と関わる楽しさを知ることができなかったということです。そして、経験していないことで自信が持てないことが気になります。こうして、周りへの関心が薄くなり、自分で何かしてみようという意欲もなく、テレビゲームやSNSにのめりこんでいくのだろうと、推測できます。これは体験と絆の貧困と言えるのではないでしょうか。私は、この貧困が子どもに深刻な影響を与えていることを、とても心配しています。

中1R君:体験の貧困 マッチが擦れた

R君は、昨年9月に中間教室に来て、それ以来通ってきています。理由は「クラスメートが嫌いだから教室に行きたくない」でした。はじめ学校はまったくだめでしたが、今は行事や授業に多少参加できます。しかし、教室に入ることはまだできません。 

彼は大変不器用です。コンパスで一息に円を描くことができません。途中で針が紙から抜けてしまいます。おしなべて、運動も、言動も、がちがちな感じです。

でも、吹奏楽部員で、楽器の演奏は上手にこなします。裁縫の運針も嫌がらずにやります。生まれついたものだというには、何か変です。

彼はまた、大変頑固です。例えば、理科の実験で先生に言われても、絶対にマッチを擦ろうとしないのです。マッチ以外にも、このように固まってしまうことがあります。周りからは、頑固者、変わり者と見られるようになりました。

中間教室で彼の様子を見ていて、彼は、頑固なのではなく、できないこと、できない自分を知られることが嫌で、気持ちも体も動かなくなってしまうことがわかりました。魚も、カブトムシも捕ったことがないのは、捕れないと恥ずかしいからです。友だちとあまり遊ばないのも、友だちに強く言われると言い返せなくて、つらいからです。クラスが嫌いな理由も、友だちと対等な会話ができないことに疲れるからのようです。

彼は、できないと言い張っていろいろなことを避けてきたことで、体験と人との関わりを減らしました。その結果、家に帰ると自分の部屋に籠ってゲームをする生活になり、さらに拍車がかかり、極端な体験不足になったものと思われます。

さて、中間教室は、それぞれ学年の違う数名の小さなコミュニティーです。学習、運動、遊び、調理、魚の飼育、植物の栽培などの活動に、それぞれ分担があり、傍観者ではいられません。ここで「僕はできません」という言葉が減ってきたことに、少し変化の手ごたえを感じています。また、マッチ擦りにもチャレンジでき、5分ほどで上手になりました。体育が嫌いで見学も多かったと聞いていましたが、小3の男子と遊ぶうちに、バトミントンや卓球が上手になりました。

中3N君とJ君:絆の貧困  

N君、J君は、中3で中間教室に来るようになりました。中2のころはほとんど学校を休んでいましたが、家で、N君は自分の部屋でゲームばかりしていました。J君は素行に問題のある先輩たちと遊びまわり、深夜補導されたことがありました。N君はまじめでがちがちな印象を、J君は調子がいいが油断ならない印象を与えます。行動、言葉遣い、服装、友だち関係、どれを見ても対照的ですが、接している内に、似ていることがたくさんあるのに気づきました。

二人とも、親に甘えられず、親子で何かしたという経験がとても少ないことが共通しています。N君は母親に、J君は父親に、強い不平不満を持っています。小さい時から、口うるさく叱られた、暴力もあった、褒められたことがない、どこかに連れて行ってもらったことがないと口にします。このような親子関係の中で育ったためか、二人とも、友だちに強がってみせ、横柄な態度を取ります。友だちを支配する傾向が強く、小学校では高学年で反発を受け孤立したことがありました。よく眠れないとか、僕はお化けを見たが先生はどうだとか、しばしば不安を訴えることも共通しています。いつも強い不満と不安を抱えていて、信頼と安心のある人間関係を結びにくいのです。

中間教室で、彼らは少しずつ変わりました。私の教室には、中1、小3と年下の子がいます。二人が甘えることが、とてもうれしいようです。下の子が望めば、かくれんぼにも付き合います。天竜川の支流に魚とりに行ったときは、年下の子の面倒を見てあげたり、自分も夢中に追いかけたりと、心から楽しんでいました。彼らの希望で、中間教室では今二つの水槽で魚を飼っています。3月には、13匹の赤ちゃんが孵りました。

まとめ

私の提供した話は、特に目新しいものではありません。貧困の話題には、お金がないから子どもが望むことをさせてやれない話がよく出てきます。また、昔から貧しさに暴力はつきものでした。しかし、テレビゲームやSNSの登場で、子どもの遊びの時間までマーケットになった結果、今までにないレベルで子どもたちが孤立しています。またおとなも、今までになく、子どもとかかわらない人が増え、寛容さがなくなっています。そして、お金がないと野球もできない今の社会はおかしいと感じます。私は、子どもを救うことが、おとなを、そして社会を救うことになると思うので、もうしばらく、この仕事を頑張ろうと思っています。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

12 せめて学校ではお金の心配をせずに

学校事務職員 妙心寺 京子

気付くことができなかった母子の貧困

 昨年、千葉県銚子市で県営住宅を家賃滞納により強制退去させられようとした母親が娘を殺害し、自分も死のうとしていたところを逮捕されるという事件の、裁判のニュースが大きく報じられました(事件そのものはその前年の9月に起きたもの)。

 報道によれば、この母親は我が子をとても大事にしていて、娘にだけはつらい思いをさせたくないと洋服や持ち物も不自由を感じさせないようにしていたとのことでした。事件後その学校の担任は、部活もやっていたし持ち物からもとてもそんな困窮状態にあるとは思いも及ばなかったと言っていました。

 もしこの親子が自分の学校の児童生徒だったら、私を含めて学校はその家庭の貧困に気がついたでしょうか? この母親はきっと、給食費等の学校納入金はなにをおいても納めていたのでは、と想像します。

気づいて連携

 前に勤めていた学校でのことです。

 6年生のAさんはいつも朝遅れて登校していました。

Aさんの家は子どもがたくさんいてまだ幼い弟妹もいること。母親はその世話に忙しくAさんはほとんどネグレクト状態であること。そのため、朝起きられず遅刻しているとのことでした。

 5月早々の遠足の日、6学年はバスで社会見学に出かけました。バスの出発時刻になってもAさんは現れません。仕方なくバスは出発しました。担任に頼まれた校用技師が家に様子を見に行くと、破れた障子の窓から散らかって荒れた様子がうかがえる家の中に、まだ朝のしたくも整っていないAさんがいて、中学生の姉が玄関に出てきたそうです。急いでAさんにしたくをさせ、姉が握ってくれたただの白いおにぎりを持ってAさんは出発しました。途中校用技師が不憫に思って遠慮するAさんにコンビニでおかずを買ってあげたようです。そしてAさんは学校の軽トラに送られて無事一つめの見学場所でみんなと合流することができました。

 そんなことがあって相変わらず遅刻のAさんは学校を休むこともありました。担任は遅れてもいいからおいでと電話をしたり迎えに行ったりもしていました。担任の先生は給食までには登校して給食を食べることをとても大事にしていました。

 登校してきたAさんと私も昇降口で顔を合わせることがしばしばありました。そのつどさりげなく「おはよう」と声をかけていました。初めは無反応だったAさんもだんだん慣れてきたのか、はにかんだような小さな声で「おはよう」と返してくれるようになりました。

 Aさんはとてもけなげな子どもでした。清掃委員会の活動の時、私が大きな段ボールのゴミを持って行くと離れていてもすぐ駆け寄って来て受け取ってくれます。周りの人たちから自分に対してしてもらったことを自分のできることで精一杯返そうとしているように見えました。

<修学旅行に行かれない>

 晩秋の頃、6年生にとって最大の楽しみな行事である修学旅行がありました。旅行貯金の滞納などもあり、金銭的な面からもAさんの参加にはかなりの困難がありました。私は担任の先生と、就学援助費で出る旅行費と、最悪給食費を後回しにしても旅行には参加できるようにしようと相談しました。次の心配は、Aさんが旅行の準備をしてもらえるかということでした。秋風が吹いて肌寒いような日でも、Aさんは夏の薄い七分ズボンをはいていました。やせた体に薄い生地の洋服が風でひらひらとまとわりついて、肩をすくめるAさんを昇降口で見かけることもありました。

 修学旅行の朝、遅刻しないで集合したAさんはその時期に合った服装をして行った、と聞いて胸をなでおろし、何人もの職員でよかったねと話したのを覚えています。みんな心配していたのです。家庭へさりげなく働きかけ続けていた担任の先生も何より喜んでいたことでしょう。

<保健室での見守り>

 冬になってインフルエンザがはやりました。ある日Aさんも学校で不調になり早退することになりました。

 4時間目の終了前でしたが給食はもう届いていました。養護教諭が職員室の給食から、持たせてやれそうなものをビニル袋に詰めました。こんなことは衛生上の問題などから通常あり得ないことですが、Aさんの場合家に帰ってもお昼ご飯にありつけるかはなはだ心配でした。普通なら親は、病気の口にやさしい食事を作って少しでも食べさせて早くよくなるようにと心を砕きます。しかしそんなことは望むべくもなく、せめて給食でも持たせて食べられるようにするのが学校として精一杯でした。

<卒業式に中学校の制服を>

 卒業の時期がやってきました。その小学校では卒業生は進学先の中学校の制服を着て式に臨んでいました。校長先生をはじめ担任の先生も卒業式に着る学生服の心配をしていました。卒業式の前日、校長先生は自宅から、私は学校事務職員を通じて中学校の生徒指導部から学生服を調達していました。するとAさんの父親がどこかから学生服を手に入れてきました。その学生服は着古してテラテラ光っていました。Aさんの体型にも合っていないようでした。学校で用意した2着の方がよほどきれいでしたが、校長先生が「今まで何もしてくれなかった父親がそれでもなんとか工面してくれた学生服です。これを着なかったらまたこの先父親がAさんを見放してしまうといけない」と苦渋の決断をし、Aさんはその学生服を着て卒業していきました。

学校中でなんとか支えてやっと学校生活が成り立っていたAさんでしたが、中学校ではほとんど登校できていなかったようです。たまに登校するという日には中学でも事務室に給食をとっておいたりしてくれていたのですが、そんなことではやはり無理だったようです。

せめて学校では

 Aさんのことだけが特別な事例というわけではありません。別の中学校に勤めていたときは、幼い妹と二人空腹に耐えかねてスーパーのパンを万引きし、見つけた人にかじりついて逃亡の末に捕まった子どもがいました。この子は修学旅行に行けませんでした。その前から学校にも半分くらいしか来ていなかったので金銭的な問題と別の問題が絡んでいました。仲間が修学旅行に行っている間に学校へ来ましたが、強がって笑っていても本心はつらかったことでしょう。

 卒業して2年くらいたった夏、給食の時間にこの子がふらりとやってきたので、余っていた牛乳を一瓶出したらものすごい勢いで飲みました。のどが渇いていたこともあるのでしょうが、それよりもっとおなかが空いているように見えました。だからといってそれ以上なにができるというものでもありません。1回だけ給食のパンをあげたとしても、まさしく一時しのぎにしかならないのです。

 在籍している児童生徒が、金銭的な理由で修学旅行の参加が危ぶまれるというとき、私たち事務職員が言えるのは「先生、修学旅行にだけは連れて行ってください。お金は就学援助費でなんとか」という台詞くらいです。

 金銭的理由で修学旅行に参加できない子どもがいることが社会にだんだん知られてニュースになった頃、中学生だった娘が私に「ママ、お金がなくて修学旅行に行けないなんてこと本当にあるの?」と訊きました。「そんなことあるはずないでしょう!」ときっぱり否定することができなかった私。あってはならないことだけど、ないとは言い切れない。そんなことが起きないよう、頑張って仕事しているのというような説明が当時の娘に届いたかどうかはわかりません。

学校には学校事務職員がいます

 冒頭に記した銚子市の家庭のように、学校ではほとんど「貧困」が見えない例があります。また、続いて記したような、家庭の困窮状態が手に取るように見える例もあります。

 学校に勤める者として、そういう状況のご家庭を特別と思うのではなく、いつでも保護者負担の軽減を意識し、むだを省いて、誰にとっても通いやすい学校にすることが求められていると思います。学校事務職員の私としては、そういう意識の共有化がはかれるような材料を提供しながら、予算の有機的執行や就学援助制度の周知や活用をいつも考えながら仕事をしています。時には自分のやっているちっぽけなことでは、この社会状況でなんの力になっているのかとむなしい気持ちに陥ることもありますが、そんなときは同じ学校の別の立場で、あるいはまた別の学校で同じ学校事務職員として、頑張っている仲間の姿が弱気な私を叱ってくれます。

 「学校には学校事務職員がいます」と前回も前々回もこの欄の執筆者たちが書いています。どうぞお気軽にご相談ください。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

13 演習論文で感じた子どもの貧困 母子家庭のほ貧困と対策・そこから一人の大学生が考えたこと

信州大学経済学部経済システム法学科4年 関 和穂

はじめに

 私は、大学で子どもの貧困についての課題に取り組むようになって一年半になります。私が子どもの貧困に興味を持ったのは、高校3年生のときです。地元の新聞で相対的貧困を取り上げた新聞記事を読んだことをきっかけに、興味を持つようになりました。昨年の子ども白書に書いたように、塾に通い、進学するのを当たり前に考えていた私にとって、家庭の事情で進学を諦める中学生、高校生がいることが衝撃でした。そして、大学のゼミでは、「子どもの貧困」をテーマに調べることにしました。今回は、ゼミの演習論文で書いたことをまとめて、お伝えしたいと思います。

 最初に日本の子どもの貧困の特徴である母子家庭の貧困について触れ、そのあとに、日本とイギリスの貧困対策について書き、最後に私の考えを述べたいと思います。

日本の貧困の現状 一人親の貧困

 母子家庭の貧困率は50%以上で、特に深刻化しています。2005年のOECDによる、日本の一人親世帯の子どもの貧困率は、トルコに次いで、世界第2位です。世界第2位と言っても、トルコと大差はありません。ノルウェー、スウェーデン、デンマークなど、福祉国家と呼ばれる北欧の貧困率は10%前後で、しかも、子どもの貧困大国と呼ばれるアメリカさえも、日本は超えています(阿部, 2015, p111)。これに対して、日本では、「日本の親が離婚したのが悪い」、「しっかり働け!」という自己責任論による批判が多いです。しかし、日本の一人親は、とてもよく働いています。それを示す資料として、2005年のOECDによる一人親世帯の就労率の調査を挙げます。それによると、日本の一人親の就労率はルクセンブルク、スペイン、スイスに次いで、世界第4位です。ルクセンブルクの一人親世帯の就労率は、およそ90%で、スペイン、スイス、日本の一人親世帯の就労率はほぼ同じで、およそ80%です。ちゃんと働いているのに、貧困率が高いということは、日本の一人親世帯が「ワーキングプア」であることを示しています(阿部, 2015, p110)。これらからわかることは、今の日本では、働いても働いても貧困から抜け出せないということです。

日本の貧困対策 生活保護

 日本ではどのような貧困対策があるのでしょうか。ここでは、生活保護について取り上げます。

 生活保護とは、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行う制度です。生活保護は、日本国憲法25条に記されている最低生活を補足するもので、収入が最低生活費に満たない場合に、最低生活費から収入を差し引いた差額が保護費として支給されます。生活保護は誰もが受けることができます。しかし、誰もが受けることができるからこそ、生活保護を受けるのは「恥だ」というスティグマがあります。また、生活保護の「外」に出る仕組みが整っていません。高校生のときに読んだ新聞記事には、パートに対するやりがいも出てきて、週五日働いているのに、「ボランティアでやります」と給料を据え置いてもらっている家庭の話が掲載されていました。その家庭では、生活保護費で生活を賄うことができる状態で、給料をもらったら、受けられる生活保護費が減額されるだけという状況でした(下野新聞子どもの希望取材班, 2015, p180)。生活保護の枠を超える収入でなければ、働いても働かなくても変わらなかったのです。このように、今の生活保護は、働くことの意欲を削いでしまう欠点があります。働く意欲を失わせ、生活保護の「外」に出るのは困難です。

イギリスの貧困対策

 日本には生活保護という制度がありますが、外国にはどのような貧困対策が行われているのか見ていきます。

 1999年、当時のイギリスのトニー・ブレア政権は、「子どもの貧困撲滅」を公約に掲げました。このような公約が掲げられた経緯はまだわかっていません。しかし、1980年代に、保守党のマーガレット・サッチャーの新自由主義により、イギリスの失業率は徐々に悪化し、離婚率やひとり親家庭も増加しました。そして、イギリスの子どもの貧困率は、いつの間にか27%となりました。この数値は、今の日本の子どもの貧困よりも深刻で、当時のヨーロッパの中で、最も深刻でした。そうしたなか、1997年、労働党が総選挙で保守党に圧勝し、トニー・ブレアが首相となりました。

 この結果、1997年に430万人であったイギリスの子どもの貧困人数は、2007年では、290万人に減少したと言われています。2008年にリーマンショックが起き、「イギリスの子どもの貧困撲滅」が成功したとは言いにくいですが、実際に貧困率が減少したことは事実です(岩重, 2011, p12)。

 それでは、ブレア政権で、どのような対策が行われたのか見ていきます。ブレア政権では、民間組織の活躍や「子どもの貧困法」の制定などが行われましたが、私が注目したのはタックスクレジットです。タックスクレジットとは、子どもがいる世帯への経済的支援で、税金自体を減らすものです。低所得の世帯には、給付が行われます。ワーキングタックスクレジットでは、働くほど、得する仕組みになっているので、就労意欲を増すことができます。チャイルドタックスクレジットでは、学校に通っている子どものいる中間所得世帯に対し税金の控除が行われます。タックスクレジットは、捕捉率の低下や、スティグマが課題となっていますが、貧困世帯の所得をあげるという面では、評価されています(岩重, 2011, p24-25)。

私の考え

 今の日本の貧困の特徴はワーキングプアで、どんなに一生懸命働いても生活がギリギリになってしまうことにあると思います。貧困対策に生活保護がありますが、先にも述べたように、「外」に出る仕組みが不十分で「働こう!」という意欲を削いでしまっています。

 そこで私はイギリスで実施されたタックスクレジットを日本でも行ってみたらどうかと考えました。働くほど得する仕組みになっているワーキングタックスクレジットは、働いても働いても貧困から抜け出せない今の日本の貧困を解決する手掛かりになるのではないかと考えたからです。

 「行政にタックスクレジットを導入して欲しい」といってどうにかなるものではありませんが、ゼミで論文を書きながら、そのようなことを考えました。

おわりに

 一生懸命働いても、最低限度の生活しか成り立たせることができない社会のしくみが貧困を深刻にしているともいえます。日本は資本主義の社会であるから、格差が生じるのは仕方ありません。ただ、現在の日本の子どもの貧困は、生まれながらにして貧困という運命が定まっていることに問題があると考えます。スタートラインがほかの人よりも低いから、差を付けられた状態で競争しなくてはなりません。生まれながらに差がついている状態で非貧困家庭の子と競争しても勝てないし、競争しようとさえしなくなります。今、日本で問題となっている子どもの貧困は、決して、個人の努力不足のせいで貧困になったわけではないのです。このような状態から抜け出すために、社会のしくみを変えることが必要になると考えました。

<参考文献>

・下野新聞子どもの希望取材班(2015)「貧困の中の子ども 希望って何ですか」 ポプラ新書

・阿部 彩(2015)子どもの貧困Ⅱ 岩波新書

・岩重 佳治「イギリスに学ぶ子どもの貧困解決―日本の『子どもの貧困対策法』にむけて」かもがわ出版 2011年

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

14 「貧困」をめぐる現状とし諸課題 子どもの貧困問題を考えるシンポジウムを振り返って

信州大学経済学部経済システム法学科4年 山本尚果

はじめに 「貧困」の客観的視点から

皆さんは、「相対的貧困」という言葉を知っていますか?貧困といえども、寝るところも食べるものもまったくないような極限状態のみをいうわけではありません。食費が制限される、歯科医へ通院しない、進学を諦めて就職する、有料塾に通わない、近隣住民や学校との摩擦により社会的に孤立するなど、貧困に直面していない人々から見れば、見えにくい貧困が存在します。そういった、通常の生活水準の半分以下で暮らす子どもは、6人に1人。これは驚異的な数字です。我慢する子どもたち、貧困状態に気付かないまま、無意識的に自分の可能性を狭めてしまう子どもたち。私たちは、「貧困」という問題に、一個人としてどのように向き合っていけばよいのでしょうか。

平成28年10月29日、松本市で「子どもの貧困問題を考えるシンポジウム」(松本市子どもの貧困問題を考えるシンポ準備委員会主催)が行われました。本シンポジウムは、「教育現場」「医療現場」「行政」の3つの視点から各現場の現状を報告していただき、最後に、『長野の子ども白書』事務局代表 小林啓子氏から基調講演をいただいたものです。

本稿では、貧困をめぐる実情を、“周囲の客観的視点”に注目してみていきたいと思います。以下は、本シンポジウムに出席された方から回収したアンケート結果を参考にすることとし、一部回答者の回答を記載しました。

アンケート結果と考察

総出席者数:77名(※準備委員等含む)

アンケート回収:40名[回収率52%]

 性別

人数

 男性

17

 女性

23

 年代

人数

 20代未満

1

 20代

1

 30代

3

 40から50代

20

 60から70代

15

 80代以上

0

・参加者の職業:小・中・高等学校の教員、NPO法人、ボランティア団体、県内外の大学生、病院、民生委員、市役所、市議会議員、一般の方等

Q..本日のシンポジウムにいらした理由をお聞かせください。

A.

シンポジウムに 訪れた理由を示した図 子どもの貧困に関心があった 現状把握のために という理由が 多く挙げられている

*「子どもの貧困」の現状把握

「子どもの貧困が報道されているほど私のまわりでは目に見えないため。」(60から70代女性)

「友人がこども食堂を立ち上げたが、相手が見えない活動だと意味があるのか?と疑問を持っている。」

(40から50代男性)

Q.本日のシンポジウムのご感想をお聞かせください。

A.貧困者と同じ目線での実情把握をしながら、周囲に支援を呼び掛けたいという意見、自身の過去・現状(立場)を顧みた上で現代における子どもの貧困についての意見がありました。教育分野・医療分野・行政など他分野間でも問題を共有する必要がありそうです。

もっと意見交換の時間が欲しかったという意見がありました。子どもの貧困の実情を多くの方に知ってもらい、一人ひとりが考える機会となったという意味では、シンポジウムを行う事自体に意義があったといえます。ただし、いまだ問題は解決していないため、継続しておこなっていく必要があります。20代未満、20代、30代の学生を含む若者も参加しており、若者への期待の声が多く寄せられました。県外学生の参加者もおり、長野県内のみの問題にとどめず、各都道府県と連携して、意見交流していく必要があると考えています。

現代の社会構造や政治・経済の根本的な観点から問題を捉えた意見もありました。地域で活動を始めても、制度上どうにもならないところはあり、国の政策や行政の変革、社会構造の根本的な改良が求められています。

「現代社会の構造的な貧困問題は、個人個人の努力では解決できないレベルに来ていると思います。国をはじめ、根本的な政策を改める必要があると感じています。」(60から70代男性)

「やはり、貧困に対する周りの目は厳しく、「自分は頑張ったからこれだけお金がもらえているんだ。貧困はその人の責任である、(自分が貧困だと言うことは)甘えだ」と思っている人が多いように感じます。子どもの貧困は、今の社会の構造上絶対に起こり得ることであり、貧困の対策が、絶対に必要だと感じました。そういう考え方を、もっと広めたいと思いました。」

(20歳未満女性)

「「貧困の可視化」は非常に大事。今日では、病気・介護・夫や妻の死などで、誰でも貧困と紙一重だと思う。「可哀想」ではなく自らの問題として考えることが重要ではないか。」(60から70代男性)

「貧困に関しては、自己責任という考えが、少しありました。しかし、今日のシンポジウムに出席して、貧困は社会の責任だと感じました。子どもは親を選べません。全ての子どもが、その子の個性に応じた教育を得られて当然だと思います。(世の中が)貧困に関して無関心でいることの危うさを感じました。」(40から50代女性)

※アンケートの改善点

・「ご自分が「貧困の状態にある」と感じたことはありますか。」という設問は、貧困の状態にあると感じている人とそうでないと感じている人とでは、子どもの貧困問題の考え方にどのような差異があるのかを知るためのものでした。しかし、もし「貧困の状態」と感じているのであれば、そのように感じた理由や、例えば経済的、文化的、精神的等の例を、任意で記載する欄を設ける必要がありました。また、その状態が過去にあって現在は無いのか、過去にあって現在もあるのか、現在丁度その状態にあるのか、将来的にそうなり得るのか、具体的な時期の選択肢を設けるべきであり、回答者にとって答えにくい設問となってしまったように思います。

・職種や専門的知識によって考え方が変わる可能性もあるため、性別・年齢の他に、職種など従事している活動についても、回答欄が必要でした。

おわりに 貧困の「溝」

昨今、日本で「貧困」が叫ばれているのは何故でしょう、一昔前もそうだったのでしょうか。

時代背景・社会構造の変化により、人々の生活状況や考え方も、少しずつ変わってきました。一昔前は、そこまで危機感がなく、貧困問題が報道されなかったのかもしれません。というのも、些細な困り事であっても隣近所で協力し合うことが自然なことで、貧困と感じることがなく、皆が同じように悩んでいたので仲間意識があり、気後れすることもなかったのではないかと思います。現代は、世間の「貧困」に対する溝があまりに深くなりすぎて、協力し合いたいと思っていても、それを口に出せないような社会の風潮があるように感じています。世間の目が「貧困」というレッテルを貼り、貧困を嘆くのは甘えだと責め、あるいは知らない振りをし、可哀想だと同情して、貧困の当事者もまた、負い目を感じて仕方ないと諦めるのでは、溝は深くなるばかりです。隣近所で協力し合い、地域のつながりを広げ、さらには、教育をはじめ、根本から社会構造が変わっていくよう不断の努力をしていく必要があるのではないでしょうか。

貧困の当事者とそうでないと感じている人とでは、互いにその生活の実態を知らず、殊に後者からすれば、知る必要を感じず関心を持たないといった、「溝」(ギャップ)があると感じています。溝というよりはむしろ、互いが別世界に住んでいて、自分の世界の尺度で互いの事情を判断してしまいがちであるという方が合っているかもしれません。本来であれば同じ「人」であるならば差異があって当たり前の世界の中で、自分には関係ないという姿勢が、一人ひとりの個人の理解をシャットアウトしてしまっているのではないでしょうか。溝(ギャップ)といえば、年代ごとに問題意識が異なるジェネレーションギャップや、地域格差も気になるところです。個人がますます孤立していくのを防ぐためには、まずは互いを同じ尺度で理解することが大切ではないでしょうか。もはや「貧困」は、他人の問題ではなく、私たち一人ひとりに関係する問題なのです。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

15 子どもの「居場所」とは 無料学習支援の活動を通して

長野大学社会福祉学部教員 鈴木 忠義

はじめに

筆者は『2016長野の子ども白書』において、長野大学社会福祉学部のゼミナール活動として子どもの無料学習支援の活動に参加した学生の振り返りレポート(報告集)をもとに「子どもの貧困」に対して何ができるかを考えてきました(鈴木忠義2016「学生たちの目から見た『子どもの貧困』 無料学習支援の活動を通して考える 」編集委員会編『2016長野の子ども白書』pp.70-71)。

学生の振り返りのなかで出てきたキーワードの一つに「居場所」がありました。「居場所」には、場所としての「居場所」(勉強や遊びなどのための場)と関係としての「居場所」(他者との関係を築くなかで安心でき、自分が大切にされていると感じることのできる場)という二つの意味が含まれています(鈴木2016,p.71)。

近年、子どもの貧困対策として、子どもの「居場所」づくりの取り組みが広がっており、長野県の施策(「長野県子どもの貧困対策推進計画」2016年3月)でも重点課題の一つに位置づけられています。ただ、そもそも「居場所」とはどういうものなのか、これまで十分に検討されてきていないように思われます。

そこで本稿では、2016年度に長野市と上田市で無料学習支援の活動にボランティアとして参加したゼミナール学生の振り返りレポート(長野大学鈴木忠義ゼミナール『学生の目から見た「子どもの貧困」2016』2017年2月。以下、「報告集」と略記)を通して、学生の目線からとらえられた「居場所」の意味について考えてみたいと思います。

子どもにとっての「居場所」/親・養育者にとっての「居場所」

第一に、誰にとっての「居場所」であるのかという視点で考えると、一人ひとりにとっての「居場所」があるように思われます。つまり、当事者(子ども)にとっての「居場所」があり、また家族(親・養育者)にとっての「居場所」があるのです。

では、そのような「居場所」はどのような場所なのでしょうか。このことについて、学生Aさんは次のように述べています。「人を信じる事ができるまでには、多くの事を見せ合い、受け合い、話し合わなければならない。自分の姿を、内面を見せ合うことには抵抗も生まれやすく、傷つく事もあるが、そうした表面的だけではない関わりが出来て初めて、深い信頼が生まれ、居心地の良さが生まれる。信頼が生まれるからこそ、自分にとっての居場所が構築されていく様に感じる」(Aさん、報告集より)このことから、子どもは「居場所」において、真剣に向き合ってくれる人、信頼できる人を求めていることが示唆されます。

一方、養育者に関して、学生Bさんは「子どもたちだけでなく、親にとっても必要な場所であるということが分かった」(Bさん、報告集より)と述べています。また、学生Cさんは次のように述べています。「無料学習塾は不登校や学習障害をはじめとする発達障害など、様々な問題を抱えている子どもの居場所にもなっていると思う。学習を教えるのみではなく、不登校や発達障害など子どもが抱える様々な問題を理解する力、サポートする力も求められてくるのではないかと考える」(Cさん、報告集より)つまり、養育者の立場からは、相談できること、サポートが得られることが重要であるといえます。

安心できる「居場所」

第二に、先に出てきた「信頼」はどこから来るのかを考えてみると、一人の人間として受けいれられることが大切であることが分かります。例えば、学生Aさんは次のように述べています。「当事者にとって安心できる居場所とはどんなものなのか(中略)居場所というと物理的なスペースのことばかり連想されがちだが、どの程度自分が許容されていると感じることができるかと言う事がその人にとっての『居場所』となるのではないかと思う」(Aさん、報告集より)学生Dさんは、「ここでなら自分らしくいられる・理解してもらえるという居場所があることで安心して職員や他の子どもたちとかかわることができるのかもしれないと考えていた」(Dさん、報告集より)また、学生Eさんも「さまざまな人と関われることや、周りの大人が『貧困』というフィルターを通して見られるのではなく、ありのままの自分を見てもらえることは安心にもつながっているのではないだろうか」(Eさん、報告集より)と述べています。このように、ありのままの自分が認められること、自分らしさが受け容れられ、理解してくれる人がいることの重要性が示唆されます。

「居場所」をつくる人/「居場所」になる人

第三に、居場所は「モノ」ではなく「ヒト」であること、つまり「居場所」は最初からあるのではなく、つくり上げていくものであることにも気づかされます。例えば、学生Fさんは「学びの場でもあり、居場所でもあると感じた。そのような環境を、一人ひとり職員や子どもたちが作っている」(Fさん、報告集より)と述べています。「居場所」は子どもとスタッフ(おとな)が協同して築いていくものであることが示唆されます。

さらに、人の存在それ自体が「居場所」になっていくという考え方も重要です。例えば、学生Gさんは次のように述べています。「子どもにとってどのような居場所が安心する居場所であるか考えることも大事だが、子ども一人ひとりと向き合い子どもの声を聞くことも大切だということに気づかされた。人も子どもの居場所になると考えられる。(中略)子どもにとっての居場所がどのようなものであるか、子ども一人ひとりと向き合い子どもの居場所になれるようにしていきたい」(Gさん、報告集より)このように、子どもは自分と真剣に向き合ってくれる人を求めているのです。

もう一つ重要なことは、「居場所」の自己決定権、すなわち一人ひとり自分にとっての「居場所」を決める権利があるということです。学生Bさんは「居場所というのはその子によって違い、その場所が居場所だと決めるのは本人で、周りの人が決めるわけではない」(Bさん、報告集より)と述べています。

おわりに 子どもにとっての「居場所」とは

学生からのコメントを踏まえて筆者なりに整理してみると、子どもにとっての「居場所」とは次の性格を持つものであると考えることができます。

(1)「安心」できる場所であること。そのためには真剣に向き合ってくれる人、信頼できる人がそこにいることが重要です。

(2)「自分らしさ」、すなわち子どもたちにとって自分らしくいられる場所であること。これは(1)と重なりますが、子どもたちがありのまま受容される場であることが大切だといえます。

(3)「個別性」、すなわち個別の必要(ニーズ)に応えられる場であること。そのためには子どもに対して真剣に向き合う人がいること、そして困りごとを抱えているときに適切なサポートが得られることが重要です。

(4)「人との関わり」の機会が提供される場であること。上記(1)から(3)の前提にあるのは、人との関わりであるといえます。

(5)子どもの「自主性」が尊重される場であること。これは、「居場所」において子どもは受け身的存在ではなく重要な担い手であり、「居場所」を作り上げていく役割を持っていることを意味します。

(6)「楽しい」と感じられる場であること。居心地のよい場所であるためには、楽しいということも重要な要素になります。

(7)「子どもからのサイン」を表出できること、また表出されたときに、それが受けとめられる場であること。関わりのなかで子どもたちから何らかのサインが発せられてそれを受けとめることができるには、やはり信頼関係の形成が必要になるでしょう。

これらの必要(ニーズ)に、家庭や学校だけでなく地域で応えていくということが、無料学習支援の活動の一つの意義であると考えることができます。

このように、「居場所」とは人との関わりの中でつくり出され、育まれていくものであるといえます。そのことにおいて、私たちにできることは何であるのか、これからも考え続けていきたいと思います。

鈴木 忠義(すずき ただよし)

2013年より長野大学社会福祉学部教員。専門分野は社会福祉学(貧困・低所得者の福祉)。

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

16 子どもの居場所づくりの取り組みは、子どもの貧困問題の何に貢献するのか

日本社会事業大学社会福祉学部 内田 宏明

1. 子どもの貧困への取組の課題

貧困問題は、「絶対的貧困」の要素と、「相対的貧困」の要素に還元されます。「絶対的貧困」問題の核は、生活保護基準を焦点とした憲法第25条が規定する生存権保障です。「相対的貧困」の問題の核は、相対的貧困に位置する所得の世帯に関する、教育の機会均等及び関係的権利の剥奪です。この認識に基づき、昨今の「子どもの貧困」ワードの流布に伴う、社会的支援の動きを概観していきたいと思います。

言うまでもなく、「絶対的貧困」に対処する社会的方策は生活保護制度です。当然のことながら、生活保護基準を下回る世帯所得の場合、生活扶助で食費、教育扶助で教育費は賄われます。従って、生活保護基準を下回る所得の世帯では「子ども食堂」の食事がなかったとしても食費が確保できないということはないはずです。あるいは、民間のボランティアを担い手とした学習支援活動がなくても、就学支援制度も併せて利用し、高校の実質無償化、奨学金制度も活用して社会的に構造化される教育の機会不均等の被害者に陥らないはずです。しかしながら、生活保護の運用に関して大きな問題が顕在していること(小田原市に見られたような被保護者に対する強固な偏見)、就学援助制度が教育の機関均等を保障できるほどの充実をしていないこと、高校の実質無償化どころか義務教育の実質有償化が深刻な経済的負担を家庭に迫っていることなどが、「絶対的貧困」にさえ国策において実効を上げていない(あるいは、その公的責任を回避している)状況にあることをまずもって認識しなければならないのではないでしょうか。

その中で、本質的に民間、市民の自発的な社会貢献活動を頼りに対応していくことが当面の焦点となっている、「子ども食堂」「学習支援」を二つの極とする子どもの「相対的貧困」問題に対する取組について今後深刻な“空回り”を生じさせることが危惧されます。なぜならば、「相対的貧困」への取り組みが、さも「絶対的貧困」に対する有効策の如く国民全般、なかでも有志的に取り組みに参加する市民を錯誤させる恐れを多分に含んでいるためです。しかしながら目の前に見る子どもの現実は、徐々にその認識のままでは何ら展望が見出せない事実を提示してきています。

2. 大阪市の「こどもの里」の実践

荘保共子さんが中心で活動をされてきた「こどもの里」の活動は、かつて大阪市内29か所で実施されていた「子どもの家事業」の一つです。「子どもの家事業」は留守家庭の子どもに限らず、すべての子どもたちに遊び場や居場所を提供する目的で1989年に始まりました。「いつでも、だれでも行くことができる」居場所として24年間定着してきた事業でした。市政の転換の中でいったん縮小しましたが、「子どもの貧困対策」のモデルケースとして改めて注目を浴びています。

「さとにきたらええやん」という「こどもの里」の日常を描いたドキュメンタリー映画が全国各地で上映されています。そのチラシに次のようにこどもの里が紹介されています。

「こどもたちの遊びと学び、生活の場です。誰でも利用できます。こどもたちの遊びの場です。お母さんお父さんの休息の場です。学習の場です。生活相談 何でも受け付けます。教育相談 何でもききます。いつでも宿泊できます。緊急に子どもがひとりぼっちになったら…。親の暴力にあったら…。家がいやになったら…。親子で泊まるところがなかったら…。土・日・祝もあいてます。利用料はいりません」

川崎市子ども夢パーク所長の西野博之氏は、こどもの里の取り組みを以下のように評価されています。「まさに奇跡のような場である。日本全国どこを探しても、他には見つからないのではないか。「今日この子を叩いてしまいそうだから、今晩子どもを預かって」。母親が子どもを連れてやってくる。混沌としていて、とっ散らかった室内。部屋の中で野球をやる姿。プロレスごっこや走り回る子。そうかと思うと勉強している子。スタッフと子どもが語り合う姿。親も愚痴を言いにやってくる。スタッフは黙って母の背中をさすっている。ご飯を一緒に作って食べているシーン。小学生くらいの子からおにぎりを握って、釜ヶ崎のホームレスのおっちゃんたちのところを夜回りする姿。親子の葛藤。おとなのずるさも弱さも透けて見えている。おとなも子どももかっこつけていられない日常。学童クラブであったり、ファミリーホームのようであったり、レスパイトサービスであったり。障害のある子もない子も混ざり合って暮らす場。様々な受止めをする子どもとおとなの居場所。児童相談所の一時保護所に入れるよりも、地域の中で困ったときに泊めてもらえる場所があれば、学校に通うこともできる。親と激しいぶつかり合いをしても、安心して家出してくることができる場がある。第3のナナメの関係にあるおとなたちが、子どもに寄り添い、かかわり、ともに育ちあう。自分の一歩先を歩む先輩の姿を見つけることができる。モデルになるようなおとなとの出会いのチャンスがそこにある。」

こどもの里は大阪市でも貧困問題が集積する西成区釜ヶ崎にあります。こどもの里をはっきりと個性立てている取り組みが、「子ども夜まわり」です。1986年から毎冬おこなっている「一人の人も死なないで一緒に暖かい春を迎えたい」を合言葉におこなっている野宿をせざるを得ない人の命を守る訪問活動です。この活動はこどもの里に集う子ども自身が中心で取り組まれます。子どもらは何のためらいもなく、路上で寝ているおじさんに声をかけ、毛布やおにぎり、お茶を配る。併せて子どもらは社会で生み出される貧困について学習し、自らの生活の困難さを客観的に理解するきっかけを得ます。子どもは、おじさんたちからたくさんの「ありがとう」の言葉を浴びて、傷ついた子どもの心にふつふつと他者へのいたわりが芽生え、それが自分自身への自信と愛しさを息吹かせると荘保さんは強調します。野宿をする方々と子どもお互いがエンパワメントされているのです。居場所は、このような人間としてのつながり、学びを育む可能性を有しています。

3. 地域の生活基盤としての居場所へ

「子ども食堂」は、子どもにとってもおとなにとっても入り口となる取り組みでしょう。子どもの本質的な居場所となっていくために、荘保さんは次の点を指摘しています。

・中学校区での支援体制の整備:要保護児童対策地域協議会を活用した多機関の連携により、「子育ち支援と子育て支援」の強化を中学校区レベルで図る。

・中学校区での人材の配置:特に社会的養護の資源を創出する人材として中学校区に最低2名の確保ができれば支援基盤が確保できる。

中学校区を基本的な地域と捉えたうえで、子どもの相対的貧困に対応としての子ども食堂が、専門機関との連携、スタッフの配置を獲得していく中で、絶対的貧困状態にある子どもと親の生活基盤となる居場所に発展していくことができます。

加えて、荘保さんは「行政との協働」の上でポイントとして次の2点を示しています。

・「子ども」観の共有:子どもを教育・指導すべき「対象」とする理解するのでなく、子どもの力を信じて、生きる「主体」として認識すること。

・「自立」観の共有:「自立」を「一人で働いて生活する(自活)」と捉えると、むしろ「孤立」を増やしてしまいかねない。生きていくうえで大切な「人とつながる力」の獲得を「自立」と考えるべきである。

子ども観と自立観を行政と民間で共有していくことは大変な対話の積み重ねが必要です。その対話の中での大きな焦点は、民間の子ども食堂など居場所づくりの取り組みの中でふれてきた子どもと親の生活現実、現代社会における貧困の内実を、行政と共有することでしょう。見えづらいと言われる現実を伝えていくことがなければ、本質的な協働関係を形成することは難しいのです。

今日的課題である子どもの格差・貧困という課題における自治体の役割は1地域に安心・安全な居場所を作り、必要に応じて多様な支援を用意すること、2子どもの暮らしに発生するさまざまな事態に即応し、子どもの生きる地域や時間や絆を分断しない包括的な支援策を講じることであり、3そのようなシステムが、『子も親も支え、親とともに育てる安全拠点』となるのです。

こどもの里の取り組みはすぐにどこの地域でもでき るものではありません。今あるものをつないでいき、地域の人と人がつながることで、近づく取り組みができるのではないでしょうか。行政と民間が協働して、その可能性を各地域で模索することが大切です。

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17 誰でも参加できる地域の居場所 信州こども食堂

NPO法人ホットライン信州専務理事 (信州こども食堂ネットワーク事務局長) 青木 正照

「信州こども食堂」は、いつでも誰でも参加できる地域の居場所として広がっています。

実施回数は、2016年4月から2017年3月までの1年間で150回(初回2016年1月から数えると165回)、参加人数(165回分の累計)はこども2,900名・おとな・サポーター・学生など3,600名で合計6,500名になりました。

信州こども食堂で にぎわう人々の写真

1.電話相談・生活支援の気づきから

NPOホットライン信州が取り組んでいる24時間365日無料の電話相談の中には、「生きるのが辛い…死にたい…」「親子で食べるものがない……」「一人で寂しい…」「独りはつらい。でも人と関わるのがこわい」などの訴えがありました。

過去5年間で約2万件の相談と面談・同行・生活必需品の支援活動の中で、経済的・社会的・心理的なさまざまな要因からコミュニケーションの障害を抱え、自力では生き辛さから抜け出すことが難しい現状を踏まえ、いつでも誰でも気軽に話ができる居場所が必要だと考えました。

その居場所として2016年1月9日、NPOホットライン信州と労協ながの・きずな塾は、長野県で初めての「信州こども食堂」を長野市の長野中部公民館で開いて以降、長野県各地で「こども食堂」が開かれるようになりました。

NPOホットライン信州は、賛同と取組を広げるため各地域・団体等の関係者に呼びかけ、各こども食堂の成果と経験を交流する「信州こども食堂ネットワーク」を立ち上げ、事務局を担っています。

食事を通して 交流を深める親子たちの写真

2.「信州こども食堂」の参加状況

2016年1月から2017年3月末日までの参加者数の累計は表一のとおり増え続けています。

また、月別参加者数は表二のとおりで、もっとも多かった2016年12月には900名を超えました。

表一 2016年1月から 2017年3月までの 参加者数の累計を 示したグラフ
表二 月別参加者数を 示したグラフ

3. 「信州こども食堂」の開催数

月別の開催場所数は表三のとおりです。2016年3月に5か所、以降も毎月1から2か所の新規開店が続き2017年3月末日現在、長野県内約25か所で「毎月1回から3回」の定期開催が行われています(主催者が同じでも月によって開催場所を変えている場合や単発イベント的な開催があるため、厳密に場所数を整理することはできません)。定期的な開催例として長野市のふれあい福祉センターでは、毎月第3土曜日の11:00から14:00を基本にして定着につとめています。

表三 信州こども食堂の 開催場所数を 示したグラフ

4. 多くの善意に支えられた 「信州こども食堂」
と「こども応援リレー(フードバンク)」

「信州こども食堂」の運営と調理や催しは多数のボランティアに、食材は支援企業・団体からの寄贈と「信州子ども居場所づくり応援リレー(フードドライブ)」での寄付など、たいへん多くの皆さんの善意に支えられています。

寄贈いただきました食料品は各地の信州こども食堂と被災地熊本の支援に活用し、学用品と衣類などはこども食堂と同時開催する「無料子ども用品市場」で必要とされる方に提供しています。

野菜を 台車に積む男性の写真
寄付のお肉を 受け取る女性の写真
寄付された衣類を 手に取る人々の写真
段ボールに詰められた たくさんのにんじんやジャガイモの写真
たくさんのお菓子の写真
ボランティアの様子を うつしたニュース画面の写真

5. 提供者の思いを伝え、
依頼者の生きる希望をつなぐ!

提供者からの連絡を受け、スタッフが可能な限り現地へ直接出向いて提供してくださる方の厚意と思いを一緒に受け取ります。受け取った物資は地区に応じて各拠点で管理・保管をおこなっています。

支援依頼の連絡を受けた場合には、迅速に依頼者の元へ物資を届けます。その際、提供者の善意を伝え、依頼者の生きる希望に繋がるよう話しをしながら直接手渡しています。「あなたは決して孤立無援ではない。あなたの助けになりたいという人の気持ちを感じ、このつながりを活かし、生きる力にして欲しい」と…。

支援物資が 届けられるまでの流れを表した図

6. 子どもたちの健やかな成長を見守る
  地域のつながり

「信州こども食堂」は、調理、食事提供、学習支援、遊びなどを通して子どもと老若男女が和やかに交流し、地域に助け合い・支えあいの気運を高め、世代を超えた地域住民の「つながり」を生み出しています。

子どもたちには「ひとりぼっちではない、受けいれてくれる場所があり、自分たちを大切に思ってくれるおとなたちがいる」ことを心に留めて、健やかに成長して欲しいと思います。

子どもは地域の宝。地域のおとなたちが気持ちを向け見守ることで、やがて地域全体の発展につながるものと願っています。

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18 子どもの居場所づくりの実践からみえたこと 子どもたちはなぜ生きづらさを抱えたのか

NPO法人ワーカーズコープ 伊藤 由紀子

放課後のこどもたちと過ごして20年

 私の3人の子どもたちから「お母さんはなぜ働かないの」と背中を押され、児童厚生員という仕事に出会いました。20年前になります。20年前も児童クラブを利用する子どもたちがいました。外国籍の子どもたちもいました。初めて出会った子どもたちはとても素直だなと感じました。自由に遊び、自由に放課後を児童館や児童センターで過ごしていました。それが徐々に様子が変わってきました。共働きの家庭が増え、あるいは一人親家庭の子どもが増え、世の中が物騒になり、親たちは安心して家庭に子どもを残しておけなくなったように思います。当然登録児童数が増え、一般来館の児童館、児童センターが登録事業も兼ねて受け入れるようになります。のびのび使っていた児童館の空間が窮屈になり、腕が振れただけでも喧嘩になり不満が蓄積していたように思います。一方で、喧嘩やトラブルに自分たちで対処できない子どもたちも多くなったと感じていました。

 なぜ?と言う思いが強くなると同時に、子どもたちの話を聴くうちに経験していないからだと気付きます。失敗する体験をしていないのであれば、放課後の子どもたちの遊びの中で培われる達成感と失敗をより多く体験させたいと思うようになります。

指定管理制度の中での自主事業開始

 2007年度からNPO法人ワーカーズコープの運営する6つの児童館・児童センターに移ります。

 子どもたちを主体的に、生きる力をつけるために何をすべきかと仲間とともに考え続けます。この間、松本市では子どもの権利条例も施行されます。主体的な子どもたちと向き合うために主体的なおとなであることが必要です。試行錯誤を繰り返しながら、学習支援・体験教室を実施する準備を始めます。長野県地域発元気づくり支援金を得て、2014年度から実施に至り3年目に入りました。実施したから見えてきたことは予想をはるかに超えるものでした。子どもたちのSOSや生きづらさは子どもたちのせいではないと感じさせられます。

 子どもの居場所はどこに行ったかと思うほどです。それほど子どもの自立心や生きる力が低下しているとおとなは認識したいものです。

地域を巻き込みながら

 学習支援・体験教室は地域の協力が必要でした。児童館の運営委員、公民館などを通して協力者を募ります。しかし、最初は思うように集まりませんでした。6つの児童館が其々の地域に声掛けをして、学習支援はようやく元塾講師、教員OB、学生などの協力にたどり着きます。

 体験教室は地域の達人、プロのサッカーチーム、ポリクローム(一輪車)の協力を得ることができました。

「もっと上手になりたい」、「本当は塾に行きたい」、「サッカー教室に通いたい」、「お母さんを喜ばせたい」、そんな子どもたちの願いが少しだけ叶うことになります。

 卓球教室、サッカー教室、一輪車教室、書道教室、編み物教室、フラワーアレンジメント教室、こどもたちのお店屋さん、防災マップ作り、木育教室

 これらの体験を通してより多くのことを学ぶようになります。子どもたちのお店屋さんでは子どもの自治も生まれています。地域の夏祭りに自分たちの企画も入れています。

寄り添うおとながいるだけで学び始める

 児童館・児童センターで始めた学習支援は「学ぶ喜びを知る」が目標です。スパルタ教育ではないのは当然です。傍におとなが寄り添うだけで自ら勉強する子どもが出てきます。認めてもらいたい、見てもらいたい、そばにいて……そんな子どもたちの声にならない言葉が聞こえてきます。「生きづらさ」は自分を受け止めてくれる人に飢えていたということだと思います。

 じっと座って勉強することが苦手な子どももやがて集中するようになります。

あなたはどうしたいの

 児童館で日常的に過ごす中で、「あなたはどうしたいの」と問いかける場面を多くしました。10年経過し少しずつですが自主的に「これをやりたい」が出てきて、実践活動に繋げています。ルールも活動も子どもたちが考え、子どもたちが準備をし、実践します。

 工具も使えば、料理の手伝いもします。危険を自分で体験します。失敗もたくさんあります。でも子どもたちは楽しそうです。

家庭だけに押し付けない

 共働きしても年収が2割減少している状況が今の日本です。相対的貧困率が高くなり、ますます子どもたちの居場所がなくなっている現状です。食べていない、お風呂に入っていない、冬でも夏の洋服でいる…児童館に遊びに来る子どもの中でも見受けられます。

 保護者も生きることに必死で、解決に繋がらないケースも多いのが現状です。子どもたちに出会ったおとなができることをしていくことが必要と感じます。

子どもたちが 輪になって 絵を描いている様子の写真

モデル事業「なみカフェ」から見えること

 児童館・児童センターに行けない子どもたちの居場所になればよいとの思いが長野県モデル事業に繋がります。

 並柳団地集会所を居場所として、全ての子どもたちを対象にスタートしました。学習支援・食事の提供・悩みの相談等“一場所多役”です。          

住民、フードバンク信州、松本大学、支援団体の協働で、平成28年7月の夏休みから始めました。最初の2回は4名、2名の参加でしたが、3回目から10名を超えるようになります。子どもたちの口コミによる広がりでした。勉強に集中する状況ではないが、学生たちが寄り添うことで、5分、10分と長くなります。

 また、遊び、集団の中での自分の立ち位置がわからない子どもたちが多いと感じます。この小さな空間でもさまざまな子どもたちの関係性の変化が出てきます。急激に仲良くなる、喧嘩をしながらも徐々に仲良くなる、物を与えて仲良くなる、いじめのようなことが発生するなど、言葉で訴えることは少ないが子どもたちの様子からコミュニケーション力の差を感じます。

 住民の関わりは顔の見える地域に繋がりました。住民スタッフからのうれしい報告です。地域で過ごしても子どもたちから挨拶などなかったが、この事業開始後は声をかけるようになったと言います。「おじちゃん、今日はなみカフェある日だよね」

 私たちが体験教室を始めた時も卓球を教えてくれる地域の人にこんにちはと声をかけられ、会話するうちに「俺もう、悪いことできないな」と思ったと言う子どもがいました。顔が見えると関係性が良くなり、子どもたちの安心感が生まれる事例だと思います。

 子どもたちは自らの意思で「なみカフェ」に来ます。「なみカフェ」は子どもたちのやりたいを実現できる場所でありたいと思います。信頼関係や安心感が育ち、主権者として物の言えるおとなになってほしいと願います。経済的貧困のみならず文化的貧困も含め、出会ったおとなが子どもたちと向き合っていくことが重要だと感じています。

 いつでも行ける場所があるということは、子どもたちにとって大切なことです。そのためにもこの事業を継続させる必要があります。

伊藤 由紀子 松本事業所長として指定管理を受託し、6児童館・児童センターの仲間とともに子どもたちの自立のための支援と声にならないSOSを見守ってきました。

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19 食でつながる地域の支え合い 子どもの居場所と食料提供

特定非営利活動法人フードバンク信州 事務局長 美谷島 越子

増える食料支援ニーズ

フードバンク信州が取り組む課題は、「食品ロス」と「貧困者問題」の2つの社会問題です。

食品ロスとは、まだ食べられる食料が、流通の過程で廃棄されたり、各家庭で利用されずに処分されてしまう食料の問題です。日本の食料自給率は39%しかないにも関わらず、全国の1年間の食品ロスの量は632万トン(2013年度)と推計されています。

一方で生活にさまざまな課題を抱え困窮状態に陥っている人が、年々増加しており、相対的貧困率が16.1%(2012年)、子どもの貧困率が16.3%となり、6人に1人が貧困だといわれています。貧困問題は潜在化し、なかなか見えにくいのですが、生活上の困難な課題を抱える世帯が増加し、食料支援に対するニーズが確実に高まっています。食品ロスになりそうな食料を資源として活用し、食料を必要としている方に提供しつなげる仕組みを地域の中で創ることがフードバンクの目標です。

子どもの居場所づくりに食料提供

 

フードバンク信州に寄付していただいた食料は、県内の生活・就労支援センター(まいさぽ)や民間の困窮者支援団体などの相談者の中で緊急に食料を必要とする方にお届けしています。

フードバンク信州では、一般の生活困窮者への支援と併せて、困難な課題を抱えた世帯の子どもたちに食料を届けることも活動の大きな目的に掲げています。

2016年度は、その活動の一つとして、長野県が実施した「子どもの居場所づくりモデル事業」に連携協力して、寄付された食材を子どもの居場所に提供する活動に取り組みました。

「子どもの居場所づくりモデル事業」は、地域の人と子どもたちの「あたたかなつながり」のなかで、子ども自身に困難を乗り越えて自立するための力をつけてもらうため、学習支援、食事提供、悩み相談等の複数の機能・役割を持ち、家庭機能を補完する“一場所多役”の居場所づくりをすすめることを目的に長野県が実施したものです。

事業は長野県NPOセンターが受託し、松本市と飯田市の県内2か所で「信州こどもカフェ事業」を展開しました。松本市では並柳地区で「なみカフェ」、飯田市では松尾地区で「かふぇじゅく」を開催しました。この事業の中で、フードバンク信州は居場所の機能の「食事提供」の部分で食材の確保と供給に協力し、事業をバックアップする役割を担いました。

子どもの居場所づくりの 概念図(食料供給ネットワークの構造を示した図)長野県ホームページより

広がる応援のネットワーク

「信州こどもカフェ事業」は、夏休み中の居場所が必要な子どもに対応するため、昨年7月末から開始し、今年3月末まで、松本の「なみカフェ」は50回、飯田の「かふぇじゅく」は40回と定期的、継続的に開催されました。フードバンク信州は、それぞれの運営スタッフからの申し込みにより、対応できる範囲での食材提供に努めました。

フードバンク信州が子どもの居場所に届けた食材は、食品製造企業から寄付していただいた乾麺、パスタ、味噌、レトルト食品などと、各地で開催されたフードドライブで集まったお米、缶詰、調味料、お菓子など多岐にわたります。寄付者には、「子どもの居場所にも利用させていただきます」と説明すると、具体的な利用先が見えることで理解が深まり、次の寄付にもつながる効果が出ています。3月末までに、2か所の居場所に届けた食料は、約900㎏になりました。

フードバンク信州が扱う食料は、常温保存可能な食材に限定されているため、生鮮品の確保が課題でしたが、居場所の開催をきっかけに、地元の農家や市場などから野菜や生鮮食材を寄付する動きが生まれてきました。フードバンク信州と地元の協力者がそれぞれの役割を果たすことで、安定的に食事提供の場を応援するネットワークが生まれたことは、居場所が生み出した効果といえます。

また、食事作りには地域の住民や関係団体のみなさんがボランティアとして毎回参加・協力する体制が定着しました。子どもたちと一緒に食事をし、同じ時間を過ごすことにより、地域のおとなと子どもたちとの新しいつながりと信頼関係が生まれつつあり、地域づくりにもつながる可能性が見えてきました。

フードドライブに訪れ スタッフと交流する女性の写真

食を通した地域の支えあい…

フードバンク信州は、信州こどもカフェ事業への協力と併せて、2016年度、下伊那郡大鹿村の小学校が実施した食育活動を通した居場所づくりに協力しました。全校児童34名という大鹿小学校では、放課後児童クラブにおいて、仕事の都合で親の帰宅時間が遅い子どもに対し、食事提供を行うことで生活習慣の定着を図ること、またフードバンク信州から提供した食材を活用して通学合宿や伝統食づくりなどを行い、子どもの心を豊かにする「食育」を推進しました。この取り組みでは、正しい言葉づかいや思いやり・食べられることが当たり前でないことを感じることを学び、子どもの世界を広げる場になることが期待され、今年度もフードバンク信州と連携して続けられる予定です。

今、県内の市町村や地域、団体のイベント等で一般市民からの食料提供の場としてフードドライブの開催が盛んになり、協力者が増えています。フードドライブに食品を持ちよって寄付してくださる市民の皆さんのなかには、未来を担う子どもたちの応援に役立てて…という気持ちをもった方が増えています。

フードバンク信州は、食料の動きを通して、おとなも子どもも含めて支えあいがさりげなくできる地域の仕組みづくりにつながればと願い活動しています。

フードバンクの食材を活用して 調理実習を行う子どもたち

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

20 子供らしく安心して居られる居場所づくり 私たちが本当にやらなければならない事は何なのか

反貧困ネット長野事務局 長野医療生協 企画・教育部 金井 友弥

はじめに

 18歳未満の子どもの6人に1人が相対的貧困状態にある結果が厚生労働省より出され、全国で子どもの貧困が話題となっています。それに伴い子ども食堂など子どもたちの居場所づくりや、支援を目的とした団体や取り組みが広がっています。私たち「無料学習サポートきずな塾」もそのひとつです。

 きずな塾は毎月3回金曜日の夕方5時半より開催しています。スタッフはボランティアが主で、子どもに寄り添い、学習援助をおこなっています。最近では、地域の「子ども食堂」へ子どもたちを連れて行き、きずな塾だけでなく、子どもたちの居場所増やしや地域全体で子どもを支える取り組みをおこなっています。また年に2回、地域の「山楽会」と呼ばれる団体と協同で、夏には魚釣りやバーベキュー体験、冬には雪遊び体験など、地域の方々の協力で子どもたちにさまざまな体験を提供しています。昨年の夏には、善光寺主催の「平和の架け橋プロジェクト」の協力もあり、イスラエルやパレスチナの海外のお兄さんやお姉さんとも触れ合う事ができました。

 開塾して5年目を迎えた「きずな塾」は今現在も未就学児から高校生まで幅広い年代の子が利用しています。子どもたちがきずな塾を利用する目的はさまざまです。友人と隣り合わせで勉強するために来る中学生、きずな塾で知り合った友だちと遊んだり、勉強したりする小学生など、子どもたちの数だけきずな塾の利用の仕方があります。最近では、きずな塾で遊びたい小学生たちが多く参加しており、きずな塾という環境の中で子どもたちが自分自身の居場所を自ら作って過ごしています。

 しかし、残念ながら自分たちで居場所を作れない子や勉強以前に家庭や個々の課題があり、なかなか勉強までたどり着かない子がきずな塾にはいます。このような子たちとの関わりを振り返り、「子どもの居場所づくり」に必要な事について、広く伝え私たちの様な団体が子どもたちのために本当は何をしなければいけないのか、考える機会にできればと思います。

自分で居場所を作れない子どもたち

 私が事務局を務める以前より「きずな塾」に通っている兄弟の事例を紹介します。その子たちは離婚や疾病により親と一緒に生活ができず、祖母と一緒に生活をしています。今までの生活習慣や祖母との生活習慣の違いからも学校等へ満足に通学する事ができず、不登校状態となってしまっています。時折学校へ行っても、勉強は遅れてしまっており、学校に行っても周りの子どもたちについていくことができません。学校に友人もいますが、普段彼らと関わりがあるのは祖母と兄弟のみとなってしまい、狭い人間関係の中で生活している事が伺われます。また、生活も苦しく、何とか生活をしている状態であり、学用品や急な出費等があると、たちまち今日食べるお米にも困ってしまいます。

 きずな塾に参加しても、兄弟だけで他の子どもたちと遊ぶ事ができませんでした。常に若いサポーターに「抱っこやおんぶ、かたぐるま」を要求し、まるで今まで甘えられなかった分をまとめて補うかのようにサポーターから離れませんでした。他の子と鬼ごっこ等で遊ぶ時も同様に、サポーターから離れる事ができませんでした。

 サポーターの「抱っこやおんぶ」、無条件な受容のおかげで兄弟ときずな塾との間に信頼関係を作る事ができました。それにより、兄弟からSOSを発信してもらえるようになり、生活も支援ができる様になりつつあります。祖母からも生活や将来の事を踏まえた相談を受ける様になりました。きずな塾での学習サポートも、遊びの時間から少しずつ勉強ができる時間に変わっていき勉強も行える様になり、少しずつ日々成長している様子が見える様になりました。この兄弟を通して、サポーターの関わり方の重要性について学ばされました。

親の介助が必要で、きずな塾になかなか行けない

 もう一事例紹介します。家庭の事情で他県より母親と子二人で引越しされてきた方です。子どもは不登校・ひきこもり時期が長く、文章の「読み」はできるが「書き」が難しい子でした。その子自身の体調は問題ありませんでしたが、母親の体調がすぐれず、家での介助等はほとんど子一人でおこなっている様子でした。お金の管理や使い方も難しく、常に生活に余裕が無いという状況です。

 きずな塾に通い始めた当初は定期的に通う事ができていましたが、急に通えなくなり連絡も取れなくなる時がありました。短時間でも母親が一人で過ごす事ができず、月3回のきずな塾ですら来られない状況にある事を後で知りました。今この家族とは、きずな塾の学習サポートだけでなく、食材や生活用品等の生活支援や見守りを継続的ににおこなっています。一定程度の生活が成り立たなければ、居場所を用意しても来る事ができない子がいる事を学ばされました。

 生活が少しずつ改善していく中、子どもにアルバイトが見つかり働く事ができる様になりました。仕事を始めた事により学ぶモチベーションも上がり、継続した塾の利用ができつつあります。

居場所づくりで必要な事

 きずな塾も同様ですが、「サポートが必要な子が来られているのか?」と心配になる事があります。また「必要な子が来られなくなってしまった」と悩むケースも多々あります。二つ目の事例で紹介した様に、子どもたちの居場所を作っても居場所に行きたくても行けない子や、何かがあると途端に来られなくなってしまう子たちが地域に多くいると思われます。一人親家庭で兄弟の面倒を見なければいけない子や、親が病気で家庭の事や看病をしなければいけない子、両親がいても共働きで夜家におらず、留守番をしなければならない等。想像してみるだけでも多くの要因が考えらえると思います。またひとり親や病気、共働き、夜の留守番等、生活が困窮していくだけ、リスクが高まります。子どもたちはいつ、どの様にSOSを発信するか分かりません。居場所に来ている子たちに関わり触れ合う時、常に家族の事や家庭の事を気にかけて接し、常にSOSを受取れる様にしていく必要があると思います。

 二つ目は、子どもたち自身が居場所を作る事ができる環境整備やサポーターの関わり方です。私たち支援者ができる事は子どもたちの居場所になりうる環境を提供する事だけです。その環境が子どもたちにとっての居場所になりうるかは、子どもたちと関わるサポーターの態度や、居心地がいいと思える環境整備が必要になります。文頭にて子どもたちは自分たちで居場所を作れると記載しました。しかし一つ目の事例の様に、自分たちで居場所を作れない子がいる事がわかりました。居心地がいいと思える場所は子どもの数ありますが、サポーターは子どもたちの全てを受け入れる態度で接する必要があると思います。また、安心できる居場所を作るには、同じサポーターがサポートし、子どもとの信頼関係を作っていく事も必要だと思います。

最後に

 子どもの貧困率の上昇により、子どもの貧困がメディアを賑わせています。子どもは収入が無い場合がほとんどです。子どもの貧困は「子どもを扶養している親の貧困」と言い換えられると思います。子どもの貧困率だけでなく、貧困率全体が上昇している現在、国民生活全体が困窮しています。

 現在長野県の最低賃金は770円であり、フルパートで働いても12万程度にしかならず、子どもがいれば生活は成り立ちません。また非正規雇用も増え、今就労している人の4割が非正規雇用で働いており、収入格差が広がっています。

 子どもの貧困の裏側にはこの様な悲惨な実態が隠れています。子どもの貧困が話題となり、格差が浮き彫りになっている今、世帯全体の生活が底上げできる様に、日本は議論をしていかなければいけない時期に来ていると思います。

 私たちきずな塾や、子どもたちを支援している団体は、国や県、地方自治体の補完的な団体であってはならないと思います。目の前の子どもの大変さを受けとめる事はもちろん必要です。ですが、子どもたちの今後や全ての子どもたちを困窮から救うと考えた時、私たちは何ができるでしょうか。私たちきずな塾は、目の前にある現状を行政や国民に発信し、議論を喚起していきたいと思います。

無料学習サポートきずな塾

長野医療生協内  問合わせ TEL:070-6988-2771

特集 4 子どもの貧困 長野県の実情と運動の広がり

長野県の子どもの貧困の現在 あとがき

長野の子ども白書編集委員 和田  浩

長野の子ども白書では、創刊以来貧困問題を取り上げ、2015年からは毎年特集テーマとしてきました。今回も多くのレポートが寄せられました。それだけ関心も高まっているし、また事態が深刻になっているのでしょう。ここでは、寄せられたレポートから何が見えてくるのか、長野県の子どもの貧困の現状、取り組みの課題を考えてみたいと思います。

<「居場所」のあり方>

青木正照さんが紹介しているようにこの1年で子ども食堂が大きく広がりました。学習支援や子ども用品の支援なども広がっています。子ども食堂は全国でも急速に広がっていますが、さまざまな課題も指摘されています(三宅正太「『子ども食堂』は『おとな食堂』になっていないか」https://children.publishers.fm/article/12350/、湯浅誠「『こども食堂』の混乱、誤解、戸惑いを整理し、今後の展望を開く」https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20161016-00063123/など)

県内の取り組みの中でも、単に食事を提供したり勉強を教えたりするだけではなく、そこが子どもの「居場所」となる必要があるということが指摘されています。児童クラブ・中間教室・保健室なども「居場所」となるべき場所でしょう。

「居場所」とは何か、どんな機能を持つべきなのかということを、多くの方が考察しています。内田宏明さんは「子ども食堂は、入り口となる取り組み」としています。鈴木忠義さんは、「居場所の性格」を「安心」「自分らしさ」「個別性」など7点に整理しています。こうした提起にも学んで、よりよいあり方を探り、またレポートを寄せていただければと思います。

こうした場で、子どもはネガティブな姿を出してくることがあります。金井友弥さんの紹介する「サポーターに常に抱っこ・おんぶ・かたぐるまを求める」兄弟、久保田延幸さんの紹介する「頑固者で、友達に強がってみせ横柄な態度を取る」R君、妙心寺京子さんの紹介する「いつも遅刻する、あいさつしても無反応」なAさんなど。そうした姿を「困難を抱えていることの現れ」ととらえてサポートしていくことが必要です。

なお、昨年出版された秋山千佳さんの「ルポ保健室」(朝日新書)には、ネガティブな姿を示す子どもが、実は大きな困難を抱えている事例が紹介されています。なぜ彼らはそうした姿を示すのか、私たちはどう接したらいいのかを考える上で非常に参考になります。この白書にもたびたび執筆されている白澤章子さんの「川中島の保健室」も紹介されています。

<ひとり親家庭の抱える困難>

ひとり親家庭に関するレポートも数多く寄せられました。

長野県は2015年に「ひとり親家庭実態調査」を行いました。この調査は非常に貴重で、もっと広く共有されるべきだと思います。その概要は県のホームページでみることができます。

https://www.pref.nagano.lg.jp/kodomo-katei/kensei/soshiki/soshiki/kencho/kodomo/documents/11_hitorioya.pdf

その中の子どもの声について、児玉典子さんと金井友弥さんが分析しています。中でも、将来の悩みについて、小中学生では「希望の進学ができるか」が多いのに対し、高校生では「進学におけるお金の悩み」が大多数になる、つまり進学が具体的になると、お金の問題が大きく立ちはだかっているという現実が浮き彫りになっています。

ひとり親家庭の問題と貧困問題とはイコールではありません。ひとり親家庭の貧困率が半数を超えるという日本の特殊な状況が背景にあるのですが、ひとり親家庭の問題を分析することは、貧困問題を考える一つの糸口になります。「子どもの声アンケート」については今後さらに検討を深めていただきたいと思います。

<子どもの医療費窓口無料化 「500円くらい払えないことはない」のか? >

子どもの医療費については、湯浅健夫さんが報告しているように大きな動きがありました。国が就学前までの現物給付についてペナルティ廃止としたのに対し、県は中学生までを現物給付とする方針を打ち出しました。小中学生に関してはペナルティを払って現物給付に転換するわけで、すばらしいことだと思います(他の多くの県では以前からそうしていたので、遅い対応ではありますが)。

しかし、現在1件500円徴収している自己負担金に関しては引き続き徴収する方針です。「500円くらい払えないことはないだろう」と考える人が多いかもしれませんが、500円がないために受診を控えることは十分予想できます。日本外来小児科学会での「子どもの貧困を考えるワークショップ」で、大阪府堺市(窓口で1件500円を徴収)の小児科開業医が、喘息発作に嘔吐を伴った状態が続くのに500円がないために受診せず重くなった事例を報告しています。

また1件500円の負担は決して少なくはありません。表は、Fさんというお母さんが子ども5人にかかった医療費を3年間記録したものです。これを見ると「償還率」つまり実際に支払った額に対して戻ってきた額の割合は、38.2から47.5%。半分以下しか返ってこないのです。子育て世代にとってこれは大きな負担です。

500円の徴収は、最貧困層にとっては医療にかかれなくなるハードルであり、多くの子育て世代にとっても少なくない家計への負担になります。完全窓口無料を求めたいと思います。

Fさん:子ども5人(3才から中学1年)の医療費

 年次 受診件数(回) 窓口支払い(円) 自己負担(円) 1件あたり 窓口支払い平均(円) 1人あたり 年間自己負担額 償還率(%)
 2012年 54 51390 27000 951.7 5400 47.5
 2013年 71 57420 35500 808.7 7100 38.2
 2014年

59

56500 29500 957.6 5900 47.8

<データとリアルな姿を示すこと>

貧困問題を考える上では、一般論やイメージで語るのではなく、実際にどんな実態があるかを把握する必要があります。今回は3つの調査報告レポートが寄せられました。データを出すと、さまざまな状況が明らかになります。例えば小林正弥さんのレポートでは、経済的な理由で医療にかからなかったことがあるのが17.2%ですが、これは私が思っていたより多く驚きました。また子どもにかかるお金で負担に感じるものとして、保育料と医療費・薬代が約46%でほぼ並んで1位2位となっています。医療費窓口無料の県では、こうではないはずです。

また、数字だけではなく貧困によってどんなことが起きてくるか、それを当事者がどう感じているか、リアルな姿や生の声を提示することも大事です。牧田広利さんの指摘するように「本当に困っている人はなかなか声をあげることができません」が、アンケートの自由記載や多くのレポートが報告している事例でその一端がつかめます。児玉典子さんが紹介している中に「アレルギーを持っているので定期的に病院に通いたいが病院代がなくて困っている」という子どもの声があります。これを読んで胸を痛めない人はいないでしょう。県が子どもの医療費窓口負担に関して今までより前進した施策を打ち出した背景には、こうした子どもの生の声に接したこともあるのではないかと、私は想像しています。

今後も、さまざまな調査や事例報告をし、実態を明らかにし共有していく必要があります。

和田 浩 飯田市健和会病院小児科医、日本外来小児科学会「子どもの貧困問題検討会」代表世話人、「貧困と子どもの健康シンポジウム」実行委員長

1 子どもと地域

もくじ

これ以降は「子どもと地域」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 自治体の子ども・若者政策を推進させるために 必要なこと 武田 るい子

事例 2 「協働」の輪が広がり、「まつり」の成功へ 子どもたちの成長を願い、子育て家族に寄せる熱い思い 太田 秋夫

事例 3 地域でつくる支えあいの子育て  松本大学生の子育て支援の実践から  向井 健

事例 4 子どもを中心とした地域の居場所づくり わたしOK あなたOK 違いを認め合える安心・安全の地域に 岡宮 真理

事例 5 女神の郷に起きたこと 宮尾 彰

事例 6 子どもの力を信じて待つこと  「はぐルッポ」の子どもたち  西森 尚己

事例 7 ひきこもりについて  保護者として、家族会の代表として見たひきこもり  山田 きよし

事例 8 『まちかど保健室』の新たな取り組み  県民運動とリンクして  白澤 章子

「子どもと地域」 あとがき 白澤 章子

「子どもと地域」のリンクは以上になります。

二人の子どもとお年寄りが お手玉で遊んでいる様子のイラスト

1 子どもと地域

事例 1 自治体の子ども・若者政策を推進させるためのに必要なこと

清泉女学院短期大学教授 武田 るい子

子ども・若者政策の射程

2000年代に入って発見された新しい政策分野に「無業の若者問題」があります。若者の無業問題はその原因を深掘りしていくと、子ども時代の不遇な家庭環境や貧困等に行き当たることが多いにもかかわらず、社会的な養護が行き届かないグレーゾーンに位置付けられているのが現状です。子ども・若者に関わる教育・福祉・保健医療の各専門機関はそれぞれの法的根拠に基づいて設置され、対象者を限定することで専門性を確立しています。しかし、若者無業者たちはそのいずれにも明確に位置づけを得られないか、成長段階ごとに専門機関の相談、支援を通過して、困難が解決されないまま浮遊している状態におかれた人たちということができます。

大学にも多くの発達障害らしき傾向をもつ若者が在籍するようになりました。義務校、高校を経て何か少し気になる行動・性格傾向を持つ子どもだったのかもしれない若者たちが、就労を目の前にしてあたかも初めて困難を発見したかのように、私たちはその扱いに戸惑うのです。最終的に「就職も進学もしていない者」にカウントされて卒業をしていく若者たちは、文科省の学校基本調査平成28年度概要によれば大学卒時点で約4万9千人(大学卒業者全体の8.7%)です。これらの人たちがなんらかの就労困難な事情を抱えているかどうかはわかりません。学校としては相談されなければ何もできないということになります。わからないままにされてしまうことの背景に、どのような要因があるのかを考えると「子ども・若者育成支援推進法」(2010年施行)の限界や課題が見えてきます。法的根拠が行政施策を限界づけることにも独自施策の展開に向かわせることにもなるということを、自治体の取り組みに着目して考えてみたいと思います。

包括的子ども・若者政策の課題

少し大きな話しになりますが振り返っておきましょう。日本が若者の無業問題に対する総合的な政策を打ち出したのは2003年6月、文部科学大臣・厚生労働大臣・経済産業大臣・経済財政政策担当大臣を構成メンバーとする若者自立・挑戦戦略会議において、「若者・自立挑戦プラン」が策定されたことに始まります。期限を区切って3省が集中的に会議を重ね具体策が検討され、同年にはワンストップ型就業総合相談窓口を開設(ジョブカフェ)、2005年若者自立塾(2010年に廃止)、2006年に地域若者サポートセンターが順次開設されました。その後3省に加え、内閣府青少年部局が困難を有する子ども・若者の課題を検討する作業を開始し、「若者の包括的な自立支援方策検討会」の協議をへて2009年に「子ども・若者育成支援推進法」(以下、子若法と略す) が制定されました。この法律は簡単にいうと、困難を有する子ども・若者への支援を行うための行政横断的で総合的な支援システムを地方自治体が策定する責務を定めたものです。長野県も「長野県次世代サポートプラン」(2005)を策定、地域支援ネットワークを構築しました。システム図は脚注に示したサイトをご覧ください。

先の3省による自立・挑戦プランで「若者サポステ」が整備されましたが、「子若法」の下では中核を担う指定支援機関となって、地域の関連機関の調整会議「子ども・若者支援地域協議会」の運営を受託しているケースが多いです。しかし、自立挑戦プランの枠組みで拠点整備された「若者サポステ」の法的根拠は未だなく、単年度事業が継続しています。今回は法的根拠をもつ会議体の運営主体となったことで経営安定効果が若干あるのかもしれません。ただし、「地域協議会」も単年度事業の継続に変わりはありません。若者無業問題が政治課題化されたものの、障害者や高齢者とは違って対象者を定義しづらいがゆえに財政保障は極めて脆弱なままであることを確認しておきます。また、若者総合相談センター(子若法で設置は努力義務)がないために、困りごとを抱える子ども・若者の相談機関が発達相談から触法にまで広がったままであることは、支援を早期に開始することを困難にさせる要因となっています。

自治体の取り組みとその課題

上段では法制度の問題点を指摘しましたが、ここでは具体的に支援が展開する自治体レベルの課題を考えてみたいと思います。3月上旬に開催された「全国若者・ひきこもり協同実践交流会in 東京」で事例発表されていたケースを引用させていただきます。横浜市の事例をかいつまんで紹介させていただきます。

横浜市は、制度に求められる入口(総合相談機関)から出口(就労支援機関)をトータルに持っています。特徴的なのはH18年に福祉局、市民局、教育委員会の子ども青少年関係事業を包括する「こども青少年局」が創られ、その後「青少年部」に改組し、その下に青少年相談センター、青少年育成課、放課後児童育成課が置かれたことです。青少年相談センターは50年も前に条例で設置された独自の組織で現在まで存続しており、子若法の若者総合相談センターの機能を代行するものとなっています。加えて独自事業で「地域ユースプラザ」が市内4か所に設置されていて、「青少年相談センターの支所的機能を有し、青少年期問題の一次的な総合相談や、自立に向けた青少年の居場所を運営するほか、地域で青少年の支援活動をおこなっているNPO法人等の団体や区との連携を図り、地域に密着した活動」をおこなっています。出口機関は市内2か所に設置したサポステのほか、独自事業の「よこはま型若者自立塾」(H20設置)があります。後者は長期のひきこもりから生活リズムの立て直しと他人とのかかわり方を学び直すための合宿型訓練施設です。これら入口と出口が、「家庭訪問→来所面談→集団活動→地域の居場所、社会参加体験→就労支援→定着フォロー」へと切れ目なく相互にリファーし合って自立をサポートするしくみができているとのことでした。加えて、横浜市には出口支援を担える力量のあるNPO・市民団体があることで、行政の施策を実践的に支える補完関係が機能しているのです。

力量のあるNPOが施設の管理・運営を指定管理で複数受託して経営基盤を確保しながら、NPO独自の事業として社会的企業(飲食店)経営を行い、若者たちの就労場所を自前で用意していることはメディアでも取り上げられています。自治体の規模が比較的大きい横浜市だからできることだと考えるのは間違いです。横浜市の事例から学びたいことは、行政と市民団体との協働関係は若者無業問題が政治課題化されて以降、相互に実践現場を介して創り上げられてきた信頼に基づくパートナーシップの成果だという点です。「全国若者・ひきこもり協同実践交流会in 東京」という事例発表の場に行政とNPOが共に参加し、交代で制度、政策と支援の実際を発表していることから、委託者・受託者の上下関係は強固ではなく、対等に意見交換をしながら若者の自立という共通の目的にまい進する同志という関係性を感じ取ることができました。もちろん実際のところはわからないのだから過大評価かもしれないことを付け加えておきますが。しかし、先進事例と思われる自治体では概して、行政とNPO・市民側が相互になくてはならない相手として尊重し合う言動があり、実践の成果つまり若者がその人なりに人生を生き始めるまでに成長する過程を共に見守り、支えた者として相互信頼が高まっていくことがあるのだと思われるのです。

最後に、考えたいことは行政と市民団体はどうしたら真のパートナーになれるのだろうかということに尽きます。法に基づき必要な措置や補助制度は整える行政、地域支援ネットワークも構築し、実践情報の共有もかなり進んでいる現在、これ以上制度が不足していると指摘することはできないのではないでしょうか。むしろ硬直的な関係(委託・受託)を緩めていくことがより重要なことなのです。それは、若者が一人でも多く自分の人生を生き直していくという成果をNPOスタッフだけでなく、行政側も制度の運用を柔軟にすることで支えたからできたのだと実感させるような、実践現場の開放にあるのではないかと思っています。平たく言うと、実践現場に行政職員も頻繁に足を運び、共に成長を見守れるそんな関係なのではないでしょうか。実践が開かれていくこと、実践を開いていくことならば、自分たちから始められると思えます。

自治体の子ども・若者政策を 推進させるために必要なこと

清泉女学院短期大学教授 武田 るい子

内閣府 子ども・若者育成支援 推進法概念図

http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/s_gaiyo.pdf(参照)

1 子どもと地域

事例 2 「協働」の輪が広がり、「まつり」の成功へ 子どもたちの成長を願い、子育て家族に寄せる熱い思い

ウエルカム三才児プロジェクト事務局長 太田 秋夫

6,200人の家族連れ等で終日にぎわう

「第3回ウエルカム三才児まつり in スポーツパーク」は平成28年10月10日(体育の日)に長野市の北部スポーツ・レクリエーションパークで実施し、前年を上回る6,200人の家族連れ等で終日にぎわいました。遊びのコーナーや出展ブースを大幅に増やしたこともあり、一日めいっぱい楽しんだみなさんが多かったようです。

イベント名に冠している「三才児」のご家族は600組を超す受付があり、幼児から小学生低学年までを対象とした「まつり」として定着しつつあります。長野市の加藤久雄市長も来賓として参加し、オープニングセレモニーでごあいさつをいただきました。記念演奏は地元の長野市立東北中学校吹奏楽部のみなさん32名でした。

400名のボランティアが「まつり」を支える

この「まつり」は、ウエルカム三才児プロジェクトの呼びかけに応えた自主的な市民ボランティアが企画運営しました。「協働」の力を発揮して開催したイベントであり、前年を上回る協力者の輪の広がりがありました。

今回の特色は東北中学校の美術部、器楽部、有志46名の参加があったことです。メインステージの背景を飾る手形アートの作成(来場した子どもたちに手形を押してもらい大きな樹の絵を描いた)を担当し、そのあとは各コーナーに入っておとなのボランティアとともに来場者のおもてなし活動をしました。「ふだんは小さな子と接することがないのでいい経験ができた」「自分を変えようと思って声をかけるようにしたら、笑顔でお礼を言われた」など率直な感想が聞かれ、来年も参加したいとの声もありました。

駐車場と交通誘導は、地元の古里住民自治協議会安心安全部会のメンバー三十数名が担当。情報伝達ではアマチュア無線クラブ「ネット古里」が活躍しました。臨時駐車場は会場から2キロメートルほどの北部工業団地社員駐車場をお借りでき350台分を確保。会場までのシャトルバス(大型・中型・マイクロの3台)を地元観光バス会社の協力で走らせることができました。

子どもを対象とした「まつり」であり、安全管理の面で気を抜けません。古里地区の民生児童委員10余名が会場内を巡回し、安全確保や迷子対策にあたりました。救護関係は赤十字奉仕団員が配置につき、万一に備えてAEDを本部に用意(消防局より借用)、赤十字救急法指導員が待機しました。

定番のミニ新幹線、ふわふわ、射的、輪投げ、手作りコーナーのほか、ダンボール迷路、ゴム鉄砲、アイスホッケー、ミニゴルフなど新たなコーナーを増やし、ご家庭に豊かさを提供する趣旨で企業やグループの出展ブースも設けました。17社・グループの参加があり、「まつり」の内容にふくらみが出ました。飲食の出店も前年の倍以上の24店になり、「まつり」の楽しみを高めました。

「まつり」はすべて無償のボランティアが支えており、メインステージの出演者も含め約400名の市民によって運営されました。各部署のリーダーを中心にした事前の打ち合わせを重ねて準備を進めましたが、実は当日になってかけつけてくれた、事前に把握していなかったボランティアもいたのです。

こうした取り組みが、市民の「協働」の力によって企画運営される「まつり」と言われる所以であり、この「まつり」の最大の特徴となっています。

企業・商店、各種地域組織もバックアップ

「まつり」成功のもう一つの側面は財源対策です。

有料チケットによるプレイコーナーが一部ありますが、「まつり」会場への入場は無料で、大半は自由に遊べます。会場の設営や運営で多額の資金を必要としており、その確保が「まつり」の内容面でも継続の可否の面でも重大なカギを握っています。

主催するウエルカム三才児プロジェクトは、子どもたちに楽しさと夢をプレゼントしたいという「まつり」の趣旨を明らかにしながら、地元の企業や商店に協賛および支援広告を訴えました。今回は15社の協賛と61社の支援広告をいただくことができました。いずれも前回より増えており、「まつり」が地域に根づきつつあることの現われと思っています。この協賛、支援広告も地域の「協働」のカタチです。

長野市、長野市教育委員会をはじめ、保育園・幼稚園関係の団体、学校など教育関係、新聞や放送などマスコミ関係、経済団体など33の団体・組織の後援もいただいていますが、これも地域あげての「まつり」という位置づけからです。

広報・宣伝でもさまざまな支援

広報・宣伝のベースは3万枚のチラシです。新聞広告等の一般的な宣伝をする経費は持ち合わせていません。チラシを作成し、これを市内の幼稚園・保育園、会場周辺の小学校に子どもたちを通じて配布してもらっています。これらなくして「まつり」開催を告知することはできません。この支援も、「協働」の輪ととらえています。

いくつかの新聞が予告記事を掲載してくれました。今回はラジオやFM放送で出演依頼があり、宣伝させてもらえました。「まつり」前日はテレビ生放送の取材があり、アピールする機会が得られました。地元古里、若槻、豊野地区の住民自治協議会には、チラシの全戸回覧に協力してもらっています。

こうした面でも「まつり」成功に向けた支援が得られました。

「まつり」発展の根底にあるものは

イベントに関しては素人である市民が知恵と力を振り絞って開催しています。ようやく運営のノウハウが少しずつ蓄積されてきたところです。

にもかかわらず、短期間に大きな「まつり」に成長したのはなぜか。その根底にあるのは子どもたちの健やかな成長を願い、子育て家族を応援したいという熱い思いが市民の中にあるからではないかと考えています。テレビでも新聞でも、暗いニュースが多い昨今です。でも人々が求めているのは、力を合わせ明るい気持ちで過ごせる社会を生み出していくことではないでしょうか。

そして、「協働」の力で人の役に立つことをする「楽しさ」を、「まつり」に関わった人たちは感じとっています。「自分たちが楽しんだよね」が多くのボランティアの感想です。過去2回の開催が地域の認知につながり、3回目の発展へと結ばれていきました。子どもたちへの「思い」の広がりです。

第3回ウエルカム三才児まつりの 様子の写真

「三才」の地を子どもたちの聖地に

ウエルカム三才児プロジェクトは、土日曜日・祝日にしなの鉄道三才駅で来訪者の記念写真撮影をサポートする活動をしています。我が子が3歳になったことを喜び、全国各地から記念写真を撮りにおいでになります。それは子どもへの「愛情」の表現にほかなりません。

5月の連休に「おもてなしフェア」を開催し、中日の4日に「三才こども駅長」というイベントを開催しました。駅長5名を募集したところ、全国から200通を超す申し込みがありました。親御さんの子どもに寄せる期待と愛情は、言葉に表現できないほどのものがあります。

地元の子どもたちにも三才の地に来てほしいと始めた「ウエルカム三才児まつり」です。パークの芝生広場には大型遊具施設があり、休日になると家族連れがたくさん遊びに来ます。私たちの「まつり」もそのきっかけづくりになっているようです。

「協働」の輪がさらに広がり、「まつり」を契機に多くのご家族が三才の地に足を運び、この地が「日本の子どもたちの聖地」になる日がやってくることを夢見て、これからも活動を続けてまいります。

「協働」の輪が広がり、「まつり」の成功へ

子どもたちの成長を願い、子育て家族に寄せる熱い思い

ウエルカム三才児プロジェクト事務局長 太田 秋夫

太田 秋夫 プロジェクト発足時より事務局長。健康生きがいづくりアドバイザー、パフォーマンスコーチとしても活動している。長野市三才在住。

1 子どもと地域

事例 3 地域で作る支えあいの子育て まつもと大学生の子育て支援の実践から

松本大学 向井 健

1. 現代の子育てを巡る課題

ここ近年、子育てを取り巻く環境は大きく変化してきました。家族のあり方が多様化・個別化していく中で、ますます個々の子育て家庭にかかる負担は強まってきています。さらには、日本では、長年にわたって「女性にとって母性は本能、子育ては主として母親の責任」等とするような「母性神話」が喧伝されてきました。それによって、子育ては個人的な事柄とされ、母親たちが抱える歴史的・社会的な困難に対する共感・理解が不十分な状況に留め置かれ続けてきたのではないかと考えます。そのような言説によって子育ての責任を母親一人だけに負わされてしまうならば、「孤立の中の子育て」へと陥ってしまうことになるでしょう。そのような子育てを巡る問題状況があるとするならば、私たちはいかにそうした状況を変えていくことができるのでしょうか。

かつて、小出まみは、カナダにおける子育て支援研究を通して「地域での支えあいの子育て」に可能性を見出していました。前述のように子育ての責任が母親に対して一身にかかってしまいがちな日本と比べて、カナダでは悩みや不安を分かち合い、支えあうことができる関係性が地域の中に意識的に作られてきたといいます。そのような小出まみが提唱した「支えあいの子育て」を、私たちの身近な地域においても具現化していくことが問われているのではないでしょうか。そこで、本稿では、松本大学の学生たちが地域の子育て親の抱える孤立の問題に気がつき、そうした状況を組み替えるための「支えあいの子育て」に向けて取り組んできた子育て支援実践について紹介したいと思います。

2. 上土町での地域づくりの歩みを基盤に

松本大学が長年に渡って地域との連携により活動してきた場所に、松本市の上土町があります。上土町は、松本城の東側に位置し、かつては映画館が集積した場所として賑わってきたところとして知られています。しかしながら、映画館の閉店や大型店の進出などによって、次第にまちに活気がなくなってきていました。

そうしたまちの状況に問題意識を持ったことにより、約10年前から松本大学と地域との連携による地域づくりの取り組みが始まりました。地域と大学との連携による活動を続けていく中で、徐々にですが、学生たちの働きかけによって、まちも元気になってきました。2015年からは上土町にある下町会館という建物の内部にコミュニティカフェ「カフェあげつち」がオープンしました。この「カフェあげつち」は、上土町における地域づくりの拠点として位置づけており、多彩な地域づくりの実践を展開しているところです。

2016年度における松本大学の専門研究におけるゼミ活動においても、この「カフェあげつち」を拠点として子育て親の孤立の問題の解決に向けて地域での支えあいを作り出す子育て支援のプログラムを企画しました。取り組むにあたっては、地域の中の子育て中の親子からニーズを聴き取りながら、どのような場を地域の中に持つことができるのかを考え企画したものです。

3. 松大生による子育て支援の試み①


「ホッとコーヒー飲みませんか?」

第1の子育て支援の企画としては、「ホッとコーヒー飲みませんか?」です。これは、毎月1回程度、学齢期前の子育て中の親子を対象とする企画になります。松本大学生が子どもたちと一緒に遊んでいる間に、子育て中の親御さんたちにコーヒーを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごしてもらおうというものです。この企画に参加した母親を対象としたアンケートの結果(2016年10月28日、12月21日実施)をみてみると、「気分転換ができて、子どもにゆったりと関わることができた」「一人で子育てをしているよりも気持ちが楽になった」「また子育てを頑張ろうと思うことができた」などの声が寄せられていました。

たしかに、子育て中の親御さんたちが子どもたちと常に密着をして向かい合っているような状況では、日々の子育ての中でストレスがたまっていくのも無理はないことです。地域で子どもたちの育ちを支えていく仕組みをつくることは、母子密着をした子育ての息苦しさからの解放につながります。子育てをしている親御さんたちが子どもたちから離れて、自分のために使うことのできる時間を持てることで、また新たに新鮮な気分になって子育てをすることができるのではないでしょうか。この子育て支援の取り組みも、そのようなきっかけをつくることにつながってくれればと考えています。

なお、今後においては、これまでの企画を通してできた地域や子育て中の親子の方たちとの関係性を大事にしながら、何らかの形で子育て親が個々の家庭の中のみならず、「社会との接点」をもつことができるような試みもしていきたいと考えています。

4. 松大生による子育て支援の試み②


  「寺子屋×課外学習in上土」

第2の子育て支援における企画は、「寺子屋×課外学習in上土」です。こちらの企画は、夏休みの期間中、地元の小学生を対象として、実施してきたプログラムです。はじめの1時間は夏休みの学習支援として、大学生と一緒に勉強に取り組んだ後、子どもたちにさまざまな体験活動をしてもらう「課外活動」を企画しました。この「課外学習」では、普段、「カフェあげつち」の常連として来て下さっている高齢者の方たちに講師の依頼をしました。そうしたところ、昔遊び、フラワーアレンジメント、竹の小物づくり、花や野菜の皮を活用した染物体験、手作りおやつ作りなど、地域の方たちが多彩な特技を披露してくださり、それらを生かした「課外活動」のプログラムとしていきました。

この「寺子屋×課外学習」では、世代を超えた人たちが交流しあうプログラムの形にしたことによって、子どもたちにとっても、地域の高齢者にとっても、意味のある居場所が地域の中につくれたのではないかと思っています。子どもたちにとってみれば、地域の高齢者の人たちの知恵を知る機会となりますし、普段の生活ではなかなか味わえない体験を楽しんでいるようでした。地域の高齢者にとってみても、未来を担う地域の子どもたちのために役に立つことができた実感は大きな充実感につながっているようでした。また「子どもの育ち」を共通の目的に据えることで、多様な主体の参加に基づきながら、地域の中に顔の見える関係をつくっていくことができたのではないかと考えています。

高齢者の方から フラワーアレンジメントを教わる 子どもたちの様子の写真

5. 支えあいの子育てを地域の中に

現代社会において人びとの間に孤立が広がる中で、人びとの間に分断が広がっているように思われます。そのような孤立と分断の色が深まっている時代だからこそ、他者との間で不安を分かち合えるような支えあいの場を、地域の中につくっていくことが重要です。そして、さまざまな価値観をもった他者との出会いがあり、一人ひとりの問題をみんな(地域)の問題として共有し、緩やかにつながりあえる関係性の中でこそ、孤立しがちな子育ての状況を変えていくことができるのではないでしょうか。

また、こうした松本大学の学生たちによる子育て支援の取り組みは、学生たちにとっても地域課題の解決を担う主体者として成長していくことができる大事な契機となります。具体的な他者との出会いの中で、自らができることは何かを問い直し、地域の中に支えあいの関係性を編み直す当事者意識を持った主体へと成長していってくれたらと思っています。

・小出まみ『地域から生まれる支えあいの子育て』

 ひとなる書房、1999年。

地域でつくる支えあいの子育て

松本大学生の子育て支援の実践から

      松本大学 向井 健

向井 健 1982年生まれ。北海道大学大学院博士後期課程を経て、2015年4月より現職。専門は、社会教育学・地域福祉論。

1 子どもと地域

事例 4 子どもを中心とした地域の居場所づくり わたしOK あなたOK 違いを認め合える安心・安全の地域に

さんぼんやなぎプロジェクト 岡宮 真理

はじめに

数年ほど前から、私にはある想いがあって「主婦の活動の場所」を創りたく、子どもが就学したころを目指して事業の計画を進めておりました。

しかし地域や幼稚園・小中学校の役員活動を通して、私にとって「見ようとしてこなかったものを見なければならない出来事」が数多く起こり、私が創り出すものは主婦のための場所ではなく、子どもを中心としたあらゆる人のための居場所なのだと気づかされました。「さんぼんやなぎプロジェクト」という団体を作り、周りの理解と協力を得ながら活動が始まりました。

 

一人の子どもとの出会い

これまでも、こちらが違和感を持ってしまうような子どもたちと出会ったことは幾度もあります。何か困っているような、悩んでいるような。でもそれぞれの家庭のことまでは干渉すべきではないと考えておりましたし、子どもに根掘り葉掘り家庭のことを聞くのは、その子の保護者に失礼になるのではと感じておりました。

そして私の心のどこかでは「面倒に巻き込まれたくない」という思いがあったのも正直なところです。これまでは一歩下がって見ていられる環境でしたので、あえて立ち入ることはせずに過ごしてきました。

その思いを正反対に変える、放っておいてはいけないと感じる子どもが、ある時突然私の目の前に現れました。

その子は10分でも20分でもいいから、遊べる時は我が家にやってきます。我が家が留守の時は他のお宅に行っているようで、そこもだめなら外で一人で遊んでいる姿も度々見かけました。

我が子とのやりとりを見ていて心配になることも多くあり、子育ては自分の子どもが健やかに育てばよいだけではなく、周りの子も一緒に育てる意識が大切だと今更ながら思ったのです。

今までのように一歩下がっていられない。その子は私との関係性を求めに来ているようでもありました。慎重に慎重に。その子にとって我が家は安心な場所であるようにゆっくりと関係を築いていきました。

誰にでも必要な「自己効力感」

ニュースを見たり新聞を読んでも、印象に残るのは「そこに行きつくまでに誰か助けることはできなかったのか。誰かに助けを求めることはできなかったのか」と思うような事件ばかりです。

貧困はさらなる貧困を招き、何をやっても報われない、思うような暮らしにはならない。そんな思いを抱えて自らの死を選ぶ。さらには周りを巻き込み罪を犯す。貧困は経済的なものばかりでなく、目に見えない精神的な貧困でもあるように感じます。このような事件を知るたびに、どうにかならないのだろうか、いや私がどうにかできることでもない。そんなもやもやした気持ちもありました。

そんな折、私は4か月間に渡りコミュニケーションのあり方とやり方を学ぶ機会がありました。

「伝わるように伝えることの大切さ」や「積極的傾聴の大切さ」を知ることで、これらのことが相手に「自己効力感」を与えられることに気づいたのです。

自己効力感とは、自分ならできるという感情のことで、自己肯定感から、物事に対するその人の取り組み方の姿勢が決まります。「成功体験、代理体験、言語的説得、不安や恐怖を減らす」この4つのポイントが自己効力感を高める要因となるとされています。私自身の経験からも、これは確信が持てることでした。

「あなたOK」と言ってもらえることがどれだけ安心に感じ「わたしOK」と思えることになるのか。それが次の行動につながるのだとしたら、精神的な貧困の連鎖はどこかで断ち切れるのではないか、子どもにとっての無料学習支援は、そのチャンスが持てる最大の場だと考えます。

放課後プランに該当しない児童の行方

長野市では「放課後子ども総合プラン」として就労する保護者の仕事と育児の両立を支援しています。しかし登録できる児童の条件は限られ、望むすべての世帯が利用できていないのが実情です。児童センターや子どもプラザにも行けず、家庭にも居場所がない子、または一人で留守番している子がどんなに多いのか。

今までこの問題を誰かに投げかけても、どうにかなるものではありませんでした。自主的に利用しない陰に「利用できない」という課題はなかなか見えてこないのです。

地域のコミュニケーションが薄れ、どこにどんな子がいるのか把握できない。不審者と思われるかもしれないから声をかけにくい。何か危険を感じる行為があっても、自分が危険に巻き込まれそうで声がかけられない。地域の懇談会ではこんな声が聞こえてきました。

放課後や長期休みの子どもたちを地域のおとなが見守る難しさは、地域のコミュニケーション不足にあります。

こうして居場所のない子どもの行方は解決されにくいのが現状です。

活動を始めていく中で見えてきたもの

「貧困」という言葉は一言ではすまない、複雑に絡み合った問題がたくさん隠れていることは白書の読者には言うまでもなく、どうやっても簡単には解決できないことであります。

私も居場所づくりの活動の一つとして子ども食堂を立ち上げたわけですが、食事の提供は対処療法でしかなく、そこには歯がゆさも感じます。しかし目の前の子がお腹を空かせているのも現実なのです。それはやはり放っておけません。根本的な解決を求めるためには、一番直面している不安を先ず取り除くことなのだと考えます。

また、私はみんなが満足する居場所は作れないと感じています。昨日までは居心地の良かった場所が今日は駄目だったり、人によって感じ方が違えば良い場でも悪い場にもなってしまいます。

地域にたくさんの居場所があって、その時々で自分に合った居場所が見つかるのが理想だと思います。

地域を横につなげる役目

地域にたくさんの居場所をと記しましたが、これらは連携していくのが良いと思われます。個人情報保護法で制限はありますが、個々に活動を頑張っていても支援を必要とする方がずっとそこにいるとも限りません。気になるような家庭は、引越しを繰り返す傾向があるからです。

私が住む川中島地区にはたくさんのスペシャリストがいて、たくさんの福祉に関わる方がいて施設があります。三本柳小学校通学区は更北地区も含まれますので、合わせると倍になるわけです。

ありがたいことに多くの方にご賛同いただき、このプロジェクトは成り立っております。居場所が「困りごとの発見の場」になり得るのであれば、さんぼんやなぎプロジェクトは、必要な支援や組織、相談に応じてくれる専門家をつなぐことが役目なのだと思っております。

おわりに

地域のために何ができるか考えて、信州こども食堂に相談の電話をしてから、食堂の開店まで短期間で物事が進んでいきました。これは私の力ではなく周りの協力者のおかげで、「何かしたい、力になりたい」という方がたくさんいる裏付けにもなります。

赤ちゃんから高齢者まで多様な世代が集まる場には、想像していた以上のよい空気が流れています。「貧困対策」としては居場所づくりは弱いものです。しかし、地域に認め合い、支え合える場が増えることで、大きなエネルギーへと変えていけると信じています。

子どもを中心とした地域の居場所づくり

わたしOK あなたOK 違いを認め合える安心・安全の地域に

さんぼんやなぎプロジェクト 岡宮 真理

岡宮 真理 平成28年10月に友人数名とさんぼんやなぎプロジェクトを結成、子ども食堂を定期開催している。今後は単独の学習支援もおこなっていく予定。地域住民の方々や小学校・福祉関係者の協力が、このプロジェクトの財産となっている。

1 子どもと地域

事例 5 女神の郷に起きたこと

長野県ぷれジョブ連絡協議会 宮尾 彰

長野県の茅野市は、「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶で有名な、八ヶ岳南山麓の美しい町です。

同じ町から出土した二体の土偶が国宝に指定されているというのは実に驚きですが、この逸話からも大地に根差した生活が太古の昔から連綿と伝承されてきたことがよくわかります。

茅野の町にぷれジョブの種が蒔かれ、小さな花を咲かせたのは、今から4年前のことでした。

昨年6月の初め、ぷれジョブちのの事務局を務めておられる山室典子さんから悲しいお知らせを受けました。彼女と一緒にぷれジョブちのを立ち上げ、その運営を共に担い続けて来られたヒトミさんがクモ膜下出血のため急逝されたというのです。

遺されたNさん(支援学校中学部3年生)のために、ちのではジョブの期間を一月延長してそれまでの生活が少しでも守られるよう、彼女の生活に柱を立てて、全員が心を一つに合わせて、父子を見守り続けました。

一月置いた7月の末、ご案内を受けて私たちも定例会にお邪魔させていただきました。小諸から佐久を抜け、八ヶ岳を越えて、少し遅れて会場の入口に近づくと、中からドッと沸き立つ笑い声。

正直なところ、二人で峠を越えながら心配し合っていたのです。

ドアを開けた瞬間、何とも表現しがたい、安らぎと和らぎに充ちた空気が胸の奥深くまでするすると入ってくるのを感じました。

私たちの遅れた登場にも、山室さんが流れを留めることなく進行されたのも、実にお見事でした。

いつもの定例会のメニューを終えた終盤、ヒトミさんの死去を伝える時間になりました。

『長いあいだ、本当にありがとう。 これからも、ずっといっしょ』(スクリーンに想い出の写真)

Nさんのお隣に座って我が子を優しいまなざしで見守られていたお父さんから、ご挨拶がありました。

私たちも含め、その夜集った誰もが、Nさんの様子を心配していましたが、そんな私たちの心配をよそに、その夜のNさんは本当にいつも通りの愛らしい笑顔で茶目っ気たっぷりの振る舞いを見せてくれたのです。

会が終わるとすぐに、サポーターのみなさんが一人またひとりと、順番にNさんに近づいて、優しく抱きしめながら「いつでもおばちゃんのところにおいで」と声をかけておられました。

もう一つ、茅野の活動で特徴的なのは、お父さんや学校の先生、ジョブサポーターさんなど、男性の定例会参加者が多いことです。

高等部の男子生徒の肩を抱いて「あと2年もしたら、一緒に飲もうな!」とおとなの世界に誘ってくれたり、自閉症の男の子について来た幼い妹さんを抱き上げてあやしてあげたり。

分け隔てなくその場に集う子どもたちと触れ合う姿に、私はこの地で数千年以上も前におおらかな土器を創り続けた縄文人たちの姿を重ねていました。

Nさんとサポーターの方が 楽しそうにしている様子の写真

定例会の後、山室さんご夫妻と娘のAさんと私たちの5人で最近までAさんがジョブをさせていただいたラーメン屋さんで夕食をご一緒させていただきました。

ご夫妻の口から、ぷれジョブちのの活動を立ち上げる前からの盟友だったヒトミさんのお話をお聴きすることができました。

初めて会った頃、彼女はパンクバンドのボーカリストのような激しいファッションスタイルで、少しだけ周りのお母さんたちとは違ったそうです。Nさんを乳幼児健診に連れて行かなかったり、彼女自身が周囲とは一線を引いていたようだった、とも。

ある時期から、ヒトミさんは山室家を三日に空けず訪ねるようになり、いつからか地域の障がいのある子どもを持つ親の会の中心的な役割を担うだけでなく、ぷれジョブちのの立ち上げにまでかかわるようになりました。山室さんとの出会いを通じて、ヒトミさん自身の生き方が少しずつ変えられたのに違いありません。

ラーメンを美味しくいただいた後、話題は母亡き後のNさん父子に移りました。山室夫妻は、ヒトミさん夫妻とは家族ぐるみのお付き合いで、本物の兄弟姉妹くらいに距離が近い関係だったようです。

「あいつ(お父さん)には甘いところがあるから、ひとみがやってたこと、大切にしていたことをちゃんと話していかなきゃね。Nちゃんのほうが、しっかりしてるのかもしれないよね。」

両親が、仲良しのぷれジョブ仲間Nちゃんについて話し合っているのを、娘のAさんはおとなびた表情で聞きながら、相槌を打っています。

ぷれジョブちのの皆さんが、ひとつの大きな家族のようであるのは、山室さんの亡きお母様の徳も働いているように思われます。お聞きすれば、現在ジョブサポーターを引き受けてくださっている何人もの方々が、お母様のお知り合いやお友だちなのだそうです。

プレジョブのみなさんが 仮装したり、お菓子をカメラに向けたりしている集合写真

秋に入った頃、山室さんからお便りが届きました。

みんなの想いが集まって、重なって織りなして、居場所や存在そのものが自然につむぎだされていくんですよね。ひとみも。

もちろん私たちも、ぷれジョブに関わる人はみんなそれぞれぷれジョブをしているんだと感じています。

 ひとみの事があって、あらためていのちの価値、存在そのものの価値、人にものを考えさせるお仕事。

全員が互いにぷれジョブをしあっている、そんな風に考えるようになりました。

ちのの雰囲気が良いのだとしたら、サポーターのみなさんに恵まれているおかげだと思っています。

みなさん、父のように、母のように、祖父母のように、ある時は恋人のように(笑)

子どもたちをあたたかく、優しくつつみ、見守ってくださいます。そんなサポーターさんと出会えた事を本当にありがたいと思っています。

地域の何でもないおじちゃんやおばちゃんがこんなに近い存在になるなんて…まさに、西先生が大切にしてきたぷれジョブだからこそ成せたことだと。

ぷれジョブがあってよかったです。

ぷれジョブと出会えて、西先生と出会えて、ぷれジョブが大切にしていることを知り、たくさんの人と出会うことができて、始めることができて、そこに関わることができて良かったです。

年が明けて、私は久しぶりに山室さんにお電話してNさんのご様子をお聞きしました。

もうじき、お蕎麦屋さんでジョブを始めるとのこと。

もう一つ、定例会で仲間たちのジョブの発表を静かに聴いていた自閉症のK君が、いよいよぷれジョブを始めることになった、との嬉しいニュース。

これについて、山室さんからご相談がありました。

重度のK君が、サポーターさんと二人だけでお店で1時間のジョブに取り組めるか少し心配だそうです。

そこで、K君といつも一緒に居るAさんが同じ時間に同じお店でジョブをしていれば、K君がはじめてのジョブに戸惑った時でも、おとなたちより自然にK君に寄り添えるのでは?とのアイデアでした。

「大丈夫だよ。」はじめての一歩を踏み出すK君に一つになって安心を届けるのがぷれジョブなのです。

女神の郷に起きたこと

長野県ぷれジョブ連絡協議会 宮尾 彰

1 子どもと地域

事例 6 子どもの力を信じて待つこと 「はぐルッポ」の子どもたち

子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」 西森 尚己

1.「はぐルッポ」

「はぐルッポ」は、さまざまな理由で学校へ行くことができない、あるいは学校へ行っていても苦しい思いをしている子どもたちの居場所として、また悩みを抱える保護者の相談の場所として開設し、まもなく4年になります。子どもたちはそれぞれ自分のしたいことをして過ごしていきます。週に2回、水・金曜日の午後1時から6時と、月に2回木曜日の午後3時から5時まで、勉強する日(はぐスタ)を主な開設日としています。保護者や先生方の相談も相談者の都合に合わせて受けています。 

2. 活動

「はぐルッポ」を始めたときには、何しろ苦しい思いをしている子どもたちに居場所をと、やってきましたが、子どもたちを見ていて、その子その子に合った環境をもっと整えたいと「はぐルッポ」もどんどん変化してきました。旅行、ボルダリング、「はぐ茶」、クリスマス会、卒業式、シルバーさん指導の体験教室(アクセサリーや陶芸)等、いろいろなメニューを計画するようになりました。

①「はぐ茶」:茶道の先生のお宅に伺ってお茶を習う「はぐ茶」を始めて1年。お茶を点てるだけでなくお花を活けたり、お菓子を作ったりと、いろいろ工夫していただいています。2か月に一度だったのが希望者が増えて毎月開催することになりました。

②「はぐスタ」:勉強だけをする日で、だんだんに定着してきました。すぐに飽きてしまう子にはタブレットを使ったりしていますが、集中して休憩時間も休まず勉強をするような子どもも出てきました。勉強がわからないという自分の弱みを、スタッフにさらけ出すこともできるようになりました。できないところまでさかのぼって勉強しています。        

③ 学校訪問:教育委員会の不登校対応で学校を訪問している先生から、一緒に学校を回りませんかと誘っていただき、半年ぐらい前から「はぐルッポ」に来ている子どもたちの学校にお邪魔することができるようになりました。とてもありがたいことです。学校の関わり方を知ることができ、はぐルッポでの様子をお伝えすることもできます。学校と保護者の仲立ちもできます。関わっている人たちが集まって、その子どものこれからを考えていくことはとても大切なことだと思っています。

④スタッフ会議:子どもたちや保護者のことを、共通理解するために、月に1度スタッフ会議を開いています。一人ひとりの子どもたちについて、今どんな状態なのか、どんなふうに支援していくのかを話し合います。スタッフもそれぞれ子どもの言動について、考え悩みながらやっているので、その悩みも共有しながら、その子にとって今どう接することがいいのか、一緒に考えています。

3. 子どもたち

 A君のこと

A君が中学2年の冬、母親に連れられしぶしぶやってきた時は、髪は長くマスクをし、厚いジャンバーを室内でも脱がず、じっと部屋の隅にうずくまっているような感じ。そのうち、髪を切り、ジャンバーを脱ぎ、他の子と川原で石段から飛び降りたり、友だちと地面で転がってふざけたり。ほかの人の触ったタオルは汚いからさわれないと言っていた彼を思うと信じられないほど変わりました。ある人が小学校2年生のころのA君はあんな感じだったと言っていました。そうか、まるでいままでやれなかったことを取り戻しているんだな。A君は、バスで来るようになり、さらに買ってもらった自転車(体力ないからかアシスト付き)で来るようになりました。この間は帰りに一人で足湯に浸かってから帰ったとか(-_-;)。今の状態をA君は言います。「ぼくも信じられない。初めて石段から飛び降りるときはすごく勇気がいった。それが今の宝物」。

とてもうれしい言葉でした。

 B君のこと

小学校高学年から学校へ行き渋り、中学でも不登校のB君。「はぐルッポ」にはすぐに馴染んで来始め、お母さんが仕事を始めたので、バスに乗って自分で来るようになりました。その影響か、今まで親に送ってもらっていた中学生が4人ほど、バスや電車を乗り継いで来るようになったのです。途中で買い物することも覚えました。学校へも行けない子たちがです。バスで通うことを親は「そこまでしても、『はぐルッポ』には行きたいんですよ」と言ってくれました。そんな子どもたちの力って「すごいなぁ」と感心してしまいます。きっと自分に自信がつき、次の一歩を出せるんじゃないかなぁ。

ただ、子どもがバスで来ると、送り迎えの時にできていた親との対話がなくなってしまいます。新たに話す機会を設けなければならなくなりました。

 C君のこと

小学校の時からいじめで苦しい思いをしているC君は広汎性の発達障害があり、相手をするのは大変です。一方的に同じアニメのことを延々と繰り返し聞いてきたり、人の話を聞けないので会話のキャッチボールがうまくできません。友だちが欲しいのでやたらと「ねえねえ」と声をかけます。おとなは何とか相手をすることができますが、同世代の子にしてみれば「うざい」「きもい」と思われてしまいます。中学2年になって担任が変わってからはとても落ち着いて、「はぐルッポ」へ来る回数も減りました。でも彼は時々来て「『はぐルッポ』はおれの元気の源だー」と言って帰って行くのです。学校へは行くようになりましたが、彼の将来を考えるとき、彼の障がいは軽くはないので、彼の自立に向けて私たちは何ができるのだろうと、いつも考えてしまいます。

 Dさんのこと

学校では緊張して借りてきた猫みたいに何もしゃべらないというDさん。幽霊遊びをして祟りを怖がっていたとき、「やさしい心でいると祟りはない」と聞いて、即座に「『はぐルッポ』では無理!! 学校でならできるけど」と言うのです。「えー?」っと、私が驚くと「私悪い子でいいんだもん」。

「はぐルッポ」は悪い子でいられる場所なのかな。「悪い子でいられる」=「自分を解放している」から、だとすると大事なことかもしれないと思います。

すると学校では「いい子」を装っているのでしょうか。子どもたちを縛っている「いい子」とはなんだろう。それにしても、みんななぜ学校にそんなにストレスを感じてしまうのか……。

4. 課題

保護者の相談も年々増えてきました。子どもの不登校のことだけでなく、家庭の問題、自分自身の悩みなどの相談もあり、的確な情報提供やアドバイス、カウンセリング等のできる専門的なスタッフの確保とともに、必要な場所につないでいくためのネットワーク作りも、大事だと感じています。

また、学校訪問はできるようになりましたが、「はぐルッポ」は教育委員会でやっているところではないせいか、まだまだ「何しに来たの?」というような顔をされることもあります。子どもたちの中にも、緊張しながらもやっと学校へ少し行けるようになった子が、学校行事に、「はぐルッポ」がある日だから出ませんと言ったことで怒られたり、だいぶ学校へ行くことができるようになってきたので「もう『はぐルッポ』は卒業しないとね」と言われて悲しいと訴えてくる子もいました。まだまだ「はぐルッポ」の存在を認めてもらえないケースもありますが、一歩前進と思って連携を強めていきたいと思っています。

それにしても、やはり場所の狭さと、スタッフの確保は、大きな喫緊の課題です。

5. おわりに

来ている子のお姉さんが高校の放送部に所属していて、「はぐルッポ」を取材し、昨年の第63回NHK杯全国放送コンテスト(ラジオドキュメント部門)に応募、全国6位に入賞しました。すごい快挙です!!

最近では病院の先生方から「あそこへ行くと元気になるようだよ」などと紹介されて、相談に来る保護者や子どもが増えてきました。ありがたいことですが、責任も感じています。

子どもたちが、ここで自分なりにエネルギーを取り戻していっていることを力にして、これからもスタッフ一同頑張りたいと思っています。

                

子どもの力を信じて待つこと

「はぐルッポ」の子どもたち

子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」 西森 尚己

子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」

松本市旭3-2-21 Tel 0263-31-3373

松本市役所こども部こども育成課Tel 0263-32-3261

運営団体:松本市子育てコミュニティサイトプロジェクト「はぐまつ」

1 子どもと地域

事例 7 ひきこもりについて 保護者として、家族会の代表として見たひきこもり

ひきこもり家族会 セイムハート 山田 きよし

(1)子どものひきこもりから学んだこと

子どもに対する親の影響

不登校やひきこもりを体験した子どもは、今は動き出して自分の人生を歩んでいます。振り返ると、どういう段階を踏んで、どういう変化をしてきたのか思い出されます。私自身も、子どもを通して学んできたことで、最初の頃に比べ子どものことが理解できるようになりました。親として接し方を変えたことで、子どもが変わったことを幾つか紹介したいと思います。

始まりは、小学校の時の不登校です。不登校への対応は、多くの方がされているように無理に学校へ行かせることをやめ、自宅が居場所になるようにしてエネルギーが溜まるのを待つというものでした。元気が出てくれば、学校や中間教室やフリースクールへ行けるようになります。しかし、子どもによっては、一切外出できずに家に籠ってしまう子どももいます。そして、当然のように昼夜逆転になりゲームばかりをやるようになり、親として子どもを何とかしようとしても、どうにもならない状態になります。

不登校ならば、学校へ行かなくても学べるところはありますが、ひきこもりになると学ぶどころか人との関わりもなくなってしまいます。やがて、ひきこもりの対応をしていく中で、ひきこもっていることが問題なのではなく、生きづらさなどの問題によってひきこもっていることに気付きました。その問題を解決するために、親子関係の作り直しと子どもが育つ過程で得られなかったことが得られるように努めました。

子どものひきこもりが深刻になる原因には、子どものひきこもりを否定することがあります。否定された子どもは、自分は駄目だと思い込み、ますます心を閉ざしていきます。

まずは、子どもの状態を否定しないようにして、どんな状態でも「それもあり」と認めることにしました。親としての葛藤もあるのですが、子どもを親の思い通りにするのではなく、ありのままの状態を認めることで、子どもが自分自身を肯定して元気になれることを目標にしました。

考え方としては、子どもが何かすることを求めるのではなく、何もしなくても存在していることに価値を置きました。そして、子どもと一緒に生きていることに幸せを見出すことにしました。

私がひきこもりを肯定できるようになってからは、学校へ行っている子どもと同じように、ひきこもっている子どもに接しました。子ども同士でもひきこもりに対する偏見がなくなり、ひきこもっている子どもを責めたり馬鹿にしたりすることが少なくなりました。また、ひきこもっている子ども自身も、だんだん自分を肯定していったと思います。

子どもは、自分で自分の人生を歩みたいという思いがあるようで、親に指示されても親の考えやレールには乗りません。子どもは自分で考え、自分で決めた時に実行します。決めるのは子ども自身なので、決定権を子どもに与えました。

しかし、決定権を子どもに与えて子どもが動くのを待っていても、ただ待っているだけでは駄目でした。子ども自身がどうやったらいいのか分からないため、いつまで経っても動きませんでした。また、子どもを支えると言っても子どものことを知らなければ、親として何をすればいいのかわかりません。そこで、子どもが何を思っているのか知る必要がありました。

最初の頃は、子どもと話ができませんでした。子どもはひきこもりを否定されている限り聞く耳を持っていないので、子どもを否定しないように子どもの状態を受けとめて、根気よく話しかけていきました。

子どもが少し耳を傾けるようになってからは、私の考えを知ってもらうことに努めました。子どもに話しかけるのは、私が生きていて感じること、社会に対して思うことなど何気ないもので、素直な気持ちを伝えました。また、私の失敗も生き方の見本として話しました。

やがて、子どもと信頼関係ができて会話が成り立つようになってからは、子どもは自分のことを話してくれるようになりました。それによって何を考えているのか知ることができ、どう支えたらいいのか分かるようになりました。また、子ども自身もどうやったらいいのかがわかったようで、徐々にひきこもりから脱出して行きました。

親が自分の問題を解決していないと、子どもへの対応を変えられないことから、ひきこもりの解決には子どもの生きづらさを解決するだけでなく親の問題の解決が大事になります。

親の問題で一番大きいのは先の見えない不安です。この不安は漠然として根拠がないものだということを自覚することが大事でした。また、不安と同じようにイライラも問題でした。私と子どもの判断が違い対立してイライラする時は、私の問題か子どもの問題か考えます。イライラの原因は、私の都合からくる考え方によるものが多いので、なぜ私の都合を押し付けたいのか考えることで、自分の問題に向き合いイライラを解消しました。

私の不安や苛立ちが減ったことで、子どもへの対応に余裕が出て良い影響を与えられたと思います。子どもへの対応では、子どもを受けとめること、子どもの生きづらさを解決できるように支えながら待つことを大切にしました。

もし私が、子どもに何かをやらせようとし続け、ひきこもっている状態を否定し続けたなら、今もまだ子どもはひきこもっていたと思います。

ひきこもりの解決には

子どもが、不登校になったり、ひきこもりになったりすると非常に世間体が悪いです。しかし、自分一人で抱え込むと非常に苦しくなり、解決は長引いてしまいます。

自分一人での解決は難しいので、相談に行ったり家族会へ行くことが大事になります。誰かと一緒に考えることで視野も広がり、気持ちに余裕ができて解決に向かっていくと思います。

家族会へ参加された方は、しばらくは良いがすぐに気持ちが萎えてしまうと言います。そのことからも家族会は、気持ちが安らぐ場だと言えます。また、みんなで話せる場が心の支えになるので、家族会はひきこもりの解決への近道だと思います。

(2)家族会について

家族会の必要性

家族会では、今まで苦労してきた親の気持ちを理解することから始めます。親が苦しい状態を抜け出さない限り、子どもへの対応はできません。家族会では家族同士が集まり、参加者がそれぞれの体験を話します。その話し合いの中で、ひきこもりというものを理解したり、視点を変えることで子どもの気持ちが理解できるようになります。

親は辛さを分かち合ったり、ひきこもりを学ぶことで、ゆっくりではありますが親の気持ちが変化していきます。そして、少しあとから子どもにも変化が現われてきます。親は孤立することなく、家族会に参加することで、子どものひきこもりに悩んでいるのは自分だけではないと感じます。また、みんなで考えていくことで、子どものひきこもりに対応しようという勇気が出るのだと思います。

家族会に参加して、親の不安が減ると親が楽になります。親が希望を持つことで子どものひきこもりに良い対応ができると思います。一人で悩まず安心して愚痴をこぼせて、みんなと繋がる場があることが大事だと感じています。

セイムハートについて

セイムハートは、3年前に諏訪保険福祉事務所で行われた家族教室をきっかけに作られました。月に1回会合を持ち、話し合いは親だけで行います。毎回ではありませんが担当の保健師さんも参加します。

毎年6名くらいの新規の会員がいますが、ひきこもりが解決して来なくなった方、違う所へ移った方、うまくいかずに諦めた方などがいて、現在参加している方は4名くらいです。

諏訪地域の方の参加が多いですが、過去には松本から参加されている方もいました。

・セイムハートの参加費は無料です。年度ごとに、年会費100円を払っていただいて会員登録となります。

・参加は自由で、来なくても追いかけたりしません。

・月に1回、金曜日の19時から21時まで岡谷の諏訪湖ハイツでやっています。

ひきこもりについて

保護者として、家族会の代表として見たひきこもり

ひきこもり家族会 セイムハート代表 山田 きよし

ひきこもり家族会 セイムハート(岡谷市)

(概ね35歳までのひきこもり者と家族が対象です)

1 子どもと地域

事例 8 「まちかど保健室」の新たな取り組み 県民運動とリンクして

川中島の保健室 白澤 章子

はじめに

『川中島の保健室』は、地域が大きな学校と考えると、その中にある『保健室』です。子どもの問題で困っている保護者の方が相談に来ることが主な活動ですが、この保健室へ子どもたちが地域での遊びの途中でちょっと寄っていく。こんなスタイルがこの頃できてきました。他にも『まちかど保健室』の子どもと地域として新たな取り組みが生まれてきています。それらを紹介します。

                   

養護教諭は日本にしかない職業

『川中島の保健室』の写真

養護教諭という職種は、日本独自の制度で、欧米にはスクールナースという制度があります。スクールナースは、日本でいう保健所の保健師さんに似ていて、いくつかの学校を受け持ち、病気や障がいを持っているお子さんが学校生活に適応するために教師や保護者、子ども自身にアドバイスする仕事をしています。養護教諭が『教育職』として各学校に配置されているのは日本だけなのです。

小学生から中学生まですべての日本の子どもたちは、毎年の健康診断をはじめ、健康管理や健康教育を公立の学校で受けることができます。養護教諭が年間を通じて毎日学校にいることで、子どもたちの健康課題に対処して、健康権が守られています。

3年ごとに開催されている『健康教育世界会議』で、養護教諭の仕事について、私は仲間と一緒にポスター発表を重ねています。当初から参加している仲間は、今回のブラジル大会で9回になりますが、ポスター発表の中で、フランスやイギリスのスクールナースの方々から「子どもたちの日常的なケアと健康教育を同じ人が行うことは、理想的なことです。是非、日本の養護教諭の制度に学びたい」と言われました。養護教諭は地域社会との連携などの役割も担っています。子どもたちの健康課題は、多様で複雑となり、子どもの生存権、発達権、学習権を保障するために、養護教諭の果たすべき役割が重要となっています。

子どもは性のことを知りたくて

このような養護教諭の仕事を40年間勤めた私は地域の中の保健室を作り、活動をしています。

この頃の『川中島の保健室』には、小学5年生の女の子が二人、遊びの途中でちょっと寄っていきます。夕方4時ころ、玄関のチャイムが鳴りました。「宿題をやってもいい?」と30分ほど保健室で宿題をして、「ありがとうございました」と帰って行きました。そんなことが何回か続いたあるとき、宿題をやらないで、「今日は本を読む」と言います。二人は本棚の所でなにやらクスっと笑いながら話しています。性の本に興味があるようで、特に性交のことを知りたいようです。私は何気に近寄りその話の中に絡み合っていきました。すると、いつしか真剣な顔になって質問攻めとなりました。その時はクスっと笑いません。真剣そのもの顔で質問するのです。男の子の生理も興味津々で、真剣に質問してきました。子どもたちは性のことを知りたいのです。 

姉についてきた小学2年生の二人

5年生の姉についてきた妹の2年生が、同級生と一緒に訪れました。「本を読んでいい?」と言うなり、本棚の中から探してきた本は「つるのおんがえし」と「おっぱいのひみつ」でした。1冊の絵本を二人が交代で読もうと決め1行ずつ読もうとしましたが、いつの間にか本の中に引き込まれ、句読点のところまで読み進めています。おじいさん、おばあさん、つうになった気持ちで心を込めて読んでいます。読み終えると私は、思わず拍手をしました。2年生がこんなに感情を込めて読むことができるのかと驚いたのです。

次に「おっぱいの秘密」です。小さいおっぱいからだんだん大きくなっていく過程を⇒で3段階に描いてある頁に来たところで、二人は議論を始めました。「このおっぱいは私。これはお姉ちゃん」「えっ違うよ!お姉ちゃんは、もっと大きいからこれだよ」「ちがう、ちがう、この大きいおっぱいは、お母さんだよ」とやっと二人で納得しました。おっぱいの大きさで二人は盛り上がったのです。落ち着いたところで、私は「おっぱいって白いでしょ、お乳はお母さんの血液から作られるよ」と話しました。「また来てもいい」と2人で振り返り振り返り帰って行きました。

『川中島の保健室』で 小学生の姉が 妹に本を読み聞かせている様子の写真

家族で性教育を受けた

もう一つこんなことがありました。

11月の土曜日、10才と8才の女の子とおとな3人が大型ワゴン車で、『川中島の保健室』に到着しました。「命の元はどうやって一緒になるの」をテーマに性教育を約束していました。ひょんな事から60代の女性と性教育の話になり、私が「性交は小学4年生までに教えたいね。この年齢あたりが、子どもの身体からおとなの身体に移行する時期で、その後、排卵・射精を迎える年齢になっていくから、まだ、生まれてきた自分と思っている4年生までのうちに自分の命の始まりである性交を話すと、『あっそうか!だからお父さんにも似ているのか』とわかるのよ」と言ったことから、「うちの孫が4年生だから、是非今のうちに教えてください」とお孫さんに性教育をすることになりました。『川中島の保健室』には、天井から床まで4連のスチール製本棚があります。その一面を黒板にして、お孫さんだけでなく、1家族5人で『性交』の授業となったのです。現在、文部科学省は、「公立の小中学校で外性器と性交は教えてはいけません」となっています。それなら、保護者の依頼で、『まちかど保健室』での性教育もできるのです。このようなスタイルがあっても良いなあと思いました。

性のことを教えてくれるおとなに出会うこと

子どもたちは、性を知りたがっています。しかし多くのおとなは、はぐらかします。子どもにとって大切な事は、性のことをちゃんと教えてくれるおとなに出会うことです。子どもたちの周りに伴走者がいてくれることは心強い事でしょう。困ったことがあったら、この人に聴こう、信頼できるおとなに相談しよう、こういうことが子どもを見守る県民運動につながるのではないでしょうか。おとなも性を学びましょう。子どもたちのために、性を学ぶと自分の問題になっていくのです。おとなも性教育が大切ですね。

長野に広がる『まちかど保健室』

現在、長野県内に『まちかど保健室』が3か所あります。長野・松本・佐久の三つです。今、計画中の『まちかど保健室』が一つありますので、近々4か所になることでしょう。これから各市町村にできたら良いなと思っています。

昨年の7月『子どもを性被害から守る条例』が、長野県にも施行されました。この条例の中に、性教育の充実という項目も入り、『まちかど保健室』を『ひまわりっこ保健室』と称して、『ひまわりっこ保健室』を広げようという県民運動の取り組みが展開されています。『子ども食堂』が長野県内にも広がっています。『子ども食堂』の中に『ひまわりっこ保健室』の活動が一緒にできたらどうだろうか?という構想です。これに賛同する方が増えたら、子どもたちの支援が「食、学習、健康」と多様に実現するのではないでしょうか。県教委次世代サポート課の素晴らしい構想だと思います。退職した養護教諭も賛同してくれる方が増えたら実現できるのではないでしょうか。私も賛同してくださる方を探したいと思っています。

小さな活動が地域を巻き込み継続が社会を変える

2010年スイスで開催された『健康教育世界会議』で、私は、『川中島の保健室』の取り組みをポスター発表しました。デンマークの方が『まちかど保健室を利用する人は、私と語り合うことでつながり、つながったことで、元気が出てくると考えた』という私のポスターの部分を指さし「ここが大切」と訴えました。そして、「今夜我々のワークショップがあるから来て欲しい」と言ったのです。デンマークでは、移民の方が大勢います。彼らは、パソコンを持っていないので、町づくりを推奨する方がコインランドリーにパソコンを置き、移民の方が洗濯をしている間にパソコンの使い方を教え、母国の様子やあらゆる知識を得ることができるようになりました。すると移民の方々は、安心して近所の人との信頼できるつながりをもち、バラバラだった地域がつながったというのです。つながりができた移民の方たちから、ドラッグをやっている仲間がいると知り、地域の人たちがみんなでドラッグをやっている人の所へ行って売買できないように説得したところ、2年間でスラム街がなくなったそうです。小さな活動が地域を巻き込み継続して活動することによって社会が変わっていくということをデンマークの方から学びました。

『健康教育世界会議』参加者の集合写真

おわりに

“川中島の保健室”は、小さな活動ですが、地域を巻き込み、人と人とのつながりを回復していると思います。地域の小さな思いや、小さい継続的な活動が、町を作り地域を支えています。これらによって地域の基盤ができ、これと同時に、政治の力を発揮したら、もっと良い町作りになっていくことでしょう。

『まちかど保健室』の新たな取り組み

県民運動とリンクして

川中島の保健室 白澤 章子

1 子どもと地域

「子どもと地域」あとがき

長野の子ども白書編集委員 白澤 章子 

子どもと地域の分野では、今まで、子ども・子育て世代・若者・支援の途切れた子どもたち・不登校生や親の会・支援者同士への居場所づくりや繋がりと支援、学習塾・まちかど保健室・温泉旅館が教育の場に、おとなと子どもの交流会、動物愛護センターの取り組み、青少年生活意識調査から見えるもの等の取り組みや提言が紹介されました。

今回は事例として、しなの鉄道三才駅の近くで6千人規模の「三才児まつり」を企画し、協働の輪を広げる取り組み。松本大学生が、子育て中の親子や高齢者と子どもとの交流の場をつくる取り組み。長野市三本柳地区の子どもを中心として繋げることをキーワードに居場所づくりに初挑戦した報告。障害を持ったお子さんが、地域のお店などに地元の方と一緒に、仕事をしながら親しい関係を作るプレジョブ。松本の子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」4年目の様子。保護者から見たひきこもり。『まちかど保健室』の新たな取り組みを紹介しました。

地域でどんな取り組みがあるのか、もっと欲しいものは何か。こんなふうにしていきたいという将来の設計を描きながら『子どもと地域』は、どんな関係になっていったらいいのかとこれからも考えていきたいと思います。地域の小さな思いや小さい継続的な活動が、町を作り支えていきます。地域の基盤ができると同時に政治の力が発揮できたら、より良い町作りになっていくことでしょう。

白澤 章子 私は公立の小中学校で養護教諭として40年間勤め、定年退職後、自宅の1室に『川中島の保健室』を作りました。子どものからだと心の相談や本の貸し出し、講演活動、お茶のみサロン等をして8年目となりました。3才から81才の方が利用しています。相談件数は、1か月平均27件です。

2 子どものための福祉

もくじ

これ以降は「子どものための福祉」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 修復的対話 (RJ) 豊かな人間関係を築くために 山下 英三郎

事例 2 児童相談所での活動について 児童福祉司の視点から 中川 峻介

事例 3 児童養護施設の地域における子育て支援の課題 川瀬 勝敏

事例 4 子どもたちが自分の家で暮らせるために 社会的養護を必要とする子どもたちの家庭支援 宇津 孝子

事例 5 血のつながりはなくともかけがえのない家族 特別養子 親子交流会の20年 由井 厚子

事例 6 児童施設の課題と未来 放課後における施設とおとなの関わり  土屋 一夫

事例 7 学童保育で育つ子ら 田嶋 みどり

「子どものための福祉」のリンクは以上になります。

子どもたちが 大縄跳びで 遊んでいる様子のイラスト

2 子どものための福祉

事例 1 修復的対話(RJ) 豊かない人間関係を築くために

NPO法人修復的対話フォーラム代表 日本社会事業大学名誉教授 山下 英三郎

はじめに

 昨今、子どもの貧困について活発な論議がなされていますが、いつも経済的な貧困に焦点が当てられる傾向があります。それはきわめて当然のことでありますが、他方で看過されてならないのは社会的な貧困、つまり人間関係の貧困です。

 マザーテレサは「世の中で最も不幸なことは、誰からも愛されていないとか、必要とされていないと感じながら生きることです」という言葉を遺していますが、経済的な貧困の極みにある人々の傍らで寄り添いながら生きていた彼女の言葉だけに重みがあります。たとえ経済的には貧しくても、周囲に愛し支えてくれている人々がいれば、最大の不幸は回避することはできるのではないでしょうか。

 そのことを考えると、今日のわが国における子どもの貧困は、無縁化や孤立という言葉に象徴されるように、まさに人間関係の貧困が深刻な事態を増幅させているといえます。親の所得を増やしたり、経済的な支援制度を充実させることの必要性については論議の余地がありませんが、それらと同時に豊かな人のつながりを紡ぐことの重要性も強調されて然るべきだと思います。

 そこで、ここでは人間関係の構築および再構築という課題に焦点を当てて、その具体的方法としての修復的対話について述べ、それが社会的な貧困の軽減を図る上で、一つの確かな手がかりでとして呈示したいと思います。

修復的対話とは

 修復的対話は、人々が対話を通して人間関係を築くという方法と、関係が破綻した状況において損なわれた関係を再構築するという二つの方法があります。これは1970年代半ばのカナダでの取り組みがきっかけとなって注目を浴びるようになったのですが、もともとは世界各地の先住民が住民同士の関係を築いたり、トラブルを解決する方法としてとっていたものです。呼び名は地域によって異なりますが、その基本的な考えと方法は驚くほど共通しています。その中でも、もっとも注目すべき共通点は人間尊重です。対話に参加する人々はすべて敬意を払われ、そのプロセスは排他的で協働的であることです。

 そうした考え方と方法の根底には、私たちはすべてお互いにつながりあっていて、そのつながりが均衡状態が保たれていることが重要であるという先住民の世界観があります。だからつながりがない場面ではつながりを作り、トラブルなどによって均衡が崩れた場合は、それは修復されなくてはならないと考えるのです。

 現代の経済至上主義社会では、人々はひたすら経済活動に邁進し、お互いに競い合い他人を排除することによって自らの幸せを築こうとしてきました。その結果、世の中には孤立や対立が蔓延し、「誰からも愛されていないとか必要とされていない」と感じながら生きる人たちを大量に生み出しています。

 それは、私たちの社会の子どもたちの世界において顕著な形で現れています。いじめや不登校・ひきこもり、暴力行為などがそうです。少子化の進行にもかかわらず、子どもたちが直面している困難の度合いは、その数が多かった時代よりもはるかに増加しています。他者との関係不在や関係不全によって生活の質の低下を来している子どもの現状を直視するならば、先住民の世界観と関係構築のための方法論は今の時代にまさに求められるものではないかと思います。

 以下では、修復的対話の二つ(厳密には三つですが、紙数の関係でここでは省略)の方法について説明します。

1 ) RJサークル

 人間関係を築く方法をRJサークルと称します。通常使われるサークルとは区別するために英語のrestorative justiceの頭文字をつけていますが、外国ではシンプルにサークルといわれています。このRJサークルは、トラブル解決はもちろんですが、多様な目的のもとに行われます。相互理解や表現力を高めるといったことから、人生の複雑な問題について語り合うなどさまざまですが、前述したように基本的には参加者相互の関係を築き深めることが大きな目的です。

 RJサークルの参加者数は特に決まっていませんが、通常は7から10人程度で行われます。一般の話し合いと違うのは、進行には約束ごとがあり、緩やかな形式のようなものがあります。また、特定の人が発言を独占することを避け、参加者全員が語ることができるような工夫としてトーキングピースというものを用意し、それを持った人だけが話をすることができるようにします。

 対話を進行させる役目としてキーパーという人が存在します。キーパーはリーダーではなく参加者と対等な存在として位置づけられており、話し合いを特定の方向に持っていこうとしたり、成果を求めたりすることはしません。さらに、発言者の言葉を評価することもしません。そうしたやり方によって、参加者が安心して自分の思いを言葉にすることができるように考慮されています。

 グループの中で、お互いを尊重するということを前提に、特定のテーマについて自由に語ることを保証され、同時に他の参加者の言葉に耳を傾けるという経験は、トラブルの予防につながります。また、トラブルが生じたときにも冷静に自分の考えを述べ、相手の意見に耳を傾けることができる姿勢を培います。その結果、トラブルが深刻化するのを防ぐことができるという面があります。ですから、学校はもちろん、地域や家庭の中でも広く取り入れられる意義があるといえます。

 

2 ) コンファレンス

修復的対話のもう一つの方法は、コンファレンスといい対立場面での関係修復を図る方法です。これは対立状態にある当事者だけではなく、そのできごとに関係のある人たちが参加し、全員で生じたダメージやニーズについて話し合い、責任の取り方を含めて、今後双方がどのように学校なり地域なりで生きて行くかを探る方法です。

 具体的なトラブルがあっての話し合いですから、RJサークルに比べるといろんな点で慎重な配慮を要します。下手に行うと、かえってトラブルが深刻化したり、被害を受けた者が二次被害を受ける怖れもあります。したがって、コンファレンスを実施する上では、かなり用意周到な事前準備が必要とされます。その準備は対話を進行するファシリテーターの役割となります。

 ファシリテーターは緊張場面での進行を強いられることになりますが、彼・彼女の力量が対話の成否に大きな影響を及ぼすので、いじめがあったからといって安直にコンファレンスをやればいいというものではありません。

 コンファレンスの進め方にも一定の様式のようなものはありますが、RJサークルに比べると約束ごとは少ないといえます。重要なのは、お互いを尊重し、平和的な雰囲気で対話に臨むことです。

 修復的対話に関して興味深いのは、RJサークルでもコンファレンスでも、最後に全員が一緒に軽い飲食をするということです。それは話し合いの場から日常生活の場へ戻るための切り替えという意味もありますし、飲食をすることによって参加者相互の関係をより親密にするという意味もあります。

 紙数の関係で十分に言葉を尽くして説明することができませんが、人間関係がうまくつながらないことによって、子どもだけではなくおとなの生活の質が低下しているという現状があることを考えるならば、大きくは宇宙とのつながりまでを視野に入れた哲学を基盤にして、関係を築いたり修復したりしようとする修復的対話というアプローチは、各所で取り組みを検討するに値する方法ではないかと思います。 

修復的対話 (RJ)

豊かな人間関係を築くために

NPO法人修復的対話フォーラム代表

日本社会事業大学名誉教授 山下 英三郎

日本社会事業大学大学名誉教授

NPO法人修復的対話フォーラム 代表

NPO法人日本スクールソーシャルワーク協会名誉会長

1986から1998 埼玉県所沢市でわが国で初めてスクールソーシャルワークの実践活動

1987から2010 所沢市でフリースペース共同主宰

1997から2016 日本社会事業大学教員

1999から2012 日本スクールソーシャルワーク協会会長

著書:『子どもにえらばれるための スクールソーシャルワーク』(監・著)学苑社,2016年 『修復的アプローチとソーシャルワーク』明石書店,2012年 『いじめ損なわれた関係を築きなおす』学苑社,2010年 『相談援助』学苑社』,2006年 その他多数

2 子どものための福祉

事例 2 児童相談所での活動について 児童福祉司の視点から

長野県中央児童相談所 児童福祉司 中川 峻介

1. 児童相談所業務から見える『子どもの貧困』

児童相談所にはさまざまな機関や県民の方々から子どもに関する相談が寄せられます。児童相談所の代名詞である虐待に関する相談はもとより、保護者の障がいや、疾病、貧困等により養育に行き詰ったり、子どもの障がいや行動等により養育の行き詰まりを主訴にしたものまでさまざまです。

長野県の児童相談所に寄せられた相談対象者の経済状況等を細かく調査した統計的資料が存在しないため、筆者の経験上の話になりますが、さまざまな主訴(経済的困窮に限らず)の中に保護者の経済状態の不安定さが散見されます。例えば、ひとり親家庭で、保護者が夜間の仕事をしており、子どもの養育を託せる場所が無く、結果としてネグレクト状態に陥ってしまう家庭や、父親の経済状態の悪化などから、父親がストレスを抱え、そのストレスの矛先が母親に向き、母親のストレスが、家庭の中で一番の弱者である子どもに向き……と悪循環に陥っている家庭もあります。

また、子どもの側に養育困難の要因がある相談(発達障がいに関する相談や、ぐ犯少年や非行少年の相談)であっても、保護者の経済状況の悪さが、児童相談所が行う援助過程で、二次的な課題になることは少なくありません。子どもがぐ犯行為を行い、施設入所し、一定の効果がみられて、家庭に帰ることになったとしても保護者の経済状況の悪さから、監護能力に欠け、結果としてぐ犯行為を繰り返してしまうケースもあります。

保護者の経済状況の悪さは、保護者が子どもを十分に受け止める余裕を低下させると言えるかもしれません。言い換えれば貧困は“家庭の包容力”を奪うことです。ひとり親家庭等では、経済的な貧困から保護者が働きに出なくてはならず、保護者と一緒に過ごし、何かを一緒に体験するという機会が希薄になることがあります。家庭に居場所を失った子どもたちは学校や地域社会に繋がりを求めますが、現状では子どもの居場所が家庭外に十分あるとは言えません。結果として、経済的貧困が心の貧困に繋がるおそれがあることも見逃せません。

我が国の子育てに関する意識は、「自助」が何よりも優先され、子どものことはすべてにおいて保護者が責任を持つことが当然とされています。貧困により家庭の包容力が無い状態に陥っている家庭に対して、さらにこの意識がプレッシャーを与え、よりいっそう家庭をパワーレスな状態にしていることもあります。子育てに関して、自助をベースとしながらも、共助(公によらない隣近所からの援助)の幅を広げ、貧困等の課題がありながらも、包容力をもって子どもを社会全体で受け止め、保護者が子育てしやすい環境づくりについて、地域全体で取り組む必要があるのかもしれません。

2. 虐待通告の増加とその内容

平成27年度に長野県内の児童相談所が対応した児童虐待対応件数は、1,761件でした。この数値は平成23年の値と比べると2倍以上の伸びを示しています。虐待の内容別では、身体的虐待とネグレクトは微増(それでも1.5倍程度伸びている)、心理的虐待は3倍以上の大幅な伸びとなっています。(グラフ参照)

長野県内の 児童相談所が対応した 児童虐待件数の 推移の折れ線グラフ 縦軸が件数 横軸が年度を示す 折れ線の種類は 四種類あり、ダイヤマークが 身体的虐待、四角マークが 心理的虐待、三角マークが ネグレクト、バツマークが 性的虐待を示している

心理的虐待の一つとして、昨今大きな増加を示しているのが、いわゆる「DV(Domestic Violence)目撃」と称されるものです。これは、保護者が配偶者等から暴力を振るわれた際に、その現場に児童が居合わせたり、目撃したことにより、心理面のダメージを負ってしまう心理的虐待です。通告元は主に警察署となっています。

 虐待事例(架空事例)

父は不景気のあおりから長年勤めていた会社でリストラされ、やむなく待遇の低い会社に転職せざるを得なかった。転職後、父は以前の会社では感じなかったストレスが増え、酒を煽っては主婦である母に暴言を吐くようになっていった。ある晩、父から母に向けられる暴言は更にエスカレートし、ついには暴力にまで至った。母の悲鳴を聞いた近隣住民が110番通報をし、警察官が駆け付けた。警察官が現場に到着した際には、3歳と5歳になる子どもが泣きながら母を庇っていた。事件を管轄した警察署では、子どもの面前で配偶者間暴力があったと認定し、児童相談所に虐待通告をおこなった。

母子は一旦、母の実家に避難したものの、経済的困窮から父のもとに戻った。

上記の事例は、DVの目撃による心理的虐待の代表的な事例です。以前は、子どもに直接の被害がなければ、児童虐待と判断されませんでしたが、現在では、児童の面前で配偶者間等で暴力があった場合も、児童虐待と判断し、対応に当たっているため、心理的虐待が大きく増加しています。

女性がDV被害を受けた場合、離婚したり、避難するなどの選択肢を選べる場合は、子どもの安全や安心は確保されますが、経済的な理由で男性から離れることができずに男性との生活を継続してしまい、結果として虐待状況が継続することも相当数あります。子どもは社会的な貧困で不利益を受けるだけでなく、家庭内の貧困や格差により不利益を被るおそれがあります。

なお、この事例は架空のものですが、実際にも保護者の貧困から虐待が発生し、更に虐待が継続していくことが相当数あります。

3. 児相の多忙、その実態

児童相談所はとても多忙とのイメージがあると思いますが、それに間違いありません。いつ何時、寄せられるかわからない、児童虐待通告の対応、継続相談や施設に入所している子どもの保護者や子どもとの面接対応、市町村の子育て支援部署との会議、会議資料や記録作成などの事務作業…挙げたらきりがありません。平成27年度にある児童福祉司が受け付けた、新規相談受付件数は、約180件(内虐待通告は約100件)でした。また一時保護は昼夜問わず行われるため、時に対応が深夜早朝に及ぶことも少なくありません。

そのような状況でも児童相談所職員は子どもの最善の利益を追求し、子どもの福祉を最優先に考え職務に当たっています。しかしながら、これは児童相談所だけで達成できるものではありません。そのため、さまざまな機関と連携し対応に当たっています。

4. おわりに

 

数年前に子どもの泣き声がするとのことで、近隣の方から連絡がありました。訪問すると、若いお母さんが乳飲み子を抱えて、一生懸命育児を頑張っていました。そのお母さんに言われた言葉が忘れられません。“近所には子どもがいるのでご迷惑をおかけしていますと話をしてあった。児童相談所に通告されて悲しい。”もちろん近隣の方は子どもを心配して児童相談所に連絡をくださったため悪意はありません。しかし、このお母さんにとってはとてもショックな出来事であったことでしょう。結果論ですが、このお母さんにとっては近隣の方が、“大丈夫?困ってない?何か助けようか?”と声を掛けてくれた方がありがたかったことでしょう。

児童相談所が関わる家庭の多くは何らかの支援を必要としています。社会的養護には社会全体で子どもを育てるという理念があります。地域で要支援家庭や要支援児童を排除することなく、社会全体で子育てを見守り、時には手を差し伸べ“大丈夫?困ってない?何か助けようか?”と聞ける、そんな地域社会であって欲しいと思います。

児童相談所での活動について

児童福祉司の視点から

長野県中央児童相談所 児童福祉司 中川 峻介

2 子どものための福祉

事例 3 児童養護施設の地域における子育て支援の課題

一般財団法人長野県児童福祉施設連盟常務理事 つつじヶ丘学園園長 川瀬 勝敏

つつじが丘学園の歩み

 社会福祉法人つるみね福祉会の運営する「つつじが丘学園」は、昭和26年に「塩嶺学園」という名称で戦後の戦災孤児の受け入れ施設として始まり、昭和41年に現在地に移転改築しました。

 信州一のつつじの名所と言われるつるみね公園の高台にあり、地域とのつながりは移転当初から現在まで大切にされています。今年は7年に一度の御柱の年でしたが、御柱祭では毎回学園を休憩所として提供するなど、信頼関係が深まっています。

 移転当初はつつじが丘学園より上には住宅がなく、砂利道で下水道も整備されていませんでしたが、今では周辺地域も整備され、新しい住宅・住民も増えています。

 平成14年に施設の全面改築を行い園舎が新しくなってからは、地区と防災協定を結んだり、つつじが丘学園祭・福祉団体の視察研修受け入れ等を積極的におこなったりして、地域の幅広い年齢の方々に理解と連携を図るよう努めています。

 子どもたちは地域での日常的な生活の中から自立を学んでいます。子どもと地域が結びつくことによって子育てへの協力者が増え、つつじが丘学園のいろいろな取り組みが支えられているのだと感じています。

つつじが丘学園付近で 御柱が引かれている様子の写真
御柱祭の休憩所としての つつじが丘学園の様子の写真

 

現在の状況

 現在、国が示した社会的養護の充実である「児童養護施設等の小規模化及び家庭的養護の推進」に向けて、施設の小規模化・地域分散化が図られています。つつじが丘学園では、平成25年に地域小規模児童養護施設「さつきの家」、平成27年に地域小規模児童養護施設「みつばの家」を開所しました。

 平成25年4月から定員を50名から47名に変更して、平成28年4月からは45名と本体施設の小規模化を図り、子育ての専門施設へ移行しているところです。

平成29年3月1日現在の入所児童の内訳は以下のようです。

 幼児

4名

1名

幼児合計

5名

 小学生

9名

10名

小学生合計

19名

 中学生

9名

4名

中学生合計

13名

 高校生

1名

5名

高校生合計

6名

 合計人数

23名

25名

入所合計

43名

 入所理由は、全国的にも統計が出ているように約6割が児童虐待によるものです。

入所時家庭状況は、両親ありが11、父子家庭が9、母子家庭が23です。両親なしのケースは0です。現在は養育者がいながらさまざまな理由により養育が困難になってしまった家庭の子どもを保護するというケースが多くなっています。そして、子どもの発達保障を守りながら、家族の再構築を図るか、施設利用を続けることで家族交流を図るか、施設環境の中で自立の道を選ぶか、ということが支援の柱になっています。

 また、社会問題化しているひとり親家庭や子どもの貧困について言えば、離婚率の上昇もあって今後も養育力の低下は免れません。この問題はその時だけ厳しいだけでなく、世代間に渡って相互に悪影響をもたらす可能性があるので心配です。

 児童養護施設から進学、就職に向けた出口がなく、施設生活を延長するケースも出ています。実際に20歳までの措置延長が認められるようになりました。

つつじが丘学園で 進級祝いの 花束を贈っている様子の写真

もう一つの状況

 今までは「入所児童」についてお伝えしてきましたが、入所せずに施設を利用している子どもたちもいるのです。そのひとつが「一時保護」です。

 一時保護とは、児童相談所や都道府県知事が認めた場合に子どもを短期入所させること。一時的に家庭から引き離す場合に行われることもあります。

 平成28年度つつじが丘学園では、9件、延べ日数で243日間一時保護児童の利用があります。3日に2日は一時保護児童が生活したことになります。それほど緊急保護を求めるケースや、行き先が見つけられない子どもたち、家族(養育者)の問題が切迫することがあるということです。

 二つ目は子育て短期支援事業(ショートステイ)です。

子育て短期支援事業とは、児童を養育している家庭の保護者が、社会的な事由によって家庭における児童の養育が一時的に困難になった場合に、児童を短期入所させることにより、その過程における子育てを支援することです。諏訪地域の市町村、中信地区の一部の市と契約を行い、それぞれの子ども福祉担当と連絡調整をして実施しています。

 平成28年度つつじが丘学園では、6世帯13名の児童が延べ日数で44日間利用し、3月中も3件の問い合わせが入っています。利用者は増えています。

 一時保護も子育て短期支援事業も、地域の子育て支援の中で一番大事ともいわれる社会的要保護児童をどうするのかという課題に向き合って考えていかなければなりません。

 児童養護施設の養育環境の充実、職員の確保、専門性の向上に向けて地域を巻き込みながら、方策を練っていくことは児童養護施設の課題だと考えています。

一時保護や子育て短期支援事業の養育者と話をしたりその環境を見たりすると、「つながりある育ち」を支えることや「家庭的養護」が「社会的施設としての役割」として求められニーズがあることがよく分かります。

これからに向かって

 今年度、長野県において「家庭的養護の推進に係る検討会議」が開催されました。里親・施設関係者・医療関係者が集まり、望まない妊娠出産から特別養子縁組につなげるシステムの構築を目指しながら、子どもと養育者が安定した関係性の中で育ちあえる環境をどのように作っていくかということがその後においても重要である、と話し合われました。制度間の隙間にこそ社会福祉のニーズがあり、新たな人間社会の問題が潜在化することを忘れないようにしたいです。

「家庭的養護の 推進に係る検討会議」の様子の写真

 もし子どもを一時的に保護する場合に、一時保護制度だけで子育て短期支援事業がなかったら、13名の児童はどうなっていたか……と考えると怖くなります。そして子育て短期支援事業を通じて、養育者の相談援助の重要性を強く感じました。それぞれ養育者は、少なからずつながりのある場所から離れてしまい、社会的に孤立状態に陥っています。つながることに力を出すことが難しく、諦めに向かってしまうケースが多いのです。現在の入所児童は養育者がいながら施設を利用しているので、子どもの支援とともに親支援の専門性を地域に展開していくことも重要な課題です。

 入所、一時保護、子育て短期利用等、さまざまな形で児童福祉施設が利用されていますが、利用価値の高さは今までの子どもや家族が抱える諸問題を踏まえ、この間積み重ねてきたさまざまな経験やノウハウがあることです。さらにこれからは、地域における子育て支援拠点として児童養護施設の小規模化を進め、個別プラン・個別ケアの取り組みをすることが求められます。また、社会福祉法改正により、地域における公益的な取り組みを実施する責務が規定されました。

 子どもと地域とのつながりの中で、困ったときはお互い様、困った時には施設を頼れるという思いをもたれるような施設づくりが課題となるでしょう。子どもたちに良質な養育を保障していくには、人材の確保と養成が必要不可欠ですが、そのための配置基準の更なる改善も待たれるところです。

一般財団法人 長野県児童福祉施設連盟 常務理事

児童養護施設の地域における

子育て支援の課題

つつじが丘学園園長 川瀬 勝敏

2 子どものための福祉

事例 4 子どもたちが自分の家で暮らせるために 社会的養護を必要とする子どもたちの家庭支援

うずまきファミリー養育者・認定NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジ理事長 宇津 孝子

子どもたちとの暮らし

私は、専門里親を経て、何らかの事情で親と家庭で暮らせない子どもたち6人と一緒に暮らす、ファミリーホーム“うずまきファミリー”を開設しています。現在は、1歳・4歳・6歳・10歳・12歳・16歳の里子6人と19歳の実子との賑やかな暮らしです。下の3人は0歳児の時から一緒に暮らしています。

子どもの置かれている状況への苦悩や葛藤に寄り添いながら、子どもたちの成長と共に、私も少しずつ成長させてもらっています。

親も子どもも一緒に暮らすことを望んでいるのに、それが実現できずに年月が過ぎていく家庭と共に歩みながら、どうしたら、再統合という子どもたちの家庭復帰が実現できるのか、模索を続けています。

子どもの愛着障害との対峙

生後7か月から一緒に暮らし、保育園の入園まではおんぶに抱っこでいつも一緒に過ごした里子の娘は、今はもう小学生です。2から3歳のころから感情の起伏が激しく、1日に幾度となく泣き叫び、情緒が不安定になることが多い子でした。養育者である私との愛着関係を作ることに必死であるかのように、他の人が手を差し伸べても「来ないで!あっちに行って!」と叫び、私を求め続けていました。そんな娘の求めに応えつつ、娘の安心感が深まるよう、私なりにできる限りの思いを注ぎ、寄り添ってきました。

ところが、5歳を過ぎたころから、日常的にうそをつき、お菓子や小物を勝手に持ち出すことが続きました。話をして「もうやらない。絶対にやらないから。」と、自ら言っても翌日にはまた繰り返す、ということの連続でした。

愛着の絆を築いてきていたつもりだった私は、試し行動をされているようで、愕然としました。そして、自分でもコントロールのできない、怒りの感情がこみあげてくることに、危険を感じました。「私は、この娘を癒やすのではなく、傷の上塗りをしていってしまいそうだ」と。私は自分自身のキャパシティの限界を感じ、アメリカ、エバーグリーン心理治療センターでの“修復的愛着療法”の研修(講師:テリー・M・リヴィー 臨床心理学博士/通訳:ヘネシー澄子 社会福祉学博士)に参加をすることを決めました。以下、私の学びのノートの一部です。愛着障害について具体的にイメージをしていただけたらと思い、抜粋します。

愛着関係の障害とは

虐待・放置・親の喪失など、親・保護者との愛着形成が困難な養育環境により、人を信頼できず、怒りを抱え、自己防衛し、反抗的で他を支配し、親密さや愛情を退け、自制ができなくなるという障害。愛着障害とは、原初的トラウマであるといいます。

愛着障害の特徴と症状

1.行動:反抗的でけんか腰、衝動的、うそをついて盗みを働く、攻撃的、口汚い、(物、人、事柄に)破壊的で自滅的、動物に残酷で、多動・無責任である。

2.情緒:激しい怒りとかんしゃく、悲しみ、ふさぎこみ、うつ状態や絶望感を持っている。(往々にして隠されているが)恐怖と不安を抱え、いらいらし、社会的に不適当な感情反応を示す。

3.思考:自己、対人関係、人生一般に対して、否定的な信念(否定的な内的ワーキングモデル)を持ち、原因と結果を結びつけて考えることができず、注意欠陥で学習に問題がある。

4.対人関係:人を信頼せず、コントロールし(ボスのように振る舞う)、人を操り、こころからの優しい気持ちや愛情のやり取りができず、見知らぬ人に無差別な愛嬌をみせ、同年輩の子どもと対人関係が結べず、自分の過ちや問題を他人のせいにし、人に害を与えたり、被害者になったりする。

5.身体的分野:不衛生で、触られることを嫌い、遺尿症・遺糞症、怪我をしやすく、痛みを感じにくい。

6.倫理/精神的分野:信仰心、信念、信じること、同情心、悔恨など社会生活上に大切な価値観や意義の欠如、社会の暗い反面に心を引かれ、悪人(物、事)に自分を同一視する。

修復的愛着療法により生じる子どもの変化

・ 羽目が外れた行動を抑え、その頻度が下がる。

・ 自分の感情を認識して、それを他の人に差し向かいで、言葉で表現する。

・ セラピストや保護者に、以前体験した愛着に関するトラウマを直接に正直に話せるようになる。

・ 大切な人たち(保護者、兄弟姉妹、セラピスト)と肯定的な(安全で、心からの愛育的な)相互関係と愛着の体験をする。

・ 虐待に対する怒りや責任の追求を、自分や今の保護者ではなく、加害者に向け、昇華する。

・ 自分の否定的な内的ワーキングモデルの原因と現在への影響を認識し、肯定的な自意識と、他人に対する現実的な認識の信念体系を培う。

・ 信頼できる、支援的で養護的な人間関係を体験して、悪循環になっている否定的な人間関係を断ち切る。

・ 過去のトラウマ的な出来事や記憶に対して、新しい効果的な方法(エンパワーメント、脱感作法など)で、感情反応の強さを和らげる。

・ 怒り、恐怖、悲しみ、痛み、罪悪感、恥などの感情を認識して、それらを心から正直に表現して、他人から肯定的に受け取られた経験をする。

・ 自分の行為と決定に責任を取る:問題を解決し、社会に受け入れられる選択肢をとることを学ぶ。

・ 警戒とコントロールすることが、生存に絶対必要だと信じ込むのではなく、安全で信頼できる人間関係に入ることもできることを学ぶ。

・ 誰をどのように信用するかを学ぶ。

・ 自分には、愛着の対象になる人物が存在しなかったことについて、肯定的に「悲しむ」過程を体験する。(この喪失感は、鬱につながる)

・ 自分について肯定的な(信頼、尊敬、思いやり)配慮を持てるようになる:否定的な(内的)自我につながる自己卑下を減少する。

この修復的愛着療法には、ファミリーセラピー、インナーチャイルドワーク、サイコドラマなど多様な手法が用いられます。2週間家族全員が宿泊しながら治療を受けていくというものでした。

その中で、私にとって大きな学びは、親自身が自らの養育歴を振り返り、現在の夫婦関係や子育てへの影響に気付き、自己認識を深めることにより、子どもにとって自分との関係が癒やしと変化の最も重要な道であることに気付いていくということです。

私自身、養育に行き詰まりを感じ、研修に参加をしたのですが、娘の愛着障害は、私との関係におけるものではなく、胎児期・新生児期のものであることを学びました。そして自分が子どもたちの癒やしの親になっていくことを目指し、子どもたちの葛藤やトラウマによる苦悩と共に歩んでいかれる気持ちに変わりました。

子どもたちが家庭に帰れるための支援

愛着障害による子どもの複雑に絡み合った感情と、そこから生じる手の施しようの見えにくい言動を体験する中で、里親支援の大切さを実感しています。身体的・心理的虐待、ネグレクトを受けた子どもたちの多くが愛着障害を抱えています。その子どもたちを里親家庭で養育をしていく中での里親の精神的苦労は計り知れません。日本の里親委託率が15%に留まり、85%の子どもが児童養護施設にいくという現実を改善するためには、里親の支援機関が必要です。

また、子どもの養育ができなくなり、施設や里親に養育を委託せざるを得なくなった実親の元に子どもが帰れるように、実親の支援をすることも必要です。実親との月に1回の交流を続けていても、再統合できない家庭はたくさんあります。実親が再統合を望むのであれば、その支援をしていきたく思っています。

この春から「里親・実親支援講座」をNPO法人フリーキッズ・ヴィレッジで企画運営をしていきます。

「誰もが心豊かに平和に生きられる」日本であることを切に願っています。

子どもたちが自分の家で暮らせるために

社会的養護を必要とする子どもたちの家庭支援

うずまきファミリー養育者・認定NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジ理事長 宇津 孝子

宇津 孝子 1960年、東京生まれ。1998年、信州高遠の小さな山里に移り、自給自足を目指した生活を始める。2004年、認定NPO法人フリーキッズ・ヴィレッジを設立。2013年ファミリーホームとしてうずまきファミリーを開設。

2 子どものための福祉

事例 5 血のつながりはなくともかけがえのない家族

特別養子親子の会 由井 厚子

交流会成立の経緯

児童相談所が措置として委託する里親事業では、委託期間中に、経済面も含めて相談支援体制がありますが、特別養子縁組成立後の親子については、継続的な相談援助は得られません。

そんな中で、特別養子縁組を準備していた数組の里親が、1994- 5年に児童相談所主催の里親研修会に講師として来られた元愛知県の児童福祉司、矢満田篤二さんと出会いました。子育ての悩みなど相談する中で、特別養子を迎えた親子交流会の立ち上げの提案をいただき、役員会で準備を重ね、1997年1月に(社)家庭養護促進協会大阪事務所長(当時)岩崎美枝子さんを記念講演にお迎えし、10組の夫婦と9人の子どもで発足しました。

親子の関係をオープンにすることを望まない家族もあるため、この会の名前は、公表しませんが、血のつながりはなくても、かけがえのない親子関係を紡いできた家族があることと、それを支えるつながりの必要を知ってほしいと思います。

会の目標と決まり

当会は、「養親子の交流を通して子育てについての意見交換、同じ環境に置かれている子どもたち、その養親の絆を深め、子どもたちの健全な成長をめざすことおよび、養親希望者についても交流に参加してもらいながら、縁組後の良い親子関係構築へ支援していくこと」を目指しています。

会員は、プライバシーを尊重しあうことを約束しながら、「真実告知」をすることを前提にしています。

子どもと出会うまで

養子縁組希望者の多くが、不妊治療に終止符を打ち、それでもこの手で子どもを育てたいとの強い動機から、どうすれば子どもとの出会いが実現するのかわからないまま、児童相談所に里親登録し、出会いを待ちました。登録者数に対して里親に委託される子どもの数は少なく、まして乳児が、児童相談所を通して特別養子縁組を前提として里親委託されるケースは少なかったようです。

当会の家庭の多くは、当時民間で唯一の養子縁組の仲立ちをする機関(社)家庭養護促進協会の存在を知り、大阪事務所を通じて子どもと出会っています。

大阪まで養親講座に通い、さまざまな事情で、産みの親に育てられない子どもたちを引き受け育てることの厳しさ(親のためではなく、子どもの幸せのための家庭の提供であること、試し行動を受け入れて初めて親子結びができること、養親子はマイノリティーであること、真実告知をすることなど)を学び、出会いから特別養子縁組の法的成立までの過程などの情報も得て、その上で改めて親になる覚悟を固めていきました。

そうして出会えた乳児院や養護施設などの子どもを家庭に迎え、講座で学んだ「親試し」「赤ちゃん返り」の時期をしっかり受けとめ、親子結びをしてきました。2016年に放映されたTVドラマ「はじめまして、愛しています」をご覧になった方もいらっしゃると思いますが、描かれた「親試し」「赤ちゃん返り」は、家庭養護促進協会の岩崎美枝子さんが監修にたずさわっただけにリアルでした。

望まれる早期の出会い

家庭に迎えた時の年齢が大きいほど、また、保護されるまでの間に虐待など困難を経験した子ほど、親子結びができる期間が長い傾向があるようです。

子どもにとっても親にとっても可能な限り早期の出会いが望まれます。

「真実告知」

親子結びができ、かわいくてしかたのない時期そして可能な限り早い時期に、「真実告知」(血のつながりがないけれど、かけがえのない大切な存在であるあなたと親子であることを伝える)も求められます。

「真実告知」は各ご家族ごとに物語があり、お互いにどのようなタイミングでどう伝えたか、集まれば、交流のテーマにもなります。共通しているのは、一度で終わることではなく、年齢に応じて繰り返し伝えていくものだということです。

「産んでくれた人に会ってみたい」とほとんどの子が打ち明けてくれますが、今のところ実行に至った子はいません。親たちは、その節には可能な限りのサポートをする心づもりです。

会では、夏のキャンプをメインに、忘/新年会、総会、研修会、母親父親それぞれの交流会に取り組んできました。

子どもたちはそれぞれの家庭で告知されているのが前提なので、この会の親子が血のつながりのない家族の集まりであることを知るようになり、自分だけではなく、特別なことでもないこととして、受け入れていくように思われます。

出自を知る権利とプライバシー保護

子ども本人には、告知により出自を知る権利が保障されると同時に、子どものプライバシーも守られなければなりません。我が家の場合は、影響のある職場と親族までとし、借家住まいでつながりもほとんどなかった隣近所には知らせず、保育園や学校関係者にも、特別養子であることは一切伝えずに来ました。子どもは思春期に、心許せる友だちには、打ち明けたようです。

家庭養護の促進

関係者・当事者・支援者の努力や、待ったなしの虐待対応など社会の必要に迫られる形で、児童福祉法の改正がされ、社会的養護の中での家庭的環境での養護の促進が盛り込まれました。

生育過程では、心身の障害や発達に課題が見つかる子も多く、思春期の嵐も大変なしんどさですが、それらも子どもとめぐりあえたからこそ。当事者でなければ打ち明けられない悩みを出せる場として、支えあって現在20組の夫婦と26人の子どもからなる小さなグループですが、これからも、子どもの人権について学び、社会にも発信していけたらと思います。

貧困を背景とした子どもの虐待を減らし、多様性を認め合える成熟した社会になることを願って。

特別養子制度をご理解いただくために

■特別養子制度とは

 親のための普通養子制度の他に民法に追加される形で、1988年子どもの利益のための制度として施行。6歳未満の子どもを対象に、家裁の審判で産みの親との法的関係を終了して成立する親子関係。原則離縁は不可。戸籍には、長男/長女の様に記載される。

■里親制度の種類

①養育②専門③縁組④親族の4種類あり、③が特別養子縁組希望者

(参考文献:「赤ちゃん養子縁組」で虐待死をなくす」

      矢満田篤二・萬屋郁子共著 光文社新書2015)

 

■里親委託が少ない理由

 文化的背景・里親制度の周知不足・里親への支援不足・児相によるマッチングの手間・実親の了解が得られにくいなどの要因から。長野県の里親委託率は全国47 都道府県中下から9番目。

(資料:「長野県の里親委託の現状と課題について」2013年2月の長野県社会福祉審議会答申に2015年までの統計を加えた参考資料より)

■養子縁組の仲介をしている事業者

第二種社会福祉事業の届け出のあるもの(全国)

  2015年現在……………………21

   医療法人……………5

   民間法人……………11

   任意団体個人………5

(資料:日本財団ハッピーゆりかごプロジェクト

    http://happy-yurikago.net/#

※上記には、2017年に営利目的で元理事が逮捕された千葉県の団体やインターネットでのあっせんをしている大阪の団体は含まれていません。)

血のつながりはなくとも

かけがえのない家族

特別養子 親子交流会の20年

特別養子親子の会 由井 厚子

2 子どものための福祉

事例 6 児童施設の課題と未来 放課後における施設とおとなの関わり

非営利活動法人 ワーカーズコープ上田事業所 所長 土屋 一夫

上田市の放課後支援事業について

上田市の放課後の児童の居場所として児童館、学童、児童クラブとあり、児童クラブの登録児童数は今年度2,000人を超えます。多くの小学校が児童数減という状況の中で児童クラブの利用者数は増え続けています。増え続ける利用者に施設や職員体制等の課題も出てきています。国の進める「放課後プラン」についても一部の学校と地域が連携をとり進めていますが、児童クラブとしては関われていません。核家族、共働き、ひとり親、いろんな家族の形が増え、困難を抱えた家庭も増えてきています。それぞれの事情を持つ子どもたちの居場所のひとつ、それが児童クラブです。私共ワーカーズでは上田の22の児童クラブと1児童館を上田市より指定管理者制度により管理運営しています。

放課後の役割り

放課後の大切な役目の一つが居場所です。先生、保護者に干渉されない時間、一日学校のルールと時間割りの中で過ごし、夜は宿題、夕食、お風呂、就寝と分刻みのスケジュールが待つ自宅に帰る前の、つかの間の自由な時間(居場所)なのです。

自由な時間、自分で判断し行動できる時間はとても大切です。今、子どもたちは学校、家庭で守られています。放課後でも児童クラブや学童で決められたルールの中で職員に見守られ安全、安心を確保しています。ですが自主性を発揮する場を奪っているのではないか、とも感じています。そんな矛盾を感じながら施設の運営をしていると、時には怪我をする事、いろんなおとなと関わり、叱られることも必要な経験だと思います。本当に学ぶのは間違いや失敗からではないでしょうか。

さらに仲間や友だちを作る場でもあります。学校では不公平がないよう先生が管理指導していますが、それはおとなの価値観であり、子どもたちにはまた別の物差しがあります。その中でルールを決めていく大切な場です。

おとなを介さずにできることも放課後(居場所)の大切な役割ではないでしょうか。

地域の方からこんな質問されたことがあります。

「放課後、子どもたちが何をやっているか、何を考えているかわからないのは問題ではないか」はたしてそうでしょうか。

それはおとなが不安だから知っておきたいだけではないでしょうか。みなさんが子どもの時の事を思い起こして欲しいと思います。親や先生にひとつも隠し事がない方がどれくらいいるのでしょうか。大なり小なり言いたくない事は誰もがお持ちだと思います。子どもたちも同じように言いたくない事、放っておいてほしい事はあります。当然保護者やおとなが知らなければいけない事もありますが、子どもたちを一人格者として尊重しながら見守る事が大切なのだと思います。

放課後児童クラブの放課後

まずは放課後の大切さについてお話しさせていただきましたが、次に子どもたちが放課後をどのように過ごしているのか、児童クラブから見えてくる事をお話したいと思います。

児童クラブを利用するにあたり放課後、子どもを保護するおとながいない家庭という要件があります。また事業自体も保護者の就労支援という位置づけにあります。そういった要件からも日頃から家族との関わりが希薄な子どもが多い傾向にあります。

核家族、共働き、ひとり親家庭が増え利用児童は毎年増加し、仕事・生活に精一杯な家庭も多く見られる中で保護者の関心があまり子どもたちに向けられない事もさらに拍車をかけているのではと感じています。

就学前から充分に親からの愛情を受けていない愛着障害ともとれる児童が多いことからも保護者の厳しい状況が伺い知れます。また障害を持ち自宅で一人で過ごす事が難しい児童もクラブを利用しています。そういったそれぞれの事情を抱えた児童たちが集う場所が児童クラブです。親の都合だけで行かされている児童もいます。その子たちは放課後を自由に過ごしたいという欲求を親の都合で奪われていると思っています。そういったクラブに来たくない児童とも関係を築いていく、どんな子どもにも居場所を創る、という事もクラブの役割だと思います。社会情勢が厳しくなる程にクラブのニーズが高まっているというのは決して喜ばしい事ではありません。高まるニーズに設備や職員が追い付いていないという事も児童クラブが抱える深刻な問題です。課題は多いですが放課後施設は子どもたちの学校での様子、家庭での様子を両者から聞きながらもう一つの子どもたちの一面を見るという、実は一番子どもたちのいろんな信号をキャッチできる場所であり今後さらに必要とされる施設だと思います。

子どもたちと創る放課後

児童クラブは、どうしても保護者の都合が優先されがちなので、児童の中には前にもお話ししたように初めからクラブへ来たくない児童もいます。そういう子どもたちも居たいと思える居場所、ひとりひとりが求めている居場所を作る事が大切だと思います。また施設では、どうしても職員が指導してしまいがちですが、本来、放課後に指導はあってはいけないと思います。中には堂々と指導と謳っている施設もありますが本来の意味を考えると違うのではないでしょうか。

子どもたちが望む居場所を職員で知恵を絞ってもなかなかこれという答えは出ないと思います。私たち職員は当事者ではありません。当事者は居場所を望んでいる子どもたちです。では子どもたちの意見を聞いて、というのもありますがそれもまだ指導員的な考え方のように思います。

子どもたちで考え決定し創り上げていくことで本当に子どもたちが望む居場所ができるのではないでしょうか。私は常々職員は見守るだけになる事がクラブの理想ではないかと発信してきました。子どもたちを指導している状態はまだまだではないか、と思っています。子どもたちが考え、実践することで問題に気づき、また話し合い修正していく。これは本来子どもたちが放課後、普通にやってきた事だと思います。子どもたちの自主性に任せ、話し合いが煮詰まった時におとなが力を貸す、というような流れが理想だと思います。

自分たちで決めて創った事に達成感を感じ、それが形となったものであれば愛着を持ち大切にしていけるのではないでしょうか。そして、その中からリーダーが生まれてくると、リーダーを中心にクラブが動くようになり、子どもたちの中での規律が生まれてきます。

こうなると、職員は事務仕事くらいしかする事がなくなってしまうのではないでしょうか(現実はなかなかそうもいかないと思いますが)。

しかし、それが私の理想です。簡単ではない事も知っています。まず子どもたちを管理する事をやめた時点で多くの問題が発生します。ここで、もう一つ大切になってくるのが保護者の理解です。

子どもをただ預けるだけではなく育ちを一緒に考えていくという共通理解が大切だと思います。

そのためには保護者の意識を児童クラブのサービスを提供する側と受ける側というような解釈ではなく、ともに子どもたちを見守り、育てていく協力者という関係を築く事が大切だと思います。

「絵に描いた餅では?」と感じる方もいらっしゃるかと思いますが、実践しているクラブの事をお話しさせていただいています。たまたまそういう事がやり易い環境だったのでは、と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、その施設はむしろ難しい環境でした。

というのも、利用者の信頼は薄く、それまで管理されてきた子どもたちはストレスを抱え問題行動連発の日々を送っていました。その状況でルールを全部なくしました。そこからは自由を手に入れた子どもたちはやりたい放題、後は無法地帯でした。当然、怪我も増え、子ども間のトラブルも多発しました。ですが、それが子どもたちが変わっていく段階であり、必要な行動である事を保護者や職員が理解し受け止めたことで、子どもたちがやり切った後、自分たちがした事を振りかえり見直す気持ちが生まれてきました。

話し合うという基礎ができると後は、問題が発生するたび、話し合い、修正していくという繰り返しになって行きます。クラブの様子は大きく変わりました。

そこに至るまで、現場ではいろんな葛藤がありました。学校との関係、保護者の行き違い、職員間の意見の相違等、いろんな問題にぶつかりながらも、2年で大きく変わった子どもたち、その中でも2年前幾多の問題を抱えていた児童がリーダーへと成長していました。その変化を目の当たりにした学校も保護者も理解者・協力者へと変わっていました。

簡単ではありませんが、根気よく長い目で見ていくことが必要です。そして未来の児童クラブを子どもたち本来の居場所にしていきたいと心から願います。

児童施設の課題と未来

放課後における施設とおとなの関わり

非営利活動法人ワーカーズコープ上田事業所長 土屋 一夫

2 子どものための福祉

事例 7 学童保育で育つ子ら

建交労長野学童保育支部 松本分会 田嶋 みどり

1. はじめに

 学童保育に在籍している子どもたちは、スポーツ少年団、習い事、学習塾とは違い、自ら望んで入所してくる子はほとんどいません。両親共働き、単親家庭などで、昼間保護者が留守のためにまったく親の都合で入所してくるのです。

 私たち指導員は入所のきっかけはどうであろうとも、「明日もまた学童に寄りたい」「〇〇ちゃんと今日もまた遊びたい」など目的を持って通い続けてこられるように努力しています。

2. 学童保育の基本理念

(1)学童保育のめざす子ども像

① 基本的生活習慣を身につけ、自分の事は自分できちんとやりきれる子

② 一人でも遊べるし、大勢の中でも遊べる子。人との関わりが苦にならない子。

③ 周りの子の考え、思いに耳を傾けそれを尊重できる子。自分の考え思いもきちんと表明できる子。

(2)学童保育のめざす保育

① ゆったり、のんびりできる雰囲気を作り、子どもにとって居心地の良い場所となる。

② 一人ひとりを大切にし、それぞれの子に居場所があるように配慮する。

③ 子どもは子どもの中でこそのびる。集団の中にあって、もまれる事でこそのびる。

 それぞれの学童保育の指導員は、言葉の違いはあっても、上記のような目標を持って保育にあたっています。

3. エピソード

以下に2つのエピソードを挙げて 子どもたちの成長を振り返ってみる事にします。

エピソード① 

 ある日の土曜日の午後(今は指導員の自家用車に子どもたちを乗せる事はしませんが)私の車に子どもたちを7人程乗せて、少し遠くの公園まで出掛けた時のこと。走っている途中で、5年生のN君がお母さんと仲良く並んで歩道を歩いていた。それをすばやく見つけた2年生のA子が 「N君を誘いたいから車を止めて」と言う。すると6年生のT君が「いいよ。やめておけよ。Nはかあちゃんと楽しそうにしてるじゃん。誘うとわるいよ。そのまま行っちゃおうよ」と言う。A子が「あっ、そうか。そうだね。」と素直にT君に従う。車に乗っていた他の子もT君のいう事に同調した。

 6年生のT君は5年生のN君が厳しい家庭環境にある事を知っている。N君は他県からお母さんと2人で誰も知り合いのない松本にやってきた。妹は別れたお父さんの所に置いてきた。T君はふだんの子ども同士の会話の中でこのような事を承知していたのだ。お母さんと嬉しそうに話しながら歩くN君を見て「誘いたいけど今日はやめておこう」と感じたT君。この時一緒に車に乗っていた子どもたちも、T君のやさしい気持ちにすぐ共感し、T君の言う通りにした。子どもたちのやわらかい心、素直にものを感じとる心に触れて、とても嬉しい気持ちになった。25年たった今も忘れられない思い出である。

 この時は、在籍数が1から6年で20名程度。指導員は毎日同じ者が2名で保育していた。人数が少なくお互いの事がよく見え、理解しやすい環境にあった。学校も今より授業数が少なく下校時刻も早かった。遊ぶ時間が充分取れ、「宿題 宿題」と学校からも親からもせかされる事が少なく余裕があった。時間にも気持にも余裕があると、子ども同士の関係もギスギスしないで済むことも多かったように思う。

エピソード② 

 これはそんなに古い話ではない。5年生のY君。冬休み中のある日の事。この日は近隣のいくつかの学童クラブが集まって百人一首大会が開かれた。

 Y君は学年ごとに行う試合に優勝したわけではないが、自分では納得のいく成績だったのだろう。おやつ時に、今日の大会の感想を聞いた時、「僕は今まで『自分はバカだ、バカだ』と思っていたけど、今日の百人一首大会ではそうでもないという事がわかった」と発言。

 Y君は、成績が悪い訳でも、運動が苦手な訳でもない。リレーの選手だったりする。

 性格は穏やかで周りの子とむげに争ったりしない。

 友だちはけっこういる。年下の面倒を見るのは上手ではないがY君を嫌う子、苦手とする子はほとんどない。そんなY君がどうして上記のような感想を持ったのだろうか。

 Y君の学年は、入学時に男子が8人いた。6年の卒所時でも6人残っていた。この人数がいると、中には「僕はこんな事が得意だよ。」とか「こんなに僕は『がんばっているよ』感」をうまく周りにアピールできる子が必ずいるものだ。その子が計算しているか、いないか、は別にしても、目立つ子はいるものだ。また、中には小さい子に人気があって、本人の周りにチビちゃんたちがとっついてきて人気者になる子もいる。

 Y君はもしかしたらそんな周りの同学年男子を見て、うらやましかったり、『僕の方がうまくやれているのに』と歯ぎしりする場面があったかもしれない。

 どちらかと言うとおとなしい性格のY君だが、内心いろいろと思う事があったのだろう。

 「あいつはあいつ。僕は僕でいいんだ」と思えるようになり、4年生の冬頃から変わって来たY君。

 5年生の冬になり、Y君の表現がぐっと前向きになったと言える。その転機になったのが、今思うと5年生秋の学童バザーではなかったかと思う。

 このバザーで5年生たちは“子どもの遊びコーナー”手作りの“輪投げと射的のコーナー”を受け持った。この時Y君は猛然と頑張った。それを見ていたA君(やっている自分をうまくアピールし、そつなく何でもこなしていくタイプ)が、Y君がどんどん工夫し上手に仕上げていくのを見て少し遠慮をしたのか口を出さなくなった。A君がY君のやる事を認める形になった。

 行事で、班ごと・あるいは学年グループごとで作業や話し合いを進める際、“リーダー”が一人決めで進めてしまうような場合には、指導員は、周りの子を説得し巻き込んで“皆で取り組めないか……?”と働きかけ、促す事が多い。

 しかしこの時は、Y君が自分のイメージ通りに作りあげ、自分を出しきり、自分に自信を持てる事が大切である、と指導員間では考えて、一人で作業を進めるY君をやりきるまで見守った。

 しっかりとした“輪投げ”の台と輪ができ上がり、指導員からも年下の子たちからも褒められたY君。

 バザー本番ではたくさんのお客さんが並び、本人も手ごたえを充分に感じる事ができたと思う。

4. まとめ

2つの実践を通して思う事

 学童保育は親が安心して働けるように設けられた場所です。しかし、そこに通っている子どもたちの「どうしたいか」「どうなりたいか」という思いに気付き、寄り添い、発達・成長を促す場が学童保育であると思うのです。

 しかし、学童保育のこういった役割が充分果たせるためには、条件が整わなくてはなりません。

 1から6年生まで継続して在籍でき、毎日同じ仲間と指導員とで安定した生活集団が築ける事、しかも1学童クラブには最大でも40人程度の適正規模が守られ、ぎゅうぎゅう詰めで宿題やおやつの時狭くて困るといった事のないよう、一定の広さも保障されなくてはなりません。

 指導員や保護者の30年来の運動が実って、 一昨年、昨年とようやく学童保育の運営基準や保育指針が国より示されました。内容はまだ充分なものではありません。

 各市町村の実態を見てみると、国の示したものより良い内容で実施されている所は、ほとんどありません。

 この先も私たち指導員は保育実践を深めることで、「子どもたちにとってより良い保育とは何か」を、追求していかなくてはならないと考えています。

学童保育で育つ子ら

建交労長野学童保育支部 松本分会 田嶋 みどり

3 子どもとメディア・ネット

もくじ

これ以降は「子どもとメディア・ネット」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 子どもたちが考えるメディアとのつきあい方 市を挙げての取り組み 佐久市から  松島 恒志

事例 2 話し合おう!家族・友だち・ネットのルール ぼくたちわたしたちの大切にしたいもの  矢沢 智都枝

事例 3 ボクらの想いを光に乗せて  ネット文化が生み出す子ども・若者のシン・セカイ  ビッグこねこ

事例 4 「依存」には理由や背景がある ネットやゲームを取り上げても解決はしない  五十嵐 美智恵

「子どもとメディア・ネット」あとがき 立岡 淳志

「子どもとメディア・ネット」のリンクは以上になります。

「ゴハンよ」と呼びかける母親と スマホに夢中になっている 子どもたちのイラスト

3 子どもとメディア・ネット

事例 1 子どもたちが考えるメディアとの付き合い方 市を挙げての取り組み 佐久市から

佐久市教育委員会 学校教育課 主観指導主事 松島 恒志

押しつけられるルール

 

電子メディア機器は上手に使えばとても便利なものです。情報をリアルタイムに取得でき、また発信できます。今や、私たちの生活に大きく関わり、欠かすことができない存在となっています。しかし、負の影響として、特に子どもの電子メディア機器への依存の問題、ネットいじめやネット犯罪、個人情報の漏洩等のネットトラブルの問題、家族や友人等とのコミュニケーション不足の問題等が大きく取り上げられるようになってきました。それに伴い、これらの問題についてさまざまな呼びかけも行われるようになってきました。  

その中で多用されている、ルール、きまり、提言等について、時には有効な場面もありますが、おとなが考えた「きまり」「提言」なるものを子どもに押しつければ、子どもは抵抗感を覚えます。はじめこそ守っても、やがて守られなくなるのです。なぜなら、子どもは押さえつけられたり、制限されたりすることを嫌うからです。また、制限を例にとれば「フィルタリング」は確かに有効ですが、中学3年生まで制限がかかっていた子どもが、高校生になってまったくフリーのスマホを使うようになったらどうなるのでしょう。子どもは今まで経験したことのないような世界が目の前に広がることで、瞬く間にはまりこんでしまうのです。「高校生が1日7時間以上も使ってしまう」という報告は実際に多数聞くところです。

Saku Kids メディアSafetyと 佐久市教委が 小3から中3に向けて おこなったアンケート スマホやゲーム機を使って 心配なことについての 棒グラフ 縦軸が 回答の割合 横軸が 学年を示す 四種類の アンケートの内容は 左から 勉強中に メール等が来る、生活リズムの崩れ、体や心の問題、ネット上のトラブル、課金となっている

家庭・学校・地域が連携した協議体

子どもたちが、そして保護者がこれらの問題に危機意識を持ち、自らが考えるようになるには、依存が及ぼすさまざまな影響や、いじめをはじめとしたネットトラブル等について知ることから始める必要があります。

佐久市では、禁止や制限を推奨するのではなく、電子メディア機器やインターネットの負の影響について現状を理解してもらうための啓発活動に力を入れました。すぐ見える結果を求めて動くと子どもやその保護者に抵抗感が生まれるからです。危機意識は外からではなく、内から発生してくることが大切なのです。地道な努力ではありましたが、市内24校で学習会や研修会を重ねていきました。 

やがて学習会で学んだ子どもがそのことを家庭で話題にするようになり、研修会(講演会等)で学んだ保護者が、子どもの電子メディアとのつきあいかたについて危機感を高めていきました。そして平成27年8月、PTA連合会の代表保護者が、市当局との公の懇談会の場で「家庭・学校・地域が連携して子どもと電子メディアについて考えるネットワークを構築してほしい」との提案を行うに至ったのです。“内から発生した危機意識”が形となって踏み出す第一歩でした。市(教育委員会)とPTA連合会は直ちに関係団体に働きかけを行い、会議体発足の準備に取りかかりました。平成28年1月、保育園保護者会連合会や保育協会、幼稚園連盟、チャイルドライン、警察、医師会、佐久大学、青少年健全育成関係の団体、佐久市校長会等の多くの団体が参加し、「Saku Kids メディア Safety」という協議体が正式に発足しました。

この会では当初から、「子どもがネットトラブルに巻き込まれないために、また依存傾向にならないように、ネットやゲーム利用等に関してルール・約束を決めた方がよいのではないか」という意見が出ていました。その一方で、「ルール・約束を決めて子どもや保護者へ一方的に当てはめていく形をとると、前向きな取り組みができず、根本の解決につながらないのではないか」という意見も多数出されていました。そこで、同協議体では結果をすぐに求めるのではなく、電子メディア機器の利点をよく理解して上手に付き合っていく方向を、子ども自身が、また親子が共に考えていくという基本姿勢をもった協議体にしていくことを確認し合いました。

 協議体では、市教委がおこなっていた「子どもと電子メディア機器等に関するアンケート」の内容を、さらに実態が浮き彫りになるように項目を再検討し、実施範囲も電子メディア機器使用の低年齢化に警鐘を鳴らす意味で保育園、幼稚園の保護者まで広げて実施しました。同時に、「あなたが考える子どもと情報メディア」と題して絵画、標語(俳句)、作文を募集し、3,000を超える応募を得る中でさらなる意識の高揚が図られました。

Saku Kids メディアSafetyと 佐久市教委が 保護者に向けて おこなったアンケート 携帯電話やゲーム機等を 使うことへの 心配についての 円グラフ 上の四つの円グラフが 小学生の保護者 下の四つの円グラフが 中学生の保護者の回答 心配の内容は 左から 生活リズムへ影響、心や体へ影響、ネットトラブル、課金等 お金の問題が示されている

各学校での取り組み

市内小中学校では、子どもたち自身がアンケート結果をもとにしながら、学級で、学年で、あるいは児童会や生徒会が中心となって電子メディア機器との上手なつきあい方について考えました。その中で何より大切にしたのは、市全体の結果よりも、自分たちの学校が、そして自分たちの学年・学級がどのような状況になっているのかを見つめることでした。その上で課題をあらためて洗い出し、どのように取り組んでいくかについて、校内での話し合いが重ねられました。市内A小学校のある学級ではこんな話し合いが行われました。

「(私たちの学年には)スマホなどを平日に5時間以上も使っている人がいて問題だと思う」

「私がその5時間以上使っている人の一人ですが、私は勉強もちゃんとしているし、何がいけないんですか?」

「あなたのその発言が危ないと思うよ」

といったやりとりです。電子メディアに関する問題は、今の子どもたちにとってあまりにも身近で、毎日の生活に直結する課題が山積しているのです。A小学校ではその後も話し合い等を重ね、協議体主催で開かれた「Saku子どもメディアサミット」(後述)では以下のような発表がありました。

『「お手伝いをして時間を使えばゲームの時間が短くなる」「宿題をしてからゲームをすればよい」という対策を実行してみようということになりました。その後、実行できているか振り返ってみるとほとんどの人が実行できていないという実態が分かりました。どうすればよいのかをもう一度話し合いました。ゲームを持っていない友だちの生活を聞いてみると、犬の散歩や家の手伝いや自分の好きな工作などをして過ごしていることがわかりました。自分たちも【ゲーム以外の楽しいことを見つけてみよう】という結論に至りました』

B中学校では、生徒集会で全校生徒による話し合いが行われました。

「市全体でルールがあった方がよい」
という意見に対して

「中学生なのだから自己責任、自分で考えればいい」

「スマホ等はよくないと頭ごなしに考えない方がいい」

といった意見が出され、集会は当初の15分の予定から、その3倍の45分もかけた活発な話し合いとなりました。その時間は、子どもたち自らが真剣に考える貴重な45分となりました。B中学校ではこの後も話し合い等を重ね、「学友会として取り組めそうなこと」として、テスト前に「メディア週間」を設けることとなったのです。昇降口から教室棟に向かう廊下には、「メディア週間に取り組もう」という主旨の大きな垂れ幕状のものが何枚も天井から下がり、生徒はそれをくぐって教室に向かうようになったのです。後に生徒会がふりかえりのために実施したアンケートには以下のような生徒の回答がありました。

「メディア週間を通して、家族と過ごせる時間が前より増えた気がします。この週間をやってみてよかったと思います」

「テスト勉強がはかどり、目標越えの点数がとれた。自分の気持ちが何か別のものに向き始めた気がした。これを継続していきたい」

おとなが一方的にルールを決めて子どもたちにおろしたならば、このような感想は出なかったのではないでしょうか。

B中学校の メディア週間の 垂れ幕の写真

Saku子どもメディアサミット開催

平成28年10月には、Saku Kids メディア Safety主催で市内全小中学校の代表児童生徒が佐久平浅間小学校に集い、「Saku子どもメディアサミット」を開催しました。サミットでは各学校の取り組みを互いに共有すると共に、「電子メディア機器とのつきあい方について市全体で約束を作る」ことについて、意見交換をしました。子どもたちからは以下のような意見が続きました。

「楽しいことは時間を忘れてやってしまいがちだが、優先すべきことは何か、今しかできないことは何で、今でなくてもできることは何なのか、ということを考えられ、実行できる自分になりたい」

「市全体で約束はあったほうがいいと思います。そのときに、子どもの気持ちになって作ってほしいと思います。」

「【携帯を持ったときの心得】10か条を作成した。この中で一番心掛けたいことは、【外でもたくさん遊ぼう】。本校では2時間目休みと昼休みに多くの人が外で遊ぶ。これからも心掛けていきたい」

「人生の中での小学生の大事な時間をゲームやメディアでつぶしていることがわかりました。一度の人生なのに、人生の何か月分も損をしていることになります」

日々の身近な課題について話し合う子どもたちの姿は真剣そのもので、佐久市全体で取り組むべき3つの柱が見えてきました。

 ①生活リズムを整えよう・体を大切にしよう

 ②ネット被害(加害)に注意しよう

 ③家族や友だちとのふれあいを大切にしよう

市全体で約束を作るかどうか、については以下のような意見が続きました。

「家庭で使用するのだから家庭で約束を作るべきでは…」

「“個人の問題だ”と言う人がいるが、SNSでいじめをするのだからもはや個人の問題ではない。学校単位で約束を作る方がよいのでは…」

「命にも関わる重要な問題も含まれるので市全体で約束があった方がよいのでは…」

どれもうなずける意見が出されて結論は出ず、サミットの話し合いの内容を各学校へ持ち帰って、あらためて考えてもらうこととなりました。

また、サミット当日の参加児童生徒を対象に、Saku Kids メディア Safety定例の話し合いへの参加を呼びかけたところ、数校の児童生徒が参加希望の意思表示をし、特別委員として参加してくれました。子ども特別委員は、サミットの報告をすると共に、今年度の大きな取り組みの一つとして作成していた【子どもの電子メディアとの上手なつきあい方に関する啓発リーフレット(全戸配布) 】の原案についても意見を出してくれました。その中で「リーフレットについても、私たちだけでなくもっと多くの子どもの意見を反映させてはどうか」との意見が出され、おとなの委員の皆さまからも賛同の声があがりました。そこで、全家庭配布予定のカラーリーフレットの原案を各校に配って、多くの子どもたちに見てもらい、意見を寄せてもらいました。その意見を反映させた上で完成版を3月に保育園・幼稚園に在籍する全ての乳幼児の保護者、市内小中学校の全児童・生徒へ配布しました。

Saku 子どもメディアサミット 小学生の部の写真

子ども自身が考えるということ

ネットトラブルが大きな一因ともされる、長崎佐世保小6事件が起きた平成16年には、その事件を受けて県庁講堂で中高生が集まって「いきいきメディアフォーラム」が開かれ、私も参観しました。小グループでの意見交換では、「ケータイ・インターネット利用のルールを作ることについてどう思うか」をテーマに中高生が発言していました。「ルールで制限されるのは賛成できない」といった意見が続く中、一人の女生徒がこう発言しました。

「きまりやルールを作ることに反対しないけど、結局は私たちの心が決めることだと思う…」

これを聞いた他の参加生徒たちは「その通りだ」と、皆が賛同しました。きまりやルールを作るのは簡単だけれど、最終的に【ボタンを押す】【行動に移す】のは自分自身の判断にゆだねられているということです。私はその時、「子どもたちには禁止や制限でなく、自分で考え、判断していく力を育成していくことこそがこの問題の本質に迫る」と強く思ったのでした。

それから約10年余、私は「子どもたちが自ら電子メディア機器との関わり方について考えられるように」という啓発の活動を続けてきました。多くの方に理解を示していただきましたが、大きなうねりにはなり得ませんでした。こうしてむかえた3年前からの佐久市での啓発活動では、大きな手応えを感じはじめました。そして佐久市では、保護者が自らこの問題に目を向けて協議体を立ち上げ、子ども自身が考えることを重要視した活動が展開され、市を挙げた取り組みに発展してきたのです。PTAの方々が仕事との両立の中でこの協議体を立ち上げて運営し、参加団体の各位が休日返上で会議に協力されている姿に心が打たれます。時には周りから「この協議体が発足して1年経つが、まだルールができないのか」といった声を聞くことがあります。しかし、私たちは自信を持って答えます。

「ルールや約束を作ることが最終目標なのではありません。子どもたちが、保護者が、そして地域が、この問題を自分たちの問題として考えられるようになったことこそが、この1年間の大きな成果であったのです」

子どもたちが考えるメディアとのつきあい方

市を挙げての取り組み 佐久市から

佐久市教育委員会 学校教育課 主幹指導主事 松島 恒志

Saku Kids メディア Safetyってなに?

 佐久市の子どもと電子メディアの関わりについて、家庭、学校、地域が手を携えて考え、その問題に取り組んでいくことを目的として設立された会です。

 佐久市PTA連合会を中心に、保育園保護者連合会、佐久市幼稚園連盟、佐久青年会議所、チャイルドライン佐久、佐久市民生児童委員協議会、佐久警察署等、子どもの育成に関わる多くの団体が参加しています。

「メディアくん」という 携帯のキャラクターのイラスト
「セーフティちゃん」という ハートのキャラクターのイラスト

3 子どもとメディア・ネット

事例 2 話し合おう!家族・友だち・ネットのルール ぼくたちわたしたちの大切にしたいもの

セーフティネットアドバイザー 矢澤 智都枝

城南子どもわいわい会議

わたしの勤めている上田市城南公民館では、毎年、「城南地区子どもわいわい会議」を開催しています。この会議は、まさしく子どもが主役です。城南地区内の一つの高校、二つの中学校、三つの小学校の子どもが意見発表します。

昨年は、「考えよう!家族・友だち・ネットのルール」というテーマで、ネット利用における大切なこと・守りたいことについて、各学校で考えてきたことを発表しました。自分の個人情報も友だちの個人情報も守りたい、家族との時間を大切にしたい、ネット利用の時間や場所を決めて振り回されないようにしたい等の意見が出されました。

今年は同テーマの2年目ということで、小学生は意見発表だけでしたが、中高生は保護者、先生方と登壇し、パネルディスカッションを行いました。

パネルディスカッションの様子
「普段のネット利用の状況を教えてください」

中学生Aさん:親のスマホを借りて使っています。本当は自分のスマホが欲しいけど、高校生になるまで買ってもらえないので我慢です。

中学生Bさん:自分のアイポッドタッチを持っています。リビングですることが約束になっていますが、夢中になると3時間ほど使ってしまうので、よく叱られます。

中学生Cくん:部活で忙しいので毎日は使っていませんが、時間のある時はゲーム機でゲームをします。

中学生Dくん:自分はあまりネットを使わないのでトラブルに遭ったことはありませんが、友だちの中にはネットでいじめられたという人がいます。

高校生Eくん:ぼくはゲームが好きなので、深夜までゲームすることもあります。

保護者Fさん:子どもはゲーム機を使っています。制限をかけていないので大丈夫かなと心配もあります。

保護者Gさん:娘はスマホを持っています。何を見ているのか親は知らないので心配です。

教員H先生:中学校では情報モラルの授業はしているのですが、ネットトラブルは起きています。

教員I先生:無料通話アプリやオンラインゲーム等で深夜までネットをしている生徒がいるのが心配です。

パネルディスカッションの 全体の様子の写真

「学校の取り組みや家庭での約束事について
教えてください」

中学生Aさん:今は特に約束事は無いけれど、高校生になったらスマホで困らないように、よく親と話しあってルールを決めていきたいです。

中学生Bさん:SNSで個人情報を書いたりすることもあったので、これからは自分や友だちの個人情報は書かないようにしたいです。

中学生Cくん:学校生活が楽しければいじめも起きないと思うので、みんなにとって学校が楽しい場所になればいいと思います。

中学生Dくん:ぼくは生徒会役員なので、いじめの起きない学校づくりを目指したいです。

高校生Eくん:ゲームに夢中になりすぎて成績が下がってしまったこともあったので、テスト2週間前になったらゲームはしないと親と話し合って決めました。ゲームの仲間は学校の友だちなので、皆でテスト前はゲームをしないようにしています。

保護者Fさん:皆さんがしっかりと考えながらネットを使っているので、我が家も子どもと話し合って、ゲーム機の制限をかけようと思いました。

保護者Gさん:わたしも、皆さんの意見を聴いて、子どもが何をしているか、親はもっと知る必要があると思いました。

教員H先生:保護者の方々には、ルール作りのリーフレットを配布しています。是非読んで家庭で話し合っていただきたいです。保護者だけでなく、社会も、企業も、子どもたちがトラブルに巻きこまれている現状を知り、最善の注意を払うべきです。

教員I先生:ネットへの依存傾向を見直すために、ノーメディアデーを設けています。メディアから離れて、どのような時間を過ごしたか生徒と保護者で振り返ります。参観日の後の学級PTA等で、ネットの問題も含め、日頃心配に思っていることを出し合い、話し合う時間を設けています。PTA全体で課題を共有することが大事です。

パネルディスカッションで 保護者や教員が 発表している様子の写真

フロアからも意見が出されました

保護者Jさん:ネット機器の所有が低年齢化しています。小学校でも低学年からのルール作りが必要です。

保護者Kさん:高校生の意見、勉強になりました。子どもの置かれている状況や環境を理解し子どもと話し合っていくことが大切だと思いました。

保護者Lさん:一度買い与えたものを取り上げたり、後から制限をかけるのは難しいので始めが肝心です。長時間利用が成長に及ぼす影響も心配なのでしっかりと話し合っていきたいです。

分館役員Mさん:本来、ネット利用は家庭の問題ですが、家庭ごとにルールが違うと問題が起こりやすいので、家庭・学校・自治会・分館も、情報を共有し考えていくことが大切だと思います。

パネルディスカッションで フロアの方が 意見を出している様子の写真

活発な話し合いができました。子どものネットの適正利用は今後ますます重要になってきます。

この会議で感じたことを、参加者それぞれが、学校、家庭、地域に持ち帰り、29年度の取り組みにつなげていくことを期待しています。

城南地区子どもわいわい会議では、29年度も同テーマで深めていきます。    

話し合おう!家族・友だち・ネットのルール

ぼくたちわたしたちの大切にしたいもの

セーフティネットアドバイザー 矢澤 智都枝

矢澤 智都枝 上田市城南公民館勤務 社会教育指導員

セーフティネットアドバイザーとして県下各地の学校、公民館等でセーフティネットについて講演活動をおこなっている。

3 子どもとメディア・ネット

事例 3 ボクらの想いを光に乗せて ネット文化が生み出す子ども・若者のシン・セカイ

フリークリエイター ビッグこねこ

IC(情報文化)が育てたIT(情報技術)のセカイ

10年ほど前「電車男」というテレビドラマがありました。冴えないオタクが、とある女性からプレゼントをもらいます。そのお返しに何をあげればいいか悩み、大規模掲示板「2ちゃんねる」に相談の書き込みをします。書き込みを見ていた人は冴えないオタクの恋を応援するようになり……。こんなストーリーだったでしょうか。当時としてはかなりぶっ飛んだ作品だったのですが、架空の話ではなく実際に2ちゃんねるで起こったやりとりを元にしています。

ITという言葉があります。ITというと、どことなくクリーンでオフィシャルなイメージがありますね。しかし実際は、電車男のようなオタクの「趣味」や「技術的興味」がその発展を支えてきました。「こんなことをしたい!」を実現すべく、進化してきたのですね。日本でヒューマノイドロボットの研究が盛んなのは「機動戦士ガンダム」などのロボットアニメの影響が大きいとも言われています。技術が先にありますが、それを引っ張り上げるのは文化なのです。

僕は、技術の面ばかりが取り上げられがちな「IT」という言葉に対して「IC」(Information Culture)という概念を提唱しています。ネットは無機質なイメージですが、プログラムは「言語」で作られていますし、ネットワークは「人間同士のつながり」そのものです。

リアルへのアンチテーゼとしてのネット

オタクが気持ち悪がられた時代も、LINEが飛び交う現代でも、子ども・若者にとってのネットという存在の意味は変わりません。休む暇もなく勉強に、塾に、部活にと動き通しの子どもたち。人間関係に悩んだり、性や恋愛で戸惑ったり。でも心を許して相談できる相手もいない。そんなときにネットは「気兼ねなく遊べる場」「休息のオアシス」「自分を自由に表現できる場所」として機能しています。

おとなは酒も飲めるし、自由もある。では、子どもはどうやってストレスを解消したり、生きる意味を見い出せばいいのでしょうか。ネットは、子どもたちにとって、教室と自宅の息苦しさから逃げ出せる、唯一の場となりつつあります。

よくネットは「依存」という言葉とセットで使われます。「スマホ依存」とか。僕の勝手な考えですが「社会がもっと気楽だったらネットに逃げ込む人は少ない」と思います。なぜ子どもたちはネットにそこまで肩入れするのか。単純です。リアルよりネットのほうが、楽しいからなのです。もし本当に子どもたちに、スマホを使ってほしくないのなら、この辛い現実を変えて「リアルってこんなに楽しい」と思える社会を作るのが、一番効果があるように思います。

液晶モニタの向こうにもひとがいる

現代のネット上には、ネットを「危険」とか「遠ざけるべきもの」と思っているおとなたちには想像もしないセカイが広がっています。それは無機質ではなく「コミュニケーション」を基本とした有機的で人肌を感じるセカイです。ニコニコ動画やYouTubeに演奏やダンスを撮影した動画を投稿すれば、見た人から応援のコメントがつくかもしれません。ツイッターでつぶやけば誰かが冗談で返してくれる。ネットゲームにログインすれば、仲間と協力してひとつの物事を成し遂げられます。クリックひとつで欲しいモノも情報も手に入る。しかし、それだけでなく、現代のリアルでは感じにくくなってきた、ひととのつながりや基本的な幸せを得られる場所になっているのです。

ネットは自然に生まれたものではありません。ひとが作り、ひとが育ててきました。そのデータの発信元には必ずひとりの人間がいて、それを受信したのは私というもうひとりの人間。ネットは何か特別なものではなく、リアルを補完するものでもなく、人間の営みそのものなのです。ただ、物理的なコンタクトがないだけで、そこに関わる人間の気持ちは一緒です。いや、リアルの余計なしがらみがない分、よりピュアな気持ちがあるのかもしれません。

パソコンやスマホの液晶モニタ。暗闇に浮かびあがり、誰かがキーボードを叩いている。そんなイメージがよく使われますが、そんなおどろおどろしいものではない。むしろ、モニタの数だけ、血の通った人生があって、感情が動きます。楽しいことがひとつもない人生など、誰が生きたいでしょうか。現実がしんどいなら、せめてネット上だけでも楽しく生き延びたい。ひととして、正直な欲求の発露なのではないでしょうか。僕も人生でネットに助けられたことがたくさんあります。ネットがなければ、今の人生にはなっていなかったでしょう。ネット上の思い出、みたいなものもあるくらいです。それでもネットは「危険で」「遠ざけ」なくてはいけないものなのでしょうか。

管理的発想からの卒業

学校や若者の間では、実際のところ、ネットによるトラブルや問題が多発しているようです。被害者だけでなく、簡単に犯罪の加害者にもなりうるネットやスマホの利用。しかし、おとなは頭を抱えるだけで、実効性のある対策を打ち出せていません。それはなぜか。子どもたちの方がおとなより、ネットやスマホを“自分のもの”にしているからです。

最近は公園で遊ぶ子どもをめっきり見かけなくなりました。その代わり、どこで自分だけのセカイを作っているか。昔の公園の代わりがネット空間なのです。では「公園で遊ぶのは危ないからやめなさい」というおとなはいたでしょうか?せいぜい「もう暗くなるからお家に帰ったら」と言うくらいでしたよね。

ネットも同じです。子どもたちに「危ないことをしてはいけない」と言うかわりに「ある程度の自由」も保障されるべきです。そして「何が危なくて」「どうすればプラスに使えるのか」というのも学ぶ機会が与えられるべきなのです。

ネットやスマホは機械だからすべてきっちり管理できる、と考えるのは間違いです。子どもたちは手元の機械を操作しているのではありません。その遠く向こうの、広大なセカイに身も心も置いているのです。

まずは子ども・若者の目線で考える

日本を代表する産業にまでなったアニメや原宿ファッションなどのポップカルチャー。瞬く間に流行になったピコ太郎のPPAP。動画投稿サイトで注目を集めてメジャーデビューするミュージシャン。今の日本のカルチャーシーンは、ネットの存在抜きでは語ることはできません。カルチャーは誰が作るか。ひとです。カルチャーは誰のためにあるか。ひとです。サンタクロースを誰も見たことがないにも関わらず、存在が認められるのは、ひとの心のなかにサンタクロースを信じる気持ちがあるから。ひとがいなくなった瞬間に、カルチャーもひとも、そしてネットも消えてなくなります。

ITやネットというと、まだまだ、どうしてもハードやインフラとしてのイメージを思い浮かべることが多いかもしれません。ですが、日本でネットが広まりだしてから20年余り。もはやネットは子ども・若者にとって、ごくごく当たり前でそれこそ空気のような存在にまで降りてきました。子どもとネットやスマホの問題に対峙するとき、まずはそういう背景を知って、たとえ理解できなくても受け入れる、そういう姿勢をおとなは持ちたいものです。寄り添い、話し合い、子どもが主体的・自律的に生きていけるように、示唆してあげる。

僕は「人ありて街は生き」という、とあるラジオ番組のキャッチフレーズが大好きです。街は建物やシステムで成り立っているのではない。人がいるから街なんだ、という意味に解釈しています。ネットの世界も一緒です。「ひとがいるからネットがある」のです。もう一度おとなは、子どもとネットの関係を見つめ直し、新しい意味を構築する必要があるのかもしれません。

ボクらの想いを光に乗せて

ネット文化が生み出す子ども・若者のシン・セカイ

フリークリエイター ビッグこねこ

平成生まれ、長野市出身。中学生の頃に不登校と引きこもりを経験する。現在はNPOで働きながら、通信制の大学で哲学を学びつつ卒業を目指している。写真・文章が得意。ラジオと納豆が大好き。アニメやネットに詳しいいわゆる“オタク”でもある。

3 子どもとメディア・ネット

事例 4 「依存」には理由や背景がある

癒しの空間まごころ 五十嵐 美智恵

私たちカウンセラーは、いつもクライアントさんが自分を追い詰めないで欲しいと願いながら心に寄り添っています。時には、医療機関をはじめとする専門機関の協力を得ながら寄り添うことが必要になることもありますが、そこに繋ぐこともまた、カウンセラーの役割なのです。繰り返されてしまう抑えのきかない言動、どこかで食い止めなければならない行為に対しては、それぞれの専門家・専門場所がそれぞれの役割を発揮してその人の命を救うことになるからです。

依存にはまる心の苦しみ

増えている「ネット依存・ゲーム依存」の問題を考えてみたいと思います。

「依存」の背景には何が潜んでいるのでしょうか。どうしてなってしまうのでしょうか。そこには深い心の葛藤、我慢、抑圧、イイ人・イイ子であらねばいけない、認めて欲しい、受け止めてもらえないといった、「どうせ自分は」と、自尊心を失ってしまう苦しみがあり、何かに逃避してしまう原因があるのです。そしてひとたび深みにはまると、さらに自分を追い詰めて「依存」に陥り抜け出せなくなってしまいます。

その時、周りの人が「ダメ」「やってはいけない」と言って、やめさせるために必死になることは当然かもしれません。しかしこの時すでに本人はもう周りを見てはいません。聞こえてくる「ダメ」という言葉が、本人にとってはまた自分を否定された、認めてもらえなかったという気持ちを増大させ、ますます依存は深まってしまうのです。なぜ依存の深みにはまってしまうのでしょうか。多くのクライアントさんと向き合う中で私が感じていることは、幼少児期からおとなに向かう成長過程でどのように育てられたか、またそれを本人がどのように受け止めてどのように解釈してきたかによって、「執着の仕方」が大きく左右されると言う事です。更にはどのような感情を抱きどのような考え方・捉え方を身に付けてきたかも、「感じ方の癖」となって大きく左右していくと痛感しています。何か問題が生じたときに、夢中になれるものに執着したり、自分を追い詰めたりすることで、気が付くと苦しく八方塞がりになってしまってそこから逃げ出したくても前向きになれない方角にそれていきます。その時、自分をわかってくれるもの、安心させてくれるものに執着の移動が始まります。一回やってホッとした、楽しかった。また一回やって安心、そしてまた一回……と次第にそこにとどまることで、ここが一番自分を守ってくれる居場所なのだと学習してしまいます。いったん自分を守る方法を学習してしまうと、次から何かしら嫌いだと感じるたびに執着できるものに憑りつかれたようにやり続けてしまいます。やらずにはいられなくなった時がまさに「依存」にはまってしまった時なのです。       

子どものゲーム依存

小学校5年に入ったときお父さんとお母さんが離婚したことがきっかけでA君は学校を休みがちになってしまいました。母子家庭になったお母さんは朝から夜遅くまで掛け持ちで仕事をするようになり、家でA君と一緒に過ごす時間がほとんどなくなってしまいました。お母さんはA君が学校を休みがちになって部屋でテレビゲームをしながら過ごしていることに気づかないまま、半年がたってしまいました。ある時学校から届いた担任の先生のお便りに、「A君は家で何かありましたか。学校も休みがちですが」と書いてありました。そのお便りを見たお母さんは初めてこの現実を目の当たりにしたのです。慌てたお母さんはA君に対して「なんで学校休んだの。なんで学校に行かないの。お母さんは家を守るためにこんなに働いているのに。なんでこんなに困らせるの」と一方的に話してしまいました。お母さんが「こんなに頑張っているのに何で困らせるの」と言った瞬間、A君は「自分はお母さんを困らせる悪い子なんだ」と思ってしまい、それからお母さんとまったく会話ができなくなってしまったのです。そしてその日を境にまったく学校に行かず、自分の部屋に引きこもるようになってしまいました。

ゲームに居場所をみつけていたA君

会話できなくなって困ってしまったお母さんのご依頼で、家庭訪問をするようになりました。最初は部屋の前まで行ってドアをノックをしても返事が返ってこないままでしたがあきらめずに「こんにちはA君」の繰り返しをしているうちに、ある時ドアを開けて小さな声で「こんにちは」と言ってくれるようになったのです。私はドアを開けてくれたところから中を覗き込みながらA君の様子を見守る日々が続きました。A君がひたすらテレビゲームに夢中になっている姿を見ていると、なぜかまったく楽しそうには感じられず、逆に攻撃的になってゲームに夢中になっているように見えたのです。やがてA君は私を部屋の中に入れてくれるようになりました。「楽しい?」と質問したら「別に」。何を聞いても「別に」の繰り返しでした。「別に」の言葉の背景にはどんな思いが隠れているんだろうと感じながら、せっかく同じ空間で見守れる距離に入れることに感謝することにしました。同時にA君のやっているゲームを一緒に理解したい気持ちが涌いてきました。自分も必死にゲームの内容を覚えて、「一緒にゲームをやりたい」と伝えてA君から教えてもらう日々が続きました。いつしか二人で一緒にゲームをしながら会話ができるようになったころには、学校に行けなくなった理由を語ってくれていたのです。そしてお母さんに一方的に言われてしまった言葉がどれほど悲しかったかということ、どうせ自分なんかいない方がいいんだと思うようになってしまったことを語ってくれたのです。「ゲームをやっていると忘れられるし安心できるんだよ」というA君に「楽しい」とあらためて尋ねたときでした。「楽しくないよ。やる事ないんだもん。ただゲームに夢中になっていると楽なんだ」と初めて自分の気持ちを言ってくれました。「何故かお母さんに一方的に言われるたびにイライラして余計ゲームに夢中になるとイライラが治まって忘れられたんだよ」と。だからゲームにはまってしまうのだ……と言うことがよく理解できたのです。A君は、あのまま放置したら、完全に「ゲーム依存」になり、回復がむずかしい状態になっていたかもしれません。

「依存」からの立ち直りに寄り添う

子どものゲームやネット依存について、たんにそれを取り上げたり時間を減らしたりすることでやめさせようとするのではなく、「なぜ依存しているのか」「何から逃避しているのか」、背景にある本人の心に共感して寄り添うことが大切だということをわかっていただくために、おとなのアルコール依存の例をご紹介します。

私は成人の「依存」にも多く出会い、カウンセリングを続けています。「今ここ」が軽減できたのでもう治ったから大丈夫と安心して治療・カウンセリングすべてを打ち切ってしまったケースも幾つもあります。打ち切ってしまうとどうなるか。アルコールの場合のケースでは自分を見失ってしまうことによって暴走してしまい飲酒運転で人を殺めてしまうことにつながります。心理学ではこうした行動を「死の回避行動」と言っています。私はアルコールが招いた死の回避行動によって人の命を奪ってしまい刑に服しているクライアントさんとも向き合ってきました。刑務所に入ってはじめて自分と向き合うことに気づけた彼は、自分を追い詰めることの恐ろしさを知りました。そこには幼児期に身に付けていた、弱音を吐いてはけない、期待に応えなくてはいけないと、いつもがんじがらめになっていたことから逃げだしたくてもがいていた自分がいました。そこから逃げるためにアルコールに依存していたことに気づき、「後悔で一杯です」と本人は語ってくれました。そこから立ち直れないと同じ繰り返しの人生を通ることになります。だからこそ私たちカウンセラーの役目は、いつも立ち止まってさまざまな専門家の力をお借りしてブレーキが掛けられたその後、自分の弱い心を人に振り回されないで自分のためにどのように自分の人生を大切にできるかに気づいて歩きだそうとする心の働きに寄り添うことだと痛感しています。同時にカウンセラーだけでなく一番本人に関わってくれる家族や周りの人の理解・わかろうとする・認めようとする・本人を尊重する関わり方が、実は一番大きな支えになるのだと確信しています。この支え合いこそが本人を依存から脱出させてくれる生き方に近づけ、安心を増やしお互いに笑顔で寄り添い合える未来になると私は信じております。

「依存」には理由や背景がある

ネットやゲームを取り上げても解決はしない

癒しの空間まごころ 五十嵐 美智恵

五十嵐 美智恵 埼玉県生まれ。個人カウンセリングはもちろん、企業、学校における心の悩み相談、セミナーの開催等幅広く活動中。

子どもとメディア・ネット

子どもとメディア・ネット あとがき

長野の子ども白書編集委員 立岡 淳志

子どもたちを取り巻く世界には、さまざまな課題があります。それは時代とともに移り変わりますが、その中で一番新しいと言ってもいい分野が、この「子どもとメディア・ネット」ではないでしょうか。しかも、ここ10年余りで、その有り様は激変しています。テレビが影響力を失い、スマホが普及し、ネットのつぶやきが世界をも動かすようになりました。

そんな流れの中、実際の子どもたちの現場では、どんなことが起こっているのでしょうか。ネットいじめやゲーム依存、スマホの長時間利用などの問題があり、それに対しておとなたちは「スマホ制限・禁止」というような策で対抗しているのが、よく聞かれる話なのではないかと思います。

しかし、本書の「子どもとメディア・ネット」分野を開くと、世の中のイメージとは少し違った「子ども“対”おとな」ではない新しい「子ども“と一緒に”おとな」の姿が見えてきます。

松島氏からは、子どもへ押し付けるルールではなく、子どもが主体的に考えられるようになる取り組みを学校・家庭・地域が全体でおこなっていく、そういった環境づくりが始まったことが報告されています。矢澤氏の報告からは、自分たち、それは子どもだけでなく、先生やおとなも、自らメディア・ネットとの付き合い方を考えて、自分で「ルール」を作っていくアクションを実践している様子がわかります。筆者(ビッグこねこ)は、ネット利用当事者の目線から、おとな世代のメディアや子どもとネットに対する意識の変革が大事であると訴えました。五十嵐氏の寄稿は、この種の問題としてよく取り上げられる「ネット・ゲーム依存」は、その当事者にとっては、実はネットやゲームが本人を支えている存在であること、そして、ネットやゲームをただ悪者として取り上げるのではなく、その依存の裏に隠れている「本当の困難」に気づき、寄り添って支援してくことの大切さを浮かび上がらせています。

確かに今、全国各地で日々「問題」が起きている現状があります。そしてその「問題」はなかなか解決していないのではないでしょうか。まるで、スマホとおとながいたちごっこをしているようです。でも、そういう中で、ふと「これでいいのだろうか」と思う方もいると思います。「子どもには安心して豊かに育ってほしい」と思いつつも「でも、子どもにもスマホやネットを使う権利や意味もある」と考える。そんな、メディア・ネットにまつわるモヤモヤを少しクリアにするヒントを、この『2017長野の子ども白書』の「子どもとメディア・ネット」分野の各稿は示唆してくれています。それは「真の意味で、おとなが表面上ではない子どもの今を見つめること」そして「子どもが自分で考え行動できるようになること」が、結果として種々の問題の解決につながる。そんなことが読み取れるのではないでしょうか。そして、これは別段「メディア・ネット」に限定されたものではなく、子どものすべての関わりと成長において必要なことだと思うのです。そう、メディア・ネットという最先端のことに関してですら、子どもを教え育てることの、根源的な答えに帰結するのです。

おとな目線で見ると、一見特殊で特別な存在になってしまう「メディア・ネット」という分野。しかし、子どもたちからすれば、ごくごく自然な生活の一部なのです。生活の中身だからこそ、問題も起きます。もう一度、おとなは、子ども目線になり、子どもとともに学んで一緒に育っていく、そのような教育というものの温かいマインドを思い出して、メディア・ネットやスマホ、ゲームといったものとの付き合い方を模索し、さらには利活用できるようにしていく必要があるのかもしれません。

4 子どもと多文化共生

もくじ

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事例 1 外国由来の子どもたちの現状と教育保障 地域で出会った子どもたちから多文化共生を考える 川澄 利枝子

事例 2 ことばの壁、文化の壁 ブラジルから来た家族に必要な支援を考える 横谷 マリア

事例 3 松本市における子どもの日本語教育 行政との協働と実践 栗林 恭子、西尾 淳

事例 4 子どもたちとスタッフがともに成長する場としてのにほんご教室 学生スタッフの視点から 西村 玄矢

事例 5 タイの子どもたちへの日本語支援の経験からの私見 北原 広子

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二人の国の違う子どもが 遊びあっている様子のイラスト

4 子どもと多文化共生

事例 1 外国由来の子どもたちの現状と教育保障  地域で出会った子どもたちから多文化共生を考える 

(特)中信多文化共生ネットワーク副理事長 松本市日本語教育支援員 ヤングにほんご教室代表 川澄 利枝子

平成9年、地域の公民館活動としての「日本語教室」から始まり、何か国何人の子どもたちと巡り会ったことでしょう。「子どもは言葉もすぐ覚えるから大丈夫」というまやかしから抜け出て、同じ子どもなのに教育を受けられず、自尊心さえも知らないような子どもたちの課題に向かい合い始めました。思いを共有する仲間に恵まれ、行政の理解を得られ、今の「松本市子ども日本語教育センター」があります。開設して7年余、子どもの日本語教育の専門性を極め、課題解決に向けて教育委員会と協働で取り組むことができています。

1.学校現場では

・松本市でも比較的多く外国由来の方々が住んでいる地域の小学校に日本語指導で出向いていたときのこと、1年生の子猫のような目をした男児がいました。日本語指導が始まってもなかなか口を開こうとはせず、グループ指導の教室から事あるごとにピューっと飛び出して行きます。追いかけると階段の下にうずくまっています。一緒に追いかけてくれた同国の4年生男児が私に通訳してくれました。「どうしてみんな僕のこと嫌いなの。僕は悪い子じゃない」その子がそんなふうに思っていたことを誰も知りませんでした。その子は転校した先で日本語教育支援員がマンツーマンでゆっくり寄り添いながら日本語指導を進めるなかで、徐々に心を開き始め、日本語を話すようになりました。

・教室に入ってくるなり「僕は普通になりたい!」と言って泣き出した子もいました。すでに上手に日本語を話せるようになり、先生にも友だちにも恵まれ楽しく過ごしている子でした。なぜそう言ったのか、その子の言う「普通」の意味を、ずっと考えています。

・クラスでも担任教員にしてみれば外国からの転入生には手がかかるのは当然です。「どうも粗暴で」「発達障害ですかね」「どうして話してくれないんでしょう」「心配ないですよ、子どもの中ですごしていれば話せるようになりますよ」。思い起こせば本当にいろいろな子どもたちで一人として同じ子どもはいませんでした。そして同時に、周囲の対応もさまざまでした。

子どもだからこそ育つ環境の一つひとつの要素がその子の今に現れているとも言えます。子どもの成長にとって言葉の成長は欠かせないものです。日本語教育支援員は一人ひとりの子どもにあった日本語指導で事象と言葉を繋げます。相手の言葉を理解し、自己の意見を表明できるまで日本語力を付けなければなりません。その専門的指導スキルと合わせて、日本語は心が開かれなければ本当の力になりにくく、「今この子は何を必要としているのか」見極める力が必要です。この状態はこの子のどこに、何に起因しているのか慮ることが大前提なのです。

学校に専門性のある日本語教育の体制作りを提案し続け、松本市は「子ども日本語教育センター」がNPOとの協働により実現しましたが、その仕組みがいかに機能するかは学校現場での「連携」に関わっています。

2.家庭の状況は

・母親が急な事情で母国に行ってしまい、その子一人で家にいることが発見され、児童園に入りました。学校では、鉛筆の持ち方と線を引くところからでしたが、無心に頑張る姿がありました。母親が児童園に迎えに来たとき「僕はここにいたい。ママは時々来てくれればいいよ。」と言いました。事情で帰国することになったとき「僕は日本にいるから…」と言ったそうです。

・ある国の家族が校内の日本語教室を見学に訪ねてきました。その後4年生に女児が転入し、日本語指導も始まりました。初めの頃は順繰りに体のあちこちが痛いと保健室に行き、養護の先生に湿布してもらったり、さすってもらったりしていました。家では両親が帰るまで2歳の弟にご飯を食べさせたり、お風呂に入れたり、世話をしながら宿題をしていました。「ママは時々怒って叩くの」とも話しました。

・A国人の母とB国人の継父、母親は日本の学校に行くからと日本語だけで育てようとし、母語がない状態でした。言葉だけでなく、体験を伴う概念形成からの指導を必要とする児童でした。

・両親は朝から深夜まで働き詰め、父親の夜勤の職場でパイプ椅子に寝ていた女児はなかなか日本語の読み書きが進みませんでした。

・両親とも若い時に来日、10代で結婚。日本語は片言。子どもはWリミテッド(※)になっていました。

・両親が離婚し母親とシェルターへ移り、不登校になった中学生。突然帰国したのですが、母国で中学校へ入れるようになったのかどうか心配です。

・日本人の父親は難病になり、母親を支えるには小中学生の姉妹には重すぎて…。

3.地域の課題として

子どもにとってはあまりに過酷な家庭の状況があります。原因は家庭にあると言っているだけでいいのか、いつ、誰が、どこで支援するのか、巡り合った人の善意だのみでは課題解決とは言えません。

親は子どもを育てることに必要な知識を日本語がわからない故に得られません。文化の違いもありますが、学校へ行っていれば大丈夫と思っているところもあります。子ども社会における人との関わりがとかく薄くなるに加え、貧困やひとり親ゆえに親子の関わりも乏しい、体験不足による成長への影響も出ています。何より生活日本語はできるようになっても、年齢相当ということだけで入れられた学級での教科学習にはまったくついていけません。

「ヤングにほんご教室」は立ち上げ時の目的は学齢期過ぎの若者の日本語支援(進学・就職支援)でしたが、今は小中学生がほとんどです。中国・フィリピン・ブラジル他、多文化の子どもたちが分からないところを分かるまで諦めずに勉強するところです。安心して過ごせる場で、地域の人々と関わる中で社会性を身に付け、そして「学ぶ」ことの意味を体得することが目標です。

4. 中学生が高校へ行くには

小学校6年生でC国から転入、日本語はゼロからのスタート、日本語指導により生活に必要な日本語は身に付けコミュニケーションは事欠かなくなりました。しかし、中学校進学の話になると、「いいよ、僕もう一年小学校に行くから」。聞けば国では小学校2年しか行っていなかったのです。国によって学校教育のシステムや教育内容の違いもあり、日本語を話せるようになっていても小学校の基礎学力がなければ、中学校の授業についていくことは困難で、教育課程を修了できないまま中学卒業を迎えることになります。いわゆる「形式卒業者」のまま社会に出たところで、どんな道があるのでしょうか。貧困、非行、犯罪、引きこもり…、想像を絶します。年齢は過ぎても、義務教育課程を修了する意味は、基本的な知識を蓄え、そのことにより自らがこれまで生きてきた過去から将来までを展望し、人生を考えられる力を持つことです。他を理解し、自己との関係を築くこと、目の前の事象を判断する思考力を持つことができなければ、社会人として自立ができません。外国由来の子どもたちの現状、課題を直視し、的確な対応がされなければ、負の連鎖は断ち切られることがなく、未来の社会の損失はさらに増大するのではないでしょうか。外国由来の子どもたちの学ぶ機会の保障は、現状の体制では課題を解決することはできません。何かしら学び直しの仕組みを構築することが近々に必要と思われます。

5.私たちが学ぶこと

外国由来の子どもの成長のために学校・家庭・地域社会、それぞれに課題があることは今や明白で、元は国の政策の問題と言われることも事実だと思います。日本語教室活動を始めて約20年、子どもの支援にとりかかって十数年、まだまだ多くの子どもたちが取り残され、本来のその子の成長が保障されてはいません。それは何に起因するものなのか、ずっと考えてきました。実態を直視しての課題がなぜ県や国には届かないのか。官民協働がなかなか実現しないのはどうしてなのか。「時間がかかるもの」と言われても、毎週出会う私の目の前にいる子どもたちには間に合わないのです。

「学校に」「家庭に」問題があると言っているばかりではなく、枠組みを超え、一緒に考え、できることをまず実行することからだと思います。そのために市民が当たり前に「権利」を行使できる社会人になることが必要です。多様な人々がお互いを理解し、容認できることが「多文化共生」の真髄であり、社会の課題を自分のこととして考える想像力を持ち備えるシチズンシップ教育の現場です。私は、日々の活動の中で外国由来の子どもたちから命の尊さを、生きることの意味を教えてもらっています。

(※)ダブルリミテッド:母語と日本語の両言語とも年齢相応のレベルに達していないこと。

外国由来の子どもたちの現状と教育保障

 地域で出会った子どもたちから多文化共生を考える 

川澄 利枝子

4 子どもと多文化共生

事例 2 ことばの壁、文化の壁 ブラジルから来た家族に必要な支援を考える

ポルトガル語通訳 横谷 マリア

通訳としての20年

私は1997年から小学校と中学校に通っているブラジル国籍の児童・生徒にポルトガル語の通訳などをする活動に従事しています。

当時通っていたボランティアの日本語教室でのつながりから、ある町の教育委員会の依頼を受けて、週1回小学校へ行くことになったのが始まりでした。

その町にある会社には、3人のブラジル人男性が母国から家族を呼び寄せて働いていました。突然新しい環境に入れられた子どもたちは、まずまわりに溢れる言葉が理解できず、学校生活に慣れるのはとても大変でした。しばらくしてまた数人の子どもも転入しました。教育委員会では5人以上の外国籍児童・生徒が在学していると、まず日本語を教える支援を行うことになっていました。教育委員会の私への依頼は、子どもたちが学校生活に慣れるための「通訳」という仕事でした。子どもたちの母語はポルトガル語です。

実際、子どもだけでなく家族全員が日本で社会生活をするためには、役場や病院や学校などの公的な場所をはじめ、交通や買い物など多くの場で「通訳」が必要でした。

言葉だけでなく、文化のちがいが大きな壁

子ども本人やその保護者と関わるうちに、言葉だけではなく、子どもたちにはこれまでと違う文化を受け入れることが大きな壁なのだと気づきました。給食が口に合わない時は、ご飯に塩やふりかけをかけて食べさせてみました。牛乳もそのままでは飲めないので、温めて砂糖とココアを入れたりして慣らしていきました。この子どもたちの中には中学生が二人いました。しばらく小学校で学校生活に慣れてから中学校に行きましたが、それでも教室に入ろうとしませんでした。新しいことずくめの環境にまたひとつずつ慣れていかなければならなかったからです。このことをお父さんに知らせるために、学校の先生の話を通訳しました。その時、保護者の考えも大きく違うのだとわかりました。

お父さんたちの考えは「教室に入らなくても、学校の敷地内にいるだけでいい」ということでした。学校は安全な場所で先生がいて、給食も食べられます。つまり、お父さんとお母さんが働いている間の「居場所」(保育所のような施設)を考えているようでした。当時多くのブラジル人の保護者は同じような考えを持っていたと思います。

しかし私は、このことを機に、学校は子どもたちを「預かる場所」ではなく「教育を受ける場所」であるという思いを強くし、保護者にも伝えてきました。この20年間に十数人の子どもたちに学ぶ支援をしてきました。

ブラジルの学校と日本の学校とのギャップ

私自身がブラジルの教育を受けた頃、学校の授業は半日、給食や掃除も、水泳や音楽の授業もありませんでした。学校には救急箱がありましたが、保健室はありません。入学式、家庭訪問、授業参観、個別懇談会といった保護者の関わる行事はありませんでした。でも、卒業式に保護者が参加します。

多分、今もそれほど違わない学校生活を過ごしていた子どもたちが、日本に来て感じる大きなギャップは計り知れないものがあります。保護者にとっても、学校に期待するものが違うのは当然で、日本の学校の意味や仕組みを理解することはとても大変な事だと思います。私自身、日本人と結婚して2人の子どもを育てる中で、子どもたちのために進んで多くの学校行事に参加してやっと理解してきたのです。だから、日本語を話さないブラジル人に言葉と生活の違いを超えてもらうためにはポルトガル語で説明しなければなりません。

いじめの問題に見える壁

ブラジルから来た家族は日本の社会との関わりがほとんどありません。しかし、日本のいじめ問題が報道やインターネットでしばしば取り上げられているため、子どもたちは「入学するといじめを受けるのではないか」と必要以上に反応し、過剰に心配しているのです。外国人であり、日本語でうまくコミュニケーションができないために、学校生活の中でトラブルがいつ、どんな状況で発生するか予測はできません。私は保護者や先生から「ブラジル人の子どもがいじめを受けている」と聞くとすぐに動きます。面会が可能であれば、通訳をします。言葉の壁に対する支援です。

ある時、当時小学校2年生のブラジル人の子がいじめを受けていると聞き、学校で保護者と担任の先生と私の3人で話ができました。保護者は状況を細かく語り、相手の悪い行動、子どもの嫌な気持ちを繰りかえし話して、心にたまっていた嫌な気持ちをすべて吐き出し、最後に「相手の子どもは娘にごめんなさいと謝りました」と言ったのです。

「えっ!謝りましたか?」私はそれを聞いていませんでした。面会する前に担任の先生は相手の子どもに「指導」をして、子ども同士で「ごめんなさい」と「良いよ」との会話の中で反省と許す気持ちに変わっていたのです。保護者にポルトガル語で「指導をした」と通訳しても、意味がよく分からなかったようです。担任の先生も相手の子どもも自分の子どもも信じる事ができなかったのでしょう。文化の違いの壁は高く、保護者は「また、いじめられるだろう」と心配するのです。

いじめの問題はそれ自体が複雑で微妙な面があり、言葉は通じても気持ちが通じないことも多いものです。にもかかわらず、いじめが発生した時にブラジルから来た家族は「日本語は少しできます」と、足りない日本語で話したり(言葉の壁)、相手の言うことが理解できなかったり(文化の違いの壁)するため、もっと大きなトラブルになる可能性があります。関係している人たちの心の傷がもっと深くなったり、距離が遠くなったりすることがあって、とても残念でなりません。強い警戒心から、いじめを受けたと思いこむこともあります。これを理解させるのは難しく、相手の行動を許すことも難しいのです。

保護者の学ぶ場所を

日本では程度にもよりますが、相手の子どもと保護者はいじめられた子どもの自宅を訪問し、謝ります。場合によってお菓子も持って行くことがあります。

最近、「日本語は少しできます」と思っているブラジル人の保護者にこのことを教えました。「子どもとお母さんは家に来ました。いっぱい話したが、“ごめんなさい”だけ聞き取りました。相手のお母さんは子どもに“ごめんなさい”を言わせました。お土産を持って来ました」と、電話で私に話してくれました。私が確認したかったのは、「親が子どもを連れてお土産を持って謝りにくるという日本の習慣から何を感じましたか、何を学びましたか」と聞きたかったのです。

日常生活、学校生活で、子育てしているブラジル人のお母さんにはたくさん学ぶことがあります(教育用語など)。平成26年度に(公益)長野県国際化協会主催の「バイリンガル日本語指導者育成講座」(文化庁委託事業)を修了し、得た知識の中から「外国籍の子どもの保護者の日本語学習」がとても必要であると感じました。教育を受ける権利がある外国籍の子どもたちは学校で勉強しています。しかし、保護者は学校生活や教育関係の言葉を学ぶ所がありません。

平成28年度に地域の公民館で2回の勉強会を計画、実施しました。

・1回目は「年間行事予定表」に記載している言葉のリストを作成し、日本語、ひらがな、ポルトガル語の順で書いて、行事のことを説明しました。

・2回目は「夏休みの過ごし方」です。勉強会の途中に次の説明をしました。水泳の最後の授業に児童は体操着でプールに入ります。着用体験。お母さんはその後に濡れた体操着を洗うことしか分からないのですが、危険性や安全面のことを説明したら、「学校は素晴らしいですね」と感激した様子です。

2回の勉強会を通して、ブラジル人の保護者は「日本の学校は子どもの安全について良く考えています」、「ブラジルに無い学校行事が多い」、「学校行事を知らないから子どもに説明することができません」などの声が聞かれました。実際にブラジル人の家族は子どもの教育について興味がありますが、学校の中では、ポルトガル語で丁寧に教えてもらえる機会がほとんどありません。

1991年からブラジル人労働者を受け入れ、ブラジル人の子どもたちを真剣に強く支援していますが、育てている保護者にも日本語学習(学校の専門用語)を検討する時期になったということでしょうか。

ことばの壁、文化の壁

ブラジルから来た家族に必要な支援を考える

ポルトガル語通訳 横谷 マリア

Maria de Lourdes Uema Yokoya(横谷マリア) ブラジル・サンパウロ出身、日系三世。来日25年目。日本人の妻、22歳と16歳の母親。外国人子女生活指導相談員(平成9年9月から11年3月)、マットグロッソ連邦大学 教員資格取得遠隔教育コース(平成25年卒業)、バイリンガル日本語指導者育成講座(平成26年度修了)

4 子どもと多文化共生

事例 3 松本市における子どもの日本語教育  行政との協働と実践 

松本市子ども日本語教育センター コーディネーター 栗林 京子、西尾 淳

はじめに

昨年、長野の子ども白書に「子どもと多文化共生」の分野で初めて原稿を載せていただきました。外国由来の子どもたちの言葉の問題については、残念ながらまだまだ十分に周知されているとは言えません。長野県内では松本市の施策が進んでいるといわれます。それでもまだ十分とは言えませんが、一歩一歩進んできた経過を振り返りながら、さまざまな課題、解決の糸口、今後の展望等について述べたいと思います。

 平成21年11月

・国の補助金を活用して、松本市立田川小学校内に「松本市子ども日本語支援センター」設置。

・「学校→市教委→センター→学校へ支援員派遣」という枠組みを作る。

 平成23年

・国の補助金打ち切りに伴い市の委託事業へ完全移管。

 平成25年

・就学前ガイダンスの開催。

・来入児調査を実施開始。小学校に入学する外国由来の子どもたちの把握、ガイダンス資料の多言語化。

・文科省開発「外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメントDLA」の活用開始。子どもたちの日本語力を測るものさしができ、支援課題の見直しなどに活用。

 平成26年

・学校教育法施行規則の一部改正により、日本語指導が「特別の教育課程」として編成できるようになる。松本市は校務分掌に「日本語指導担当教員」を設置。年度始めに説明会を実施し、市内全小中学校に周知をはかる。支援の際は各校で支援会議を設けることとした。

 平成27年

・事業の継続性保持の観点から28年度以降の事業の見直しを行う。支援に関わるデータ収集、整理、解析スタート。

 平成28年

・センター及び支援員の事業目的の明確化を図るため、「松本市子ども日本語支援センター」を「松本市子ども日本語教育センター」に、「日本語支援員」を「日本語教育支援員」に改称する。

支援員は二種臨時職員として市教委雇用となる。

・日本語教育に関する情報共有を図るため「日本語教育に関する研修会」を市教委と共催。

・小中学校入学前に必要な基本情報をまとめ、多言語化。対象家庭に配布する。

 平成21年度のセンター開設当初は、外国由来の子どもたちへの日本語支援について世間に認識が広まっているとはいえませんでした。支援員が各学校に入り日本語支援をしながら、センターの存在と活用の仕方を学校に周知していく中、平成26年度に学校内における日本語指導が「特別の教育課程」として編成できるようになりました。松本市は各校に校務分掌として「日本語指導担当教員」を設置するという早い対応をし、これによって窓口が一本化し連携しやすくなりました。

周知されるにつれて、支援依頼人数は増え続け人手も予算も足りなくなってきました。子どもたちが自分らしく生きるための「学ぶ権利」をいかに保障するかという視点から、市教委担当者と何度も話し合いを重ね、一つひとつ問題をクリアしていきました。それは容易なことではありませんでした。

限られた予算の中で

人手については、日本語教育又は学校教育に精通する人材を探し、「子どもへの日本語支援」という視点で、日本語教育支援員を養成しました。

市教委の委託事業としておこなっているため、年間の委託料には限りがあります。そう簡単に増やせるものではありません。委託金額の算出には、説得力のあるデータが必要で、必ず話題になるのが対象人数、費用対効果です。しかし、そもそも教育の分野は費用に対する効果が見えにくいため、説得力のある説明資料を作るのは難しいというのが現状でした。しかも子どもの日本語教育は、日本語力を何で測る※か、年齢差・個人差に加え、国・文化・母語力と、背景が多岐にわたり、研究者でさえも明確なことがまだ言えない分野です。

※この「日本語力を測る」という点については、平成25年に文部科学省が「外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメントDLA」を開発し、客観的評価ができるようになってきました。まだ改善の余地があるアセスメントではありますが、全国共通のものさしができたことは大きく、現時点では到達度の測定や、複雑化した支援課題を発見し学校との共有などに活用しています。

日本語教育支援員を市の臨時職員として雇用

では、日本の子どもたちと同じように学び生きる力を付けるための必要な支援時間をどう確保するか、また、日本人の勉強が苦手な子どもたちとの公平性をどう保つかということを検証しました。話し合いを重ね共通認識をはかる中で、「日本語教育支援員を市の臨時職員として雇用しませんか」という提案が出されました。これまで松本市は、特別に配慮を要する子どもたちのために特別支援教育支援員として市費臨時職員を配置してきています。つまりその配置を外国由来の子どもたちにも適用するという発想です。これは、私たちだけでは思いつかなかったことです。また、実際にその手続きを進めるには、どんな資料が必要でそのためにはどんな情報が必要か、それはどうしたら収集できるのか、といったことはセンターだけではできません。双方に熱意と意欲と理解力がなければできなかったことでした。

支援内容を充実させるために

その次に取り組んだのは、支援内容を充実させるための工夫です。日本語教育について学校の先生方と情報を共有することを目的とし、「日本語教育に関する研修会」を開催しました。日本語=ことばがわからない子どもへの支援の手法が、特別な支援が必要な児童生徒にとっても有効な場合があります。そうした情報を学校の先生方と共有し、フィードバックをいただき、私たちもさまざまな視点を持って子どもと関わることの大切さを学ぶことができました。

子どもの日本語教育界では、近年、特別支援教育との関わりが話題になっています。学校生活や学習活動に適応できない姿の裏に日本語がわからないという問題だけでなく、発達的な課題を抱えるケースがあることがあります。また、日本で生まれ日本で育った子どもの中には、母語がしっかりと身に付いていないことで、一見発達的な問題のように見えるケースもあります。生育環境、言語環境、文化の違い、本人の性格、学習習慣の有無など、子どもたちが学習についていけない背景にはさまざまな要因が絡み合い、どこでつまずいていて何をしたら良いのかということを探るのは非常に困難です。日本語という一面だけではなく、多様な角度からその子を見つめることが大切です。

ここまでお読みになって、皆さん、お気づきになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。「日本の子どもにも、外国の子どもにも、支援者が持つべき視点は共通しているのではないか」と…。

今後の課題

今後の課題の一つに、いかにして「家庭へ正しく情報を伝えるか」ということがあげられます。子どもたちの支援をしていると、日本語が通じないことによって生じる問題だけでなく例えば忘れ物が多いとか、集金がなかなかできないといった事態が頻繁にあります。どうやらおうちの人が日本の学校システムを理解していないために起きる事態だということに気が付きました。私たち日本人が当たり前だと思っていることは、実は外国人の保護者にとっては知らないことばかり。そこに気づくことがまずスタートです。

また、就学前の子どもたちに何か日本語のアプローチができないかという「プレ日本語」も課題です。市の教育委員からご指摘をいただいており、入学前のできるだけ早い段階から学校で必要な日本語を楽しみながら身に付けられる、そんな取り組みも検討していく必要がありそうです。

おわりに

外国人の女性と結婚し、その女性の子どもも引き取ったあるお父さんがこうおっしゃっていました。「どの国の子どもにも、きちんと教育の場を与えることが大切だ」。子どもたちの笑顔がさらに輝くために、子どもを取り巻く保護者、学校、行政、地域等が手を取り合い、多文化が共生できる社会を目指していきたいと思います。

松本市子ども日本語教育センター コーディネーター 栗林 恭子

西尾  淳

松本市における子どもの日本語教育

 行政との協働と実践 

4 子どもと多文化共生

事例 4 子どもたちとスタッフがともに成長する場としてのにほんご教室 学生スタッフの視点から 

ヤングにほんご教室ボランティアスタッフ 信州大学人文学部(2017年3月まで) 西村 玄矢

はじめに

 子どもが健全に成長していくうえで、教育が重要な役割を担っていることに異存を唱える人はいないでしょう。では、その教育がすべての子どもに平等に行き渡っているかと問われれば、不登校などの問題に代表されるように、必ずしも肯定的な回答が得られるとは限らないと思います。そしてそれは、外国に由来を持つ子ども (以下、外国由来の子ども) についても同様です。

 私は今現在、大学の4年生ですが(執筆時)、1年生の時から、松本市内の「ヤングにほんご教室」という日本語教室で外国由来の子どもたちに日本語の勉強や学校の宿題をサポートしてきました。当初は、「日本語教室ではどのようなことをしているんだろう?」や、「なんとなく楽しそう!」といった軽く、前向きな気持ちで始めた活動でしたが、子どもたちと触れ合う中で、外国由来の子どもが直面している深刻な課題についても見えてきました。

 本稿では、日本語教室の中から見える外国由来の子どもたちの直面する問題について紹介すると同時に、「ヤングにほんご教室」とはどのようなところか、また、私たちボランティアスタッフがどのような気持ちで活動をおこなっているのかについて述べていきたいと思います。本文をお読みになって、外国由来の子どもや、日本語教室への関心が少しでも高まれば幸いです。

外国由来の子どもをめぐる現状

 公立学校に在籍する日本語指導が必要な児童生徒数は3万人を超え、日本語と教科指導の必要性を叫ぶ声は年々高まってきています。そして、外国由来の子どもにまつわる問題はそうした学習面に加えて、学校でのいじめや不登校など、生活面にも浸透しています。

実際に、「ヤングにほんご教室」に来ている子どもたちの中でも、今年、受験を控えているにも関わらず、分数や九九の計算ができなかったり (中3/フィリピン人)、勉強がいやでいやでしょうがなく、教室へ来ても先生とふざけてばかりいたり (小3/シンガポール人)、クラスでいじめられて悲しそうに教室にやってきたりする (中2/フィリピン人) 子どもたちがいます。もちろんすべての子どもが勉強が嫌いで、学力が低く、生活面に何かしらの問題があるわけではないのですが、多くの子どもに共通して、基礎的な学力や学習の仕方が身についていないように感じられます。

 その理由として、日本に来てから言葉がわからず、授業で学校の先生の話を聞いても何が何だかわからないことから、本人の中では「勉強なんていいや!」という考えが生まれてしまい、その結果として勉強をせず、さらに勉強ができなくなってしまうという負のサイクルが生じてしまうためだと思われます(「ヤングにほんご教室」の子どもたちの間では、こうした現実逃避の手段として、スケートボードがブームになっています)。

 文部科学省 (2015) を主体にして行われた「学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議」では、外国児童生徒教育の基本的な考え方として、「多様化する児童生徒に応じたきめ細かな指導、日本語指導」を元に、「円滑な社会への適応」、「経済的・社会的な自立」、「グローバル人材育成」へと繋げていくことが理念として掲げられましたが、外国由来の子どもたちの現状を見る限りでは、まだまだ遠い目標のように感じられます。

「ヤングにほんご教室」の活動理念

 「グローバル人材育成」とまではいかなくても、「ヤングにほんご教室」では、外国由来の子どもたちが学校の勉強についていけるようになったり、安心して過ごすことのできる空間を持ったりしてほしいとの思いから、基本的な活動方針として以下を掲げています。

『ヤングにほんご教室は学力を高めたり、学習の仕方を身につけたりといった「学習の場」であると同時に、似た境遇を持つ子どもたち同士が交流し合ったり、ボランティアの人たちと楽しくコミュニケーションをとったりすることによって子どもたちが安心できる「居場所」としての価値を持つことを目指す』

異国の地に来て、文化や言葉の通じない環境の中で生活をしたり、友だちを作ったりすることは、私たちが想像する以上に大変だと思います。外国由来の子どもたちは、日本で生まれ育った子どもたちよりも、孤独感を感じやすいのではないでしょうか。私は、生徒とスタッフが、和やかに楽しい雰囲気で勉強したり、おしゃべりを楽しんだり、子どもたち同士が楽しそうに交流している様子を見て、「ヤングにほんご教室」は、勉強をするだけではなく、子どもたちが周りの子どもや先生と心のつながりを作る場所でもあるのだと実感します。このような、同じような背景をもつ子どもたちが集まって、一緒に勉強したり、遊んだりできる場所は、あまりないのではないでしょうか。

ボランティアスタッフの想い

 以上、外国由来の子どもたちをめぐる問題点と、それらを踏まえた「ヤングにほんご教室」のあり方について述べてきましたが、このような場所で活動するスタッフの人たちはどのような想いを持っているのでしょうか。

 もちろん外国由来の子どもたちが直面している深刻な問題に対して使命感を感じ、熱い想いを持って活動に従事している方もいらっしゃいますが、その他にも、「子どもたちに日本語を教えることを通して、自分も日本語について学べるのが楽しいから」 (大学1年生) や「子どもに寄り添うことを通して自分も成長するから」 (大学2年生/社会人) など、「ヤングにほんご教室」を通して自分も何か得られることや学べることがあるから、という理由もあります。

 また、唯一の高校生スタッフとして活動してくれていたある女の子は、活動最後の日に、次のように感想を残してくれました。

 『…日本語を教える中で学ぶことも多くて、勉強を教えてはいるものの私にとっても勉強の時間でした。外国由来の子どもたちが抱える問題はとても深刻なものもあり、この活動に参加しなければ知ることの無かったたくさんの問題に直面する度に、私なりに深く考え、私なりにぶつかってきました。ミーティングでは、いつも深く考えさせられることばかりでしたが、その時間が私の一番好きな時間でした。ここで、たくさんあるうちの一つだけ、私の心に残っていることを紹介したいと思います。… (中略)… ある男の子の言葉です。「ぼくの国ではね、産まれたと同時にたくさん死ぬんだ。ぼくは産まれた。そしてぼくは今も生きている。それが嬉しいんだ。」彼が産まれた場所、そこは病院ではありませんでした。無事に産まれ、そして、今生きられていることに幸せを感じられる子どもは、日本にどれだけいるのだろう。その話を聞いたとき私はまずこう思いました。綺麗事だと思う人もいるかもしれないけれど、私は生きている限りその幸せをきちんと感じ、感謝をし続けたい。そう思いました。』 (本人のFacebookページより抜粋、一部省略)

おわりに

 もちろんすべてのスタッフがこの教室で何かを感じ、日々の生活に活かしているわけではありません。「にほんご教室」という楽しそうな響きとは裏腹に、そこには、子どもたちをめぐる深い問題があります。そして、数回活動に参加した後に、想像と現実との間でギャップを感じて、スタッフを辞めてしまうケースも少なくありません。しかし、こうした負の部分を直視し、問題意識を感じて長野市で同様の活動を始めた大学生スタッフの例もあります。「ヤングにほんご教室」は、子どもたちが勉強する場であると同時に、スタッフの側も何かを学び、ともに成長していく場になっています。

 みなさんもこの場所で、私たちと共に学んでいきませんか。

松本市ヤングにほんご教室のようすの写真

子どもたちとスタッフがともに成長する

場としてのにほんご教室

 学生スタッフの視点から 

ヤングにほんご教室ボランティアスタッフ

信州大学人文学部 (2017年3月まで)

 西村 玄矢

松本市ヤングにほんご教室

毎週月・木の18時から20時、外国由来の子どもたちに、日本語・教科の支援をおこなっています!

Mウィング2F 松本市多文化共生プラザ  ℡0263-39-1106

4 子どもと多文化共生

事例 5 タイの子どもたちへの日本語支援の経験からの私見

ライター・通訳・たまに日本語支援員 北原 広子

はじめに

タイから来た子どもたちへの日本語支援という活動に関わって約10年になります。自分の子どもくらいの年齢だと感じていた対象児童生徒が、孫くらいになりました。ここまで蓄積してきた日本語支援のノウハウを披露するので、この分野に関心のある皆さんは参考にしてください、といえる日は未来永劫こないという確信以外はすべて混沌とした状態のまま書くことを、まずお断りしておきます。

次に私事を

昭和末期から長野オリンピック開催の少し前までの約7年半バンコクで暮らしていました。2人の子はバンコク生まれで父親、つまり夫はタイ人です。上が4歳、下が0歳のとき長野市に戻りました。夫と私の会話はタイ語。日泰バイリンガルだった上の子は来日後すぐに日本語のみになり、下はいわずもがなで、どちらもそのまま成人しています。国際結婚の親元に生まれバイリンガルになるのが夢だった私が子どもに託した夢は、いとも簡単に破れたのでした。

言語に無関心な夫のせいだ、才能がない子どものせいだと自分以外を責め、テレビやネットで活躍するバイリンギャル・ボーイを見ては羨み、チャンスともいえる境遇を活かせなかったことを嘆いた時期もありましたが、外交官や国際的ビジネスマンや、子どもを自由に国際移動させることのできるハイソな階層とは対極にあり、子どもの教育にエネルギーを注ぐよりも両方で働かなければならないわが家でバイリンガルを夢見ること自体が間違っていることに気付き、諦めたらせいせいしました。

実際のところ、長野市で暮らす国際結婚家庭の多くは、まあ、こんな感じではないかと思っています。

以上、過剰気味に自己紹介をしたのは、日本語支援をする中で、内心に渦巻く疑問やら悩みが、こういう自分であるせいなのか、それとも多くの方々と共有できるものなのかを知りたい、ご批判でもアドバイスでも、いただけるならありがたいと思っているからです。

長野市の外国籍等児童生徒支援体制

さて、長野市の外国籍等児童生徒への日本語支援は、文科省の支援事業で行われており、支援が必要な子がいると、教育委員会に登録されている「外国籍等児童生徒教育支援巡回指導員」が学校に派遣される仕組みです。別室で日本語を教えたり授業に入り込んだり、当人や親との間の通訳、書類の翻訳など支援内容はさまざまですが、予算が決まっていますから(平成28年度は488万8千円)時給千円で月30時間以内という目安があり、また登録には母語話者との条件があります。

これとは別に小中学校それぞれ4校をセンター校として日本語教室を設置、教員が加配されています。

私は巡回指導員のタイ語担当のひとりですが、本稿は教育についてまるで門外漢の私が、この指導員とその他の経験から感じている、あくまで私見を述べるだけのものであることもお断りしておきます。何かと言い訳が多くてすみません。つまりは、相談相手もなく孤独に揺れてばかりで正直のところ自信をもてずにいる、ということです。

なぜそうなるかというと、いくつかの要因があります。もちろん私自身の力不足があるのですが、それはちょっと置いておいていうと、ひとつは人数。教育委員会のデータを見ると、要支援の外国籍等児童生徒といっても事実上、ほとんどが中国の子どもたちです。それ以外の国の子はたいてい一校にひとりですから、支援者と子どもが一対一で向き合うことになります。

小学生は悩んでばかりで高校生は意外にいけた

特に小学生の場合、クラスから別室にひとりで来て年配者と二人きりで勉強するのってどうなのか、という疑問がぬぐえません。それよりクラスで友だちと一緒にいて早く慣れた方がいいのではないか、しかしその前に学校で使う最低限の日本語を覚えるための支援は必要か、でも小学生なら日常会話は自然にじきに覚えるし学習言語を教えるなら、母語話者の条件など不要で、教師の方がふさわしいのではないか…。

支援のために犠牲にする教科も気になります。例えばですが、国語と社会はムリなので日本語支援にして算数や体育はクラスで一緒に、と先生が考えたとします。でも先のような条件の支援員に一方的に曜日を指定したり「1時間目と4時間目に来てください」はまず言えないと思います。かといって毎日1時間だけ来て欲しいとも言いにくい、となると2時間か3時間か…。となると、支援が子どものためなのか支援員のためなのか分からないということにもなりかねません。さらに、漢字文化圏にないタイ人が文字を覚えるだけで膨大な時間を費やすのってもったいないと思う自分もいます。いっそ、インターナショナルスクールで英語で学んだ方が将来のためになるだろう等々。とにかく小学生で来るということは、その子の資質や家庭環境にもよりますが、日本語を第一言語にする覚悟ということで、事の重大さに恐ろしくなってしまうのです。

その点、高校生は意外に気が楽でした。実は、高校から要請があった時は日本語ができずにどうやって授業についていくのかとびっくりしたのですが、小学生と違って自分の意思で来ているのでモチベーションが高く、放課後に指導できるので他の教科を犠牲にする心配がなく、中学までの勉強はタイ語でしっかりやっているので英語は日本人より得意でした。

地理や歴史など固有性の高い科目に「何で山や川の名前をこんなに覚えるのー、タイはないよ」くらいの文句は出ますが、学校の勉強そのものには慣れていて、極端にいえば、追試でもいいから何とかテストを通って卒業できればいいと考え、学習の焦点を絞ることができ、少なくともセミリンガルになる心配はありません。

中学生は多様な印象です。定住予定で来たものの、早い段階で諦めてタイに戻り、日本語はタイで学ぶことにした子もいますが、これはこれで賢い選択と私は思いました。日本語を第二言語、あるいは第三言語として学ぶ方法は色々あるのがタイだからです。

家庭環境という背景

ところで、肝心なことが後回しとなってしまいました。どうしてタイから中途入学者があるかという点です。わが家の場合は、両親共にタイにいて就学前に実子を連れてきたわけですが、就学後に帰国していると支援員のお世話になった可能性があります。このような状況を①とします。次に、②タイ人女性が長野で家庭をもち故郷に残してきた子を呼び寄せる場合があります。それから③タイ人と日本人の間に日本で生まれた子、というケースがあります。①と③は多分日本国籍があるので、それで長野市では「外国籍等」と呼んでいるようですが、人数のデータを見ると圧倒的に多い中国人の次に多いのが、日本国籍で要支援という子どもたちなのです。

例えば、日本生まれで日本の学校に所属してはいるものの、途中でタイに行って長期間学校を休んだため学習が遅れているという子も複数いました。親が何かの目的のためにそのようにしたのか成り行きなのかを私の立場で知る由もありませんが、子どものためになっていないとしたら問題ではないかと思う一方で、私自身が子どもの教育をタイと日本を行き来しながらできたらいいと、安易に考えていた時期もあるのですから複雑な気持ちです。

外国人の親の気持ちはもっと複雑に違いありません。親がいくら日本語学習に励んだところで子どもに追いつくはずがありませんから親子で深い話ができなくなります。また日本に独特の学校文化を理解するのはひじょうに厄介です。私自身、父親になるべく学校に行ってもらうようにしていたのですが、PTAとは何か、どうして親が学校に頻繁に行くのかなど、あまりの異文化を説明するのが面倒になってしまいました。説明するには自分が理解していなければならず、PTAの起源まで本で調べましたが、それを夫に説明する意味までは見いだせませんでした。

これまで多かったのは②です。子どもの立場からちょっと極端にいうと、母親を知らないも同然に育ち、突然呼び寄せられて外国に来たら知らない人が両親となっている、ということです。父親違いのきょうだいがいるとなおさら事情は複雑。馴染めずにタイに戻った子もみましたが、戻る場所があれば良い方かもしれません。家庭環境が多様なのは外国人に限りませんが、そもそも家庭内でさえ言葉が通じにくいというハンディはやはりひじょうに大きく、それだけで皆がストレスを抱えかねません。

私にとっては、あのままタイで暮らしていたら自分はどうで、子どもはどうだっただろうかという答えのない問を抱きながらの支援であり、日々模索という情けない報告になってしまったことをお許しください。

タイの子どもたちへの

日本語支援の経験からの私見

ライター・通訳・たまに日本語支援員 北原 広子

5 子どもと遊び・文化・余暇

もくじ

これ以降は「子どもと遊び・文化・余暇」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 佐久市で「キッズ・サーキット in SAKU 2016」を初開催  小さな瞳が大きく輝いた三日間 奥村 達夫

事例 2 芸能歌舞劇『イワト』 とびらをひらけ!! 栄村応援プロジェクト・長野県縦断公演のあらまし くすのき燕

事例 3「夏休み、なんでこんなに短いの?!」 子どもの「文化権」としての「休息・余暇」 大屋 寿郎

事例 4 高校芸術鑑賞の再評価を ディジタル時代だからこそ舞台芸術の価値が見直される 林 直哉

事例 5 長野県の高校に制服が少ないのは 高校生の自由と自治を尊重する長野県 佐野 ちあき、百瀬 あすみ

「子どもと遊び・文化・余暇」あとがき 大屋 寿郎

「子どもと遊び・文化・余暇」のリンクは以上になります。

子どもが 走り回って遊んでいる 様子のタイトルイラスト

5 子どもと遊び・文化・余暇

事例 1 佐久市で「キッズ・サーキット in SAKU 2016」を初開催 小さな瞳が大きく輝いた三日間 

(一財)佐久市文化事業団 館長兼芸術監督 奥村 達夫

みんなで開幕を告げる合図

どこまでも高く澄みわたる青空、朝から夏の陽射しが燦々と降りそそぐ8月5日 金曜日午前11時、道化師集団「プレジャーB」のクラウンの掛け声に合わせ、主会場である佐久市コスモホール前に集ったみんなで一緒にカウントダウン。「スリー、ツー、ワン、ゼロ!」の合図とともにザ・ミュージックボックスの奏でる軽快なマーチングに呼応して、ホール正面の玄関扉が一斉にオープン。今日を楽しみに最前列に陣取っていた子どもたちが真っ先に場内へ駆け出す中、佐久市で初となる児童・青少年のための舞台芸術の祭典は始まりました。

キッズ・サーキット開幕時の 道化師集団「プレジャーB」の クラウンの写真

新たなフェスティバル誕生に向けて動き出す

ここに至った経緯をご紹介します。現佐久市は近隣4市町村(旧佐久市・臼田町・浅科村・望月町)が合併、平成27年4月に10周年を迎えました。合併に伴って広い地域に設備が整った公共ホールが点在することとなり、芸術監督就任時からこれら既存施設の活用について思いをめぐらせていました。さらに市独自の「文化振興基金」の存在です。平成22年11月に実施した「総合文化会館建設の賛否を問う」住民投票の結果、新たな施設は「作らない」との民意が示され、それまでに積み立てた建設資金の果実をソフト事業の充実に使うと方針化されました。私自身、基金の運用を検討する委員の一人でもあり、日ごろからプランニングやマネジメントに力を注いでいました。一方でプログラムを実施する度に気がかりなことも。市内で最も収容力のある佐久市コスモホール(800席)でさえ、単館の鑑賞型公演では多くの市民に果実の効果を行き渡らせるのは難しいと言う点です。そこで一つのホールに集約させず会場を分散使用し、多彩な演目を同時に行うフェスティバルが開催できないだろうかと考えました。これなら既存施設の一層の活用と合わせ、多くの集客が見込め、「文化振興基金」の効果も広く市民に届けることが可能となります。時を同じくしてある専門誌の活字が目に留まりました。高齢化社会を生きぬくために「子ども時代の多くの体験が必要」との一文です。優れた本物の舞台芸術との出会いは心の成長に資するばかりか、作品を通じて人として向き合うべき多くの貴重な体験も得られるはずです。見回せば「授業の精選」や「経済の縮退」、「情報の多様化」などさまざまな要因が重なり学校や社会での鑑賞の場が減っています。反対にスクリーンタイムは増すばかりで「生の芸術」に触れる機会は敬遠されがちな昨今です。アートマネジメントを預かる者としてこの現状に一石を投じられ、かつ地域から発信する新たなミッションの実現に強い遣り甲斐も感じました。今に生きる子どもたちの将来にはどんな社会が待っているのでしょうか。未来に目を向けるほど「子ども時代の多くの体験」の一文が胸に迫ってきます。こうした経緯もあってフェスティバルのテーマは次代を担う児童・青少年と決めました。早速「文化振興基金」の推進企画委員会でプレゼンテーションする傍ら、親しかった劇団の代表者を介して日本児童・青少年演劇劇団協同組合へ協力を依頼するなど動き出したのです。時に平成27年6月、新緑が目に眩しい季節でした。

悲壮感が嬉しい悲鳴に

 ネーミングのキッズ・サーキット、サーキット(回路)は点在するホールであり子どもたち同士の連結。そして観客が市内をグルグル回って鑑賞することから車のサーキット場をイメージして私が名付けました。さてスピードを競うレース場とは違いフェスティバルの準備は遅々として進みません。翌28年4月になってやっと実行委員会が発足、6月から本格的な宣伝や広報と合わせ入場券の販売も始まりましたが、経験や人員不足も手伝ってなかなか結果がついてきません。ことに入場券は三日間何回でも使えるパスポート方式を採用、同時に鑑賞を担保する事前予約の申込も開始させましたが、7月になっても販売は一向に振るわず職員一同の顔に悲壮感が漂ってきます。そこで幼稚園や子どもが集まる所への出張販売、また経費がかからないようSNSを最大限活用するなど宣伝活動を積極的に展開しました。やがて販売の伸びとともに事前予約も殺到、締切時点ではソールドアウトのステージが続出し、嬉しい悲鳴があがるほどの勢いで本番を迎えることとなりました。

市職員や市民ボランティアが支え
送迎・巡回バスも運行

各会場では初めての取り組みに戸惑いながらも市職員や市民ボランティアが、受付や客席係、炎天下の場外や駐車場係として一生懸命にフェスティバルを支えました。また、運営とは別に特筆すべきは分散する会場間や駅を結ぶシャトルバスが大きな役割を果たしたことです。観客は公演が終わると待機している冷房の効いた大型バスに乗車して次の会場に移動。送迎・巡回バスの運行は地理に疎い市外からの来場者にとって頼もしいサプライズだったようです。そんなバスの待機場に居合わせた少年3人組から感想を聞きました。一人ひとり違った見方や感じ方があって、これも各人の体験に組み込まれていくのかと思うと自然に頬が緩みました。「次は人形劇に行く!」そう言い残して嬉しそうにバスのステップを駆け上がって行きました。たくさんのエピソードが移動中の車内や会場の内外で生まれたようです。

キッズ・サーキットの客席に バルーンが飛んでいる様子の写真

夢のような三日間

 友だちや命の大切さを考える作品、愛や絆をモチーフとした物語、楽しくてお腹を抱えて笑ってしまう舞台など、ジャンルもミュージカルや人形劇に演劇、マスクプレイとバラエティに富んだプログラムの数々。音楽シーンを彩った「0歳児から聴くオーケストラ」公演では、生まれたばかりの赤ちゃんが気持ちよさそうにお母さんの胸に抱かれて聴き入っていました。また冷房設備がない「サーカスがやってきた」の会場(体育館)では、茹だるような暑さの中、市職員が用意した冷えた麦茶を飲みながら、手に汗握る演技に観客みんながハラハラドキドキ、演技が決まるたびに拍手や歓声を送っていました。会期中どの会場でも舞台を見つめる子どもたちの真剣な眼差しが眩しく映りました。子どもたちの心に何かが刷り込まれていく瞬間だったのでしょう。子どもたちばかりでなくお父さんお母さんも嬉しそう、おじいさんやおばあさんも目を細め、二世代どころか三世代が一緒の光景も本当に沢山見かけました。そして迎えた最終日、公演の終わったステージで「クロージング・セレモニー」を実施。劇団員やスタッフ、観客全員が“ふるさと”を合唱、大きな感動と一体感に包まれて21団体23公演すべてのプログラムを終えました。市職員が作る人垣のなか親子が手を振りながら帰って行きます。結果、目標であった5千人を突破、総席数の70%を超える集客率となりました。私たちの“ふるさと佐久”で始まった新たな児童・青少年のための舞台芸術フェスティバル。これからも長く回を重ねて、今日の子どもたちがやがて父や母となって日本中から我が子を連れてやって来る、そんな感動のループ作りを心に描きつつ夢のような三日間は幕を閉じたのです。こぼれるほどの想い出を残して…。

キッズ・サーキットで 麦茶をコップに注ごうとしている 子どもの写真
キッズ・サーキット閉幕時の 様子の写真

継続開催を決定

 子どもたちの好感触と参加者からの高い評価に支えられ、実行委員会では継続開催を決定しました。
「キッズ・サーキット in SAKU 2017」は、平成29年8月4日 金曜日から6日 日曜日までの三日間実施します。子どもたちの交流や出会いの場も準備したいと考えています。

<2016年の主な概要>

名  称:キッズ・サーキット in SAKU 2016

実施期間:平成28年8月5日 金曜日から7日 日曜日

出演団体:21団体(演劇8団体・人形劇6団体・音楽

     3団体・その他4団体)

公演回数:23公演

会 場 数:7会場(内1会場は体育館)

佐久市で「キッズ・サーキット in SAKU 2016」を初開催

 小さな瞳が大きく輝いた三日間 

(一財)佐久市文化事業団 館長兼芸術監督 奥村 達夫

5 子どもと遊び・文化・余暇

事例 2 芸能歌舞劇『イワト』 とびらをひらけ!! 栄村応援プロジェクト・長野県縦断公演のあらまし

人形芝居燕屋 くすのき燕

2013年10月から翌2014年1月にかけて、長野県内12か所、13ステージをおこなった舞台のタイトルが「芸能歌舞劇『イワト』?とびらをひらけ!!」です。それらの上演の中には、2013年11月2日の栄村文化会館ホールでの上演も含まれています。そのステージを栄村に届けようとして、長野県の創造5団体と長野県おやこ劇場子ども劇場が協働しておこなった一連のプロジェクトは『イワトプロジェクト』と呼ばれました。その後「九州沖縄子どもと舞台芸術出会いの広場」の招待公演を3月22日に行い、このプロジェクトは幕を閉じています。

プロジェクトの経過

2011年3月12日、長野県北部地震が栄村を襲いました。その年の夏から2年間、季節ごとに、長野県の創造団体は、長野県おやこ劇場子ども劇場(以下、子ども劇場)の皆さんとともに、栄村を訪れ、村内で5回の公演を行いました。ノーギャラで行われたこれらの公演の交通費は、子ども劇場の皆さんが集めてくれたカンパで賄うことができました。この小さく地道な訪問公演の先に、この芸能歌舞劇『イワト』の長野縦断公演はあります。2013年の春からは、助成金を得て行われている村内でワークショップなども行われました。これら全ての活動を、私たちは『イワトプロジェクト』と呼んでいました。

2011年の夏、2回の訪問公演を終えた後、県内の子ども劇場と創造団体は、伊那にある芸能歌舞団田楽座の稽古場で合宿懇談会を開きました。栄村の事が話され、訪問公演を続けることが確認されるとともに、栄村に合同公演を届けるという「夢」が話されました。その夢は、先に創造団体の中で育ち、子ども劇場の皆さんと共有することで現実のものとなっていきました。創造団体の合同公演というだけでも初めての試みであり、ジャンルも異なる創造団体が集まっての創作さえ容易ではない上に、長年の協同関係があるとはいえ、基本的には別々の活動をおこなっている子ども劇場と県内縦断公演を実現させていくのは一筋縄ではいきませんでした。しかし、相互の信頼関係の上に、話し合いを重ね、12ステージの県内公演を行う事が決定し、栄村にこの舞台を届ける体制が整いました。

その当時、栄村にはさまざまな催しの打診がきたそうです。その中で、教育委員会を始め村の方々が私たちと一緒にこの公演をやろうとしてくださったのは、支援公演はもちろんの事、打ち合わせを含めて継続的に村を訪れ、顔の見える活動を続けてきたことを評価してくださったからとの事でした。

題材の選定から稽古

作品の題材については、脚本・演出を担当する私、人形芝居燕屋のくすのき燕が、創造団体および子ども劇場に提案をする形で決定していきました。最初の案は棄却され、次に提案した天岩戸伝説を元にした話を進めていく事になりました。ご存知のように、天岩戸の話は、古事記・日本書紀にある「太陽神・天照大神が岩戸に隠れ、それを芸能の力で引き出す」という日本神話の一遍です。私たちの住む長野県にある戸隠山が、この戸なのだという伝説もあります。

この決定に際し、子ども劇場の方がおっしゃった「みんなで力を合わせる話がいい」という言葉は、今でも頭に残っています。

異なるジャンルの創造団体が集まって作る舞台である以上、それぞれの持つスキルを活かせる舞台にしたいと考えました。その為には実際にそれらを体験する事が必要だと考え、それぞれのスキルを学ぶワークショップを月イチ程度開催することにしました。ましゅKeiによるインプロビゼーション、田楽座や吟遊打人による太鼓や踊り、笛師九兵衛によるユニークな楽器演奏などです。お互いのスキルを学ぶ中で、自然に互いへの信頼や尊敬が生まれたように感じています。

一般に、稽古とよばれるような状態に入れたのは、2013年の春からです。ぞれぞれの活動の合間を縫っての活動なので、日程調整が難しいのですが、可能な限り連続した日程で月に2、3日をとるようにしました。衣装や道具などの作り物は、7月から開始。子ども劇場の方々にもお手伝いただき製作を開始。大道具である「戸」には、被災した古民家の戸も一時借り受け、実際の舞台で使用しました。

また、その間子ども劇場では、チケット売りはもちろんの事、協賛金を企業等に呼びかけ100万円近くの協賛金を集めました。

作品

「弟スサノオノミコトの乱暴ぶりに、姉であるアマテラスオオミカミは天岩戸に隠れてしまいます。太陽神のアマテラスが隠れために、世界は闇に覆われてしまい、困った神様たちは芸能の力でアマテラスをおびき出そうと企みます。」

これは、皆さんご存知の古事記にある天岩戸の話です。この神代の世界へ紛れ込むのは、中学生の天野イワトです。彼はいつも一歩を踏み出すことができない、いわゆる冴えない中学生男子です。気になっている優等生女子の天寺スミカが、ある事をきっかけに引きこもってしまい、それを何とかしようと彼女の家の戸を叩こうとしますが、いつもの如くその一歩を中々踏み出せません。

ようやく開けた扉の向こうには、神代の世界があったのでした。しかし、この作品の神様たちは、ちょっと困った神様だらけ。怪しいプロデューサーやアイドルのような神、笛でしか会話ができない神、調子がいいくせに、すぐにネガティブになる神。と、とにかく困った神様たちでした(まあ、演じる人たちも似たり寄ったりでしたけど)。

変な神様たちになだめすかされ脅されながら、スミカのために、イワトは天岩戸を開けるのに必要な神様を探し始めます。しかし、困難に立ち向かうといつものあきらめモードになってしまいます。その時に彼を励ましたのは、土とともに生きる農民たちの姿でした。

神様探しを終え、いよいよ天岩戸開きの宴が始まります。岩戸の前で繰り広げられる芸能の楽しさに、思わずアマテラスオオミカミは戸を開けますが、それをさらにこじ開ける怪力の神タジオカラオがそこにはいませんでした。イワトと神様たちはそれでも岩戸を開けようとします。

芸能歌舞伎『イワト』の 舞台の写真

「とびらをひらけ!!」というキャッチコピーが、この作品にはついています。今、僕らが生きているこの世界で新たな扉をあけることができるのかが、作品だけでなくこのプロジェクトのテーマでした。そのことを真面目に考え、全身全霊でふざけた結果この作品の骨子ができました。

実際の公演およびその後

栄村を除く県内12公演だけで5,000人超を動員。栄村でも150名の観客をむかえる事ができました。プロジェクトは、その活動を終えた段階で、子どもとおとなとが一緒に舞台を楽しむための活動資金として栄村のために10万円を残しました。

しかし、その後、栄村での子どもの舞台鑑賞は停滞しました。村内で実行の主体になってくれる方をさがし、2016年にはいって、人形芝居燕屋+吟遊打人の『はなさかじいさん』とCAN青芸の『君がいるから』という二つの舞台を行う事ができました。

生の舞台に触れる鑑賞活動とキャンプなど自主事業を柱に活動を続ける子ども劇場の活動は全国的にみても会員数の減少など厳しい状況の中、このプロジェクトで自信を得たという側面もあったように思います。また、県内の創造団体もその後、人的交流が盛んとまではいきませんが、ジャンルの壁は相当に溶け、実際に特異な分野での協働なども一部では行われています。

栄村での 講演終了時の舞台の写真

芸能歌舞劇『イワト』 とびらをひらけ!!

栄村応援プロジェクト・長野県縦断公演のあらまし

人形芝居燕屋 くすのき燕

5 子どもと遊び・文化・余暇

事例 3 「長野の夏休み、なんでこんなに短いの?!」 子どもの「文化権」としての「休息・余暇」

特定非営利活動法人 子どもと文化のNPO Art.31 代表 大屋 寿郎

原村の夏休みは22日間

原村に住居を移してようやく3年が過ぎたばかりの、新参「長野県民」の私には、信州の子どもたちの暮らしの中で、「へえー!」と驚いたり感心したりすることが、けっこうたくさんあります。例えば昨年12月のある日、気づいたら小学校の校庭に水が張られて池のようになっていました。「なんだろう?」と思っていたら、年が明けて寒さが厳しくなると、そこに天然のスケートリンクができていました。また、「御柱祭」が、マスコミで紹介される「観光」の部分だけでなく、地域規模でもたくさんの「御柱祭」が取り組まれていて、子どもたちの生活や文化ともとても密接につながっていたり。などなどは、とても素敵なびっくりです。しかし、昨年、村が配布した2016年度の「生活カレンダー」を見て、小・中学校「1学期終業式」と「2学期始業式」の間、つまり夏休み期間が短いことにはとても「ビックリ!」でした。1学期終業式が7月27日。原村は涼しいから1週間ぐらい始まりが遅いんだと思ってカレンダーを一枚めくると、盆明けの8月19日にもう2学期始業式と書いてありました。原村の夏休みは22日間です。

長野市27日、松本市28日、
全国的には40日超が過半数

私や息子の子ども時代の経験では、夏休みは7月21日から始まり8月31日までの42日間でしたから20日も短い。半分です。近年全国的に授業時間確保のために夏休みが短くなってきているという話も聞いてはいましたので、この機会にと思い、他の地域の様子も調べてみました。小・中学校の夏休みなどの休業日は市町村立の小中学校の場合、学校教育法施行令によって市町村教育委員会が決めることになってはいますが、都道府県内は傾向が似ています。長野県内は松本市が28日間、長野市が27日間ということでした(同じ市内でも多少の違いはあるそうです)。しかし、全国的に見ると、確かに多少減ってはいるようですが、それでも28都府県で40日を越えています(公表されている公的な集約データはなく、個別の教育委員会や、情報サイトのデータの寄せ集めですので、傾向として参考にしてください)。

夏休みの短さは、体験や主体的な活動の活発さが要因(長野県教育委員会ホームページ)

30日を切る短い夏休みは長野県以外では北海道だけでした。とすると、やはり涼しいからなのか?と考え、冬休みを調べてみたところ、圧倒的に多くの県が12月23日から1月9日までの18日間でしたが、北海道は12月23日から1月17日までの26日間で、たしかに、夏休みの代わりに冬休みを長くとり、バランスが取れていました。ところが、なんと長野県を見ると、松本市は他県と同じ日程で18日間。さらにびっくりしたことに原村は12月28日から1月5日までの9日間しかありませんでした。夏休みと冬休みの合計を比べると、全国的多数派は60日間に対し、北海道は53日間と1週間短く、長野県は松本で46日、原村は31日しかありません。ちなみに、春休みは、と調べてみたところ、これは多くの都道府県が11日から16日の間で分散しています。全国平均値をとると14日でした。これと比較すると長野は、春休みは長くとっています。長野市で18日、原村は20日でした。夏冬春の年間合計は、全国的な多数派は74日前後ということになります。これと比較すると、北海道は65日、長野(長野市、松本市)64日となりますが、原村は51日です。原村の教育委員会に問い合わせてみましたが、ここ数年大きな変化はないとのことでした。

県民の皆さんも「信州は休みが短い」と実感しているようです。長野県教育委員会のホームページに「長野県の学校はどうして夏休みが短いのですか?」という質問がありました。これに対して県の教育委員会が、「長野県内の小・中学校の夏休みが短いのは、登山、キャンプ、スキー、スケート教室など、自然や地域の特色を生かした体験的な活動や、児童会や生徒会、音楽会、運動会など、児童生徒が主体的に活躍できる活動を大切にしていることから、それらに要する日数や、その準備・練習に充てる時間を多く確保していることが要因ではないかと考えています。」と回答しています。

「児童生徒が主体的に活躍できる活動を大切にしている」ことは、素晴らしいことだと思います。ただ、そのことにより、子どもたちの休暇が短くなるということをどう考えればよいでしょう。

「余暇、休息」は子どもたちの精神的・身体的健康に不可欠(子どもの権利条約31条)

国連子どもの権利条約はその第31条で、子どもたちに必要な権利として、「遊び、レクリェーション」、「文化的生活と芸術への自由な参加」と並べて、「休息、余暇」を挙げています。この第31条を正確に理解するために国連は「ゼネラルコメント(総合的解説)」を委員会で採択し発行しました。その解説の中で「休息、余暇」について次のように述べています。「休息と余暇は、子どもたちの発達にとって、栄養摂取、住居、医療、教育という基礎的要素と同じように重要である。十分な休息を与えられないと、子どもたちは、有意義な参加や、学習に対する気力、やる気、身体的・精神的能力を失ってしまう。休息の否認は、子どもたちの発達、健康、幸福に対して取り返しのつかない身体的・精神的影響をもたらす可能性がある。子どもたちには、義務や気晴らしや刺激のない時間と空間として定義された余暇も必要である。子どもたちはその余暇を自分たちの思うままに、活動的に過ごしたり、なにもしないで過ごしたりできる」(Art.31訳パンフレットp.7)。そして、「子どもたちは、おとなたちが決めたり管理したりしない時間や、要求がまったく存在しない時間を持つ権利があり、基本的に、子どもたちが望めば『なにもしない』権利を持っている。実際に、活動が存在しない状態が創造性に対する刺激として役立つ場合がある。子どものすべての余暇時間を計画化された競争的活動に狭く限定すると、子どもたちの身体的・感情的・認知的・社会的な幸福が損なわれる場合がある。」(同p.24)と警告しています。

「余暇、休息」は創造的な「遊び」や「芸術的活動」の前提条件

長時間労働が問題となり、土日の休みすらまともに取れず、欧米のようなバカンス(長期有給休暇)など夢のまた夢といわれる日本の親たちからは、子どもたちの長期休暇はあまり歓迎されない現実もあります。子どもたちの成長や権利を大事にする人たちでも、夏休みの長さを問題視する声はあまり聞きません。「遊び」の権利や、「芸術」に参加する権利の保障をするべきだという運動はありますが、「休息、余暇」を積極的に求める声を、あまり聞いたことがありません。しかし、国連に言われるまでもなく、休息や余暇のないところに、子どもたちの主体的で創造的な「遊び」や「芸術的活動」は生まれえないのです。にもかかわらず、おとなたちは言います。「いまの子どもたちは遊べないから、遊びやレクリェーションのプログラムを準備してやる必要がある」と。

子どもたちを苦しさから救うためには「余暇、休息」を積極的に保障する発想が必要です

「勉強」や「活動」の効率を上げるための猶予の時間、「勉強」や「活動」に必要な時間を確保したあとの「余った暇」な時間として、休息や余暇をとらえるのではなく、子どもたちにとってなくてはならない積極的な時間として「休息、余暇」をとらえ、最低限必要な時間を法律に定めるくらい発想を転換して、1日の授業時間の設定や、まとまった休暇の確保を考えることが必要です。でなければ、今子どもたちが抱える肉体的、精神的な苦しさは解決しないと思うのです。

ここでも、「子どもの最善の利益」とは何かがきびしく問われています。

「原っこの森」で 子どもが散策している様子の写真

「長野の夏休み、なんでこんなに短いの?!」

 子どもの「文化権」としての「休息・余暇」 

特定非営利活動法人 子どもと文化のNPO Art.31代表 大屋 寿朗

特定非営利活動法人子どもと文化のNPO Art.31

昨年9月28日にNPO法人として認証され、活動を開始しました。子どもの権利条約31条に掲げる「文化権」の実現を目指して、出版や舞台芸術作品の制作、子どもの地域活動を元気にしていくための支援者が育ちあうためのセミナーなどの事業を企画していきます。

5 子どもと遊び・文化・余暇

事例 4 高校芸術鑑賞の再評価を  ディジタル時代だからこそ舞台芸術の価値が見直される 

長野県高等学校視聴覚教育研究会 芸術鑑賞専門委員 (松本深志高校 教諭) 林 直哉

高校芸術鑑賞の現状

 県内高校生の数は、2016年5月現在約6万人弱、中信地区を例にあげれば、松本県ヶ丘(1,100人)から、白馬高校(170人)、1学年9クラスから2クラスまで学校規模の差は大きく、さらに少子化が進み小規模校の割合が増えています。しかし、東信地区をのぞく県内各地区の高校芸術鑑賞事業では、同じ演目を鑑賞した生徒は、学校規模にかかわらず生徒一人あたり同一の料金で鑑賞できる体制を築いてきました。半世紀かつ県レベル実践は、全国でも希有なとりくみです。

 舞台芸術は、一人芝居から100人超の出演者を必要とするオペラやバレエ、会館の舞台(プロセ)を使った表現から、体育館や格技室などの平舞台(アリーナ)を得意とする小劇場・参加型ステージまで幅広くあります。また、全校生徒が同時に鑑賞する形態だけではなく「総合的な学習の時間」「キャリア教育」と連携しながら、学年ごとクラスごとの鑑賞やワークショップも組み込みながら、多彩な公演を実施してきました。

歴史

 高校芸術鑑賞は、戦後から50年代にかけて激動の社会を経て1960年代に大きく発展しました。中信地区高校合同芸術鑑賞連絡会を立ち上げた木内氏は「芸術鑑賞のあゆみ」の中で、この発展の要因について次の7つをあげています。

1、新制高校となり、生徒が積極的に文化的表現活動を展開する中で、生徒、教師双方から「手本となる優れた生の芸術(舞台表現)」の鑑賞が求められたこと。

2、全国に労演(現在の市民劇場)や労音が結成され、地域の青年たち(高校教師も多数参加)が協力し、プロの公演を地元に誘致する活動が生まれていたこと。

3、各校に配置がすすんだ、音楽・美術・書道の芸術科教師と、国語科の教師の声が、芸術鑑賞行事推進の大きな力になっていったこと。

4、高校生にとって手頃な値段の鑑賞演目だった「映画鑑賞」が衰退し、鑑賞行事を、演劇、音楽、古典芸能等の舞台演目へ拡大しなければならなかったこと。

5、市民が「良いものを良い環境で鑑賞したい」という舞台芸術上演可能な会館(市民会館等)建設を望み、高校の新築・改築される校舎でも舞台芸術上演可能なステージ付き体育館が建設されたこと。

6、教育映画の授業活用、視聴覚機器の教育活動への導入を求めて「視聴覚教育研究会」(1960年)が発足し、「芸術鑑賞専門委員会」が鑑賞のあり方を研究し始めたこと。

7、日本の経済が好転、芸術鑑賞にかかる費用を保護者から徴収しやすくなったこと。

 このような環境から、各校の舞台芸術の鑑賞行事が行われるようになっていきました。

3連絡会の発足

 1960年代の後半になると高等学校視聴覚教育研究会に設置された芸術鑑賞専門委員会は、県内各地区の鑑賞行事を調査し、かつ、各地区に合同芸術鑑賞連絡会の立ち上げを呼び掛けていきました。これに応じて、

1972年 飯田下伊那地区高校芸術鑑賞連絡会

1974年 北信地区高校芸術鑑賞連絡会

1975年 中信地区高校芸術鑑賞連絡会

と3地区に連絡会が誕生し、その後、上伊那地区・諏訪地区も連絡会を発足させ、東信地区を除く長野県全体で鑑賞行事を企画・選定していく可能性が見えてきたのです。そこに吉報が入りました。県がこの事業に対し大型助成を新設するというのです。

芸術鑑賞助成事業

 芸術鑑賞専門委員会が調査研究し、各地区連絡会が運営を行うシステムが、1982年に公立高校の授業料還元の一環として5千万円を超える「芸術鑑賞助成事業」を引き出すこととなったのです。

 この助成の成立前も、市民会館等の公的施設の会場費に対して助成が行われていました。しかし新しい助成制度は、公演料、会場までの生徒移動交通費も対象とした助成制度でした。画期的だったのは、学校規模や課程に関係なく、かつ公私立を問わず助成対象とすることでした。どの高校に在籍していても、同一演目を鑑賞するのであれば、すべての高校生が同一の負担で鑑賞できるようにという理念に基づいていました。つまり、小規模高校には助成額を多く大規模校には少ない、学校規模による傾斜配分を前提に設計されてたのです。そして、通学している高校が異なれば共通する話題の少ない高校生にとって、同じ演目を共同鑑賞や合同鑑賞することにより、学校を超えての共通の話題を持つきっかけになればという願いがこめられていました。

 いずれにしても、この制度は芸術鑑賞事業を充実・発展する上で、大きな契機となりました。

成果

 芸術鑑賞の助成事業が始まってから、高校芸術鑑賞では、従来「夢のような公演」とされていた演目が、「手の届く」公演として実現していきました。それは、助成金が生徒負担を軽減しただけでなく、助成金を有効活用しそこに合同鑑賞行事の利点を活かすことで「質の高い演目を、可能な生徒負担、かつ最高の条件で鑑賞する」活動へと深化させていったのです。この実践が各地区の芸術鑑賞連絡会の組織を強化し、さらに、新しい芸術鑑賞の企画に思い切って挑戦できる自信を生んでいったのです。

 こうして実現した公演には、二期会制作「ウィーンオペレッタ・こうもり」(1987年6月長野県県民文化会館5周年記念事業と共催、東京公演そのままの規模で実施)、東京ニューフィルハーモニック管弦楽団演奏による松山バレエ団公演「くるみ割り人形」(31高校2万5千人鑑賞)、新国立劇場の協力による長野版「オペラ魔笛」、音楽座ミュージカル「とってもゴースト」「星の王子さま」等があります。いずれの公演も、音楽・演劇・ダンスなどさまざまな表現方法を統合した総合芸術ジャンルであり、出演者・スタッフが100人を越える演目もありました。困難はあっても東京を中心にした都市部でしか上演されないステージをみずみずしい感性を持っている生徒に鑑賞させたいという願いが、このような大規模な公演を実現に導きました。

 舞台の質を落とすのではなく、公演数を増やし、かつ学校公演の意義を訴えて多くの協賛団体(バス会社・ホテル・舞台会社など)の協力を得て初めて可能となる公演でした。そして、この実践は全国的に注目され、理想的なモデルとしてさまざまな場面で紹介されていきました。

課題

 しかし、この助成も田中県政時代の財政の見直しで予算は激減し、現在は100万円程になってしまいました。同時に、週休2日による授業日確保、行事の見直し、生徒の嗜好の多様化等が芸術鑑賞について逆風となり、全国的には鑑賞行事を行わない学校も増えています。県内にもその波は伝わってきました。しかし、現在全ての公立高校(課程変更で定時制になった高校を除く)が鑑賞行事を実施しています。県内の半世紀にわたる実践が、この行事の重要性を学校現場に浸透させていました。また、毎年各合同鑑賞連絡会によって選定される入門期に適切な演目と安定した運営が、行事の教育的価値の信頼性を残していたのです。

 そして今後、社会がさらに情報化し、ディジタル時代のコピー文化全盛の時代に突入するからこそ、時間と空間を多くの人で共有する鑑賞行事の意味が再確認され、かつ貴重となります。まさに、舞台表現が人間性や仲間といった帰属意識の回復の一端を担うような貴重なメディアとなっていくのです。舞台芸術の鑑賞と表現の循環を生み出す一つ目の螺旋(入門期の螺旋)として、学校公演が再評価されなければならないでしょう。

高校芸術鑑賞の再評価を

 ディジタル時代だからこそ舞台芸術の価値が見直される 

長野県高等学校視聴覚教育研究会 芸術鑑賞専門委員(松本深志高校 教諭) 林 直哉

5 子どもと遊び・文化・余暇

事例 5 長野県の高校に制服が少ないのは  高校生の自由と自治を尊重する長野県 

慶應義塾大学 佐野 ちあき 一橋大学 百瀬 あすみ

長野県の公立高校はなぜ制服が少ないのか

長野県の公立高校には、制服を定めていない高校が約5割存在します。この割合は全国的にみると最も高く、とりわけ松本市の全ての公立高校は制服を廃止しています。最近ではファッションとしての「なんちゃって制服」を好む高校生も多いですが、松本市内では県内他地区より際だって売上げが少ないようです(制服メーカーKANKOによる)。県内に暮らしていると当然のこととして受け入れていましたが、なぜここまで制服を否定した文化が広がったのか不思議に思い、高校在学中に制服をテーマにした映像作品を制作しました。その時の調査に基づき、制服廃止の歴史をたどりながら、その理由とそこから読み取れる松本地区の中等教育の文化について考えてみたいと思います。

学校における制服の始まり

そもそも制服は明治維新(1868年頃)に軍服をモデルにした詰襟の男子制服が始まりでした。女子の制服は和洋さまざまなスタイルを経て大正時代に現在のセーラー服スタイルに落ち着きました。しかし太平洋戦争を迎え物資不足により制服文化は一時中断されました。生徒はあり合わせの服で通学し、学童疎開も行われたために、県内の中学校や高等女学校に通う生徒が全員一律の制服を用意する余裕など不可能だったのです。

再び制服文化が戻ってくるのは戦後のことです。戦後の社会が徐々に落ち着きを取り戻し、新制高校の登場(1948年)とともに制服文化も復活してきました。ところが、松本市にはこの流れに乗らない二つの高校がありました。これには、松本深志高校と松本蟻ヶ崎高校に戦後組織される生徒自治会としての生徒会の誕生が、大きく関係することになったのです。

生徒会発足 1 松本蟻ヶ崎高校

学校における児童生徒の自治組織として、今やどの学校にもあり、学校生活と行事を取り仕切る生徒会組織は、太平洋戦争後の民主化政策の一環として誕生しました。昭和23年、関東地区の主立った新制高校の代表者が現在の千葉大学に集められました。長野県からは公立高校17校から全20名が参加しました。そこでは、GHQが「民主主義とはなにか」「学校における生徒会の役割」等についての講義や模擬生徒総会体験等を2泊3日で行いました。集められた高校生はそのとき初めて「生徒会」という言葉を耳にし、これからは民主主義のもと自分たちの力で学校生徒会を組織していくことを教わりました。戦前では先生の言われた通りに行動してきた生徒たちにとって、突然自分たちで考え行動するように指示されたことは衝撃的でした。その後、代表者たちは各高校で生徒会発足のための準備にとりかかりました。この集会に参加し、松本蟻ヶ崎高校の生徒会発足に尽力し初代生徒会長を務めた粂井八重子さんは、「先生たちは一切手伝ってくれなかった。すべてのことを私たちが判断して形にしていった」と当時を振り返ります。試行錯誤をしながらも、約1年かけて生徒会則の制定から組織づくり、生徒会役員選挙をへて生徒会を発足させるまで、生徒だけで全ての作業をやり遂げました。松本蟻ヶ崎高校は戦前は高等女学校であり「温良貞淑」に象徴される理想の女性像を求められていましたが、戦後は女子の自主性を重んじ、すべての生徒会活動を彼女たちに委ねました。こうして生徒会は、高校生に自治の権利を与え、自分たちで考え行動する力を養い、それを学校という小さな社会で発揮させていくシステムとして動き始めたのです。松本蟻ヶ崎高校ではこうした生徒の自主性のもと、制服自由化が生徒側から提案され、おそらく女子校として全国で初めて制服廃止を決定しました。選挙をへて初代生徒会長となった粂井八重子さんは「決まった形の制服よりもそれをはねのけるだけの生徒の自主性が蟻ヶ崎には培われていったということですかね」と語ってくれました。

生徒会発足 2 松本深志高校

同じく市内の旧制中学だった松本深志高校は、旧制中学時代から生徒自治を大切にし、すでに相談会という自治組織を持っていました。制服廃止に先んじて、制帽の学年別色線の廃止、制帽自体の自由化等を進めていました。自治を大切にする校風から戦後の生徒会への移行はスムーズに行われました。この裏には戦後深志高校の教頭、後に校長となる岡田甫先生の影響があります。岡田先生は14年間の長きにわたり「学問的にも自由と自治の上でも天下に誇る学校」を目指して深志高校の学校づくりを進めました。深志高校第4回卒業生で、岡田先生との親交も深かった山本伍朗さんは「本質的には制服なんて問題にしなかった。本を読むこと、先輩と語り合うことを大切にした」と語ります。生徒の自治権の中に委ねる方針が貫かれるなかで、猛暑時の上着の着用に対する「(上着着用については)差し支えなしや」という張り紙が起点となり、その後生徒は各々自由な服装で通学するようになりました。

市内すべての公立高校(当時6校)が制服廃止に

このように松本深志高校と松本蟻ヶ崎高校は戦後すぐに私服高校としての歩みを始めましたが、その流れが他校に広がるのは70年安保の時でした。生徒により制服自由化の運動が推し進められ、市内すべての公立高校(当時6校)が制服廃止に踏み切ったのです。同時期には学生運動の一環として全国のさまざまな高校で制服自由化の運動が行われましたが、むしろ生徒会の自治権制限に至った地域も多かったのに対して、長野県では、現在、私服となっている高校の多くがこの時期に制服を廃止しました。特に松本市のように市内の全高校が制服を廃止するのは極めて珍しく、これもこの地域に「生徒の自主性、自治を重んじる文化」が根付いていったからではないでしょうか。やがて2000年に入ると、松本市周辺の高校も次々と制服を廃止し、現在、松本市と隣接する市町村の公立高校13校中12校に制服がありません。

なぜ松本市の高校には制服がないのかを調査する中で、さまざまな人の思いと積み重ねられた歴史の重みを知りました。学校制服とは、実際一人ひとり異なる人間である生徒を分かりやすく「生徒」として画一化、記号化する代表的なツールです。そこには「生徒は管理するもの」という思想が見え隠れします。学校制服のルーツが軍服にあることからもわかるように軍隊的な側面も感じられるのです。

このような観点でみると、生徒の自由と自治を重んじる松本地区の公立高校に制服がないのは必然であることがわかります。生徒は生徒である前に一人ひとり違う人間であるという当前のことが当たり前に認められており、生徒は先生に「管理されるもの」ではなく、一人の人間として自由に主体的に服装や行動を選択する……という文化は、一朝一夕に生まれたものではなく、岡田先生をはじめ教育への高い理想と熱い思いを持った多くの人々により長い時間をかけて培われてきたことを改めて知りました。私服文化は長野県が誇るべき文化と言えるのではないでしょうか。

まとめにかえて 文化祭に引き継がれる理念

この生徒会と生徒自治を培う理念は、その後、学校祭として長期かつさまざまな発表を吸収していく長野県の高等学校独自の文化祭スタイルを確立していきます。文化系クラブの発表はもちろんのこと、修学旅行展、ゼミや授業単位での発表などが行われ、運動系クラブは模擬店を実施し文化祭に貢献する、学校を挙げたお祭りは、毎年全教室が埋まるほど賑わいをみせます。憲法公布の年までは広く行われていた大運動会(現在の体育祭)は、生徒会発足と総合発表会としての文化祭の出現からこの行事の一部として吸収あるいは廃止され現在に至ります。軍事教育の一環として始まった運動系の行事は、教員も参加する球技クラスマッチへと変化しました。文化祭を中心として生徒が自主性をもって取り組むことで、この経験は生徒がたくましく生き抜くための糧となっています。

長野県の高校に制服が少ないのは

 高校生の自由と自治を尊重する長野県 

慶應義塾大学 佐野 ちあき

一橋大学 百瀬 あすみ

佐野ちあき・百瀬あすみ

2015年長野県松本深志高校卒業 放送委員会制作班として高校生の自治に焦点を当てた番組を多数制作。松本地区の制服廃止について調査した「制服ガラパゴス」は第34回地方の時代映像祭にて奨励賞受賞。

「子どもと遊び・文化・余暇」 あとがき

長野の子ども白書編集委員 大屋 寿朗 

今年は5つの原稿が、この分野に寄せられました。

①キッズ・サーキット in SAKU 2016 ②芸能歌舞劇『イワト』 栄村応援プロジェクト ③夏休み 長野の子どもたちの休息・余暇  ④高校芸術鑑賞の再評価を 舞台芸術の価値  ⑤長野県の高校の制服 高校生の自由と自治  の5本です。(勝手な略称をお許しください。)

昨年は、「子どもの遊び・文化」という分野で、①冒険遊び場「原っ子の森」 ②子どもの権利条約31条について ③図書館と子育て の3本が掲載されていました。

今年から、「余暇」という視点がこの分野に加わったわけですが、これは子どもの権利条約の第31条の「休息及び余暇についての児童の権利並びに遊び及びレクリェーションの活動を行い並びに文化的な生活および芸術に自由に参加する権利を認める(日本政府訳)」という条文に沿って、その視点から長野の子どもたちの現状をとらえ、子ども・若者の今を考えていこうとするもので、「長野の子ども白書」の編集方針の一つの柱である、「子どもの権利条約を指針にして、子どもの権利保障の実態を明らかにしていく」という視点をさらに明確にしたものだと言えます。

上記のように、31条は三つの権利を定めています。①休息・余暇、②遊び・レクリェーション、③文化・芸術。条約の制定過程では、なぜこの三つが同じ条文の中にあるのか、あまり、積極的にはとらえられていませんでした。子どもの生活の中で教育以外のものを寄せ集めたという見方まであり、日本でも批准の前は、「遊び」の活動を広げる団体は「遊び」の権利を取り出して31条を語り、芸術・文化団体は31条は「芸術・文化」の権利だと主張していました。

しかし、私たちはますます厳しくなっていく日本の子どもたちの現状を総合的にとらえ、その「最善の利益(条約第3条)」はどこにあるのか考えた時、この三つは切り離しがたくつながった子どもにとって不可欠の権利であることが実感されるようになってきました。ゆったりと体を癒し(休息)、おおらかに自分を見つめ、自由な発想を楽しむ時間(余暇)がなければ、自分から「これがしたい」という気持ちも湧いてきません。遊びを通じて自然や他人と、触れ合い、ぶつかり合う体験がなければ、芸術的な活動も底の浅いものになってしまいます。すべての芸術活動のルーツは遊びにあり、芸術的活動には遊び心が欠かせません。そして、芸術は心身を時には癒し、時には励まし、時には激しく揺さぶる。今を生き、明日に向かって育っていく子どもたちには、これらの関連する時間と体験が必要不可欠なのです。私たちはこの関連する三つを総合的にとらえて31条を「文化の権利」と位置づけます。これは私たちの勝手な、我田引水ではありません。2013年に国連が発行した31条についての総合的解説書「ゼネラルコメント№17」が、そんな私たちの理解を裏付け、後押ししてくれています。(Art.31が翻訳発行し普及しているゼネラルコメント№17パンフレットを是非お読みください。)

今回いただいた5つの原稿は、それぞれに文化と子どもたちの生活のつながりについて、多くのことを語っていただいており、文化の権利を総合的にとらえていく助けになるものとなりました。

理想としては、3つの権利の一つひとつについてバランスよく文章が集められれば、総合的な「白書」となるのではないかと思いますが、それは来年以降の課題としましょう。

最後に一つご紹介です。昨年、長野の子ども白書5周年の記念講演をされた増山均さんが31条の今日的な意味と子どもの権利実現の課題についてまとめられた提言を、「『あそび・遊び』は子どもの主食です!」というタイトルでArt.31が出版しました。今後も子どもの文化権の実現を目的として発行していく「子どもの権利条約31条ブックレット」の創刊号です。今後の「長野の子ども白書」の内容を深めていくためにも、みなさんに読んでいただきたい一冊です。

「『あそび・遊び』は子どもの主食です!」の タイトル写真

■ 大屋 寿朗 特定非営利活動法人

子どもと文化のNPO Art.31 代表

6 乳幼児期の子育てと保育

もくじ

これ以降は「乳幼児期の子育てと保育」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 地域での親育ち講座・子育ち講座の取組み紹介 竹内 はるか

事例 2 自由への教育 意志が育つ幼児期  根本 弘一郎

事例 3 保育士養成校からみた保育士採用の現実と課題 豊永 誠

「乳幼児期の子育てと保育」のリンクは以上になります。

紙芝居を見ている 乳幼児達のイラスト

6 乳幼児期の子育てと保育

事例 1 地域での親育ち講座・子育ち講座の取組み紹介

そらいろのたね主宰 竹内 はるか

はじめに

そらいろのたねでは、子どもの自尊感情をキーワードに、中信エリアで親育ち講座・子育ち講座を開催しています。県内外から講師を招き、地域での学びの場を提供しています。

・子どもの人権教育、安全教育

・性教育(家庭での性教育のススメ)

・「どならない子育て」

・子ども向けコミュニケーション力トレーニング講座

 「ことばキャンプ」

・感情教育ワークショップ

気もちのワークショップ 

アンガーマネジメント講座

・レジリエンス教育プログラム:逆境に負けない力

これらの中で、とりわけお母さんたちのニーズが高いと感じている3つのプログラムによる取組みについてご紹介します。

① どならない子育て講座

② どうする?家庭での性教育 

③ 子どものコミュニケーション力トレーニング

「ことばキャンプ」 

どならない子育て講座 

子育て・しつけの具体的な方法(子どもへの声掛けの仕方、子どもの不適切な言動への対応法)は、教わる機会もないため、多くのお母さんたちは育児書を参考にしたり、ネット上のママ向け掲示板で似たような悩みを探したり、独学・自己流で試行錯誤の繰り返し……、といった状況です。いくら言っても指示に従わない子どもに、イライラする、どなってしまう、しかしどなっている割には子どもには指示は伝わらず、叩いたり、ひどい言葉を浴びせてしまう、寝顔を見ては反省する日々……、という話は珍しくありません。

どならない子育て練習法など、効果的な子どもへの声掛け・対応の仕方を学ぶ講座を開催すると、毎回大きな反響があります。他の講座に比べて申込みが多く、たくさんのお母さんたちが困っていることがうかがえます。行政でも、「育てにくさを感じているお母さんのための」ペアレントトレーニングプログラムなどが開催されていますが、一般の多くのお母さんたちも子育てスキルを教わる機会を必要としており、子育て支援の重要な要素として広く開催が望まれます。多くのお母さんたちが効果的な声掛け法や対応法を学べば、イライラ・怒りに任せて『おまえなんか産まなければよかった』などといった子どもの自尊感情を損なうような言葉がけや、言ってもきかないので叩くなどの事例が減り、虐待予防効果が期待できます。

受講者の中には、虐待的対応をしてしまい困っていたが行政の相談にアクセスできずにいたお母さんがおり、私たちの開催した『どならない子育て講座』に打開策を求めて参加し、行政の相談機関へつないだケースもありました。

また、別プログラムですが、親子向けの感情教育ワークショップでは、母自身が怒りのコントロールを学びたいという動機での受講も目立ち、感情教育の必要性・ニーズを感じています。

幼児期からの家庭での性教育のススメ

3歳頃から、「私はどこから来たの」「赤ちゃんはどうやっておなかに入るの?」という素朴な質問を投げかけるようになりますが、返答に苦慮する親が大半で、ごまかしたり嘘をついたりする親も少なくありません。

私たちは幼児から小学生の親を対象とした「どう答える?子どもからの性の『どうして』」という講座を主催または出前講座(幼稚園PTA講話等)として提供し、幼児期から家庭で伝えたい性(生)教育を伝えています。

参加者からは、「性(生)教育は大切だと思いながらも、どう伝えていいか分からずにいた」といった声が多く寄せられます。親自身の世代もまた、性教育を受け損ねておとなになっており、性について科学的に語れる力を持つ人は少数です(口にすることをためらう、説明可能な語彙を持たない、など。)

幼児期から子どもに性(生)教育を行う目的は大きく二つあります。

1)性被害から身を守る安全教育として

2)肯定的なからだ観・性に対する肯定的なイメージを育む

1)安全教育としての性教育

プライベートゾーンを触っていいのは自分だけであること(病院などの例外を示しつつ)、性器の名称を教えることで、被害に遭いそうになったときに嫌だと言える/または遭ってしまったときにおとなに伝えられる力をつける一歩となります。

2)からだ観:「からだっていいな」と思えること、また本来「すばらしい仕組み」である性に対する肯定的な価値観は、メディアからの不適切な性情報にさらされる前に育んでおく必要があります。

就学前後の年齢から動画投稿サイト等を視聴する機会がある子どもが少なくない現在、子どもたちは意図しなくともネット上の性描写にさらされることがあります。しかもその多くは、主に商品として男性向けに制作された性描写であり、その問題点は誤った/非科学的な情報を含むこと、また暴力・犯罪を含む性行動が含まれること等です。最初に目にする性描写がポルノでいいのでしょうか。

メディア情報にさらされる前に、家庭での適切な情報提供が必要です。そこで、絵本を利用した家庭での性教育の必要性と実践法を伝え、また親自身が性について語れる力をもつための学び直しの機会として開催しています。

ことばキャンプ:子ども向けコミュニケーション力トレーニング講座

コミュニケーション力は、すべての人に必要なライフスキルですが、苦手な子どもにとって、そのトレーニングの機会は乏しい現状があります。話す力、聞く力、発表する力のトレーニング専用の機会はこれまでありませんでした。

ことばキャンプは、米国の学校での授業をベースに、NPO法人JAMネットワーク(横浜市、高取しづか代表)が考案したプログラムです。その内容は、少人数グループ(6人程度)で、7つのチカラ(度胸力・論理力・理解力・応答力・語彙力・説得力・プレゼン力)を練習する参加体験型講座です。特長は、ゲーム形式で楽しみながら練習できること、また、繰り返し練習することで少しずつ階段を一段ずつ上るように力をつける構成であることです。

受講前は人前で話すのが極端に苦手だった子が、繰り返し練習するうちに人前で話すことに慣れ、伝える楽しさも感じることができるようになるケースがよく見受けられます。

またこのプログラムは、講師から、子どもの頑張ったところに注目して「花丸メッセージ」を伝えて勇気づけることを重視しています。できなかったところへ注目すること(=ダメ出し)はあえてしません。『行動・成果・結果をほめる』よりも、『プロセス(頑張ろうとした意欲や挑戦しようとした気もちなど)を認めほめる』ことで、子どもたちをエンパワーメントします。

このことばキャンプを、コミュニケーションに苦手意識を持つ子どもたちに届けたいと考え、2014年に県内初開催しました(長野県元気づくり支援金活用事業)。翌年には10名のインストラクターを養成し、インストラクターらから成る団体「ことばキャンプ長野」を立ち上げ、現在は長野市・松本市・塩尻市・岡谷市で年長児向け3回連続講座および小学校低学年向け6回連続講座を開催しています。

ことばキャンプの トレーニング風景の写真

地域での親育ち講座・子育ち講座の

取組み紹介

そらいろのたね主宰 竹内 はるか

竹内 はるか 産婦人科医師

ことばキャンプ長野代表

6 乳幼児期の子育てと保育

事例 2 自由への教育 意志が育つ幼児期

ひだまりの家 代表 根本 弘一郎

はじめまして。私は「ひだまりの家」の根本と申します。「ひだまりの家」は、被虐待児や天性のその子らしさを自ら封印してしまい苦しんでいる若者たちと共に暮らし、本当の自分の姿を見出すこと、そしてその自分を生きること、社会において自由に生きるとはいかなるものなのかを生活を通し、導いています。

うちを通り抜けていった若者の中には過酷な人生を選びその試練に挑んだ者たちがいます。そのうちの一人は乖離性多重人格障がいでした。病院から私の元に来た時は心も体もずたずたでした。体中に深いカットの後。顔はこわばり血の気がありませんでした。医師から処方される強い抗鬱剤でふらふらです。薬が切れれば輸血が必要な程のカット。乖離をすれば別の人格が彼女を支配し猛吹雪の中でも森の中でもどこにでも連れ出してしまいます。抑え込めば頭をぶつけます。お手上げの状態です。なぜこうなってしまったのでしょう。理由の一つに「自分らしさを封印してしまったから」があります。一年半の壮絶な闘いの末、彼女は勝利しました。心の自由と自らを生きるという自由意志を同時に獲得しました。彼女は今、自己の存在の内にしっかりと立ち、自分の生を自分らしく真剣に生きています。

人の意識の中を生きた過去

私はかつて人からの評価の中を生きていた時代があります。優秀であることを強く求められた子ども時代、何においてもカンニングをすることは常でした。また嘘をつくのも常でした。そしてそれは学生時代に留まりません。自分を装いずるく生きるという習慣は社会に出てからも形を変えて続いていき心は病んでいきました。そんな私の目を開けてくださったのは、とある国のとある家族でした。その家族はギャングの若者の更正を専門とする里親でした。私はその家族と生活することで自分が人の意識の中を生きてきたことに気付くことができました。そして大切なのは「私である」こと。「自分らしさを認識しつつ自分の傲慢さと向き合い自分の生を真剣に生きることだ」と気付く事ができたのです。しかし頭でわかっても成り変わった訳ではありません。心は躁鬱を繰り返し生きる事に絶望したこともありました。

健康な心と紛れない思考そして意志

この度は自由意志について書きますが少々わかりにくいかもしれません。なぜなら日本の教育方法は自由というよりも号令をかけ従わせる傾向があり、私たちは多かれ少なかれそう育てられてきているからです。ここでいう自由とは健康的な澄んだ心で紛れなく考え、正邪を判断し、自分勝手にならず心の奥から湧きあがる意志によって羽ばたいていくことを指しており、日本にはなじみのない方法と言えます。しかし良いと思う文化や教育方法は少しずつでも学んでいくべきだと思います。私がニュージーランドで学んだ養育とその後に出会ったシュタイナー教育、そしてそれを私たちが11年間にわたって実践した結果を踏まえ説明させていただきます。

人は意志によって動かされます。遊ぶにも仕事をするにもボランティアをするにも悪さをするにもすべての行動には意志が要ります。もしこの意志が無ければ人は動けません。また意志には、責任を踏まえて自ら行動する自由意志と、世間体や恐れに動かされる受動的な意志とがあります。「これをやりなさい・あれをやりなさい・やらないとこうなっちゃうわよ」といったように「人を動かそうとする意識」の中で人が育つとどうなるでしょう。何をするにも「しなくてはならないとか見られているから」と、あらゆることを義務的に捉え行動するようになります。ましてや「なんであなたは自分から動かないの」等と支離滅裂なことを言われようものなら、自由意志の萌芽すらも消えてなくなってしまいます。そしてこれが植え付けられてしまうと「こうせねばならない」という義務感に縛られ「世間から見られているから。評価されているから。だからやる」となり、自らの内に湧き起るはずの意志が消え失せてしまうわけです。酷くなると生きる事さえも義務として捉えるようになってしまいます。ニートと呼ばれている若者がそうです。そして社会全体が「せねばならない」という考えの上に作られていて、それに耐えきれず絶望し悲鳴を上げている若者が後を絶たないのです。

意志が育つ幼児期

ではどのようにすれば自由意志が育つのでしょう。行動させようとする意識の中では自由意志は育ちません。幼子が元々持っている無意識の衝動によって育ちます。ですからこれを可能にできるのは自分の行動に意識を持たない0歳からせいぜい7歳くらいまでです。赤ちゃんが手足をバタバタ動かしているのは無意識です。そのうち寝返りに成功し、やがて這い這いをするようになり「きゃっきゃ」と喜びながら動き回ります。そのうち目線に何かを見つけるとそこに向かって行きます。そしてそれをつかみ、口に入れたり投げたりします。これらすべて無意識の衝動です。しかしこの何かを見つけそこに向かって行く衝動が自由意志の基となっていきます。やがてつかまり立ちにトライするようになります。何度も失敗しながらもやがて成功します。そして手を放し自分の足だけで立ちます。これが生まれて初めての「自立」です。やがて好奇心に導かれて歩み始めます。非常に尊い経験です。人生に踏み出していると言っても過言ではありません。しかし、自らで立つことにおとなが手を貸したり歩行器に乗せたりしたらどうなるでしょう。人生にたった一度しかない「自らで立つ、自らで歩く」という経験を「人の力を借りて立つ、何かを頼りにして歩む」という経験に変えてしまうことになるのです。幼子は自分で立ち上がることを学ばなくてはなりません。何度転んでも立ち上がるといった経験が人生に於いては、くじけても立ち上がるという意志の強さになり、運命に一撃を入れられてもいつまでも籠らず立ち直るといった心の強さになっていくのです。ですからおとなは転ぶことを前提にいつも温かく手を広げ応援していることが大切なのです。また、向かった先にあるものを手にした途端に「危ない汚い」と取り上げられたらどうでしょう。向かって行った先のものが毎回なくなることを想像してみてください。おとなだってめげますよね。これが意志に大きく影響します。ですからいつも部屋は片付け、口に入れても安全な天然素材のものを用意したいものです。

やがて2歳も過ぎると模倣が始まります。衝動を意志にしていく時期といえます。子どもはトライが好きです。だからおとなのすることを見てトライし始めます。言葉も真似ます。「いけません」なんて言うと行いをやめるのではなく「いけません」なんて返してきます。ひだまりの家では全員がキッチンに入ります。皆が入るから小さい子も自然に入ってきます。子どもはキッチンで働くおとなたちを見て真似し始めます。やがて、毎度セットされるお皿に興味をもちだします。ある日お母さんが「おねがい」とにっこり笑いながらお皿を手渡すと嬉しそうな顔でダイニングに持って行きます。そしてお父さんにそのお皿を「・・・」と言って渡します。食器を拭いているとやはりじっと見ています。ある日そこにタオルを置いておくとそのタオルをつかみお皿を拭き始めます。洗濯物もたたみだします。興味と衝動が作り出す意志です。これは手伝いではありません。自分の事を自分で行い始めているのです。しかし「まだいいわよ」と意志行為を制止したり(いけない事には制止が必要です)そこにテレビがついていたらどうでしょう。子どもは刺激的な興味に意識を持って行かれてしまいます。これでは意志は育ちません。だから子どもはよく歩き、よく遊び、よく転び、立ち上がることが大切なのです。転ぶ度におとなが抱き起こしては依存心が強くなり何かの時に自ら立ち上がることができなくなってしまいます。ですからおとなは自分で立ち上がることをむやみに妨げてはいけないのです(あんまりひどい時は助けて下さいね)。そしていつも優しく手を広げ見守ってくれているおとなの存在が大切なのです。

大人といっしょに 棚からものを 取り出そうとしている 子どもの写真

いつか子どもはその手の中から自ら立ち、旅立っていきます。

さて自由意志について極々簡単に説明しました。他にも判断できるおとなに育てるにはどうするか等々、もし詳しくお知りになりたい方がおられればご連絡ください。相談を受けます。機会があれば次回は小学生から思春期に育つ健康的な心について書かせていただきます。

自由への教育

意志が育つ幼児期

ひだまりの家 代表 根本 弘一郎

6 乳幼児期の子育てと保育

事例 3 保育士養成校からみた保育士採用の現実と課題

信州豊南短期大学 教授 (2013年3月まで) 豊永 誠

1. はじめに

2016年2月の「保育園落ちた、日本死ね!」のブログの書き込みは深刻な待機児童問題への怒りと現状への告発でした。「保育士が確保できない」という保育士不足問題は単なる人員確保の問題ではありません。子どもの生命を守り育て保護者の働く権利を保障し生活を支える専門職員としての処遇問題が解決すべき中心的な課題であると思います。

子どもの笑顔に励まされ、子どもと共に成長できる保育士になりたいという夢を持って入学してくる多くの学生たちがいます。保育士養成校である本学(短期大学)の就職支援の取り組みを通して見えてきた保育士採用の現実と課題について報告します。

2. あこがれの職種保育士をめざして

子どもたちにとって「保育士・幼稚園の先生」の職業はあこがれの職業となっています。女子にとって小中学生では第1位、高校生では第2位の人気のある職業となっています。保育士は2003年度国家資格としての保育士が誕生し、より一層の専門性が重視されることになりました。保育士養成校でも2010年7月「指定保育士養成施設の修業教科目及び単位数並びに履修方法」の一部改正が実施され、「現場の実践や保育士の専門性を充分に踏まえた内容とする」など資格の付与について国から厳しく指導がされています。

3. 保育士養成校の教育目標と養成の悩み

本学では五つの教育目標を掲げていますが主な三つの目標を紹介します。

(1)保育者としての使命感と倫理観、共感的態度を持ち合わせ、子どもの最善の利益のために主体的に学び続けられる意欲を持った保育士の養成。

(2)子どもの発達の過程を見通した保育の技能を身につけ、高い専門性と豊かな教養を持って子どもの心身の健やかな成長に寄与できる保育者の養成。

(3)子ども及び支援を必要とする人々の権利のまもり手として、社会の発展に積極的にかかわることのできる保育者の養成。

本学の保育士養成上の悩みや課題として(1)基礎学力不足の学生への支援(2)対人関係が苦手な学生への支援の在り方(3)あいさつなど社会人基礎力をどう高めるか(4)現場で実践できる保育技能をどう高めるか(5)生活体験が乏しい学生により現場体験をさせる工夫や配慮、など課題は山積みしています。先生方は時間をかけて学生を励ましながら指導をしています。

保育士養成の過程は2年制が基本とされています。保育士資格と幼稚園教諭の免許の二つの資格を卒業時に取得するには91単位の修得が必要なため必修科目を中心に毎日夕方まで授業に追われる厳しい現実があります。長期の休みにも11日間の実習が実施されています。

経済的困難を抱える学生も多くなり、授業、アルバイト、部活動にと忙しい生活実態も現実です。この2年間の養成過程で短期間に多くの必修科目を修得させるため詰め込み授業となり、保育士にふさわしい人間性を豊かにする課題や、子どもたちとのふれあいなど貴重な現場体験の時間をより多く確保するゆとりもない厳しい現実でもあります。今後保育士養成の修業年限の在り方についても十分な検討が必要であると考えます。

4. 学生はあこがれの職業につけているのか

入学してくる学生のほとんどが「保育園や幼稚園の先生になりたい」という希望を持って入学してきます。一方、保育士の職業は子どもの生命と成長を守り育て、保護者への援助のできる専門家として社会的に責任の重い仕事でもあります。2年間という限られた期間のなかで学生をどう育てるのかが養成校の課題であり、責任でもあります。

学生たちの学びも授業に追われる日々となります。授業を欠席してしまう、学期末試験で合格できない、経済的事情などで途中で退学となる学生も一部ですが存在しているのも現実なのです。

学生たちは最も重要で厳しい実習(保育実習3回・教育実習2回)の体験を通して保育士としての適性や能力、技術、人間性が試され評価を受けます。学生自身が体験して本当に保育士になれるのか、仕事の内容、求められる専門性や人間性について自分を見つめ直し本当にやりたい仕事を考えて就職試験に臨みます。

2年間の学びは短いですが保育士めざして意欲的に学ぶ学生たちは確実に成長し、自信を広げて夢の実現に向けて挑戦していきます。本学の就職状況は表一のとおりです。

表一 幼児教育学科学生の分野別就職状況(割合)

 就職分野

2016 年度

2015 年度

2014 年度

 幼稚園

13 %

10 %

7 %

 保育所関係

49 %

60 %

36 %

 児童福祉施設

10 %

3 %

11 %

 障がい児・障がい者施設

18 %

16 %

20 %

 高齢者施設

3 %

4 %

17 %

 民間事業所(会社)

7 %

7%

9 %

 就職率

100 %

100 %

96 %

 保育所正規職員

53 %

51 %

12 %

 保育所臨時職員

47 %

49 %

88 %

特徴の第1は就職率はこの3年間の実績でほぼ100%近くであることです。保育士、幼稚園教諭をめざす学生の就職実績は「確実に就職できている」といえます。

第2は分野別の就職をみると概ね保育所の保育士が40%から60%、幼稚園教諭7%から13%、児童福祉施設、障がい児・障がい者施設、高齢者施設職員が約30%となっています。本学の特徴として福祉施設への就職希望者が多いという傾向がみられます。

第3は保育所の保育士採用が概ね正規職員51%臨時任用職員49%となっていることです。

私立保育所はほとんどが正規採用です。学生の希望する市町村立の保育所では正規職員の募集が少人数であるために、公務員試験に合格して正規職員に採用される学生はごく一部です。

多くの学生は臨時任用(嘱託)の保育士として採用されている厳しい現実があります。学生にとって憧れの保育士にはなれたが毎年契約の更新があり、賃金の低い不安定な臨時職員の仕事につかざるを得ない現実となっています。

5. 保育士採用の現実から考える

長野県の保育所の特徴は市町村立が圧倒的であることです。都市化による人口一極集中の首都圏での深刻な待機児童問題が社会問題となっています。一方、人口減少の著しい地方自治体では少子化による保育所の統廃合、保育士採用の募集停止、保育士の本庁への異動の現実もみられています。県内では待機児童問題はないとされていますが、多くの市町村は「保育士不足」が深刻です。「保育士の求人に応募が少ない」として危機感を募らせて確保のために賃金や待遇の改善への取り組みが始まっています。

県内の保育士不足の背景は、多様な保育サービスに対応するための延長保育、休日保育、預かり保育、障がい児保育などの事業実施や3歳未満児保育の希望増加などによって短時間勤務の保育士を中心とした人員確保が不可避となっているのです。国の「保育所における短時間勤務の保育士の導入について」の平成10年2月通知によって臨時任用保育士の採用が拡大されているのです。県下の市部における保育士正規、非正規の職員の割合は表二のとおりです。

表二 平成28年度4月現在市部における

      保育士の正規・非正規職員の割合(%)

 市部名

正規

非正規

 長野市

61.2%

38.8%

 小諸市

32.2%

67.8%

 松本市

47.2%

52.8%

 伊那市

35.9%

64.1%

 上田市

46.4%

53.6%

 駒ケ根市

54.5%

45.5%

 岡谷市

52.1%

47.9%

 中野市

46.0%

54.0%

 飯田市

63.7%

36.3%

 大町市

40.2%

59.8%

 諏訪市

55.6%

44.6%

 飯山市

43.7%

56.3%

 須坂市

46.3%

53.7%

 茅野市

57.9%

42.1%

 塩尻市

32.1%

67.9%

 佐久市

47.2%

52.8%

 千曲市

45.9%

54.1%

 東御市

47.1%

52.9 %

 安曇野市

31.5%

68.5%

※資料 県こども・家庭課提供の資料から筆者作成(私立保育所を含む)

特徴の第1は13の市において正規職員より非正規職員の割合が高い現状にあり、高いところでは67%、68%を占める実態があります。県下(町村も含む)公立保育所の非正規率は59.8%で約60%を占める状態であり、確実に保育所職員の非正規化が広がっています。

第2は短時間勤務の保育士の非正規採用にとどまらず、正規職員と同じ仕事内容、労働時間である常勤的職員の非正規化が広がっていることです。

この背景には国による保育制度改革、規制緩和、民間企業による保育所運営の解禁、多様な保育制度の推進が図られた結果であるといえます。また、「地方分権」改革として保育所運営費の一般財源化、地方交付税の削減は市町村の財政負担を重くし、総人件費の抑制による公務員定数の削減、正規職員採用の抑制、非正規職員による補充が当然のごとく実施されている現状にあります。保育士をめざす学生の立場からすると「地元で保育士になりたいが正規職員にはなれない」という厳しい現実となっています。

特徴の第3は保育士の非正規職員化が進められながら、「幼い子どもの命を預かる社会的責任の重い専門職」としての保育士の処遇改善が軽視され不十分な状態に置かれてきたことです。

平成29年度採用保育士(非正規職員)の賃金は表三のとおりです。本学に関係する求人票から資料作成しているためごく一部の限定的な資料です。

表三 平成29年度保育士採用(正規・非正規)の賃金 (参考資料)

 自治体名

正規職員(初任給)

非正規職員(常勤職員)

備考

 長野市

168,900円

165,000円

 松本市

157,300円

170,800円

 伊那市

157,300円

日額8,300円

経験3年未満

 駒ケ根市

157,300円

150,500円

 茅野市

157,300円

148,800円

 塩尻市

157,300円

161,700円

 安曇野市

157,300円

日額8,540円

職務経験 3年以上

 辰野町

157,300円

166,000円

 箕輪町

157,300円

時給950円から

※本表は本学に関係ある求人票から一部抜粋して筆者作成

臨時職員の賃金は時給表示の自治体では950円から1,100円、日額表示では8,300円から8,540円、月額表示では14万8,800円から17万800円と自治体によって相当のバラツキがあります。公立保育園で臨時任用の保育士でフルタイムの常勤的職員として働いた場合も年収200万円以下というワーキングプアの状態を生み出す危険性があるのです。仮に16万2,000円の賃金で他に一時金等の手当がない場合には年収194万4,000円の水準にとどまっているのです。

こうした低すぎる賃金水準と給与体系、長時間化する保育、多様な保育サービスへの対応など、保育士の厳しい労働条件についての抜本的な改善が求められていると考えます。

6. まとめ 「保育士不足」問題は専門職員としての処遇改善を最優先に

保育士養成校としては国家資格化され、高い専門性と豊かな人間性を持った保育士として育てるために、限られた養成期間に真剣に学生と向き合い教育に取り組んでいます。就職支援活動は大学として重要な課題として全教職員が取り組んでいます。しかし、現実は多くの学生が正規職員の保育士にはなれず臨時任用職員として働かざるを得ない厳しい社会と向き合っています。

「地元の生まれ育った街で、子どもの笑顔に励まされ共に成長できる保育士になりたい」という学生の思いと高い志を私たちは大切にしたいと思います。そのためには保育士が子どもや保護者の気持ちに寄り添い、子育ての一番身近な専門家として誇りと生きがいをもって働くことのできる処遇改善への取り組みが最優先課題として実施されるべきではないでしょうか。その改善の方向性は保育士の専門性を軽視する規制緩和や基準の弾力化ではなく、専門職にふさわしい給与体系、給与水準の確立と、休憩時間もとれない、持ち帰り残業も多いという労働条件の改善のために保育所における職員配置基準の抜本的改善の方向性によって解決されるべきであると考えます。

今後、保育問題についても多くの関係者の皆さんからの実践報告や問題提起がなされることを期待しています。

(1)『全国保育団体連合会・保育研究所編2016保育白書』

ひとなる書房

(2)『最新保育資料集2016』 ミネルヴァ書房

保育士養成校からみた

保育士採用の現実と課題

 豊永 誠

信州豊南短期大学 教授

(2017年3月まで)

7 子どもと医療・いのち

もくじ

これ以降は「子どもと医療・いのち」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 だれが子どもの持って生まれた能力をまもるのか? 朝倉 康直

事例 2 多様な親、多様な育ちを支えるためにできること  精神医療の立場から  樋端 佑樹

事例 3 松本市エイズ・HIV等性感染症予防啓発推進協議会の取組み 田中 正一

事例 4 性教育を進めていく良い方法が見つかりました  クラス別授業一斉に実施  吉田 アイ子

事例 5 まちかど保健室から見える若者の生きづらさ 後藤 裕子

「子どもと医療・いのち」あとがき 蓑島 宗夫

「子どもと医療・いのち」のリンクは以上になります。

病院でお医者さんに 聴診器をあてられている 子どものイラスト

7 子どもと医療・いのち

事例 1 だれが子どもの持って生まれた能力をまもるのか?

あづみ野眼科 朝倉 康直

人は外界から得る情報の90%を視覚から得ているといわれています。こどもが外界のいろいろなことを学びながら成長していくためにも、眼の機能を子どもの時に育てておくことがとても重要な事です。

眼鏡での治療を追求し、持って生まれた能力を引き出す手助けができたと思われるダウン症児の13年間の成長の記録を報告します。

ある障がいをもった子どもの
13年間の記録

最近の診察室で 2015年(14歳)

 K!字が読めるのか

 診察もせず、マンガを大きな声で読んでいる

K.F 平成13年7月27日生まれ 男 長野市在住

平成14年5月18日初診

 ダウン症で眼が心配なのでと、母親と来院。

 内斜視 遠視性乱視 眼振を認めた。

平成14年11月21日 1歳3か月

 調節麻痺剤使用後の屈折検査(検影法)で、右+4.50D左+4.50Dと強い遠視を認めたため、眼鏡を処方し経過を追うこととした。

 眼鏡をかけていると、眼の位置が安定していることを確認。処方後眼鏡の使用状況と眼位の経過観察のため1か月に1回診察とした。

 

2歳から就学前まで

 その日の体調や気分によるが、1日2時間くらいから半日くらいまで眼鏡使用ができるようになる。視力測定はできたりできなかったりの繰り返しである。

 眼鏡を使用していると眼は、正常な位置を保てていることが確認できた。

3歳ころより、検査も少しできるようになる。行動が大変活発になる。

 4月より保育園入園、メガネ使用については保育園の先生に協力をお願いする。

 5歳で、初めて両眼での視力測定ができる。 

 視力検査はむずかしい。本人の答えがたよりである。しかし本人は答えてくれない。答えやすいように検査の工夫をする。

小学校1年生

 入学後眼鏡かけない。先生と相談してもらう。

 しばらくの間、眼鏡を掛けたり掛けなかったり。

 学校では使用する。家に帰れば眼鏡を装用しない。

小学校2年生

 学校でも家でも眼鏡使用。

 森実ドットカードでは両眼で視力(1.0×眼鏡)

 視力が育っていることが確認できた。

小学校3年生

 昨年夏以降、眼鏡を外さなくなってきた。

 集中力も出てきた。

小学校5年生 

 眼鏡をずっと使用できるようになる。

平成25年4月 小学校6年生

 パソコンやゲームをやっている。

平成26年1月 眼鏡処方

 右 S+1.00 C-1.50 A180°

 左 S-1.25 C-2.50 A180°

平成26年4月 中学校入学

 眼鏡は学校でも自宅でも使用。

 待合室での様子やお母さんから話を聞く。

 学校は楽しそうに行っているようで一安心。

 現在も3か月に1回受診。

診療経過 

障がいがあるからこそねばり、観察し、考え抜いて可能性を引き出すことに努めました。

何もできずに帰ったことが何回もありますが、我慢強く診察に来てくれたことが、信頼関係を築く上でも大切な事でした。

小さな頃から、検査は30分から1時間のお付き合い。時により休みを挟んで再開します。体調の悪い時や気分が乗らない時は様子を見ながら検査を組みます。検査をさせていただくというのが本当かもしれません。手間を惜しまずに付き合いました。来た時からの彼の行動の観察と、お母さんに学校や家庭での様子を聞きます。ここからの情報が大切です。本人は眼科に来ることが楽しいようでした(検査はいやだけど)。

最近は本(テニス漫画)に興味を持つようになり言葉も多く出るようになってきました。カードゲームやテレビにも興味があります。

今でも、一度も検査機器の前に座ることはできません。小児用屈折検査の機械PR2000もエミリーも測定できませんでした。唯一残された屈折検査方法が検影法だけでした。検影法ができたからこそ、屈折異常弱視の治療に結びつけられました。集中できないので瞬間の勝負です。

保育園や学校の先生に、彼の眼の状態を理解し治療のための眼鏡を装用することに協力してもらえる工夫をしました。そのために親御さんが子どもの状況を伝えることができるよう丁寧に対応するよう心掛けてきました。

こちらが望む検査をさせてくれない、しかし粘り強く眼鏡をかけて治療することを追求しました。平成25年10月現在、眼鏡を装用での視力、右(0.5)左(0.5)、それ以上出ているのかもしれません。視力が0.5あれば細かな文字の本も読めます。

自分たちのできる検査方法を用いて、眼鏡を処方しました。あの時眼鏡を処方し治療を始めたからこそ彼の能力を引き出す助けになれたのではないかと思います。少しの変化も見逃さないように私たち医療機関も試されてきた日々でした。

Kくんの年齢による 視力の推移の グラフの図 縦軸が視力 横軸が年齢を示す グラフ内に 年齢ごとに 変化していった 視力検査の方法が 横棒で示されている

 お母さんからの手紙

いつもお世話になっています。

今回は、息子の治療の経過をまとめてくださるということ、大変嬉しくありがたく思います。また、資料を見させて頂き、小さい頃からの経過を細かく記して頂いてあり、改めてもう13年も通わせて頂いたのだなあと、ふり返った日々をなつかしく思い出しました。

私(母)や家族の思いをまとめてみます。

息子は、ダウン症候群という障がいを持って生まれてきました。いくつかの合併症があったけれど、目がよく見えていないのでは?という心配にかられ、1歳前にダウン症親の会の先輩のお母さんから、「あづみ野眼科さんなら大丈夫!」と言われ、お世話になることを決めました。本当にはじめは、検査もできない、眼鏡もかけない状態が続き、どうしようかと思いましたが、毎回「根くらべだよ、お母さん!」と言う先生のことばに励まされ、検診の日だけはかかさず、長野から安曇野まで、おばあちゃんと3人で通いました。

いつしか、根くらべと、周りの皆さんの協力で、眼鏡をかけるようになり、かける時間が長くなるにつれ、新聞の小さな字まで読めるようになりました。「子どもの可能性を信じて、その可能性を信じて、その可能性を最大限にのばしてあげること、これが大事なことだよ」と先生に教わった意味がようやく分かった気がしました。

眼鏡をかけて字が読めるようになってからの息子は、おしゃべりも増え、パソコン、タブレット、DVD等のデッキいじり等、どんどん吸収し、今や私よりはるかに上手に操作します。

これが、「眼が見える」=「やりたいことができる」という息子の可能性を引き出す意欲につながっているのだと思います。色々な楽しさを覚え、これからも増々意欲的に好きなことをする。これが私たち家族の息子に対する願いです。

まだまだ、口も達者になり、検査も気分で、できないでいますが、また違った“根くらべ”をしながら、親子共々頑張っていこうと思います。

これからも、どうかよろしくお願い致します。

H27.10.20 母より

笑顔のKくんの写真

だれが子どもの持って生まれた能力を

まもるのか?

あづみ野眼科 朝倉 康直

7 子どもと医療・いのち

事例 2 多様な親、多様な育ちを支えるためにできること 精神医療の立場から

信州大学医学部附属病院 子どものこころ診療部 樋端 佑樹

育ちの臨床に関わるようになったわけ

 昔から私はどうも世間離れしすぎていて生活者としての実感がもてないというコンプレックスがありました。しっかりと地域に根を張って生活している人たちに接したくて、農山村部での地域医療を、そしてリハビリテーション医療(障害の医療)をこころざしました。思うところがあって精神科に軸足を移し、有床総合病院の精神科という第一線の現場で、外来、訪問、病棟と昼夜休日を問わず働いてきました。あらゆる精神疾患とさまざまな人生が交差する場で地域医療の最後の砦であるという誇りをもった多職種チームで困難なケースに取り組むのは大変だけど、楽しい日々でした。そのうちに思春期や発達障害のケースを多く診るようになり、子どもを授かったのを機に子どものこころや育ちの支援について大学でも学ばせてもらっています。

産後クライシスの経験

 うちは夫婦とも医師の共働きですが子どもがなかなか授からず不妊治療をおこなってきました。先の見えない治療中、子どもがいる人といない人の分断を感じ、親戚や同僚、友人の子どもの話を聞くのも辛いと感じたこともありました。ようやく子どもを授かったことは喜びではありましたが、それまでとまったく違う生活が突然はじまりました。小さな子どもは誰かが常に側でケアしなければならない存在で、周囲のおとなに生活を変えることを要求します。これまでも家族の介護や育児をしている人に関わることも多かったのですが、本当のところケア責任を負う生活をイメージできてはいませんでした。どちらの実家も遠方で、寝不足で体力も削られ、仕事もまわらず家は修羅場となりました。遅ればせながら仕事の軽減を職場に求めるも難しく、年度末でいったん退職することを決めました。そのころ同じような問題意識をもつ佐久の仲間が、“アイナロハ”の渡邊大地さんを呼んで父親学級を開催しました。それに夫婦で参加しましたが、産後は夫婦のスレ違いが大きくなり危機となりやすい時期であり、出産前に産後の大変さ、夫婦の考え方、感じ方の違いを知り、対話する機会は必須だと痛感しました。

 共働きであったため双方が仕事をセーブして家事と育児をシェアすることにし、妻の職場への本復帰にあたり、家事や慣らし保育の送迎をしました。もとの職場では思春期や発達障害中心の外来のみを継続して、信州大学の子どものこころ診療部で勉強させてもらうことにしました。

子どもや親にも厳しい社会

 その頃から不思議な事に診ていた患者さんたちが次々と子どもを授かり始めました。精神疾患をもちながらも結婚し、お薬も調整して何度かの妊娠で子どもを授かった女性がいました。能力はそれなりに高いものの疲れやすく無理はできず、不眠や対人関係のストレスで調子を崩しやすい方でした。本人は自分の病状もよく理解しており、周囲の支援者に頼るスタンスもありました。しかし夫は長時間労働で、親も高齢で要介護状態といった状況で、本人と夫、行政、支援者で何度も話し合い、ヘルパーや訪問看護の導入など出産前から準備を重ねました。しかし周囲が「母親」に求めることはただでさえ多く、特にサポートの必要な産後でもフォーマルな支援は乏しい状態でした。父親が育休を取ることができればまた違ったのかもしれませんが、結局、自宅での子育ては無理と判断され子どもは乳児院に保護されました。母も精神不調となり入院も必要となり、紆余曲折の末、面会と外泊を繰り返し、保育園を利用できるタイミングで子どもも家へもどることになりましたが、産後に課題が多いことを実感しました。なんとか皆でささえていければと思っています。

 出産時期が遅くなると親世代も高齢となり介護を要する状態となる可能性も増えてきす。ただでさえ大変な子育てですから、ダブルケアや親や子どもに何らかの障害があるなどのケースはなおさら大変です。長時間の労働の必要なく生活ができ、男性もあたりまえに育休がとれる文化、出産直後に家族が育児に慣れていける施設やサポート体制、誰もが子育てや教育にお金の心配をしなくてもいい社会制度、そしてフィンランドのネウボラのように切れ目なくすべての子どもと家族に寄り添うフォーマルな支援、そして地域にさまざまなインフォーマルな支援がたくさん必要です。

それぞれの育ちを見守りささえる

 子どもは親とは違う人間であり、親の思うようには育たないものです。それぞれのペースやこだわりがあり、興味や能力を育んでいきます。おとなは子どもが本来持っているものを最大限に発揮するための環境を用意すること以外大したことはできません。子どもにとって楽しく、安心でき、やっていることの意味がわかり、あなたは大切な人で生きている価値があるというメッセージがあふれる環境を整え、サポートに徹し、共に学び、楽しめばいいのだと思います。

 不登校が問題になっていますが、平均的な人向けに仮に用意された教育メニューがどうしても合わない子どももいます。「特別」と「普通」という2匹の魔物にとらわれると、苦しむことになります。同調圧力の強いこの国の学校では個性的な子は、いじめをうけたり、過剰適応して“がまんエネルギー”を使い果たし、学校にいけなくなります。障害特性に応じた合理的配慮も必須となり、特別支援教育も以前よりは整備されてきましたが日本で対象となるのは3%弱、これがアメリカだと10%、フィンランドでは30%だそうです。日本の教育文化が変わるのにはまだまだ時間がかかりそうです。

 思春期には将来の自立に向けた試行錯誤が必要となり、ぷれジョブなど支援をうけながらさまざまな体験を積めるような環境が重要です。自分の権利を守ることができ、他者の権利を侵害しさえしなければ、あとは得手に帆を揚げてナリワイを見つけて生きていければよいのです。変化の急すぎる時代です。今ある仕事や組織が将来に渡って安泰とはとても言えません。案外、今後はスローで丁寧な暮らしが見直されるのではないかとも思います。

医療にできること、できないこと

 社会には多様な家族があり、多様な育ちがあります。本人の少数派の特性ゆえに居場所が見つけられず排除され苦労することもある一方、社会的弱者を包摂し救うのもまた文化と社会の多様性です。しかしさまざまな障害とともにある生活を他者が想像するのは難しいことです。それぞれの体験に耳をすまし、対話をつづける中で、仲間づくりをしたり、だれもが声をあげていける場をつくったりすることが必要です。診察室にはさまざまな悩みをかかえた親子が訪れます。医療にできることは少ないのですが、時にはお薬も使いますし、医学、心理、社会的知見を活かして皆が動きやすいように診立てて、家族や周囲の人との対話がつながるように支援します。心理的、情報的サポートだけでなく、実際的なサポートも圧倒的に足りません。よろず相談かつ自分のすべてを総動員しますが、自分ができることは助け、できないことは皆に相談して一緒に悩みます。専門家としてだけではなくときには枠を超えて隣人や友人として付きあうこともあります。

子どもたちの未来のために

 子どもの貧困や教育への投資を通じた社会的格差の是正の必要性を強く感じています。お金では幸福を買うことはできないかもしれませんが、不幸は減らすことができます。みんなから集めたお金の使い道や、皆が気持ちよく生きていけるための社会のルールは自分たちで考えよく話しあって決めたいものです。まずは生活から切り離された姿の見えない巨大なブラックボックスのシステムに自分たちの生活を委ねるのはやめ、家族や地域社会、職場など、身近な顔の見える関係から対話を重ねることからはじめましょう。

 オープン、フラット、シェアが現代のキーワードだそうです。共感する仲間を増やし、さまざまな社会的課題に挑み、地域に必要なさまざまな社会共通資本(ソーシャル・キャピタル)を守り、作り、育て、真の意味で豊かな社会をつくっていきたいものです。

親子保健(特に父親の役割)や中学高校の学校保健に精神医療の立場から何ができるか調査、研究実践を進めていく予定です。みなさまのご協力をよろしくお願いします。

多様な親、多様な育ちを支えるために
できること

精神医療の立場から

信州大学医学部附属病院 子どものこころ診療部 樋端 佑樹

7 子どもと医療・いのち

事例 3 松本市エイズ・HIV等性感染症予防啓発推進協議会の取組み

松本市健康福祉部健康づくり課 田中 正一

1. 推進協議会設置の経過

現在から10年前、全国的に若い世代から中高年にかけエイズ患者及びHIV感染者が増加し、エイズ・HIV感染に対する危機意識が高まっていました。

特に長野県は、人口あたりの患者・感染者数が全国的にも多いことから、本市では平成19年に全国に先駆けて、松本市エイズ・HIV等性感染症予防啓発推進協議会(以下「推進協議会」という。)を設置し、医療機関や教育機関などと連携するなかで、性感染症の知識の普及・啓発及び予防活動に取組んできました。

2. 推進協議会の活動

推進協議会は医療機関関係者8名、教育関係者5名、有識者6名、地域・商工団体5名、福祉施設関係者1名、行政関係者1名の計26名の委員から構成され、委員それぞれがエイズ・HIV等性感染症予防啓発活動を実施しています。

なお、協議会として学校や地域団体への出前講座の他、「世界エイズデー」に合わせた駅前予防啓発街頭キャンペーン及び健康フェスティバルにおける啓発活動等を実施しており、その際に委員と共に庁内関係7課が事務局として関わるなかで、市全体で性感染症対策に取り組んでいます。

〇 推進協議会の活動経過

H18推進協議会発足(H19・3)

H19市民公開講座 「拡大するHIV感染症 長野県はなぜ急伸しているのか(高山義浩先生)」開催

出前講座 (学校81回 一般13回)

H20HIV・エイズまちかどイベントin松本

駅前で啓発用テッシュの配布 (以後例年実施)

出前講座 (学校69回 一般17回)

H21市民公開講座 「医療現場から見たエイズ・HIV等性感染症(高山義浩先生)」開催

出前講座 (学校60回 一般16回)

H22松本市健康フェスティバルに参加

(以後例年参加)

出前講座 (学校64回 一般5回)

H23松塩筑木曽老人福祉施設組合研修会へ講師派遣

出前講座(学校66回 一般6回)

H24研修会 「セクシャルマイノリティについて
(田村綾乃さん)」 開催

    出前講座 (学校81回 一般6回)

H25出前講座 (学校91回 一般3回)

H26地域づくりセンター長研修会 「感染予防の考えとHIV感染症(金井信一郎先生)」開催

専門部会 「こどもの教育部会・施設受け入れ部会」 の発足

出前講座(学校89回 一般2回)

H27出前講座(学校101回 一般1回)

3. HIV感染者及びエイズ患者の状況

全国的には新規HIV感染者とエイズ患者の合計数が平成19年度に1,500件を超えて以来、高止まり横ばい状況が続いています。近年では特に20代の新規HIV感染者が増加する傾向にあります。

県内では、報告数が減少傾向にあり、平成27年度のHIV感染者は3件、エイズ患者が2件と近年になく少ない報告数でした(図 1)。しかしHIVやエイズ等の性感染症は潜伏期間が長く、検査を通じて初めて分かる感染も多いため、未だ予断を許さない状況にあります。

 

図 1 長野県内のHIV感染者及びエイズ患者届出数の推移 

図 1 長野県内の HIV感染者及び エイズ患者届出数の 推移の棒グラフ 縦軸が HIV感染者及び エイズ患者届出数 横軸が年度を示す。 一つ一つの棒に HIV感染者及び エイズ患者届出数の 内訳が示されている

4. 出前講座の実施状況

HIVの感染経路はほとんどが性的接触にあります。性経験があれば誰でも感染している可能性があることから、「性」に着目した感染予防の取組みが効果的となります。

そのため、本市では推進協議会発足当時から青少年への予防教育を重要視し、健康づくり課を窓口とし、医師や助産師及び有識者等を講師として学校や地域の団体へ派遣することで性感染症の予防啓発や情報発信をしています。

HIVについての 講座を行う女性の写真

出前講座を実施する際には、養護教諭や地域の方と事前に十分な打合せを行いながら、エイズ・HIV等性感染症だけでなく、いのちの大切さや思春期の体と心の面の講座内容とするなど、対象者に合わせた分かりやすいアプローチとするようにしています(図 2)。

なお、近年の傾向として、学校の実施件数は年々増加していますが、一般向けの実施件数が減少しているため、地域の課題として性感染症対策を取りあげていただけるように地域の皆様へ一層周知していく必要があると考えています。

 

図 2 平成27年度出前講座の実施状況

 講座の内容 公立小学校 公立中学校 他学校 一般

 いのちの大切さ・自己肯定感

40

19

10

1

 第2次性徴

12

19

4

1

 エイズ・HIV等性感染症

7

10

1

0

 男女交際

0

19

3

0

 思春期の体と心

9

24

10

1

 10代の妊娠

0

12

3

0

 性被害

1

3

3

0

 その他

10

3

5

0

 実施回数

52回

35回

14回

1回

 ※内容については重複回答

5. 協議会の新たな取組み

協議会はさまざまな団体から構成されており、開催数も年2から3回と限られているため、これまで細部にわたり議論を深めることができませんでした。

そこで、平成26年度に特に取組むべき課題について検討するため、協議会に「こどもの教育部会」「施設受け入れ部会」の2つの専門部会を設置し、それぞれの課題解決に向けた検討を始めました。

(1) こどもの教育部会について

出前講座も10年目を迎え、その間子どもたちをめぐる状況や課題も変わってきており、講座内容についても時代に即したものにしていく必要があります。

部会では、子どもをめぐる実態把握をしていくなかで、出前講座の講師を対象とした意見交換会の開催や、出前講座以外の支援手法について検討しています。

(2) 施設受け入れ部会について

エイズ・HIVは死に至る病でしたが、治療薬の進展に伴い、現在は慢性疾患の感染症とされています。エイズ患者の高齢化が進んでいる現状に対して、近い将来福祉施設における患者の受け入れ問題の発生が想定されるため、部会では施設職員向けの感染症対策研修会の開催、施設受け入れマニュアルの作成について検討しています。

松本市エイズ・HIV等性感染症予防 啓発推進協議 専門部会の 構成を表した図

松本市エイズ・HIV等性感染症予防啓発推進協議会の取組み

松本市健康福祉部健康づくり課 田中 正一

7 子どもと医療・いのち

事例 4 性教育を進めていく良い方法が見つかりました クラス別授業一斉に実施 

うごく保健室 吉田 アイ子

最後の砦が崩れた!でもピンチをチャンスに!!

全国で唯一、青少年保護育成条例を持たない長野県で、2016年11月条例が制定されました。青少年育成を県民運動にしていこうという動きの中で、性教協長野サークルの代表も県民運動理事に入っていたので、理事会の様子はサークル員にも知らされました。

2013年の10月に県民からの声を聞く「公聴会」が企画され、サークル員も積極的に参加して学校での性教育の実態や子どもが起こす性行動をわかりやすく伝えました。

丁度、この年の12月に東京七生養護学校の「ここから裁判」が勝訴になったと報告が入りました。2003年11月「学校教育・性教育に対する不当な介入への対策連絡協議会」が結成され、東京弁護士会に人権救済を申し立て「ここから裁判」に発展。その後東京地裁・東京高裁・最高裁の3度、勝利しました。七生養護学校の「ここから裁判」の勝訴は私たち、サークル員が性教育を進めていく上で大きな力になりました。知事が開くタウンミーテイングでの発言にも自信と力が入り、学校での性教育の必要性を訴える大きなチャンスになりました。

勢いが止まらないサークル員の活躍!

その後、2014年に入り知事は長野県の各地でタウンミーテイングを開いたり、長野県のホームページに県としての取り組みを公表したりしながら県民の声を聞き取る「パブリックコメント」の募集もしました。

私たちは与えられたあらゆるチャンスに、学校現場の子どもの状況を伝えたり性教育の学習が基本にないとどんなに法律を厳しくしても性の問題は解決していかないことを訴え続けてきました。学校で行われている性教育が、先の七生養護学校事件の影響で、のびのび創造的に進められていないこと、その後、3度の裁判で勝訴していることは教員には知らされずにいることを、県教育委員会や知事に訴えてきました。県保健厚生課はいつも「文部科学省から下りてきている学習指導要領に沿って進めてください」の一点張りでした。

同年参加した性教協大分夏季セミナーで長野県の青少年健全育成条例の実態を報告しサークルがどう取り組みを繰り広げているか伝えると、すでに淫行処罰規定が作られている県から意見が出され、処罰規定ができても何も問題が解決されていない事実を知り、ますます確信を深めました。

2014年3月になると県の次世代サポート課に新しい動きが出てきました。サークルの代表が退職後立ち上げた「川中島の保健室」に次世代サポート課の職員3名が訪れ、川中島の保健室以外に県下で活動している退職した養護教諭と今回の県民運動との連携はできないものか、意見を求められるようになりました。

今までにない、新しい取り組み

性教育充実のための新たな取り組みとして、県下4地区(北信・東信・中信・南信)で、おとなを対象にした性教育を実施し、研修をしたサークルや団体には予算の補助をしてくれるなど、今までにない新しい取り組みが始まりました。

2015年5月にサークルの代表と事務局長が県保健厚生課に行き、学校現場ではどのような性教育がどのくらい実施されているのか調査をするように申し入れました。

退職したサークルメンバーによる
クラス別一斉授業の試行

退職したサークル員が複数人になってきたので、2015年7月には生徒の性の問題行動で手の打ちようのない高校からの要請に3人で出向き、1学年(約250人)に一人で性教育を実施しました。高校ではデイズモンド・モリスの授業を実施。その授業をきっかけに中学校へは4人から6人で出向き、中学の養護教諭と合わせて性教育の授業を学年一斉に実施する取り組みが開始されました。性行動を起こす生徒を注意して謝らせる授業は生徒が自分の性行動を考えさせることにはなりません。

綿密な打ち合わせと教材の準備

2016年に実施した中学校での主な授業は「デイズモンド・モリスの求愛12段階」で、12枚の触れ合いを深めていくカードを使っての授業です。

①教室の壁面には人生テープ・子宮の中にいる胎児の絵や小さいころからいろいろな人や家族・友だちといる写真・異性の友だち・恋人との写真が貼られています。

②年齢が進むにしたがって触れ合ったり一緒にいる仲間が親子・家族・兄弟・友だち・恋人と変わっていくことに気付かせます。

③思春期の君たちがこれから好きな相手とどのように関係を深めていけばいいか12枚のカードを並べてグループの仲間と考えてみようということで学習活動に入っていきます。

④12枚ありますが、全部使っても、12枚使わなくても良いと伝えます。

⑤子どもとの言葉のやり取りは学級担任に拾い上げてもらいながら、並べることができたグループから黒板にカードを貼っていきます。全部のグループが並べ終わったらどんな点に気を付けてカードを並べてみたか一言コメントを全部のグループに言ってもらいます。

⑥思いがけなく「12番目の性器と性器」の結合のカードが前の方に来ているグループや一番始めにある「目から体」「目から目」のカードはいらないというコメントがあったりするとクラスから「え?!!」というどよめきやざわめきがあったりします。

⑦教師側からの終わりの説明では、デイズモンド・モリスは12段階目が早く来ると二人の関係はあまり長く続かないことがデータとして報告されているということ、性感染症や望まない妊娠のリスクが高くなるということを伝えます。

⑧もう一度始めの人生テープの写真に戻り、優しい触れ合いは小さい時から親や家族にオムツを替えてもらったり、おっぱいをもらったりお風呂に入れてもらい性器をキレイにしてもらったりケガをしたところを撫でてもらったりしてもらってきています。究極の触れ合いはお母さんのお腹の中で胎児が体中の皮膚を子宮壁にピッタリとくっついていた時が一番心地良かったのです。もう一度あの頃に戻りたいから人はみんな触れ合うのです。【皮膚は記憶する袋】とも言い二人の触れ合いには「無理矢理」「自分勝手」「強引」な触れ合いはないのです、と締めくくります。

生徒の感想は驚きと希望

生徒はこんな感想を寄せています。

・異性との行動パターンが12段階もあってビックリしました。こんなにもあるんだなーって思いました。

・手が大きな役割をしていると初めて知りました。小さい頃からたくさんの人の手が加えられて今生きていることを知って、とてもありがたく思いました。自分の夢を自分が満足できるくらい叶えたら結婚したいです。断れる勇気を持つことが大切。

・性への関心が変わりました。

・今回の話や本のこと(『君達は性をどう考えるか』筑摩書房、奥田継夫著)を聞いてとても納得することがありました。性のことについて順番のことなど考えたことのないことを考えさせてくれたいい機会だった。

これからの課題と展望

県から出されていた条例には「性教育」という言葉は出ていませんでしたが、その後、行われたタウンミーティングや知事との話しあいで訴え続けた結果、でき上がった条例に【性教育の充実(10条)】と載り、みんなで頑張った実感が湧きました。

2016年度から、退職した養護教諭が学校に出向きクラスに入って一斉に性教育を実施する状況を定着させています。生徒の変化、生徒の感想文を丁寧にチェックし返事を返しながら生徒も性教育の授業に慣れていくことが大切です。

私は30年前に性教育の魅力に惹かれてから、子どもたちと関わってきて、明治時代の性教育の先駆者「山本宣治」さんの「性を学ぶと性体験年齢が遅くなっていく」の言葉を思い出します。現在の子どもが自分の行動を自分で決め、自分も相手も守っていける授業を目標に、サークル員みんなと頑張って活動をしていきたいと思います。

性教育を進めていく良い方法が

見つかりました

 クラス別授業一斉に実施 

うごく保健室 私は小中学校の養護教諭を40年間勤め、今は相談者(保護者・子どもさん)に自宅に来てもらうか、私が相談者のところまで出向きながら相談活動をしたり、子育て中のママさんサークルの集まりに呼ばれ赤ちゃんの凄さを話したり、小中学校に行き講演活動や後輩の養護教諭の勤務の相談に応じています。

事例 4 性教育を進めていく良い方法が見つかりました クラス別授業一斉に実施 

うごく保健室 吉田 アイ子

7 子どもと医療・いのち

事例 5 まちかど保健室から見える若者の生きづらさ

松本市こども育成課 まちかど保健室 後藤 裕子

1. なんで子どもはこんなに生きづらいのか?

高校1年生の佳澄(仮名)さんは、入学した高校になじめずに悩んでいました。そのときの気持ちをこう語っていました。「目に映る景色から色が消えてグレーに染まり、口にするものは味が消え、自分が自分であるとすら自覚できない」。不安な気持ちで保健室に相談に行きました。話を聞いた養護教諭から精神科の受診を勧められました。そして医師から「あなたは、統合失調症です」と告げられました。佳澄さんは医師の診断結果に納得できず、母校の中学校を訪れて、これまでもたびたび相談をしていた部活の先生に話しました。そこで、まちかど保健室を紹介されて来ました。高校になじめない理由を聞きました。

佳澄さんは「3年間の思い出を、勉強しか思い出せないような高校生活にはしたくなかった。ところが入学した早々から教師から言われた言葉は、勉強のことばかりだった。クラスの大半は教師の言葉に従っているようで、高校というよりはどこかの進学塾にいるようだった。」 と時折ことばを詰まらせながら話してくれました。自分の描いていた高校とは違うとわかった佳澄さんは、これ以上この学校に通う意味がないと考えて退学を決意していました。娘の決断に父親は理解をしてくれたようですが、母親は言葉では理解していると言いつつもそれは本心ではないことを佳澄さんはわかっていました。

悶々とした日々が続きました。このような心理状態に置かれたらおとなでも正常な判断などできません。まして10代のまだ人生経験のない子どもです。その子どもがよくぞ冷静にこのような判断と決断をできたと感心させられました。

実は他にもクラスからいじめを受けて孤立していた子どもが、避難していた教室で顔から血を流している自画像とも思える絵を描いたのを見て、学校が気持ち悪がったという話を聞き、精神科の受診を勧められ統合失調症と診断され、不信をいだいた親が相談に見えました。

また不登校の子どもが、不安といら立ちを、ときどき暴力で母親にぶつけるので、精神科に相談したところ統合失調症と診断され別の病院に相談したら「この薬は強すぎる」と言われたようです。

私は診断について意見することはできませんが、経済的困難が増すにつれ…少子化が進んで実際には「大学全入」 状態になったにもかかわらず、日本の子どもたちは、ますます学歴偏重という重荷を背負わされています。ただでさえ、思春期はからだも心も大きく揺れ動き、おまけに未成熟なことからおとなの想像しないような行動をとることも多々あることを理解し、丁寧な対応が求められると思います。

2. 統合失調症とはどんな病気なのか

この病気についてあまりにも知らなすぎたと反省しています。というのも私が学生の時(ずいぶん昔のこと)習ったのは、統合失調症(分裂病といっていた)は青年期の病気と学んだので中高生の病気という認識がありませんでした。

最近は小学生にまで見られるという話も耳にして、こんなところまで低年齢化が進んでいるのかと心が痛みます。だからこそ統合失調症とは何かを知る必要があります。

さまざまな文献を調べてみましたが、その難しさがわかりました。そんななかで出会った文献を紹介します。(蟻塚亮二精神科医著「統合失調症とのつきあい方」から)

「統合失調症の診断基準についてWHO による国際診断分類(ICD - 10) では特有の思考障害、感情障害、幻覚や妄想、興奮や拒絶などの精神運動興奮、気力低下、引きこもり、無為、関心喪失などのうちいくつかの症状が、一か月以上続くものを統合失調症としている。

実際にはこのほかにも、睡眠、食欲などの体調、気分、生い立ち、友だちとの関係、気性、学校の成績、両親の仕事、学歴、職歴、退職(解雇)、兄弟数、家族関係、最近の出来事、さらには体格、姿勢、視線、質問に対する細かな感情的反応なども見る。これらを総合しておおよそ相手の人柄、おかれた立場、今の立場などを推察し、言動を選んで慎重に話をすすめる」とあります。「これらの結果がいずれも統合失調症の傾向に一致しているときに、診断する。ときにはてんかん、脳障害や覚せい剤中毒、病気との見せかけ(詐病)、他の精神疾患、甲状腺など内分泌疾患などが統合失調症と紛らわしいことがあるので、一つでも話のつじつまが合わないときには疑問符をつけて診断を確定しない。」と言っています。

さらに症状だけではなく生活能力、家庭の病気に対する態度が寛容か、住む家の様子などついても聞き、その上で現時点での診断、見立てと、今後の治療方針、薬の作用と副作用、次回の診察日、次回までに困ったことがあれば聞いてくれるように付け加えて終わるようです。「これらの事項を瞬時またはできるだけ短時間に見極めるとともに、相手の興味や関心に沿って話をすすめるように。先入観は禁物」と言っています。人間のこころを診断することは簡単ではないことがわかります。

3. 原因は脳機能の失調

統合失調症とは心の病気ではないようです。脳の機能の失調や働きのアンバランス、あるいは脳のストレス対処機能の失調です。それにしても心の病気ではなく、脳という物質レベルの病気なので、「薬という物質」を用いて脳の混乱を鎮めることが必要で、心の病気ではないので、お祈りやカウンセリングをおこなっても機能不全には役にたちません。

4. それぞれの道にすすんで

佳澄さんは通信制の高校を卒業後、大学に進学して将来は教師を目指して勉学に励んでいます。当初は賛成ではなかった母親も今では一番の支援者です。大学が休みに入ると、必ず“まちがど保健室”を訪れて大学での話をしてくれます。この間は大学で性教育の講義を受けたことを話してくれました。

まちかど保健室に置いている大学ノートがあります。そこに高校生からの書き込みがありました。「彼氏ができない。キスもしたことない、ましてSexなんてまったくです。どうしたらできますか?大学までには経験しておきたいが…」。佳澄さんにアドバイスをお願いしました。

「私は大学生です。Sexの経験はありません。キスもSexも大切な人とすることに意味があると思っています。焦らなくても大丈夫だよ、これからたくさんの人と出会っていく中で、ステキな恋をして大切なパートナーを見つけ、その方とキスやSexを楽しんでね」。なんと素敵なアドバイスでしょう。

また男子高校生からの書き込みには「世の中20%くらいは、人から見られず、誰かからの愛も受けられないでいる人がいる。地獄の中で生きている。だが80%の人はその存在を知ることはほとんどない。自分は80%の人を恨むことはない。何とかしてほしいとも思わないが、知ってほしい、20%の存在を…。」

私は正直この書き込みを読んだとき、「う?ん大丈夫かな?」と思いました。帰省していた佳澄さんに読んでもらいました。すると佳澄さんから「中高時代はそんなふうに感じている人いるよ。私もずっと20%の存在だと感じていました。これって特別なことではなく80%の人も思っていると思う。ちょっと勇気を出して声にして誰かに伝えてみたら似たようなことを感じているんじゃないかなって思うよ。いま悩んだり、モヤモヤしていることは無駄ではないから。20%だと思っていた私が出会った彼にどこか似ています。あなたの優しさを求めている人はきっとどこかにいます」。

どうですか? たくさんの悩み、苦しみを経験し、乗り越えてきた人だからこそ言える(書ける)言葉だと思います。思春期とはそのような時期なのですね。大事なことは、本気で向き合ってくれるおとなが近くにいることです。佳澄さんも母校の部活の先生と信頼関係があったから相談できたし、まちかど保健室にも繋がったのだと思います。人はひとりでは生きられません。困った時はSOSを発する力を持つことも大事です。

佳澄さんをはじめ、いじめで傷ついたYさんも、一時は人間不信に陥りましたが、今は少しずつ回復し、4月からは専門学校にすすみ、新たな一歩を踏み出しました。中学時代、不登校だったSさんは高校に進学して一日も休まず、勉学に部活に頑張っています。あのとき、統合失調症の診断を受け入れていたらこの子どもたちは、今どのような生活をしているのでしょう。

一方精神疾患は比較的若年または、成人期前期に発病することも知っていくことは重要です。いずれにしても関係する人が連携し、情報を共有し合うことが大切ではないかと思います。

まちかど保健室から見える

若者の生きづらさ

松本市こども育成課 まちかど保健室 後藤 裕子

「子どもと医療・いのち」 あとがき

長野の子ども白書編集委員 蓑島 宗夫

筆者は県・市の医師会や小児科医会などで役員や委員を引き受けている関係で、地域の行政課題、園児や学校の保健分野の活動に関与する立場にあり、それは厚労省、文科省の施策を自治体や園・学校の現場で具体化するという側面も持っています。また日々の医療現場で予防接種や子どもの日常診療を行うことを本業にしていますので、医療分野の課題も肌で感じています。今回は長野の子ども白書のこの分野で今後何を取り上げるべきなのか、政府や民間の出版物等を参考に検討してみました。

内閣府発行『平成28年版 子供・若者白書(全体版)』では、第2節、子供・若者の健康と安心安全の確保、1 健康教育の推進と健康の確保・増進等の中で、(1)健康教育の推進(文科省)、(2)思春期特有の課題への対応(文科省、厚労省):未成年者による喫煙と飲酒の根絶、10代の人工妊娠中絶実施率や10代の性感染症罹患率、児童・生徒における痩身傾向児割合の減少を目指す、(3)妊娠・出産・育児に関する教育(文科省、厚労省)、(4)10代の親への支援(厚労省)、(5)安心で安全な妊娠・出産の確保、小児医療の充実等(厚労省):安心で安全な妊娠・出産の確保、地域における母子保健の充実、小児医療・予防接種の充実の項目を立てています。

民間の書籍では、日本子どもを守る会編集(本の泉社)『子ども白書2016 「子どもを大切にする国」をめざして』の「子どものいのちと健康」の項で、子どもの権利条約との関係、運動器検診、尊重される体験と健康な心、安全な組体操、環境化学物質と発達障がい、私立中高生の心身、医療費負担見直し、子宮頸がんワクチン問題、貧困と新生児、支援拒否の貧困家庭、歯と貧困が取り上げられています。

行政施策が上手く効果を上げているかの検討は別の機会に譲るとして、国が取り上げている項目は、現代の子どもや青年の実態を反映していてかなり妥当性が高いといえます。具体化するための障壁や足かせになっているのは、現場のマンパワー不足や予算の乏しさ、学校や行政が持っている特有の制約だろうと思います。日本子どもを守る会の白書が取り上げているテーマは、マスコミや教育・保育・医療の現場などで話題になっていたテーマですので、タイムリーな内容だと思います。

長野の子ども白書が、今後この分野で取り上げるべきポイントは、①国の施策と子どもの現実や現場とのギャップを埋める取り組み、②子どもの権利条約の中で心身の健康相談や医療に関係する項目について現場での取り組み、③社会的弱者の立場での医療現場からの情報発信などがよいかと思いました。

今回お寄せいただいたレポートでは、事例 1(朝倉先生)、事例 2(樋端先生)は上述の③、事例 3(田中さん)、事例 4(吉田さん)は①、事例 5(後藤さん)は②に該当するだろうと思います。来年以降、小児科医や学校医からの情報発信も期待しています。

■ 蓑島 宗夫 1956年生まれ。2001年11月より医療法人

(社団)みのしまクリニック院長

8 子どもと自然・環境

もくじ

これ以降は「子どもと自然・環境」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 子どもの育ちと自然、環境  ESD(Education for Sustainable Develoh3ment)の視点から  渡辺 隆一

事例 2 森のようちえん?!では 内田幸一

事例 3 「国際ユース環境会議 in ながの」の5年間を振り返って 信州から世界へ Think Globally Act Locally  草間由紀子

事例 4 子ども × 自然 × 直接体験 新美 亮介

事例 5 311からの生活、親たちはどうやって子どもを守ろうとしたか 森永 敦子

「子どもと自然・環境」 あとがき 渡辺 隆一

「子どもと自然・環境」のリンクは以上になります。

大きな木の周りで 子どもたちが 遊んでいる様子のイラスト

8 子どもと自然・環境

事例 1 子どもの育ちと自然、環境  ESD(Education for Sustainable Development)の視点から 

信州大学教育学部 特任教授 渡辺 隆一

はじめに

人々の望みを聞く世界的な調査によれば、それは「幸せ(個人や家族、地域、世界の)」だそうで、それは「お金」よりもずっと高いものでした。世界は幸せを望み、社会は幸せを生み出し、目指していくものでなければならないのです。そのためには、子どもの育ちを支える豊かな自然と環境とが必要であり、そのための仕組みが必要です。今、世界的に「持続可能性」が経済でも観光でもあらゆる分野でキーワードになっています。そして、次世代をになう子どもたちに「持続可能な社会のための教育:ESD」が新たな教育の理念として立ち上がってきています。

1. 子どもの育ちと自然

近年、子どもの成長のゆがみに気づき、改めて自然体験の必要性が認識され、さまざまな活動が始まっています。国や各自治体においても各地に「少年自然の家」が設置され高い利用度を示しています。民間においても各種の自然学校が生まれ、さまざまな自然体験活動を提供しています。森の幼稚園と総称される自然の中での自由な活動を主体とする幼児からの体験活動も年々増えてきています。都市に限らず農村においても子どもたちの自然離れが心配され、子どもの自由遊びを保証する「プレーパーク」の活動も各地で展開されるようになってきました。長野県では戦前から学校登山が教育活動として貴重な自然体験の場となっていました。いずれも、子どもにとって自然はその成長にとって必要不可欠な存在であるにもかかわらず、現在の生活の中で必ずしも十分ではないためでしょう。でも、なぜ自然は子どもの成長にとって不可欠なのでしょうか。

自然は子どもにとってもおとなにとっても環境として重要な要素であるが、その重要性は圧倒的に子どもの側にあります。子どもの生活の目標は成長することであり、その子どもの成長にとって自然は絶対に必要不可欠なものであることは、自然に対する子どもとおとなとの向き合いあい方を見ればよくわかります。

第一に、子どもは「すげー」とか「おもしろい」とか全身で自然を感じ、それに向かっていくような感じがあるのに、おとなはどうしても「きれい」とか「なんで……」とか頭が先に立ちます。子どもは自然や環境を言葉や理念で理解するのではなく、全身で感覚的に吸収しているのです。子どもはただ自然の中で遊んでいるのではなく、それらを環境として感じ、学ぶことによって日々成長してゆくようにつくられているのです。子どもは自然体験を吸収して成長するのに対して、おとなはもはや自然からではなく社会の中で糧を得て暮らしているので、いきおい自然は遠くなります。これが、自然に対するおとなと子どもの大きな違いです。当然、子どもは世界を頭で理解するためにおとなから言葉を、また世の中の仕組みを教わり次第に頭脳的に理解を深めてゆくのですが。レイチェル・カーソンが「知ることは感じることの半分も重要ではない」と述べているのはまさに子どもが全身で自然を感じながら成長することを指摘したのだし、「そのそばにおとながいて欲しい」というのは安全だけではなく子どもは社会的にも成長することを願ってのことからでしょう。

第二には、子どもの自然はおとなに比べて一般に小さいことがあげられます。子どもはアリやカエルなど比較的身近で小さな生き物に興味をもつのに対して、おとなは自然保護といえばイヌワシやカモシカなど大きな動物に目がいきます。これは第一にも関連しますが、かつての狩猟時代にはおとなは食料としての自然を考えるので、どうしても大きな獲物に関心を移したのではないかと考えられます。子どもは日々の成長のために身近な自然を必要とし、それには安全で小さな身近な生き物たちが最もふさわしいのでしょう。当然、子どもは成長につれ行動や視野が広くなり、まだ見ぬ世界も言葉で理解するようになってきます。そして、次第に、自然を感じることからは遠ざかり、社会性が重要になってくるのです。

2. 自然とは、人も社会も含む広い世界である

人はさまざまな恩恵を自然から受ける一方、汚染や破壊などで害をなしている、などと一般に「人と自然」の関係は対立的に考えられています。しかし、人は自然の中で暮らし、自然の中で進化してきたのであり、本来の自然という概念の中には人間もまた含まれているはずです。つまり、人と自然の関係という中には実は「人と人との関係」もまた含まれているのです。このように包摂的関係ととらえると、私たちは、一見自然とはまったく離れた暮らしをし、自然が見えなくなっているとしても、私たちがさまざまな人々との関係で成り立っている社会の中で暮らしていることが、この社会そのものを包んでいる広い意味での自然そのものと関係していることでもあります。さらに言えば、文化もまた地域的なものであり、人と自然の長い歴史の中で形成されてきたものであり、文化もまた広い意味での自然に含まれると考えてよいでしょう。人と自然の関係を対立的関係でだけとらえていることが、地域自然の理解や世界の環境問題などを、他人事であり誰かが解決してくれればという現代的な気分に陥る根本的な理由なのではないでしょうか。まさに、人や社会の外に自然があるという理科的な観念の大転換が必要なのです。

3. 自然体験をどう社会化するか、ESDの中で

子どもは豊かな自然体験の中で成長することで、豊かな人間性を獲得し、幸せな世界を創造する主体として期待されます。自然を吸収し成長する子ども時代には十分に自然体験をすることが必要ですが、それは社会的視点を持たなくて良いということではありません。最近、本格的に取り組まれるようになってきたESDを実践する小学校4年生の事例を紹介します。校区内の児童がいなくなった過疎の集落に貴重なギフチョウを自然観察にいきました。村の人に案内してもらうなかで子どもがいなくなって寂しいという話を聞き、こんな自然豊かな村なのになぜ子どもがいないのか、どうすれば人が増えるのだろうかと考え始めたといいます。子どもたちは自然を楽しむだけでなく、その中で営まれている人の生活にも気づき、その社会的課題にも向き合うことができるのです。日本ばかりではなく世界のどこの自然ではあってもそこに人の生活の支えや影響をみいだすことはできるのであり、それをこそおとなは子どもたちとともに学習することが必要です。この新たな教育活動であるESDについて紹介します。

世界には環境ばかりではなくさまざまな問題があり、国連では諸課題を「持続可能な将来社会を構築する」ことで解決すべく、全世界の政府、機関、人々が協力して取り組むことを求めています。中でもESDは持続可能な社会づくりの担い手を育む教育活動であり、「子どもたちと共に地球のより良い未来を創る教育」です。持続可能な社会を創造するためには、人々の思考と行動の変革が必要であり、どのような将来社会をどう構築するのかを考え、行動することが求められています。特に子どもたちへの教育は最も重要です。ESDは従来の教育に新たな教科を追加することではなく、日々の学びは「未来社会のための教育」であるという教育本来の目標を再発見することであり、現在のさまざまな学びを、自身の主体的な社会変革の力として意識し、行動へと変えてゆく主体的な学び方への変化なのです。

長野県の大半の地域は豊かな自然に恵まれてはいますが、それ故に過疎という課題をかかえています。農山村の子どもたちは豊かな自然に囲まれそれらを享受しつつも学校の場でその価値を学ぶことはありません。そして教科書やテレビでの文化や情報は都会中心であり、社会的関心はいきおい都会志向にならざるを得ません。子どもは、地域の自然とそれを土台として生まれてきた地域の文化とを学ぶことで、初めてより良い地域社会のありようを考え、そこに生きる意味を見出すことができるでしょう。ESDでは、より良い社会をめざす学習が求められますが、それには身近な課題こそが教材として展開されるべきであり、その核になるのが地域の自然であり、そこから生まれた地域の文化なのです。

小学生でもギフチョウを見てそのすばらしさに感激するとともにその地域が過疎といった社会関係の中にあることを見出し、自分たちに何ができるかを考えることができるし、中学年以上になれば自然を断片的にではなく論理的に見る力もあり、さまざまな関連の総体として地域や自然を客観的に認識できるようにもなります。そこでは、自然も社会も文化もみな相互に関連していることを理解できるでしょう。地域の自然を個々の自然物として見るだけではなく、その自然が育んできた地域の暮らしと文化、そして地域の歴史、さらに人類が歩んできた進化の過程まで大きな歴史の流れとして、過去を学ぶことが、未来にどんな地域を創造してゆくのかの知恵と工夫の源泉になるのだと思います。ESDは単なる学校教育にとどまらない新しい未来の社会創りにもつながる大きな流れになるのかもしれません。

子どもの育ちと自然、環境

 ESD(Education for Sustainable Development)の視点から 

信州大学教育学部 特任教授 渡辺 隆一

8 子どもと自然・環境

事例 2 森のようちえん?!では

森のようちえん全国ネットワーク 内田 幸一

はじめに今日の子どもたちがおかれている状況について考えてみましょう

子どもたちは家庭生活の中でも社会のさまざまな事柄からも多様な影響を受けています。現代生活の中で子育てをしようとしますとさまざまな情報が飛び込んできます。これまでの子育てに関する考え方や価値観がそのまま通用するとは限らないといった迷いも生じることでしょう。幼い子どもたちの将来を心配する気持ちは誰にでもあります。毎日子どもの成長に向き合っている母親にとっては、自分のこと以上に重要なこととして考えてしまうのは当然なことです。そんな中で、森のようちえんが近年注目されるのはなぜなのでしょう。今日の子どもの置かれている状況について少し整理して考えてみましょう。

幼児期は学齢前のおおむね3年間をさしています。日常生活の中でできることも増え、言葉によるコミュニケーションもできるようになります。意欲的で興味のあることに積極的に関わり、遊びの幅も広がる時期です。

今日3歳から5歳までの就学前の3年間は、ほとんどの幼児が幼稚園・保育園に通っています。幼児教育に関する親の関心も高く、幼稚園・保育園での生活以外にもさまざまな習い事や幼児向けの学習塾、スポーツ教室に通う子どもたちも増えています。就学前教育としてさまざまな場面で指導を受けています。そうした習い事等の指導をおこなっている指導者も専門の教育を受け、計画されたプログラムを提供できる指導者たちです。そうした計画されたプログラムによる指導を受けることで子どもたちは一定の成果を表しますし、早期からの取組みが大切であるといった考え方も同時に広がる傾向があります。

日常生活の中では便利で快適な生活環境が整い、衛生的で健康な生活ができます。食生活も充実し栄養状態も良好で食品の種類も豊富です。生まれながらにして現代生活の便利な環境の中で暮らしています。テレビを始め各種メディア機器も身近なところに存在しています。幼児期からコンピューターやゲーム機に触れる機会も増え各種のメディア機器を使って過ごす時間も増える傾向にあります。一方で体を使って遊ぶこと、子ども同士が関わり遊ぶ機会、自然との繋がりが希薄になり、子ども同士が屋外で遊ぶ機会は少なくなりました。そして幼児期の成長が、その後に影響すると考える傾向の強まりも加わり、習い事などおとなの管理下で多くの時間を過すようになりました。子どもたちは計画されたプログラムをこなす受動的な立場に置かれる傾向が強くなっています。そして近年、もう一つの傾向として幼児期は自らが体験することが成長に大切だと考える親が増えたこと、これまでの早期の幼児教育への疑問や不安から森のようちえんへの関心も増大の傾向を見せています。

森のようちえんでは幼児期をどのようにとらえているのでしょう

幼児期の子どもたちは、教科学習による系統的な教育を受ける前の段階にあると考えています。感覚的・経験的な体験を通じて学ぶことに適した時期で、形や色、質感、臭いなど五感をたよりさまざまなことを受けとめています。想像をめぐらし、自分なりな空想をいだいたり、知識によらない解釈を試みます。幼児は自身の中から生まれる興味関心が、次の行動のきっかけになり、興味をもった事に関わりそれを繰り返し、集中し、積極的に動きます。幼児にとっては、行動のすべてが自分を成長させる糧であり、行動の中のさまざまな体験を通じて考え行動することをくりかえし、知的な発達も促されます。

空想的で現実の世界に生きながら想像やさまざまな思いをめぐらせます。周囲の状況からさまざまなことを感じ取りますが、それをうまく表現することはまだ苦手です。

自然と子どもの関係

森は幼児にとってどんなところなのか考えてみましょう。

自然の中で幼児と活動する際には、自然からの影響が子どもにとって過酷な無理を強いるものにならないかを考えなければなりません。自然の中ではさまざまな危険も伴いますし、天候や気温など時として過酷な状況となることもあります。活動場所も幼児が充分自分の力で動ける条件を備えている必要があります。森に子どもたちが入りますとさまざまな物を見つけだします。つまり森は幼児にとっては発見の場になっているということです。自然の中にあるものを自分で見つける。草花や昆虫、木の葉や木の実、鳥や小動物、時には動物の死骸、氷や霜、雨や風の様子、暑さ寒さなど自然の中で感じるもの発見できるものがたくさんあります。森は発見の機会を与えてくれる宝庫と言っていいでしょう。その発見や気付きはその子の興味関心によるもので、それぞれの子ども独自のものです。ある子が見つけたものに興味をもち連鎖的に何人かで同じものに関心を向けることもあれば、それぞれが自分の気に入ったものに関心を示していることもあります。この発見や気付き関心をもつ行為はその内容に関わらず、その子の内面からの能動的な行為です。自分の意志や関心がその子の行動を起こさせ自ら動く行為となって、自分なりな行動を起こします。幼児にとって自分から動く、自らの裁量で行動する機会を繰り返し得ることは後々自主性や主体性へと発展していきます。自然な形で自らが行動する。自分の中から発動する関心や興味といった動機によって動くことを繰り返すことが森の中の活動では随所に見ることができます。

発見の機会は同時に自然の事象を理解することにもなります。このことは当然なことですが他にもさまざまなことを自然は子どもたちにもたらしてくれます。以下に簡単にまとめてみます。

 草花や昆虫、木の葉や木の実、鳥や小動物、雨や風、雪や氷、暑さ寒さなど自然の中で子どもたちが気づき、見つけられることがたくさんあります。

 幼い子どもたちにとって自然の中は不思議に満ちあふれています。散歩に出かけたり、野原や森の中で過ごせば、珍しいもの、見たことの無いものなど発見の連続です。自然に興味、関心を持つ機会を得られます。

 森の中や野原などあまり人工的で無い空間の中でゆったりした時間を過ごし、遊びを見つけ出し、それを行うのは子ども自身です。自らが主人公になって遊ぶ機会がたくさんあります。

 自然の秩序や摂理が子どもたちにさまざまな影響を与えます。自然現象を人間がコントロールすることはできません。寒さ暑さ天候の良し悪しは野外で活動する際に直接的に影響しますが、子どもたちは自然にそれらを受け入れます。

 暑さ寒さには衣服を調整します。天候の悪い時は雨に対応する身支度をして外に出ます。子どもたちは自分の状態を変化させることで対応できることを理解します。

 多様な環境で子どもたちは冒険心をさまざまに発揮し、木登りや倒木渡り、急斜面を登ったり飛び降りたり、いろいろなことを試みます。自分の力量を計りながらさまざまなチャレンジをします。

 怖さを感じて躊躇してチャレンジすることをやめたり、試みたりは子ども自身の裁量にまかされます。おとなにやらされるのではなく、やがては自分のチャレンジを達成します。

 遊びをおりまぜながらのゆったりした散策では、時間がゆっくり流れているといった感覚をおぼえます。道々で出合うさまざまな自然の様子に落ち着いた気持ちで向き合うことで、五感は鋭敏さを増し磨かれます。

 衣服や体が汚れたりすることも当たり前、体をきれいにしたり衣服を着替えることも不自由なくこなします。そして自分に関わるさまざまな状況を柔軟に受け入れるようになります。

 幼児にとって森の中は空想めぐらす世界でもあります。妖精や天狗、お化けや怪物などがいる場所にもなり、森ではそれぞれにさまざまな営みがあり、動物の家族や昆虫がまるで人間の世界のように暮らしているように思えたり、妖精や怪物が事件を巻き起こしていると思えたりする世界となります。

森のようちえんでは……

森のようちえんでは自然の教育力と子どもの潜在的な学ぶ力がつながってると考えています。森や自然はそれ自体に教育的な内容を豊かに持っていますし、森に入るだけで子どもたちにさまざまな変化が起きます。自然の教育力とさまざまな体験の機会がうまく噛み合って、幼児期に必要となる多くの事柄を自然にバランス良く身につけることができます。柔軟な身のこなし、安全の感覚、豊かな言語力やコミュニケーション、積極さや自立した行動力など人の基礎となるさまざまな事柄を獲得する様子を随所に見ることができます。

森のようちえん?!では

森のようちえん全国ネットワーク 内田 幸一

8 子どもと自然・環境

事例 3 「国際ユース環境会議 in ながの」の5年間を振り返って 信州から世界へ Think Globally Act Locally

「国際ユース環境会議」ユース代表 横浜国立大学大学院 草間 由紀子

はじめに

私は、「国際ユース環境会議 in ながの」の企画・運営にユース代表として、2012年当初より参加してきました。私がこの活動を始めるようになった大きなきっかけは、小学生のころに、地域の友だちと一緒にこどもエコクラブ「Discover Nature」を立ち上げたことです。こどもエコクラブとは、地域における子どもたちの自主的な環境学習や実践活動の支援を目的に、平成7年度当初は環境省が、現在は公益財団法人日本環境協会が実施している事業です。私は、このこどもエコクラブでの活動を小学4年生から高校3年生までの9年間行う中で2つの問題意識を強く持ちました。

1つ目は、小学生の頃にせっかく環境問題に関心を持った子どもたちが、中学、高校と進学する過程で、環境活動を継続的に行うことが難しい傾向にあるということです。全国のこどもエコクラブ登録人数の推移を見ても、中学生、高校生の登録人数が、小学生に比べ、かなり少なくなっていることが分かります(図 1)。私のクラブでも、中学から始まる部活動や、受験などで、高校までメンバーが一緒に活動を継続することができませんでした。中学生、高校生を対象とした、国内外の環境会議やイベントもあり、さまざまな刺激を受けることができる時期に、活動をやめてしまう子どもたちが多いことは、大変もったいないことだと思います。

2つ目は、国連環境計画(UNEP)が主催する国際会議などに参加するなかで、環境問題は国際的な問題であり、グローバルな視点を持つことの大切さを強く感じました。また、国際会議への日本からの参加者が少なく、私を含め発言をすることに消極的な人が多かったように感じました。国際会議の場で、積極的に議論に参加するには、国際的な視点を持つこと、さらに、それぞれの地域のことを知り、地域でも活動していくことが大切だと思いました。

この2つの問題意識から、中学生、高校生、大学生、社会人をつなぎ、世代を超えて継続的に環境問題や国際問題に関心を持つ機会を作りたいと考えました。そこで、「環境×国際」、「地域の環境を生かした伝統的生活」の2つのテーマを主軸とした、「国際ユース環境会議」を長野市で、2012年から立ち上げ、年1回開催しています。

図 1 全国の学年別こどもエコクラブ登録人数

   (平成23年度から平成27年度までの5年間の平均登録人数)

   ※データ提供(公益財団法人 日本環境協会)

図 1 全国の学年別 こどもエコクラブ登録人数の 棒グラフ 縦軸が エコクラブの登録人数 横軸が学年を示す

国際ユース環境会議

「国際ユース環境会議」は、中山間地で1泊2日か2泊3日で開催される年1回のイベントです。最近では、長野市でも市内の都市部と中山間地の間で、生活パターンや抱えている問題が大きく異なっています。そのため、中山間地を開催場所にし、豊かな自然を満喫してもらう一方で、鳥獣被害や農業の現状について、地域の人々の話を直に聞き、肌で触れる機会を作っています。

この会議は、中学生、高校生、大学生を中心としたユースを対象にしており、この5年間のユース数の推移は、年を追うごとに少しずつ増えています(図 2)。これは、「国際ユース環境会議」の認知度が当初より上がったことや、継続して参加してくれるユースがいることが背景として考えられます。

図 2 「国際ユース環境会議」

   ユース参加者数

図 2 「国際ユース環境会議」 ユース参加者数の 棒グラフ 縦軸が参加者数 横軸が何年かを示す

会議の主な内容は、ポスターセッション、Web会議、地域のフィールドワーク、ワークショップの4つです。会議のテーマは毎年異なり、2012、13年は「地域の自然を生かした伝統的な生活」、2014年は「バーチャルウォーター」、2015年は「新エネルギー」、2016年は「地産地消」で、2017年は「食品のロス」を会議のテーマとする予定です。さまざまな問題を持つ環境問題の中から、1つのテーマを決めることで、問題を捉えやすくそして、議論しやすくしています。

ポスターセッションでは、事前に参加者一人ひとりがテーマについて調べ、各自の考えや提案をまとめて1枚のポスターにし、英語で発表してもらいます。英語に挑戦する機会と共に、共通のテーマを、さまざまな視点から発表することで、それぞれが新たな発見ができる機会となっています。

ポスターセッションの 参加者が発表している様子の写真

Web会議では、SNSの1つであるSkypeを用いて、海外の方々とそれぞれの国で抱える環境問題や伝統的な生活について、英語で直接話し合いをおこなっています。ある年の会議では、今の環境問題の悪化は、先進国と発展途上国のどちらに責任があるのだろうかということについて、議論が発展しました。異なる国の人の意見を聞くことで、違った考えや文化を知り、また英語を実際に使うことで、積極的に世界に発信する自信につながればと思っています。

Skypeを用いて Web会議をおこなっている 様子の写真

地域のフィールドワークでは、地域の方々に地元での取り組みを紹介していただいています。2015年には、「新エネルギー」のテーマから、鬼無里での太陽光発電施設、LLP・鬼無里薪ステーション、小水力発電施設などを実際に見学させていただきました。また、2016年は「地産地消」のテーマから、小田切の畑を見せていただき、ワラビ農園での収穫体験をさせていただきました。

ワークショップでは、大学生、 ALTや研究者の方々による講義や実験などをおこなっています。大学生によるワークショップは、地元の信州大学工学部の学生(工学部では授業の単位として、認定されています。)や長野出身の他大学の学生が中心となり、その年のテーマに沿った、参加型の科学実験などをおこなっています。

ワークショップで モノ作りを 体験している様子

ALTや研究者の方々によるワークショップでは、環境問題についてのより専門的なことについて、英語と日本語で講義をしていただいています。これらのワークショップを通して、「国際ユース環境会議」は、環境問題や国際問題についての視野を広げる良い機会になっています。さらに、大学生にとって、実際にワークショップを企画し運営するといった経験の場、中学生・高校生にとっては、大学や今後の将来について考えるきっかけの1つになればと考えています。

さいごに

私は、これまで環境活動をおこなってきて、環境問題は一人、一国だけでは解決できない、国際的な問題であるため、多くの人に環境問題に関心を持ってもらい、協力してもらうことが必要だと強く感じています。しかし、「国際ユース環境会議」の参加者数を学年別に比較すると、高校生の参加者が少なく、ユースが持続的に環境活動を行うことがいまだ難しいことが考えられます(図 3)。この状況を少しでも改善するためには、「国際ユース環境会議」以外にも中学生、高校生の頃から、環境問題や国際問題について触れる機会を作ることが大変重要です。産官学が連携して、さまざまな経験の場を作り、継続的に問題について考える機会作りが今後も求められると思います。そして、受け身ではなく、子どもたち自身がさまざまな問題について考え、行動を起こしていけるような場を作っていく必要があると思います。次世代の子どもたちに経験の場を提供し、社会的に投資していくことが、持続可能な社会作りにつながっていくと思います。

図 3.学年別「国際ユース環境会議」参加者数(2012年から2016年までの5年間の累計参加者数)

図 3 学年別「国際ユース環境会議」 参加者数の 棒グラフ 縦軸が参加者数 横軸が学年を示す
国際ユース環境会議の 横断幕を広げている 参加者の集合写真

「国際ユース環境会議 in ながの 」

の5年間を振り返って

 信州から世界へ Think Globally Act Locally

「国際ユース環境会議」ユース代表 横浜国立大学大学院 草間 由紀子

8 子どもと自然・環境

事例 4 子ども × 自然 × 直接体験

長野県望月少年自然の家 社会福祉士・キャンプインストラクター 新美 亮介

はじめに

 長野県望月少年自然の家は、少年少女及び広く県民が四季折々の美しい蓼科山麓の大自然に親しみ、自然の中での団体宿泊生活を通じて、日頃家庭や学校では得がたい体験をすることができます。心身を鍛え情操や社会性の健全な育成を図ることを目的としてつくられた、昭和52年開所の長野県立の社会教育施設です。毎年、県内外から学校や青少年団体、企業等はもちろん、家族単位での利用もあり、日帰り、宿泊合わせて毎年2万人以上の方々にご利用いただいています。

 受入利用の他に主催事業として、子どもたち向けのものを中心に自然豊かな環境を生かし、四季折々に応じた、年間約20回実施しています。その他にも他団体と連携し、多くの共催事業を実施しています。

子どもが中心の事業

 誰もが参加できるように低価格で質の高い事業を開催しています。主催事業の中で、今回は小学校1、2年生を対象とした「もちづきタイニーキャンプ」と、小学校4年生から中学3年生までを対象とした「信州ふれあい自然体験キャンプ」における、子どもたちの育ちについて述べていきたいと思います。

もちづきタイニーキャンプ

 もちづきタイニーキャンプは、小学校低学年の子どもたちが、親元を離れて1泊2日の共同生活や自然体験活動を行うことを通して、自分に自信をつけ、「自主性」・「社会性」・「協調性」等を育むきっかけづくりを目指し、各回参加者30名を年6回実施しています。毎年、募集人数の倍以上のお申し込みをいただく、大変人気のある事業です。このキャンプで大切にしているテーマは「あいさつ(人間関係や仲間づくりに必要な力)」、「みんなと(仲間との協力や他者理解に必要な力)」、「じぶんで(自主性と自尊心を養うことに必要な力)」であり、この3つは子どもたちにとって普段の生活の中でも必要な力になってくるという考えの下、キャンプでも大切にしています。

 大きな特徴は子どもたちが自分たちの手でプログラムを変更できるという点です。事前にプログラムは決めてありますが、子どもたちからの要望が出れば、子どもたちが全員で話し合い、プログラムの時間を調整し、どのようにすれば実施することができるかなどを子どもたち同士が決めることができます。話し合いの時に大切にしていることは、全員が納得できるまで話し合うということです。納得するまで話し合い、相手の考えていることを知ることで、「自分と相手は考え方が違う」ことを理解するきっかけになります。「自分はこう思っているけど、相手はこう思っているんだ、色々な考えがあるんだ」ということを経験することが他者理解への第一歩です。

 さらにやりたいことを形にするために仲間と話し合い、時間を調整し、実践することが子どもたち自身の課題解決力の向上や自己肯定感に繋がると考えています。「キャンプ宣言カード」を配り、3つのテーマについてそれぞれ子どもたち自身がキャンプ中の目標を設定します。そうすることにより、この1泊2日を通して、子ども自身がどうなりたいのかを明確に意識するために、より効果的に子どもの成長に繋げていけるからです。対象が小学校1、2年生ということもあり、家族以外とはじめてのお泊まりという子もいます。不安の中でキャンプに参加している子もいるので、キャンプ全体を動かしながらも、子ども一人ひとりの性格やリズム、気持ちを大切にし、個々と向き合いながら、キャンプを進めています。

ふれあい自然体験キャンプ

 ふれあい自然体験キャンプは、長野県の不登校児支援のキャンプとして平成7年にはじまり、今年度で23回目を迎えます。私自身も参加者としてこのキャンプに参加し、スタッフをやり、今は運営側でキャンプに関わり、形をかえながら18年間携わっています。このキャンプは「衣食住」を大切にし、対象である子どもたちと大学生のボランティアが共に生活をし、自然の中での直接体験を通して、社会性、自主性等の生きる力を育成することを目的としています。プログラムも、子どもたちの気持ちに寄り添い、段階をおって行えるように工夫されています。スタッフの関わりも、子どもたちの自己選択・自己決定を尊重できるよう、プログラムへの参加を強制させないなどの配慮や、1日の予定や前日の感想などが載っている新聞の発行などもおこなっています。

 このキャンプの大まかなプログラムは1日目に仲間づくりゲーム(アイスブレイク)・野外炊飯・テント泊、2日目は昼食用のおにぎりづくり・ネイチャーハイキング・森泊の場所決め、3日目は森泊準備・森泊、4日目は装備の片付け・選択プログラム・キャンプファイヤー、5日目は森のパーティーを行います。

 このキャンプで子どもたちに変化が出始めるのは、3日目の森泊です。森泊は、敷地内にある森の中のキャンプサイトに装備一式(寝袋とブルーシートで作る通称キャンディと言われる寝床、水、食料、着替え等)を持ち、班ごとに自分たちで決めたサイトへ登っていきます。サイトでは個々に寝床を決め、薪を集め、ご飯を作り、思い思いの時間を過ごし、夜はキャンディの中で寝ます。過ごし方も自由なので、自分のペースでゆったりと過ごす子、班の仲間と協力する子、火がつかずに悪戦苦闘しながらも粘り続け、完成したご飯を美味しそうに食べる子など、子どもの数だけ過ごし方があります。

子どもたちに直接体験を

 上記で述べてきた、自然体験活動は子どもたちの成長において大きな意味を持っています。子どもたちが過ごす「自然」は、環境、天気、気温、動植物、人間の能力などのさまざまな要因から規制を受けます。急激な天候の変化など自分の意図しないことも多く起き、その時その時に状況把握をし、的確な判断で折り合いをつけないと、大きな事故に繋がります。この状況を打開するためには、どのような手段があるかなど多くのことを考え、行動します。雨で木が濡れて火がつかない中で、どうしたら火をつけて、ご飯をたべることができるのか、答えはありません。自ら実践し、目的を達成した方法が答えになるのです。自分で乗り越えたからこそ力になり、自信に繋がると思います。うまくいかないことや失敗することもあります。そんな時に周りの仲間やおとなの声掛けで、失敗体験のままで終わらず、成長体験に繋がり、次の挑戦に繋がるのではないかと思います。

 自然の中に身を置き、過ごすということはどこか人間関係に似ているのではないかと思います。自分の思いだけではどうにもならないのが人間関係です。自分が考えていることと、相手が感じていることが違うという中で、どのようにコミュニケーションをとり、関係を築いていくのか。気持ちの折り合いをどのようにつけ、人と関わっていくのか。自分を知り、相手を知ることが人間関係を築く第1歩ではないかと思います。

 私たちのキャンプにさまざまな思いを持って、子どもたちが参加してくれています。自然の中で遊びたい、友だちや楽しい思い出を作りたいなどはもちろん、学校でうまくいかない、今の自分に自信がないなどや、子どもに自信をつけさせたい親御さんの大きな期待を背負ってくる子もいます。すべての子どもたちの、すべての気持ちに寄り添いたい。気持ちに寄り添うことができるのは、スタッスや仲間たち、そして「自然」という環境なのかもしれません。私たちがキャンプでおこなっていることは、あくまでもきっかけづくりです。活動している中で自然の中だからこそ子どもたちからストレートに発信されるアクションやメッセージを逃さぬよう向き合い、キャンプでの「体験」を人生の「経験」に昇華させ、ここで掴んだ自信や糸口をもとに子どもたちにとっての日常生活(家庭生活、学校生活等)が少しでも良い方向へ向かってもらいたいと思っています。

 

最後に

 現在、子どもの自然体験活動の重要性が話題となっています。私個人の見解としてはただ単に体験活動をさせれば良いということではないと思っています。さまざまな要因(自然環境・集団生活・他者との協同等)を使いながら、子どもたち自身の生きる力に繋がる、働きかけが大切だと思います。人は人と自然環境の中で育つのではないでしょうか。すべての子どもたちが質の高い直接体験をおこなうことができるよう、今後も子どもたちの一番近くで活動していきたいと思っています。

 

子ども × 自然 × 直接体験

長野県望月少年自然の家 社会福祉士・キャンプインストラクター 新美 亮介

8 子どもと自然・環境

事例 5 311からの生活、親たちはどうやって子どもを守ろうとしたか

手をつなぐ3.11信州 森永 敦子

原発事故と放射能汚染

 事故から6年、ほとんど報道されなくなってしまった福島第一原子力発電所のある福島県は、「復興」という言葉で問題がなくなっているかのように案内されています。国内向けの発表では、チェルノブイリ事故より被害は少ないとされていますが、今も放射性物質の拡散が続く福島の現実は「原子力緊急事態宣言」が出されたままの被災地です。

 すぐに石棺により放出を食い止めたチェルノブイリとは違い、冷却し続けないとまたメルトダウンする原子炉から空気中への放出は続き、デブリ(溶け落ちた核燃料)は地下水に接触し、水蒸気として空中に放出されると同時に汚染水として毎日太平洋に流れ出ています。それらは、いつになったら止められるのかわかりません。ですが、みなさんは毎日考えられないほどの放射性物質が身近に存在しているということを意識されているでしょうか? 

 私は311後、2011年5月に長野に避難し、支援活動を続けながら放射能による子どもへの影響について2013版から執筆させていただいています。ですが、長野県民にとっては、どうしても遠い出来事と思われてしまい、自分たちの周囲に少しずつ危険が増してきていることに気が付いてもらえないというジレンマを抱くようになりました。

 子どもたちをとりまく環境は、決して楽観視できません。1962年にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」が出版されました。日本が高度経済成長へ向かおうとしているその時期に自然破壊の問題を警告したこの本は世界中に波紋を呼びました。1974年には、有吉佐和子が朝日新聞に「複合汚染」を連載、今度は日本から子どもたちの未来への危険を問いかけました。ですが、今の日本のおとなたちはそういった警告にきちんと向き合っているでしょうか。

 ことあるごとに「自然が豊かな」と形容詞の付く長野県ですが、そこに生活しながら、311以後疑問を持ち、調べ、何をするべきか考え、子どものために行動を起こした親たちがいます。放射能はたくさんの汚染の一つでしかありません。でも究極の汚染物質です。

 原発事故も放射能も長野県には関係ないと思っている親たちに、まずは知ってもらうこと、そして自分の頭で考え直してもらいたいと思い、一部ですが親たちの取り組みを紹介させていただきます。

ケース1、「安心Foods+ 」 大西千絵さん

松本で支援活動をしていたことで知り合った大西さんは、ごくごく普通のおかあさんです。

 食品に含まれる放射性物質の問題に関心を持ったのは、2011年の秋ごろ。事故当時友人から「爆発した、やばい」というメールを受け取ったものの、「なんでこんなこと言ってるの?」くらいにしか思っていなかったそうです。ところがふと「自分の口に入るものは大丈夫なのか?」と思い、スーパーでいつも買っているものが気になり始めました。電話で産地やメーカーを教えてもらい、放射性物質の検査がされているのかどうかを確認してみたそうです。その結果のメモがどんどんたまっていき、すぐに探せるようにと自分用に作ったのが「安心Foods+」というブログでした。メーカーと直接話してわかったことは、食品を扱う会社もほとんど放射性物質のことをわかっていないこと、検査していますという会社でも、測定の仕方がずさんなところが多かったことでした。「国で検査しているから問題ない」「そんなことを聞くなんて風評被害だ」と怒る会社もあったそうです。周囲は無関心な人ばかりであまり話もできなかったので、ただブログに書き込むということをしていると、避難者やそれまで面識のなかった同じように放射性物質の危険性を意識している親たちから「助かっている、ありがとうございます」ということばを受けとるようになっていきました。

 最近あまり更新してないのだけど、だんだんメーカー側の意識が薄れ始めていることや、放射性物質は山から川に、キノコや山菜という山のものを食べる動物にと移動していくことから、また再チェックしないといけないと感じるそうです。

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ケース2、「給食の測定を自治体に要望」 八木真紀子さん

 八木さんの住む大町市は、消費者庁から自治体に貸し出した測定器を使って給食と市民が持ち込む食品の測定をしています。その地域では一時期センター給食にする案が出ていたのですが、保護者たちが反対し自校給食を続けています。その運動にかかわった親たちの一部が給食の測定を要望し、現在も続いています。ただその測定には問題があるといいます。それは検出限界値がセシウム134、137合算で20bq/㎏程度と高いことです。以前松本市では信州大学のボランティアチームが15bq/㎏のしいたけを見つけ、配られていたスープを直前でストップしたということがありましたが、この検出限界値では通り抜けてしまうということになります。また、産地の公開もHP上のみとなっていて、一般の母親には意識できない状態になっています。情報は届かなければ、そして意識しなければなかったことになってしまうのです。

 この限界値をもっと下げるように自治体を動かすには、多くの市民が危機意識を共有する必要があります。

 普段関心のない親たちに食の危険性などの問題を伝えていくには、子どもの給食ということを入り口とするほうがわかりやすく、意識も変わっていくのではないかと八木さんは思うそうです。「食は食べる人だけでなく、学校、社会、政治にも関係していきます。問題の根源について考えていくことができれば、食の問題を解決することは大きな社会変革につながっていくと思います」という言葉が印象的でした。

ケース3、「母たちの勉強会」 堀金和美さん

 堀金さんは、松本で「おかんの会」という母親たちのグループを立ち上げました。このグループは放射能のことだけでなく、会員それぞれが気になったことを出し合い、講師を呼んで勉強会を開催しています。

 子どもが生まれてから、食品添加物や農薬などを避け、できるだけ野菜中心の食事に切り替えるなど、健康を考えた食事を心がけていた堀金さんは、原発事故から1年ほどたったころ、医師がネット上に人工甘味料の危険性についてアップしていたのをみかけました。気になってスーパーで表示を見ていくと、加工品にはかなり使われていること、商品を丁寧に見ていけば、ある程度安全なものを選ぶことができることに気づきました。そこでふと原発事故のことを思い出したのです。 食品の中の放射能や添加物の危険性について友人に話したところ、「え?何この人」という空気にそれ以上言えなくなってしまいました。そんな時に高森町の「おかんの会」に行ってみると、メンバー同士で当たり前に話ができていて、「松本にも作ってみれば?」とアドバイスされて、活動を始めました。

 食品を選ぶ際に、メンバーすべてが同じような基準を持っているわけではありません。大事なことは、まず知って、それから各自で判断することだといいます。メンバー有志で給食センターに産地を教えてもらうためのメールを出し続けるということもやっています。以前私も給食センターに食品測定について確認したところ、サーベイメーターでの表面検査だったので、それでは正確な判断ができないと感じました。一つひとつ確認することで、より正しい情報を受け取ることができます。それをみてよしとするか、やっぱりお弁当にするかも個人の自由です。

 堀金さんは、自分の子どもの健康にかかわる大事なことを、親はもっと堂々とこうしたいといっていいじゃないかといいます。

 全体の意見をまとめるのは難しくても、だからといって自分の子どものことを誰かに決められてしまったり、誰かの顔色をお伺いしなくてはならないというのは変だと思っているのです。

ケース4、「安全な食を作る」 阪本瑞恵さん

 311の地震があったその時、阪本さん夫婦は茨城の畑で出荷の準備をしていました。直接顧客と取引する無農薬の野菜農家です。

 まだ2か月のお子さんを抱え、ライフラインが止まったエリアにはいられないため、とりあえず千葉の夫の実家に移動しました。原発事故で放射能が拡散したことを知ってからは、準備していた苗をあきらめ、夫婦で話し合った末に安心して子どもを遊ばせられる畑と住居を探し、松本に移住を決めました。

 一緒に野菜作りをしていた仲間と別れ、土地を手放しても移住を決めた理由は、自分がもうここでは気持ちよく生きていけないことや、子どもを畑で転がして遊ばせながら育てたかったからだといいます。それに顧客もまた家族と同じなので、少しでも危険性のあるものは食べさせたくないという思いからです。

 今阪本さんの畑『むすび農園』には、「援農ボランティア」の母親たちが子ども連れで手伝いに来ています。最初は出荷の手伝いから始まって、そのうち畑の手伝いや、仕分けなど手伝ってくれる人数も増えてきました。同じように安全な野菜を食べさせたい、子どもを土の上で遊ばせたいと思う親たちにとって阪本さんの畑は最高の場所になっています。

 茨城に残った農家の仲間たちの中には、「測定して伝える」ことで農業を続けた人もいれば、土地を離れられないため、違う仕事に就くことを選んだ人もいるとのことでした。当初は自分たちだけ避難したことに苛まれることもあったそうです。それまで自然とともに安全な農産物づくりをしてきた農家にとって、その方向性を変えざるを得ない苦しみ、この責任は誰が負えるのでしょうか?消費する私たちも考えなければいけないことだと思います。

『むすび農園』の 畑の前で 手をつないで集まっている 「援農ボランティア」の 母親たちの写真

ケース5、「正確な測定で支える」 一ノ瀬修一さん

 みなさんは千葉県の母親の母乳から放射能が測定されたというニュースを覚えているでしょうか? 一ノ瀬さんは母乳育児で育てられた4人の子どもを持つお父さんです。このニュースの母親の気持ちを考えると、心臓が止まりそうなほどのショックを受けたそうです。もしこれで何かが起きたら、母乳を通して被曝させた母親は自分を責めるでしょう。そしてこれ以上子どもを被曝させないように毎日の食事を調べようとするでしょう。でも、当時出回っている食品の測定数値はほとんどわからない状態でした。当初は国が守ろうとすると期待していたものの、そういう方向にはいかないため、技術者であった一ノ瀬さんは、12月13日に塩尻で民間の測定所を社内に立ち上げました。中信地域は菅谷松本市長の発言もあり、避難者も多く、放射能汚染について敏感な人もいること、冬季はほとんどの野菜を県外から購入しなければならないことなど、きっと必要性があると思ったのです。

 技術は社会を作るのと同時に壊すことがある、技術者の道を選んだ時に、いつかシステムトラブルによる大規模災害は起きるだろうと思っていたそうです。また、コンピューターが小型化されていく時代、個々が意識的につながる時代、知識的にも危機感にも温度差のある状況で正確な数値を知ろうという母親たちにきちんとした情報を説明する側になろう、そしてその数値をもとに自己決定する人たちを支援しようと思ったそうです。

 県内の食を扱う企業にも働きかけ、測定値を公表するところも出てきました。1bq/kg以上出た場合は、仕入れた食材を使わないというレストランもあります。

 日本は福島原発事故だけでなくかつての核実験やチェルノブイリ事故に由来する汚染も同時に存在しています。個人の感受性も違えば、生活環境で被曝量も違います。一ノ瀬さんは、政府の決めた安全基準をそのまま一律で受け入れるのでなく、正確な数値をみて自分の行動を個々に決めていくことが必要だといいます。またそういう自己決定に対して社会全体が応援できるようにならなければいけないし、自己決定できるだけの能力を育てなければいけないのではないかと考えています。

おわりに

 原発事故がもたらした放射能災害は、原発周辺だけに被害をもたらすわけではありません。チェルノブイリ事故では350km離れた南ドイツで、推定25万人の子どもが健全に生まれることができなかったといわれています。しかもその汚染はまだ収束できず、チェルノブイリのように次世代にまで影響する可能性があります。日本は食品の測定をすべて義務付けているわけでもありませんし、汚染土の全国での再利用を進めようとしています。

 今回紹介した親たちは、なんとなく安全、もしくは危険とするのでなく、さまざまな情報を正確に調べ判断しようとしました。共通した意見は、その行動を奇異な目で見られがちだということ、そして簡単にメディアの表面の情報をうのみにし、自己決定しようとする人たちとの間に溝ができてしまうことです。

 レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を書いてもうすぐ半世紀がたとうとしていますが、未だに多くの人間は自分たちの置かれている状況に気づこうとしません。

 このレポートを読んでくださった皆さん、せめて今この瞬間から環境や食といった大事な問題について、みずから行動していきませんか?

311からの生活、親たちはどうやって

子どもを守ろうとしたか

手をつなぐ3.11信州 森永 敦子

ブログ「安心Foods+」 http://redchailatte.blog.fc2.com/

※現在システムの不具合により、更新できない状態にあるそうです。

 最新のデータではないことをご了承ください。

むすび農園 http://musubifarm.org/

信州放射能ラボ https://www.imeasure.jp/about.html

松本おかんの会

https://www.facebook.com/matsumoto.okan/

<参考にしてほしい情報>

富士見町 ホームページより 富士見町 給食食材 放射能測定結果 の表 列は左から 検査日、学校名、検査食材、生産地、測定結果、測定下限値となっている
消費者庁HPより 大町市の 給食用 食材放射性物質 検査結果の表 列は左からNo.、学校名、産地、使用日、測定日、放射性セシウム 二種類の測定値と 定量下限値、測定機器となっている
アイメジャー 信州放射能ラボより 放射能測定器の写真
アイメジャー 信州放射能ラボより 放射能測定結果の図表
『「食べる」食品セシウムデータ745』 新評論 著者 ちだいより表紙の写真

「みんなのデータサイト」

http://www.minnanods.net/

「マダムトモコの厚労日報ダイジェスト」

https://setagaya-kodomomamoru.jimdo.com/

マダムトモコの厚労日報ダイジェスト

「子どもと自然・環境」 あとがき

 長野の子ども白書編集委員 渡辺 隆一

 本項「子どもと自然・環境」には5編が掲載されました。渡辺の「子どもの育ちと自然、環境 ESD(Education for Sustainable Development)の視点から 」は本項の原理編ですが、その他はそれぞれに信州でのさまざまな活動の実践的な事例紹介です。内田氏の「森のようちえん?!では」は幼児を対象とした自然との活動によって得られる多様な価値を具体的に紹介しています。新美氏の「子ども × 自然 × 直接体験」は少年自然の家での主に小学生を対象とした自然体験について紹介する中で子どもたちの生きる力に繋がっていることを説明してくれました。草間氏の「「国際ユース環境会議 in ながの 」の5年間を振り返って 信州から世界へ Think Globally Act Locally 」では中高大学生を対象とした合宿での活動の成果と課題を紹介しています。森永氏は「311からの生活、親たちはどうやって子どもを守ろうとしたか」で放射能という見えない環境に対しておとなとして子どもを守る視点から貴重な事例を紹介しています。このように信州の子どもたちにとっての課題解決のために多様な活動が実践されてきていますが、必ずしもその必要性、重要性は認知されてはいないようです。それはなぜなのでしょうか。

地球温暖化のように今や環境問題は全世界的な緊急の課題でありながら、その実際は私たちにとってあまり切実なものとはなってきていません。それは、あまりにも環境問題が大きすぎて個々人の手に余るとして無意識にされている面と、ここ信州の子どもたちを取り巻く諸問題が本白書で詳細に述べられているように、これもまた多様かつ緊急な課題となっていることの両面とがあるように思えます。

子どもの育ちに自然体験が必要かつ重要であることは本項の各著者が繰り返し述べるところですが実際にはなかなか実践されるのが難しいのです。子どもの育ちに必要なことは現実には学校と家庭で教えられており、基本的にはそれだけで十分と理解されているのでしょう。自然や環境の重要性はもちろん子どもだけでなくおとなにとっても重要なわけですが、実生活でそれを意識することは多くありません。実生活は主に人間関係や社会の中で営まれており、自然相手の農業でも価格やTPPなど世界情勢が気になることでしょう。「水や空気のように」という言葉のようにいかに重要でかつ必要なものであっても失われてみるまでは気にされないものとして「自然や環境」があるようです。確かにおとなの生活には自然や環境はあまり意識されないのかもしれません。しかし、子どもの育ちにとっての自然や環境はほぼ絶対的に必要不可欠なものとして各著者は力説しているのです。

この世界を構成するのは社会関係や人間関係、具体的には政治や法律、経済、種々の社会制度などですが、それらはいわゆる制度化されたものであり、子どもたちはそれらを教育によって教えられていきます。さまざまな環境の中でさまざまな主体的な学びによって成長する子どもたちの育ちは、現代社会にあっては、学校という制度によって制度に沿って教育され制度的に育つということになります。しかし、そういう制度の中に実は「自然や環境」は含まれていないのではないでしょうか。もちろん学校の理科で自然について学ぶことはありますが、それは自分たちの中にあるものとしてではなく、外の世界のものとして頭で学ぶだけのものになっているのではないでしょうか。この世界や社会を構成する要素として自然や環境は組み込まれていないのです。いわゆるそうした社会的な制度はハードであり、それに対して自然や環境を基礎にした文化はソフトともいえますが、どうしても制度などのハードが重視され教育においてもソフト面は軽視されてしまうのです。

かつて人類が大自然の中で暮らしていた時代には、外界の自然そのものが世界であったことでしょう。子どもたちも少しづつ危険な外界=自然を体験しつつ生活の糧を得るすべを学んだことでしょう。人類が進化し、社会化する中でさまざまな制度を作り、社会関係の中の経済によって生活を構成することで自然や環境は次第に遠い外界となり、生活の中から失われてしまいました。しかし、原発事故による目に見えない放射能が世界中にふりまかれ、温暖化によって気候までもが異常になりつつある現代にあって自然や環境問題は誰もが取り組まなければならない課題として立ちはだかっています。それは私たちおとなの責任であると同時に、未来に生きる子どもたちにこそどのように自然や環境と付き合ってゆくべきなのかを考え、選択し、実践してゆくうえで、子ども時代にこそ現実の自然や環境の中で体験的に育って欲しいと思うのです。さまざまな制度の中で自然や環境が排除されている現代にあって、今回の各著者の活動事例はまさに貴重な体験を将来を構成する子どもたちに与えようとしています。それらの活動の背景や意義をこう読み解くと、いずれもが貴重な活動であることが理解されるでしょう。

■ 渡辺 隆一 信州大学教育学部 特任教授

9 子どもと学校・教育

もくじ

これ以降は「子どもと学校・教育」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 「長野県の中学生期スポーツ活動指針」で部活動は改善されたか? 小山 吉明

事例 2 みんなで春を迎えよう 矢澤 朗子

事例 3 勉強が大好きな子どもを育てています  子どもの「普通」の生活の破綻  高林 賢

事例 4 生徒にインタビュー  「居」場所じゃなく、感じ、抗い、試みている場所  竹内 忍

「子どもと学校・教育」のリンクは以上になります。

職員室を 窓から覗く 子どもたちのイラスト

9 子どもと学校・教育

事例 1 「長野県の中学生期スポーツ活動指針」で部活動は改善されたか?

中学校教師 小山 吉明

1. 指針が出されて3年

長野県教育委員会が「長野県中学生期のスポーツ活動指針」(以下「指針」)を2014年2月に策定して3年が経過しました。部活動の過熱化を防ぐ一定の成果をあげてきているという歓迎の声がある一方で、上意下達的な改革によって活動がやりにくくなったという声や、あるいは「指針」に関係なく従来通りの活動を続けているところもあるようです。県内各市町村、あるいは各中学校によって実施状況に差が出てきている中で、私たちは今後どうしていったらよいのでしょうか。

これから述べるように「指針」自体が問題点や矛盾をかかえたまま作成されてきています。その点を理解しつつ、「指針」の主旨が徹底していないために生じている問題については「指針を」盾にして声をあげていくことが大事であると同時に、「指針」のもつ矛盾に関わる点については、それを乗り越えていく私たちの行動が求められています。

2. 市町村、各学校によって違う「指針」のとらえ

各市町村の状況についてはホームページ(HP)で検索してみると情報が得られる市町村がいくつかあります(以下はあくまでHPによる情報です)。松本市は独自の「松本市中学生期のスポーツ指針」を策定しています。県の「指針」をほぼ踏襲しており、朝部活は原則廃止、休日の土日2日間とも活動した場合は平日に休養日を2日とること、「部活動の延長としての社会体育」(以下「社会体育」)は廃止して、部活動に一本化する、としています。その他平日の活動時間、遠征、合宿、練習試合についてもより具体的な規制が示されています。佐久市も「社会体育」はなくして部活動に一本化するとしています。

塩尻市は朝の部活動(全員参加)は廃止するものの、自主的な体力作り等の活動は認めています。また、週の総練習時間を15時間(大会1か月前からは21時間)と細かな基準を設定していますが、「社会体育」については、組織四原則(部活動とは異なるクラブとしての規約の制定、責任者の設定、保険の加入、希望者のみを募集)を徹底するという条件で残しています。飯田市や須坂市も「社会体育」を残しました。その理由として、地域の指導者の方に今後も指導していただきたいという願いがあります。地域の指導者の方は自分の仕事を終えてから学校へ向かうため、平日は夕方早くても5時半過ぎくらいからになります。こうした「社会体育」が夕方から行われる場合は、部員の負担軽減のために、それより前の時間帯の部活動は行わないなど、部毎に対応している学校もあります。

このように市町村単位や各学校毎に活動時間に制限がかけられているので、それを無視して活動を延長しているような場合については、学校や教育委員会に訴えて指導を徹底してもらう必要があります。

3. 機械的な規制は実状に合わない

一方で、県の指針を受けて朝の練習を一律禁止にしたり、「社会体育」を廃止して部活動に一本化した学校はどうでしょうか? ある学校の顧問の先生は、「うちの地域はもう他と対抗できるレベルの活動はできない、終わりだ」と落胆していました。県教委は「指針」で放課後の部活動の充実を謳っていますが、どの中学校でも部活動の優先順位は学校生活の中で一番最後です。放課後には生徒会活動や行事に向けた係活動、生徒との相談、教科の補習や居残りなどがよくあり、生徒も先生方もこれらの活動を優先しなければなりません。平日の放課後の部活動に顧問がいて、部員がそろって練習できるという日は中学校ではあたりまえのことではないのです。こうした状態で朝の活動も「社会体育」もできなくなったら、なかなか練習に出られないという部員が出てきたり、放課後に顧問がいなくて生徒たちだけで活動しているという危険な時間帯が一層増えることにもなります。指導の手もなかなか入りません。

県教委は部活動の延長としての「社会体育」について、「万が一の場合の責任の所在が曖昧であったり、責任能力が不十分であったりするなどの課題があり、保護者から不安の声が上がっている」としています。確かに大きな事故が起きてしまった際には、部活動なら賠償責任は学校や教育委員会が負うので、責任の所在や賠償金の請求という面では安心でしょう。しかし、四原則を守っている「社会体育」の活動では、活動場所に指導者や当番の保護者が必ずついています。おとながだれもついていないで子どもだけで活動しているという状況は普通はありません。思春期の果敢な子どもたちです。ふざけあったり喧嘩をすることもあります。そう考えると、顧問のついていない放課後の部活動の時間帯の方が事故や問題が起こる可能性はずっと高いといえるのではないでしょうか。朝の練習も「社会体育」も、あくまで希望者による自主的活動ということが徹底されれば、今の学校体制の中では必要な場合があります。

県教委に問い合わせれば、四原則を守った上での「社会体育」は禁止するものではないとしています。もともとこうした「社会体育」は、部活動の延長としての性格をもっていても、社会教育として行われているクラブ活動であり、教育基本法や社会教育法の精神からみて尊重されなければなりません。部活動の延長という曖昧な性格の「社会体育」に問題があるとしたら、それは部活動に一本化するのではなく、地域スポーツクラブとして自立できるように支援していくことこそ行政がとるべき道ではないでしょうか。

4. 「競技力向上」が残されたままでの
  部活動への一本化

県教委は、部活動の過熱を押さえる目的で「社会体育」を廃止して部活動に一本化するとしましたが、一方で、競技力の向上はこれまでと同様に奨励し、全国大会での本県の中学生の活躍に期待しています。中学校体育連盟(以下中体連、役員は全て中学校の教職員)は全国大会を毎年開催し、昨年は長野でも陸上競技と剣道の全国大会が開催されました。部員全員がひとつでも上の大会へ勝ち進むために、より高いレベルの活動を求めざるを得ない状況を中体連(学校教育)が作っています。長野県内の中学校には、全国大会で活躍する高い競技レベルの部もいくつかあり、他校の部と練習試合や大会で競い合っています。休日返上で毎週のように練習試合や大会が組まれています。そのレベルの活動を学校教育として残しておいて、「指針」で示しているような活動基準が浸透するとは思えません。

また、「社会体育」を廃止して部活動に一本化した学校では、冬期には日没後も部活動を行うことが認められるようになり、保護者に毎日迎えに来ていただくという状況も出てきています。「社会体育」を希望せず、日没までの部活動でよいと考えていた部員や保護者にとっては、「社会体育」の廃止で負担が増えてきています。

5. 部活動に求めること

顧問も部員たちも、「出ると負け」ばかりの部活動にはしたくないという気持ちはあるでしょう。それに代わる新しい価値観を顧問と部員、そして保護者が一緒になって創造していかない限り、この問題は永遠に解決していかないと思われます。一部のトップレベルを目指す人たちに部活動全体が左右されるのではなく、ひとりひとりの部員の願いを尊重し、共有しあうことが大切です。

特定の運動競技にしか興味を示さない子、柔軟性に欠け、けがをしやすい子、運動の苦手な子と一緒にスポーツを楽しむということがなかなかできない子などが目につきます。競技に打ち込んでいる中学生の心身が健全な発達状況にあるとは必ずしも言えません。文化系の部活動に所属する生徒たちの運動不足は深刻です。中学生期にはさまざまな運動に親しむことが必要なのですが、専門化した部活動はその機会を奪っています。

かつて1970年代までは中体連は全国大会もブロック大会(北信越大会や東海大会)もおこなっていませんでした。当時の中学生の大会は県大会までであり、県大会に出場したり、そこで活躍することが最高の目標でした。その時代には部活動の延長としての「社会体育」も必要なく、その分いろいろな遊びもしました。中学生期の学校教育としての部活動はせいぜい県大会レベルまでとし、その範囲内で部活動のあり方を再構築すべき時期に来ていると考えます。 

休日練習や大会参加の有無を顧問やコーチ、保護者会などのおとなが一方的に決めていないでしょうか?どんな願いで、どんなレベルの活動をしたいのか、子どもたちの声に耳を傾けていくことが必要です。

「長野県の中学生期スポーツ活動指針」で部活動は改善されたか?

中学校教師 小山 吉明

9 子どもと学校・教育

事例 2 みんなで春を迎えよう

スクールソーシャルワーカー 矢澤 朗子

この春、晴れて高校1年生になった男子生徒のA君。この日を迎えるまでにたくさんの人たちとの関わりがありました。

中学校卒業の日、A君の家族はもちろんですが、私を含めその関わってきた誰もが胸を熱くしました。学校生活の思い出が詰まった教室でA君だけの卒業式が行われ、校長先生からの挨拶も、たくさんの先生との校歌斉唱も、卒業証書授与もあり、春からの新しい生活へ向けて1歩を踏み出す力がわきました。

私は長野県教育委員会のスクールソーシャルワーカー(以下、SSW)です。SSWの支援は、学校からの依頼で始まります。A君の場合、中学校からの主訴は「学校生活に馴染めずにたびたび爆発をして器物破損などをしてしまう男子生徒に、どのように対応したらよいか」というものでした。

支援の初回は学校訪問です。教頭・担任・特別支援学級の担任・支援員・特別支援コーディネーターの先生たちから、丁寧な日々の記録を見せて頂きながら様子をお聞きしました。

その次は、母親との面談で、A君の生育歴や印象深いエピソード、それにともなう母の戸惑いや困り感を話していただきました。その後、母親からA君にSSWの印象を伝えていただいた上で、A君との面談が叶いました。A君の好きな本やゲームの話から始まり、あっという間に1時間が経ってしまった記憶があります。

それからは1から2か月ごとにA君、母親それぞれとの面談をし、その合間の良いタイミングをねらって先生や関係機関との共有、会議をおこなってきました。

そこで見えてきた経過を振り返ってみます。

保育園から うちの子なにか持ってる

保育園のときは、みんなと一緒にいられずに外へ飛び出してしまうことがたびたびありました。その時に、何かおかしいなと感じた母親は、母親の知識の中にあった「人と目が合わない子は何か持っているかもしれない」を確認しようと思います。しかし、母親自身も人と目を合わすのが苦手だったために、この視線を確認することができなかったそうです。

小学校から 診断を受けて安心できた学校生活

小学校でもなかなか集団に馴染めず、苦しい様子を心配した担任の勧めで、低学年で病院受診をし検査の結果は発達障害と診断されました。これを機にA君は特別支援学級に入級となり、少人数の中で少しずつ安心して学校にいられるようになりました。

同時に母親も、支援級の担任からこまめに連絡をもらい、定期的な懇談で学校での様子を聞けたり、対応に困ったときの相談に乗ってもらうなどのフォローがあり、安心して子どもを学校へ送り出すことができました。

中学校から SSW介入

・戸惑い

中学校生活、初めは表向き順調そうでした。小学校からの引き継ぎはしっかりとなされていましたし、A君も十分に中学生の自覚を持っていたので、原級と特別支援学級をうまく使いながらスタートすることができました。

しかし、小学校と中学校の差はA君にとっても、母親にとっても、想像以上に大きかったのです。

小学校では担任の先生が全てを見てくれていましたが、中学は教科ごとに先生が変わるので、頼りにしたい担任の先生に会えるのはわずかな時間。担任の先生と同じ理解や対応を期待しても、なかなかそうはいきません。授業の進むスピードも速いです。宿題の量や内容も小学校とは違い、雰囲気も、皆が同じ制服で先輩もいて緊張します。

そして母親も、小学校で助けてもらったような先生の代わりを中学校で見つけることができずにいました。

・治療再開

SSWが介入してまず確認し、進めたことは精神科治療の再開でした。A君が最初に診断をしてもらったのは小児科でしたが、成長するにつれ特性がはっきりしてきたこともあり、通院先が精神科へと変わってきていました。最後の病院では主治医と相性が合わず、足が遠のいたことで治療はもちろん服薬も中断してしまったのです。

このことによってA君はイライラしやすくなり、学校でのトラブルが起きやすくなっていました。また、学校の先生たちも、少しのことで衝動的になるA君の理解に苦しみ、悪循環になっていました。

そこで、A君が薬の効果を感じていることをまず確認し、それからゆっくりとトラブルを振り返り、爆発に向かう心の動き方、爆発したときの気持ち、爆発した後の心が緩んでいく様子などを言葉にできました。それができたところで、爆発しないためにはどのタイミングでどうしたらよいのかを考え、そうコントロールするときにちょっと助けてくれるのがお薬だから、その力を借りると成功しやすいよと説明をすると、とても納得できた様子でした。そのまま病院選びも、初めての受診も前向きに動くことができました。

また、学校の先生たちには、小学校での検査結果や、日々の丁寧な記録からのエピソードを例に挙げながら、A君の特性を細かく共通理解し、具体的な対応方法も示しました。

・夢を語る

少しずつ学校生活が落ち着いてきた2年生、遠くに受験が見え始めます。A君の場合は進学希望がありました。得意分野もありました。楽しめることもたくさんありました。

不登校、不適応の子どもを目の前にすると、今学校へ行くか行かないかに目が行きがちですが、A君の場合は今ではなく少し先を見て、2年後はどんな毎日を送っているのかな、高校生活では何が楽しみなのかなというようなことを、毎回面談の中で話題にして、気楽に話してもらっていました。

今学校に気持ちを向けられないA君が、学校の先生に夢を語るのはとても勇気のいることです。もし夢を言葉にしたときに、「学校に来れてないと無理だから学校来ないと」「そこの高校行きたいなら勉強しないと」と言われてしまいそうで嫌だという言葉もありました。

なので、夢を語ってくれたときにはなるべく現実的に膨らまし、「その生活をするにはいつくらいから生活リズムを整えはじめると良いのかな?」「その高校にはあと何点取れば入れるのかな?」「その何点は数学だったら取れるんじゃない?」と、文末が可能の意味になる声かけをしました。これは特に学校で関わる先生たちにも意識してもらい、ここからゆるやかに気持ちが進路決定へ向かい始めました。

・受験へ

3年になり、最高学年として責任を負うことが増えたものの、かなり気持ちのコントロールができるようになってきたA君、皆と同じように受験生ならではのストレスを感じるようになってきました。

同じく母親も、受験生を持つ親ならではのストレスを抱えながら、日々の仕事や家事をこなしていかなければなりません。SSWの面談ではA君に直接関わらない相談も多くありました。

さて、トラブルはなくなったけれど学校では過ごしにくいA君、志望校合格のためにはどこでどう勉強するのがよいのか決める必要が出てきました。そこで、学校での所属感はしっかりと持てているA君だからこそ、あえて学校も外部支援機関も並列にして提示し、選択してもらいました。彼の結論は、学校行事、給食、部活などは登校、勉強は福祉サービスを利用するというものでした。福祉サービス機関では、A君の特性に配慮した場所と指導員に巡り会うことができ、学校とも連携を密に取りながら、浮き沈みのあるA君に最後までしっかり寄り添ってもらうことができました。

受験当日、受験をしに行けるかどうか、会場に入って最後まで受けてこられるかどうか、関わった誰もが心配していました。A君自身も当日その時まで受験できる自信はなかったかもしれません。

でも、当日早く起きて、淡々と受験会場に入り、試験を終えてこられたのです。

自分で決めた高校に、高校生活のイメージを膨らませて頑張ることができました。

最後に

進学は人生で大きな転換ポイントになります。親身になればなるほど、なるべく傷つかないように安全な道へ導きたくなりますが、時間がかかっても、気持ちがすり減ってしまいそうになっても、本人自身が前向きに決定または選択した道を進めることが一番幸せだと実感したA君のケースでした。

自分で決められた道、たとえ転んでも立ち上がれると思います。これからも風の便りにA君の名前を期待して耳を傾けながら、子どもたちの夢を聞いていきたいと思っています。

みんなで春を迎えよう

スクールソーシャルワーカー 矢澤 朗子

9 子どもと学校・教育

事例 3 勉強が大好きな子どもを育てています  子どもの「普通」の生活の破綻

ひかりの学校 あづみの本校 New Education School 代表 高林 賢

1. 学校現場で響く子どもの心の悲鳴

 「今の子どもは遊ぶ時間がなくてかわいそうだよね」

 あるお母さんと話していた時に聞いた言葉ですが、「かわいそう」の捉え方に、私と温度差を感じたことをよく覚えています。それは「おやつがたくさん食べられない」と「三食のご飯がまともに食べられない」くらいの「かわいそう」の温度差なのです。

 現在の教育問題と言えば、不登校、発達障害、いじめ、学級崩壊、勉強嫌いなどがありますが、これらは現代の子どもの大きなストレス、いわゆる喜びのない日々が一番の原因なのです。

 ある現役の中学校特別支援学級の先生の言葉です。

 「日本の公教育の質が高まるほど、不登校児童生徒の人数は増えるでしょう」

 「公教育の質の高まり」とは、競争原理と過度な管理主義の高まりを示すからです。

 私が小学校にいた時、今の子どもたちは本当にいい子ばかりだと感じました。みんな優しく、平和的で、とても穏やかです。それだけに教卓に30人の子どもたちから、「もっと自由に遊びたいけど頑張る」「休みが欲しいけど我慢する」と必死の心の声が聞こえると、それに応えようと必死でした。「未来のために耐えろ!」と、子どもを思うがゆえに、時には厳しく接しました。

 「先生、この勉強ってなんの役に立つの?台形の面積の公式なんておとなになってから使わないってお母さん言ってたよ」私が多くの子どもから聞かれた質問です。

 「脳トレだよ。いつも走っていないと長距離走れなくなるのと同じ。頭を使っていることが勉強なんだよ」と答えていました。しかし、「脳トレなら、もっと楽しい内容でできないのだろうか?おとなが社会で必ず役に立つ学習内容で、子どもの関心の高い教材で学べたら効率がいいのではないのか?」と感じることが増え始めました。

 ある子どもたちがトラブルになり、加害者側の子どもに「何か嫌なことがあるのかい?」と聞くと、その子どもが恥ずかしそうに「勉強で座っているのが辛いです」と言うのです。

 また学力テストで学年一番の成績の子どもが、学級では不登校でした。みんな発達障害の診断のない子どもたちです。

 私は高学年の担任をするようになり、学習指導要領(公立学校の学習内容)への疑問が、確信へと変わっていきました。

 また私は、児童養護施設で虐待児童に深く関りがあり、子どもの心と正面から向き合う児童支援経験がありました。そのため、公立小学校で「発達障害」と呼ばれている子どもの非常に多くが、「治らない生まれつきの障害」ではなく、「治療可能なストレス性の自律神経の障害」の疑いを強く感じました。しかし、学校現場では専門のケアを行う体制はなく、診断名が一人歩きすることが多く、子どもが必要とする支援につながることは稀でした。

 一方で学校の先生方は、それこそ骨身を削り子どもの支援にあたっていました。しかし、ほとんどが労力に見合った「功を奏さない」のです。

 戦後70年間が経った現在でも、「日本の教育システムの根本」は軍事教育から基礎が変わっていない全体主義で、豊かで幸せな現代に育った子どもにまったくあってないのです。

 

2. 海外の教育は日本の3周進んでいる?!

 転機はすぐに訪れました。

 特別支援学校へ転勤になり、「子どもの個々の願い」を軸に支援を行う障害児教育に触れたのです。そこで改めて学んだことは、子どもと教師がしっかりとした信頼関係を築く重要性です。教師と信頼を築くだけでも、子どもはスポンジが水を吸うように学ぶのです。

 特別支援学校は、比較的重度な障害を持った子どもたちが通う学校でしたが、当然こんな思いが頭に浮かびました。

 「健常と呼ばれる普通の子どもたちにこの教育をおこなったら、どうなるのだろう?それこそ凄い成果が挙げられるのではないだろうか?」

 そこで私は海外の教育に関する情報を集めました。するとザクザク「新しい教育」に関する情報が見つかるのです。

 出席しなければいけない授業が存在しない「イギリスのサマーヒル」や「アメリカのサドベリーバレー」。その充実した学習の歴史と実績はあまりに有名です。

 学力世界一と評価されたフィンランド。その公立学校の小学一年生は、授業など聞かずに教室でかくれんぼをする姿も日常。宿題もほとんどありません。それでも中学生にもなると授業に熱心に参加して、日本の全体主義では見られない、個々を「勉強好き」に育てる学校スタイルが見られます。

 オランダの教育も日本の概念とまったく違い、管理的な側面はなく、「子どもの興味が学習の軸」にあります。また、学費は全額公費負担の無償で、さまざまな特色のある学校を「家庭が自由に選択」できる教育システムに、教育評論家の尾木直樹さんも「日本よりも3周進んだ教育をしている」と言っております。

 海外の進んだ教育に愕然とした私は、気付くとその特別支援学校の学校長に退職願を提出していました。我が家族が東京からの移住5年目、長野県での教員正規採用試験合格通知が届く、ひと月ほど前のことでした。

3. 真の「生涯学習」を目指したカリキュラム

 ひかりの学校では何をしているのか?

 朝の9時から午後3時までが学習時間です。1日を5時限に分けていますが、読み書き計算の基礎学習を朝に1時間して、あとはだいたい午前と午後との活動となっています。

 体育館での運動、ギターやドラムと歌、絵を描いたり版画などを作る工作、虫捕り学習、五寸釘でナイフ作り、読書、パソコンで作曲、将棋や囲碁などの頭脳ゲームなどなど。 

 子どもは「フリー」の自由時間をとても好み、子どもたち全員で週に5時間以上自由に活動します。とりわけ子どもは「ごっこ遊び」を多くします。子どもたちはケンカもしますが、全員みんなとても仲良しです。

 これらは全てが五感を存分に使った大事な学習活動です。

 ひかりの学校は、「勉強が大好き」で、「表現力の高い子ども」を育てるため、「仲間との楽しい学習活動」を日々おこなっています。

 一般的には、教科書を開いた机に座った勉強が重視されます。五味太郎さんの著書「勉強しなくても大丈夫」では、読み書き計算の基礎的学習は「週に3時間くらいがいい」とありましたが、同感です。「生涯が学習」との言葉の通り、勉強は人生であまりにも重要だからこそ、座学の基礎学習は(子どもが特に求めないのであれば)短い時間設定としています。

 また表現力は社会生活で個人の評価を高めるためにとても重要で、その育成にも特に力を入れています。そのため、例えば音楽学習ではいつもiPadで録画をし、それを観て振り返りをします。

 「二人でドラムを叩くのもいいね!」「ベース間違えちゃった」「歌声の大きさは良かったけど、歌詞を覚えないとね」など、教師の指導は必要ないくらい良い意見が出ます。

 また「表現力」とは、他人のニーズを汲み取る「思いやり」が重要です。そのため、「仲間との楽しい学習活動」が「思いやり」の育成の温床として絶対に必要になるのです。

 30歳、50歳、70歳でも一生懸命勉強する人間は、少年期に学習場面で多くの成功体験と喜びを味わった人間なのです。

4. 「優しさ」+「他者理解」+「行動力」
  =「思いやり」

 「思い」「やり」とは「相手の痛みや心地良さを思い」「いたわり助ける」ことで、すなわち行動力のことです。

 「生きづらさ」を抱える人間が、日本には今怖いほど多くおります。

 私は、「生きづらさ」とは「思いやりの循環」がうまくできない時に生じると考えています。

 教育問題も同じです。不登校、ほとんどの発達障害、いじめ、学級崩壊、勉強嫌い。子どもと保護者と学校の「思いやりの循環」がうまくいけば、全て必ず解決するのです。

 今のフリースクールなどの新しい教育が、公教育と「互いに否定し合う」ではなく、「互いに子どもの利益のため競合する」日が来ることを願っております。

勉強が大好きな子どもを育てています

子どもの「普通」の生活の破綻

ひかりの学校 あづみの本校 New Education School 代表 髙林 賢

9 子どもと学校・教育

事例 4 生徒にインタビュー 「居」場所じゃなく、感じ、抗い、試みている場所

信濃むつみ高等学校教頭 竹内 忍

竹内先生、以降竹内 今日は3月31日。3年次生3人に来ていただきました。航平とダクちゃんの2人は先日の卒業式に出て高校卒業、テルは敢えて卒業を延期してもう1年、ということですね。『長野の子ども白書』という本に掲載するために来てもらったんだけど、紹介すると、ダクシニ・シリワルデナさん、中村航平くん、伊藤輝くんで、ダクちゃん、航平、テル…本当はひかるだけど(笑)って、いつものように呼んで進めます。

竹内 まずダクちゃんから。なぜここ(通信制の高校)へ来たの?

ダク スリランカから日本に来て名古屋のインターナショナルスクールで5年間、その後松本へ来て市立小から中学に入ったんだけど、合わないことが多くて学校が嫌だった。勉強の仕方、給食、日本的な人間関係って。しかもそれは「当たり前」とされて、そんなみんなに合わせることも「普通」で、高校に行っても同じようなものだったらムリって考えて。それはスリランカ人としてのアイデンティティもあるけど、インターナショナルスクールでのインド・パキスタン・中国・韓国・アメリカ・オーストラリア…そこには日本人も居てって、そんなさまざまな人たちが居てその多様性が尊重されているところで学んできたから、日本の中学や「普通」の高校はダメだった。単に通信制だからってことではなく、ここ(信濃むつみ高校)の考え方が本当に「変」で(笑)、ここなら私が活かせるって思ったから入学した。

竹内 次に航平は? なぜここに?

竹内 テルは?

テル 中学は元気に通い、県立高校も元気に…、だったけど夏前に体調を崩して。原因不明で「震え」がきたりして身体が辛いのと、そうなってる時に周囲が気になって、その不安とストレスで学校に行かれなくなった。結局、秋にここへ転学した。

竹内 ここへ来てからはどうだった? ダクちゃん。

ダク 入学してすぐにいろいろなことがやりたくて、横浜の「寿町」っていうかつての「ドヤ街」や東北震災の被災地でのボランティア、大学と協同でやっているゼミにも参加して。2年次では中国の東北地方を2週間まわる旅に参加。

竹内 何が印象的だった?

ダク スリランカから来て、ものすごい豊かだと思っていた日本にこんなところがあるの?って。「寿」みたいに街の一角に7,000人も住んでそのほとんどが生活保護やホームレス状態、被災地では仮設住宅に住んだまま。本当にビックリして日本の社会のことを考え始めた。中国では、かつての日本軍による酷い歴史があって、一緒に行ったみんなは日本人として受けとめて深刻に考えていたけど、そこで「私はなに?日本人じゃないし、この歴史の問題を自分はどう受けとめる?」って……。

竹内 アイデンティティ問題かな? その後は?

ダク ずーっとアルバイトしていて、学費や生活費の一部、この学校でいろいろ活動する費用などを自分で賄って、あと大学進学の時の入学金や学費を貯めてた。3年次では、戦後70年の8月6日前後のヒロシマに行き、また重度の障がい者の方の生活介助のボランティアも続けてた。

 4年次になって必修の「卒論」に取り組んで、自分はスリランカで多数派のシンハラ人だけど、いままで当たり前に信じていた「長い内戦の原因は少数者のタミール人によるテロが悪い」って。その自分を対象化して考え始めて、多数派のシンハラ人、その政府・軍などによって作られた意識じゃないかって。卒論ではスリランカの内戦のことと、そこでのナショナリズムやジェンダーの問題とかを考えたかった。難しくて結局内戦の原因、そこで私は仏教徒だけど、その仏教が果たした差別的な出来事や政治の動きを調べて、ちょっと感想や考えたコトをまとめた。

竹内 卒論やってみてどう?

ダク 父や母、ほかの家族は当たり前に思ってるシンハラ人としての価値観とどんどんズレてきて、以前とまったく違う自分になってきて、自分がわからなくなったりと困惑したり…。将来はジャーナリストになりたいって思っていたけど、もっと勉強しなくちゃ。

竹内 航平はここへ入学してどう? 通えるようになったんだっけ?

航平 ダメ。1?2年次は週に数時間のスクーリングに来るくらい、あとはずーっと家に居た。

竹内 家でなにしてたの?

航平 うーん。…思い出せないんだよね、その頃自分が何してたか、記憶なし。とにかく「家族と飼っていた犬以外は全部ダメ、人間とか信じられない」って。結局3年次の後半まで、ほとんど動けなかった。

竹内 どうして動き出したの?

航平 3年になって少しづつ「せっかくここに入ったのにスクーリングだけなんて。このままではダメだ、って。でもそんな風に変わりたいっていう自分と、何もできないじゃないかっていうジレンマの中で本当に苦しかった。

竹内 3年次の後半になって「卒業を1年延期しよう」って話したよね。

航平 卒業の単位は全部修得したうえで卒業は延期、って。そう決めたら「絶対に何かやろう」って考え始めたけど、でも親とは関係なく自分で考えて決めて、やっぱりそう覚悟するのは凄くしんどかった。4年次の5月に視覚障がいの方のボランティアに参加。自転車に乗って風を感じたい、っていうのを生徒4人で行って、各々に乗ってもらって自転車を走らせた。

その後7月の「信州まつもと大歌舞伎」に市民キャストで参加して。

竹内 そうそう。生徒たちと僕ら教員スタッフと。連日稽古して、2000人の観客の前、舞台に立ったよね。

航平 そうだね。それからは、泊まりで県外の大学のゼミに何回か参加したり、9月には中国・旧満州の街を巡る旅へ。

竹内 中国の大学生との交流では航平が一番盛り上がってた。旅については、帰ってきてから何回も書き直しながらレポートを書いたよね。その後、卒業後の進路はどう考えてた?この2から3月頃まで、ばたばたしてたよね。

航平 最近まで、親にも言われて専門学校進学の予定だったけど、やっぱり自分が一番考えたいことをやろうって思って、凄く考えて大学進学にする。いろいろ経験してきたけど、それとは直接関係無く、最近専門学校進学を考えていたときに大切に飼ってきたペットの犬が亡くなり、家族のように一緒に生きてきたから物凄く落ち込んで。で、そこで日本で飼われているペットについて考え始め、単に「モノ」として売り買いされる商品になったり、そのために「品種改良」されたり、ちょっとのことで簡単に捨てられたり…、そんな現実を調べたり、「動物」の命を大切にする社会を考えたりっていう方向。もう卒業しちゃった(笑)から「浪人」になるけど、予備校で基本の勉強もしながら、卒業生も参加できるこの学校のゼミとかにも参加して、いろいろな経験して自分の考えをまとめる1年にしたい。

竹内 テルは?

テル 1年次の秋からここへ来て、実家が大町よりもっとずっと北、遠いから松本で一人暮らしをはじめてアルバイトをしていた。スクーリングに来るくらいで、レポートをやって、ほかにはあまり活動もなく。一人で本を読んでいた。

竹内 3年次になって動き始めたよね。

テル 航平と一緒に「歌舞伎」に参加したあたりから…。その後、仙台の被災地ボランティアに参加して、結局2回行ったけど。9月には「中国への旅」へ。

竹内 帰国してからレポート書いたり、本を結構たくさん読んでるね。今後は?

テル もともと小説とかはよく読んでいたけど、そのあたりからは社会学や現代思想関係に興味を持って、最近読んだ本では高橋哲也「戦後責任論」が面白い。…10月に卒業延期を考えて、でも、残ってどうするんだ?って悩んだ。

 12月に「タイ・チェンマイへの旅」に参加して、チェンマイのエイズ孤児施設や山岳少数民族のカレン族の村に行ったり、そこから日本やその「豊かさ」を考えて。そこで「ああ、まだこんな経験ができるし、考えることもたくさんあるんだ」って思って。大学に行く前にもっといろいろ経験しよう、ってことで1年残ります。だから3年次なのに、この2月には文化祭実行委員長もやって。

竹内 この学校についてどう考えてる? また、今後は? ダクちゃん。

ダク この学校で良かったけど、…困ってる(笑)。自分や社会についてこんなに考えて、結論は出ないし、ますます分からなくなって。千葉大学に進学するけど、そこでいまの「問題」が考えられたり、分かったりするのか?将来も合わせて、これから!って感じ。この学校は「もっと自由に!」です。

竹内 航平は?

航平 この学校は「居場所」になるし、関係ができるとみんな良い人で、ほんとに仲良くなるけど、「独りの居場所」があっても良いと思う。これからは、大学で「動物」のこと、ペットとか…、社会の側から考えていきたいので、勉強します!

竹内 そうだね。ここはクラスとかが無いから、独りだとまったく孤立してるし、一方では関係できるとめっちゃ濃くなってって、極端だね。関係はあるけど、独りで、って言うことだね。では最後に、テルは?

テル ゼミなどの活動、本を読む、で、英語の勉強…。国立大学とか目指したい…。

竹内 みんなホントに一人ひとりバラバラ。それぞれ違った感じ方、考え、時間の流れ、関係の作り方…、生き方だね。同じところで同じ企画に参加して、でも感じたことや考えたことは、当たり前だけどみんな違うし、それをどう活かしていくかは、これも自分次第。

 だからこの学校では、生徒のみんなに対して一つの、一律の、一方向の規定や規制はほとんど無く、もちろん強制は無く、できるだけ多様な選択肢を提案して、自分で考え判断してもらう。早い人もいればゆっくりの人、幅広くたくさんやる人もいればこだわってじっくり、好きだから得意な人もいれば好きだけど苦手な人もいる、困っているのか悩んでいるのか迷っているのか、辛いからダメな時もあれば辛いけどやりたいときもある。人はみんな多様であり、また一人の人もその時々で変わりもするから。

 もちろん、効率的に生産性を挙げ、合理的で規範的で秩序性が明確で、って「普通」の学校では当たり前の価値観も一方にはあり、でも、それだけではない。そうした「枠」に入れない/入らない人もたくさんいて、たぶんこの学校はそうした人たちが多くいて、そんな生徒の「居場所」って言われる。でも、ただ「居る」だけじゃない。いろいろなことを感じ、見つめ、試み、抗い、格闘や挑戦をしてるんだよね。一見、何もしてない、何も動いてない…ように見えるけど、ただ「引きこもってる」ようにしか見えないけど、自分でも気づかないうちにじりじりと蠢動してるわけだ。

 今日は3月31日って年度最後の忙しいときに、みんなホントにありがとう。明日明後日からみんなそれぞれ自分の「場」で、がんばって楽しんでくださいね。

生徒にインタビュー

「居」場所じゃなく、感じ、抗い、試みている場所

信濃むつみ高等学校教頭 竹内 忍

中国 瀋陽駅前でとられた 学生の写真:左から二人目が テルくん・三人目が 航平君
トラックの荷台に 腰を掛けて笑う ダクちゃんの写真

竹内 忍

信濃むつみ高等学校教頭

国語のほか、「いのち」「ジェンダー」「環境」「社会参画」など、学校設定科目を担当。

10 子どもと司法・権利

もくじ

これ以降は「子どもと司法・権利」のリンクになります。tabキーでリンクを選択してください。

事例 1 少年院を一歩外に出た日 セカンドチャンス!   まっとうに生きたい少年院出院者の全国ネットワーク  才門 辰史

事例 2 子どもの権利を守る未成年後見人  権利擁護を通して考える子どもの未来  弓田 香織

事例 3 松本市子どもの権利相談室 「こころの鈴」の活動について 北川 和彦

事例 4 子ども支援センターの実績と課題 中嶋 慎治

事例 5 子どもの居場所、二つの側面  「子どもが安心して過ごせる子どもの居場所」と「事件の現場としての子どもが居る場所」  中村 健

「子どもと司法・権利」のリンクは以上になります。

相談窓口にきた 不良の子どもと 母親のイラスト

10 子どもと司法・権利

事例 1 少年院を一歩外に出た日 セカンドチャンス! まっとうに生きたい少年院出院者の全国ネットワーク

セカンドチャンス! 才門 辰史

私は、34歳です。現在、長野県で妻と子ども4人の6人で生活しています。仕事は不動産管理の仕事をしています。仕事の他に、趣味というか、生きがいというか、まっとうに生きたい少年院出院者の全国ネットワークであるセカンドチャンス!という活動をしています。私自身も少年院出院者です。少年院とは、少年法3条に所定の犯罪少年、触法少年、虞犯少年であって、家庭裁判所の審判によって保護処分の決定を受けた者を収容する施設です。

少年院送致

2001年3月、私は大阪にある家庭裁判所にいた。

「あなたを中等少年院送致とします。」

女性の裁判官が優しそうな眼差しでそう言ってきた。血の気がサーっと引いていく感じがした。

(最悪や、大切な青春の1年が終わった。)

裁判が終わり、控え室に戻ったとき、絶望感でボロボロと涙がこぼれてきた。犯した罪を反省するなどとは程遠く、絶望と不安の中、少年院生活がスタートした。

少年院生活、見捨てられなかった

少年院生活が数日経った時、父からの手紙が届いた。そこには、この手紙から親子関係一からやり直さないかというメッセージが書かれてあった。

(オレは見捨てられてない。人生まだやり直せるかも。)

そんな気持ちがした。少年院に入る者にとって、自分を見捨てない存在が、希望となり、生き方を変えたいと思うきっかけになる。私の場合、父が手を差し伸べてくれた。もう二度と家族を裏切りたくない、もう二度と犯罪を犯したくない。そのために地元の仲間と縁を切る。少年院の中でそう誓った。

少年院を一歩外に出た日

出院の日、院長室に呼ばれた。そこで私は、

「地元の仲間とは縁を切って新たな人生を歩みます。」

そんなことを言った。私にはそれができるし、そうしたいんだと本気で思っていた。しかし少年院を一歩外に出ると、全然違う世界が待っていた。

「お世話になりました!!」

法務教官の先生に半泣きで挨拶し、父の車に乗り、少年院を出た。その瞬間、悪魔のささやきのように、

(お前が出てきたこと、地元の仲間誰も知らんなんて寂しくないんか?お前をチクった奴、このまま放っておいて悔しくないんか?暴走族どうなってるんやろう?)

そんなことで頭がいっぱいいっぱいになった。

「おとん、オレが手紙とか面会とかでゆってたこと、あんなもん全部ウソや、オレは変わってないから、少年院はクソみたいな所や。」

そう言ってしまっている自分がいた。

「そうか…、そうやったんやな。」

運転していた父は振り返り、とても悲しそうな顔をしてそう言った。それが余計苦しかった。

少年院の中では、何をするにも法務教官の先生から監視、指導がある。外と連絡を取る手段もない。一方、少年院を一歩外に出ると、誰とでも連絡をとれる。どこにでもいける。何でもできる。そこには法務教官の先生の厳しい指導はない。

塀を一歩外に出た瞬間、何を考えて、誰に連絡をとり、誰と会うか。まず最初の15分がとても重要なんだとある刑務所出所者が言っていた。

少年院の中と出院当日、私はそのギャップに混乱し、何をどうしていいのかわからなくなった。自分の存在がなくなった気がして、急に孤独感に襲われた。空白の一年を取り戻したくなった。

あんなに誓ったのに、出院からたった数時間後には、地元の仲間の所に行っていた。

(また裏切った。オレは嘘つきや。結局こんな生き方しかできひん。もうどうでもいい。)

少年院での誓いはあっけなく崩れさっていった。

地元を離れるが、思っていたのとかけ離れた状況

それでも私はとても恵まれていた。

当時、父が東京で仕事をしていたので、私は父について東京にいくチャンスをもらった。

上京ということに魅力を感じていたし、地元を離れれば人生やり直せるかという気持ちもあった。

仕事をすること、高校の卒業資格を取ること、この二つの約束を家族とした。

フリースクールに行ってみた。そこには学生スタッフがいて、私と同じ年だった。

(カッコわるすぎる。こんな所に居場所はない。)

すぐに行かなくなってしまった。

(まあ、仕事さえすれば… )

仕事を探した。面接→不採用の連絡。別の面接→不採用の連絡。別の面接→不採用の連絡。

(なんなこれ。) とても矛盾していることなのだが、だんだん怒りがこみ上げてきた。

(なんで人生やり直そうと思ってるのにスタッフに同じ年がおるねん、なんで仕事受かれへんねん。)

もう私には何もなくなった。刺青見せながらダボダボのジャージ、繁華街をフラフラするようになった。

大学生の男女のグループを見ては、

(同年代やな、楽しそうやな、オレと、どっからこんな差ができたんやろな。)

スーツ着たサラリーマンのグループを見ては、

(メッチャ稼いでるんやろな、オレはスーツ着る仕事なんか一生つかれへんやろな。)

この頃の私は、孤独と先の見えない不安と何かに対しての怒りを常に持っていた。悪ぶってしか自分を表現できなかった。

必要としてくれる人との出会い

マークシートのレポートを暇な時にしていたので、何とか高校の卒業資格をもらえることになった。

スタッフに呼ばれてフリースクールに久しぶりに顔を出した時のこと。

「才門君、ちょっといいか?」

学園長に呼ばれ、会議室で二人っきりになった。

「これからどうするつもり?」 そう聞かれ、私は、

「バイトでも続けながら、やりたいことでも見つけようかなと思ってる。」

何もなかった私はそういった。すると、

「それならこのフリースクール手伝ってくれないか?」

生まれて初めておとなに必要とされた気がした。

「はい!させてください!」

結果的にフリースクールで6年間仕事がつづいた。その経験が、私は必要とされる人間なんだ。社会で通用するんだという自信と誇りになった。そこから私は失敗や、壁にぶちあたっても、なんとか腐ることなく生きていけるようになった。

少年院出院者にとって、自分を必要としてくれるまっとうな場があれば、マイナスがプラスにどんどん変わっていくと私は信じている。

セカンドチャンス!

少年院の元法務教官との出会いがあり、その人に誘われて、一緒に少年院出院者のための「セカンドチャンス!」という活動を2009年から始めました。

「セカンドチャンス!」は、少年院出院者同士が、社会で同じ経験と人生の希望を分かち合い、仲間として共に成長していくことを目的とした集まりです。

まっとうに生きたいと願う少年院出院者同士が出会い、つながり、この輪を大切に広げています。

参加資格は、『やりなおしたい』という気持ちをもっているということ、過去の経験などは一切問われません。

 主な活動は、地域交流会と全国合宿と少年院訪問です。

地域交流会とは、少年院経験者が定期的に集い、語り合ったり、つながりを深めあったりする場です。ここでは悪ぶる必要もなく、かといって無理して真面目ぶる必要もなく、ありのままを出し合えるような関係を大切にしています。また会おうな!ハグして別れます。

全国合宿とは、地域交流会が合同でおこなう宿泊型の交流会です。他県からのメンバーが集い全国の仲間と出会い、つながることができます。全国に仲間がいるんだと実感し合い、夜通し語り合い、来年会おうな!とお互いハグして別れます。

少年院訪問は、少年院にOBとして、院生に対し、人生はやり直せる。まっとうに生きたいと思っても独りじゃない。色んな仲間を紹介するから一緒に頑張ろうというメッセージを伝えにいきます。

私自身、少年院出院後、悪いことは断ち切って、まっとうに生きたいと願った時、孤独になった気がしました。セカンドチャンス!は、犯罪者が犯罪をやめてまっとうに生きたいと願った時、孤独になるのではなく、むしろ仲間がどんどん全国にたくさん増えていくような社会にしていきたいと思っています。だからこれからも大切に輪を広げていきます。

少年院を一歩外に出た日

セカンドチャンス!

まっとうに生きたい少年院出院者の全国ネットワーク

セカンドチャンス! 才門 辰史

10 子どもと司法・権利

事例 2 子どもの権利を守る未成年後見人  権利擁護を通して考える子どもの未来 

社会福祉士 弓田 香織

「親権者のサインが必要です。」

2月のある日、中学3年生の信子さんは休み時間に急に担任の先生に呼ばれました。お母さんが交通事故に遭って、突然亡くなったという悲しい知らせでした。信子さんは、お母さんと2人暮らしでした。葬儀に来たのは親戚の方数人でした。信子さんが5歳の時に母と離婚した父は、親戚の方がなんとか連絡をつけましたが、結局葬儀には来ませんでした。独りぼっちになってしまった信子さんは、叔母の家にしばらく滞在しながら、これからは色々なことをすべて自分でやっていかなくては、と決意しました。涙も乾かぬうちに信子さんは高校受験を迎え、無事第一志望の高校に合格しました。信子さんはお母さんの遺影に合格の報告をすると、すぐに叔母と一緒に携帯電話を購入するため、携帯ショップに行きました。好みの機種が見つかり、いよいよ手続きを始めようとした時、店員が叔母に尋ねました。「お母様ですか?こちらにサインをお願いします。」二人は顔を見合わせました。「私はこの子の母親ではありません。母親は先月亡くなりました。」店員は戸惑ったような顔で「それではお父様と一緒にご来店頂けますか?携帯電話の購入手続や回線の利用契約には、親権者のサイン(同意)が必要です。」

未成年後見人の役割と必要性

信子さんは、がっかりしながら携帯ショップを後にしました。さらに、銀行口座の開設や高校の入学手続など一つひとつの過程において、これからは自分で行おうと決意した信子さんの気持ちが萎えてしまう程にうまくいかないことが続きました。

そうなのです。実はわたしたちが社会の中で何気なくおこなっているさまざまな手続は、多くの場合「法律行為」となっています。携帯電話も携帯会社と「回線利用契約」(法律行為)を交わすことで利用できるようになります。民法では、「未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならない」(5条1項)と定めており、法定代理人とは、親権者または未成年後見人を指します。法定代理人の同意の無い未成年者による単独の法律行為は、後で取り消すことができるため、携帯会社は契約を確かなものにするために親権者による同意を求めるのです。未成年者が親権者をすべて失った時には親権者の代わりを務める人をおかなくてはなりません。この存在こそが未成年後見人です。事故や災害等で両親を同時に亡くした場合、ひとり親家庭で親権を有する親が亡くなったり行方不明になったりした場合などが想定されます。また、児童虐待により家庭裁判所の判断で親権を喪失または停止された場合にも、未成年後見人が必要となります。どの子も直面する可能性のある問題にも関わらず、未成年後見人の法的な役割や実際の手続きの方法は、おとなたちにもほとんど知られていません。

未成年後見を通してみえてくる親権の意味

私はこれまでに二人の未成年者の後見人として家庭裁判所から選任され、その責を担ってまいりました。またスクールソーシャルワーカーとしての職務や社会福祉士としての研鑽を積む中でも、未成年者の状況に触れる機会がありました。

未成年後見人とは、民法に基づき未成年者の「身上監護」と「財産管理」を行う者で、親権者と同じ権利義務を有します。

「身上監護」とは耳馴染みのない言葉ですが、子どもの世話をする、子どもに教育やしつけをする、子どもの住む場所を決める、子どもが働く場合に許可をすることなどを指します。ただし未成年後見人の場合、一緒に住んで直接身の周りの世話をすることが求められるわけではありません。子どもが発達段階や心身の状況に応じた世話や教育を受けられる環境を「整える」ことに重点が置かれます。「財産管理」とは、子どもの財産を適切に管理し、必要な契約を代わりに結んだり、未成年者が財産上の行為を行うにつき同意を与えたりすることです。

未成年後見人は、選任されるとすぐに未成年者の本籍地か住所地に後見届を出した上で、未成年者の資産を調査して、財産目録を作成し家庭裁判所に提出することが最初の重要な業務となります。子どもの資産なんて小遣いやお年玉の管理程度だろうなどと高をくくってはなりません。既に親権者を亡くしている子は、親からの遺産を相続していたり、親の死亡時の生命保険金を受け取ったりしている場合もあります。遺族年金を定期的に受給している場合もあり、親が元々持っていた資産や子ども自身のきょうだいの数によっては、子どもでありながら相当な資産を保有しているケースもあるのです。それらをきちんと書面上に整理して、その子の生活状態や将来の自立のための希望に合った収支計画を立て、預金通帳や保険証書等の管理を開始します。

信子さんのように携帯電話を契約する場面では、後見人として「身上監護」と「財産管理」の両面から丁寧に検討して、その契約を結ぶことが未成年者の利益になるかを判断した上で契約行為を行うことが必要になります。つまり、携帯電話を使用することが、信子さんの現在の心身の状態や生活状況に照らし合わせて意義のあるものか、成長を促すことにつながるか、そして継続的に本人の財産から携帯電話使用料を支払っていかれるか等を多角的に検討した上で、職務上の責任をもって契約書にサインをすることが求められるのです。

さて、両親が離婚する場合に親権を巡って争いが生じたり、児童虐待が起こった場合に家庭裁判所は親権を停止することがあるなど、子どもになんらかの危機が起こっている時に《親権》が注目されます。一方で、子育ての中で、「ああ、今自分は親権を行使しているなあ…」と考える瞬間はほとんどありません。子どもの出生届を役場に提出しても「今日からあなたには親権が与えられました。身上監護と財産管理をしっかりおこなってください。ちなみに身上監護とは…」などと説明される場面もありません。いざ直面しないと親権について親権者自身がじっくり考える機会がないまま、子どもの親となります。私自身も、5年程前に初めて未成年後見人となってから、改めて親権の持つ大きな力を知ることとなりました。2011年の民法改正により、「親権を行うものは、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」(820条)とされ、「子の利益のために」という部分が追加されました。増え続ける児童虐待、そしてお年玉の取り上げや高校生へのアルバイトの強要、児童扶養手当や就学援助費の不適切な遣い方などにみられる親権者による誤った財産管理の実態。それらを知るにつれ親権には権利だけではなく義務も同等に伴うことを、すべての親がすべての市民がもっと深く理解できるような社会にしていくために、自分は社会福祉士として何をするべきなのだろうかと自問する日々です。

未成年後見制度の課題とこれから

未成年後見人を選任するのは、未成年者本人の住所地を管轄している家庭裁判所です。親族が選任される場合と、「第三者後見人」といって弁護士・司法書士・社会福祉士等の専門職が選任される場合があります。

信子さんの場合も、当初叔母が未成年後見人の候補に挙がりましたが親族内から反対の声があり、結果的に家庭裁判所は弁護士と社会福祉士を複数後見人として選任しました。実は家庭裁判所は離別した父にも受任の打診をしましたが、父は新しい家族がいることを理由に断りました。信子さんはそのことを家庭裁判所から説明された時、父に二度も見捨てられた気持ちになり、しばらく勉強も手につかなくなりました。裁判所としては選任に必要な手続きでしたが、その事実を知った際の信子さんの心情に、より一層配慮する必要があったと思います。

また、未成年後見人に財産を横領された子どもたちに関する報道も後を絶ちません。専門職においても未成年後見人を受任できる人材の育成はまだ道半ばです。すべての子どもに関係する大切な制度でありながら、認知度や成熟度の面でまだまだ課題があり、受任経験のある者が積極的に意見を発信していく必要を強く感じています。

なお、信子さんの事例は、複数のケースの状況や要素を組み合わせて加工・創作したものであることをお断りしておきます。

子どもの権利を守る未成年後見人

 権利擁護を通して考える子どもの未来 

社会福祉士 弓田 香織

長野県教育委員会のスクールソーシャルワーカー(SSWr)としての活動も早くも10年目に突入しました。未成年後見人の受任はSSWrとしての業務ではなく、一社会福祉士としておこなっています。しかし子どもの権利を守る姿勢と視点は共通のものであり、これからもどちらの活動も大切にしてきたいと思っています。長野県社会福祉士会会員、ぱあとなあながの所属。

10 子どもと司法・権利

事例 3 松本市子どもの権利相談室「こころの鈴」の活動について

松本市子どもの権利擁護委員 北川 和彦

はじめに

松本市子どもの権利相談室「こころの鈴」が平成25年7月に活動を始め3年半が経ちました。子どもが、虐待、いじめなどの権利侵害を受け、また受けそうな時に、松本市に在住、在学、活動するすべての子どもたちが相談し、救済を受けられるしくみです。松本市子どもの権利に関する条例(平成25年4月1日施行)によって発足しました。愛称の「こころの鈴」は、小学校4年生女子が命名してくれました。

調査相談員が相談を受け、子どもの権利擁護委員が救済活動をし、両者が両輪となって活動をするしくみで、こども部こども育成課に設置され、教育委員会とは独立しています。

制度の内容

室長一人と3人の調査相談員が対応し、月から土曜日の午後1時から6時まで(金曜日は8時まで)電話、面談、メール(市のHP参照)で受け付けます。毎週1回、相談員会議で案件を検討し合い、月に2回、子どもの権利擁護委員が参加して全ケースを検討。子どもの権利擁護委員は、これまで弁護士(私)と大学教授(小児看護学)の2名でしたが、次年度から1名(教育関係者)増員されます。調査相談員は、他に、学習会、紙芝居や子どもの権利通信の作成・配布、学校内で校内放送をするなど、子どもの権利の普及活動や広報をしています。また、相談の基本姿勢としてはひたすら相談者の話を聞くことを第一にし、自身に引きつけて話を聞いたり、自らの経験を一方的にアドバイスしないようにしています。話をしているうちに、相談者が自分なりの解決に至る場合もあり、解決を見つけられずに、また次回にとなることもあります。

名前や所属は問いませんが、相談者が電話番号を知らせてくれる場合は、こちらからその後の様子を聞くこともあります。相談者が希望すれば助言(情報提供、他機関紹介等)や関係者間の調整を行います。

支援・救済の基本姿勢としては、子ども中心の問題解決であり、おとなからの相談でも、子どもの気持ちを確認しながら、子どもにとっての最善の利益(子どもの権利条約第3条)を目指します。子どもと保護者や学校などとのトラブルは、第三者が入ることによって冷静さを取り戻し、子どもにとって何が必要か判断でき、双方の関係が調整できます。重要なことは、相手(相手の子ども、保護者、学校関係者など)を攻撃しないことで、相手の言い分を聞いて相談者にフィードバックし、さらに相手にぶつけることを繰り返すことでの関係修復を試みています。

相談の実際

(1)相談件数…平成25年170件、同26年130件、同27年368件、同28年314件(1月31日まで)

※ 3年目から室長を置いて常勤とし、相談態勢や広報等を立て直した結果、相談件数は3倍弱に増え、今年度も同程度の予想です。

 リピーターが多く、一人が年間10回を超える相談をしてくることもあります。

(2)相談者(平成28年度)…子ども37%、おとな63%(うち保護者50%)…割合は昨年度とほぼ同じで、おとなからの相談が多いことが特徴です。

(3)相談対象者(同)…小学生33%、中学生40%、高校生20%、保護者4%)…昨年度に比べ、小学生が倍増し、中学生と保護者が減りました。

(4)相談内容(同)…いじめ8%、不登校23%、心身の悩み4%、交友関係18%、教職員の対応14%、学校の対応3%、家族関係の悩み13%、子育て3%、虐待2%、其の他3%…教員や学校の対応についての相談が相当数あります。

(5)相談方法(同)…電話75%、面接14%、メール11%

 メール相談は相手との直接の接触がなく対応が難しいですが、電話もできず、面談もできない子どもと数十回メール交換をした末、友だちとしゃべることができるようになり、友だちと一緒に撮ったプリクラを送ってくれたこともありました。

  

調査相談員による相談及び関係調整

すぐに切れてしまう電話やお試しにかけてくる電話、単に話をしたかったとか心がほっこりするような電話もありますが、小学生からは、いじわる、仲間はずれ、喧嘩したけど謝れない、本当の自分がわからない等があり、中学生からは、LINEで悪口、自分には価値がないと思う、やる気が出ない、部活の人間関係がストレス、家族とうまくできない等の相談があります。おとなからは、子どもが学校でいじめを受けている、友だちとの関係で悩んでいる、学校に行きたがらない、学習がおくれている、先生が頼りにならない、部活の顧問がひどいいじめ、子どもが嘘をつく等がありました。

会話が成立すると数十分から1時間以上に及ぶ電話も多くあり、面談は2時間以上になることもあります。保護者と子どもが一緒に来られた場合は、別々に面談し、子どもから直接話しを聞くようにしています。

面接は、大手事務所でおこなっていますが、子どもが遠方で大手事務所まで来られない場合は、こちらから居住地近くの市の施設(公民館等)に赴いて相談を受けています。家庭内に居場所がなく家出を考えていたが、相談員が子どもの居住地まで出張して面談をしたことによって、思いとどまった例がありました。

悩みを解決するために、学校の先生や保護者と話しをする必要がある場合は、保護者からの相談でも、直接子どもの了解を得ています。教育委員会や各学校にはこの制度について理解をいただいており、相談員が所属する学校にお願いをして、該当の先生に接触し、子どもの考えや気持ちを理解していただいたり、逆に学校側や先生の考えをお聞きして、子どもや保護者に伝えています。

学校や教員とのトラブルが合計17%と目立ちますが、最近は、教員と児童生徒との関係に悩んで、学校側からこころの鈴に相談をいただくことも増えてきました。また、いじめの加害者であっても決めつけず、どうしてそのような行動をしたのかを聞き、自分の行動を認識してもらいます。他の子どものいじめを見て苦しむ子どももおり、気持ちを聞き、どう行動することが良いか自分で考えてもらうようにしています。

子どもの権利擁護委員の活動

(1)相談の全ケースを月2回調査相談員と一緒に検討し対応を考えています。

(2)権利救済活動は、これまで2件行いました。1件は、小学校5年生からの申し立てによるもので、先生の対応によって不登校になってしまった件でした。校長先生を通じてその先生に接触し、子どもの気持ちを先生にお伝えしたところ、先生の理解が得られ、関係の修復ができました。申立から関係の修復まで1か月と比較的早期に解決ができました。

(3)権利救済活動にはその申立をしてもらう必要がありますが、今年度は、申立ができない事情があるが、多くの子どもたちに影響があって見過ごすことのできない問題について、子どもの権利擁護委員が発意して、調査している案件が1件あります。 松本市子どもの権利に関する条例では、このように委員が権利侵害を疑って調査し、その結果によって相手方に要望したり、意見を言うオンブズパーソン活動も認められています(17条)。

さらに多くの相談窓口を

現在、子ども条例に基づく相談・救済の公的第三者機関は全国に31自治体(うち県は3)設けられていますが(平成28年4月1日現在)、長野県内の市町村には松本市以外には存在しません。松本市のこころの鈴には周辺市町村在住の子どもや保護者からも相談の電話が来ますが、残念ながら応じられません。

他の自治体にも、子どもの権利擁護の立場にたった窓口が是非とも必要だと思います。長野県には、平成26年7月に子ども支援センターがこども・家庭課に設置されました(条例制定の経過は2015年長野の子ども白書195頁以下を参照)。平成27年度は1,567件の相談があり、順調なスタートが切れているようです。しかし電話相談がほとんどで、面談は2件(16回)、他機関との連携は63件(うち37件は教育委員会)でした(以上、平成27年度活動報告書6頁)。面談が少なく、他機関との連携も不十分に感じます。

県内は広いので、各地域振興局にも相談窓口を設けていただきたいし、市町村に同様の機関を設置するようリーダーシップをとっていただきたいと思います。

松本市子どもの権利相談室

「こころの鈴」の活動について

松本市子どもの権利擁護委員 北川 和彦

北川和彦 弁護士

〒392-0027諏訪市湖岸通り5丁目21番5号

TEL:0266-53-5411 FAX:0266-53-5412

10 子どもと司法・権利

事例 4 子ども支援センターの実績と課題

子ども支援センターの実績と課題

弁護士 中嶋 慎治

1. はじめに

 平成26年6月に「長野県の未来を担う子どもの支援に関する条例」(以下、「子ども支援条例」)といいます。)が制定され、平成27年4月1日に施行され、同日子ども支援センター・子ども支援委員会が設置されました。

 子ども支援センターは、長野県の子どもに関する総合相談窓口です。子ども支援委員会は、いじめや体罰などの人権侵害を受けたこどもについて救済申出を受け、調査審議するとともに、子ども支援センターの運営等について助言するという機関です。

 子ども支援センターは、所長、次長、相談員2名、調査連携推進員1名、特別調査員1名で構成されており、常時4名ほどの職員が相談対応しています。

 子ども支援委員会は、医療、福祉、法律等の専門家(平成27年度は5名、平成28年度は6名)で構成されています。

 私は、平成27年4月の設立時から現在まで、子ども支援委員会の委員を務めています。

2. 活動の実績

(1)平成27年度の子ども支援センター・子ども支援委員会の活動の実績は、県のホームページで活動報告として公表されています。

 平成27年度に子ども支援センターに寄せられた電話及びメール相談の総数(無言電話を除く)は、1,286件でした。電話相談が1,088件、メール相談が198件でした。(図 1)

 相談者の割合としては、子ども本人からの相談が849件(66.0%)、家族からの相談が360件(28.0%)、その他関係者からの相談が77件(6.0%)でした。

図 1 子ども支援センターに 電話相談及び メール相談をした 相談者の割合を 示した円グラフ

図 1 相談者の割合(平成27年度)

 相談件数の推移としては、センター設置当初の平成27年4月中旬から5月頃にかけて非常に多くの相談が寄せられました。ただし、これにはお試し的なものが多く、無言やいたずら電話が約半数あったようです。

その後は、1週間に20件前後で推移し、周知用のカードやチラシを配布すると都度その直後に相談件数が伸びるといった状況です。

 相談内容としては、「交友関係」(友だちとの仲違い・仲直り、グループの所属など)が224件(17.4%)と最も多く、「学校関係」(教師の言動、部活、進路等)が206件(16%)と続いています。(図 2)

 また、複合的な内容の相談が少なくないことから、別の分類による集計もなされています。それによると、インターネットやSMSなどメディアに関する相談が19件、性に関する相談が26件、家庭の経済状況に関する相談が15件、家族の健康に関する相談が9件です。

図 2 子ども支援センターに寄せられた 相談の内容の 割合を示した円グラフ

図 2 相談内容(平成27年度)

(2)直近のデータとしては、平成28年4月1日から平成29年2月28日までの集計が公表されています。

これによると、電話及びメール相談の総数(無言電話を除く)は792件で、内子ども本人からの相談が412件(52.0%)、家族からの相談が327件(41.3%)、関係者等からの相談が53件(6.7%)です。相談内容は、「学校関係」が137件(17.6%)と最も多く、「子育て」98件(12.4%)、「交友関係」88件(11.1%)と続いています。

(3)このように、センターへの相談の特徴として、子ども本人からの相談が多いということがあります。この点、県教育委員会に設置されている「学校生活相談センター」への相談の約7割がおとなからの相談であることと対照的です。

 子ども支援センターの重要な役割の一つは、周囲の誰にも相談できない子どもが相談できる先であることです。その意味で、平成28年に入って減ってはいますが、子どもたちからの相談が多いことはよいことだと思います。

 あとは、相談を受けたセンターが、子どもの悩みや気持ちをしっかり受け止めて、寄り添いながら対応できているかが問われてくるところです。

(4)他方、子ども支援委員会に対する救済申出は、設立当初から今日まで、まだありません。

3. 今後の課題

(1)一つは、広報面にあると思います。子ども支援センターのカードやチラシについては、複数回にわたり、県内の小学校4年生から高校3年生までの全児童生徒、市町村や児童相談所等の関係機関、NPO、児童館、図書館などに配布されています。

 他方、子ども支援条例そのものの周知はまだ不十分と感じます。現場の教員など子どもに直接関わる人にはもちろん、広く県内のおとなたちに、子ども支援条例の内容や理念(その元になっている子どもの権利条約の理念)が浸透するよう、周知理解に努めるべきだと思います。

(2)また、子ども支援センターにおける面接相談がもっと積極的に行われるべきだと考えます。平成27年度に面接相談を実施した事案は2件にとどまっています。相談者が希望することが前提ですが、その意向確認の方法も含めて、センターとして躊躇することなく積極的に面談を案内していくべきです。

 いうまでもなく、メール・電話と比べて、面談で得られる情報量は圧倒的に多く、問題の本質や背景を把握し易くなります。相談者との信頼関係の醸成や、後述する調整活動を行うためにも不可欠です。

 子どもだけとの面談の難しさ(子どもを呼ぶ場合の道中の事故、親のクレーム等)は指摘されるところですが、その必要性に鑑みれば、難しいで済まされないと思います。出張相談を含め、事案に応じた柔軟な対応が取れるよう、センターとして方策を練り、体制を整えておくべきだと思います。

(3)また、子ども支援センターによる事実上の調整機能が十分に発揮されるべきです。子どもの話を傾聴することは大事ですが、聞くだけでは解決しない問題があります。子ども、保護者、学校、施設、行政機関等々の関係者間で摩擦や対立が生じているような場合に、第三者であるセンターが中立な立場で関係先と話し、調整することで、問題が改善・解消するケースは相当数あると思われます。子ども支援条例の制定過程において、センターにはそのような調整活動が期待されることがたびたび指摘されてきました。人的・予算的な充実と併せて、センターが、必要に応じて面談を実施し、フットワーク軽く関係先へ出向いて調整活動を行えるような体制となり、今後、県内の子どもや関係者から真に頼られる相談窓口となることを期待しています。

弁護士 中嶋 慎治

長野県子ども支援センター

長野県子ども支援委員会

〒380-8570長野市大字南長野字幅下692-2

長野県県民文化部こども・家庭課内

【相談窓口】

子ども専用相談ダイヤル 0800-800-8035

おとな用相談電話 026-225-9330

FAX 相談 026-235-7390

E メール相談 kodomo-shien☆pref.nagano.lg.jp

【お問い合わせ】こども・家庭課 こども福祉係

電話 026-235-7099 FAX 026-235-7390

10 子どもと司法・権利

事例 5 子どもの居場所、二つの側面 「子どもが安心して過ごせる子どもの居場所」と「事件の現場としての子どもが居る場所」 

中村 健

子どもが安心して過ごせる子どもの居場所

子どもの居場所について考える前に、まず私が直接関わっている山形村の「子どもひろば」の紹介を通して、私の自己紹介を兼ねさせていただきます。この「子どもひろば」は、山形村の社協が事務局となり、地域のボランティアや団体が実行委員会を構成して、毎年山形小学校の夏休みに行なわれているものです。

私は「やまがた風土考房」の代表として平成20年の第1回から参加しており、昨年(H28)は、「子どもひろば」の一日をなろう原にある「ツリーハウス(やまがた風土考房所有)」で行ないました。「子どもひろば」では子どもが主役で、おとなのスタッフは少し自然のことがわかっている先輩に過ぎません。その場は子どもにとって、おとなは遊んでもらう対象ではなく、好きな遊びをしたり、一緒に食事を作って食べたりする仲間なのです。そこは子どもが主体であり、子どもの遊ぶ権利が保障されていて安心して過ごせる「子どもとおとなの居場所」なのです。

「やまがた風土考房」は平成20年に設立され、子どもたちが自然の中で逞しく育つ環境づくりを目的として「子どもの居場所づくり活動」をおこなってきました。平成29年からは、活動の範囲を山形村に限定せず中信地域、更に長野県全体に子どもの居場所の大切さを訴える「地域づくり活動」を行なっています。

ツリーハウスの 「子ども広場」に集まり ピースサインを向ける 子どもたちの写真

ツリーハウスの「子どもひろば」

「子どもの居場所」と「おとなの居場所」 
そこでは子どもとおとなの相互乗り入れが必要!

「子どもの居場所」と言うと、とかく子どもだけがいる場所のように捉えられがちですが、例えば子どもの冒険遊び場「プレーパーク」には、子どもに近い存在の若者のプレーリーダーや地域のおとなスタッフがいます。またおとなの居場所、例えば「子ども食堂の打ち合わせの場」には、スタッフのママさんがお子さんを連れて参加することがあります。子どもがいる所におとながいて、おとなが集まる所に子どもがいるのはごく自然なことなのです。

ところが一方で、中学生とか高校生が集まっている所におとなが入ろうとすると、「おじさんやおばさん(失礼!)がくる所じゃない」と言われそうで、おとなは遠慮してしまいがちです。結果として、そこでいじめが発生する可能性が出てきます。言い換えれば、そこにおとながいれば、いじめは起こらないと思うのですが、このことは別の機会に述べたいと思います。

そして、子どものことに関わる話し合い、たとえば「子どもの権利条例づくり」についての委員会(長野県では平成24年に県の条例をつくるための委員会が設置されました)には子どもの委員はおらず、あくまで行政の担当者と一般から募ったおとなの委員の間での議論に終始しました。「子どもの声を聴かなくてはならない」ということで、全県に子どもへのアンケートが実施されましたが、それはあくまでおとなが設定した設問に左右されたものであり、子どもの直接の思いや子どもの生の声を聞くものではありませんでした。結果として、子どもがいない委員会や県議会で、相当の時間をかけて議論されたにもかかわらず、「長野県の未来を担う子どもの支援条例」という形になり、「権利条例」ではなく“支援条例”となってしまったのです。「権利」が“支援”になってしまったことは何を意味するのでしょうか?「権利」とは正に国連の「子どもの権利条約」の肝であり、子どもの主体性が生かされるための絶対条件なのです。これが“支援”になってしまえば、子どもは権利の主体ではなく、保護・支援の対象となり、子どもの「主体性」はなくなってしまうのです。

ところで、この「子ども主体」とは何でしょうか? 子どもの権利条約の条項の難しい話は少し横に置いて、「子ども主体」を分かり易くいうと、「子ども自らが自分で考え、自分の意志でものを言い、行動すること」であり、親や先生などおとなの言うことに従って行動し、いわゆる“いい子”になることではないのです。

この「子どもの主体性」が守られている場こそ、こどもの居場所であり、そのような場が保障されている場ではいじめはなく、さらに言えば、おとな社会の無用な諍いもなくなるのです。

そのためには、「観察」の視点で子育ち環境を見て、子ども主体がいかにして実現できるかについて、子どもの権利の場作りに関わる人一人ひとりが考え、みんなで(子どもも一緒に)議論し、方向を模索し、実行していくということだと思うのです。

事件の現場としての子どもの居る場所、そして「子どもの権利条約フォーラム」とは?

子どものもうひとつの居場所―子どもが犠牲となる事件の現場について考えてみましょう。いじめや虐待の事件(行政は“事案”という言葉で曖昧にしてしまうことが多いですが)が起きている場所だけが現場なのではなく、子どもが当事者である場、子どもの居場所が現場であり、そしておとなが子どもを見守る場でもあるのです。

現場とは、子どもの日常の身の回りである家庭・学校・塾・地域などなのですが、その場にいる人(特におとな)の意識ひとつで、そこは子どもが安全に居られる場ともなるし、事件の現場ともなるのです。

現場にはいつも子どもがいる、と言うより、子どもがいるところが現場であり、現場で起きていることを知ることから、対策は始まるのです。そしてその現場で事件が起きる前から対策をとる、これが子どもの権利条約(条例)の役割であり、この条約・条例の存在を全県に拡げていくのが「子どもの権利条約フォーラム」なのです。

今年(H29)1月に、茅野市の子育てサポートセンターにて「子どもの権利条約フォーラム2017 in 信州」の実行委員会準備会が行なわれました。今年2017年の12月に予定されているこのフォーラムは、2007年に諏訪地域で行なわれた「こどもの権利条約フォーラム in ながの」の実行委員の有志メンバーが中心になり、平成26年(2014年)に制定された「長野県の未来を担う子どもの支援条例」の全県への周知を目的に、再度長野県で行なわれることになりました。

「子どもの権利条約フォーラム2017 in 信州」に向けた実行委員会準備会の様子

「子どもの権利条約フォーラム2017 in 信州」 に向けた実行委員会 準備会の様子の写真

最後に、長野県各地で行なわれている(私中村が参加したり、今後関わりたいと思っている)「子どもの権利」に関わる集会やイベント及びネットワーク活動による情報の共有の場を紹介します。子どもの居場所の理解のための参考になれば幸いです。

◇「信州こどもカフェ推進

  フォーラム」(H28.2.20)

信州子どもカフェ推進フォーラム実行委員会

もうひとつの子どもの居場所「信州こどもカフェ」について、情報交換、パネルディスカッション・ワークショップが行なわれました。

「信州こどもカフェ推進フォーラム」の パンフレットの写真

◇「ながのこどもわくわくフェスタ」(H28.2.21)

ながのこどもわくわくフェスタ実行委員会

子どもの居場所の1つである「ながのこどものじゃん・けん・ぽん」で、子どもの地域の居場所づくりに関わっている人たちが集い、つながることでできる「子育ち・子育て支援」について学び・話し合いました。

「ながのこどもわくわくフェスタ」の パンフレットの写真

◇ 子どものびのびネットワークML

 (kodomo_nobinobinet☆freeml.com)

 「子どものびのびネットワーク」とは、長野県の子ども条例づくりにあたり、「子どもの権利条約」に基づく条例の制定を願って、県に提案書を提出し、条例ができた後も、条例が「子どもの最善の利益」に即したものとなるように、さまざまな提案をおこなっているネットワークです。

子どもの居場所、二つの側面

「子どもが安心して過ごせる子どもの居場所」と

 「事件の現場としての子どもが居る場所」

 中村 健

「風土考房トナカイ」は、子どもたちが自然の中で逞しく育つ環境作りを目的として「子どもの居場所づくり」活動をおこなってきました。平成29年からは、子どもの居場所の大切さを訴え、「地域づくり活動」をおこなっています。

執筆者一覧

松井 彦郎

長野県立こども病院 小児集中治療科

〒399-8288 安曇野市豊科3100

塩崎 暁子

長野県立こども病院 療育支援部

〒399-8288 安曇野市豊科3100

TEL0263-73-6700

福田  明

松本短期大学

〒399-0033 松本市笹賀3118

TEL090-4462-1608

メールアドレス 

mjc-a.fukuda☆matsutan.ac.jp

遊木 正俊

篠ノ井橋病院 精神科医

〒387-0001 千曲市雨宮1636

TEL026-272-0744

信州の

かあちゃん

安保関連法に反対するママの会信州

メールアドレス 

nowarworldwishmom☆gmail.com

蓑島 宗夫

医療法人(社団)みのしまクリニック

能勢 桂介

立命館大学生存学研究センター

メールアドレス 

nose_keisuke☆yahoo.co.jp

宮下与兵衛

首都大学東京 特任教授

メールアドレス 

yohee28☆yahoo.co.jp

半田  裕

特定非営利活動法人ちゃいるどふっど

TEL080-9570-2176

メールアドレス 

asobiya.childhood☆gmail.com

宮澤 節子

NPO法人すわ子ども文化ステーション
チャイルドラインすわ 〒392-0007 諏訪市清水3-3970-3 「ふれあいの家」 内 

TEL0266-58-3494

メールアドレス 

kodomo☆sukobust.com

荒井英治郎

信州大学教職支援センター准教授

〒390-8621長野県松本市旭3-1-1

信州大学教職支援センター TEL0263-37-3052

メールアドレス 

earai☆shinshu-u.ac.jp

馬島 直樹

長野県子どもを守る会会長

信州の教育と自治研究所運営委員

〒383-0015中野市吉田1154-11

TEL0269-26-3927

武山 弥生

一般社団法人シーズ発達研究所

発達障害児・発達障害者及び家族支援の会シーズ

〒393-0081諏訪郡下諏訪町社東町14-8

TEL0266-75-0788

メールアドレス 

info☆seeds2008.org

坂戸 千明

長野県長野養護学校

TEL026-293-7291(自宅)

メールアドレス 

aoitori86☆kuf.biglobe.ne.jp

金井なおみ

特別支援教育士SV

馬場 博雄

若槻養護学校教育相談(2017年3月まで)

藤村 和広

児童発達支援センター にじいろキッズらいふ〒380-0928 長野県長野市若里6丁目6-14

TEL026-219-3780

メールアドレス 

k-fujimura☆nagano-shajikyo.or.jp

湯浅 健夫

福祉医療給付制度の改善をすすめる会〒381-0034長野市高田276-8県労連会館内

TEL026-223-1281 FAX026-223-1291

新日本婦人の会長野支部

〒380-0901長野市居町1774 風間ビル1F

TEL026-228-7134

小林 正弥

長野県民主医療機関連合会 事務局

〒390-0803 松本市元町2-9-11民医連会館2F TEL0263-36-1390

児玉 典子

反貧困セーフティネット・アルプス世話人

TEL090-9353-2699

山本 修平

松本市役所 こども部 こども福祉課〒390-8620松本市丸の内3-7

TEL0263-33-4767

堤  則昭

親子ネットNAGANO(事務局)

TEL050-3468-3743

メールアドレス 

kodomokenri☆gmail.com

http://oyakonetnagano.jimdo.com/

下村真知子

親子ネットNAGANO

牧田 広利

長野県ひとり親家庭等福祉連合会

〒396-0023長野県伊那市山寺298番地1

ふれあいーな内 TEL 0265-72-2618

メールアドレス 

naganohitorioya☆gmail.com

http://naganohitorioya.jimdo.com/

北村きよみ

〒381-0082長野市上駒沢304-13

TEL080-2061-9009

メールアドレス 

mama-fp☆live.jp

古澤 絵美

学校事務職員

久保田延幸

教育相談員 

メールアドレス 

k_k0509☆hotmail.co.jp

妙心寺京子

学校事務職員

関  和穂

信州大学 学生

山本 尚果

信州大学 学生

鈴木 忠義

長野大学社会福祉学部

〒386-1298長野県上田市下之郷658-1

TEL0268-39-0069

メールアドレス 

ta-suzuki☆nagano.ac.jp

内田 宏明

日本社会事業大学社会福祉学部

〒204-0023東京都清瀬市竹丘3-1-30

メールアドレス 

kodomopost☆jcsw.ac.jp

青木 正照

特定非営利活動法人NPOホットライン信州

信州こども食堂ネットワーク 事務局

〒399-0011松本市寿北5-4-28-1

Free 0120-914-994 

メールアドレス 

yff52160☆nifty.com

伊藤由紀子

特定非営利活動法人ワーカーズコープ

北陸信越事業本部 松本事業所

〒390-0807長野県松本市城東2-6-17

ハイツリラ101号

TEL0263-39-7444 FAX0263-39-7447

メールアドレス 

naganojm☆roukyou.gr.jp

美谷島越子

特定非営利活動法人 フードバンク信州

〒381-0034長野市大字高田1029-1

長野県NPOセンター内

TEL026-269-0026 FAX026-269-0016

メールアドレス 

foodbank☆npo-nagano.org

金井 友弥

長野医療生活協同組合

TEL026-234-3307

反貧困ネット長野 TEL070-6988-2771

和田  浩

健和会病院

〒395-8522飯田市鼎中平1936

TEL0265-23-3115 FAX0265-23-3129

メールアドレス 

zan07102☆nifty.com

武田るい子

清泉女学院短期大学

〒381-0085長野市上野2-120-8

TEL026-295-1354(直通)

メールアドレス 

ruiko☆seisen-jc.ac.jp

太田 秋夫

ウエルカム三才児プロジェクト(事務局長)

〒381-0081長野市三才3320-4

TEL026-296-3311 FAX026-251-3901

メールアドレス 

aki-ohta☆mx1.avis.ne.jp

向井  健

松本大学 総合経営学部 専任講師

岡宮 真理

さんぼんやなぎプロジェクト(さんぼんやなぎ食堂)

TEL080-3418-0088

メールアドレス 

sanbonproject☆gmail.com

宮尾  彰

長野県ぷれジョブ連絡協議会

TEL090-5796-7506(個人)

西森 尚己

松本市子育てコミュニティサイトプロジェクト「はぐまつ」 子どもの支援・相談スペース「はぐルッポ」 〒390-0802松本市旭3丁目2-21

TEL 0263-31-3373

メールアドレス 

hugmatsu☆sky.plala.or.jp

山田きよし

ひきこもり家族会セイムハート代表

TEL090-2229-5689

白澤 章子

〒381-2231長野市川中島町四ツ屋1315-12

TEL026-284-8220 HP:川中島の保健室.jp

山下英三郎

NPO法人日本スクールソーシャルワーク協会

(名誉会長)

NPO法人修復的対話フォーラム(代表)

中川 峻介

長野県中央児童相談所

川瀬 勝敏

児童養護施設つつじが丘学園

〒394-0048岡谷市川岸上4丁目12-51

TEL0266-22-2574

宇津 孝子

うずまきファミリー

〒396-0304長野県伊那市高遠町山室3009

メールアドレス 

uzumaki0625☆gmail.com

由井 厚子

特別養子親子の会

土屋 一夫

特定非営利活動法人ワーカーズコープ

北陸信越事業本部 上田事業所

〒386-0018上田市常田2-29-15池野第一ビル1号

TEL0268-71-0031 FAX:0268-71-0032

メールアドレス 

ueda☆roukyou.gr.jp

田嶋みどり

建交労長野学童保育支部

松島 恒志

佐久市教育委委員会

〒385-8501佐久市中込3056

TEL0267-62-3478

矢澤智都枝

メールアドレス 

safety.net.nagano☆gmail.com

ビッグこねこ

http://bigkoneko.net/

五十嵐美智恵

癒しの空間 まごころ

〒381-0008長野市下駒沢240-50

メールアドレス 

magokoro090626☆email.plala.or.jp

川澄利枝子

(特)中信多文化共生ネットワーク

ヤングにほんご教室(於:松本市中央公民館)

TEL0263-39-1106 http://ctntabunka.jp/

メールアドレス 

hiyorikawasumi☆kje.biglobe.ne.jp

横谷マリア

メールアドレス 

mariayokoya☆gmail.com

栗林 恭子

西尾  淳

松本市教育委員会日本語を母語としない児童生徒支援事業 松本市子ども日本語教育センター 
〒390-0841松本市渚1-5-34 松本市立田川小学校内 TEL/FAX0263-25-7143

メールアドレス 

m.kodomonihongo☆gmail.com

西村 玄矢

信州大学 学生(2017年3月まで)

北原 広子

長野市

メールアドレス 

2500mafai☆gmail.com

奥村 達夫

(一財)佐久市文化事業団 館長兼芸術監督

〒384-0303長野県佐久市下小田切124-1

TEL0267-82-3962

くすのき燕

人形芝居 燕屋

〒390-1243 松本市神林5108-8

TEL・FAX 0263-58-1357

メールアドレス 

kusunoki☆tsubame.net

http://tsubame.net

大屋 寿朗

子どもと文化のNPO Art.31代表

〒391-0100諏訪郡原村17217-419

TELFAX:0266-78-1690

メールアドレス 

art31project☆yahoo.co.jp

林  直哉

長野県高等学校視聴覚教育研究会

芸術鑑賞専門委員 松本深志高校教諭

メールアドレス 

hayasi008☆mac.com

佐野ちあき

百瀬あすみ

慶応義塾大学 学生

一橋大学   学生

竹内はるか

そらいろのたね TEL050-3634-5939

メールアドレス 

sora.tane3☆gmail.com

http://soratane.naganoblog.jp/

根本弘一郎

ひだまりの家

〒3960621 長野県伊那市富県2455-1

TEL090-9514-4477(火曜から木曜 13から15時)

メールアドレス 

kia74ora☆yahoo.co.jp

豊永  誠

信州豊南短期大学 教授(2017年3月まで)

朝倉 康直

あづみ野眼科

〒399-8102 長野県安曇野市三郷温967-1

TEL0263-77-7333

樋端 佑樹

信州大学医学部附属病院子どものこころ診療部 北アルプス医療センター あづみ病院 あるぷすメンタルクリニック

田中 正一

松本市健康福祉部健康づくり課

〒390-8620長野県松本市丸の内3-7

TEL0263-34-3000

吉田アイ子

うごく保健室

〒384-2205佐久市春日2747-1

TEL090-8595-8399

メールアドレス 

yoshida.aiko☆cameo.plala.or.jp

後藤 裕子

松本市あがたの森(青少年の居場所)

まちかど保健室 TEL0263-34-3291

渡辺 隆一

信州大学教育学部  特任教授

内田 幸一

森のようちえん全国ネットワーク

草間由紀子

横浜国立大学大学院 学生

新美 亮介

長野県望月少年自然の家

〒384-2204長野県佐久市協和3489-67

TEL0267-54-2405

メールアドレス 

moti1258☆sakunet.ne.jp

森永 敦子

手をつなぐ3.11信州 子どもたちを放射能から守る信州ネットワーク 事務局 〒390-0846

松本市南原1丁目16-4 TEL0263-88-3103

メールアドレス 

hinannet.nagano☆gmail.com

小山 吉明

中学校教師

矢澤 朗子

スクールソーシャルワーカー

髙林  賢

ひかりの学校 あづみの本校

New Education School

〒399-8301安曇野市穂高有明7015-1

竹内  忍

信濃むつみ高等学校

〒390-0832 松本市南松本1丁目13-26

TEL0263-27-3700

メールアドレス 

info☆terra.ed.jp

小山 知徳

小諸登校拒否・不登校・ひきこもりに学ぶ親の会 はじめのいっぽ 〒384-0093小諸市和田80

TEL・FAX0267-24-2380

才門 辰史

セカンドチャンス! まっとうに生きたい少年院出院者の全国ネットワーク

弓田 香織

社会福祉士、スクールソーシャルワーカー

北川 和彦

長野県弁護士会子どもの権利委員会委員

松本市子どもの権利擁護委員

〒392-0027諏訪市湖岸通り5-21-5

TEL0266-53-5411 FAX0266-53-5412

中嶋 慎治

弁護士、長野県子ども支援委員会委員

中嶋慎治法律事務所

〒380-0838長野市県町484-1センターボア301

TEL:026-217-2872 FAX:026-217-2874

メールアドレス 

mail☆nakajima-lo.jp

中村  健

風土考房トナカイ

〒3901301 長野県 東筑摩郡山形村

TEL090-3440-3990

メールアドレス 

tonakainet☆yahoo.co.jp

連絡先の記載のない執筆者へのお問い合わせは、長野の子ども白書事務局(TEL026-244-7207)まで

表紙絵作者より

 表紙絵作者の藤沢深花です。今回製作にものすごく時間がかかってしまい、白書に携わっている方々には大変ご迷惑をおかけしました。仕事と製作の両立の難しさ、自分の力不足を痛感しました。もっとしっかりしたおとなにならねば…と思います。

 さて今回の絵ですが、ちょっと雰囲気を変えてみました。とても季節はずれですがいつも明るく爽やかな感じが多かったので、今回はしっとりした感じにしてみました。ちなみにジョージが抱っこしているのはメアリィとジョージの子どもです。メアリィたちもすっかりおとなになりました。メアリィやこびとたちは描いているとどんどん妄想が膨らむので、描いていてとても楽しいです。今度はどんな物語にしようか、今から妄想中です。                      藤沢深花(長野市在住)

うさぎのぬいぐるみを 抱えて振り向いて笑う ドレスを着た女の子のイラスト

挿絵作者より

 このたび、挿絵を描かせていただきました 牧です。

 小さな頃から絵を描くことが大好きでしたが、このようにたくさんの方に見ていただける日がくるとは思ってもいませんでした。まだまだ未熟ではありますが、見ていただいた方が自然と笑顔になるようなイラストを描いていけたらと思っています。よろしくお願いいたします。

牧 実咲(須坂市在住)

パレットを片手に持った 牧さんのイラスト

蓑島 宗夫、和田  浩

児玉 典子、立岡 淳志

横谷マリア、後藤 裕子

下平 容子、小林 啓子

竹村 幸子、小林 洋文

(顧問)

2017 長野の子ども白書

2017年5月20日発行

編集・発行 長野の子ども白書編集委員会

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株式会社キャロット内

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2017長野の子ども白書 編集委員